2009-05-22 11:21:01

ゴルゴ小堀 から ピース小堀へ 名前を変更します!!

テーマ:自己紹介

最近とうとう大きな決断をした。




それは、名前の変更だ。




みんなから呼ばれているニックネームの
『ゴルゴ』がだんだんしっくり来ないようになっていた。




そこで、何が自分にあった本当に言われたい名前なのか?
というネームクエストが始まった。




この流れは、昨年から何度も起こっていて
一時は『我空龍』という名前になったり、
「のりつぐ」と呼ばれることを広めようとしたり、

でも、その度毎になんだかんだで、ゴルゴに戻った。



けれど、今回は人生をかけて続けていく自分の決断が決まった
ことで、本当の名前が降って来た。



その名前とは?





『ピース小堀』です。



年上やための人からは『ピース』と呼んでもらたっり、
『ピース』さんって呼ばれたり、する名前にしました。



これは、私の最終的に実現したい世界が
『ワンピースの世界』というビジョンで、

私自身が一つの『欠片(ピース)』であるという意味と
私自身が常に『平和(ピース)』であるという意味を込めました。



さらに周りの人も私の名前を呼ぶたびに
『欠片』であるピースと
『平和』であるピースを思い出すことになり、
私が実現したい世界が私の名前を呼んでもらうことで
人の意識の中に入り込んでいくという意味もあります。




さらに、さらに、『ピース』はみんなで楽しく写真を撮るときに使う
ポーズでもあり、楽しさというイメージも入っています。


さらに、さらに、さらに画数的にも『ピース』というのは、6画で、
これは「天徳」という意味がありとても縁起がいいのです。



そして、鈴木惣士郎とも二人で『ワンピース』というコンビ名に
しようということも決定し、
ソウシロウがワンネスの世界を目指し、
私がピースだから二人で『ワンピース』という意味も込められる。



どこから、どうとっても「ピース」はもう最高なのです。


ということで、これから皆様、


『ゴルゴ』ではなく、「ピース」と呼んでください!


お願いします。


ピース小堀でした。

2008-03-15 15:53:50

自己紹介 パート7~ 奇跡の復活~

テーマ:自己紹介

1000名にメールをし、300人から応援メールが返ってきてから
在り得ないドラマが自分に待っていました。



メールを送った瞬間から電話が鳴り続け、次々と
『どうした?何があった?』
と心配をし、励ます電話がかかりつづけ、あっという間に
人と会う約束が増え、スケジュール張は真っ黒になっていきました。


1日4人の方々に会い、お茶をしたり、ランチをしたり、晩御飯をご一緒させて
頂いたりととにかく、自分の身に起こったことを聴きたいっと
連絡が入り続けました。


そんな中、有難いことが連続しつづけたのです。


まず、ランチへ行くと大体の方が『今日はご馳走するよ。』と言って
頂き、感謝の嵐。


そして、中には『交通費だよ。』と伝えて、封筒を頂くと、中に一万円も
お金が入っていて『こちらが会って頂いたのに、おまけにお金を頂くなんて・・・』
と伝えると『困ったときはお互い様だから・・』と神様のような方々現れはじめたのです。


中には、『これ、お祝い金だから』とまた封筒にお金をいれて、新たな旅立ちへのお祝いだと
いうことでお金をくれたりする方まで現れました。



さらにさらに、メールで『口座番号を教えて~』と言ってきた方がいらっしゃり
借金のせめて0、1%は協力させてということで、お金を振り込んでこられた
方までいらっしゃいました。



なんて、、、俺は恵まれているんだ・・・っと目頭が熱くなる日々が続いたのです。



もうこれは、何か自分の力ではない、何かが働いているとしか感じない状況に
なってきました。



そんなお金を無料で頂ける事件だけでなく、とうとう仕事の話まで入り始めたのです。



一つ目は、沖縄の心友である今津新之助から研修講師を探している人がいるから
やってみない?というお誘いがあり、早速面接を受けにいったところ
皆様年上の方ばかりだったのですが、見事合格を頂き、2006年の4月から
見事に研修講師としてデビューする機会を頂きました。



立て続けに、次はリンクアンドモチベーション時代のクライアントだった
クリンクスの河原社長から連絡がはいり、とりあえず会って話そうということで
お会いすることになりました。


お話を聴くと、社員が毎月10名単位で増え続け、組織を作っていかなきゃいけない
タイミングということで私の今までの経験値と私自身の元気よさと前向きさと
バイタリティで何か提案してみてくれないか?とお願いをされました。


さっそく気合をいれ、今まで学んできたこと、私ができることを洗い出し、
提案をしにいったところ、見事に採用され、はれて人事コンサルタントとして
契約をしていただくことになりました。



さらに、友人の研修会社から研修講師の依頼をさらにいただき、
4月からもう一社研修をやることがきまりました。


次々とそうやって仕事がふえつづけ、まったく営業をしていないのに
人の繋がりの繋がり・・・というご縁だけで仕事がポンポンっと
入ってくるようになったのです。




そうやって仕事が増えていく中で、一つ困ったことが起こりました。


なんと・・・住む家が無いと言うとんでもない自体になったのです。
お金は減る一方で借金状態なので、なんとか家賃を待って頂いていたのも
もう、限度を超え2006年1月末には出ていくようにっと最後通告をされたのです。



