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今日は、同じ職場で働く先輩の小林 佳徳さんの人生を紹介!!

よしのりさんは、小学生時代に出会ったパソコンの入門書をきっかけ興味を持った“コンピューター”を追いかけていたら自然と仕事になっていたというかっこいい先輩だよアップ

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今でこそ、人気のあるコンピューター関連、ネット関連の仕事だけど、昔はこんな仕事がたくさん生まれるなんて、ほとんどの人は想像できなかったんだあせる

でも、これからの時代を切り開く中高生が大人になる時には、今ある仕事以上にもっと誰も想像しなかったコトが仕事になるのかもしれない。アメリカ・デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソン教授は「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」という予測もしているんだ!!

もちろん、日本だとアメリカとは違ったパーセンテージになると思うんだけど、確かにありそうって思うのは僕だけじゃないはず。実際、みんながいつも使ってるTwitterやFacebookなんかはここ数年間で普及したんだから、あり得ない話じゃない!?

そんな中で、将来を今から選んでいくためのヒントをよしのりさんの言葉からつかんで欲しいと思う。ここからは、よしのりさん本人の言葉でお届け(-。-)y-゜゜゜

◆ 理数系が大好きでパソコンに興味を持った幼少期
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1973年山梨県甲府市生まれの小林です。今年で社会人16年目です。学生のみなさんからするとずっとずっと年上かもしれませんが、もし実際に会う機会があった意外とそんなに年が違うとは感じないかもしれません。

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小さかったころは体が弱くて、幼稚園も半分くらいしか通えてなかったらしく、自然に家の中で出来ることに興味を持ちました(いわゆるインドア派)。小学校に上がってからは算数、理科と、特に図画工作が好きで、「学研の科学と学習」が大好きでした。「学習」には一切手をつけず、「科学」のふろく(日光写真キットとか、手回し発電機とか、そういうの)をせっせと取り組んでました。
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★パソコンとの出会い
そんな今から30年ほど前。確かファミコンが発売された1984年くらい、小学校4年生だった私は、本屋さんである1冊の本と出会いました。

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こんにちはマイコン

すがやみつるという、当時のコロコロコミックという分厚い月刊漫画雑誌に、「ゲームセンターあらし」というこれまた強烈なタイトルの連載を持っていた漫画家がパソコンの入門書を出したのです。著者も秋葉原に通いまくるほど、かなりパソコンにハマっており、その気持ちをそのままマンガにしたという一冊です。
まだ、家庭にはもちろん、オフィスにもほとんどパソコンがない時代のことでした。

小林少年は、この本を通じて「パソコン」という名の魔法の箱のことを知り、知ってしまい、「なんてすばらしいものなのだ!」と、これ以上ないほどに強く興味を持ちました。

しかし、ファミコンが当時14800円だったのに対し、この本で紹介されていたPC6001というパソコンは、なんと定価89800円・・・。到底、いち小学生が手の届くものではありませんでした。でもあきらめ切れない日々を過ごす中、地元の繁華街を親と歩いていたときに、たまたま小さい電気屋でPC6001がバーゲンセールで29800円で販売されていたのです。

全力で親を泣き落して入手した初めての「パソコン」を手に入れた日の感動は今でも忘れません。しばらくは一人で、ちくちくと簡単なプログラム(BASIC)を入力して楽しんでいる日々でした。(メインメモリは16Kバイト。今時のPCは2Gバイト~4Gバイトですから、10万分の1くらい。)インターネットもなく、携帯もなく、ただただ平和な時代でした。

◆ コミュニティにうまく溶け込めなかった中高生時代
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このころは、ファミコンはもちろん、田宮模型をはじめとしたラジコン、ゲームボーイ、ヨーヨー、ケン玉、色々なホビーがブームとなり、新しいものが好きだった自分としては片っぱしから、のめり込み放課後は楽しく過ごしていました。

しかし、当時、自分が通っていた中学校はいわゆる「荒れている」学校で、校則で男子はなんと坊主丸刈り(野球部でもないのに)。校庭には暴走バイクが入ってくる。卒業式ではOBと教師がケンカ寸前。そんな環境でした。

