9月も終わり。
北国に住む者にとっては、早くも寒さで目が覚めるようになってきた昨今、皆様如何お過ごしでしょうか?(笑)
今日で『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』、1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』もお終い。
気合い入れて(?)いきましょう。


【23画像目】 【24画像目】

八.東洋拓殖会社に対する状況

東洋拓殖会社の事業は、韓国の土地を買収して日本民を移住するにあるを以て、同会社成立の暁は、韓国の田墾山林は日本人の為占領せらるべしと悲観し、続々日本人移住するときは、益々物価騰貴して生活困難に至るべしと憂慮するが如き、概して之が設立を嫌厭するものの如し。
而して大韓毎日申報購読者の如きは、同紙の煽動的記事を盲信して■猜疑の念を深くし、同会社は韓国の啓発利源の開拓にありとの美名の下に、漸に土地を蚕食し、韓国を併呑せんとするものにして、為めに父祖伝来の財産を奪はれ、国家は滅亡するに至らんと憤慨するものありて、■■臆測、種々の浮説を流布したる為め、地方民中今にして所有権を確定し置くの必要ありと唱へ恐慌するものあり。
或は、自己の所有地なる事を標示するため、標木を立てたる地方あり。
或は、俄に土地を買入るるが如き者ありたりと云ふ。



また噂や煽動との戦い。
大韓毎日申報が、朝日新聞と提携していたかどうかは知らない。(笑)
尤も、この時代のマスコミってのは、程度の差こそあれ、どの国においても似たようなものである。
現代においてすら、でもあるし。

土地に関しては、現実問題として「今にして所有権を確定し置くの必要あり」と有るように、所有権その他土地の権利関係が明確で無かったわけである。
明確で無いが故に後の朝鮮総督府において土地調査事業が行われ、明確で無いが故にゴタゴタが起きる。
っていうか、以前書くと言っていた土地調査事業に、なかなか辿り着かないなぁ・・・。

尚、「俄に土地を買入るる」が、現代韓国で問題化している不動産投機の走りかどうかについては、これまた知らない。(笑)


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平安■道の耶蘇教徒は、拓殖会社は日本が韓国を掠奪せんとする謀計なるが故に、此侭に推移せば、韓国民は終に耕すに寸地なきの惨況に陥るを以て、速に測量学校設立の急務なるを唱へ既に学校を創設したるものありて、忽ちにして多数の入学志望者ありしと云ふ。
尚、同地方■■私立学校に至りても、新に測量科を設け授業を開始したるものあり。
近来、各地方とも頓に測量法教習の流行を来し、実地測量に従事するもの頻出するが如き現象を呈せり。



目賀田種太郎の具申による韓国人測量士育成の話から3年。
片や、土地測量において日本人では何かと軋轢があるだろうから、韓国人測量士を養成する。
片や、日本に土地を奪われる前に、韓国人の手で測量を行うために、韓国人測量士を養成する。
んー、見事に食い違っていながら、実は同じ事を言っているような気がするな。
というか、目賀田の睨んだ通りか・・・。


【24画像目】 【25画像目】 【26画像目】

地方官吏は、中央政府の訓令に基づき拓殖会社の設立趣旨を説明し、韓国の為め頗る有益の事業なる所以を■議しつつありと雖も、多数の地方官吏中、郡守に於てすら其旨趣をも了解せざるものさへありて、之が設立を疑ふが如きものなきにあらずと云ふ。

以上の状況にして、到底同会社の設立の旨趣を遺憾なく一般国民に知了せしむるは、容易の業にあらず。
創立委員に選定せられたる韓国人は、帰国後何れも日本の■■を鼓吹し、拓殖会社は日韓共同の事業にして、韓国の福利を増進するに最も有益なる所以を、報告的に説明しつつあり。
然れども、該委員にして前述の疑念を抱き居たる者少なからず、1、2の者は■■後に至りても尚、衷心より首肯すること能はざるものあるが如く、裏面に於ては反対の意向を洩したる者ありと云ふ。



うむ。
当時から嫌われてるね、東拓。
しかし。
1908年(明治41年)8月30日付『憲機第532号』より。


東洋拓殖会社法発布に付、之れに対する態度を定むる為め、大韓協会の重立ちたる金嘉鎭・呉世昌・尹孝定・呂炳鉉・權東鎭・李鍾一・李宇榮・沈宜性・大垣丈夫の9名は、昨29日午後7時より尹孝定邸宅内房に於て密議を凝したり。
同席上、種々なる説も出でしが、結局之に大賛成の宣言書を発し、国民の進んで株主たるべきを勧むる事に一定したりと。

国民は一般に拓殖会社を恐怖し居れば、同会より政府へ質問し、其問答を新聞紙に掲載して全国の誤解を正すことに議決せりと。

以上。



もう一丁、1908年(明治41年)8月31日付『警秘第3416号の1』より。


大韓協会員秘密会の件(報告書)

大韓協会の幹部員は、一昨29日午後8時より12時に亘り、総務尹孝定内房に於て秘密会を開けり。
出席者及会議の要領左に

出席者
金嘉鎭 尹孝定 大垣丈夫 呉世昌 権東鎭 沈宜性 李鍾一 李宇栄 呉炳鉉

一.会議の要領
(一)拓殖会社に対する大韓協会の態度を決定するの件
拓殖会社設立に対しては本会は賛成を表し、会員は勿論、国民に向って株金募集に応ぜんことを勧誘し、其他諸般の便宜を与へ、挙国一致同会社をして円満に進捗せしめんことを謀るの宣言書を発表すること。
但、本宣言書発表前に、政府に委員を派遣し、国民の疑念を抱き易き箇條に就き故らに質問をなし、其顛末を新聞史上に掲げ一般人民をして了解せしめたる後に於て、本宣言書を発表することとせり。
会員中、多少反対者あり。
或は又、此際他に先んじて大賛成を表し、協会中より株金募集に応ずべしと唱道するものありしも、帰する処前項の如し。

(二)国債報償金の善後処分に関する件
国債報償金は、全国に渉り精査を遂げ、之を一括して政府に献納し、国債報償の一部に加へんことを請願すべし。
然るときは、政府は必ず之を受納せざるべし。
政府が受納せざる時は、該金を以て国立銀行を設置し殖産興業の発達を図ることとし、若し本件を政府に採用せば、将来政府に於ても世論を尊重し、重要の件は世論に耳を傾くるに至るべし。
宜しく国債報償金調査会成立の後は、大韓協会は此趣旨を以て努力すること。

等の数項を決議したり。

右及報告候也。



と言うことで、大韓協会は東拓推進派。
一面的な反日では無いのである。
勿論、大垣丈夫の影響があるのかも知れないし、それこそ面従腹背かもしれないが。

国債報償金については、大垣丈夫が9月21日のエントリーで似たような事言って却下されたわけなんですが・・・。
まぁ、統監府の承認で作るか韓国国営で作るかの違いはあるのかな?
因みに、国債報償費調査会は、この大韓協会の会合直後の1908年(明治41年)8月30日に会議が開かれ、役員選定が為されたという時機であったのである。


9月22日くらいから続けてきた、李完用内閣成立後の韓国の政治状況についても今日で一区切り。
深く掘り下げていけば、俗説とは違う話も出来そうでなかなか面白かったけれど、それはその内に取り上げる、かもしれない。


(了)


韓国地方政況ノ概要(一)
韓国地方政況ノ概要(二)
韓国地方政況ノ概要(三)


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長い史料を引用しているというのも、間延びしている原因の一つだと思った昨今。
昨日は千客万来(笑)で、嬉しい限り。
そういった読者の方々のためにも、なんとか、面白く呼んで貰う工夫だけはしておきたいなぁ・・・。

ということで、前回に引き続き『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』、1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』について。


【19画像目】 【20画像目】 【21画像目】

ロ.耶蘇教徒の状況

耶蘇教徒は依然として排日思想極めて旺にして、各地方に於ける耶蘇教徒の勢、亦侮るべからざるものあり。
渠等は、動もすれば我が官民に拮抗せんとする傾向あり。
去5月中、義■守備隊兵卒と耶蘇教学校生徒と衝突を惹起したるが如きは、全く同生徒が我兵卒を蔑視し、不遜の行為をなしたるに原因したるものなり。
又、耶蘇学校に於ては近来解散兵を傭ひ、日々学事を曠廃して兵式操練を教習し、銃剣を携へ、喇叭を吹き、隊伍を組んで市中を闊歩するが如き虚勢を張り、我官民に対し、暗に其の威を示さんとするが如き不穏の妄動を為し、又■は之を具て国権回復の■機となし歓迎・奨励するが如き状態にして、漸く一般に■■するに至れり。



勉強を教えずに軍事教練。
おまけに隊列組んで市中を闊歩ねぇ・・・。
1908年8月26日に発布された「私立学校令(隆熙2年韓国勅令第62号)」については、8月7日のエントリーにおいて若干ではあるが取り上げた。
その後、邦訳された条文を入手できたのでその内公開するが、こんなこと学校でやったらどうなるか、分かるだろうにねぇ・・・。(笑)


