相模三社巡り

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こんにちは、ひびきです。


昨日は相模3社巡りをしました。まず一之宮の寒川神社から。


前回は正月に行ったので、すごい人手で今回はゆっくり参拝できると思いきや、またしてもすごい人出。



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今でもすごい求心力です。知名度は意外と低いですが、とても重要な神社です。


創建は雄略天皇の時代とされていますが、これはほぼ当たっているでしょう。奈良よりも明らかに古いです。(自説では奈良遷都は持統天皇以後)


秦、賀茂、伊勢、高麗、狼、鳳凰、龍、獅子などが全て論理的に配置されています。(記紀の正当性主張のために創作された神社・地名・聖石も数多く日本には存在しています。この場合は狼や龍、獅子信仰が不自然な形で配置されています。例えば大神<おおかみ>信仰があるのに狼伝承がない地域は明らかにおかしいのです)



この寒川神社と二之宮の川匂神社が一之宮を競い合ったということですが、これはこの相模川流域に巨大な国があったことを示しています。なぜなら相模川を挟む寒川と川匂の文化が違うならば単なる一之宮の争奪戦となりますが、相模川を挟んだ寒川と川匂の争いを大山のふもとの三之宮比々多が仲裁したとのことです。三之宮比々多は大山を配する広範囲な地帯を治めており、一之宮から三之宮までがそれぞれ広大な地帯を治めていたことが伺えます。これら全ての地帯を統括する権力があったのは明白です。その権力が崩壊した後に一之宮選手権があったのです。相模川上流域の高尾山もこの文化圏に入ります。タカオは水神タカオカミのタカオであり、クラオはもっと奥に遷座しているでしょう。


奥には石楯尾神社があります。意外と知られていませんがこの相模川流域、ヤマトタケル伝承が多いのです。



川匂神社も以前、訪問しましたが、ものすごくいい神社です。二之宮あたりは高麗なる地名もあり渡来系住民の痕跡が残っています。現代歴史学では大和と渡来系を分けて考える傾向がありますが、内実は全く違いますね。


むしろ秦氏や高麗を受け入れていた地方が真の大和であった可能性のほうが高いのです。現在でも日本の文化は寛容に他文化を受容しますが、これは邪馬台国の文化です。後には蝦夷文化として発展します。


狼や鳳凰、蜻蛉、龍神を廃した奈良・京都の後期大和朝廷の文化は明らかに前期大和朝廷の文化とは違います。律令と仏教鎮護を各地方に押し付けた後期大和朝廷は日ノ本邪馬台国を受け継ぐ王朝ではありません。


この寒川神社を含む相模の巨大な蝦夷文化圏は明らかに前期大和朝廷の文明圏です。


ここを中心として前線としての伊豆・山梨、北方の秩父・三峯、東方のつくば・大洗は巨大な蝦夷邪馬台国の文明圏を形成しています。




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相模川流域は現在では東京・横浜のおまけみたいな感じで認識されてますが、古代は逆です。このサカムに首都があり、東京・横浜は単なる湿地帯でした。




次に四之宮の前鳥神社に行きました。サキトリとは先(船首)トリ(船尾)をあらわす古語。これを同時に祀るサキトリはものすごく重要な神社。現在でも最後をオオトリなどと言いますが、オオトリ・シラトリを飛ばすためにはこのサキトリのバランスが必要なのです。何事もそうですが前へ進むということは、目指すべき光と、そこへ向かうためにのエネルギーが必要です。サキトリとはこの2つのエネルギーを明確に祀っているのです。従って、ここは関東でも珍しい学問の神さまです。


この神社の祭神にもなっている『うじのわけのいらつこ』は宇治天皇とも呼ばれていたらしく(後期大和朝廷により封印)宇治という名前の出元にもなっています。その『うじのわけのいらつこ』がなぜここに祀られているのかを何年か前に調査した時に秩父につながり、サキタマへとつながったのです。サキタマ古墳群のレポートはどこかに書きました。


サカム→チチブ→サキタマと都は移動していますが、最も巨大な都は、ここサカムです。


欽明天皇の時代が怪しい(サカムが都)ですが、未だ結論は出ていません。関東に欽明天皇の都があったとして九州まで統治が行き届かなかった、そのため欽明天皇朝末期で八幡神が顕れた。納得のいく流れです。