そんな中、空気の読めない性格の私はしゃべることがとにかく大好きだったこともあり、まずいことに目だってしまったのか、いわゆるイジメのターゲットになってしまいました。そこは、力が支配する環境。学歴や成績は関係ありません。体も小さく強くなかったので、せめて頭で勝負できる環境へいければ、と、これまた無理やり入部させられたバドミントン部で上級生たちにシゴかれながら、高校生になる日を心待ちにして過ごしました。(でもバドミントン自体は好きで今でもたまにシャトルを追いかけたくなります(笑))

その後、特にお受験もなく無事、公立の普通高校へ。進学校だったため、いじめはなくなりましたが、今度は勉強が格段に難しくなり、これまでの勉強法ではついていけず、真剣に勉強に取り組むようになりました。

しかし、受験勉強の意味に疑問を持ち始めたのもこの頃。「なんのために勉強するのか」と。
とにかく勉強をして偏差値が高い大学へ入ることが、果たして自分にとってこれからの将来、いったいどんな意味を持つのか。葛藤する毎日でした。

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「バイトも恋愛も禁止で、とにかく大学合格者を一人でも増やすことに」躍起な担任にもストレスを感じ、勉強の合間には、毎日のように学校の帰りにゲームセンターに通いつめていました。

しかし、コンピュータに対する熱意はさめることは無く、結果的に選んだ大学での「工学部情報工学科」には、今でも後悔はなく、ベストな選択肢だったと思えます。田舎の高校だったので受験や大学に関する情報も少なく、ただ高校の担任の言われるままで、今だったらもう少し別の大学も検討できたらよかたかな、とも思いました。

◆ 大学で得た自由な時間をすべてコンピュータに投資!
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大学は私立を2つと、地元山梨大学と新潟大学を受験(すべて理系)。親のススメもあって、地元には残らず、縁もゆかりもない新潟大学へいくことに。3月も終わりのころに慌てて住むところを探しにいき6畳一間のアパートに決めました。まだとても寒かったことを思い出します。

実家を出て初めての一人暮らし。自分の高校からの新潟大学進学者は0人。つまり入学者の中に知り合いは0人。何もかも自由にはなったものの、なんでも自分で判断して生きて行かないといけない環境で、必然的にコミュニケーションをがんばろうとしました。とにかく、誰とでも話してみよう。情報を取りに行こう。学校から発信されている情報だけで満足しないようにしよう。携帯とかインターネットとかありませんから。授業でとなりになった人に話しかけよう。家庭教師のアルバイトを始めてみよう。テニスサークル(いわゆるテニサー)に入ってみたりもしました(馴染めずすぐやめてしまいましたが、続けてたらまた違う大学生活になってたかも・・・苦笑)。

自然にそういうスタンスが身につきました。今思えば、何もせずに、家賃31000円/月の六畳一間のアパートの中で毎日を過ごしていくことになりそうな予感に耐えられなかったのかもしれません。
でも、そこで得られた、自分で明日をつかみとりに行く、そのために何をするべきか”、という感覚がこのときの経験で磨かれて、あとに活きているようにも思います。

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★サークル活動を通しての、またコンピュータとの出会い
そんな人並みな大学生活を送り始めていた時に学生会館という学内の施設で、コンピュータのサークル(部活)がることをたまたま知りました。いわゆる「新勧説明会」というものです。

それを見てすごく気になって同じクラスの友人に話したら怪しいので気乗りしないと言われたのを今でも覚えています。確かに怪しい部でしたが(苦笑)、それ以上のワクワク感を直感で感じて、気づいたらそのいわゆるオタク系サークルに入部しており、その後、部長も務めました。そこは男ばかりの世界で色恋沙汰は「0」でしたが、のちにファイナルファンタジーのメインプログラマになった先輩もいる、硬派なサークルでした(プログラミングや、半田づけ工作など、ガチでした)。そこで、濃い先輩と出会えた経験はとても貴重なものでした。(卒業してもう17年ですが、OB会を開催しています)。

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#特にパソコンで作るCGに、ハマっていて、コンテストで賞をとったりもしました(Youtubeに実はアップしてます

大学に入学したのが1992年。インターネットはすでに技術としてはありましたが、まだまだ世の中には普及しておらず、巷にはパソコン通信というものがありました。3分で10円(+α)の電話代を支払って利用するものです。毎日利用すれば、すぐに数千円~数万円がかかってしまう、貧乏学生には厳しいものでしたが、そこからしか得られない情報には無限の可能性を感じました。

そして時は流れ、4年生で配属される研究室でインターネットに初めて触れました。「モザイク」という今で言うFirefoxの前進となるブラウザでネットサーフィンしたときの興奮は、衝撃的でした。世界中の人々の「知」が結集して、さらにそれらを自由に検索することができる。今でこそ当たり前のことになってますが、これは画期的すぎることだと!