【21画像目】 【22画像目】 【23画像目】

又渠等は、常に地方官憲を蔑如し、法令を無視する悪習あり。
過般、私立学校令の施行に際し、平安南道各地於ける耶蘇教学校は■■師の指揮の下に設立したるものなるが故、教科書の撰択等は■■師の権内にあるが故に、学部大臣の検定或は認可を受くるの必要なし■鼓吹するものあり。
又、或地方に於ては、地方官憲の召喚又は訊問等に際しては、「自分は耶蘇教徒なるが故善良なる者なり。官憲の訊問に応ふるの義務なし。」と主張するが如き者ありたりと云ふ。
尚、耶蘇教会の多数を占むる在平壌大成学校に於ては、去月30日排日鼓吹者安昌鎬なる者の歓迎会に際し、室内の装飾の各国々旗中より独り日本国旗を除き、殊更に掲揚せずして排日の意を表したるが如き蛮行を演じたる事実あり。
此等の例は、耶蘇教徒■に於ける排日思想が如何に磅礴たるかを察するに足るべし。

外国宣教師は常に各地に往来し布教に従事し、傍ら病院を建設して信徒中の患者に施療し、或は学校を起し其の子弟を教育し、一定の着■を給する等、巧に信徒を■■し地方到る所に教会堂を建設し、其の規模頗る広大なるものあり。
専ら信徒の収容に■め、近来著しく信徒を増加したりと云ふ。
之れ其の手段の巧妙なるに因るべしと雖も、一は時局を利用し種々の甘言を弄し、一般人民を煽動■■した結果に他ならず、渠等は■に排日思想を助成しつつあること尠少なにあらざるを窺知するに難あらず。



しかし法治の根付かない国ですなぁ・・・。
まぁ、8月6日のエントリーの如く、外国人宣教師自体が「韓民にして我教徒たるものは我教会の保護に依り、濫りに官憲制肘を受けず、生命財産の安固を保障し、且つ已往の罪悪と雖ども其罪を逃るを得ん」等と言って勧誘しているわけで、仕方の無い部分ではある・・・のかな?

まぁ、いい加減な布教は兎も角として、病院や学校が建設されていったのは事実であってその点は素直に評価したかったのだが、軍事教練やっちゃ駄目だろ。(笑)

大成学校は安昌鎬(安昌浩)の尽力により建設され、校長ともなっている。
この(読み間違いでなければ)歓迎会については何故行われたかは不明であるが、どうも日本国旗事件として話題にはなったらしい。
今回の史料の2ヶ月半後、1909年(明治42年)2月18日付の『憲機第383号』をちょっと見てみよう。


一.安昌浩及李甲の両人は、2月14日午後9時半着列車にて京城より来り、平壌に1泊し、2月15日午前7時40分発北行汽車にて平安北道龍川郡に至りたり。

二.用向は確と判明せず。
雲峴宮の訴訟事件なるべしとも云ひ、或は大成学校に関する件なると聞くも、何れも疑ひあり。
大成学校教師、車利石の言に依れば、安昌浩は彼の地に用件あるべき筈なければ、李甲と共に李甲の居宅なる肅川に至りたるべしと云へりと。

三.大成学校廃止説に就ては、父兄間に多少恐慌を来し居るが如し。
一般に、過般の日本国旗事件に関し廃校せらるるものと思ひ居る者の如し。



ご覧のように、大成学校が日本国旗事件の為に廃止されるという噂が流れるわけです。
ええ、噂。
6月には夏期休暇に入りますし、翌年の1910年の史料にも出てきますし。
統監府、結構噂と戦う場面が多いわけですが。(笑)
こういう時、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』の一節

どんな男も、できるかぎりニュースを集め、あるいはつくる。
耳に入れたことを、「嘘と誇張で潤色する」
朝鮮は流言蜚語の国なのである。
朝鮮人は知っていること、というより耳にしたことを人に話す。


を思い出してしまうんだよねぇ・・・。


イザベラおばさん


更に、現代でもあまり変わらないのが悲しい所。
いや、国旗燃やさないだけ、現代韓国よりマシだったりして。(笑)


今日はこれまで。
次回で、この史料もようやくお終い。


韓国地方政況ノ概要(一)
韓国地方政況ノ概要(二)


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んー、何か最近起伏に乏しい構成になってると思ったら、韓国から歴史系のニュースの発信が無いのね・・・。
だから話題が変わらないんだ。
うんうん、そうだ、悪いのは韓国だ。(笑)

さて本日は勿論前回の続き。
アジア歴史資料センターの『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』、1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』について。


【13画像目】

一進会の状況に就ては既報と異なるところなく、地方会員中無頼徒食は常に一進会の威勢を発し、不正行為を敢てし、非違を遂ぐる者其後を絶たず。
且同会出身の官吏は徒らに■■を標榜し、旧慣を無視するを以て一般人民との阻隔益々甚しきを加え、一進会員に対する悪感情は■て憎悪の念を増長し、之を排斥する為めに耶蘇教徒に投ずる者あり。
或は大韓協会に加入する者、少なからず。
■に一進会員と耶蘇教徒及大韓協会員は、犬猿も啻ならざる関係にして、互に反目排斥しつつあり。
殊に耶蘇教徒は、公私の会合等に在りても一進会員と相伍し席を同ふするを■■するが如き状況なりと云ふ。



バックが強くなると増長するのは毎度の事。
こうして治安を悪化させたり、統治に対する悪感情を増幅させる馬鹿が居るのである。

で、民衆は一進会に反対してキリスト教や大韓協会の味方をする、と。
キリスト教徒と一進会の反目は、7月31日のエントリーにおいて宋秉畯が宣教師を責めたように、この後明確な形で表出化する。
尚、7月31日のエントリーの史料について、報知新聞の報道としているが、朝日新聞であるとの史料もあるので、追って調査・確認したい。

一方で、もう一つの大韓協会とは、李完用内閣攻撃のために呉越同舟する事となる。

たまに思うのだが、統監府に対する非難、政府に対する非難、一進会に対する非難、西洋文明的なものに対する非難、個人的な「恨」等が、全て日本への非難とされている気がするのだが、本当の所はどうだったのだろう?


【13画像目】 【14画像目】

昨年来、暴徒の為め一進会員は頻々殺害の災厄に遭ひ、或は家屋を焼毀せられ、其妻子眷族に至るまで迫害惨殺せられたる者少なからざる状況にして、甚だしき惨殺を被りたる結果地方会員は大に激昂し、本年6月中、評議員は続々出京して同会本部に会合し、不平を鳴らし、同会出身の内部大臣宋秉畯の態度を非難し、結局内閣総理大臣を弾劾し内閣の更迭を促さんことを決議し、辞職勧告文を草し、会長に之が送達方を迫り一時紛擾を極めたりしが、宋内相・李会長の慰撫に依り漸く鎮静に帰したり。
尚、同会は現今■■窮乏頗るこんな意を極めつつあるものの如く、会員中、時に葛藤を醸し内訌絶えざる状況にして、会長等は之が救済に苦心しつつあるものの如し。



えーっと、大体の流れを整理すると一進会について宋秉畯の入閣ハーグ密使事件高宗の譲位韓国軍隊解散内田良平の自衛団視察報告宋秉畯内部大臣就任→今回の史料となっている。

杉本幹夫氏の『「植民地朝鮮」の研究―日本支配36年』にあるとおり、宋の辞任を契機に内閣弾劾を始める予定だったのかどうかは不明だが、宋秉畯の態度を非難し李完用の弾劾と内閣更迭を決議したが、宋秉畯と李容九の慰撫で沈静化したのは事実のようである。


【14画像目】 【15画像目】 【16画像目】

大韓協会成立の由来は既報の如し。
同会は、設立後専ら会勢の拡張に力め、と時々地方に役員を派遣して遊説を試み、或は檄文を頒布する等種々の方法に依り会員の募集、支会の設置に奔走しつつあり。
同会は、元自強会西支会の変身にして排日派の団体なるが故に、■地方の元自強会西支会員は多くは同会に加入し、排日思想を有する者は自然同会に投じ、近来追々会員増加の模様ありと雖も、地方の勢力は未だ微々たるものにして、何等の活動を為す能はざるものの如し。
尚、同会は■■表面に在りては大に其の言動を戒め、慎重なる態度を保ちつつあるが如しと雖も、地方遊説中の役員及地方会員等は往々にして不穏の言動を試み、一般人民を煽動して暗に排日思想を伝播せんとする如き状況にして、一進会に拮抗せんとするものの如し。



・・・既報ってどれだよ・・・。_| ̄|○
まぁそれは兎も角として、大韓協会はこの時点では直接的な運動は殆ど行っておらず、専ら勢力拡大に尽力している、と。


【16画像目】

大同会は、基礎甚だ不鞏固にして、何らの根帯あるにあらず。
其の役員は市井無頼の徒の集合に過ぎず、勢力更に振はず、徒らに■■を装ひ各地に支局を設け、悪手段を弄し愚民を籠絡して以て金銭を詐取するが如き治安を妨害する行動ありしを以て、韓国政府は10月中之が解散を命じたり。



オイオイ・・・。
前回の史料では「政治に関係するに至り解散の運命に陥りたる」とされてるけど、単に犯罪紛いの行為で解散させられたんじゃねーか?
勘弁してくれよ、全く。


