電信守備兵(七)


風邪引きなのに、私事でかなり多忙。
久しぶりに一ヶ月2回目のお休みをしてしまいました。
まぁ、色々ありまして。(笑)

さて、本題。
今日はまず、前回の冒頭で提示した『機密第20号』に対する陸奥宗光から井上馨への返信、1895年(明治28年)4月1日付『機密送第16号』より。

義州電信線の義に付ては、3月1日付機密第12号を以て申進置候次第も有之候処、右に対し同9日附機密第20号を以て御回答之趣了承致候。
朝鮮電信線譲受之義に付ては、既に3月1日附機密第13号を以て委細申進置候通り、此際是非とも我政府に於て管理致候様致度考案に付、義州線之如きも同様我手に入置候様致度存候。
此度御申越之如く、従来事実上清国政府に於て管理し来いたるには相違なきも、既に明治18年訂結に相成たる日韓電信條約に於て、義州線は朝鮮国の所属たることを認め、且朝鮮政府より清国政府に対し、年賦を以て右建設費の幾分を既に辨償したる義に候得ば、該線の全体を清国政府之所有と看做し、戦利品として之を没収することは、穏当の処置には有之間敷候へ共、去りとて従前之通り据へ置候事は、是亦我国の為め大に不利益と存候。
就ては、朝鮮政府より昨年年末迄に既に清国政府に辨償したる3万余両は、此際帝国政府より之を朝鮮政府に辨償し、而して朝鮮政府に於て尚清国政府に対し負担する残額に付ては我政府に於て之を引受け、其報償として従来清国政府が該線に関し有したる総ての権利義務を、帝国政府に移転致候様取極度存候。
将又、清国政府は関係に付ては既に申進置候次第も有之候通り、平和條約締結之際相当之取極を設け候様致度存候。
要するに、義州線を我手に入置候義は、将来之為め極めて必要の事に有之候に付、朝鮮政府に対しては可然御談判之上、承諾致候様御取計相成度、此段申進候也。

追て
右は逓信大臣とも協議済之義に付、此段御含置有之度候。
『機密第12号』は3月21日のエントリー、『機密第13号』については3月23日のエントリーで取り上げたもの。

戦利品という考え方については、義州電信線は実態は兎も角として名義上は朝鮮のものであり、借金も返しつつあり、清国の持ち物ではない事から戦利品とするのは無理という井上の指摘を、妥当だと思ったようですね。
しかしながら、やはり従来のとおり据え置く事は日本の不利益である、と。

ということで、負債の立替を日本が行い、清国から権利譲渡を受ける方向へと方針が転換されたわけです。
次第に、井上と日本の意識が接近してきましたね。(笑)

で、今回までの史料から個人的な感想を述べれば、陸奥の拘っているのはきちんと保安管理された電信と共に、清国と朝鮮の条約そのものにもある気がします。
借金が絡んでいる以上、日清戦争前の「商民水陸貿易章程」の破棄要求のようにはいきませんし。
まぁ、余談。

続いては、前回の『機密第26号』への回答督促と、日清戦争後の対韓政策について、井上からの1895年(明治28年)4月8日付『機密33号』。

鉄道電信條約案要項に付、去月24日附機密第26号信を以て本官の意見具申し、何分の訓令相仰ぎ置き候。
右條約に付ては、追々及具申候通り、当政部内に国権及び国利を主張する者多く、議論兎角一致せざる由に候処、数日前外務・内務・工務3大臣を以て調査委員と相定め候趣に付、遠からず閣議を一定し、我と協議を開くの運びに立至り可申と存候間、前記機密第26号信に対し、可成丈早く回訓相成候様致度候。
将又、日清両国の間愈々平和に相復したる場合に於ては、独り鉄道電信條約に限らず、一体我が朝鮮に対する将来の政策は、此際其方針竝に干渉の厚薄等確定相成り候事必要と存候。
抑々日清両国の開戦は、本と朝鮮の独立問題より興り、我天皇陛下は既に之を内外に宣言せられ、且我政府より独手朝鮮政府を改良する云々諸政府へ対し放言したるに付、改良を忠告するのみならず改良の実に干渉したり。
故に、本官は最初より朝鮮政府に対しては、常に独立を鞏固ならしむるの実を挙げしめんと断言し干渉をなしたり。
然るに、今日となりては多少の変態を考究をせざるを得ざるは、先般の貴電にて「魯政府は、名実とも朝鮮の独立を毀損す可からずとの一條を以て日清平和條件の骨子と為す旨」御内報有之、且又近来各新聞の所報に拠りて判断するに、日清事件に対し、英国も魯国と内々其意を合せたるやに被疑候。
然るときは、向後朝鮮独立の能く保全せらるると否とは尤内人の注目する重要問題と相成り、諸強国は、之を以て他日我対韓政略を拘束する唯一の鎖鑰と為すに立至るべくと存候。
従来我対韓の方針は、清国の干渉を根底より芟除し、名義及び事実の上に於て朝鮮の独立権利を保全するに在りて、之が為め兵力を以て清国を斥け、朝鮮をして略ほ独立の姿を為さしめたれば、各国共に我大義を尊敬するは勿論に候得共、唯同国をして内政を整理して独立の基礎を鞏固ならしめ、并右鞏固に至る迄内外の患害を被る事なからしめんとするには、将来朝鮮国は富強に赴き、自ら其国を守るに至る迄は、我が国の義務として之を保護せざるべからず。
左れば、鉄道も我より之を架設し、電信も我にて之を管理し、且又守備兵も旧に仍て之を存置せざる可からず。
加之朝鮮目下の形勢は、実に腐敗の極度に達し居れば、内政理上勢ひ多数の顧問官を採用せしめ、強迫的に之に干渉せざる可からず。
然るに右鉄道の建設と云ひ、電信の管理と云ひ、且又内政整理の干渉と云ひ、孰れも多少朝鮮の独立権を損傷するに相違なきに因り、局外者をして我は表面朝鮮の独立を唱ふれども、其実之を属隷とする野心ありとの疑を懐かしめ、即ち我宣言と事業と相矛盾せりとの擬論を受くるを免れざるべし。
左候時は、之が為め他日諸日諸強国の容喙を招くに至るも難計に付、差当り左の3件に付我政府の方針を確定相成度候。
これまでの史料のとおり、鉄道・電信条約は朝鮮政府内でも反発が強く議論も一致していなかったけど、近々ようやく一定の方針を決めて協議に入れそうだから、前回の『機密第26号』に関しての対韓方針を決めれ、と。

で、元々朝鮮を独立国にするのが目的なわけなんですが、内政を整理し、外患内患を除くために富強しなければならず、鉄道もひいてやり、電信も管理してやり、守備兵も置き、朝鮮は極度に腐敗しているので顧問官を宰相させ、半ば強制的に干渉しなければならず、要は独立国として一人前になれるまで日本の保護が必要ってことですな。
その矛盾を局外者・列強諸国に誤解され、容喙を招くかもしれない、と。

独立国に価しない国を、独立国扱いするからだ。(笑)

一.守備兵排置の件
朝鮮を以て完全の独立国と認むるときは、日清両国平和に復し日朝の同盟已むの日を以て、我が在韓の兵を撤去するは(或は我官民保護の為め若干を留め)当然なりと雖ども、現今の版況は、我兵一旦撤去の暁には、東学党又は地方官従来民産を掠奪の怨恨を堪へず、名を東学に借り、再燃して国内の紛乱を致すは必然と思惟せられたり。
尚、一層注意を要するは、従来の現在兵凡1万人斗勿論悪弊多く、且用に立つ可き見込なきにより、帰休兵となすの見込。
其他在京無用の官吏幾百人、地方に於ては監司所在地を除き、府郡縣州凡327ケ所にて役員2万2,300余あり、改良の為め官制を定めしむるに付ては、凡1万6,000有余の廃官吏を生じ候。
就ては、多少の変動は免がる可からざる事と被信候。
如何にも急激なる改革着手と御驚愕に可有之候得共、財政の不充分と積弊を矯正せんとするよりして、止むを得ざる次第に有之候。
依て、我兵をば平和の後に至ても其儘駐屯せしむるか、若くは一旦撤去と決定し、而して朝鮮政府の依頼を待て之を駐留せしむる事と為す可き也。
おお!
ようやく守備兵が!と思ったら、所謂電信守備兵の話じゃなかった。(笑)

「日清両国平和に復し日朝の同盟已むの日」とは、去年の5月18日のエントリーで取り上げた、日朝盟約の第三条、「此盟約は、清國に對し平和條約の成るを待て廃罷すべし」の事でしょうね。

攻守同盟が切れれば、当然兵を置く必要性は無くなるけど、まだ東学党や地方官吏への恨みで蜂起する等の国内紛乱が起きるのは必然。
韓国の兵士は悪弊が多く役に立たないので、帰休兵とする見込み。
その他、中央・地方の無駄な人員を整理すれば、1万6,000有余が失職。
急激な改革に見えるけど、財政と旧来からの弊害を取り除くためには必要な事である、と。

ってことで、講和後も日本兵をそのまま駐屯させるか、一旦撤去し、その後朝鮮政府の依頼として駐留させるかすべきだって事ですね。

一.鉄道電信條約の事
本件に付、機密第26号信を以て鄙見委曲申進候に付、熟と御詮議相成度候。
右に付進々申進候通り、訂約に至る迄は非常の強迫手段を要する事と致推量候処、右強迫手段は到底秘密を保つ事能はず、我は之を秘密にせんとしても、彼方にては困迫の余り、少くとも英・米・魯の3使臣へは内々相談を試むるに相違なく、左候時は外見上甚だ宜しからず、且又当国人は邪推強く、猜疑心深き方なれば、我国は野心を包蔵すとの観念は今に至迄心裏に消滅せず。
故に、彼我両国の間に困難事件の生ずる毎に其疑心悤ち増長して、処辨上に妨害を与ふるは、既往に徴して明なる事に有之候。
依て、其辺をも併せて御再考相成度候。
鉄道・電信の二つの条約については、今のままでは強迫手段が必要となるけど、それをすれば朝鮮はイギリス・アメリカ・ロシア等に相談するに違いなく、外見上非常に宜しくない、と。
先ほどの「その矛盾を局外者・列強諸国に誤解され、容喙を招くかもしれない」と同義ですね。
で、朝鮮人は邪推が強く、猜疑心も深いので、日本は野心を抱いてるに違いないnida!という観念は、今でも消えていない、と。