さて、困った。。。。




研修などで収入が入る見込みがたったものの、4月以降で振り込まれるのは5月以降・・・




それまでお金は全く無い状態です。




ああああ、せっかく仕事が決まったのに・・・・




と嘆いていても始りません。



よし、こうなったらまたお願いをしてみよう!!っということで
だめもとでもう一度知り合いの方々に一斉メールでのお願いをしてみました。



『度重なるメール申し訳ございません・・・・


前回最後のメールということでお伝えをしたのですが、
皆様のおかげで仕事が決まり、東京に残ることが可能になりました。


しかし。。。。今度は住む家が無いと言う状況になりました。


もし、よろしければ居候させて頂ける方がいらっしゃれば
有難いです。



私が住んだらこんな特権があります・


○チャーハンが美味しく作れます
○日々笑いが絶えない生活になります
○モチベーションが下がったときに上げてみせます
○人がたくさん遊びにきます(迷惑でなければ・・・)



こんな奴ですがよかったら、居候させていただけると
嬉しいです。』



というようなメールを送ったのです。


すると、なんと8名もの方が『いいよ~』という
ご連絡をくださったのです。

本当に感謝の嵐です。




しかも・・・・・





その中でも特に凄いご提案があったのです。






なんと・・・・








『無料で一軒屋を貸してあげるから使って~』





『ええええええええええええええええええええ~~~~~まじっすかああ』








なんと、一軒屋をまるまる自由に使って良いという在り得ない
ご提案を頂いたのです。







ああ、また神様しっかり見て、願い事をかなえてくださったんですね・・・
有難うございます。






私は、なんて恵まれているんでしょうか?



もう有難さで身が震えたのを今でも覚えています。


そして、そのとき一緒に引越しの手伝いをしてくれていた
夢塾生のコウサクと一緒に家に遊びにいかせていただきました。


場所は江古田。
築50年にはなるだろう、なんとも味のある一軒屋がそこには
ありました。



下の一回にはおばあちゃんの位牌があり、
二階を自由に使ってよいよーっということでした。


それにしても二階も台所、リビング、4畳半が二つと
かなり部屋があるので一人で住むのはもったいない
ということで、大家さんである『野口さん』にお願いをして
コウサクも一緒に住めることになりました。


そして、2006年2月から有難い居候ぐらしが始ったのです。



そんな風にして、励ましのメールからはじまり、
リアルにお金を頂いたり、仕事を頂いたり、住居を頂いたり、
と在り得ない感謝に溢れる出来事が起こり続けた
最後の留めに一番手に入れたかった夢をもって
ある一人の男が私の前に現れたのです。




それが現在の心友であり、家族であり、ビジネスパートナーであり、
エグゼクティブコーチのクライアントであり、世の中を豊かにしていく
同志である鈴木惣士郎だったのです。



ここから新たな私の人生が始まったのです。



パート8へ続く・・・

2008-03-13 16:30:20

自己紹介 パート6~復活の兆し~

テーマ:自己紹介

2005年12月。


その12月は人生で最も辛い時期だったと,この先も
思うことになるだろう。


毎日のように掛かってくる消費者金融からの
電話の嵐。


プロミス、アコム、アイフル、武富士・・・・


ご利用は計画的に・・・・


って、計画的に出来ないから借金をするんじゃないか?っと
CMを見ながら突っ込みを入れながら、動けない日々が続きました。



こんなに辛いのも、あの人のせいだ・・・


そうやって、どんどん人を責める事で自分には責任がないという
気持ちの軽さを無意識に作っていたんだと思います。



少なくとも、人の責任にしている間だけは、自分が救われる・・・


そんな小さな小さな枠の中に納まっている自分が余計に惨めに
なっていました。






そして、ある日、自分の価値観が転換する本に出会ったのです。






それは、沖縄に居る親友の今津新之助が俺の状況を見て、
今のゴルゴにめっちゃお勧めの本があるっと伝えて貸してくれた本でした。



その本は、『小林正観』という方が書かれたものでした。



正観さんは、独自のスピリチュアル的なお話や現実的で有難いお話を
独特の語り口調で語る方で、今までの自己啓発本とは一線を
置いた、そういう凹んだ自分を救い出してくれる一妙の明かりと
なってくれました。



その本の中で出てきたこんな話がそのときの自分を救ってくれました。


『感謝には3つのレベルがあります。


レベル1、 誰かに親切にして貰ったり、物を貰ったりなど、
      誰でも感謝して当たり前の状況で感謝すること


レベル2、 日常の当たり前のことに感謝すること。
      晴れたなあ感謝だなあとか、隣にいつも居てくれる奥様に感謝だなあとか。


レベル3、 災難、苦難、など、借金や病気や泥棒に入られたり、会社が倒産、リストラ、
      試験に落ちるなど、一般的に考えられる苦しい状況に陥ったときに感謝できる
      かどうか?ここで感謝できた人は感謝の達人となり、人生が変わる。


あなたが、感謝すれば、感謝する出来事が次々と起こります。
逆に、あなたが辛いと思えば、辛いことが。
あなたが、騙されたと思えば、騙されることが。
あなたが、悔しいと思えば、悔しいとことが。

次々に同じ思いと同調するように現れます。』


そう書いてありました。



これを読んだときに、頭に落雷が落ちたような衝撃を受けました・・・


「自分は全く逆の事をしている・・・」



今までも感謝という話は聞いてきたけれど、なぜかその時は
自分の心境とばっちり一致したようで、そこから価値観が180度
変わったかのように、今ある現状に感謝することをし始めました。