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一生のほとんどの時間を費やす「仕事」こそ、インターネットやコンピュータにまつわる仕事に費やしたい!!気持ちが固まるのにそんなに時間はかかりませんでした。

◆ 今のお仕事について
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当時の研究室の同僚たちの就職先は、NEC、富士通、日立、NTTデータ、IBMなどが主流でした。

今でこそ、就活生へのアドバイスなどしている私ですが、「コンピュータ分野への就職!」と決めていたわりには、サークル活動にばかり気を取らていて中々就活に身が入らず、結果、なんとなく決まった会社に就職してしまいました。(現代のようにリクナビやマイナビなどもなく、就職に関する情報もほとんど入手できなかったというのもあるかもしれませんが・・・)

その後、上京し東京のどまんなか「市ヶ谷」にある社員寮で一人働き始めるのですが、んとなく決めてしまった1社目、世の中のことが色々と見えて来たこともあり、不満が募る日々でした。インターネットビジネスにはもっともっと可能性があるはず。でも、現実はまだまだそこより遥か遠いところにある。そのギャップに苦しみました。

都心での生活は学生時代には得られなかった様々な情報であふれかえっており、たくさんの人との出会いに恵まれました。そんな日々の中、悩みに悩み、同じ環境で働き続けるリスクの方が、辞めるリスクより大きいと判断し、不安も抱えながら、1998年の秋、より理想の仕事へつくためのチャレンジがはじまりました。まだ今ほど「転職」ということが一般的ではない情報も少ない中、社会人キャリアも短く、何度も挫折しかけましたが、「コンピュータが好きだ。この可能性を追求できる。そしてその価値を人(顧客)に伝えられる。そんな会社で働きたい」という思いだけはブレることなく粘り続け、ある1社から内定をいただきました。

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#2002年、ブロードバンドが普及し始めたころに立ち上げた新規事業、子供向けインターネットサービス「TRAM(トラム)」のイメージキャラクター。事業は失敗しましたが、とてもいい経験になりました。

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#激動の変化を体感できた、あの”時の会社”でも働いていました。

これまで、子供向けインターネットサービスプロバイダの立ち上げ、携帯向けサイトの立ち上げ、最近ではソーシャルゲームプラットフォームの立ち上げなど、色々なネットに絡むサービス開発を行い、そして今は、ネットマーケティング、中でもソーシャルメディアに関する社内責任者をやっています(なのでmixiは2004年から始めてい、GREEのIDは1299番目だったり、ツイッター、Facebook、LINE、なんでもやります)。

※ネットに関する記事の寄稿をしたりもしました

これからの時代は、スマホやタブレット端末の登場により、どんどん低年齢層がインターネットを利用するシーンが
増えてくることが予想されますから、「正しいインターネットやIT機器の使い方」という、国語、算数、理科、社会とい枠にとらわれない、次世代かつグローバルな教育を、自分のこれまでの経験から展開していけたらと思いを巡らせています。

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#ハワイにて、自分が生まれた時にできた溶岩の上にて

◆ 好きをガムシャラに追いかけよ!中高生へのメッセージ
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時間を忘れて没頭できる、夢中になれる、周りの目なんて気にならない。そういう風に取り組めるものを1つでもたくさん見つけて、そこへ投資して欲しいなと思います。それはバイトでも部活でも恋愛でもよくって、それがすぐに身になるとか、将来役に立つとか、お金が稼げるとか、関係ないんです(現にこんなにもコンピュータが普及しましたが、私が興味を持った時点では、ごくごく一部の人しか注目していなかったシロモノなのですから・・・)。

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#3度の飯より大好きなパソコン 自作したり改造したりそれはもう色々しました。

そして「これならちょっと人より好きだといえるもの」を見つけて欲しいとおもいます。私も数学が好きで高校時代は多くの時間を数学に使いました(おかげで、歴史は大嫌いで、日本史のセンター試験で4択なのに25点以下だったときはショックをうけましたが(苦笑))人間、得手不得手があっていいと思います。何か、がむしゃらにやるという経験を大人になる前に1つでも2つでも、して欲しいです。そういう人のところには、チャンスは必ずめぐってくると思います。