つか、現代と変わらないわけですが。(笑)

一.内政改革の事
右は、改革の目的を達せんとするには、今日迄の如く深く之に干渉し、一方には、大院君・王妃等の動もすれば妨害を為さんとする者を押へ置き、他の一方には施政の方針を立て、規画を授け、且つ我顧問官を薦用せしめ、恰も手を取らぬ斗りの世話をなさざる可からず。
然るに、局外者より之を観るときは、右等の干渉を以て朝鮮の独立権利を毀損すと為すも難計と存候。
依て、其嫌疑を避けんが為めに、向後は改革の成否には深く頓着せず、干渉の手を縮めて、朝鮮政府の自行に任ずべきや、若くは我政府は、朝鮮の内政改良を以て既に内外に宣言したる事なれば、改良を成功せしめんが為興る所の干渉は、多少深入するも差支なしとするか。

已上3件に付、至急我政府の議御確定相成り候様致度、此段及内申候也。
内政改革に関しては、今までは深く干渉し、一方でそれを邪魔する大院君や閔妃を掣肘し、また一方で施政方針や企画を与え、顧問官を採用させて手取足取りやってきたが、これは朝鮮の独立権利を毀損すると見なされるかもしれない、と。
で、その疑いを避けるため、今後は改革の成否にはあまり頓着せず、干渉も少なくして朝鮮政府に自分でやらせるか、改革を優先するために多少深入りする事も仕方ないとするか決めてくれって事ですね。

まぁ、日清戦争の終結を睨んだ動きが、あちこちに見られてるっぽいですなぁ。


ということで、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)
電信守備兵(五)
電信守備兵(六)


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電信守備兵(六)


何か、守備兵の事とか結構どうでも良くなちゃってて、すいませんねぇ。(笑)
ということで、連載第6回目です。

今日はまず、3月21日のエントリーの1895年(明治28年)3月1日付『機密送第12号』に対する井上の返信。
1895年(明治28年)3月9日付『機密第20号』より。

本月1日付機密第12号貴信中、義州電信線は、従来朝鮮政府と清国政府との條約に依り清国政府に於て管理し来りたるものには候得共、其実全く清国政府所有の電信線なるを以て、電信線其物は我政府に於て之を戦利品として没収可然義と存候と有之候処、該電信線に関する事実は御申越の通り相違無之と雖も、顧て明治18年12月21日日韓両国間に締結せられたる海底電線設置條約続約に、「今般朝鮮政府電線を架設し、仁川より漢城を経て義州に至り海外電信を通聯辨理するの一事」と有之候得者、該線は名義上朝鮮政府に属する事は論を俟たざる訳に有之候。
且又実際に就て之を観ても、該線架設の為め清国政府より借入れたる清銀10万両は、客年末の計算に於て既に3万余両を辨償し、残額6万3,500両と成り居れば、今日該線の全体を清国政府所属と見做し戦利品として之を没収する事は、事実に於ても其当を得ざる義と存候間、右再応御詮議相成り候様致度、此段及上申也。
「明治18年12月21日日韓両国間に締結せられたる海底電線設置條約続約」は、連載第一回で取り上げました。
で、当該部分は、仁川・京城・義州線から海外電信に接続するのは、海底電線條約の妨害であるとした前文にあたります。

その中でも認めている通り、義州電信線は、実態は兎も角として名義上は朝鮮のものであり、借金も返しつつあるし清国の持ち物ではないよ、と。
だから、戦利品とするのは妥当ではないという意見ですね。
つか、清国には当たり前に借金返すのね。(笑)

続いても、特命全権大使井上馨から外務大臣陸奥宗光への、1895年(明治28年)3月24日付『機密第26号』より。
ちょっと長いので、途中で茶々入れながら。

先般提出の鉄道電信約案に付、当政府の内部には異論多く、俄に同意を表す可き様子無之義は是迄及具報候処、右は今回朝鮮公債の談判に徴しても其困難なる事を推測候。
加之本月1日発第198号貴電には、閣下と魯政府との間に於て、日清終局事件に付種々秘密にて在東京魯公使へ御答辞中、名義并事実の上に於ても日本政府は朝鮮独立を認むるは初志を変ずる事なし。
故に、魯政府をして日本政府が朝鮮政府へ損傷を与ふる如き疑念を喚起さしむる事無之様注意せよと有之。
又総理大臣并閣下の内信中、魯西亜に対する朝鮮独立に付ては深く注意せよとの御催促を蒙りたり。
当時即ち清国は、3條件を以て平和終局に付ては、方今の事情は最初と些少の変態あれば、朝鮮に対する政略を多少顧みざるを得ざる義と被存候。
然るに公債一件は、日本兌換券を以て貸付する事又は法貨として租税に収入せしむる事、或は電信買取條約・鉄道建築條約等も、其結果は名実共に多少朝鮮の独立を損傷するの疑ひなき能はざる義に有之候。
啻に其のみならず、朝鮮人の道理に暗きと、疑心深きと、隨分橫着なるとの三分子を以て成立したる性質に有之候へば、余程の威迫を用ひざれば鉄道・電信條約を御希望の通り結局するは、困難至極に有之候。
依て各條に付、左に鄙見申述候間、予め御考慮を煩はし度候。
朝鮮公債とは、1895年(明治28年)3月30日に話がまとまる300万円の借款の話。
この借款の話は、これまでも何度か出てきてるんですけど、そのうち別途取り上げたいと思っています。
で、その交渉経緯から見ても、締結は困難だろう、と。

「本月1日発第198号貴電」が見つからないんですが、日清終局事件ってのは、勿論1895年(明治28年)4月17日下関条約の締結へ向けた動きの事でしょう。
そして、日本の基本線は朝鮮独立なわけで。
ロシアへの警戒と併せて、何度か注意が促されていたようですね。

それなのに、公債での日本兌換紙幣の使用といい、電信・鉄道条約といい、多少であっても朝鮮の独立を損傷してるべ、と
更に、「朝鮮人の道理に暗きと、疑心深きと、隨分橫着なるとの三分子を以て成立したる性質」と併せて考えても、成立はムリポ、と。
つうか、ここで直球キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━!!!!!!!!!! (笑)

一.鉄道約定箇條中、我政府の管理最短期を50箇年と擬定せられたるは余り長きに過ぎる嫌ひ有之候に付、先般電稟の上、右は30個年迄短縮するも差支なき旨回訓を待候。
一歩朝鮮政府に於ては、建築費の実額さへ償還せば、年限に拘はらず何時にても引渡す様に致し度との希望を懐き居るやに致承知候。
依て考ふるに、今日の場合朝鮮政府は、数年間に該建築費を償還し得可しと思はれず、或は外国債を興して之を償還する事あらんとの掛念なきにあらざるも、朝鮮政府の不信用なる尋常にては、外国債主の之に応ずるもの可有之と思はれず、左れば其年限は猶ほ一層短縮するか、若くは別に年限を定めず、同政府の都合次第何時にても之を償還し得る様に約定候ども、事実に於て差支無之義と存候。
将又此鉄道は本と軍事鉄道なれば、其建築費用は軍事費中より支出可相成事と致推測候に付、一は朝鮮政府の疑念を霽し、一は其便利を図からんが為に、向後同政府にて、国庫の剰余金又は王室の貯蓄金出来次第其多寡を論ぜず払入を許し、其払入の金額に対しては、恰も同政府の株の如く認め、其金額に応じ暫次建造に隨ひ其運転を始めたる日より起算して其経費を引去り、平均の利益分配を与ふると言ふ如き方法に取極め候はば、外見に宜敷又当政府も其便益に感じ可申候。
尤右は、我管理年限中の義に有之候。

一.朝鮮国内の電信を我政府にて管理するは頗る便利に且つ確実に相違なしと雖ども、此際同政府所有の旧線までを挙げて之を我政府へ買取らんとする事は、当政府の必然之に異議を生ず可くと存候。
依て、原案に折合ふ可き見込なき場合には、略ほ左記の方法に隨ひ取極め候はば、朝鮮政府の感情を損せず、且つ我方のも都合宜しかる可きと存候 。

一.京城より釜山に至る朝鮮旧線の処分の事
右は、京城より西線路水原・清州・公州及び全州等の市府を経過して大邱に至り、同処に於て我軍用電線と同一の線路を取り以て釜山に達するものなれば、我軍用電信と其線路を異にせり。
故に之を存立する必要あり。
依て之を買取ることを止め、朝鮮政府をして隨意に修繕を加へて之を使用せしめ、雙方協議の上京城・大邱・釜山間に於ける信料を同一に定め、互に競争の弊を避け候はば差支なき義と存候。

一.京城より元山に至る朝鮮電線処分の事
右は、前線同様之を買取るを止め、朝鮮政府所有の儘條件を定め我より之を管理す可し。
其條件左の如し。
我管理中は、管理規則并信料は我政府隨意に之を定むる事。
修繕は、我政府之を担当する事。
朝鮮政府の官報は、無料にて取扱ふ事。
将来朝鮮にて電信を充分に取扱ひ、破損の場合には迅速に且つ完全に修繕し能ふ技術者を得るに至り、并に地方人民静謐に帰し、妨害を被る掛念なきに至らば之を朝鮮政府へ還附し、其管理に任ず可し。

一.仁川より京城を経て義州に達する旧線処分の事
右電線は世人之を清国線と称すれども、明治18年12月21日日韓海底電線続約に於ては之を朝鮮電線と認め、且つ事実に於ても朝鮮政府は、之が為めに清国より借入したる債額10万両の内3万6,500両を返却し居るに因り、残額6万余両を返却せば全線朝鮮政府の管理に帰する約束なり。
而して目下京城・義州間に於ける我軍用電信は、総て此旧線を使用せり。
依て、本線をも京城・元山線と同様條件を以て我政府にて之を管理し、後来清国政府より負債残額を請求したるときは我政府之を立替置き、追て朝鮮にて電信を充分に取扱ひ、破損の場合には迅速に且つ完全修繕し能ふ技術者を得るに至り、并に地方は安寧に帰し暴民の掛念なきに至らば、之を朝鮮政府に還附して管理せしめ、同時に我立替の還附を受く可し。