皇国史観を廃して日本人はもっと論理的に古代史を突き詰めていく必要があるでしょう。継体天皇ひとつをとってみても畿内大和説(日本の都が常に畿内にあったという説)は崩壊しています。



最後に三之宮比々多神社へ行きました。前鳥神社の中にあった神戸(ごうど)神社。この比々多へとつながっています。ミクシィでこの神(コウ・ゴウ)について深く考察していますが、これは巨石時代とエジプト文明と深く関わっています。


高知の鴻ノ森(コウノモリ)・コウサキ・コウダ・コウイタヤマ、そして神戸(コウベ)・六甲(ムコウ)、奈良のコウノサン、そしてこの神奈川のコウド、全てに共通するのはシンボライズされた山と巨石、そしてたまに獅子岩です。


どちらが先かは今はわかりません。しかし、このコウがつく地名の近くに巨石やメガリス、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡があったりするので、日本のほうが先であった可能性もかなりあります。





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なぜなら、平地でピラミッドを建造していた人たちが山へ分け入ってピラミッドを建造する必要などないからです。

マヤのピラミッドは明らかに何かが降り立つ場所であり、日本のものもそんな印象を受けます。エジプトのピラミッドはそれが形式化したものという感じをぬぐいきれない。


最近では、南米のピラミッドがエジプトと同じくらいの歴史を持っていたという説がなされ話題になっています。これは理にかなった説です。エジプトのピラミッドの建造技術が持ち込まれたものであるということは既に明らかになっていて、それが西方からやってきたということはかなりの確率であると思うからです。



またこの比々多と東京と唯一の村である檜原(ひのはら)村は同じ時代の同じ文明圏でしょう。そしてその村にあります神戸岩(かのといわ)もその時代から信仰されているものでしょう。



このコウ、実は神を表すカムに変化していったのではないかと思います。コウからカウへ、そしてカム。古い時代の発音は”クァウ”みたいな感じではなかったかと思います。(ちょう英語のcow、牛の発音のように)


河内(カワチ)もこのコウと深く関わっているでしょう。高知県の仁淀川流域を始めとして高知県内の川には河内神社が無数にあり、そこから高知という地名がきています。大阪の河内と違い、高知はカウチという発音が強かったため、コウチになりました。さらに、面白いのはこの日ノ本国のカウチの発音に、倭国がタカチ(高市)をうまくのせているのです。同じ意味です。タカシラスは天皇の隠語で、カウチも神の地を意味し、皇孫が治めるという意味です。


ダイワとヤマトが同じ意味であるように、倭国の人々は日ノ本国の言葉に違う読みをつけて同じ意味を持たせ文字を当てはめました。これが後の音読み・訓読みになっていきます。仁淀川流域に行けば、この事実をかなり深く認知できるようになります。


なぜ河内神社が川沿いに建っているかというと、日ノ本国の祭祀は川の上流を祀るもので山には一般人が入ることができませんでした。


銅鐸が山の斜面に埋められているのはそのためです。あれを埋めたのは巫女たちです。


高知市中心部に流入する剣山系と石鎚山系の川の中流域にはそれぞれ川を塞ぐほどの巨石が祀られており、明らかに上流域が神界で下流域が人間界という区別がなされている痕跡があります。


これはまた別の項で書きますが、桃太郎の桃が川の上流からドンブラコ・ドンブラコと流れてきて、その桃から生まれた桃太郎が鬼が島の鬼をやっつけるというのは、元々、日ノ本国の川の上流への、また水源への信仰からきたものです。御伽噺は日ノ本国の物語です。



このロジックでいくと、相模の一之宮の寒川はサカウカワからきており、二之宮の川匂も酒匂川(サカワカワ)から来ており、名前の変遷が違うだけで、両者とも同じ意味なのです。それをコウの発音を受け継ぐ日ノ本三之宮比々多が仲裁するというのは納得がいく道理なのです。



もともと、相模(サカム)はサ・クァウからきており、日ノ本国の農業神、サの神(サバイ・イゲ)と依代クァウを祀った蝦夷邪馬台国の重要な都でしょう。



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