【16画像目】

基督教青年会は■■■も優勢なる団体にして、同会員たる耶蘇教徒は排日思想頗る旺盛なるものあり。
今後に於ける同会の行動は、注意を要すべきものとす。

其の他の団体に至りては、特記すべき事項なし。



基督教青年会は要注意団体としてマーク。
まぁ、韓国におけるキリスト教の状態が以前紹介したような有様だったわけで。
ある意味当たり前なわけですが。


次からは政社等から離れ、官民の意向についてである。


【16画像目】 【17画像目】 【18画像目】

一.韓国官民の意向

イ.一般の状況
行政組織の改善と共に官紀を振粛し、頑迷固陋の地方官吏を淘汰し新進の人物を登用し、大に其面目を革しめたりと雖、本邦人官吏の配置なき僻遠の地方官吏に在りては動もすれば職権を濫用し、収斂誅及を恣にせんとするもの少なからず。
渠等は漸次非行を敢てすること能はざるに至れるを以て、本邦人官吏の使用に付ては不快の疑念を抱き居る者ありと云ふ。
元来韓国人は、表裏反覆、去就常なく、面従腹背的の特性を有する者なるが故、常に我官憲に信頼し本邦人官吏の指導に依り、何れも恭謹柔順に執務しつつあるものと雖も、裏面にありて不平を抱き、怨声を洩す者多きは事実なるが如し。
殊に、本邦人官吏に対する韓国政府の給与が、彼等に対するものと著しく差違あるを見て、嫉視する者比々皆然らざるはなしと云ふ。



既得権益層であることを割り引いても、どうしようもねーな、韓国官吏。
李朝時代からずっと続いてきた伝統だから、しょうがないかも知れないけどね。
しかし元来韓国人は表裏反覆、去就常なく、面従腹背的の特性、か。
慧眼、慧眼。(笑)
現代においても、六カ国協議やそれを含んだ対米関係において、それを垣間見る事が出来る。

給料の話については、詳細不明である。
WEB上の話でも給料格差の話は稀に見られるのだが、何の史料によるデータを、どのようにして比較したかさっぱり不明。
実際、傭聘された者とそうでない者に格差が出るのは、ある意味当たり前なわけだが、一々それ言及する以上は、それらを明確にして欲しいものである。


【18画像目】 【19画像目】

本邦人官吏を配置したる地方人民は、諸般の事務取扱公正なるを以て、漸次従来の圧政誅求を免るることを得るを見るに及んで、追々信頼の念を加ふるに至り、諸般の出願等も本邦官吏に■すもの日に月に増加し来りたると云ふ。
而れども、彼等の頑迷固陋なる儒生、退官者及長老の輩にありては、容易に排日思想を脱却すること能はず、本邦官吏の任命、新政の施行を悦ばず、不平の年を抱く者十中八九にして、■年輩の日語に通ずる者又は本邦官民と親交する者を疎にし、其の本邦官民の頤使に甘んずるを概し、之を軽蔑し常に排日的談合に耽り居るものなりと云ふ。
下等社会の良民に至りては、衣食に汲々たる外余念なく、何等感想あるものなし。
寧ろ、本邦人の事業勃興に伴ひ種々の職業に使役せられ、衣食の途を得て安全なる生活を営むに至り、喜び居る地方少なからず。

要するに、軍隊、憲兵隊、其の他我官憲の増設と、韓国行政機関の整理と共に本邦人官吏増加するに従ひ、自然其勢力に威圧せられ、官民とも努めて我歓心を求め、仮令排日思想を抱くものと雖滅黙を守り、表面に於ては我官憲の意を迎合するが如き状況にして、地方官民にして我が風習を学ぶ者、追々増加するの傾向を呈するに至れり。



一般的には、圧政からの開放と公正な行政機能の普及により、好印象なようである。

儒教に染まっている層はこんな感じ。
この頃には儒教は衰退の一途を辿っており、冠婚葬祭にその形式を見ることが出来るだけとする報告もある。
一方で、中流以上の階級は、それなりに儒教を信奉する者もいたようである。
ただ、儒生もこの頃には様々な者が居り、開化を支持する者も出るようになるわけで、十把人からげには出来ないのは当たり前の話。

下級の良民は特に感想はないものの、職にありつくことが出来る分喜んでいると。
まぁ、政治や思想に関心の無い層にとっては、当たり前の話ですな。

総合的に考えるに、日本の勢力が強くなってきた事を感じ取っての「事大」である、と。(笑)


ということで、今日はこれまで。


韓国地方政況ノ概要(一)


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以前からそうだったわけですが、最近益々マニアックなブログになってますね。(笑)
ENJOY Koreaですら使わないような史料の集成になってたり。
ここまで深入りするつもりも、今となってはあったのか無かったのか思い出せません。
ま、調べる事自体が知識欲を満たしてくれるので、良いのですが。

ってことで、前回の予告どおり、アジア歴史資料センターの『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』、1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』の12画像目からの突っ込みについて。



 (クリックで拡大)



一進会については、これまでずっと取り上げてきたため、今更説明やツッコミの必要もないだろうが、一言だけ。
洪肯燮についてである。
彼は、李容九や宋秉畯に次ぐ実質No.3であり、李・宋の両名が日本へ行き不在であった際も、副会長として一進会を纏めていた人物である。
しかし彼は、合邦請願の出された1909年(明治42年)12月4日の直後に一進会を脱会。
辞表では病気と非才が理由であるが、李完用によって3千円で買収されたと噂が為されている。
ま、今後取り上げる事になるだろう。


大韓協会については、9月21日のエントリーで記載したとおり隆熙元年(1907年)11月の設立となっている。
会長の南宮檍は、「皇城新聞」の元社長。
賛成員として、大垣丈夫の外に志賀■五郎という名が挙がっているが、これは誰だろう?


次に、大同会。
初耳な団体であるが、会長以外の主なる役員が総て日本人・・・。
記事を見ると、負褓商を募り商業の発達を図るということで、基本的には商工業に関連した政社であるように見える。
しかし、主なる役員に渡辺哲玄・高橋久司の名があるとおり、神宮奉敬会という団体と何らかの関連性が疑われる。
1909年(明治42年)7月26日付『憲機第1476号』を見てみよう。


一.神宮奉敬会は、最初39年頃高橋久司、渡辺哲玄等の創立に係り、当時1,500余名の会員なりしも、中途彼等は同友会・大同会等と変名し、政治に関係するに至り解散の運命に陥りたるが、今回再び前神宮奉敬会の再興を図りたるものにして、前会の当時は、日本の神宮奉敬会の趣旨に基き単に天照皇大神宮を祭りしも、今回は韓国に重きを置き、天照皇大神宮は韓国の祖宗たる檀君とは兄弟相離るべからざる関係ありと称し、天照皇大神宮と檀君を併せ祭る目的のもとに再興し、爾後日々入会するもの多く今日にては20名以上に達し、毎日集るもの150名乃至200名位にして日を追て盛況を呈しつつあり。

一.同会総裁は未定なるも、尹澤榮を就任せしめんと。

一.副総裁は完興君李載冕、会長金在珣、副会長高橋久司、賛成長閔泳徽等にして、入会金50銭、会則及細則の印刷実費として2銭5厘宛を受けつつありと。

以上。



壇君キタ━━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!(笑)

1919年(大正8年)起工、1925年(大正14年)に完成した朝鮮神宮の御祭神について、「朝鮮神宮御祭神論争」が起きるわけであるが、その走りと言っても良いだろう。
1909年には、羅哲(羅寅永)が壇君教を作り1910年に大倧教と成る事、及び壇君にまつわる史料の経緯に詳しい方は、これらの年数だけで(・∀・)ニヤニヤできそうである。(笑)


政社と呼ばれる団体は上記3団体とされ、それ以外の10団体は非政社とされている。


まずは、東亜開進教育会であるが、記事にも「教育と実業とを標榜するも其手段方法の施すものなし」とあるとおり、表だった活動記録はない。
ただ、主なる人物のうち趙民熙については、6月1日のエントリーで取り上げた史料に出てくる、趙承寧府総管である可能性が高い事は指摘しておこう。


基督教青年会については、8月2日のエントリーで若干触れた。
会長の「ターナー氏」とはArthur Beresford Turner、総務の「ヂレット氏」はPhilip Gillettを指す。
ちなみにこの総務フィリップ・ジレットは、韓国に野球を伝えた男として知られているようである。
ターナーとジレットが排日思想を持っていたかどうかは不明であるが、会員にはそのような者が多い事が、8月2日のエントリーの史料にも今回の史料にも残っている。


次が西北学会である。
これまた8月2日のエントリーで触れた。
また、9月25日のエントリーまでは西友学会或いは西友会であった。
8月16日のエントリーでは史料未調査として記載していたが、今回の史料において隆熙2年(1908年)1月創立である事が分かる。
また、金允植の『続陰晴史(續陰晴史)・下』によれば、1908年1月11日に西友学会と漢北学会が統合した西北学会の開会式が行われ、会長は鄭雲復、総裁は李道宰、総務は金逹河であり安昌浩が熱弁を吐いたと記載されている。
基本的に排日とされるのだが、それよりも寧ろ反政府と言った方が良い気がする団体である。


畿湖興学会については、人数も約80名であり、かなりマイナーであると思ったのだがググッて見ると意外とそうでもないようである。
久しぶりの独立記念館によれば、申采浩は畿湖興学会に加入し、『畿湖興学会月報』に愛国啓蒙に関する論説を載せていたとされ、あの青山里論争で一部人士に有名な金佐鎮に至っては、何故か「畿湖興学会」を創設した事になっている。