一.朝鮮政府の電信技術者をば可成速に練習せしむる方法を設く可し

右は、鉄道・電信両条約両條約に関する鄙見の大要に有之候。
尤も、朝鮮政府に向つては、当初御廻送の草案に従ひ既に提出致置候に付、可成丈同案に基き協約の運に至らせ度希望を有し居り候得共、前陳の通り朝鮮政府の内部は種々異論ある由追々致承知候に付、本官は掛引上充分の余地を有せざる已上は、開談の後迚も充分の結果を得難かる可しと致思考候間、特に鄙見を條陳し、閣下の御熟考を仰ぎ候。
猶ほ、委細事情は末松氏へ致縷述置候間、熟と御聞取の上、至急何分の義御回示相成候様致度、此段及内申候也。
取りあえず朝鮮政府には元々の案を提出しているものの、このままでは各条約の成立は困難であるから、井上の駆け引き上譲歩できる余地が欲しいということで、各項に関して井上が意見具申しているわけですね。

で、具体的な内容はというと、鉄道条約については3月21日のエントリーで50年を30年にしても良いよという回答を貰ったけど、もっと年限を短くするか或いは期限を定めなくても、どうせ償還できねーから無問題じゃね?と。(笑)

電信に関しては、まずは京城・釜山線の旧線は、軍用電線とは線路が違い各市府を回って釜山に達するため存立の必要があり、買い取るのは止めて朝鮮政府に修繕・使用させ、電信料金を日本の電信と同額にしとけば良いんじゃね?
京城・元山線は、買い取りは止めて条件を定めて日本の管理にし、修繕等は日本で行う事を基本として、朝鮮できちんと管理できるようになり、且つ地方の騒擾の懸念が無くなれば、朝鮮政府に帰すってことでどうよ?
仁川・京城・義州線は、清国への負債は立て替え、後は京城・元山線と同様に条件を定めて日本の管理・修繕を行い、朝鮮側で管理できるようになり、地方の騒擾の懸念が無くなれば同様に返し、立て替えた分の還付を受ける事でどんなもんですか?と。

まとめると、軍用電線という別の手段がある京城・釜山間の旧電信線は、料金同額で朝鮮政府の好きにさせ、通じない状態になると困る他の電信線は、日本が管理・修繕できるような条件を定め、後々朝鮮にその能力が備わったときに返還するって事ですね。
で、朝鮮政府の電信技術者の育成方法も講ずる、と。

個人的には妥当な線だと思うわけですが、まぁこの辺の感想は人それぞれにある所でしょうね。


まだ本調子じゃないので、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)
電信守備兵(五)


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電信守備兵(五)


うー。
風邪ひいた~。
ってなわけで昨日はさぼってしまった・・・。

そんな若干鬱な中、当ブログにおいては珍しい低レベルなコメントがあり、爆笑。(爆)
コメントがついたのは、「金九は誰を殺したか(二)」。

■どうかしてるのはおまえらだ

日本人て本当にあほだらけ。
あ~かわいそう~(涙)
自分らの罪も知らないでふざけたことばっか・・・まぁあほって死なな治らんしどーしょーもないねっ!みんないっぺん死んでわびろ!

金 (2006-03-23 11:32:49)
ゲラゲラゲラゲラ

史料つかってる者にこういった罵倒、かなり無駄だよ、金さん。(笑)

頭が悪いのですね


さて、前回外務大臣陸奥宗光からイケイケの指示が来たわけですが、現地の井上馨は対応に苦慮してるのか、「思い遣り」を発揮しているのか、同日付で次のような電文を送ります。
1895年(明治28年)3月1日付『機密第16号』。

去月25日電稟及置候通り、本年機密貴信第4号を以て御送附相成りたる、鉄道建築電信線布設及び開港に関する條約案を、同24日杉村書記官を派し当外務大臣に提出したる処、同大臣には鉄道條約案に就ては格別異議無之様子に候得共、電信約案に就ては彼の意向は容易に同意を表せざる様に見受けられ、且つ同大臣より鉄道の敷設の如き、目下急に迫り居れども迚ても我国力の其負担に堪ゆ可きものにあらざれば、勢ひ貴国の力に依て之を建設せざるを得ず。
唯電信に至りては、不充分ながら従来我国に於ても生徒を養ひ取扱はしめ来れば、今後とても取扱の出来ぬ事有之間敷と存ぜられ、且つ従前我義州電線を清国に於て管理したる時の如き、貴国人を始め諸外国人等は、朝鮮の独立権を毀損せられたりとて之を非難したるにあらずや。
然るに、今日再び此の如く貴国と條約するに至りては、恰も支那を咎めて之に倣ふに致たる者にて、我内閣の同意を得る事当然と甚だ案ぜらるる旨申出たる由に有之候。
依て本官熟考するに、目今我国の朝鮮に於けるや、我は恰も監督者の立役者たる地位に立居れば、我勢威に依り如何なる要求をも朝鮮政府を承諾せしむる事難からんと雖も、鉄道を我手に取り、猶之に加へて電信迄も悉皆我手に取入れんとする事は、朝鮮人の感情を害するは外見上も甚だ宜しからずと被信候に付、我政府に於て此際熟と諸外国との関係をも勘考せられ、何分の御銓議相成り候様致度と存候。
鄙考では、我軍用電線は朝鮮政府にて財政の整理成り、維持の見込相立次第総て之を譲渡す事となし、譲渡後に於ても猶我電信技手若干名を雇入させ、通信取扱方につき不都合なき方法を立てしめ、而して別に秘密條約として将来戦争其他の事変等により、同電信の本邦に取りて必要なる場合に於ては、臨時我官員を派して之を管理するの約束をなさば充分なる可しと相信じ候。
就ては、右電信條約案及同秘密約案相添ひて申進候間、何分の御詮議相成様致度、此段及上申候也。
2月25日の電稟については、探し出すことが出来ていません。

で、鉄道建築電信線布設及び開港に関する條約案に関して、この時の朝鮮国外務大臣金允植に提出して協議。
鉄道条約案については、建設維持費等の負担に朝鮮国が耐えられないため異論無し。
しかし、電信約案に関しては、不充分ではあるが朝鮮国で技師等を育成し取り扱わせて来たのであり、今後全然取扱できないという事も無いだろう、と。

いや、電線直せっつう要求に全く応えないから、仕方なく日本で軍用電線引いた過去があるわけですが。(笑)
おまけに、1年平均80日も不通な状態があるわけで。
不充分と言うより、使えねー。(笑)

まぁ、上記のような理由から、電信の管理を日本で行うような3月20日のエントリーの電信条約案になったわけです。
しかし、朝鮮側の言い分である「従前我義州電線を清国に於て管理したる時の如き、貴国人を始め諸外国人等は、朝鮮の独立権を毀損せられたりとて之を非難したるにあらずや。」には、当然一理ある。
つうか、この辺、さすが宗主国様。(笑)
独立国に価しない国を独立国扱いしようとして、悉く失敗する日本とは、大きく違いますね。

というわけで井上は、軍用電線を将来的に朝鮮に売却する事を主眼とした条約案を作成するわけです。
では、井上の作成した「右電信條約案及同秘密約案」を見てみましょう。

電信條約案綱領
一.釜山より京城を経て義州に達し、并に仁川より京城に達する日本軍用電線は、朝鮮政府にて財政を整理し之を維特する見込相立たる時は、日本政府より相当の代価を以て之を譲渡すべし。

二.第一條の軍用電線譲渡以前に在ては、京城・元山間の朝鮮電線は之を日本政府に借受け、前條の軍用電線と連絡して之を取扱ふ可し。
本線借入中は、同線に於ける小修繕は日本政府にて之を負担し、大修繕は朝鮮政府の負担に帰すべし。

三.第一、第二條に記載したる各線を日本政府に於て取扱ふ間は、朝鮮政府の官報は無料にて取扱ふべし。

四.日本政府は、朝鮮技術者を養成する見込を以て各電信局に可成丈朝鮮技術者を使用すべし。

五.第一條の軍用電線を朝鮮政府へ譲渡したる後は、同政府に於て相当の電気技術者を養成し、電信建築通信の業務を適当に施行し得るに到る迄は、釜山より京城を経て義州に達し、及び仁川より京城へ、京城より元山に達する電線を適当に取扱ひ、若し破損あれば迅速之を修理せんが為め、日本電信技術者若干名を雇用す可し。

六.京城より公州及び全州を経て釜山に達する旧線は、之を修理し、均しく通信を取扱ふ可し。

七.仁川より京城を経て釜山へ達する電線を通過する日本政府の官報は、旧新両線とも明治18年12月21日訂結の海底電線設置條約続約第4條に従ひ、半価とす可し。


電信秘密條約案
釜山より京城を経て義州に達し、并に仁川より京城へ、京城より元山に達する電線は、将来朝鮮国に於て国内若くは外国との戦乱興り、日本国に関係したる時は何時にても日本政府より各電信局に官員を派し、軍用電信を取扱ふ事を朝鮮政府に於て予じめ許諾す。
まぁ極端な話、電信がきちんと運営されて、他国に売り渡されなければ良いわけで、それを踏まえた上での譲歩案という事になるかな?
というか、日清戦争前の電信関係って、相当酷かったんだろうねぇ。。。

で、2月25日の電稟に対して、陸奥も再び同じ日に電文を送ります。
1895年(明治28年)3月1日付『機密送第13号』より。

鉄道電信條約の件に関し、本月25日発電信を以て御申越の趣了承。
御来示の趣に依れば、朝鮮政府に於ては鉄道建設の義に付ては別に異存も無之候得共、電信譲渡の義に付ては同意せざる模様相見へ候由に候処、本大臣の見る所に依れば、将来の政略上電信丈けは、是非とも此際我手に取入置候事必要と信じ候。
御来電中、戦時の為めには秘密條約云々の義御申越には候得共、他日戦争の起るに当り、朝鮮国にして若し我同盟とならば別に條約を要せず。
若し又我敵となるに於ては、該條約は無効と相成り可申に付、何れにしても今日より秘密條約を締結し置くの必要は有之間敷と信じ候。
就ては、兎に角今日の好機会に乗じ、朝鮮の全電信線を我管理の下に置くことは、将来の為め極めて必要と存候に付、朝鮮政府に対しては可然御談判相成候様致度存候。
先般及御送附置候條約案にて御承知の通り、(電信條約案第9條) 将来朝鮮政府に於て相当の代価を支払ひ候上は、電信線は総て同政府に返付可致規定に相成居候に付、若し強て異議を申出候はば、右年限を短縮致候事は本大臣に於ても別に異存無之候に付、此段御含置有之度候。
且又、前任大鳥公使と金允植との間に締結相成たる暫定條約中にも、我軍用電信は将来保存し置候様規定相成居候事に有之候得ば、他の電信線をも我政府に於て管理致候とて、外見上に於ては差したる違も有之間敷候間、此際断然我手に入置度存候。
本件に付ては、総理大臣とも協議の上、末松法制局長官より閣下へ委細可申通筈に付、尚同官より御聞取相成度此段申進候也。
電信線買い戻し年限を短縮する程度なら兎も角、電信線の掌握にはこだわる陸奥。
まぁ、井上の言う「電信秘密條約案」に関しては、陸奥の言うとおりでしょう。
日本の同盟国となるなら秘密条約は不要であり、敵国となれば反故すから、と。