探してみると、感謝することは沢山ありました。

○両親が健全で在る 
○家族みんな仲が良い
○借金はしているが、命はある
○28歳にして1000万を超える借金をした経験ができた
○自分自身も五体満足の体である
○相談に乗ってくれた経営者の先輩方がいる
○お金を貸してくれる夢塾生がいる
○ずっと2年間教えつづけてくれたメンターがいる
○サポートしつづけてくれたスタッフがいた
○夢塾生という宝物が自分にはできた
○お金を払って借りた家がある
○無料で名刺のデザインを作ってくれた親友がいる
○小林正観さんの本に出会えた
○借金ができようがいつもと変わらない信頼で応援してくれる親友がいる
○両親がお金を貸してまで応援してくれた
○弟達も応援してくれた
○祖父、祖母も応援してくれた
○会社の設立に100人を超える人達がきて応援してくれた
○ブログでいつも応援してくれている方々がいる
○心配をしてくれる友人が居る


など考えてみると、自分の人生は感謝に溢れ、感謝しても
しきれないくらいの宝物が眠っていることにきがついたのです・・・


そうやって、まず感謝できることを紙に書き、読んでみたら
心がじわーーっと熱くなってきたのです。


無いものに目を向けるのではなく、
有るものに目を向けることで現実が変わっていく感覚がしたのです。



4回目の鬱になり、どうしようもない気持ちで日々を暮らしていた自分に
久々の活力が戻ってきたのを感じました。



そして、2006年1月になり、動くことを決心し、
まずは、一からやり直そうという気持ちになり、
実家へ帰り、サラリーマンをしながら借金を返していこうと
決めました。




その宣言として、今まで自分が繋がってきた1000名近くの
メールアドレスを知っている方々に
『ドリームナビゲーター最後のメール』という強烈なタイトルの
メールを配信させて頂きました。



すると、300名を越える方々から励ましのメールや、
ねぎらいのメールや、応援のメールが帰ってきて
涙が溢れるような感動を頂いたのです。



そして、その送ったメールからドラマは始ったのです。



パート7へ続く・・・


2008-03-05 11:00:25

自己紹介 パート5  ~転落編~

テーマ:自己紹介


2004年12月まで順調に波に乗っていた私でしたが、
だんだん周りが持ち上げ、結果も出てきている自分に酔いしれ始めてしまったのです。


神様とお客様はちゃんと見ているもので、2005年1月になってから、
おもろい会という毎月50名は集まっていた交流会に人が集まらない月が
続きはじめ、毎月10名は安定的に参加してくれていた「やりたい事発見ライブ」
にも人が消え始め、夢塾にも参加者がドンドン減りはじめました。


焦り始めた私は、『お客様を喜ばせることを考えるだけ』
ということだと今はわかるのですが、その当時は、安易に自分よりも経験値が高く
成功しているからという理由と、不安からくる焦りでメンターに依存し、
自分の頭で考えず、どんどんお金を商品開発や
マーケティングに使い続け、どんどんお金がすり減って行きました。


また自分が何が大好きで、何が得意で、お客様から何を求めれているか?
ということに発想を向けず、会社のビジネスの範囲を広げすぎたことも
失敗の原因になっていきました。


イベントをしても人が集まらない、、、
焦って余計に費用をかけて、良いイベントをしようとコンテンツを考えて、
マーケティングにお金を使う。


だけどお客様が集まらない・・・


余計に焦り、費用をかけてイベントをつくり、
マーケティングにお金を使う・・

またお客様が集まらない・・・


この負のスパイラルに陥ってしまいました。



一度負のスパイラルに陥ってしまうと人は抜けられないもので、
心がどんどんマイナスを連想し、モチベーションは下がる、
自責せず他人の責任にする、など悪循環の嵐が襲ってきました。


こうなると、もうなかなか止めることはできません。


2005年から一人づつスタッフが辞めていくようになりました。

1月に一人、2月一人、3月に一人、4月に一人、と毎月のように
関わっていた人達が離れていきました。



お客様は離れる、スタッフも離れる、お金も離れる、友人達も離れる・・・


すべてが自分から離れていき、とてつもない孤独感が自分を襲って
来ました。



だけど、止めることができなかったのです。



とうとう、お金が底をつき、両親に頭を下げてお金を借りることに
なりました。



実家に帰り、家族会議の末、父親が家族に言ってくれた言葉。


『みんな聞いてくれ。今から「訓嗣(のりつぐ)」(本名)に
 俺達の老後のためにおいていた資金を貸すけど、
 みんなの意見を聴かせてほしい。』


すると、母親も兄弟達も兄の夢のためなら仕方ないと
応援をしてくれて、私は家族の大切なお金を預かることに
なったのです。



しかし、それでも尚会社は軌道を戻すことができず、
とうとう友人からお金を借りるという事態にまで
事は運びました。



それで何とかなると思いきや、まだこれでも物足りず、
さらに借金を重ね、とうとう消費者金融にまで手を伸ばす
という最悪の状況になってしまいました。



有名な消費者金融は全てを手を出しました。
・プロミス
・アコム
・武富士
・その他もろもろ・・


それ以降はお先真っ暗でした。

毎日のように消費者金融から返済の確認の電話が掛かってくるように
なりました。


新しく何かを起こそうにも、お金も、精神力も、仲間も全てを
失ってしまったのです。



それがくしくも2005年の10月。
ちょうど起業をしようと会社をやめたのが2003年の10月。


ちょうど2年後に最悪の状況を迎えてしまったのです。



何度も、もといた会社のホームページを眺めては、
『どうして自分は会社を辞めてしまったのか?』と考えてしまうことさへ
もありました。



日々テレビをつけてボーっと眺めては、『やらなきゃ、やらなきゃ、でも何を?』を
考える日々。



母親からは『もう会社をたたんで、ゼロから実家でやり直して欲しい』と涙ながらの
電話が毎日掛かってきました。



もう自分がどうして会社をやっているのか?という意義さへ解からなくなってきました。



そんなとき、私は今までお世話になっていたメンターだけでなく、
次々と今後の身の振り方を相談するため、
知り合いの経営者の方々にアポイントを頂き、
相談をしつづけました。