畿湖興学会月報については概要を記した統監府史料が残っているのだが、誰が書いたかについては残念ながら表記がなく、実際の現物を見ない限り確認のしようが無い。
しかし、申采浩が論説を載せていたとしても不思議は無かろう。
問題は金佐鎮である。
日本側の史料によって確認できるのは、今日の史料にもあるとおり、全て李容植の設立した「畿湖興学会」についてである。
また、1909年11月24日会長李容植は辞任するのだが、その後任となったのは趙民煕。
統監府にも知られていない同名の団体というのも無理があり、独立記念館が何を根拠にしているか不明であるが、これは嘘若しくは誤りであろう。


金佐鎮


嶠南教育会。
前身は嶺友会とされているが、会長が李夏栄であること以外はあまり見るべき所の無い団体である。
嶠南教育会雑誌なども後に出すようだが、史料的には団体としてよりは、京城中部典洞にあった嶠南教育会館が様々な集会で利用された事の方が頻出である。
但し、8月2日のエントリーのように、李夏栄が前内閣員を李完用に接近させ亡命派を排斥しようとしている様に、団体としての活動ではなく、李夏栄の活動に集約されてしまっている可能性はある。


大韓実業協会は、元の大韓殖産奨励会であり、実業の発達を標榜しているが、実際は営利を企てているだけ、と。
政治的意図は少ないようで、史料にもほとんど見る事ができない。
ここでも大垣丈夫が顧問になってますな。


次が、これも8月2日のエントリーで触れている興士団である。
特徴は、大韓協会員と耶蘇教信者、一進会員の混合で成り立っているという事であろう。
また、勿論野心はあるのだろうが、実際には李完用内閣員と共に植樹事業を行ったり、土地測量の組合を作ったりと、案外協力的な姿勢が目立つ。
しかしながら、肝心の教育関係については興士団附属学校という私立学校を作った他には、ちょっと史料を見つける事が出来ない。


湖南学会については、記事の「教育を盛んにし、国勢の挽回に資せんと云うも、未だ何等施す所あらず」の通り、何をしていたのか具体的には不明である。
ちなみに、組織としての湖南学会とは関係ないが、1909年(明治42年)12月13日付『憲機第2445号』を少し見てみよう。


従二品金昇圭、正三品徐彰輔、湖南学会総務尹柱瓚、正三品李洙榮等6、7名は、去る11日午後7時頃金昇圭宅に集合し、今回一進会より発表せし声明書は、目下の時世に適合せしものなり。
然るに李完用等は、単に自己の地位を維持せんとするの野心より、各社・会を煽動して反対せしむるは甚だ不都合なりとし、大に之れが反対を唱導し、一進会を援助せんことを決議し目下夫々運動中なり。



湖南学会の総務である尹柱瓚が、一進会の合邦声明に賛成し、李完用を非難するという構図である。
前述のとおり、組織としての見解では無いのだろうが、少なくとも組織として合邦問題に対する見解は統一されてなかったのだろう。


次が青友奨学会。
んー。
おしまい。(笑)
史料が皆無だよ・・・。(´・ω・`)


最後が経済研究会である。
これまた史料が少ないが、一つだけ顧問の日戸勝郎に関する史料があったので、一応紹介。
1909年(明治42年)7月26日付『憲機第1317号』より。


元経済研究会顧問日戸勝郎

右は今春、病気の故を以て当地を引払ひ帰国したるが、今回病症全癒し、岩手新聞記者となり6月24日午後、終列車にて来韓。
浦尾旅館に投宿中なるが、該新聞の特派員として当分滞留の模様なりと視察中。



あんまり意味のある史料じゃなかったかな。(笑)
ま、日戸勝郎ってググッても出てこないし、いっか。


ということで、思いがけず長くなってしまったので、明日に続く。


一進会の人数

テーマ:

さて、前回まで統監府政況報告並雑報という簿冊の史料を利用しながら、李完用内閣成立後の状況を記載してきた。
昨日の最後に語ったとおり、この直後ハーグ密使事件高宗の譲位韓国軍解散という流れとなる。

統監府政況報告並雑報はこの辺りを飛び越えて、1908年(明治41年)6月18日受『機密受第1471号』となっている。
これは、宮内大臣の李允用の評判が、益々悪くなっているため、内閣大臣が其の更迭を行う許可の話である。
李完用も兄の更迭をしなきゃならんってのは、大変だよなぁ。(笑)


で、次の史料が今回の表題のとおり、一進会の人数が記載されている史料。
1908年(明治41年)12月28日付『機密統■■1769号』。
アジア歴史資料センターの『1.政況/14 韓国地方政況ノ概要(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041514200)』である。

前半部分については、暴徒(義兵)に関する事であるので、別な機会と多くの史料を使って検証することとなると思われるため、今回は割愛。
崩し字が多くて読めないんじゃねーの?というツッコミは無しの方向で。(笑)
ってことで、12画像目を見てみよう。



 (クリックで拡大)



1908年(明治41年)12月28日の時点では、一進会の会員は80万人とされている。
合邦請願が出されるのは約1年後の1909年(明治42年)12月4日であり、このまま推移したとすれば合邦請願の会員百万もあながち嘘ではない事となる。
しかし、その間には宋秉畯の辞職と伊藤暗殺という勢力に影響のありそうな事件があり、そのまま推移したとは考えづらい。

さて、ここからが今日の本題。

良く、合邦請願の話を廻って、一進会の人数の話となる事がある。
しかし、これはかなり無意味な議論であるように思う。

まずは「会員」の指す意味である。
何をどうすれば「会員」としてカウントされるのか、全く明らかではない。
各史料における基準でさえ異なるであろう。

また、大韓帝国期においては、当ブログでこれまで取り上げて来たように、その時々の状況により、組織間の移動や組織から脱退する事が頻繁に行われていたと思われる。
合邦請願時の一進会の人数であれば、基本的には合邦請願直前の史料が必要となろう。
尤も、そのような史料にはついぞお目に掛かった事が無いが。


故に、合邦請願の話を廻っての一進会の人数の話では、「自称百万、実数不明」が正しい見解であると言えるのではないだろうか。
日韓併合については、合邦派と反対派の両極で語れるものでは無く、また一進会の合邦請願に対する反対についてもその内実は様々であるのだが、それは今後のお楽しみ。

次回は、この表の中身とそれ以降の部分について少々ツッコミを。
では。



状況を伝えるだけなので、今日もサクサク行きましょう。
前回に引き続き、アジア歴史資料センターの『1.政況/10 地方政況(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041513800)』から。


【5画像目】 【6画像目】

三.政党政派等の状況を視察するに、大韓自強会は近来一進会の勢力漸次旺盛なるを以て、地方支会より之が対抗上種々の質問を起し危惧を抱く者あるを以て、近日■の趣旨の内議を発せんと協議中なりと云ふ。

近来政界の動揺に際し、本会員にして疑惑を抱く者少なからずと雖、政権の推移変遷は固より怪むに足らず、苟も大政党として国家の休戚に任ずる者は、目前の小利に汲々として其の本領を忘却すべからず。
吾業は、初めより国権の回復・教育の普及・殖産の振興を以て自任するものなれば、各自其の意を体すべし。
小忿小争は国家に危殆を及ぼすものなり。
■機庶変画策縦横時局に処すべき方累、本会に綽々余裕あり。
各自信頼して可なり云々。



大韓自強会員が動揺するほど一進会の勢力が伸び、それに対して大韓自強会は大政党なんだから、目先のことに汲々とせず、基本に立ち返れという内議を出そうとしている、と。
組織引き締めに躍起となってますな。


【6画像目】 【7画像目】

客月中一進会支会長康参玉は、侍天教視察員と携へて江原道に至り侍天教支援会を設置し、現時■種の団体甚だ多数なるも、皆■を破り道を紊り他人の侮蔑を■く我一進会は、侍天教を設置し天理を説て民衆を指導し、以て国政の発展に資せんとの広告文を各所に掲示すると同時に、一面演説を為して人民に入会を勧誘したり。
然るに地方人民は、該会員の多数派一進会及び天道教会員の不平者なるを以て、其の支援会の設立に依り、会員たる無頼の徒の兇暴すべきを憂慮しつつあるものの如し。



侍天教と天道教については、7月29日のエントリーで若干触れた。
ここでは、江原道に侍天教支援会を設置し、広告を掲示し、演説して入会を促した、と。
しかし、この時点ではまだ侍天教はそれほど浸透していなかったようである。
天道教は兎も角、一進会の中でさえ不平者として見られていたわけで。
やはり主流派と目されているのは、宋秉畯一派だったのであろう。


【7画像目】

客月14日、京城一進会総務員鄭勝洙他5名は平安■道地方に至り、政談演説会を開き、尚ほ三和府尹及参書官に対し、一進会■■浦前支会長■一名を官吏侮辱罪として投獄したるは不当なりとの説を述べ、辞職を勧告し、尚ほ演説中にも同府尹を攻撃したるを以て、府尹其の他の職員は之に憤激し総辞職の電報を内部・法部の両大事に発したりと云ふ。


