• 07 Jul
    • 私たちとは・・・なに?

      彼女は私と同じ年。子どもの年齢も同じ。高校3年生の息子さんがいる。癌の骨転移による疼痛、入院生活を余儀なくされた。ある出来事があった。常に落ち着いている彼女が泣いた。号泣した。「麻痺したら、どうなってしまうのだろう?」彼女と話した。私たちは人生から投げかけられている。常に、どこででも。まだまだ体の自由が効く時、私たちはその投げかけの声に耳を傾けない。忙しいから。目の前のことをこなすのに精一杯だから。そんなこと考えても意味ないから。その投げかけの声、それは「あなたはなにものですか?」私たちはオギャーと生まれた瞬間から命題を持っている。自分とはなにものか?生きるとはなにか?彼女は今、その命題と裸で対峙している。時に涙を流しながら。勇敢に。私は言った。「私たちの自由は誰にもなにものにも奪われるものではないと思います。たとえ、この体であっても私たちから自由は奪えない。なぜなら、私たちは人間だから。人間とは体ではなく、自由な心そのものだから。尊厳そのものだから。」緩和ケア病棟。そこは人間の尊厳がむき出しになる場。社会的仮面を脱ぎ捨て、役割を脱ぎ捨て、ジェンダーを脱ぎ捨て、体を脱ぎ捨て、私たちは出会うのだ。私たちは始めから自由そのものであったことに。有ると思ったものはすべて幻想であったことに。人間の爆発が起こる場なのです。

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  • 28 Jun
    • メンタルと体

      「メンタルが体に及ぼす影響ってあるのでしょうか?」緩和ケア外来でそう尋ねられた。メンタルとはなんでしょう?メンタルとは考え感情。考え感情が体に及ぼす影響・・・。現代科学は一体、なにを教えているのか?体とは一体なんなの?考え感情とは一体なんなの?そんな命題に答えを出さず、私たちは一体なにを暗記し研究しているのだろう。今までは「そんなものは人知を越えた世界のことだ。尋ねるな!」そう言い捨てられてきた。思想哲学の世界でも、宗教の世界でも、科学の世界でも同じ。命題に答えを出していない。その命題に答えよう。簡単だ。すべての存在は、体でも考え感情でも、すべての存在にはワンパターンがある。無→有すべては無いところから有るようになった。このシンプルなワンパターン。無いところとはなに?それは脳機能が働かないところ。有るところとはなに?それは脳機能が働いているところ。故に、有るところとは・・・脳が作り出している立体画面(フォログラム)にすぎない。有ると信じて疑わなかったこの宇宙は、not realityなんだ。無がrealityだった。私たちの認識が180度ひっくり返る。そうすれば見えてくる。体とはなにから出来ているのか?考え感情とはなにから出来ているのか?答えは「無」です。「無」から出来ているのです。考え感情と体は、一直線に繋がっている。無→有という直線で繋がっている。だからメンタルが折れると体に出る。至極当たり前。緩和ケア病棟・・・メンタルがすべてと言っても過言ではない。考え感情と体はちがうものではないのですから。

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  • 23 Jun
    • 人間の定義とは・・・そろそろ答えを出しましょうよ!

      「生命の基本単位は細胞である」私たちの現代医療の論理展開の出発はここからです。私は癌の外科手術をやっていました。切除しても再発転移を起こす癌とはなにか?疑問を持ちました。正常細胞の変性とも言われる癌。そもそも細胞とはなにか?が分からない。細胞がなにかが分からなければ、生命とはなにかが分からない。では、生命である私たち人間とはなにかが分からないのです。医療は人間の命を救うもの。人間の健康の維持、回復、促進 などを目的とした行為です。人間とはなにかが分からずに進む医療技術は、人間を本当に幸せにしているのでしょうか?私は思います。現代医療が人間不在の現場であると揶揄される所以がここにあると思うのです。人間の定義が「この体が人間である。」、ならば・・・体の健康、体を救うことだけが重要なこととなるのです。違います。人間とはこの体ではない。体を動かしているものは?心臓を動かしているものは?細胞を動かしているものは?命を動かしているものは?そう考えていくと「この体が人間である。」と言い切れなくなります。人間とは、体も含むすべてを動かしているそのものです。私がそれを知ったのは、Noh Jesuとの出会いからです。彼は出会った時、面白いことを言いました。「一つが分かればすべてが分かる。一つが分からなければすべて分からない。すべてはシンプルな動きでしかないんだよ。人間も例外ではない。」と。彼の言う「一つとはなにか?」彼の言う「シンプルな動きとはなにか?」私たちが見ている存在の裏には、それを成り立たせている動きがあります。存在を存在足らしめている動き。人間を動かし、生かす動き。私たちの5感覚ではこの動きは見えない。そもそも5感覚での観測だけが事実であるという思い込みでは、人間の本質など分かろうはずがないのです。現に今ここで起こっている細胞の消滅を感じられない。弾丸が飛ぶより33倍の速さで回る地球の自転など感じられない。その動きの仕組みを自分の頭の中で論理構築していき、誰にでも簡単にイメージ化させて見せてしまう技術をNohさんは開発してしまった。私はそれに出会ってしまった。人間とはなんなのか?その人類の命題に答えを出してから科学技術は進歩しなければならないのです。そうでなければ、人間の尊厳などいとも簡単に科学によって踏みにじられてしまいます。