そして、相談するたびに経営者から言われる言葉は、

『君、メンターって言って慕っているけれど、結局その方経由で払っている
 お金で借金ができたんだとしたら、それって、自分でビジネスをせずに
 完全その人任せになってるよね。経営者向いてないよ。
 しかも、君はそのメンターに乗せられてしまったんじゃない?

 支払った金額もちょっとおかしいよね。
 考えてみたほうがいいんじゃない?』


という言葉でした。


その当時の私は、もうお金的にも底を突き、毎日借金の返済の電話がかかり、
精神的にも参ってしまい、、、


自分が原因でできたにも関わらず、回りから言われ続ける
『ちょっとメンターおかしいんじゃない?』という言葉を信じることで開放されたい
という気持ちが一気に沸きあがり、、、



気持ちは一気に「メンターがおかしい」という言葉に汚染されてしまいました。。。



確かにお金を支払っている先は、メンターから紹介された会社で、
メンターから薦められたビジネスプランを実行する上で
関係性の深いメンターの紹介会社にお金を支払うという
構造を考えると、『仕掛けられた』と捉えることもできます。



そして、気持ちは余計にがっくりと落ち込むことになりました・・・


メンターとして慕っていた人が実は自分からお金を得るために
ビジネスとしてしか見ていなかったんだ・・・という精神的ダメージが
余計に上乗せで自分の心に降りかかってきました。



そして、2005年の12月に会社を一度畳み、辞める事を決意しました。



しかし、会社を畳んだところで借金は残ったままだし、
全てのやる気を失ってしまいどうしたらよいか?全く解からない
途方にくれた気持ちでした。



おまけに、自分はうまく、メンターの口車に乗せられた。。という怒りの気持ちも
心には溢れかえっていました。



そんな転落に、転落をかさね、もう心も体も経済状態も
ズタズタの日々がつづくことになりました。



しかし、そんな転落をしつづける中にある光を見つけることに
なったのです。



続きは、パート6をお楽しみください。

2008-03-04 13:38:59

自己紹介 パート4 ~ ウナギ昇り編~

テーマ:自己紹介

自己紹介 パート1

http://ameblo.jp/dream-navi/entry-10036112023.html

自己紹介 パート2

http://ameblo.jp/dream-navi/entry-10036230855.html

自己紹介 パート3

http://ameblo.jp/dream-navi/entry-10040494317.html



本日はパート4です。




ワクワク、どきどきのセミナー第一回目は、
緊張するところがあるものの、最後には自分のペースを
掴むことができ、なんとか形になることができました。




第一回目は初めてにも関わらず50名を超える参加者が
集まってくれました。




そして、第二回目もまた新規のお客様が50名近く
集まってくれました。




しかし、三回目当たりから一気に参加者が減り、
10名前後になってしまいました。。





そこから起業した当初の自信を失い始めました。





そんなとき、朝日新聞の夢という欄である方が特集されている
記事が目に入りました。




その方は、京都大学からハーバードへ行き、経営コンサルタントを
しながらも、脚本家として映画の世界での名誉ある世界的な賞を取る
というビジネス面と芸術面で結果をだし、
なおもまだ上を目指し続けていらっしゃるという
夢の実現者でした。




落ち込んでいた私には、その記事がとてもまぶしくみえ、
朝日新聞のメールアドレスに即メールを送り、なんとか
お会いすることはできませんか?とお願いしたところ
その方のアドレスを教えてもらうことができ、
実際にお会いすることができました。





そして、お会いしお話をしたところ、
まず質問されたのが、『どんなビジネスをやっているのか?』ということと
『なぜそのビジネスを選んだのか?』ということでした。




この自己紹介のところでも書いたビジネスを創めようとしたキッカケと
意気込みを伝えたところ、私の想いは木っ端微塵に否定されて
しまいました・・・・




『なんで、まだ夢も叶えてもいない君がドリームナビゲーターなんて
語る資格があるんだい?
まずは、100億のビジネスでも立ち上げてから夢を語ったらどうだい?
一週間後また会ってあげるから、そのときまでに100億のビジネスの
構想をもってきな。診てあげるからさ。』





っと、突き放され、さらに自信を失うという悪循環に陥って
しまいました。





『やっぱり、自分に夢を見つけるなんて資格は無かったんだ・・・・』
『お客さんが減ってきたのは、そういう理由だったんだ・・・』
『ああ、やっぱり会社を辞めたのは失敗だったのか・・・・』




頭の中をマイナスの言葉がよぎり、心は締め付けられるように苦しくなり、
体が重く、だるくなり、あの過去のうつ病で苦しんだような状態の
一歩手前まで一気に状態が悪化していきました。





居候をさせてもらっている友達の家に戻り、パソコンの電源をオンにし
再度事業の見直しをしようと気合をいれてみるものの、
空虚に感じ、途方にくれてしまいました。





そんなとき、ふと、メンターの顔が頭に浮かび、すぐに電話してみることに
しました。




最近あった人の減少の話し、今日会った人の話、そして、やはり自分は
起業は向いていないのでは?という不安の話し。


すべてを涙ながらに話しました。



最後まで話を聴いて、メンターは私に言ってくれました。





『小堀君、君はどうして起業したのかな?』






「はい、私が一歩前へ踏み込む姿で夢を持って生きることの楽しさや、
 夢に対して踏み込めない人の手本になれたらいいと想って起業しました。 




『そうだったね。まさに今がその正念場じゃないかな?