官吏侮辱罪の事実があったのかどうかは不明だが、一進会がかなり調子に乗ってるのは分かりますな。

ここでちょっと豆知識。
客月14日、つまり1907年(明治40年)6月14日は、議政府参政大臣から内閣総理大臣に呼称が変わる詔勅の出された日である。
李参政大臣から李総理に代わった日ですな。


【7画像目】 【8画像目】

東京明治学院に留学する金鴻亮外17名協議の上、平安南道平壌に大韓時事新報なる一新聞を起さんとして互に義捐金2千余円を醵出し、其の目録を曩に米国より帰還したる安昌鎬に■せたり。

6月中、京城に於て西友学会の例会を開き、曩に米国より帰韓したる安昌鎬は演説を為し、日本留学生中、有益なる団体を組織するあり。
就中会員2百余名より成立する太極会なるものありて、専ら韓国の教育及国事問題を研究しつつあり。
会員中には平壌地方に於て日刊新聞の発刊なきを概し、同地方出身の学生は協力以て学資の■分を割き、他日此の挙あるに際し補助せんと、既に金員を醵集したりと云ふ。
身海外に在る一介の学生にして、国事を憂ふる斯の如し。
吾人内地に在る者、洵に慚愧に堪へず、仍て吾会員は、今後新聞発刊の計画に尽力を望む旨を述べたり。

曩に米国より帰韓したる要視察人安昌鎬は、京城平壌其の他の地方に於て常に排日的演説を為し、韓国は由来団結力に乏しく、随て其の勢力微弱にして、常に他の抑圧に甘ぜざるべからず。
統監府及顧問制度の如きは、韓国の体面上素より其の全廃を期せざるべからざる旨を、常に演説しつつあり。



ありゃ?
8月17日のエントリーでは「ここでの安昌鎬は、安昌浩の誤記であると思われる。」と書いたが、どうやらどちらの呼び名も有り、しかも同一人物を指してるらしいな・・・。
ってことで、訂正。
しかし、安重根が共に排日演説をしたのが、安昌鎬の渡米前なのか後なのかはちょっと興味を惹く所である。

しかし、アメリカ帰りの安昌鎬、働いてますなぁ。
しかし、「韓国は由来団結力に乏しく」は良いとして、「韓国の体面上素より其の全廃を期せざるべからざる」はマズイでしょ。
体面だけかよ!みたいな。(笑)
いや、現代を見ても体面だけでしょ、というツッコミは無しの方向で・・・。


【8画像目】 【9画像目】

四.近時に於ける韓国地方官民の、帝国官民に対する感情意嚮等を視察するに、地方に依り多少の差異なきにあらず。
馬山地方に於ては、軍港経営の関係上一層帝国の実力を認識したるものの如く、現に軍港用地の買収等に付ても彼等は何等危惧の念なく、其の態度極めて静穏なり。
時に本邦一個人の経営に対し、微弱なる妨害を試みんとしたることなきにあらざるも、地方一般の感情にあらず。



馬山は、釜山郊外であり、例のロシアによって租借された場所である。
そして、軍港の近くであるが故に日本の力を認識している、と。
これが、日本寄りの考えとなったのか諦めなのかは不明であるが。


【9画像目】

全羅道地方に於ては上流社会は、概して表面帝国に親むが如く装ふも、内心韓国は日本の為奪はるるとの疑惧を抱くものの如し。
又、韓人中資本を有せざる者は、日本人に雇傭使役せられ不平を唱ふる者少なきも、資本を有する商業家は、近来日本人の続々来たりて商業を営む者多きより影響を蒙ること少なからざるを以て、不快の念を抱く者多し。



全羅道は上流社会は面従腹背。
資本が無い者は、職にありつけるため不平を言うものは少ないが、資本のある商業家は日本商人の影響が少なくないため、不快に思っている者が多いと。


【9画像目】

平安南道平壌地方の官民は、我勢力発展の急なるを見て危惧の念を抱く者あり。
殊に頑迷無知の人民は、是非の弁別なく附和雷同し、日本人を排斥するの傾向あり。



平安道の排日度合いは前回のとおり。
まして、今回は安昌鎬も頑張っているようですからなぁ。


【9画像目】【10画像目】

京畿道地方人民は、漸次韓国地方官吏の抑圧を避くるを得るに至りたるは、畢竟帝国の保護によるものなることを信ずるが故に、従て帝国政府に信頼するの程度も漸次厚きに至らんとするの傾向あり。
殊に奇異なる現象として見るべきは、曾て反逆の徒と目せられたる親日一派の亡命官にして近来日本より帰来するや、親日派と否らざるとを問はず競ふて之を歓迎し、寧ろ親日派よりも排日派に於て之を歓迎し、相接近せんとするの傾あり。
是れ、其の間に何等かの企望を有するに由るものなるべしと思料し、視察中なり。


さすがに中心地ともなると、事態をそれなりに正確に掴んでいますな。
韓国官吏の抑圧が無くなったのは、日本のおかげだ、と。

また、ここで言う帰来者とは、朴泳孝を筆頭とした亡命者の帰国の話であろう。
親日派の帰韓を排日派より歓迎するのは、おそらく政治の力関係によるものであろう。
従来の親日勢力に属さない親日派に接近すれば、官職に就ける可能性が広がるため、それを利用しようとしたと考えられるのである。
これは、奇異でも何でもあるまい。


さて、今日まで李完用内閣の成立後の状況を見てきた。
全体として、既得権益層の反感と一進会への警戒感は見られるが、基本的に李完用内閣が拒絶されているようには見られないのではないだろうか。
この後、ハーグ密使事件や皇帝の譲位を経て、軍隊の解散が行われていくのである。


李完用内閣成立時の政況(一)
李完用内閣成立時の政況(二)
李完用内閣成立時の政況(三)



休みの方が、調べ物は進まなかったりするわけで。
故に3連休が二つ続いた今週は、長文史料のテキスト化で誤魔化している節も無いわけでは無いのですが。
ってことで、史料史料っと。(笑)
今回からは、1907年(明治40年)7月31日付『機密統秘発第37号』。
アジア歴史資料センターの『1.政況/10 地方政況(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041513800)』に移る。

【1画像目】 【2画像目】

地方政況

一.韓国国債報償期成会は一時盛況に達したるも、此の醵集せし金員は、発起人其の他の役員に於て費消し、将に瓦解の運命に瀕しつつあることは客月通報せし如くにして、其の後京城に於ける醵金総合所なる団体に於て、該金募集の各団体に対し金員簿冊の検査に着手したるに、報償期成会なる一団は当初其の検査を拒みたるも、以上の非難を恐れこれを諾したるをもって、日を期し検査せんとしたるに、会員等は四散して一人の止まる者なく、これを執行すること能はざらしめたるを以て、総合所は期成会の行為を怪み、爾来同会の裏面を内定するに、その募集金額は約5万円に達したるものの如く而て、其の内金1,700余円は既に漢城銀行に預入しあるも、その余の大部分は所在明瞭ならず。
総合所が進て探求する所によれば、約3万5、6千円は同会の総務委員に於て之を支那貿易の資本金に融通し、他の8、9千円は京城商人に貸与したる形跡あり。
期成会総務委員は、其の内幕の将に暴露せんとしつつあるを以て、大に苦悶しつつあり。
総合所は頃来之が仕置きにつき熟議を重ね、一旦其の不正行為を公にせんとしたるも、目下■■旅行中なるを以て、其の帰来を待ち居るものの如し。



あれぇ?
やっぱり、梁起鐸事件に酷似してるんじゃなくて、梁起鐸事件そのものかなぁ・・・。

やっぱ、昔のように短い期間でやろうとして、史料を要約して書いてると駄目だね。
事実関係で抜けてる部分がある気がする。
今度、何かの機会にもう一度史料引用しながら出直しまする。
というか、昔の史料引用しないスタイルで書いたものは、もう一度書き直すかも。


【2画像目】 【3画像目】 【4画像目】

二.平安南道義州地方に於ける排日熱に関しては、客月通報せし如く、本年5月に於ては日本商品は一切取引を断絶せる状勢に進みたるも、近来に至り稍に挽回の状を呈せり。
而て排日の原因は、左の各項に在るものの如し。

一.義州地方人民の頑迷
義州地方の市況衰頽に陥りたる原因は、日清・日露の二大戦争に当りて、戦闘地となりたる結果なりとせり。
而て該戦争は、日本が挑発したるものにして、今日の窮状を致したるは日本人の所為なりとの妄想を抱き、自然日本人を排斥せんとするに至れり。

二.国債報償会の狂熱
国債報償会の起るや、観察使署理参書官は其の発起人となり、裁判所・検事・税務官・税務主事・普通学校■■教員共此に附和雷同し、日本の負債を償還せざれば、我邦土は日本の有に帰すべしとの激を発し義捐金を促したるを以て、之が為一層排日の気勢を高めしめたり。

三.喫烟禁止会の煽動
国債報償会と共に、喫煙禁止会なるもの起り、報償会と同様の趣旨を以て印刷物を配布し、名を喫煙禁止に籍り、日本品の購買を阻止せんと努め倍々排日思潮の波動を■からしめたり。