さて、このように強硬姿勢の陸奥と現地で悩む井上。
これからどうなるのでしょうか。


今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)
電信守備兵(四)


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電信守備兵(四)


一向に守備兵の話が出てこない、今回の連載。
今日は、特命全権公使井上馨から外務大臣陸奥宗光への、1895年(明治28年)2月8日発電から見てみましょう。

本年機密第4号を以て郵送附相成たる電信條約案第3條は、漢城より公州・全州を経て釜山に達する電線及び、漢城・元山間の電線のみを譲り受け、仁川より漢城を経て義州に達する電線(朝鮮所有の名義)をば譲り受けざる御趣意なるや。
将又漢城・釜山間の旧線は、建設粗造なる上昨年変乱の後大に破損し、幾んど用を為さず。
若し此等の電線を譲り受くるときは、何程の代価を払ふ可きや。
右両條に付、御意見承知致したし。
且又機密第5号を以て御送附相成たる、條約案第3條中50年とあるは、余り永きに過ぎ外見悪しければ、30年と改めては如何。
是亦御意見承知致したし。
『機密第4号』は、前回提示した史料。
それに基づく、譲渡範囲の確認と、ボロボロの京城釜山間の旧線の譲渡価格に関するお伺いですね。

ちなみに『機密第5号』は、鉄道と電信に関する日韓条約の草案なんですが、今回は具体的内容は省略。
参考までに、第3条は「右の鉄道の所有権は、大朝鮮国政府に属するものとす。但し、大朝鮮政府に於て建築諸費を悉皆大日本国政府に償還するに至るまでは、鉄道の運搬事業は総て大日本国政府に於て之を管理すべし。然れども、第一條に記する全線路開通の後、50個年を経るにあらざれば、大朝鮮国政府は建設諸費の償還を為さざるべし。」で、この50年を30年に改めてはどうかというお伺い付きということになります。

で、これに対する回答が、1895年(明治28年)2月23日発電。

鉄道電信條約に付き、本月8日電信を以て御申越の件に関しては、左の通り逓信大臣と協議調ひたり。

一.義州線を清国政府に代り、将来我政府にて之れを管理せんとす。
故に朝鮮政府に対しては、電信條約案第1條、第2條に包含するものとして談判ありたし。
尤も、此の点に付なき様御取計ひ相成度し。
二.京城釜山間の電線譲り受の代価は、追て調査の上可申出に付き、目下の処は條約案にある如く、其権利のみを譲り受け置き然るべし。
三.鉄道の年限は、30年にて異存なし。
委細は、書翰にて申進むべし。
まぁ、義州線も当然視野に入れて交渉し、旧線の代価に関しては、取りあえず権利だけ確保しとけ、と。
鉄道は30年で異存なし。
上記のように陸奥宗光と逓信大臣黒田清隆の間で協議が整った、と。



続いて、陸奥から井上への1895年(明治28年)3月1日付『機密送第12号』より。

朝鮮国に於ける鉄道電信條約の件に関し、本月8日附電信を以て御申越の義に付ては、逓信大臣と協議の上、本月23日附電信を以て一応及御回答候得共、尚為念左に開陳致候。

一.義州電信線譲受の義に関しては、曩に及御送付置候電信條約案中に特に明文を以て規定無之候へ共、右は固より将来帝国政府に於て管理すべき所存に有之候。
該電信線は、従来朝鮮政府と清国政府との條約に依り、清国政府に於て管理し来りたるものには候得共、其実全く清国政府所有の電信線なるを以て、電信線其ものは我政府に於て之を戦利品として没収し可然義と存候。
只、将来之を管理するの一点に付ては、朝鮮政府と協議を要し候義に有之候。
然れども、此点に付ては曩に及御送附置候條約案第1條に於て、朝鮮国内既設及未設の電信線は、総て我政府に於て之を管理すべき計画に相成居り。
其第2條に於て、義州線も他の電信同様に取扱ふべき旨規定致し有之候に付、右にて義州線も尚我政府に於て之を管理する意思は、充分明瞭の事と存候。
尤も、清国との関係に付ては、何れ平和條約締結の際相当の取極を設くべき義には候得共、朝鮮政府に対しては、前陳の趣旨に従ひ誤解無之様可然御談判相成度候。

二.釜山・京城間電信線の義は、御来示の如く旧来の建設方粗造なる上、昨年来の変乱に付大に破損致居候場所も不尠候に付ては、差し当り右買受の代価を定め候事甚だ困難に付、目下の所は単に該電信線を管理するの権利を譲り受け置き、而して同線の代価は、追て実地取調の上確定致度存候。

三.鉄道の義に関しては、本月8日附電信を以て、鉄道條約案第3條の年限を30年に減縮致し可然旨御申越し相成り、又同19日電信を以て同第4條に規定しある、朝鮮政府へ贈与すべき利益の割合に関し純益金より資本金に対し、年100分の5に当る利息を控除し、其残額を折半して其1を朝鮮政府へ贈与する方公平ならんとの御考案御申越に相成り、委細承知致候。
右に付ては、本大臣に於ても別に異存無之候に付、右の趣旨を以て朝鮮政府へ御開談相成候様致度候。

尚又、先般御地より帰朝したる仙石技師の起草に係る仁川鷺梁津間の鉄道條約案の規定を見るに、曩に及御送付置候鉄道條約案第3條の規定と稍々其趣を異にし、仙石案の方実際に適し候様被存候に付、右第3條は別紙修止案の通り御改めの上、御開設相成候様致度。
尤も、原案第3條の規定に依れば、朝鮮政府に於て建設諸費を悉皆支払候上は、帝国政府に於て本鉄道を朝鮮政府へ引渡候様相成居候得共、万一将来非常の利益有之候場合に於ては、右の通りにては我政府の為め甚だ不利益と存候に付、別紙修正案の通り純益金の幾倍を払込ましむる様規定致し候方可然と存候。
且又此規定は、申上候迄もなく、鉄道買戻の契約中には普通相見へ候條款に有之候間、敢て不当の事には有之間敷と存候。
将又、原案には鉄道の所有権に付云々の規定有之候へ共、鉄道線路諸般の建物器械車輌等の費用は、総て帝国政府の資金を以て支辨致候義に候へば、鉄道の所有権は朝鮮政府に属すると云ふも、到底有名無実の事に候間、寧ろ此点に付ては明白の規定無之方可然と存候間、別紙修正案の通り改め候次第に有之候。
右申進候也。

追て、仁川・鷺梁津間鉄道布設の件に付ては、篤と閣僚とも協議の上、右に関する條約案不日可及御送付候也。


日韓鉄道條約第三條修正案
本鉄道全線路開通の日より、少くとも30年間は、大日本国政府に於て本鉄道の運搬事業を管理するの権利を保有す。
前項の期日後に至り、大朝鮮政府に於て最後5ケ年間本鉄道平均純益金の20倍に当る金額を大日本国政府に支払ふときは、大日本政府は何時たりとも、本鉄道及之に附属する一切の建物器械車輌等を大朝鮮国政府に引渡すべし。
但し、右純益金資本金に対し100分の5に達せざるときは、大朝鮮国政府は本鉄道建設に関する一切の費用を支払ふべし。
三以下は鉄道に関する事なので、今回の連載からすれば余談。

まず、義州電信線に関しては、従来は朝鮮国と清国の条約に基づいて清国が管理していたとは言うが、実際は清国の所有物であるため、之を戦利品として没収。
まぁ、条約上は第1条で既設及未設の電信線を日本で管理する事になっており、第2条で義州線も他の電信同様に取り扱う事にしているので、問題ないだろ、と。

次に京城・釜山間の旧電信線は、1895年(明治28年)2月23日発電の通り、権利を先に獲得して、代価は実地調査の上で決めたい、と。

1895年(明治28年)2月23日発電の詳細の通知ということになります。
つうか、陸奥も日清戦争の勝利が見えてるためか、かなりイケイケ状態ですね・・・。


というところで、今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)
電信守備兵(三)


電信守備兵(三)


タイトルを日韓電線條約にした方が良かったかも、と思っている昨今・・・。(笑)
取りあえず今日は、外務大臣陸奥宗光から特命全権公使井上馨への、1895年(明治28年)1月17日付『機密送第4号』から。

鉄道建築電信線布設及開港に関する條約締結の件

対韓政略に関し、客年12月4日附貴翰を以て御来示の次第有之候処、朝鮮国内に鉄道建築電信線布設及新開市場設置の件に付ては、明治27年8月20日大鳥公使と朝鮮政府との間に締結せる暫定條約に基き、更に完全なる條約を締結すべき為め、別紙條約案の通り閣議決定既に上奏を経候に付、閣下は時機御見計可成速に談判御開き、右條約締結の運に相成候様希望致候。
尤も、本案中単に字句の修正の如きは、談判の御都合により閣下の御意見を以て隨意取捨相成可然候得共、本案は既に閣議一定の上上奏をも経候者に有之候間、重要なる條款に付て修正を被要候節は、御取極の前予め本大臣へ御打合相成度存候。
猶、右條約談判并に調印全権御委任状は、不日御送附可申候。
右及訓令候也。

追て軍艦碇泊所の件に関しては、諸強国の猜忌と論争の為め徒らに事端を滋くするの緖を開くの懸念も有之候に付、之を後日に譲り候事に閣議決定相成候間、右様御了承相成度候。
「客年12月4日附貴翰」ってのは、主に朝鮮国に対する借款に関する書翰で、その中で対韓政略にも触れているんですけど、今回は省略。
これまで、微妙に触れた事のある、300万借款の話を改めてやるときに取り上げる事にしたいと思います。

