歴史教育

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文科相、歴史教科書関連でまた「妄言」

中山大臣は29日、宮崎県で行われた行事で「自虐的な教科書がすごく多い」「日本が過去に悪いことしかしてこなかったと書かれた教科書が日本に多い」と話した。この席で中山大臣は「今後は失言するまいと思うが、実は失言したい」と発言した。



日本・文部科学相「自虐的な歴史教科書がいっぱい」

日本の中山成彬(62)文部科学相が、「(日本の歴史教科書には)自虐的な教科書がいっぱいある」と発言した。

中山文部科学相は29日、宮崎県で開かれた自身の大臣就任祝賀会のあいさつの中で、「日本が悪い事をしたという教科書が多い」として、このように述べた。

同相はあいさつで、妄言の波紋を意識したかのように、「もう失言はしないようにしようと思っている」と言いながらも、「本当は失言したいんです」と述べ、意図的に計算された発言という疑惑を生んだ。



日本の教科用図書検定基準には、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定が存在する。
通常、近隣諸国条項と呼ばれるものである。
義務教育では社会科(「地図」を除く)の中に、高等学校では地理歴史科(「地図」を除く)に適用されている、誤報が発端となった、阿呆な条項である。

これ以降、中国なり韓国なりが、平気で日本の歴史教育に口出ししてくるようになったのである。

さて、ここで中山大臣の発言である。
曰く、「自虐的な教科書が多い」
曰く、「日本が過去に悪いことしかしてこなかったと書かれた教科書が多い」
当たり前である。
近隣諸国条項があるのだから。

自衛のための戦争という意見よりは、ひたすら侵略者、悪者にする意見の方が多くなるのは当然であるし、東アジアや太平洋地域の発展のための基盤整備という側面については、全く触れられない事すら多いわけである。

事実を事実として発言した場合、何が問題になるのだろうか?




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二週間近く経ってからの付記というのも恥ずかしいが、1月18日のエントリーに関して付記しておく。

韓国はサンフランシスコ講和条約において、戦勝国となることができず、戦時賠償を受け取る権利は無い。
従って同条約4条に基づいて相互賠償となるわけであるが、これを行った場合、半島に大量の投資を行い、インフラを整備した日本側の受け取る金額の方が圧倒的に多くなる。
故に協定において、日韓両国とその国民の請求権を消滅させ、「請求権」でも「賠償」でもなく、「経済協力」を行ったのだ。


この部分において、補足しておく。

韓国の対日請求権の根拠である、サンフランシスコ平和条約第4条は、戦勝国の賠償請求権とは区別される。
韓国はサンフランシスコ平和条約の調印当事国として参加できず、従って平和条約第14条の規定に依る戦勝国が享有する「損害および苦痛(Damage and Suffering)」に対する賠償請求権を認定されることができなかったのである。

そこで、ハーグ陸戦法規46条に基づいて、原権利者に「報償請求権」が残っているとして、当然日本の民間財産の請求権も存在するということなのである。
 
 
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強制動員は800万人

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日帝強制動員被害の申告、来月から受付へ

今年2月1日から約800万人と推算される日帝強制動員被害者に対する申告と真相調査の申し込みを、日帝強占下強制動員被害真相究明委員会と市、郡、区の請願室などで一斉に受け付ける。

日帝強占下強制動員被害真相究明委員会は27日、日帝当時の1931年9月18日から太平洋戦争に至るまでの時期、日帝により強制動員され、軍人、労務者、慰安婦などの生活を強いられた人や、その親類を対象に、今年6月末までの5か月間、被害申告と真相調査の申し込みを受け付けると明らかにした。

(以下省略)


韓国国会において、2004年2月13日に可決された「日帝強制占領下強制動員被害真相究明等に関する特別法」に基づく措置であろう。

しかし、この特別法にすら定義されていない「強制動員」とは、何を示す言葉であろうか?