◆ よしのりさんの人生から学ぶこと
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よしのりさんと私の出会いは、仕事。
今も一緒に働いているんだけど、ソーシャルメディア、インターネットという軸を持って、世の中に新しい価値を生み出す活動を続けている、とてもアクティブな姿を見て純粋に「いいな」と思った。

きっとそれは、仕事で与えられたミッションを良い意味で無視して突き進み続ける姿に勇気をもらったからだと思う。

よしのりさんの言葉にあるように、このパワーの源は「自分の好きなものを見つけて」、「それをワクワクしながら追いかけまくる姿勢」。
受験や文理選択など、将来を考えるタイミングでは、色々な人からアドバイスを受けると思うけど、“自分が追い懸けたい好きなコト”を大切に選択してみるのもいいんじゃないかな。

冒頭でも書いたように、今は“決まった仕事”なんてすぐに消え去って、どんどん新しい仕事が生まれてくる時代。そんな時、自分が好きでワクワクしながら考えた道はきっとどこかで繋がるからちょっと勇気を持って突き進んで欲しい。

そのために、日々何ができるかを考えていってほしい。
(これは、僕もなんだけど・・・)
今日、よしのりさんの記事を書いて、そんな風に思った。

中高生のみんな!
もし、好きなことで突き進んでいいのか不安に想ったら、憧れの先輩を見つけてみよう!!会いたい人との場を作るのが難しいと感じたら、そこはドラマバンク★プロジェクトの出番。


できる限り、みんなのサポートをできるように頑張るから、ぜひアンケートなどでリクエストしてみてね。よしのりさんも助けになるよ!!


編集記者:水澤 貴

ドラマバンク★プロジェクトでは、将来のことを考える時に役立つ記事を発信するためにアンケートでみんなの声を集めています(o^-')b回答は3分くらいで終わると思うので、ぜひご協力ください!!
アンケートはこちら



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今日は、広告業界で働く清水一樹さんの人生を紹介。

中学生・高校生のみんなも広告って興味あるんじゃないかな?

どんなに良い商品やサービスでも「伝わらなければ」知られることも無い、そんなミスマッチを解消するために必要な広告。携帯やスマホでも毎日、ほんとーにたくさんの広告を目にすると思う。

でも、広告ってみんな積極的に見たいと思ってる!?
たぶん違うよね。

だから、広告を創る側は大変・・・

広告をみんなに見てもらうためには、面白くしなければだし、さらに、覚えておいてもらうにはより工夫をしなければダメ。どのような形で広告を打つか、Web にするか、どんな方法で出すか、その広告に合ったやり方が必要。そして、Webならこんなセリフを、と媒体にあった形で広告を制作してくんだ。まるでクイズみたいだね!

大阪出身の清水さんは、ユーモア溢れる熱い人。25歳の時に単身上京して、何の当てもなく広告の世界に足を踏み入れたって言うんだから驚きだよね。

今日は、そんな清水さんがどんな人生で今に至るのかをひも解いていくよ!!

◆ 自己紹介
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清水一樹。34歳です。

仕事は「アタラ合同会社」という場所で広告関連のコンサルティングを行なっています。
大阪出身・大阪育ちで今は東京在住ですが、大阪時代ではデザイン事務所でWEB/紙媒体のデザイン制作を経験してから、25歳という遅いタイミングで東京へ上京し、広告代理店に8年勤務し今の職に従事しています。

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※ピカソと私

広告は「企業と消費者のラブレター」なんてよく言われていますが
私はそのラブレターを一緒に考え、たくさん成就させたいと思っています。

◆ “まずやってみた”中高生時代
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中学時代はなにも努力はしていないし、「興味がある事すら興味がない」というダメダメな時代だったのですが、高校時代は自分のアイデンティティを見つけようと、凄く自由奔放に行動していたと思います。

周りの進路等の動きもありましたが、私は勉強の成績も優秀な方ではないですし、そもそも自分の情熱はどこにあるのか、を視点にした行動を優先していましたね。

悩む事は特になかった気がします。というより悩む前に少しでも興味がある事はやっていた気がします。

中 学の時に競馬マンガにハマっていたので、競馬業界ってどんな世界なんだろう?!と思い、色々調べていました。騎手は体格と高校生の私にとっては環境的(中学卒業後→騎手学校へ 進学)に厳しいので、競走馬を世話してあげる厩務員なら大丈夫だったので「まずは馬に乗る技術が必要だ!」と思い、乗馬クラブに行きましたね。 ※結果的に趣味となり、仕事に結びついていないのですが乗馬ライセンスを取得しましたw