四.自強会の鼓吹
同会は排外主義を標榜し、各所に排日的演説を為し民心を煽動せり。

五.耶蘇教会の説教
耶蘇教会は、多数の信徒に対し国債報償・喫烟禁止の必要を説き、暗に日本排斥を嗾せりとの報あり。

六.儒生輩の行動
保守的頭脳を以て時勢を憤慨する儒生輩は、日本人を見ること讐敵の如く、種々の浮説を放て人心を攪乱し、日韓民の親善を妨げり。

七.府尹の言動
府尹は赴任当時にありて民心を迎へんが為、専ら排日的言動を以て部民に接し、地方人民就中儒生輩の歓を買へり。
此の言動は頗る部民の排日思想を助長せしめたり。

八.日本居留商民の態度
日本居留商民は、守備隊及郵便局員等邦人のみを顧客とし、韓人の需用に適する物品を販売せざるのみならず、偶々韓人の来りて物■を購入するときは、頗る高価に売付ることあり。
設し之を定価に販売するも、其の需用最も多き巻煙草の如きは、清国製に比すれば遙に高価にして、自然此を清国商店に求め、日本商品は従て高価なりとの感想を与へたるは、日本商品を購求せざる一固なり。



国債報償会・喫烟禁止会・自強会・キリスト教会・儒生・韓国官吏。
反日オールスターだな。(笑)
しかし、日本商人も何やってんだか・・・。


【4画像目】 【5画像目】

排日の原因は、以上の各項に存ず。
而て府尹は近来に至り態度一変し、屡々告示を発し日韓の交誼を説き、排日の誤■を■し、専ら其の融和に努むるに至れり。
彼が這般の態度に出でたるは、内閣の更迭と時勢とに■みる所あるべしと雖、新義州在勤■理事官が同府尹を引見し、其の■下韓民中、徒に排日主義の鼓吹に雷同するも之を戒飭せざるのみならず、韓人中偶々必要に迫られ日本人商店に■き物品を買求めんとする者あれば、頑民等は店頭に立ちて罵詈侮蔑の言を以て之を妨害し、又は頑民など白昼衝路に於て排日不穏の演説を為す者あるも、之を禁制するの手段を講ぜざる■、其の不都合を■したるに、同府尹は爾来非常に排日党と称せらるるを忌むものの如く、連りに府令を発して人民を戒告し、其の態度を一変するに至りたるものの如し。



府尹は、取りあえず自分の保身を考えねばならないですからなぁ。
まぁ、切り替えも早いのですが。

しかし、日本商人もアレなら排日派もアレですね。
日本商人の店に韓国人が物を買いに来たら、店頭で罵倒して妨害って、粘着っぷりは変わらないようで。(笑)


【5画像目】


一般人民も亦前叙の如く稍々排日熱を滅したるが如くなるも、近時排日熱学校に波及し、日本人学■の下に専ら日語を■援せる義州求是学校は、一時生徒3、40名を有したるも漸次退校し、当時僅に13名在学するに過ぎず、其の他の日本■■を傭聘、新設したる公立普通学校の如きも、入学者に比すれば退校者の数多し。
而かも其の入学者は下流の者にして、上流社会の指定は絶■なり。
反此排日派の設立に係る学校は、近来生徒増加の傾向あり■。
尚小道京上面李家凞■数名の発起に係り、■村聖廟所在地に開設したる夜学校は、目下学生60余名あり。
専ら日本語を■■し追々■況を呈せり。
然るに此の進運を忌み旧慣を墨守する儒生輩は、之れが排斥を企て、異国語学校を聖廟地に設くるは、■■の吾史子に対し■■に堪へず、宜しく之を他に移■せしむべしとの激を配付し、多数の同志を招集し協議する所あらんとせしを以て、韓国■■署に於て■■したるに、反省する所あり、募■を中止したり。



うーん。
久しぶりに穴だらけ・・・。(笑)
1907年も半ばを過ぎても、やはり儒生は力を持っていたんですなぁ。


ということで、ここまではあんまり面白くなかったね。(笑)
今日はこれまで。


李完用内閣成立時の政況(一)
李完用内閣成立時の政況(二)



前回取り上げた部分は、新内閣成立前の状況という事になろう。
今日はその続き、成立後の状況から。
史料は勿論1907年(明治40年)6月22日付『機密統発第33号』。


【4画像目】 【5画像目】

四.韓国新政府組織に関し、各地方官民及重なる政党政派の意嚮動静を視察するに、一般人民は概して冷淡にして、殆ど何等の感想なきが如し。
然れども、上流者亦は官吏に在りては多少の意嚮なきにあらず。
今之を地方別に挙ぐれば左の如し。





京幾道地方
人民に在りては、前政府各大臣は私利是れ事とし、終に売国の賊臣と称せらるるに至れり。
其の顛覆や寧ろ遅し。
新政府の各大臣は元と其の位置卑く、位三品より一躍大任を担ふが如きは殆ど空前の異例に属す。
而かも概して文明的才幹を有し且つ比較的正直の者多きを以て、施政の改善期して望むべしと唱ふる者あり。
或は、平常氷炭相容れざる守旧派の任内相と、急進派たる宋農相と相並で入閣するが如きは予期せざりし所にして、是を以て新旧両派の連合内閣と観察す。
而かも此の内閣は統監監視の下に成立したるを以て、其の為政方針の如きは端倪すべからずとし、今後の形勢を窺はんと唱ふる者あり。
又、官吏に在りては、上級の官吏等は新政府の系統より打算して、地方官吏に大更迭あるべきを予想し、或は自己権勢の消長と地位とを顧念する外、国家の利害に鑑みて新政府の施政方針を云為する者甚だ冷淡にして、何等感想として視るべきものなし。



売国の賊臣って、朴斉純内閣もえらい言われようだな・・・。

李完用内閣については、好意的に見る向きもあるものの、概ねお手並み拝見といった所だろうか。
しかし、任善準って守旧派だったのか。
李完用も、組閣に当たってかなり考えたのだろうなぁ。


【5画像目】

平安南道地方
民間の感想は甚だ冷淡なり。
官吏及耶蘇教信者の重なる者は、新内部大臣に格段なる手腕なかるべしと批評し、又統監監視の下に組織せし新政府は、其の組織上の関係に於て重要なる問題伏在しあるべしと云ひ、尚ほ一進会の跋扈するあらんことを懸念するものの如し。



ここでも任善準と宋秉畯の話題。
しかし、任善準についても否定的見解である。
そして、より大きな問題は一進会に関する件であると。


【6画像目】

慶尚北道地方
人民は、新政府は統監府内閣にして、一に統監府の頤使に甘んぜざるべからざる関係あるを嘆しつつあり。
又、官吏は此の際、地方官吏の大更迭あるべきを予想し、自己の地位を悲観するものの如し。



慶尚北道においては、ペシミズム一色。(笑)


【6画像目】

全羅道地方
人民は格別の感想なく、唯正三品の人大臣に任ぜられたるを異例なりとし、一進会が横暴を極むることあらんを予想し、心中自己の地位を憂慮せり。



しかし評判悪いなぁ、一進会。
これ、単に親日派だというだけでは説明つかないのではないだろうか・・・。


【6画像目】

忠清北道地方
人民中、親日派は之を歓迎し、排日派は之を喜ばざるが如し。
又、官吏は口に歓迎の意を表しつつあるも、内心自己の地位を憂慮せるものの如し。



えーっと、忠清北道はかなり普通な反応。
リアクションに困る。(笑)


【6画像目】

慶尚南道地方
人民中、上流に在る者は新政府を目して三品内閣なりと冷評するも、多少時勢に通ずる者は人材を得たりと称し、官吏は自己の地位擁護に汲々たるものの如し。



三品内閣・・・。
ENJOY Koreaで、「どさんぴん」はウリナラ起源とスレッド立ててみようかな?(笑)
いや、逆に年齢がばれるかもしれないな・・・。


【6画像目】 【7画像目】

江原道地方
一般人民に在りては、新大臣は日本の事情に精通せるを以て、韓国将来の発達を期し得べしと為し、且つ日本語研究は韓人今後の急務たるを感ぜりと云ふも、内心に於ては如斯政府を組織せしは日本の政略なりと思惟せるが如し。



内心の話は兎も角、他の地方に較べれば好意的な反応ではある。

今回の冒頭の通り、各地方とも概ね一般人民は傍観状態、官吏は戦々恐々だったようである。
これ、きちんと分析したら面白いかもしれないなぁ・・・。

さて、続いては各政党政派の受け止め方である。


【7画像目】


政党政派の意嚮動静
一進会は、自派の首領たる宋秉畯が農商工部大臣となりたるを以て之を機とし、近来衰運に傾きたる勢力を挽回せんとし、各地方に演説会を開催する等、一旦衰微に傾きたる同会の勢力も今や漸く回復せんとするの状あり。

自強会は、曩に朴参政大臣の辞職するや、殆んど其の瞬間に各部大臣の更迭行はれたるを以て、事の意外なるに驚き、同会に関係ある本邦人の如きは、退韓処分を受くるに至るべしとの風説頻りに伝へらるる等、其の気勢挫折したるものの如し。