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  • 22 Jun
    • 母が愛

      思いが溢れる方だった。次から次と・・・とめどなく、時に涙ぐみ。「まとまらない・・・すみません。」一つの提案をしてみた。「その思い、たった一言に凝縮してみてください。そして3日後に聞かせて下さい。」彼女のメモ書きが始まった。溢れる思いが出てくるのだろう。そのメモにはスピリチュアルペイン(人間の根源的な痛み)が溢れていた。病気ってなに?死ぬのが怖い。なんで!約束の3日後。彼女は言う。「先生、まとまったかどうか分からない。でも一言出てきました。」穏やかな顔だった。その彼女が見せてくれたメモにはたった一言・・・「母が愛」そう達筆で書かれていた。私は思う。私たち生きとし生けるものたちはみな、苦難の行軍。嬉しいときも悲しいときも苦しいときも歓びのときも希望のときも絶望のときも私たちの本質が求めているものは「愛」なのでしょう。なにも裁かれることなく、すべてをありのままに受け止めてもらえるこの苦しみも悲しみも・・・すべてを抱いてくれる愛。それはまるで、子どもを思う母の愛のように。緩和ケア病棟に90歳になるおばあちゃんがいる。がん末期に出てくる症状、せん妄状態の中、彼女の口から出てくる言葉は「お母さん、お母さん、お母さん」私たちはみな、死という一点に還る。それはきっと母の愛というものに限りなくnearlyなものなのでしょう。

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  • 14 Jun
    • すべては人間の教育の問題です。

      私もそう。いろいろな角度からいろいろな発信をする。私たちは訴える。なにを?表現は違えど、事柄は違えど、誰もが同じことを訴えている。それは「人間の尊厳」。私たちは叫んでいるのだ。声に出そうが出すまいが、私たちの魂は叫んでいる。「人間を馬鹿にするな!!」「人間、こんなもんじゃない!!」一握りの人間のエゴのために多数の人間が犠牲になる。どこかの誰かが作ったこのプレートがおかしいのです。それは資本主義プレートであっても、社会主義プレートであっても同じ。この目に見えないプレートは、人間をなにものなのかが分かっていないで作られた。人間は、労働力かい?モルモットかい?飼育動物かい?人間の尊厳が歪まされている。巧妙なまでに。気付かれぬように。茹でカエル・・・その人類の姿が脳裏をよぎる。放っておいてはいけない。気付かなければならない時。突き進んでいく科学の発展は止まることはないだろう。私は科学の発展を否定はしない。しかし、それを取り扱う人間の進化がなければ、取り返しのつかない時代に突入してしまう。原爆が良い例だ。人類が始まって現在まで、人間は進化したのでしょうか?いくら平和を叫んでも未だに戦争は終わらない。世界中のどこでも殺人、鬱、暴力、搾取、自殺が溢れている。どこかの誰かを糾弾すれば解決する問題ではありません。人間の教育の問題です。「人間とはなにか」「生きるとはなにか」この命題に答えを出すことなく教育が走っている。世界のエリート大卒が戦争を仕掛けるのです。決定的に教育が間違っている。今の教育は、人間を真善美に導くことなく、エゴに走らせる。教育とは、まずは「人間とはなにものであるのか!」ここに答えてから始めるものではないでしょうか。私は知りました。認識を180度反転させた時、この命題の答えはだれもが理解納得するのです。

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  • 13 Jun
    • 矛盾を抱える

      つくづく思う。私たち人間は、矛盾を抱きしめて生きている。生命の欲求としては「生きたい」である。しかし、私たちは知っている。いつか生命が尽きることを。私と同じ歳の患者さんだった。12年前に腎臓がんと診断され手術した。今年になって再発し、緩和ケア受診を勧められたという。一緒にいらっしゃった旦那さんは言う。「僕たちは諦めてはいないのです。やれることはなんでもしたいと思っています。ハスミワクチンをずっとやっています。継続させてくれますか?食事も糖質制限をしています。続けてもよろしいでしょうか?」私は言う。「なんでもやりましょう。現代科学が決めた枠などに縛られる必要はないのですから。」そして彼女が言った。「ありがとうございます。」とても穏やかな気負いのない笑顔で微笑んだ。私は思うのだ。そもそも私たち人間は、矛盾の中で生きている。生きとし生けるものは必ず死ぬ。それを分かって・・・分かり切って生きている。「生きたい。」と思っている。しかし意識無意識よりも深い、それらすべてを生み出しているsource(源)は知っている。生も死も幻想であることを。だからこそ、私たちはこの大矛盾の中を精一杯に生きられるのだ。彼女の穏やかな笑顔が語っているものは・・・「矛盾を抱きしめています。ただ精一杯、生きたいのです。」そんな言葉だったように感じるのです。