ここで高校時代の変化したポイントなのが、高校に入ってからは親が別居し父親と生活する事になったのです。※今はまた仲良く一緒に住んでいます

父親も仕事の関係上、朝も早く夜も早くには寝ていたので、私も父と話す機会を多くもたず、炊事・洗濯などの生活全般・高校卒業後の方向性なども含めて、自分の事は自分で行い、全ての判断・行動をしていました。

それがまだまだ若い自分にとっては「人生を自らが決めなければ誰も決めてくれない」と感じさせられたし、周りの同世代の人よりも焦っていました。
この自立をしていた土台によって、高校時代のアイデンティティを見つけようとする原動力があった事は間違いないと思います(あ、といっても当然学費等は親にお世話になっているので、100%自立はできていないのですがね)。

◆ サウンドデザイン専攻に入学し職人の道へ
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私は昔からモノを作るのが好きで小学生の時はハンダゴテを使った工作や、ラジコンも自ら作っていたりと、なにかを創造し品質を高く生み出していく職人やクリエイターに徐々に魅力を感じていました。

そんな中、大学に進学せず自らの専門性をいち早く身につけて、社会に出て活躍したい気持ちもあり、専門学校でサウンドデザイン専攻に入学し職人の道へと進みだしました。

サウンドデザイン専攻とは、読んで字の如く、音楽とデザインを創作できるようになる授業です。な ので作曲の授業から電子音楽としてパソコンで曲を作ったりしていましたが、私としてはPhotoshop・IllustratorやCGを作ったりしてい る時の方が楽しい時間でした。卒業した生徒の中では、あまりデザイン系には就職せず、放送局にいってラジオ用の音源を作ったり、カラオケ用の音源を作った りする仕事等に就いていましたね。

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※専門学生時代。調子のってますねw

専門学校では、1期生だったので、色々学校側も模索しながらの授業で先生も何度も変わったりと、授業内容も変動していたので自分自身がどう吸収していくかを意識しないと大変でした。

一 番の思い出としては、卒業制作として映像学科の生徒が映画を作る事になった時になぜか私がその映画の主演として参加する事になったのです。ストーリーは怠 け者の人間が1人の男と出会い、社会に向き合って就職し、活躍していくという結末ですが、この役を私に抜擢するという事はイメージとピッタリな人間がいたと いうなんとも複雑な感情でしたw

ただ、その映画作品が学院長賞を受賞したのは嬉しかったですし、撮影期間も睡眠時間も削り行なっていたので苦労しましたが、凄く楽しかったですね。

この時、自らの手で作成したものを世に認めてもらいたい気持ちが芽生えました。デザインの授業は好きだったし、当時はWEBデザイナーの時給が2000円を超えていて、需要が高く特別なポジションだったので惹かれました。

◆ デザイン事務所に就職後、25歳で単身上京
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自己紹介でも触れましたが、専門学校卒業後はデザイン事務所で制作を中心として勤務を行なっていました。

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※デザイン事務所時代の私のデスク。汚いw

そこで特に制作を通じてWEB業界に面白味を感じていた私としては、大阪で地域密着型の制作を行なっている事にどこか物足りなさを感じ、25歳の時に東京へ出て最先端のWEB業界へ飛び込もうと決めたのです。

そこからの決断と行動のスピードは今でも自分を褒めたい位に早かったですね。

決断後、まだ東京で勤務先が決まっていない状態で住む物件だけ決めて、約3ヶ月後には東京に住んでいました。上京したとしても知り合いもいない状態なので、仕事を紹介してもらえるパイプもなく、大阪から東京に着いた後の日程を想定して、複数社の面接のアポをとっていました。
大阪から東京に着いた後の日程を想定して、複数社の面接のアポをとっていました。
上京をする無鉄砲さはあれど、割りと現実的に自分の置かれている環境に冷静で目先の動きについては計画的な行動でもありましたが、「東京で働く事が自分の成長になる」という漠然とした信念は強くもっていました。