で、「明治27年8月20日大鳥公使と朝鮮政府との間に締結せる暫定條約」は、前回取り上げた暫定合同条款の事。
勿論、前回わざわざ取り上げたのは、これだけのためだったりするんですけどね。(笑)

その暫定合同条款中、第2、3、4条にあたる鉄道建築・電信線布設・新開市場設置について、完全な条約を締結する事に関しての文書ということになります。
では、閣議決定及び上奏を経た別紙条約案を見てみましょう。

日本朝鮮両国政府は、益隣交を親密ならしめ、相互間の通信をして一層利便安全ならしむる為め、朝鮮国内に於ける電信線建設管理の事を約定する事左の如し。

第一條
日本政府は、従来朝鮮国に於て相当の電気技術者を養成し、電線建築電気通信の業務を適当に施行し得るに到るまでの間、隣邦の友誼に由り、朝鮮政府に代り朝鮮国内既設の電線及び将来建設すべき一切の電線を修築管理し、及通信の業務を施行すべし。

第二條
日本政府は第一條の旨趣に依り、釜山・漢城間、漢城・仁川間、及漢城・平壌・義州間の電線を以て、公衆通信の取扱を開始すべし。

第三條
在来朝鮮政府の建設に係る、漢城より公州・全州を経て釜山に達する電線、及漢城・元山間の電線は、朝鮮政府に於て相当の代価を以て此際之を日本政府へ譲渡すべし。
日本政府は適当の修理を加へ、公衆通信の取扱を開始すべし。

第四條
朝鮮政府の官報は、朝鮮国内の電線に限り無料を以て其発着を取扱ふべし。
但、郵送料又は別使配達料其他の手数料に属するものは此限に在らず。
朝鮮政府官報の種類及制限は、別に協定すべし。

第五條
電報及諸手数料の額は、日本政府の定むる所に依る。

第六條
電信建築修理及其局舎に要する材料機器等、日本より輸入すべきものは総て、朝鮮の海関税を免除すべし。
其朝鮮に在て、賃借又は買辨すべき物件及傭使すべき雑役人夫等は、朝鮮政府地方官に戒諭し、充分の利便を日本官吏に与ふべし。
其局舎及び用地は、一切の租税を免除すべし。

第七條
各電信局在勤の日本官吏工夫傭役人等は、朝鮮政府充分之を保護すべし。
若し、朝鮮政府朝鮮人を撰抜し、日本電信局に在て建築通信の技術を伝習せしむることを冀はば、相当の人員を限り之に従事せしむべし。

第八條
朝鮮政府は、本條約に掲ぐる電線を保護し損壊の虞なからしむる為め、刑律を議定し、沿道地方官に戒諭して之を励行せしむべし。
若し違犯の事あるときは、速かに犯人を懲責し、其損害を賠償せしむべし。

第九條
本條約施行後25個年を経、朝鮮人電線建築電気通信等の業務に熟練し、朝鮮政府自ら此事業を経営せんことを冀はば、日本政府は該線の相当代価を朝鮮政府より受取り、同時に該線路に属する一切の物件を朝鮮政府へ譲渡すべし。

第十條
明治16年3月3日締結日韓海底電信線設置條款中、第一條左の如く改正す。

第一條朝鮮政府は日本政府又は日本政府が指定したる会社に於て、日本領土より朝鮮釜山及仁川の海岸に到る迄、海底線一條若くは数條を設置することを承諾し、其陸揚場より日本人居留地までは日本政府より陸線を架設し、電信局を建て、通信の事を取扱ひ、該地線用の器物は総て朝鮮政府より輸入税及其置場の地税を免除し、他項は此例を引くことを得ず。
電線室の地税は、竣工後25年間は之を免除し、其以後に至り若し該電線利潤なき時は、更に免税を議定すべきを約定す。

第十一條
明治16年3月3日朝鮮開国492年正月24日締結日韓海底電線設置條款第一條及第二條に記載したる、満25年の特許期限は、更に本條約締結の日より新たに起算すべきことを特に約定す。

第十二條
明治18年12月21日朝鮮国乙酉11月16日締結海底電線設置條款続約は、本條約施行の日より廃止す。

第十三條
本條約は、両締盟国に於て之を批准す。
其批准は、本條約調印日より○ケ月以内に可成速に○○○於て交換すべし。


日韓電線條約秘密副約案
朝鮮政府は、日韓海底電線設置條款第二條の旨趣を拡充し、自今満25年間は日韓間に於ける海底電線の外、其海底線たると陸上線たるとを論ぜず、日本政府の同意を得たる後に非ざれば、朝鮮国と他国とを聯接すべき電線を設置することなく、又他国政府又は会社へ、之を設置すべき免許を与ふることなきことを特に約定す。
この条約案、実は3月18日のエントリーで取り上げた、『公文別録・逓信省・明治二十六年~明治三十九年・第一巻・明治二十六年~明治三十九年/日韓海底電線設置条款続約改正案(レファレンスコード:A03023090300)』の最終案と同じ。
この改正案が上奏されたのは、1画像目にあるとおり1895年(明治28年)1月2日ということになります。
ちなみに、この条約案の画像は、21画像目から25画像目まで。

勿論この条約、先にも言ったとおり締結されないわけですが、何でしつこく取り上げるかというと、電信線に関する対応の変化を説明すると、その守備兵の対応の変化も説明しやすいかなと思っただけ。
もしかしたら、全然関係ないまま終わるかもしれないけど、まぁ、その時は遡ってタイトルを変えるので。(笑)


今日はこれまで。



電信守備兵(一)
電信守備兵(二)


暫定合同条款


んー、まずい。
前回まで書いてた朝鮮の電信の話って、思った以上に奥が深い。
やばいとこに手を付けちゃったかな?(笑)

で、どう話をすすめようかかなり悩んだのだが、腰を据えてやることに。
そいういうわけで、去年の3月11日のエントリーでも若干触れている、『暫定合同条款』から見てみようと思います。
残念ながら、アジ歴からは当該文書を見つけることができなかったので、韓国統監府が1906年(明治39年)11月29日に発行した、『韓国ニ関スル条約及法令』から内容を見ていきましょう。

【画像1】 【画像2】

暫定合同條款

明治27年8月20日京城に於て調印

大日本・大朝鮮両国政府は、日本暦明治27年7月23日・朝鮮暦開国503年6月21日、漢城に於て両国兵の偶爾衝突を興したる事件を治め、竝に将来朝鮮国の自由独立を鞏固にし、且彼此の貿易を奨励し、以て益両国の親密を図らむが為め、茲に合同條款を暫定すること如左

一.此度日本国政府は、朝鮮国政府に於て内政を改革せむことを希望し、朝鮮政府も亦其の急務たるを知覚し、其の勧告に従ひ励行すべき各節は、順序を追て施行すべきことを保証す。

一.内政改革の節目中、京釜両地及京仁両地間に建設すべき鉄道一事は、朝鮮政府に於て其の財政未だ裕ならざるを慮り、日本政府若は日本の或会社に訂約し、時機を見計ひ起工せむことを願ふと雖も、目下委曲情節ありて其の運に及び難し。
依て良法を案出し、可成丈速に訂約起工の運に至るを要す。

一.京釜両地及京仁両地間に於て日本政府より既に架設したる軍用電信は、時宜を酌量して條款を訂立し、以て其の存留を図るべし。

一.将来両国の交際を親密にし、且貿易を奨励せむが為め、朝鮮政府は全羅道の沿岸に於て一通商港を開くべし。

一.本年7月23日王宮近傍に於て起りたる両国兵員偶爾衝突事件は、彼此共に之を追究せざるべし。

一.日本政府は、素と朝鮮を助て其の独立自主の業を成就せしめむことを希望するに因り、将来朝鮮国の独立自主を鞏固にする事宜に関しては、両国政府より委員を派し会同議定すべし。

一.以上開く所の暫定條款は、畫押盖印を経たる後、時宜を酌量し大闕護衛の日本兵員を以て一律撤退せしむべし。

右暫定合同條款内永遠に循守す可き者は、後日更に條約として遵行すべし。
此が為め、両国大臣記名盖印以て憑信を昭にす。

大日本国明治27年8月20日
特命全権公使 大鳥 圭介

大朝鮮国開国503年7月20日
外務大臣 金 允植
第2条の「京釜両地及京仁両地間に建設すべき鉄道一事」の関係が、京仁鉄道の連載の際に触れた部分。

で、第3条の「京釜両地及京仁両地間に於て日本政府より既に架設したる軍用電信」の件が、前回及び今後取り上げる事になる、電信関係の話という事になります。


ということで、今日はWEBでもあまり見ない、暫定合同条款の条文のテキスト起こしだけでお終い。
いや、眠くって。(笑)



電信守備兵(二)


女王の教室みてたら、更新忘れてた・・・。_| ̄|○

前回は、全くの自分の趣味に終わった今回の連載。(笑)
実は、今日も趣味・・・。
まぁ、徐々に関連していくので、何とか一つ。

今日はまず、前回も見たアジア歴史資料センターの『公文別録・逓信省・明治二十六年~明治三十九年・第一巻・明治二十六年~明治三十九年/日韓海底電線設置条款続約改正案(レファレンスコード:A03023090300)』から、改正案の方の話を、1894年(明治27年)10月31日『秘発第54号』から見ていきます。