 実は君には夢を見つけたい人達の最高のモデルになる条件が揃っているんだよ。


 私のようにある程度経営で成功してしまっている人が夢の見つけ方や叶える方法を
 語っても多くの人は凄いなあっと想うかもしれないけれど、
 心の奥底では「あの人だから出来たんだ・・」って想ってしまうんだよ。



 だからこそ、今君がそのリアルな現実の中で夢を見つけ、叶えて行っている姿が
 人に勇気を与えるんだよ。
 
 今君が夢を叶える階段の二段目に上がったからこそ、今一段目にいる人たちを
 二段目に上げるための説得力を一番持ち、気持ちを伝える新鮮さとコツを伝えられる
 はずなんだ。



 私なんてもう昔の話だから君のようには話ができないんだよ。

 
 だから、君が今朝会った人が言っている言葉は一理あるところもあるかもしれないけれど
 全く聴く耳を持つ必要はないよう。


 君こそが夢を見つける人達に一番貢献できる人間なんだから。』





 メンターからこの言葉を貰ったとき、再び心の奥底から熱い気持ちが込上げ、
 目には涙が溢れ、自分が会社を辞め、意を決したときの気持ちを思い出すことが
 できました。
  



 これがキッカケになり、自信を失っていた私は、再度自分を信頼することができ、
 新しい会社の展開を思い付く事ができました。




 そして、新しく出来上がった構想が『夢塾』という名前のスクールを運営することでした。



 やりたい事発見ライブというセミナーを受けた人達に、スクールに通って貰うと言う
 流れを考え、コンテンツも決まっていない中で、まずはスクールにかける想いを
 ワード15枚ほど書き込み、立ち上げることを決断しました。




 第一期生はなんと21名も共感者が集まり、夢塾は始りました。
 値段はなんと驚きの『お賽銭制度』。つまり、授業を受けて
 感じた額を毎回封筒に入れて帰るというシステムでした。



 2004年4月から第一期生の学校が始り、3ヶ月間のスクールが
 はじまりました。


 なんとコンテンツは全くない状態からのスタートでした。
 



 そして、第一期生の卒業式には100名を超える人々が参加し、
 夢を応援してくれる大きなイベントになりました。



 さらに、2004年5月に開催したドリームナビゲーター設立記念パーティには
 一次会、二次会をあわせて述べ250名を超える人々に参加して頂き、
 順調なスタートを切ることができました。




 2004年7月には、大阪で出張講演をたのまれ、

 2004年8月には、名古屋で出張講演をたのまれ、

 2004年9月には、ドリームナビゲーター養成講座が始り、夢塾を運営したいという
 メンティたちが6名集まり、スタッフまで増えました。

 2004年10月には、NPO夢塾という卒業生を支援する組織まで誕生しました。
 


2004年12月には、ドリームナビゲーター初の豪華客船貸切パーティに100名を
 超えるお客様が集まり、大成功を収めました。


 と、順調すぎる夢のような流れが起こりました。



 しかし、この頃から崩壊への足音が近づいていることにあのときの私は
 まったく気がついていませんでした。。。


 パート5へつづく・・・


 
 

 