「朝鮮人強制連行」という言葉であれば、それを一般に広げたという点においては、1965年5月に出版された朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』という事になるのだろう。
2004年1月に行われたセンター試験「世界史」の問題に出され、物議を醸しだした事も記憶に新しい。(これは、現在も係争中である)

ご承知のとおり、この「強制連行」という言葉は、実態とはかけ離れた、「奴隷刈り」というイメージを植え付けるプロパガンダに、大いに役立った。

この「強制連行=奴隷刈り」という考え方はその後、研究の深化と共に否定され、それに伴って「強制連行」論者は逃亡するかの如く「強制『性』」への拡大解釈に向かい、山田昭次に至っては、暴力的連行や法的強制力以外にも、(a)経済的窮迫や向学心、(b)日本に行けという警官や面役人の圧力、(c)進路の幅が労務動員か軍属・兵士の軍事動員に狭められた結果としての応募、(d)皇民化教育による精神的拘束によるものまでが、強制連行としているのだ。
しかしこれでは、自由に希望して来日した人も強制連行されたことになる。

いずれにしても、従来「朝鮮人強制連行」として論議されていたのは、最大限拡大解釈をしても、国民徴用令以降の1939年9月の「自由募集」、1942年の「官斡旋」、1944年9月「徴用」、「徴兵」であったのである。

「強制動員」に話を戻そう。

さて、800万人という人数から見ると、実は最も近いのは、北朝鮮の主張である「日本が840万人の朝鮮の人々を軍人や労働者として強制的に徴発した」なのである。

北朝鮮は、「日本が行った戦時期の動員政策は、全ての朝鮮人にとって堪えがたく、強制されたもの」であり、「一般的な労働者としての動員も、軍要員も、軍人にしたことも、朝鮮外の労働現場に配置したことも、朝鮮内の軍需工場や土木工事現場で働かせたことも全て」を強制動員としているのである。

朝鮮新報2003年2月4日に、『労働新聞が新たに指摘-「日帝が強制徴発した青壮年数は840万人」』という記事がある。
それによれば、840万人の内訳は、強制徴兵者の数は陸軍(「志願兵」)が1万7,664人、陸海軍(「徴兵」)が24万847人、「学徒兵」が4,385人、陸海軍(軍属)が15万4,186人で、強制徴用者の数は778万4,839人、日本軍「慰安婦」は20万人だそうである。

これは、ほぼ朝鮮日報に記載された数字と同数になり、恐らく推定されている800万人の元になっているのは、この北朝鮮の主張なのであろう。

満州事変以降の朝鮮外の労働現場、朝鮮内の軍需工場や土木工事現場で働いた者は、全て強制。
笑える話である。

さて、ここで問題です。
全ての人数の言い分が、正しいものだと仮定します。
韓国内の強制動員者の届け出がなされ、その認定者数が朝鮮日報の報道通り800万人に到達したとすれば、北朝鮮の強制動員者数は、何人になるでしょう?
 
 
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敬愛するkimura兄さんのブログにおいて、興味を惹かれる記述があったので、少し自分なりに考察してみる。


興味を惹かれたのは、戦時における文民の保護に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(第四条約)(以下、ジュネーブ条約)に関する記述である。
既にkimura氏のブログ上で否定されている事ではあるが、別の視点から日韓の場合について反駁してみたい。

もちろん、私は法律の専門家ではなく、その道の方が見れば、腹を抱えて笑い出すかも知れない事は、前もって記述しておく。


kimura氏のブログ上において扱われているのは、、戸塚悦郎氏の主張である。
始めにサンフランシスコ平和条約による戦勝国の『請求権放棄』について語り、その後ジュネーブ条約により『被害者の権利放棄』は禁止されていると論じており、氏の主張として根底にあるものは、『被害者の権利放棄』という問題であろう。


さて、日韓の国交回復に係る一連の文書について法的拘束力を持つものは、18日の日記にも書いたとおり、条約法に関するウィーン条約の31条、32条に規定される。

即ち、請求権に関連する該当文書は、日韓基本条約の関係諸協定,日韓請求権並びに経済協力協定(以下、日韓協定)、日韓請求権並びに経済協力協定,合意議事録(1)日韓請求権並びに経済協力協定,合意議事録(2)になるであろう。

さて、日韓協定の第二条一項において両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び、利益並びに、両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、サンフランシスコ平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることが確認されている。