その後、勤務する事になる広告代理店の面接して頂いた上司の話を聞くと、「ハングリーの塊だったよ」と言っていたので相当、当時の自分には野心オーラが出ていたと思います。

普通は年齢的なタイミングや、様々なリスクが頭をよぎる事もあると思うのですが、あの時は不安なんて感情は一切なかったですし、楽しみしかありませんでした。
あの感情は今でも常にもっておこうと意識していますね。

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※広告代理店時代の私のデスク。またも汚いw

◆ スピード感の中で働く魅力とやりがい!
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東京で広告代理店に勤務し、インターネット広告に出会いWEB業界という経験の幅を広げて今は広告業界のコンサルタントとしてさらにチャレンジの幅を広げようとしています。

広告業界はネット広告を中心にとてつもない速さで進化しています。数年前は反応があるだろう媒体の広告枠を買う事が重要だったのが、今はあるWEBサイトの広告枠でも人によって広告が違ったりと、消費者の趣味嗜好を分析し1人1人に対しての広告を見せていくような時代になっています。
きっとこれからもまだまだ変化していくので、他の業界に比べて少しでもブランクがあると付いていけないスピードだと思います。

その流れにのりながら自分も進化し、自分なりの見解をもって自分の価値を作って仕事をしていかないといけない事が大変でもあり、やりがいを感じています。

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※今の会社メンバー。私は右端です。

◆ 中高生よ。時に無鉄砲であれ。
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私のターニングポイントは、高校時代の無鉄砲な独断での行動と、25歳の時の無鉄砲な東京への上京。

そこには自分にとってマイナスの経験には絶対ならない、という意味もない確証があったし、今でも結果的にはプラスしかなかったと感じています。

ようは、『時に無鉄砲であってほしい』と言うことです。
少しの興味でもリスクを考えず、なんでも行動し向かっていけば必ず後で意味が生まれます。

細かなチャレンジという自らの鉄砲を持ち、行動するタイミングがあるので、そこでいかに目標という的に当てていけるかが、無鉄砲という経験で活きてくるのです。

なんらかの興味が1ミリもない人間はいませんし、なんでも構いません。
中高年の皆さんの無鉄砲さを期待しています。

◆ 清水さんの人生から学ぶこと
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進む前に無鉄砲であれ!かっこいいですね。ドラマバンク★プロジェクトの企画や広め方でアドバイスをもらっている経験からも清水さんの「自分で道を切り開く、そのために興味のあることはまず行動」という姿勢が伝わってくるよ。

中高生のみんなは今、自分自身の鉄砲は持ってるかな?


もし、何かちょっとでも興味があって、もっと知りたいと思っているならあえて空気を読まずに無鉄砲に行動してみてはどうだろうか。

きっと、今までとは違う道に一歩を踏み出すのには相当な勇気がいると思う。だけど、一歩を踏み出さないと何も変わらない。その瞬間、たとえマイナスの結果だったとしても長い目で見たら不思議とその経験が最良の選択だって時もある。これは、実際に仕事をしてお金を稼ぐようになって分かることが多いんだけど、先輩である自分たちを信じて欲しい。

現に無鉄砲な行動で自分から機会を作り出して、挑戦していった清水さんのような人もいるじゃないか!

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僕の好きな言葉に「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉がある。リクルートという会社の社訓だ。清水さんが語ってくれた、「悩む前に無鉄砲であれ」という言葉もどこか近いモノを感じないだろうか。

中高生のみんなも将来に悩んだら、そのまま悩み続けずにまず小さくてもよいから行動を起こして欲しい!行動しようと思って、何か障害があるなら、その時はドラマバンク★プロジェクトが助けになりなりたいと思います!

▼参考
清水さん執筆のアド論(広告代理店時代)
アタラ座談会(現職)


編集記者:水澤 貴

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先日、テレビでケンタッキーフライドチキンがいかにして誕生したかという番組がやっていて、
それとなく見ていた私は思わず釘づけになった。

今回は、誰もが知っている「ケンタッキー」のあまり知られていない成功までの道のりを紹介したい。

◆カーネルおじさんはどんな青年期を過ごしたのか
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店頭のカーネルおじさん人形のカーネル・サンダースが創立者であることも言わずと知れた事実だ。
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サンダースは、父親を6歳のときに亡くし、
母親が工場で働きながらサンダースとその弟妹を育てた。