2007-12-25 10:40:54

小堀訓嗣の使い方説明書

テーマ:自己紹介

1月から色んな人に自分を使ってもらうために、今までやってきたことや、

どんな所で協力できるか分かりやすいようにちょっとまとめてみました。






●18歳から24歳まで家庭教師と教材の販売のアルバイトで6年間で1億を売り上げた。

 6年目になってからは、ほどどの家庭に行っても契約が取れる力を身につける。



●20歳から30歳までの間に自分自身4回うつ病になった経験から、心理学、自己啓発、教育学に

 興味を持ち、心に関わる分野の本を1000冊は読破してきた。自分なりに体系化してある。



●24歳から株式会社リンク&モチベーションに入社し、組織論と研修の作り方を学び、1年半で卒業。



●26歳から夢を見つける方法を研究しはじめ、夢塾という学校をつくり、延べ100名以上の卒業生をだし、

 夢を見つける方法を体系化する。



●同時期26歳からコーチングもはじめ、今までに100名以上にコーチングをする実績をつくる。



●同じく26歳から小資本ビジネス(0から1億までのビジネス)の作り方のプロから、起業の仕方を二年間に

 渡り伝授してもらい、自分自身も全く0から3000万の売り上げの会社を作ることに成功する。

 その経験からどんなビジネスでも応用できる0から3000万までの会社の作り方を知る。



●28歳から企業研修の依頼が増え、今までの経験と知識を研修という形で世に出すことに成功し、

 起業で失敗した借金1300万円が企業研修だけで2年で返す目処が立つ。

 自分自身だけでなく、メンティたちにも研修をパスすることも学ぶ。



●同時期28歳からエグゼクティブへのコーチングも増え、次々と成果を出すことに成功する。



●29歳からスピリチュアルな世界に導かれ、瞑想やチャネリングの仕方を学ぶ。

 ヒーリング、コーチング、チャネリングをセットしたセッションを開発する。





以上が私がやってきたことです。




今後私の想いとしては、自分が得てきた経験や知識で人の助けになることをどんどんやっていきたいと

強く想っています。




私自身20歳からつい最近まで10年間 「孤独」という苦しみを味わってきました。


この世で自分ひとりなんじゃないか?という苦しみを味わってきました。



様々な経験や知識を身に付けてきたのも、この「孤独」という感覚から逃れるためであったのかも

しれません。




「あなたは、もう一人じゃない。」




そんなメッセージをこれからずっと伝え続けて行きたいと願っています。



「孤独」という苦しみから脱出し、豊かな人間関係を作っていくサポートをしたいと心から願っています。





また、10代の頃から「夢が無く、何がやりたいか分からない」という苦しみもずっと味わってきました。

これも10年は苦しんだとおもいます。




だからこそ、色んな人に出会い、本を読み、様々な体験を積み重ねてきたのだと

想います。




そして、30歳にして自分がやるべきことがはっきりとしてきました。




そんな未来が見えない、自分が分からない、夢が無いという苦しみを味わっている人にも

私はサポートすることが出来ると思います。







こんな私の使い方ですが、

個人セッションという形や、グループセッションという形を考えています。



一人ひとりの心の症状を聴き、一人ひとりにあった独自のプログラムを作成し、いわゆる処方箋を

つくり、時間をかけ、習慣化し、その人が望む人生が手に入るお手伝いがしたいと

考えています。




1月からすべてを始動する為今は準備期間中です。




ご興味ある方はご連絡くださいね。




費用は、サポートしてほしい方と相談して無理ない金額で行いたいとおもっています。



今回私がやろうとしていることは、ビジネスとは考えていません。



集まったお金も施設の維持費などには使う予定はありますが、次の人へまわしていく費用にしようと想っています。夢を持ち、実現したいがお金がないっという方のサポートとして集まったお金を活用するのが目的です。




そんな地道な活動を1月からこつこつとはじめていこうかと考えています。




一人ではなく、沢山の方と協力して、ジワジワと無理なく広がっていく形を考えたいと

想っています。



なので沢山の方のご協力お待ちしております。






来年はきっとすばらしい年になりそうですね。


 

2007-07-20 19:30:10

自己紹介~起業一年目~

テーマ:自己紹介


自分が動けば動くほど、自分の向かうべき先が見えてきたのです。
会社を辞めてから片っ端から知り合いに会い続け、「夢」を語り続けました。




最初は、大学時代からの親友(現在は政治家という夢を達成中)と一緒に塾を作り、
夢を教える学校をやろうという夢を描き、仲間を募り、一時期ドリームナビゲーターという船は、
5名までに乗員が増えたのでした。




みんなで集まり、夢を語り、市場調査のため塾を設置できる場所を探したり、
コンテンツを考えたり、楽しい日々が続きました。




私個人の動きも毎日のように塾を立てるにはどこが最適か?を考えるため、
人の増加率に目をつけ、ここ5年間ぐらいの人がもっとも増加している地域でかつ、
土地代の安いところということで八王子に目をつけ、お金を仲間から集める計算を立て、
「やるぞ」っというところまで来ていました。



そんなとき、もう一方の動きとして、成功している起業家に会い続け、
ビジネスをやっていく上での大切なことを学び続けていました。



さらに、絞ったのは、「個人」を対象としたビジネスで成功している人に
お話を聴くことを中心にしていました。



そして、そんなときに出逢ったのが後に2年間お世話になる
メンターだったのです。



最初のインパクトは強烈でした。
自分の知らない経営理論をいとも簡単に分りやすく、
さらにこの世の自然現象の本質と同じように理論化して
説明してくれたのでした。



初めてお会いしたのに気づいたら一日が終わっていた・・
なんていう経験は初めてでした。




そのメンターと話をし続け、2~3日が経った時に
一つの決断をしなければいけなくなりました。




起業をする上でメンターから学んだ起業する上での

まず第一の条件が「まず一人で立ち上がること」



その後、軌道に乗ってから「仲間を集めること」という点でした。


メンターが言う起業する上で一人でやったほうが良い理由は



○意思決定のスピードをあげるため
○依存関係を無くすため

という明確な理由でした。




さらに、もし仲間とどうしてもしたい言うなら
自分が全員分の給料を出す覚悟で起業する
という条件なら大丈夫といわれました。



そのときの私には、到底仲間を食べさせていくような
ビジネスモデルがあるわけでもなく、
依存といわれ、思い当たる節のあった私は、
涙ながら仲間にそのことをつたえ、


まず「一人」で立ち上がることにしました。




その後、NPOを作る流れがあったり、
集まってくれた仲間の応援を受け、
2004年1月20日に有限会社ドリームナビゲーターが
立ち上がり、人生初めてのセミナーである
『やりたいこと発見セミナー』を開催する流れになりました。




人生初めてのセミナーは、緊張、緊張で一瞬自分が何を
言っているか分らないような状態になったものの、
50名を超える参加者が集まってくれて
ワクワク、どきどきのセミナーが始ったのでした。