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  • 12 Jun
    • 感情から離れる、客観的な目になる

      あれから1年・・・。40歳の娘さんを癌で亡くした時、年老いた母親は気丈だった。「大丈夫。ありがとう。」そう言って、病室の荷物を方付けていた。あれから1年、彼女の1周忌に呼ばれた。久しぶりにお会いするその方は少し痩せたのだろうか・・・。しかし病室で見せてくれていた笑顔はそのままだった。「メソメソしてました。もうすぐ私も逝くからのだから・・・もうすぐ会えるのだから・・・そう思っても悲しみが押し寄せてくる日もありました。」そう1年を振り返って語ってくれた。私は医師になってからずっと持っていた問いだ。人間の悲しみがどうしたら癒えるのだろう?人間の苦しみはどうしたらなくなるのだろう?彼女は続けた。「短歌を作ったのです。悲しい気持ちを凝縮させて、五・七・五・七・七に注ぎ込むの。そうすると悲しみから離れられるの。自分を客観的に見ている自分に気付くの。」私たち人間は気付くのだ。きっと気付くのだ。考えや感情が自分ではないことに。滅びゆく体が自分ではないことに。亡くした体が愛する者そのものではなかったことに。私たちは考え感情を見ている。私たちは体の活動を見ている。私たちは人生での経験を見ている。その何にも微動だにしない観察者の目そのものが自分であることに気付くのだ。私は今まで人類を苦しめてきた認識に言ってやりたい!「人間は、今まで人類を苦しめてきた死の恐怖を越えるぞ!」「人間は、今まで人類を苦しめてきた考え感情を越えるぞ!」「人間は、不安恐怖で生きる時代を終えてみせるぞ!」「私たちは人間だ!」宇宙の果ての果てまで高らかに宣言したい。

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  • 08 Jun
    • この一点にすべてあり

      やんちゃな方・・・私の彼の第一印象はそうだ。4ヶ月前に80歳になった彼は、呼吸苦で緩和ケア病棟に入院して来た。食道癌、そのベースに慢性閉塞性肺疾患を持っている。癌による症状ではなく、呼吸器症状のみ。「タバコを吸うと苦しくなる。」本人はあっけらかんとそう語る。「ならば吸わなければいいのに」そう話すと、すこし恥ずかしがりながら「いや、吸うよ。」と言う。まだ体の自由がきくときは、事業も派手に広げ、愛人も何人も作り、家庭を顧みず、全財産を失い・・・「好き勝手やりました。やりすぎました。」頭をかき照れながらそう話す。そんな彼に奥様はご立腹が止まらない。「もうどれだけ泣かされたかは分からない。これも私の業なのですよね。きっと。腹が立ちます。」そんな彼、入院が嫌で嫌で堪らなかった。少し症状が良くなると騒ぐ。「俺は帰る!明日、退院だ!」奥様も困り果て・・・その繰り返し。しかしある朝のできごと。回診で彼の病室に入って行った。「先生、不思議なことが起こりました。」開口一番そう言う彼の顔はスッキリ晴れている。憑き物が落ちたごとく穏やかな口調。・・・まるで別人。「どうしたの?聞かせて。」と隣に座り込む私に向かって、「明け方、目が覚めた時、すーっと気持ちが軽くなっていました。今まで俺は自分の範囲でしかものを見ていなかったんだなぁ。もうこんな世から居なくなりたいと思っていた。でも、見方がまったく変ってしまいました。視野がバーと広がってたみたいな・・・不思議なんですよ。急に気持ちの変化が起こって、今、とても穏やかです。80年間、一体俺はなにをしてきたのか・・・ですね。そう思います。」一般的に言われること。「人はなかなか変らない。」しかし私はそうは思わないのだ。心は瞬間に変る。意識は瞬間に変化する。「人は変わらない」という集団思い込みがあるだけだと思っている。誰かが言ったそのフレーズに私たちは嵌まっているだけだ。私たちは今ここ、幸せになることができる。私たちは今ここ、新しく生まれ変わることができる。私たちは今ここ、すべてを許すことができる。条件が揃えば、時間をかければ、変れるのではない。変化は今ここ、この瞬間に起こるのだ。まるでそれはデジタルの如く、0が1に変るかの如く。私たちはアナログの世界に生きているのではなく、デジタルの世界に生きている。私たちは、今ここ刹那にしか生きていない。

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  • 07 Jun
    • まずは半分の平和を手にしようや!