サンダースは家計を支えるために10歳から農場に働きに出ていた。
最初に働いた農場では、鳥や虫に目が行ってしまい現場監督から集中力がないと解雇されて一度自宅に戻ったというエピソードがある。

母に「常に、あなたができるベストを尽くしなさい」と言われ、次に働く職場から絶対にベストを尽くし続けようと心に決める。

学校は14歳で辞め、青年期にかけ、とにかく様々な職業を渡り歩いた。
農場の手伝いや市電の車掌、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々と経験した。

◆転機となったガソリンスタンドのオーナーという仕事
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1つ目の転機は30代後半に訪れた。
ケンタッキー州でガソリンスタンドのオーナー職の募集があった。
経営する立場をここで初めて体験する。

間もなくして、このガソリンスタンドがちょっとした有名店になった。

今でこそ日本では当然のサービスだが、その当時はどこでもやっていない「車の窓ふき」をガソリンを入れにくるお客さんにサービスし、彼は「自分ができるベストを」と徹底サービスを自分のポリシーに働いた。
サンダースのガソリンスタンドはドライバーの間でちょっとした話題となる。


ある時、長距離運転の途中にサンダースのガソリンスタンドに立ち寄ったとあるドライバーが、

「長距離で腹ペコなんだが、この辺りにはどうやら食事できるところはまったくないようだな」
とサンダースにつぶやいた。

これをキッカケに、サンダースは隣の倉庫を改造し、1つのダイニングテーブルを据え、
6つのイスを用意し、自分の料理をふるまうことを思いつくのだ。

レストラン・コーナー「サンダース・フェ」の誕生だ。

限定1日6食。母の影響で好きだった料理を無理のない範囲で、腕試しのごとくふるまった。

ほどなくして、食事はすぐさま完売することになり、
遠方から食事目当てで来る人まで出てくるほど、サンダースのガソリンスタンドはこのちょっとした食事が有名になった。

サンダースはガソリンスタンドの支配人と調理師とレジ係を兼ね、忙しく働いた。

州の南北を貫く幹線道路である国道に面した店は繁盛し、
向かいの物件でレストランを拡大して営業することになる。

客足はその後も順調に伸び、彼の料理はたちまち人気になった。

◆フライドチキンの研究を続ける日々
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45歳の時には、“州に料理を通じて活気を与えた”と貢献が評価され、ケンタッキー州の知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられる。

この称号カーネルがカーネル・サンダースとなった所以である。

様々な料理を提供していたが、中でも長年ずっと研究を重ねていたのが、
言わずとしれた「フライドチキン」だった。

彼の故郷ケンタッキーの郷土料理であり、母の作るフライドチキンが大好きだったサンダース。
様々なスパイスを組み合わせては試作品を作り、お客さんに味見をしてもらい意見をもらい、
何度も何度も繰り返し理想の味を求めて作り続けた。


その年月は10年以上に及んだという。

そして「サンダース・カフェ」は、モーテルを併設した142席のレストランにまで成長。
その頃そこまで大きなレストランはほとんどなかった。

◆突然の悲劇からの復活
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ところが、
その店舗が原因不明の火災に見舞われるという悲劇に突然遭遇する。

茫然自失となったサンダースは店をあきらめかけた。

しかし、集まった常連のお客さん達の
「どうしても僕らはもう一度あなたのフライドチキンが食べたいんだ」
という強い声に励まされ、大火災から2年後には147人収容のレストランを再建した。

本来、フライドチキンは大勢を収容するレストランを作っても、一度に作れる量は決まっており、お店の混雑時は急いで立ち寄るお客さんは長時間待たなくてはならないため、食べることができなかった。

そんな大きな問題を解決したのが、
「圧力窯」だった。


圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後70年以上にわたって「オリジナル・レシピ」として引き継がれており、そのレシピを見ることができる者は、今現在でも2名程度しかいないというから驚く。





◆ピンチをチャンスにしたビジネスアイデア
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この時代、車が各家庭に普及しはじめ、幹線道路や高速道路が次々に作られ、サンダースカフェのあった通りもこのままでは交通量も減り、客足が落ち込むことは目に見えていた。

もはや倒産さえもを覚悟した60歳を過ぎた頃。
サンダースは、各地のレストランの経営者や従業員にフライドチキンの調理法を教えて歩合を得るという新しいビジネスモデル(フランチャイズ)をひらめく。