そして、三項において、片方の国・国民が、もう一方の国・国民に請求権を主張することはできないとしているのである。

合意議事録(1)を見てみよう。

2 協定第二条に関し,
(e)同条3により執られる措置は,同条1にいう両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題の解決のために執られるべきそれぞれの国の国内措置ということに意見の一致をみた。

以上の事が、何を意味するであろうか。
そう。
日韓協定においては『お互いの国・国民に請求する権利』について解決されたのであり、『被害者の権利は放棄されていない』のであり、それは、それぞれの国の国内措置により解決するのである。

つまり、慰安婦や徴用による賃金未払いの者等は、韓国政府に請求すれば良いだけなのではないだろうか?


意図的にかどうかは知らないが、最初にサンフランシスコ平和条約においての『請求権の放棄』を取り上げ、その後日韓協約についても『被害者の請求権の放棄』であるかのように論ずることによって、ミスディレクションを誘っているように思えてならないのであるが、いかがだろうか。
 



1月28日、自らの知識不足を恥じつつ補足。

1965年12月17日付けで、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」というものが公布されていました。

つまり、国内法により請求権は消滅していたのでした。

もちろんこれは日本の国内法であり、対外的、つまり大韓民国との請求権について、上記の論旨を崩すものではありませんが、補記しておきます。(恥)

 
 
 
第2次「慰安婦」論争として 山田孝男(編集局)

NHKと朝日新聞のケンカは「番組に対する自民党の圧力」問題と「番組制作上の歴史認識」問題の二重構造になっている。

(中略)

問題の特集番組「戦争をどう裁くか/問われる戦時性暴力」(01年1月30日、NHK教育テレビで放映)のビデオを見たが、「圧力」を経た修正版にもかかわらず、「従軍慰安婦」の取り上げ方に危うさを感じた。
92年1月、朝日新聞は「朝鮮人慰安婦募集に日本軍関与」の大報道を展開、直後に訪韓した宮沢喜一首相が盧泰愚(ノテウ)大統領に謝罪した。
日本軍による慰安婦「強制連行」を糾弾する動きは相変わらず根強いが、強制連行を否定する実証的な反論も出ている。
90年代の慰安婦報道と日本政府の謝罪が、日本に「性奴隷」(海外ではsexslaveと報道)制度が存在したかのような誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い。

今回の騒動の本質は第2次「従軍慰安婦」論争ともいうべきものではないか。
前回は朝日が火を付け、大半のメディアが同調した。
今回も火付け役は朝日だが、 メディアは自民党糾弾の一本調子で足並みをそろえてはいない。
「圧力」を描く朝日報道の細部にはリアリティーがあるが、決め手に欠ける。(編集局)



記事を読んで、一番に思ったのは、「お前が言うな」ではあるのだが、内容は正鵠を得ている。

日本で初めて「従軍慰安婦」なる造語を作り出し、検証もすることなく書かれた本により、韓国が、慰安婦と挺身隊を(わざと)混同させる原因を作った千田夏光。
軍の命令で「挺身隊」として、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体験」を証言し、後に軍の命令系統から本人の経歴まで、全てが嘘だった事がばれた吉田清治。
ころころと証言を変え、しかも整合性のとれていない、金学順の証言。
それらの証言を、何ら検証することも、裏付けをとる作業もせずに垂れ流し、キャンペーンをはった朝日新聞。
その後も、金学順、文玉珠、黄錦周、チョン・ソウン、朴永心、李容洙を始め、信頼性のある証言は、一つも見たことがない。

そういった意味から言って、「朝日新聞の圧力」に負けて、根拠も無く謝罪した、宮沢喜一と河野洋平の罪は、計り知れなく大きい。

今回の朝日新聞の首謀による、NHK及び安倍・中川両議員に対する「言葉の暴力」については、こちらに詳しい。

大事な点は、圧力があったとされる日の前から編集の手が入ったことであり、修正版にもかかわらず、それを見た毎日新聞の編集者が、危うさを感じる内容であったということである。
 
今回、朝日系列と、筑紫哲也に代表される朝日出身者以外のマスコミが静観しているのは、それなりの理由があるのだろう。
 
捏造してまで「言葉の暴力」によって権力に「圧力をかける」のは、果たして許されるのであろうか?
 