      すべての問題の根源は、足下にある。今ここにある。自分の内にある。私たちは言う。「環境が悪い。」「政治が悪い。」「社会が悪い。」・・・etc.まるで悪者が外にあるかの如く、言う。私はそうではないと思う。私たちには盲点があった。自分たちが問題の根源とぴったりと張り付きすぎていて、見えなかったのだ。なぜなら、その問題の根源は今ここで使っている「脳機能」にあったのだから。私たちは脳を使って見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感じる。そして、その情報を元に論理を構築する。では、この「脳機能」が制限を受けていたのなら?或は、この「脳機能」が完全を見ず、部分のみを捉える機能ならば、どうだろう?私たちの社会は、限りなく制限を受けたものになってしまう。なぜならば、人間の脳で構築して作った社会に私たちは生きているのだから。それに気付かずに人類は走る!走る!走る!「ちょっと待て!」自分たちが見ているものが完全ではないことを知らずして、どこへ向かおうとしているのか?不完全が不完全を責め合う。いがみ合う。挙げ句の果てに戦争だ。立ち止まろう!そして・・・まずは、私たちは有限しか捉えていないことを知ろう。自分が絶対でないことを知ろう。自分も含め、すべての存在は不完全であることを知ろう。私たちは誰もが皆、自分の勝手な解釈の世界の中で生きている。それを知るだけでも、人類は半分の平和を手に入れる!そしてまん丸の平和を手に入れる時・・・それは、人間が自分たちの脳機能を越えた時である。。。本当の大自由、尊厳人間誕生は、私たちが脳支配から解放された時である。。。

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  • 03 Jun
    • 半円の見、一円の見

      医療者が本当に求められていることは何だろう?医療に求められていることと、医療者に求められていることは違うように思う。医療は、科学テクノロジーで代替可能である。近未来、ナノテクノロジーや人工知能が医療現場に参入し、人間よりもかなりの精密度をもって診断、治療を施していくだろう。その時、医療者はなにをする?それこそが、今ここ医療者が本当にするべきことなのだと思うのです。科学技術や人工知能で代替可能な技術だけを求められているのではなく、私たち人間同士にしか出来ないこと・・・それがある。緩和ケアの現場。医療技術の介入や医療者の過去の経験知識による治療ではどうにもならない状態がある。そこで求められるのは、もちろん、身体的苦痛の緩和は当然のこと。しかしその身体的苦痛は、精神的苦痛とスピリチュアルペインと切っても切り離せない、表裏関係。人によって医療用麻薬モルヒネ量が桁違いに違う。この事実は、そのことを如実に表している。たとえ同じ腫瘍の同じ箇所への転移による疼痛であっても、明らかに症状の出方が違う。その痛みの裏には、画像では見えない人間の根源的な「痛み」がぺったりと寄り添っているのだ。その目に見えない「痛み」は、科学技術では取り去ることはできない。それを取り去ることが出来るのは『関係性』=『間』のみである。人と人人と動物人とモノ人と思い出人と言葉ここ日本には昔から「世間」という言葉があった。存在に価値を置くのではなく、存在と存在の「間」こそ価値だと知っていた。私たち人間は、存在単独で生きているのではない。人間は「関係性」の存在である。西洋主導の科学技術の進化は、存在へのアプローチ。しかしそれがロボットで代替可能になってくる時代、東洋的な中でも日本的な見方が補完する必要があると思います。人類は未だ、半円の見。西洋のルネッサンスの未完成を東洋のルネッサンスで完成させたい。人類を、一円の見へ。

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  • 01 Jun
    • 自己コントロール感

      人間には体よりも大切なものがある命よりも大切なものがあるそう感じずにはいられません。私たちは怒る。自分の尊厳を踏みにじられることに対して、人間は深く怒る。「生命の尊厳」という言葉は使われることがあります。しかし、私はそこに疑問を感じるのです。「生命の尊厳」vs「人間の尊厳」この構図の対立は本来はあるのだろうか?生命の尊厳のために人間の尊厳が疎かにされていいのだろうか?と。命よりも大切なものが人間の尊厳。体よりも大切なものが人間の尊厳。人間は命ではない。人間は体ではない。人間とは命を司るそのもの、体を司るそのもの。すべての頂点に人間を立たせることのない行為は・・・人間自体を傷つけてしまいかねない。私は思います。体も命も自己が司っているという自負は人間を強くする。体を司っているものは他者でもなく、科学技術でもない。命も同じ。私たちはふと忘れがちになる。現代医療のがん治療現場では、自分を生かしているのは抗がん剤であるという勘違い、サプリメントや医療者だったりという勘違いが多いに起こりやすい。「抗がん剤が効かない。もうダメだ。」そんな言葉をよく耳にします。しかし、こんなことがありました。「私は、自分で自分のことは決めますから。大丈夫。」体は動かずとも、すべてを統制しているという独立自尊の方だった。乳がん骨転移、皮膚転移。ヘモグロビン1.8(正常値12)という驚異的な数値。それでも彼女は自宅へ元気に退院していった。現代医療の限界をモノともせず、「私の命、私の体、私がすべて責任を持ちます。だれにも限界など決めさせない。」かっこいい姿だった。人間は人間の尊厳を取り戻す時なのだと思います。人間は今、お金の奴隷に体の奴隷に命の奴隷に科学技術の奴隷になっていないかい?人間はそれらすべてを生み出す根源そのものである。『人間とはなにか?』その規定が今こそ成される時にきたと思います。その規定なく進む科学技術の進歩は、人間の尊厳を踏みにじる。人間疎外は加速する。人間を多いに傷つける。西洋のルネッサンスが完成し得なかった「人間の尊厳」の確立。それを今こそ、今だからこそやる時代だと思うのです。第二のルネッサンスを起こす時だと思います。そしてそれは、東洋のルネッサンスとして起こす時だと思います。