朝鮮国電信線の件

朝鮮国釜山漢城仁川間電信線架設の儀は、明治18年12月22日高平代理公使我政府の命を受け締結したる、海底電線設置條款続約の旨趣に依り、朝鮮政府に於て建設し維持し来りたるものに候処、該国開明学術の未だ発達せざる建築工事に於けるも通信技術に於けるも共に鹵莽粗濫を極め、其不通断線等故障の多き実に意想の外に出でたり。
今、誠に漢城釜山間の一線路に就き、既往3年間不通度数及其時間の平均を掲ぐれば、1ヶ年の不通度数は21回余にして、其不通時間は1ヶ年81日余なりとす。
是に由て之を観れば、今年の4分1弱は通信断絶の不便を蒙ることを免れず、殊に近年両国の交通は日に頻繁を加へ、 国際上重大なる事件陸続発生するの時に当り、該国電線の故障は年を逐ふて増加するの傾向あり。
現に、昨年に於ける防穀事件と云ひ本年に於ける東学党事件と云ひ、我官民が電報送受の関係に於て至大最要の必需あるの時に在て、線路は概子不通に属し、我官民の不便不利素より勝て算すべからざるものあり。
殊に、清国征討の端既に開けて、而して電線は尚ほ通ぜず、我政府は非常の労費を惜まず臨機軍用電線を該国内に急設して、以て焦眉の急に応ぜり。
是れ、素より一時不得止の処置に出でしと雖も、亦以て朝鮮在来線の恃で以て国家急要の用に供するに足らざるを証するに余あり。
今や、我兵連戦連勝、朝鮮国内一清兵を留めず、該国内電政の善後策を講ずる洵に適当の時機なりと確信せり。
窃かに惟ふに、朝鮮国の現況たる、如何に勧誘幇助を加ふと雖も、実際此等の業務に無能なる朝鮮政府に在ては、断じて其完全の経営を望むべからず。
就ては、我軍用線を以て、釜山漢城仁川間の公衆通信の用に供ずるは勿論、一国内電信の業務は之を一管理の下に措かざれば、動もすれば敏捷円滑を欠くの虞あるを以て、更に一歩を進め、従来の朝鮮線及び支那線をも此際併せて之を我政府の管理に帰せしめ、追て朝鮮政府自ら完全の経営を行ひ得るに到る迄の間、朝鮮国電政を我政府の掌中に存在せしむること、両国間に於ける政治上及商業上、特に清国が従来朝鮮に及ぼしたる電信事業の関係上に於て、最も必要なりと確信するに依り、別紙条約案3通を具し、爰に之を提出す。
前回締結された日韓海底電線設置条款続約に従って、釜山・京城・仁川の電線は朝鮮国が建設・維持してきたけど、建築技術も通信技術も駄目駄目なため、不通や断線が想定外に多い、と。
つか、1年間で21回、81日間の不通・断線って・・・。(笑)

「昨年に於ける防穀事件」とは、1889年(明治22年)に朝鮮が凶作を名目に防穀令を出し、日本への穀物輸出を制限した所謂防穀令事件の賠償問題解決に関する話でしょうね。

勿論、朝鮮国内の食糧不足時に防穀令を出すこと自体は、『朝鮮国ニ於テ日本人民貿易ノ規則(日朝通商章程)』37款において、「若し朝鮮国水旱或は兵擾等の事故あり、境内欠食を致すを恐れ、朝鮮政府暫く米糧の輸出を禁ぜんと欲せば、須く其期に先たづ1ヶ月前に於て地方官より日本領事官に照知すべし云々」と認めてるわけですが、1ヶ月前までに通知する義務が遵守されなかったため、前貸しで農作物を購入していた日本商人が多大な損失を被るという結果を招き、日朝間の国際問題にまで発展したっていう、例のアレ。

1ヶ月前の通知さえ行っていれば問題にすらならなかった話なのに、未だに条約違反の事実にも触れずに、「口実として」等という阿呆がWEB上に居るのには、辟易。

「東学党事件」は、当然東学党の乱で、「清国征討」は日清戦争。
しかし、電線はまだ通じない、と。
そこで、役に立たないのでしょうがなく一時の処置として軍用電線を架設。

この軍用電線の架設経緯については、清との関係もあって結構複雑。
今後、日清戦争や東学党の乱を取り上げる時にでも、別途取り上げようと思います。

で、いくら勧誘幇助しても、この業務に無能な朝鮮国では完全な経営は無理だから、この架設した軍用電線を釜山・京城・仁川間の公衆通信にも用い、従来の朝鮮線・支那線についてもこの際日本で管理。
「清国が従来朝鮮に及ぼしたる電信事業の関係上」とあるとおり、清国も朝鮮の電信事業に色々と噛んでるわけで、朝鮮政府が自分で完全な経営が出来るまでは、朝鮮の電政を日本で行うってのが改正の理由ってことになるんでしょう。

さて、この改正案。
なんだかんだ言いながら、実際には締結されていません。(笑)
取りあえず軍用電線の作られた経緯の説明に、丁度良いものを提示しただけということで。


つうことで、今日は実生活で時間も無かったのでここまで。



電信守備兵(一)


電信守備兵(一)


ブログ書くより、卒業にあたっての挨拶書く方が難しかったり・・・。

ってことで、日韓歴史共同研究事業での姜昌一の論文、『朝鮮侵略と支配の物理的基盤としての朝鮮軍』において、「すなわち、ロシア軍との同数原則によって、 日本軍は以前に比べて半数に減らされ、4個中隊に200人余りの憲兵が駐屯することとなった」と言われている電信守備兵。

3月9日のエントリーの小村=ウェーバー協定の実施についての、「今回協議の結果に依り、我方に於ては実行すべきことは不取敢着手致し、兵営の移転と云ひ守備兵の減員と云ひ既に結了を告げ、電線守備隊の引揚に至っても目下実行中に有之。又、壮士の取締に関しては、事変後京城内に於て凶状の挙動を為したる日本人1人もなきを見ても、其厳重なるを知られ得べく、殊に今回帝国政府が再び渡韓禁止令を施行したるを見て、更に用意の周到なること明白なりと信ず。」という記述のうち、最後のお話になります。
まぁ、興味のある人も少ないでしょうから、今回はのんびりいきたいと思います。(笑)

そもそも、半島における電信線の設置についての大元は、1883年(明治16年)3月3日に締結された海底電線設置の議定書になります。
その経緯については、「きままに歴史資料集」さんのとこの日清戦争前夜の日本と朝鮮(2)に記載されているので、一読していただければ良いかと。

で、とりあえずここでは私の趣味により、該議定書の内容を。(笑)
アジア歴史資料センターから、『公文録・明治十六年・第十六巻・明治十六年十月~十二月・外務省/同国釜山港ヘ海底電信線架設ノ件(レファレンスコード:A01100247700)』。

日本朝鮮両国の政府隣交を聨絡し、商務を便通するが為めに、海底電線を設置することを議定。
其條款左の如し。

第一條
両国政府は、丁抹国大北部電信会社に、日本九州の西海岸より対州を経て朝鮮釜山の海岸に至る迄海底線を設置するを准許し、其陸揚より日本人居留地迄は日本政府より陸線を架設し、電信局を建て通信の事を取扱ひ、該地電線用の器物は総て朝鮮政府より輸入税及び其置場の地税を免除し、他項は此例を引くことを得ず。
電線室の地税は、竣工後25年の間は之を免除し、其以後に至り若し該電線利潤なき時は、更に免税を議定すべきを約す。

第二條
朝鮮政府は該海陸電線竣工後、通信の日より起算し満25年の間は、朝鮮政府にて該海陸線路と対抗して利を争ふの電線を架設せず、並に他国政府及び会社に海底線布設を許さざるを約す。
其対抗利を争ふにあらざる処は、朝鮮政府便に随ひ線路を開くべし。

第三條
朝鮮郵程司官線を架設するの時、海外の電報は釜山の日本電信局と通聨して辨理すべし。
其の細節は、郵程司より其時に至り電信局と議定すべし。

第四條
朝鮮政府は、該電線を保護し損壊なからしむる為、通行刑律を議定し、犯罪を懲辨すべし。
又、一たび日本政府の照会を経ば、該犯罪を責めて律により賠償せしむべし。

第五條
該電信局にて発着する各報は、直ちに人民より受取り及び分送すべし。
其発着する通信の原紙は、若し訟へに渉りて朝鮮官吏より作証の為検閲を要する時は、之を差出すべし。
朝鮮の官報は他の私信に先だち行発及び分送し、其電信料は、釜山地方に在て日本より設置する分は、線路の長短を論ぜず十分の五を取るべし。

右両国の全権大臣各諭旨を奉じ、條款を議定し、名を署し、印を押し、以て憑信を昭にす。

大日本国紀元2543年 明治16年3月3日
辨理公使正五位勳四等 竹添 進一郎

大朝鮮国開国492年正月24日
督辨交渉通商事務 閔 泳穆
督辨交渉通商事務 洪 英植
丁抹国はデンマーク。
デンマークの大北電信会社は、日本における電信において良きにつけ悪しきにつけ非常に重要な存在です。
1870年(明治3年)の海底電信線敷設許可の前後の経緯は、それはそれでかなり面白いようなんですが、ここでは割愛。
また、今回の議定に関しても、恐らくは大北電信会社との契約による縛りがあるんでしょうけど、その辺についても今回は深く突っ込まないでおきます。
最初に言ったとおり、私の趣味のメモ書きみたいなもん。(笑)

さて、この後の朝鮮における電信線に関しては、1885年(明治18年)12月21日の「海底電線設置条約続約」が締結されます。
前述の議定の続約という形になるんだろうなぁ。
で、そっちも私の趣味でテキスト起こし。(笑)
交渉経緯や、当時の条約締結に関する史料は、アジア歴史資料センターではまだ公開されていないようなので、『公文別録・逓信省・明治二十六年~明治三十九年・第一巻・明治二十六年~明治三十九年/日韓海底電線設置条款続約改正案(レファレンスコード:A03023090300)』より引いてみます。

海底電線設置條約続約

今般朝鮮政府電線を架設し、仁川より漢城を歴て義州に至り海外電信を通聨辨理するの事は、日本政府海底電線條約を妨碍する者と視為し、朝鮮政府も亦た其れを以て理無しと為さず。
而して、両国政府均しく交誼の為めに起見し、日本は臨時代理公使高平小五郎を派し、当選は督辨交渉通商事務金允植を派し、会議安辨せしむ。
此れに因て下文の各條を議定す。

第一條
朝鮮政府は、仁川義州間の電線を以て、釜山口の日本電信局を通聨すべし。
但し、朝鮮政府該局附近の地に於て、別に一局を設け該局を経由して海外電信を発収するも亦其便に任ず。

第二條
該電線通聨の工事は、今より6箇月内に於て着手し、其後6箇月内に於て竣成すべし。

第三條
仁川釜山間の電線竣工の後、釜山線路を経由する海外電信の報費は、義州線路を経由する海外電信の報費に比準し価額を同一にすべし。
而して、基額外の費用を徴収す可らず。