そして、政治による圧力云々を論うのであれば、朝日新聞社は、率先して記者クラブから抜けるべきだと考えるが、如何?
 
 

憲法9条改正

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NHK総合テレビの『徹底討論どうする憲法9条』を見た。
一つ、思った事があるので、書き記しておこう。
 
どうも、憲法9条の改定というと、やれ戦争だの自衛隊の国外派遣だの、否定的な見解が目立つように思う。

しかし、どうだろう?
国権の侵害に対しての、自衛権の発動の許可については、少なくとも明記すべきではないだろうか?
集団的自衛権に関しては別にして、不審船、あるいは中国の原子力潜水艦、調査船への対応は勿論、北朝鮮の工作船への発砲でさえあそこまで論難されるのは、国として正常なあり方なのであろうか?

自衛隊は全く必要ない。解隊してしまえ、というのは、一部のイデオロギーを持った者に限られるであろう。
普通の認識に立てば、侵略戦争は当然否定されるとして、集団的自衛権の行使について否定的な見解を持っていたとしても、本質的な意味の自衛権を否定する者が居るのだろうか?

そういった意味から言って、自衛権の発動について憲法に明記する必要があると考えるのは、「右翼」の考えなのであろうか? 
 
何度も言うが、不審船、中国の原子力潜水艦、調査船、北朝鮮の工作船への対応について、あそこまで躊躇し、論議せざるを得ない状況というのは、普通では無いと思うのである。
 
 

日本海と東海

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韓国の「東海」表記要請に日本が「拒否」圧力

日本外務省が日本に就航する世界34の航空各社に「日本海ではなく、東海(トンへ)に表記するよう要請した韓国政府の要求を受け入れないでほしい」という内容の公文書を送った事実が21日確認された。

日本の外務省は、航空機内の冊子と飛行航路案内の画面に「日本海(Sea of Japan)」だけを表記することを要求した。

これは昨年8月、韓国建設交通部(建交部)が「東海(East Sea)」表記を要求する公文書を各国の航空会社に送ったことに対する対応措置と見られる。

日本の外務省は公文書で「日本海の表記を東海に修正してほしいという、韓国の建交部の公文書を受けた場合は、日本政府の立場を考慮して対応してほしい」として、「今後も該当海域の名称は『日本海』だけを使用することを強く要請する」と強調した。

(中略)

建交部は昨年8月、△日本の植民地以前までは東海という表記がもっと多かったうえ△日本海の表記について韓国国民の反発が強いという点を上げ、韓国就航の航空各社に「東海」と記することを要請したことがある。



タイトルからいきなり突っ込める記事も珍しい。
韓国は要請で、日本は圧力か?
いい加減、決着のついた問題で粘着するのは、止めて欲しいものである。
最も、韓国内では、まだ決着がついていないようではあるが・・・。

日本の植民地以前までは東海という表記がもっと多かったうえ

残念だが、多くない。
仏国立図書館での調査においても、大英図書館及びケンブリッジ大学での調査においても、明確に否定どころか、韓国側の調査の杜撰さが指摘できるのである。

日本海の表記について韓国国民の反発が強い

・・・ギャグだろうか?
 
 

その男、李承晩

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米で独立活動した李承晩、米政府の冷淡な対応に失望

韓国の民族主義者たちはワシントン会儀に極めて高い関心を傾けた。李承晩は「韓国代表団」を構成し、ワシントン会儀に韓国問題を上程するため総力外交を繰り広げた。

しかしワシントン会議の主催国である米国は韓国代表団の存在そのものを認めなかった。さらに米国は日本と新たな協力体制を構築することで、いわゆるワシントン体制を発足させた。

これにより3・1独立運動以降、持続してきた韓国民の米国に対する期待は失望と挫折感に変わった。その結果、大韓民国臨時政府における李承晩の立場は弱体化し、欧米委員部は長期間の低迷に陥ってしまった。