西友会は、李根澤其の黒幕となり、鄭雲復及安昌鎬等を使嗾し現各部大臣を攻撃し、離間中傷頗る苦肉策を施し、我対韓政策を妨害せんとしつつあるものの如し。



一進会は浮かれてますな。
そして宋が入閣した事で、勢力も回復しつつある、と。

大韓自強会は取りあえず驚き、何故か同会に関係ある本邦人、恐らくは大垣丈夫が退韓処分を受けるだろうという噂が流れて、意気消沈。

西友会は、8月16日のエントリー等に見られるとおり、西北学会の前身の一つである。
李根澤は、宋秉畯入閣の最初で取り上げたように、朴政権時の内閣改造で去っていった人物であり、当時の学部大臣であった李完用が「李根澤の内閣を去りたるは閣員の調和を保つに都合宜しき」と述べているあたり、もしかしたら李完用とそりが合わなかったのかも知れない。
いづれにしろ、黒幕が李根澤である事が事実ならば、政争の一種、猟官運動の一つということになろう。


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五.韓国地方官民の帝国官民に対する感情を視察するに、素より一ならずと雖之を大別すれば、(甲)は、自国の貧弱は到底帝国官民に反抗すべからざるを自覚し、寧ろ多少の圧迫を忍ぶも其の保護に依りて安全を図らんと欲し、帝国官民の指導談議を甘諾しつつあり。
而して帝国官民の集合多き場所程、其の監視と自然の同化に因りて此の趣向の著しきを見、又帝国官民も従前に比すれば韓人に対する態度を変じ、日韓人間の紛擾等少なし。

(乙)は、或は自国の占領せられんことを恐るる者、或は地方制度改革の結果罷免となり糊口に窮する者、或は官職に在るも私利を営むの余地追々減縮せらるるを以て、機会あれば暗に徒党を煽動して帝国官民に反抗せんとする者等、則ち守旧頑迷の徒、無産無頼の輩にして、多くは交通不便物産寡少、内は衣食に窮し、外は文明の刺激を受けざる山間僻在の地方に之を見る。
而して、此の山間僻在の地方に在留する帝国官民の数は甚だ少なしと雖、其の一挙一動は上下韓民の注意する所にして、同化力に至大の関係を有すること勿論なるが、動もすれば韓民に対し強圧横暴を逞ふし、為に良民の嫌怨を買ふが如き本邦人あるは往々耳にする所なり。
此の輩に対しては、帝国地方官憲に於て常に取締を為しつつあり。



ここでは、韓国人の日本人に対する感情として甲、乙に大別しているが、中身を見ると、単純に利害関係からくる行動様式の差違である。
親日派・排日派という分類において、身分の高い者のほとんどは、この利害関係が行動様式の決定基準になっている。
勿論、崔益鉉のように断髪令に断固反対するような儒生もいたのだろうが・・・。
そして、親日派にしろ排日派にしろ、それら利害関係のある者達が一般韓人を煽動する事によって、様々な騒擾を引き起こしていたのではないだろうかと思うわけである。


次回からは、前回「この後の報告について見るに、梁起鐸事件に酷似している」と書いた史料の方を見ていこう。
今日はこれまで。


李完用内閣成立時の政況(一)



この辺りで、李完用内閣成立後の政治状況について見てたい。
時期的にはハーグ密使事件の直前に当たる。
史料は、1907年(明治40年)6月22日付『機密統発第33号』。
アジア歴史資料センターにおいては、『1.政況/8 地方政況(統監府政況報告並雑報)(レファレンスコード:B03041513600)』である。
この史料は、hitkot氏による国債報償費の調査にも引用されているが、今回は全文をテキスト化してみよう。

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地方政況

一.慶尚北道大邸に廣文社なる団体ありて、各国の書籍を販売し、同地方の儒生等は多く同社に関係を有する趣なりしが、本年3月中、同社長金光済外19名発起となり民議所なる結社を組織し、日本に対する国債1,300万円を返還するの目的を以て同盟、喫煙廃止を主唱し、各道に趣意書を配布したり。
趣意書の要は、韓国は今や日本より1,300万円の借款あり。
而も此の如く巨額の金員を費消して、其の成績の見るべきものなし。
若し此の勢を以てするときは、借款に重ぬるに借款を以てし、殆んど底止する所を知らざるに至るべし。
而して韓国現在の財政は到底之を返還し難きを以て、韓国の領土は借款の為、遂に日本の有に帰するや必せり。
故に日本の借款を返還するは、韓国刻下の急務にして亦忠愛なる国民の義務なり。
而して其の方法は、同胞2,000万人の喫煙を廃止し、1ヶ月の消費高1人20銭とせば3ヶ月にして優に1,300万円を返還するを得ん。
若し之に充たざるときは、有志各分に応じ義金を寄附し、速に借款を返還し、国土の維持を図らんとすと云ふに在り。



これが、6月18日のエントリーにおいて、「これ、全く一時の情熱に狂奔する輩の軽挙にして、此状態が永続すべしとは思はれざる」と言わしめた国債報償運動に関する話である。

というか、6月18日のエントリーで取り上げた1907年(明治38年)3月2日付『第48号』から、3ヶ月が経ってるんですよねぇ・・・。
1ヶ月の消費高1人20銭とせば3ヶ月にして優に1,300万円を返還するを得ん」とわざわざ書くのは、嫌味か?と。(笑)


右は、国債債還に名を籍り排日主義を鼓吹せんとするか、又は私利を貪らんとするものと思考せらるるを以て爾来其の状況を視察するに、同趣旨に賛成する者頗る多く、政党政派中京城に於ける一進会を除く外、天道教会、自強会、西友会等の各派、韓国各新聞記者及官吏等之に同意を表し国債報償義務社なるものを設立し、更に趣意書を配布し加盟を勧誘したるに、之を賛する者京城を中心として各地方に及び資産家より労働者に至るまで応分の義金を醵出する者多く、尋て国債報償連合会議所と称し、議長以下役員を置き、規則を制定し、各地に演説会を開催し、吸烟の廃止を勧誘したる結果大に加盟者を増加し、喫烟を止むる者亦少なからざるに至りたり。
就中義州地方に於ては、重に耶蘇教信徒の奔走勧誘に依り、一時は其の勢力熾にして本邦人の経営に係る韓人向の烟草製造に打撃を与へ、製品の販路を失ひ休業する者あるに至り、又雲山地方に於ては金鉱会社副監督米国人ケーレン及同会社会計役バ子ス等は、裏面に於て声援を与へたりとの風説あり。
其の他各地の外国人宣教師中にも、往々暗に声援を与へたる者ありとの説ありし。



一進会以外の天道教会、自強会、西友会、韓国各新聞記者及官吏、キリスト教。
ほぼ網羅されてますなぁ。
というか、それでいて結果が次の通り。


一時は喫煙を廃し金員を寄附する者少なからざりしも、之れ一時の流行に過ぎずして、表面之に賛成し、裏面に於て喫煙を為す者続出するに至りたるのみならず、韓国官民の状態として、発起者・役員等に於て醵金を費消する者亦少なからざるに至りたり。
現に、本年4月末日迄の集金高、韓国各道を合して16万4千2百余円に達したるも、該金員は何人か之を費消し現存せずと云ふ。
右の如き状況なるを以て漸く破綻を来し、之を賛するもの亦漸く減少し、今や衰滅に傾きつつあり。



3月29日のエントリー以降それなりに調べてみたのだが、1907年(明治40年)6月の段階で表出化している事件は無いようである。
現段階では、恐らく「云ふ」の通り、当時流れていた噂の域を出ないのではないかと考えている。
但し、この後の報告について見るに、梁起鐸事件に酷似しているのだが・・・。
しかし、実際には1年のタイムラグがあり、今後更に調査する必要があるだろう。
まぁ、梁起鐸事件後、関連した調査によっても、国債報償金の使い込みはそこかしこで散見される有様だったのだが。

いづれにしても集金状況を見るに、国債報償運動があっという間に退潮を迎える事だけは確かなようだ。

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二.韓国官民は、帝国諸般の施設経営を以て、其の独立を侵害するものと誤認し、内心之を喜ばざる者多く、常に日本朝野の議論又は些細なる事件にも視線を注ぎ、疑心暗鬼を生じ、浮説流言を伝へて人心時に安んぜざるものあるが如し。
曩に東京早稲田大学討論会に於ける韓国皇帝問題は、漸く各地方に伝わり、韓人一部の激昂する所となり、中には12、3歳の年少輩にして出題者の姓名を手帖に記載し、其の他種々の方法を以て之を記憶に存せんとする者あり。
又は学校生徒にして、論文を新聞に寄するあり。
或は檄文を各地に送りたる等、各地方の人民をして一時浮説流言に迷はしめたるが如き状ありしのみならず、一般人民の感情を害したること少なからざりし状あり。



この東京早稲田大学討論会に於ける韓国皇帝問題とは、1907年(明治40年)4月3日発行の大韓毎日申報に掲載された記事で、討論会で韓国皇帝に対して華族の称号を奉呈することの可否について議題に上がり、このために韓国留学生が怒って全員退学したというようなものであった。
伊藤は当時の朴政権に対しては、誤報である旨及び無責任な書生の空論を一々歯牙に懸けるなと説示したとされている。

これが事実なのかデマなのかは不明だが、討論というもの自体の日韓の感じ方の差異は、現代でもENJOY Koreaにおいて感じる事ができるかもしれない。(笑)