第四條
釜山より九州西北岸までの海底線には、既に朝鮮政府の官報を満25年間半価と為すの約あり。
故に、仁川釜山間の電線竣工の後、此線を経過する日本政府の官報も亦、25年間半価と為すべし。

以上、各條の確実なるを証する為め、相互に証名調印する者也。

大日本国明治18年12月21日
臨時代理公使 高平 小五郎

大朝鮮国乙酉11月16日
督辨交渉通商事務 金 允植
釜山の電信局の海外電信独占権が放棄された事と、義州仁川間の電信架設についてが大きな目的かな。

ということで、守備隊の”しゅ”の字も出てこないまま、今日は私の趣味のテキスト起こしだけでお終い。(笑)


今日はこれまで。




えと、タイトルへのツッコミは不要です。(笑)

さて、3月9日のエントリーの小村=ウェーバー協定の実施についての、「今回協議の結果に依り、我方に於ては実行すべきことは不取敢着手致し、兵営の移転と云ひ守備兵の減員と云ひ既に結了を告げ、電線守備隊の引揚に至っても目下実行中に有之。又、壮士の取締に関しては、事変後京城内に於て凶状の挙動を為したる日本人1人もなきを見ても、其厳重なるを知られ得べく、殊に今回帝国政府が再び渡韓禁止令を施行したるを見て、更に用意の周到なること明白なりと信ず。」という記述のうち、渡航禁止令についてを3月12日のエントリーまでで述べました。
今回は、兵営の移転について。

そもそも、この王宮前の守備兵営。
1894年(明治27年)7月23日の大院君入闕後らしいんですが、ちょっと確定的な史料をまだ見つけられていない。
ということで、今日は移転に絞った話をしてみようかと。

王宮前の守備隊営所の移転については、実は1月23日のエントリーで取り上げた1896年(明治29年)2月14日付『電受第78号』において、「尤、王城前なる現今の兵衛は、此際之を居留地近傍に引揚の計画中なり。」と既に言及されているんですね。

勿論これは、小村=ウェーバー協定の交渉の前。
ま、国王が王宮から逃げ出しロシア公使館に居るのだから、王宮を守る必然性も皆無なわけで。
経費と人手の事を考えれば、妥当な判断でしょう。

では今日最初の史料へ。
小村から西園寺への1896年(明治29年)3月1日発電から見てみましょう。

宮城前なる我守備隊兵営は、此際之を他に移すの便宜を認め其計画中なる事は、兼て電報致し置きたる通りなるが、其後朝鮮政府は該兵営入用の趣を以て、他へ移転の義、公然照会し来りたるに付、守備隊長と協議の上、適当の場所見当り次第移転すべき旨を回答し、同時に両国官吏立会の上、兵舍の探索に着手せしめたる処、何分適当の場所なし。
然るに南別宮は、充分の修築を加ふれば■■適當当の場所となるべき見込あるを以て其旨申込みたるに、先方に於て彼是不同意を唱へて、未だ決定せず。
昨日「スペイヤ」氏暇乞の為め、本官来訪の節談本件に及びたり。
其談話に依り察するときは、露国は朝鮮問題に付、我れと協議するに当り必ず撤兵問題を提出すべし。
然るに、本件に関しては兼て上申に及びし通り、我人民の生命財産と公館の保護を全ふするの方法確立する迄は、決して撤兵すること能はざる事情あり。
現に今回の事変以来、各地方に於て我人民の殺害に遇ふたるもの30人余りに及びたり。
当地に於ては幸に我守備隊の現在したるを以て、被害者は僅かに1人にて済みたれども、其後の形勢に依り察すれば、若し守備隊なかりせば我官民は如何なる恥辱と損害を受けたるや計られず、本件の如きは変乱の為め寸毫の損害をも被らざる露国とは、決して同日を以て論ずる能はざることと信ず。
計画中の守備隊兵営移転に関して、朝鮮政府からも申し入れがあった、と。
で、良い場所が見つかり次第移転するということで、日朝両国の官吏立ち会いの上良い場所を探したが、中々見つからない。
南別宮という処が適当だと思って申し込んだら、朝鮮側で不同意により移転できず。
ということで、もう具体的に移転の話が進んでるわけです。

一方で、スペールが暇乞いのために小村を訪れ、ロシアは小村と協議するにあたって必ず撤兵問題を提出するだろう、と。
しかし、日本側としては現在のような状態では、到底撤兵できないわけで。

この時点での日本人被害者は30人余。
しかし、守備隊の居る京城では1名で済んでいる、と。

んー、これってもしかして、1月23日のエントリーで野次馬根性出して殺された、田中秀一だろうなぁ・・・。

続いて、これより多少詳しい内容の、1896年(明治29年)3月2日付『機密第17号』を見てみよう。

去月11日事変後、王城前なる我守備隊兵営は之を他に移転せしむること必要と被考候義に付ては、同14日を以て大略及電稟置候処、其後朝鮮政府に於て該営舎必要に付、他に移転すべき様別紙寫の通り公然照会致来り候。
依て本官は、宇佐川中佐・猪狩守備隊長とも協議の上、適当の場所見当次第移転すべき旨を回答し、同時に両国官吏立会之上移転所の捜索に着手せしめ候。
然るに現今の営所は、城内第1等の場所たるのみならず、若し之を明渡する時は、露兵必ず代て之に入るならんとの感情もありて、武官の注文も中々六ケ敷旁以て適当の兵営を見出すこと頗る困難に有之候処、朝鮮政府よりは右移転之義に付頻りに催促致し候に付、不得已南別宮に改修工事を加へて移転すべしと快答及置きたるに、同政府の此回答に対し異議を挟み未だ落着に至らず候得共、兎に角此際守備隊の営所を他に移すことは必要と認め候に付、右南別宮を修繕せしめて之に移転する様取計可申存念の有之候。
一昨29日露公使スペーエル氏本官を来訪候節、談此事に及び、同氏は本官が朝鮮政府の請求ありしにも拘はらず、移転の事を承諾せざるやに聞及たる旨申述候に付、本官は実際前陳の事情なる旨を述べたる処、同氏は一時移転の事は出来ずやと相尋候に付、孰れにしても適当の場所なしと答へたるに、同氏は更に貴国と我国との協議整ひたる上は、貴国兵も必ず撤回することと可相成に付、今強て大修繕を要すべき南別宮に移転するを要せざるべしと申述候。
依て本官は、貴国と協議の結果如何は予測し兼ぬる処なれども、兎に角我公使館と居留民の保護を全ふするの必要上、到底急に撤兵すること能はざるものと確信するを以て、目下のところ本官は、此確信に従て措置するの外なしと相答たるに、同氏は貴国は最早守備隊を置くの必要なきものの如し。
現に今回の事変に際して、城内に在ては僅かに1名の日本人害に遇ひたるまでなるにあらずやと申候に付、本官は去る11日以来当国各地に於て害を被りたる本邦人は、殆んど20余名に達し、間接に我商民の被りたる損害も決して尠少にあらず。
而して京城は、幸に我守備隊の駐屯し居りたるを以て僅かに1名の被害に止りたるも、前年の事歴に照し、事変後の暴状に依て察するときは、若し我守備隊の駐屯あるものなかりせば、前年に比して遙かに重大なる損害と恥辱を被りたるは、又疑を容れざる処なりと答へ、尚続て彼朝鮮政府は、何故に我兵営移転のことを頓に急促するやを尋ねたるに、同氏曰く、国王は可成速に還宮せんことを希望せらるるも、日本兵に対し頗る恐怖を抱き居たるに因り、余は三浦公使の所為は例外の出来事にして、現在の日本公使は、本国政府の訓令を受けずして兵を動かす如きことは決して無かるべき旨を説き、国王の安心を促せども、尚其疑心を除くこと能はず。
故に本官は、決して国王に於て恐怖せらるるに及ばざる義に付ては、充分の保証を与ふる旨を其筋へ御伝へありたしと述べたり。
而して同氏は、本件に関しては素より余が当然談ずべき筋の事に無之旨、特に言明したる上辞し去り候。

右対談に依て勘考するに、露国が我国に向て撤兵すべき申込を為すべきことは分明なることと存候。
就ては、撤兵の義に付ては兼て具稟及び候通り、今日の如き不穏の場合に当り直に断行すべき事にも有之間敷、亦今後とても我数千の人民と財産とを安全に保護するの方法確定する迄、決して行ふべからざるは言を俟たず。
又、露国の如き1人の居留民なき国と、我国の如く数多の居留民を有する国とは、同等の地位を以て諭すべからざる義と相信候。
将又、国王還宮の事は、露兵の護衛あるに非ざれば到底実行の見込なし。
然るに目下の形勢に於ては、露公使は其兵を以て王宮護衛に充つることを承諾するが如きことなかるべしと察せらるるに付、或る朝鮮人の説の如く、已むなくんば国王は慶雲宮とて露公使館近榜なる離宮に還御せらるるも難計、此れ蓋し該離宮は、露館を距ること遠からず、自然不測の変を予防し得るの利益あるに因るものと被存候。

而して、目下の実況右の如くなるにも拘らず、朝鮮政府は頻りに我兵営移転の事を急促するは、恐らく口実を之に仮りて、其実今より我撤兵申込の基礎の経営するものに可有之と察せられ候。

右及具申候也。

敬具
む。
さっき大略の方で突っ込んだら、あまり突っ込み処が無い・・・。(笑)
まぁ、壬午軍乱・甲申事変・東学党の乱を初めとした被害を受けてきた日本に対して、なんで居留民の居ないロシアが、公使館護衛には過剰な軍隊を駐留させているのかという根本的な疑問には、恐らく韓国人は答えたがらないでしょうね。

で、守備隊兵営移転を切っ掛けとして、日本軍の撤兵を申し入れるつもりのようだ、と。
しかし、この後も土田譲亮のように、日本人の被害は相次ぐわけですがね。

別紙については、探し出せていないため、今回は省略。

次に、小村から西園寺への1896年(明治29年)3月17日発電を見てみましょう。

撤兵の照会に対しては去6日付の御指令に従ひ回答致置きたる処、朝鮮政府は去16日付を以て、目下強て急速の撤回を要求し難き事情あるを以て、暫く王城前の兵営を糧糒庁(日本人雑居地近傍)に転ぜられ度と申越せり。
依て、直に兵舎移転の準備に取掛ることに取計ひたり。
ここで言う「去6日付の御指令」ってのは、3月3日のエントリーでの西園寺から小村への1896年(明治29年)3月6日発電と思われます。
それに従って回答した、と。
という事で、朝鮮政府も日本の言い分を認め、とりあえず王宮前の兵営移転について申し入れを行ってきたため、直ちに移転の準備に取りかかるよう、取りはからっています。