大韓民国初代大統領の李承晩の、上海臨時政府時代についての記事である。

1919年、上海で大韓民国臨時政府が樹立した際、李承晩は大統領となった。
李承晩はほとんど軍事行動をとっておらず、海外列強に頼って独立を果たすつもりだったようだ。
記事にあるワシントン会議への総力外交とやらも、その一環であった。
しかし、ワシントン会議の開催される頃には、臨時政府は極貧状態だったのである。

アジア歴史資料センターの資料から見てみよう。

以下、『関東都督府政況報告並雑報』より

1921年11月12日付けによると、臨時政府は、上海佛租界新民里十四号の支那人家屋一棟を月70円で借りているが、財政困難により家賃を3ヶ月分滞納し、督促を受けそうな程であった。
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もちろん臨時政府も手をこまねいていたわけではない。
同上の資料10月21日付けより、公債を発行し、運動資金の調達を図っている。
ところが、途中で募金を横領する者が多発し、安昌浩という大物を派遣せざるを得なくなっている。
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同1922年1月13日付けでは、ロシア共産党から160~200万円を借金したとされる。
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同1月23日では、アメリカから借金を断られ、ロシアの労農政府から軍事及び政務顧問を招聘し、労農政府と連携する事を条件に、10余万元と銃器1,500挺を公布してもらう。
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そのような状況の中、ワシントン会議に李承晩、鄭翰景、徐載弼の3名が派遣された。

しかし、1921年10月13日によれば、ワシントン会議は、朝鮮独立問題など扱わないと諦めていた者も居たようである。
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朝鮮独立派の派閥争いの酷さが現れたエピソードも記載されている。

11月2日の記述によると、李東輝は、李東輝一派・武断派が、万一朝鮮が完全に独立した場合、露領方面で奮闘している武断派の末路は必ず悲境に陥る事を杞憂し、9月下旬に過激派より若干旅費の調達を受け、上海臨時政府員の面識が無い部下3名を渡米させるのである。
この旅費の調達方法については、『上海仮政府ヨリ太平洋會議ニ委員派遣の件』によれば、阿片の売買によろうとしたらしい。

ともかく、渡米した李承晩であったが、どうも会議開催前からマークされていたらしい。

1921年12月1日の記載では、11月10日夕刻、ワシントンのアメリカ官憲によって、ワシントン在留朝鮮人全てが検束されてしまっている。
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結局、記事のとおり、ワシントン会議における朝鮮独立問題の提起は、失敗に終わる。

1922年1月13日には、その失望の様が記述され、独立運動に悲観し、上海を去る者が増加したそうである。
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1925年、李承晩は大統領職を追われた。

その後、日本の敗戦後の1945年11月、韓国へ帰国し、初代大統領となった。
前述してきたように、李承晩は朝鮮の独立について何もしていないと言っても良い。
飾り文句でも、抗日英雄である金日成の足下にも及ばない。
後期の独立政府を支えた金九にも及ばない。
そういった部分において、強烈な劣等感があったのだろう。
自らの正統性を証明するかの如く、苛烈なまでの反共・反日に及ぶのである。
李承晩ラインと竹島、反日教育、親日派の弾圧計画。
現在の日韓関係の根本原因である。

李承晩はその後、1960年の所謂「四月革命」において、再び大統領職を追われ、ハワイへ亡命。

1965年7月19日、客死している。
 
 
 
昨日、日韓国交正常化交渉に関する会談の内容が、韓国において公開された。
日本においては、阪神・淡路大震災から10年という事で、各報道局の特集が組まれ、大したニュースにはならなかったが、韓国では結構な騒動になっているようである。

今回、古来より自らの都合の悪い部分を全て他人の責任として転嫁してきた民族が、初めて自省する場面が見られるかと思ったが、やはりそうはならないようだ。




曰く、労役に強制的に動員された外国人に賠償を行なっているドイツの先例に従わなければならない。

曰く、「請求権」ではなく、「経済協力」を執拗に主張した

曰く、日本政府を相手に「遺体未送還遺族被害賠償訴訟」

曰く、日本政府を相手にした個別的損害賠償請求が可能だという意見もある

曰く、日本政府はアジア諸国に対する法的責任は解消されたと主張するのではなく、アジアの人々に対する道徳的な責任と、その延長線上での政治的決断を検討しなければならないはずだ