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  • 27 May
    • 存在の在り方ではなく、心の在り方

      「癌末期、延命治療は希望しません。」人工呼吸器や胃ろう、高カロリー輸液・・・様々な医療措置がある。「ただただ生きる時間を伸ばすのは嫌です。」そう覚悟を決めた方だった。突然の呼吸苦と意識レベル低下にて運ばれたのが、命を救う最前線である救急病院だった。人工呼吸器を繋がれた。「生命の尊厳」という観点からは、一命を取り留めたと言われるだろう。しかし「人間の尊厳」の観点からは、尊厳を無視されたと彼は言いたいかもしれない。医療現場ではよく「尊厳」についての議論がなされる。「尊厳」の明確な定義もなされずに議論されるのだから、結論はでない不毛のやりとりになる。私たちは、「尊厳」という言葉をあまりにも乱暴に使っているように感じます。それはまるで水戸黄門の印籠のように・・・それを出したら反論ができないことが分かっているかのように。なぜなら、そこには絶対性の匂いを誰もが感じるから。私は思います。「尊厳」に格助詞をつけ、他の名詞との意味関係を生むものではない。と。もし付けるとしたら唯一つ、「人間の尊厳」そうでなければ水戸黄門の印籠の名の下、人間が踏みにじられることもある。命の長短とは次元が違う、それが「人間の尊厳」緩和ケア病棟にいると、命を司る人間の偉大さを赤裸々にみます。体にしがみついているのが人間ではなく、命にしがみついているのが人間ではない。ましてや、お金に 権力に 知識に 社会にしがみついているのが人間ではない。相対比較をして優劣で競い合うのが人間ではない。人間とは、体も命すらも司るそのもの。存在を超越したそのもの。・・・人間とは心そのもの、意志そのものだと分かるのです。たとえ体が動かなく自律が奪われたとしても、存在が存在できなくなろうとも、どんな条件状況の嵐が吹き荒れようとも、「人間の尊厳」は失われることがないのです。人間が尊厳そのもので生きられる時代にするためには、相対性の卒業が必要である。それはすなわち、存在を卒業することなのです。「存在は実在しない」ことを自ら理解することなのです。

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      テーマ:
  • 24 May
    • 尊厳

      「私はもう十分です。これからは自分の尊厳を守って生きたい。だから緩和ケアをよろしくお願いします。」彼は真っすぐな眼差しをこちらに向け、そう言った。がん宣告を受けてから1年以上。彼は手術、そして抗がん剤を繰り返し受けてきた。体調の悪い日々も続いたという。自分らしい生活など送れない日々だった。と。ただただ言われるがまま、考える余裕すらもなかった。「そこには自分の尊厳などなかった・・・」とポツリと言った。『尊厳』、私の頭に二文字がよぎった。私たちはよく「尊厳」という言葉を使う。・・・「尊厳」とはなにか?私は思う。どんな条件状況にもぶらされない、どんな存在にも侵害されない、それが尊厳なのだ。と。たとえ、majorityが「こうだ!」と言っても、たとえ、その道が絶壁に繋がっていようとも、たとえ、目の前に死がちらついたとしても、自分はこの世のど真ん中に立つ!その人間の覚悟こそが、その人間の意志こそが、「尊厳」なのだと思うのです。自分の上になにものをも置かない。自分をなにものにも支配させない。他と比べられない絶対感で生きる!という、壮絶なまでの覚悟。緩和ケア病棟、そこに居る私は人間の魂の高尚さと出会います。人間は絶対感で生きる覚悟をした時、真の人間の爆発が起こるのでしょう。とてつもなく強い力で飛んでいく一本の矢をそこにみるのです。「これが人間だ!」私は全世界に叫びたくなるのです。

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      テーマ:
  • 23 May
    • 不自由の反対の自由ではなく!