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三.過般来排日運動各地に起り、我国人を嫌忌し、我国の製品を排斥するの傾向を生じ、就中平安北道義州方面に於ては頃日商店は一切日本製品の取引を為さざる規約を結び、従来日本人と共同したる屠獣営業者は、韓人専用の屠場を建築する迄屠獣せざるを約し、市場に獣肉の販売者を見ざるに至りたるを以て、韓国官憲に注意し専ら人心融和の法を講じたる結果、其の規約を撤回し、漸く商況の円満を見るに至りたり。


不買運動ですな。
というか、これって普通に商行為が為されていたという事だよなぁ。
搾取は何時から始まるのだ?(笑)
しかも韓国官憲に注意して人心融和の法を講じたら、規約も撤回されて円満解決した、か。
何だかねぇ・・・。


さて、次からがいよいよ新内閣成立後の状況が記された部分になるのだが、長くなったので次回に持ち越し。
今日はこれまで。


大韓自強会

テーマ:

さて、何故これまでHIT数が激減しようとかまわずに(笑)、しつこく一進会関係の流れを追ってきたかといえば、勿論合邦運動の解説を最終目的として、そこまでの背景説明の部分が大なわけです。
そして、反対に合邦運動において一進会を声討したという、大韓協会の背景にも迫っておきたいな、と。
何か、益々読者離れが進みそうですが、元々マニア向けだから良いか、と開き直ってみたり。(笑)

8月29日のエントリーにおいて、尹孝定が共進会→憲政研究会→大韓自強会→大韓協会と設立していったと述べた。
あまりに遡っても仕方ないと思うので、まずは大韓協会の前身である大韓自強会のお話から。

しかし、今回中々良い史料がないんだよなぁ。
と嘆いていても仕方ないので、皇城新聞の記事から抜粋していこう。
皇城新聞は張志淵が社長であり、彼は大韓自強会にも参加していた事から、一種の広報の役割も果たしていたと思われる。

まずは、大韓自強会の成立である。
1906年(明治39年)4月3日の『皇城新聞』に「大韓自強会設立」という論説が載せられた。
近日、有志紳士諸氏によって大韓自強会が作られ、その目的は教育の拡張と産業の発達を研究実施することにより、自国の富強を図り、独立の基礎を立てるというものであったという。
成立はこの様に、現在大体でしか分からない。
ハッキリと書かれた史料があったら、そのうちに。

その約2週間後、4月16日の同じく皇城新聞によれば、14日午後2時に尹孝定の家を臨時事務所として臨時会が開かれ、会員67名が集まり役員を決定している。
結果、会長に尹致昊、評議員に張志淵・朴珍洙・沈宜性・南宮薫・林炳恒・朴勝鳳・尹孝定・李相天・金相範・李源兢、幹事に安秉瓚他8名。
そして、顧問となったのが大垣丈夫であった。
うーん。
この頃から関係してたのね。

ということで、ここでアジア歴史資料センターの『12 陳情書 1(建言雑纂 第一巻)(レファレンスコード:B03030229100)』、1911年(明治44年)1月12日付けを見てみよう。

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陳情書

凡そ士の世に処するや、先づ自己の長所短所を自覚し、其長所の方面に於て国事に尽瘁すれば、必ずや国家に貢献するの分量を多からしむべし。

小生は、嘗って朝鮮支那の研究に興味を有し、聊か造詣する所あり。
偶々日韓協約の成立して保護関係の定まるや、大官にして憤死する者あり。
有志者にして大道演説を為す者あり。
当時著しく排日思想の勃興するを見るや、故伊藤公爵に陳情し、其許諾を得て乃ち渡韓し、大韓協会と称する政社を組織して其顧問と為り、同国読書の士、有志の輩、所謂排派を網羅して軌導を脱せしめず、漸次指導すること茲に6年に及べり。



昨日言及したのと同様に、この陳情書もほぼ猟官運動と言っても良い為、全てを信じる事は出来ない。
前述の皇城新聞から見るに、実際には、大韓自強会と大韓協会の顧問として5年ということになるが、渡韓していきなり顧問というのも難しいであろう。
日韓協約の成立が1905年(明治38年)11月17日であり、その暫く後に渡韓したであろう事を考えれば、準備期間を含めて6年というのは妥当であると考えられる。

以下は合併後の話になるが、一応掲載しておく。


朝鮮併合後、政社の一并に解散せらるるや、其柔順にして何等の騒擾なきのみならず、組織の当初より解散の結了に至るまで、曽って一人の犯罪者を出さざりしは平生に於ける小生苦心の効果なれば、帰京の翌日之を故公爵の墓前に奉告したり。

夫れ、小生の韓人に対するや、先づ同上して慰安を与へ、然る後其同情者として之を戒諭し、以て漸次其誤解を正したり。
蓋し均しく戒諭するにしても、能く朝鮮を了解し、能く彼等の気質を会得し、其病根を指摘して世の事理を明示するにあらざれば、彼等は無智と雖も容易に首肯せざるを常とす。
故に彼等の能く小生の言に聴き、能く小生の指導に信頼したるは、唯小生が幸に彼等に対する呼吸を呑込み居りたるが為めのみ。
又、前代各統監より朝鮮国情に就き時々御下問を受け、或は調査事項を御参考の資料として時々奉呈したるは、小生の立場が之を知るに便宜の多かりしに由るのみ。



朝鮮の国情に就いての下問は、内田のように嘱託でなくとも行われていたのだろう。
まして、9月10日のエントリーの記載にもあるとおり、曾禰荒助が大垣丈夫と親交があれば十分有り得る話ではある。


抑も今や平穏に且つ確実に併合の実行を見たる以上は、小生等の如き口と筆との人を要せず、所謂真面目なる農工商者の渡韓を奨励すべきに付、小生は其事由を当局に告げ、若干の慰労金を拝受して併合後一時帰国したりと雖も、由来清韓に関する研究を為したる身を以て、清国の情勢が今日の如く其険悪なるを見るに至りては、寧ろ自己の長所に於て国家に貢献するは、清国の方面に在りと思惟し、此際渡清して政党の組織に助力し、民心の誤解妄想を漸次矯正すること6年間、朝鮮に於て相働きたるが如くして、遂に彼等を我帝国に信頼せしめたき希望を抱懐す。
蓋し此事たるや身微にして、任甚だ大なるが如しと雖も、我が在韓中の演説及び誌文が往々清国新聞紙に転載せられて、彼地に卑名を知る者鮮からざるのみならず、曽って親交ある相当の人物も亦た之あり。
旁々私かに工夫考按あれば、必ずや素志を貫徹せんことを期す。

憶ふに貴官は前途有為の資を以て、現に政務局長たり。
而かも先年小生の渡韓に対する、故伊藤公爵の御口達を伝へられたる縁故もあれば、幸に此志望を容認せられて、更に次官大臣両閣下に御上申あらんことを希望す。
又、北京駐在帝国公使へ御添書あらば、本懐之に過ぎず、夫れ渡清後民心指導に関する具体的方法手段は追て申告すべしと雖も、兎に角終身の事業として彼土を墳墓の地として、帝国の為め思慮ある運動を為すべきを誓ふ。
是を以て、謹んで陳情書を呈す。
敬白



この文書だけ見ると、何か日本の特殊工作員のようにも見えるね。(笑)
誤解されるとまずいので、ここで伊藤統監から鶴原総務長官への1907年(明治40年)9月13日発『来電第38号』を見ておこう。


曩に帰朝したる大垣丈夫は、国債報償会の募集金25万円を以て、統監府の承認の下に一の銀行を設立せんことを企図し、大岡育造を経て本官に面会したしと申出でたるに依り、本官は其の計画を是認する能はざるを説示し、面会を拒絶せり。
警視庁の報告に依れば、大垣は昨12日午後、当地出発。
再び渡韓せるが、出発前同人は、其の希望を本官の峻拒したるを憤慨し、自強会を煽動して排日運動に着手すべしと唱へ居たる由。
同人の挙動に付、注意あるべし。



大岡育造は、後の衆議院議長であり立憲政友会の大岡育造だろう。
どういうツテを持っているのだろう?

しかし、国債報償会の募金25万で銀行設立を企画し、断られて逆ギレ。
ま、所詮大陸壮士ですな。
今のアジア的優しさに溢れた人や、アジア連合大好きな人達に近いように感じたり。(笑)

さて、巷間の記述によれば、大韓自強会は高宗の退位に関して激しい反対運動をなし、保安法の適用を受けて1907年(明治40年)8月19日に強制的に解散させられたとされている。
そして、大韓協会の設立は1907年(明治40年)11月17日とされているのだが、これだと話が合いませんな。
しかも、25万って大韓毎日申報の集めた募金総額17万より多い・・・。
大韓自強会の解散及び大韓協会の設立、国債報償金に関する件は、未だハッキリした史料が見つかっていないので、判断は保留しておこう。
というか、強制的に解散させられたという話だけで、何に基づいているのか見つからないって何よ?(笑)



 (大韓協会設立時のものとされる写真)


他に大韓自強会で見つけられた史料は、残念ながら9月13日のエントリーでの倒閣運動に名を連ねている事、及び国債報償運動に関連して名前が出てくる事くらいである。
今後も大韓自強会の調査は継続していくが、まぁ今後取り扱う予定の大韓協会の話じゃないから、いっか。(笑)