その頃、とあるパーティーで知り合った若きレストラン経営者ピート・ハーマン。
彼とは親子ほどの年の差があったが、会って間もなく意気投合。
その後も何度となくビジネスアイデアを相談し合う仲だった。

ピートもアイデアを聞いた当初は、調理法にお金を払う人がいるだろうか・・と自信はなかった。
でも試しにフライドチキンを自分のお店で提供し始めたところ大人気の看板メニューに。
「これはいける!」と確信した。

そしてピート自身が最初のフランチャイジーとなり、フライドチキンのオーダーが1件入るごとに15セントのマージンを支払うという当時にはまったく新しいビジネスモデルのフランチャイズ一号店が誕生したのだ。

この時、ピートが「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)というブランド名を考案。
意外にも彼が名付け親なのだ。

65歳の頃、いよいよ州間高速道路が開通すると、車と人の流れは変わり、国道沿いの「サンダース・カフェ」には客が入らなくなった。

サンダースは維持できなくなった店を手放したが、負債を返済すると手許にはほとんど残らなかった。

◆ミスから生まれたヒット商品
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以後サンダースは、フランチャイズビジネスの普及に努め、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回った。

最初は思うように契約は増えず、苦戦を強いられる日々。
それでも、彼は諦めることなく自分の味を信じ、妻と一緒にくる日もくる日もフライドチキンを紹介して回った。

ただ紹介するだけでなく、白いタキシード姿の正装でフライドチキンをサービスした。
これは南部特有の衣装でもある。(これがのちのサンダース人形やマスコットのアイコンに)
ケンタッキーをアピールするためにも自分ができるベストを貫き続けた。


そんなある時、
自宅に帰ってみるとたくさんの注文が入っている。


何事かと、サンダース自身が一番驚いた。

急激な注文は、ピートの店で従業員が間違えて発注したボックスサイズの箱だった。
この箱の使い道がないので、それじゃフライドチキンを入れて売ってみようということになった。

それがたちまち売れ、いつしか大行列に。

まさに、
車社会の到来による遠出をする人々が増えた結果、手軽に車や外でも食べられる形態のニーズが掘り起こされた瞬間だった。

そうして、今のケンタッキーのパーティーボックスは誕生したのだ。
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ここから快進撃を見せたケンタッキー。
時代のテイクアウトニーズの波に乗り、70歳の頃には米国とカナダで400店舗、74歳までに600店舗を超えるフランチャイズ網を築き上げた。

◆サンダースから学ぶこと
受験する前に読んで欲しいブログ

カーネル・サンダースは単なるファストフードを世の中に広めた人物と思っていたことを恥ずかしく思う、そんな彼の生き様です。

彼は、世界一有名なシェフとも称されるほど、一切の妥協も許さないそんな厳しい料理人だったそうです。

有名になっても、世界各国にある店舗の現場を訪れ、肺炎でなくなるその数日前まで厨房でフライドチキンの正しい揚げ方を伝授して回っていたというそのプロフェッショナル魂は、まさに料理人です。

彼は14歳で学校をやめてから、ものすごい多種多様な職業を体験したわけですが、そんな方法も自分の好きなことややりたいことがまだハッキリしない時期にはなかなか良い手なのかもしれないと思います。

料理人というのがサンダースの天職だったわけですが、それに気がついたのは40歳の頃。
自分が「これだ!」と思える仕事に出会えるタイミングは、早い人もいれば遅い人もいる。
それをサンダースの生き方は教えてくれます。

けっして、高校卒業時や就職活動の時に、決まっていなくてはダメということはないのです。
走りながら、目の前のことを一生懸命やりながら、自分が何を好きなのか、世の中に何をしたいのかが分かるものなのです。


数十年をかけて編み出したフライドチキンの秘伝のレシピ。
これが今なお継承され、世の中に出回ることなく大切に保管され息づいていることにも感動を覚えます。

“今できるベストを尽くす”。
これは本当にシンプルな言葉で実践は簡単ではないことです。

でも、彼の生き様がそうすることで何を得られるか。
どんな結果を引き寄せるか、体現しています。

明日やればいい。から
今日どこまで出来るか必死にやってみる。へ私自身もシフトしていきたい。そう強く思います。



編集記者:飯島里枝

参考文献:下記のサイトなどを参考にさせていただきました!
Wikipedia
今日もカーネルの調理法


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