春分巡礼2009 秩父神社 その2

テーマ:


ラビングアースDragon Anasta-titibujinjya11


上写真は秩父神社の手水舎 ですが、国宝ではないのか(笑)と思うほど素晴らしい彫刻です。色々と神社を巡っておりますが、ここまでの手水舎はなかなかお眼にかかれません。


獅子・鳳凰・亀・玄武など色んな生き物が彫られています。




ラビングアースDragon Anasta-titibujinjya12


秩父神社の門番。狛犬というよりは獅子狼です。しかも正面を向いています。面白い。



ラビングアースDragon Anasta-samukawa3

上は寒川神社の門番。明らかに獅子狼です。腕が太い。秩父神社とそっくりです。



手水舎と門番の狛犬だけで秩父神社は特異な感じが漂ってきます。


狛犬だけとってみても、日本の古代がひとつの文化から形成されたものではないということが理解できます。


日本人単一民族国家説は政府か誰かの洗脳政策であることはほぼ間違いがありません。日本人単一民族国家説は明治政府の国家神道のベースとなる思想で皇国史観と呼ばれるものと、ほぼ一致します。


『万世一系の天皇』という創作もこの時にさらに強められたと思いますが、社会が開ければ開かれるほど、その偽装は顕になってきます。そういう<持続不可能な歴史>よりも今は<持続可能な歴史>を取り戻す必要があるのではないかと思います。




ラビングアースDragon Anasta-titibujinjya13


平等院鳳凰堂や金閣寺の守護に鳳凰は取り入れられていますが、仏教と鳳凰は何か合わないような気がします。妙見菩薩が仏教の表現を手段として日本の古代の神が再生しているように、鳳凰に対する信仰もインド・中国の信仰が入ってくる前にもっと違ったものがあったように感じます。


フェニキアの信仰をベースとしながら、ゾロアスター教やミトラ教、そして古代キリスト教などの様々なオリエントやその周辺部の信仰をもかなりの深度で吸収したのではないかと思います。


現在の東京が世界各国の様々な文化を吸収するように、紀元前千年ごろの日本も凄まじい宗教の坩堝ではなかったかと思います。そうだとするならば、現在のオタク文化発生の原因も説明できるわけです。


そういう多民族国家で大同団結の証を生み出そうと思えば、言語や人種を超えた国の根幹になる思想というものを持たなくては到底、国は治められません。


それが、人が天を支えるという意味の”大”であり、人がひとつにまとまるという”大”であり

それが大文字焼きの大文字精神になっていくのです。


そしてそれが輪を描いて、並列に平等に国を造っていくという和が

ダイワのヤマトとなっていくのです。


最近では、隣国を攻撃するのが大和魂だと勘違いされてますが、大和魂はそれほど低俗ではありません。ダイワのヤマトはこの地球上に現れた国家の中で最も崇高な、他民族協和を哲学的に成し遂げた奇跡のクニであったと思います。しかし、その後は、支配とその反動で、そもそもの崇高な精神は忘れ去られていきました。


ヤマトという言葉の中に多民族国家の思想を展開できるだけの度量があること自体に私達はもっと驚嘆する必要があると思います。







  



∮ Energycopyright(c)∮ Loving-earth

Crystal&Healing LovingEarth
banaloving2.jpg


AD