2007-06-10 11:13:28

自己紹介~大学再入学から起業まで~

テーマ:自己紹介

再受験にあたり、色々調べていたところ、二次試験を体育で受けられることがわかり、

さらにラッキーなことに
その体育の試験官をする人がバイト先に入ってきて
ポイントを教えてもらえることができたのでした。



神様が確実に味方しているっと思った瞬間でした。




人生二回目のセンター試験はなんと人生一回目よりも40点も高得点をマークし、大学二回目の受験は受験勉強4ヶ月ながら受かることが出来、晴れて二回目の大学一年生を1998年に迎えました。




大学に入り、教育学と教育心理を学びながら、プロジェクトアドベンチャー、エンカウンター、などの新たな教育方法を学び、ドンドン自分の興味が心理学とそもそもの教育について気持ちが強くなっていくのを感じました。



就職活動になり、最初は先生になろうと思っていたのでしたが、学校へ実習へいき現場をみたときに、自分の道は学校で先生をすぐにやることではなく、まずは社会をしっかりと体験し、学んだことを生徒達へ伝えていくことが役割だと感じ、就職活動をすることにしました。




それで決めた会社が「リンクアンドモチベーション」という人事コンサルティング会社でした。



10代から20代の頭の頃にはまったアメリカの自己啓発系の方々の肩書きにあった「人材育成コンサルタント」という仕事に憧れていた夢が実現した瞬間でした。



念願の会社に内定を頂いた一発目の内定者としての
仕事は、「アメリカに行き、最先端のモチベーション事例を研究し、リンクアンドモチベーションに新しいビジネスを提案せよ」という全く予想外の仕事でした。




同期3人で6月から9月末までこのことだけに取り組み
提案したのが懐かしいです。



この仕事が終わった後、卒論、夢を叶えた人達の本作り、学生を集めた自己発見セミナー、

内定者のアルバイトっと色々やりすぎ、カラダと心の疲れから二回目の鬱がスタートしました。




このときの一番の原因はやはり「人との繋がり」と内定者として仕事をしたときの

自分の能力不足から来る自信の喪失だったのです。。




この鬱は長く続き、半年以上も続きました。




治ったきっかけは、早起きとジョギングと朝ごはんでした。



たまたま早く起きれた日に気持ちを入れ替え、走り、
シャワーを浴び、朝ごはんを食べ、誰より早く会社に行き、みんながきたら元気よく「おはようございます」っと伝えたら、

みんなが気持ちよい顔で挨拶をしてくれたことで、自分の居場所や役割なんかが分り、徐々に自信を取り戻していったのでした。




そこから半年間はフル回転で彼女も出来、仕事も軌道にのりはじめ、ガンガン営業をしまくるっという日々が続きました。


が、またあの精神的に暗い時期が訪れたのです。


部署が変わり、社長に直に営業をしにいく部署に変わったことで、仕事スタイルが変わり、約2ヶ月もの間毎日電話をして、

社長にアポを取ろうとするが結果がでない・・という日々が続いたのです。




そのときにまた、自分の中での自信の崩壊っと
その自信の崩壊から周りへの人間関係への気薄さが
目に付き始め、心が弱りはじめたのでした・・・



このときの精神的不安定はまた半年ほど続き、
家に帰ってはため息をつき、朝も起きれず、会社に行くのはいつもフレックスタイムのぎりぎりの11時とかという

最悪の生活を送るようになってしまいました・・



しかし、このときに得たことがあったのです。

それが二人の先輩による愛のあるサポートだったのです。



毎日のように凹んでいる私を励まし、夜遅くまで仕事に付き合ってくれて

なんとか私に結果が出るように付き合ってくれたのです。



足りない私のロジックを少しでも埋めてあげようと、色んな観点からアドバイスをくれたのです。



この二人から受けた愛が今私が仕事をしていくときの心の支えになっているのは

間違いありません。




そして会社に入って2回目の
鬱を吹き飛ばしたのがこれまた早起きとジョギングだったのでした。



部署が変わり、朝8時から9時まで毎日のように勉強会を開催することになったのです。



その勉強会のために朝6時に起き、ジョギングをして、
シャワーをあび、朝ごはんを食べ、勉強会のための本を読み、自分なりにそこをまとめ会社へもっていく。




これを月曜から金曜まで3ヶ月間つづけたのです。



さらに、一ヶ月に一回は難解な本を読み、それを5枚のパワーポイントにまとめるという課題もあり、ひたすら本を読み、本をまとめ、左脳を使い続ける日々が続きました。




会社の営業でも飛び込みをしまくり、電話をしまくり、お客様にあいまくり、確実に土台を作り始めていきました。


そんなある9月のこと、会社の上司からこんなアドバイスを貰ったのです。


上司「小堀、もうええんちゃうか?」



私「え?」



上司「もう、無理せんでええんちゃうか?よく自分で一度考えてみ。」


私「・・・・・」




そこから私の悶々とする日々が続きました。
その上司が発した質問の本当の意味は何なのか?