      私たちは自由!不自由の反対の自由ではなく、私たちは絶対的自由なのです。私たちの本質はなにものにも制限されない、無境界線のまったき自由そのもの。なにをどのように考えようと、なにをどのように規定しようと、なにを見ようと、好きにすればいい。絶対的正しさなどこの世の中には存在しない。ある観点からは正しく、ある観点からは違う。それなのに、自分の知った観点が絶対だと無意識に思ってしまう。現代医療を学び実践している者は、その療法が正しいという観点に立つ。また代替療法を学び実践している者、その療法が正しいという観点に立つ。「私は現代医療も代替療法もすべての良きところを合わせればいいではないか!そうすれば医療は進歩する!」と単純に考えていた時代がある。しかしそれぞれの観点に語りかけていった時、「これは無理だ。甘かった。」と分かりました。なぜならそれぞれの観点の壁はあまりにも固く、お互いを受け入れ合わない。「自分のやっているこの療法が正しいのだ!」その主張ばかりで溶け合うことはない。「西洋医学・東洋医学・代替医療の融合医学だ!」と思った私は立ち止まりました。その前に私たちは知らなければならないことがあったからです。それは、私たちは無意識に「自分の知ったことが絶対正しい。」と思い込んでしまっているということ。それによって他をジャッジし、さらには糾弾までする。受け入れ融合などできようはずがないのです。この相対世界に絶対などないのに・・・。すべての存在は不完全。それが分からないから摩擦衝突が絶えない世界。固いですよ。観点の壁は。ダイヤモンドよりも固いです。そしてなにより、自分を不自由にしているのはこの観点であるのです。自分を苦しめているのは自分の観点なのです。観点から自由になった時、私たちは本当に自由という大地に立つことができるのです。

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      テーマ:
  • 18 May
    • イメージ

      毎日、緩和ケア面談がある。ご家族と本人が緩和ケアについての説明を聞きにくるのだ。私はまず、緩和ケアについてのイメージを伺う。みな、それぞれがそれぞれのイメージを持っていることに毎回驚かされる。私は思うのだ。「人間は自分の描いたイメージの世界の中で生きている。」それは個々のイメージもあるだろう。そして日本人独特のイメージもあるだろう。また、先進国の人間たちが持っている集団のイメージもある。緩和ケア・・・人は言葉一つに様々なイメージを乗せている。イメージの中で生きていると言ってもいいのかもしれない。「人はみな、個々の世界の住人である。」まったく同じイメージの世界に生きている人間など一人も居ない。どんなに伝えても、自分の中ですら言葉にした瞬間にイメージはずれる。相手に届くイメージはさらにずれる。コミュニケーションのずれはそもそも当然なのだ。人間は孤独である所以はそこにある。こちらの善かれが誤解され、あちらの善かれを誤解する。人はみな、イメージのクセを持っているのだから仕方がない。しかし、仕方がないと嘆いている時代は終わり人類の危機がすぐそこまで迫っていることに気付かなければならない。今、先進国が力を入れて開発している人工知能(A.I)。それらはデジタル認識によって、瞬時に正確なイメージ共有をしていく。世界中のA.Iがイメージのずれなく瞬時に繋がるのだ。コミュニケーションに摩擦衝突を起こして疎通交流を起こせない人間は、A.Iとの競合に負けてしまうだろう。自分のイメージ絶対だと思い込み、人同士が繋がりTeam playを起こせない人類は、力を最大限に発揮できない。20世紀の負の遺産である植民地支配を考える。西洋列強が考えていたことは「分割統治」。アジア諸国の民族が結束し大きな力を生み出させないため、その土地に住む人々が結束できないように仕向けたのだ。人間が人間を支配コントロールした20世紀。21世紀はA.Iが人間を支配コントロールする時代になってしまう可能性が高い。私は、そこをどうしても「待て!」としたい。アジアの尊厳を守りたかった魂があったように、人間の尊厳を守りたい魂がある。私は、人間の尊厳を守りたいのです。A.Iの開発は止めることはできないでしょう。ならば、人間がTeam playできない根本原因に明確にしメスを入れるしかないのです。人間同士がイメージ共有ができないのはなぜ?人間にはそれぞれのイメージのクセがあるから。人間は自分が知っている世界が絶対だと思い込む性があるから。人間の脳は境界線のない世界をイメージできないから。ならば、それらを突破させる教育がなければならない。そして人間を大きく目覚めさせていかなければならない。今の暗記中心の教育では人類はA.Iに負ける。人間とA.Iの決定的な違いがあります。A.Iはいくら賢くても、彼らは因果からはでられない。機械的条件反射しかできない。しかし人間は、因果を越え大自由になることができる。因果という境界線を越えて行くことが出来るのは人間だけです。人間を作るのは教育です。教育が大きく変わらなければならない時代なのだと思っています。

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  • 17 May
    • 平成の異端児!