曰く、日本政府も決して誤った韓日条約の責任から逃れることはできず、被害補償の相応する責任を負わなければならない


この無知蒙昧さ、厚顔無恥さはどこから来るものであろうか。

まず、ドイツは個人賠償(ポーランドでは、労働者に対して一時金として4万円程度)を行った代わりに、国家補償を行っていない。
しかも、そもそも日本が個人賠償にしようと提案したのを蹴ったのは、韓国政府である。

次に、韓国はサンフランシスコ講和条約において、戦勝国となることができず、戦時賠償を受け取る権利は無い。
従って同条約4条に基づいて相互賠償となるわけであるが、これを行った場合、半島に大量の投資を行い、インフラを整備した日本側の受け取る金額の方が圧倒的に多くなる。
故に協定において、日韓両国とその国民の請求権を消滅させ、「請求権」でも「賠償」でもなく、「経済協力」を行ったのだ。

そして、ウィーン条約法条約の第31条において規定されているように、今回公開された文書は法的拘束力を持つものではない。
日韓請求権並びに経済協力協定と、その合意文書に記されているように、財産、権利及び利益、並びに請求権に関する問題には、「韓国の対日請求要綱」の範囲に属する、全ての請求が含まれ、いかなる主張もできず、完全かつ最終的に解決されたことを確認しているのである。

日本政府を相手にした個別的損害賠償請求が可能だという意見は、前述のとおり検討するに値しない。

アジアの人々に対する道徳的な責任については、ODAによって果たしてきている。
協定による経済協力の他に、ODAも貰っている韓国が、言える立場ではあるまい?

誤った韓日条約とは何のことであろうか?
李承晩ラインなるものを勝手に設定し、3,929人(死傷者44人)の日本人を拿捕抑留し、人質としたまま行われた条約交渉である。
構造的に、現在の北朝鮮と全く変わるところがない。
しかも前述のとおり、個人賠償は韓国政府側が蹴ったのである。
責めるのであれば、自国政府を責めるのが当然であろう。

以上のように、日本は誠意を持って戦後の精算を行ったのであり、やましい所は一つもない。

韓国人は、日本の経済協力によって所謂「漢江の奇跡」がおき、最貧国を脱出したことを、あるいは意図的に忘れているのだろう。
 
 

ODA卒業とその後への疑問

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ODA、政府開発援助の事であることは、皆さんご承知の事だろう。

サッカーアジアカップでの暴動や、東シナ海での石油盗掘問題に端を発しているのか、中国のODAの卒業が、昨年末よりようやく俎上に上がってきている。

対する中国は、ODAは不要だと発言してみたり、いや、まだその時期ではないと物乞いしてみたり、意見は統一されてはいないようである。

ODAを受け取りながら軍備を拡大し、一方で日本による援助を受けている事を国民に伝えてこなかった中国政府に対し、苦々しく思っていたわけだが、今回の一連の騒動で、日本のODAについて報道で触れざるを得ない中国の対応に、少しだけ溜飲を下げる思いがする。


さて、仮にODAを卒業したとして、その後はどうなるのだろうか。
一足お先に目出度くODAを卒業した、韓国を例に見てみよう。
韓国は、1999年の1億722万ドルの無償技術協力を最後に、ODAを卒業した。

ところが、実はその後も無償技術協力は続いているのである。

2000年 8,093万ドル
2001年 6,607万ドル
2002年 5,939万ドル
2003年 6,060万ドル

ODA卒業国であるにも係わらず、何故か毎年5,000万ドルを超える、無償技術協力がなされているのだ。
一方で、在大韓民国日本大使館のHPには、「日本の ODA供与は 1999年の 技術協力を 最後に 終わりました」と記載されており、一般の韓国人は、この事実を知らされていない。

ODA卒業国への無償技術協力。
相手国に知らされないODA。

さて、中国がODAを卒業した後も、これに類似した事が無いと、言い切れるのだろうか?

外務省へ問い合わせてみたが、答えはまだ返ってきていない。