そもそも私自身は今どんな状態なのか?
仕事は楽しい、会社の仲間は最高、勉強も進んでいるし、会社がやっていることも、自分がやっていることにも不満がない。



だけど、そういえば、何かが足りない・・・・



この何かって何なんだ・・・



そう感じ始めたら、どんどん本当の自分のコアへ
意識が行き始め、毎日のように自分を見つめなおし
始めました。




そんなときに「ポン」っと思いつきのように、
溢れてきた気持ちがあったのです。




「もっと素直に自分の力を発揮し、人生に挑戦したい」
「自分が生きることで誰かの勇気になりたい」
「一歩踏み出せない自分を変え、その踏み出した自分の姿で誰かの一歩踏み出す勇気になりたい」
「自分自身を目一杯表現尽くしたい」

そういう気持ちが溢れてきたのです。



その気持ちを融合し、そのとき自分が導きだした職業がなんと・・・・「お笑い芸人」。



思いついたら動きの早い私は、ガンガンオーディションに登録し、ドンドンスケジュールを埋め始めました。



そして、どうやって生計を立てていくか?を考えたとき、めちゃくちゃ安易だった私は、周りの人に自分の夢に投資をしてもらおうっという安易な考えを持ちました。



そこで、その頃兄貴のようにしたっていた経営者Tさんに相談しました。



G「ご無沙汰してます。実は会社を辞めて、お笑い芸人になることにしたんです。応援してもらえますか?」




T「おおお~。相変わらずおもろい人生を選ぶねえ。
  いいんじゃない。だけどまたどうしてお笑い芸人なの?」



G「自分が人生で挑戦することで、一歩踏み出せない人の背中を押すことをしたいのと、自分自身を目一杯表現しつくしたいんです」



T[それって、お笑い芸人じゃないっとダメなのかな?
  そのお笑い芸人で成功したとして、その次にしたい
  ことは何なの?」



G「芸人である程度成功したら、講演をして回りたいんです。 夢を持って行動したら夢は叶うってことを表現したいんです。」



T「だったら、そのゴールを仕事にしたらいいんじゃない?そのセミナー講師として生きることを仕事にしたらいいんじゃない?起業しちゃったらいいんじゃない?」




G[だけど、そんな経験は自分にはないし、語るべきものが今無いし、そもそも起業したこともないし、お金もないし、人脈がそんなあるわけでなもないし、・・・」


T[だから、いいんじゃないの?お金も無く、経験も無く、実績も無く、人脈もあるわけでもなく、そんなないない状態から挑戦するからこそ周りが俺もできるかも
って一歩踏み出す勇気がもてるんじゃないの?」




G「そうかあ~。色んな枠にはまっていた気がします。
  俺。やります。挑戦します。ありがとうございました。」



そして、その次の日会社をやめ、「有限会社ドリームナビゲーター」が誕生したのです。


続きは、また後日。


2007-06-09 02:56:37

改めて 自己紹介 ~大学生まで編~

テーマ:自己紹介

はじめまして。



本名「小堀 訓嗣」
あだ名「ゴルゴ」  と申します。




生まれは、兵庫県小野市河合中町という片田舎で
ございます。



小学生の頃より、人の「才能」というものに
ずっと興味がありました。




自分は一体何の才能を持ち、何のために生まれてきたのかがずっと気になっていた子どもでした。




7歳か、8歳の頃に母親に「人間はどうして生きてるの?」っと聴いたそうです。



さて、そんな私にも色んな転機がありました。




まず、中学3年生のころ、友達の家から家に帰ろうとしたときに、交通事故にあいました。



頭をがっつりぶつけたにも関わらず、(今も頭が凹んでいます)奇跡的に助かり一命を取り留めたのです。



この頃から自分が死ななかったのは、生きて何かをする
ミッションがあるはずだと考えるようになり、
中学生の頃からずっと自分のミッションを考えるような子になりました。




時は流れ、高校時代は、勉強と部活に明け暮れすぎていき、大学生になりました。



大学生になった理由は、「大学にいって自分のやりたいことを見つけるため」。



しかし、大学で私を待っていたのは、自分に全く向かない工学部機械化の授業の日々。



みんなと同じようにまったりと時間を過ごすことのできなかった私は、何かに急かされるように日々を充実させたいけれど、できない焦りに悩まされる日々が続きました。



「自分のやりたいことが分らない」
「このままこの学部で勉強をしていても自分の未来に繋がらない気がする」
「心のそこから語り合える仲間、友がいない」



未来や人間関係に絶望を20歳の頃かしはじめ、
導かれるように「鬱」へと心は転落していきました。



感性の豊かな10代の終わり頃だからこそ何かを感じていたのだとおもいます。



そんな私が「鬱」から脱出できた一回目のきっかけは
「ジグジグラー」というアメリカのモチベーターという仕事をしている人材育成コンサルタントのかたの
テープを聴いたことがキッカケでした。


見る見るモチベーションがあがり、生きることに意味をまた見出した私は、ある確実なる手ごたえのある「夢」を精神的死のそこから這い上がるための希望として
「掴む」ことができたのです。



その夢というのが「私のように鬱になって苦しんでいるような人たちを助けたい」という想いでした。



そこから私は人生を180度転回し、大学を退学し、再受験をはじめ、1997年9月から4ヵ月後のセンター試験に向け受験勉強を再開したのです。



鬱を抜け、すべてに対してエネルギーが出ていた私は不思議な力が自分に宿り、勉強も、恋愛も、アルバイトの営業の仕事も、運動も、絵画の力もなぜか全て普通以上の結果が出て、まるでマリオのスター状態になり、
次々と結果が出始めたのです。


このときの私の分析では、人は明確な目標が決まり、
それがワクワクするものではあればあるほど、
ありえない底力が自分から溢れてくるものなのだ。

と思っていました。



大学に入った私にはまた色んな転機が待っていたのです。

この続きは、来週書きますね。