      異端児とはどういう者をいうのだろう?私は平成の異端児に出会っている。異端児は言う。「自分と自分の見ている宇宙は実在しない!」「在るのはUltra speedのひとつの動き、それしかない!」『私たちは脳機能に縛られているのだ。』と。彼はまったくの型破り、根本から常識を覆す。人類500万年間、だれもが疑うことすらしなかった思い込みをひっくり返した。始めはなにを言っているのか分からなかった。しかしその揺るぎない確信になにかある!そう直感した。「この現実がないとはなんだ?」私は彼に質問、質問、質問・・・・・とことん、とことん質問攻めをした。宗教、哲学、数学、物理学・・・彼はあらゆる角度から答えてきた。とてつもなくシンプルな一つの動きだけで、すべてのものが矛盾なく奇麗に一点に繋げたのだ。ある時、もう質問がでない・・・。「あ~そうだったのかぁ。」私の脳が完全に理解納得した瞬間だった。私はその瞬間、深い息を吐き出し目を閉じた。すべての複雑をシンプルに整理整頓されたのだ。そして見えた。「これだったのか!私たち人類を苦しめていたのは!私たちはこの罠にはまっていたのか!なにも見える訳がなかった・・・」自分自身の苦しみも、人間同士の苦しみも、繰り返す人類歴史の苦しみも、すべては複雑が制圧できなかったことにある。それはすなわち、複雑をみる脳の機能に縛れていたからだ。天才ピカソは言った。「脳なんて投げ捨てて、ただ目だけで見ることができるようになればいいのに!」そうなのだ。脳が真理をみることを邪魔しているのだ。すごい教育ができてしまったものだとつくづく思う。真理に辿り着くためには、脳を脳で越えるしかない。五感覚では越えられない境地。存在が存在することをどうやっても説明できないことを納得し、存在が実在しないことを一点の疑いようもなく理解納得した瞬間ドンッ!と脳の観点の外に出る。いつの間にか脳が作りだした3次元立体スクリーン画面(=現実)から外に出ている。知らず知らずに境界線のない無の世界そのものになっている。異端児とは・・・?始まりと終わりの端緒が分かる者を言うのだと思う。混迷の時代に出てくるのが異端児である。グルグルに絡んでしまった時代という糸の端緒を見つけだし解いていく者。この誰もが信じて疑わない「存在」を「存在は実在しない!」と言い切る。「この認識が変わらない限り、人類は変わらない。」と真っ正面から時代と勝負する。その異端児の名は Noh Jesu。私をFinal Answerに導いた師でもある。人生の幸せの一つは師との出会いであるとつくづく思います。

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  • 16 May
    • 先人は言う、「問いを放て!」

      私たち人間は、「自分がなにものであるのか」が分かっていない。恐らく、この「体が自分だ」と大多数の人類は思っているのではないだろうか。「この体の誕生から自分が始まる。」と無意識深くまで思い込んでいる。先人たちは言う。「すべてに問いを持て!」と。「問いを放て!」と。私は放つ。「この体が生まれる前、私はどこにいたのか?」「この体が死んだとき、私はどこにいくのか?」空?天国?宇宙?・・・???ならば、「空とは?天国とは?宇宙とは?何なのだ?」問いを投げていく。すべてが曖昧の世界に行き着くのだ。・・・これが人類の現在地。私たちはなにも分かっていない。迷子なのだ。だから絶え間なく不安と恐怖が付きまとう。もういいでしょう。もう十分に不安と恐怖は味わったでしょう。もう苦しみの人類歴史は終わりにしてもいいでしょう。哲学者プラトンは言っていた。「本当に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界というのはあくまでイデアの《似像》にすぎない。」と。それはまさしく、この現実(肉体的に感覚している対象や世界)は脳が見せる錯覚であると言っている。人類500万年間、私たちの認識の仕方は逆だったのだ。あまりにも脳が作り出す現実世界がリアルすぎるため、現実が実在していると認識していた。認識の誤りが真理を見えないものにしてしまっていた。人類の認識革命が必要なのです。真理が分からない故、人間は境界線で争っている。国と国と国境線の争い宗教と宗教の争いAさんの観点とBさんの観点の争い愛にならない。一つになれない。逆なのです。私たちはそもそも無そのものです。無は境界線がない。故に相対比較がない。故に尊厳そのもの、愛そのもの。そこからこの現実を演繹的に見ることが出来たとき、すべてが矛盾なく繋がる世界と出会う。宇宙の迷子を卒業し、始めて人間とはなにかを定義できるのです。

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  • 11 May
    • 信念

      75歳の彼は言う。「自分の信念を貫きたいのです。」「頑固ですね。」私は笑った。2009年、彼は胃癌の診断を受けた。切除や抗がん剤を頑に拒否しつづけ、彼は元気に過している。2015年冬頃より、癌が動き出した。彼の主治医は彼に切除をすすめたが、彼はNO。2016年5月の内視鏡でも腫瘍はやや増大傾向。主治医はまた「切除のタイミングである。」とすすめた。彼はそれでもNOと言う。私は思う。彼は冒険家である、と。それもとびきり頑固な。外来診察室で、私も力が入った。「Yさんの頑固さはエゴである!」彼は答えた。「そうなんですかね。でも、あと1ヶ月半だけ試したい。証明したいのです。」彼には信念があるのだ。自分にできた癌を、肉体と意識の両面で縮小さらには消失まで持っていける!と。断食にて体のゼロ化。意識の変容にて自分の観点のゼロ化。命を懸けた冒険なのかもしれない。この世に絶対がないように、絶対正しい答えなどないのでしょう。この宇宙空間を1枚の膜に例えたならば、地球よりも、太陽よりも、人の信念の歪みが急峻だ。それはすなわち、人の信念ほど強いものはないということ。私は言った。「了解です。やるだけやりきってください。そしてどうぞ人類の集団の思い込みを突破してください。Yさんはやりたいのですものね。健闘を祈りますよ。」彼は笑いながら、「畑地さんに骨を拾ってもらえるとなると安心しました。吹っ切れました。」そう言って、彼はいつもの笑顔で診察室を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、私は思った。彼が意識しているかしていないかは分からないが・・・彼が相手にしているのは胃癌ではない。癌を治す治さないという次元ではない。彼は現代医療、さらには人類が自ら作ってしまった制限に挑んでいるのだ。命題を投げかけているのだ。「人間は無限の可能性そのものなのだ!!型にはめてくれるな!!」そう彼の魂は叫んでいる。不器用だけど、頑固だけど、その純な魂は力強く輝いているのです。