最後に、アジア歴史資料センター『密大日記 明治29年/外務省より 警備隊撤回並に営所移転の件(レファレンスコード:C03023061700)』から、1896年(明治29年)3月23日付『機密第22号』から見てみましょう。

守備隊撤回并に営所移転の件

本月2日附機密第17号信を以て、我守備隊移転の義に関し、当国政府と交渉の顛末申進置候処、其後当国各所に駐在する我守備兵を速に撤回せしめられ度旨、別紙甲号寫の通り照会致来り候。
依て、直に電訓を仰ぎたる末、別紙乙号寫の通り、目下の形勢は撤兵すること能はざる旨断然拒絶の回答を与へ置き候処、此際速に撤兵を強請する能はざる事情あるを以て、糧餉庁(我居留地附近に在り)并に峰尾所有家屋(朝鮮政府にて借受け)、2ヶ処を以て移転の営所に充つべきに付、大闕前なる三軍府引払れ度旨別紙丙号の通り申越候に付、即ち別紙丁号の通り同意の旨回答及び置て、本日を以て全く三軍府返附の手続を結了致候。
右は、既に大畧電稟及置候得共、尚為念別紙相添此段申進候。

敬具
別紙については、テキストには起こしませんので、各自確認してもらいたいと思います。
朝鮮政府からの守備兵撤兵の照会である別紙甲号が、3~4画像目。
撤兵は無理とする小村の回答である別紙乙号が、5~6画像目。
守備兵営移転の申し込みである別紙丙号が7画像目。
守備兵営移転に同意する別紙丁号が8画像目になります。

ってことで、恐らく王宮前の兵営の事と思われる「三軍府」の返還の手続きは速やかに行われ、1896年(明治29年)3月23日に終了したのでした。

つうか、峰尾って誰よ?(笑)


(了)



金佐鎮(三)

テーマ:

今日で今回の連載最後なわけですが、未だにjpn1_rok0氏のスレッド、【いい所なんだから、消すなんて野暮はよしなよ(w】における、「青山里で日本軍に甚大な被害を与えていたなら、日本軍は「逮捕」あるは「殺害」するチャンスなのに、何故「救済する」なのか」という論理を崩せていないどころか、これ、さらに補強してね?とも思われる史料が続いているわけですが、さて。

本題に入る前に、前回「600人いた仲間が50人にまで減ってるのは、屯田兵にする予定で6県に分散してるからという話かな。」と書いたわけですが、「金一派の現勢は此等を通じて僅に50名内外にすぎず」ってことは、勢力自体が600人から50人に減っちゃってるんですね。
で、屯田の方は計画に着手されてるだけで、残りの人数で屯田を実行してるわけでは無いですな、これ。
ってことで、前回の記述修正。
慌てて書いちゃ駄目ね。(笑)

では、前回の在間島総領事鈴木要太郎から外務大臣松井慶四郎への1924年(大正13年)3月15日『機密第83号』の続き。

【画像1】 【画像2】

三.屯田資金の運動

以上の計画により、今後前項各県には続々屯田的移住を奨励すべく、耕地購入其他に要する資金は一部募捐によるの外、鮮内外資産家を勧誘して投資庇援せしむるの方法を講じ、現に敦化県方面に於ける此等資金の運動は、左記3名により之を担任すべしと。

金碧秋 (本命金斗燮と同一人なるが如し)
劉治石 (前年上海国民代表会議に参列したる者なりと 柳振昊の変名にあらやの疑あり)
許泳鎮 (暴徒派許根の一族なりとの説あり)
資金繰りさえまだついてないようで。(笑)

【画像1】 【画像2】

四.金佐鎮の帰順に対する意向

親しく金佐鎮と面唔し、切に現在の大勢を説き帰順を勧告したる所、彼は之を一笑に附し、個人の利害得失の如きは素より念頭に置かず、運動の成否亦今にして論ずべきにあらざるも、既に男子意を決し、此大業に携はりたる以上之と終始するあるのみ。
再語るを止めよとて、厳然として制し、聴従の色なく、彼は飽迄将来に於て奏功の期あるを自信し居れり。
然ども、部下の大くは浮浪の雑輩にして、今や帰順して正業に就くの意■なきにあらざるも其資なく、且放縦思想の膏育に入れるを以て、已むなく之に与みするのみ。
故に此等は、相当の方策を以てせば、容易に招来するを得べき状態にあるは事実なりとす。
うーん。
金佐鎮本人とも会えちゃうのか・・・。

で、彼は現在の状勢を説かれ、帰順を勧告されても笑って「個人の利得は考えて居らず、運動の成否は今論じるべきではないが、既に男子が決意しこの大業に係わった以上は、最後までやる。もう言うな。」と述べるわけです。
まぁ、韓国人からしたら立派なせりふ。
日本人にしたら強がっちゃって、なわけですが。

金佐鎮はそのように述べるものの、部下は殆どやる気無し。
適切な手をうてば、簡単に反日運動止めちゃうような状態なのは事実だ、と。

日本も、帰順しないと聞いても慌てた様子は全くありませんねぇ。

【画像1】 【画像2】  【画像3】

五.其他の状況

(イ) 金佐鎮は現に支那服を着し、一般は白冶先生の号称を以て通じ、意気旺盛にして衷心大成を期し、毫も悲観の状なし。

(ロ) 一般は、粟飯に味噌等の素食に甘んじ、極めて窮乏の生計を為しつつあり。
 募捐金等は保管厳重にして之が浪費を許さず、散宿せる各幹部は、時々会議を為し居れり。
 支那官民は、金佐鎮一派の潜伏せるを知らずと。

(ハ) 李鴻来は、日本側警察機関に於て逮捕の手配を為し居れるを自覚し、本年1月初旬、和龍県南陽坪日本警察派遣所巡査林時玩を狙撃したる事実を放言し、今後に於ても独立運動の障害と為るべき特務密探等は、悉く殺害すべしと豪語し居れり。

(ニ) 金佐鎮一派は、目下額穆県に於ける赤旗団一派と相反目し、現に同団に加担せる安武等を暗殺すべき計画を為し居れるが如し。

(ホ) 間島各地方面に連絡機関を密設せるは事実にして、常時此等機関よりの通信絶へず、敦化・延吉の吐呑口なる哈爾巴岺咸興村居住李炳秀は其一人にして、同志の去来に便宜を供与し、其他通過支鮮人の情況査察並通信連絡の中継等を為し居れり。

(へ) 間島方面に進出する募捐隊員等は、哈爾巴岺以東間島境内に入る場合は、多くは包袋を肩にし、附近村閭間の交通旅行を装ひ、下脚部に達する長尾袋は之を袴の内部に隠し、以て遠来の旅行者にあらざるを装へり。
但し、夜間は袴の上より之を穿ち、行動の便に資す。
■衣は、表白裏黒を常用し、昼間は黒、夜間は白に表裏を転々して着用するを例とす。

(ト) 最近長白県射槍隊総辨姜承慶は、金佐鎮の招に応じ来到し、連絡に関する協議を為し居れり。

右及報告候

敬具

本信写送付先
北京公使 奉天 吉林 哈爾賓総領事
朝鮮総督 咸鏡北道知事 羅南憲兵隊長
朝鮮軍参謀長 第19師団参謀長 間島・琿春派遣将校
管内各分館主任 分署長
金佐鎮は、一般から白冶先生の号で知られ、意気旺盛。
でも、部下は粟飯に味噌等の粗食で、極めて窮乏の生計をなしつつある、と。
そりゃ600人から50人に勢力も減りますわな。

で、日帝とは面会しても、仲間割れはしっかり行ってるわけで・・・。
伝統ってのは、恐ろしいもんですなぁ。(笑)

さて、整理してみましょう。
(1) 3月13日のエントリーの『第88号』、今回の『機密第83号』、何れにおいても金佐鎮に帰順してほしいのは朝鮮人側、具体的には「海林鮮人長キンエイセン」と「在間島有力鮮人」である。
要するに、恐らくは無為徒食して迷惑だからという理由だと思われますが、朝鮮人側で金佐鎮に帰順を説き、これを受けて在ハルピン山内総領事は外務省に相談し、在間島鈴木総領事は金佐鎮に帰順の意思確認のため、特派に直接面会させたに過ぎない。

(2) (1)の結果として外務省は放置プレイ、金佐鎮は帰順なんてしないと壮語したので、間島でもそのまま査察報告したのみ。

(3) 外務省の放置プレイが効いたのか、『第88号』から『機密第83号』の1年間に、金佐鎮の仲間は600人から50人に減っている。

(3) 普段隠している拳銃は、金集めにまわる時に限って携帯している。

(4) 日本が査察に行っても直接会話するが、仲間割れは忘れない。

(5) 計画は色々あるが、ほとんど実行された気配が無い。

(6) 金佐鎮は壮語するものの、部下は極めて窮乏。

(7) 日本側が金佐鎮一派を「敵」として捉えているように見えない。

ってとこかな?
ほかにもあったら、コメント欄で指摘ヨロ。

さて、上記のとおり、悲惨な状況からさらに悲惨な状況になった事は分かりました。

・・・。
で、肝心のjpn1_rok0氏のスレッド、【いい所なんだから、消すなんて野暮はよしなよ(w】における「青山里で日本軍に甚大な被害を与えていたなら、日本軍は「逮捕」あるは「殺害」するチャンスなのに、何故「救済する」なのか」という論理に全く反論できていないどころか、補強しているようにも感じられる史料だったわけですが。

孤藍居士氏は、そんなにニコちゃん大王こと愼鏞廈氏を狩りたいんでしょうなぁ・・・。
まぁ、「617 :孤藍居士:2006/03/07(火) 12:45:22 ID:4igqJKjv 兎に角、あんたらもちょっとは気を付ける方がいいぞ。俺は反日ではないが、イルパでもない。知る限り隙が見えるなら、韓日問わず直ちに攻め始めるからな。」という孤藍居士氏なので、学匪たる愼鏞廈を攻め始めるのは、ある意味当然の所業ですがね。

では。


(了)



金佐鎮(一)
金佐鎮(二)