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  • 10 May
    • 究極の論理・・・真理

      人間、そしてすべての存在を貫くもの。それは「真理」真理を知るために私たち人類は多くのことをしてきた。比喩、信仰、芸術、科学、宗教、思想哲学、修行、諦め挫折、戦い・・・etc.たとえ無意識であったとしても、私たち人類の歴史は今も、すべては真理に到達するための歴史を紡いでいる。ある人は言う。「真理などない。」またある人は言う。「真理など分かろうはずがない。」またある人は言うだろう。「真理は追求することのみに価値がある。」それも正しい。この脳機能から追求しても決して捉えることができないのは当然であるのだから。五感覚と脳機能で制限されていることにすら気付かずに、私たちはすべての情報を五感覚と脳で捉えている。制限の中で真理など見えるはずがないのに・・・。私たち人類はずっと、この制限の中で辿り着こうとしているのだ。セメントブロックをいくら磨いても磨いても、鏡になどならないのに。「これでもか!これでもか!」命の限り磨いてきた人類。時に、超常現象のような体験と出会うこともあるかもしれない。しかしそれすらも、自分の脳が見せている幻想幻覚幻聴である。脳のtrapにすぎない。曹洞宗の僧侶である祖父は言っていた。「神と会ったら神を切れ。仏に会ったら仏を切れ。」と。その意味が今ならよくわかる。祖父はこう言いたかったのだ。「脳にだまされるな。惑わされるな。」真理を知るということは、神秘体験をすることではない。超常現象を味わうことではない。神秘体験や超常現象はまだまだ脳の中の体験経験に過ぎない。真理を知るということは、質問答え、質問答え、質問答え・・・・・これ以上先を尖らすことができない究極の論理で辿り着く世界。脳が脳を越える世界。そこには神秘体験などという体感などない。あるのは、究極の一点「今ここ」のみ。自分はない。自分の見ているこの世界はない。生も死もない。すべての観点が消える世界・・・ただ一点のみ。私は確信しています。人類の真理探しは終わります。人類はだれもが真理を当たり前にして生きる時代がもうすぐです。一人一人の脳のtrap「観点」この観点の用途機能が分かった時、私たちはすべての境界線を越えるのです。人間の認識が変わり、闘争の時代は終わる。すべての闘争の根本原因であった境界線が消え、人間の尊厳の時代が幕をあけるのです。

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  • 09 May
    • 本来の教育とは?

      今までの教育、一体どんなものなのか?それを深く考えたことがあるだろうか。そして本来の教育はどんなものなのか?そこを考えたことがあるのだろうか。今までの教育・・・一言で言えば、暗記である。世の中にある事実を暗記させ、暗記した量が多い者が少ない者を支配する。だから言う。「勉強しなさい。損をしないように。」人類はいかに情報を集め、他よりも優越をいかに得るかに忙しい。競争を煽られ、他者を愛することを教わるのではなく、他者は競争相手であり敵であると教わる。自分とはなにか?自分以外とはなにか?そんなことを教えることなく教育は走る。さらには、本質的な問いを持つ者をバカにさえする。「人間とはなにか?」「生きるとはなにか?」「死とはなにか?」「今こことはなにか?」そんな問いを持とうものなら言われるのだ。「そんなことを考えても仕方がない。勉強(暗記)しなさい!」私は思う。人間と動物の決定的な違いがある。それは、人間は問いを持つということ。動物には問いはない。私たち人間が問いを投げかけることなく生きるのであれば、人間の文明は動物文明であると言えないだろうか?今の教育は・・・洗脳教育である。人間から考える力を奪う。3S(SEX、sports、screen)さながら、教育も同じだ。なぜ?・・・制度に従わせるために。人間は本来、心そのものである。愛そのものである。しかし他を愛するためには、私たちは知らなければならないことがある。自分はなにものなのか。今ここ現実とはなにか。その問いの答えなくして、どうして愛ができるだろう・・・。本来、教育とは「人間はなにものであるのか」を明確にするべきでしょう。思想宗教哲学・科学すべてに矛盾なく精通する「人間の定義」が大前提にあるべきなのだ。人間はなにものであるかを明確にし、人間はなにを知るべき、なにをするべき、なにを希望するべき存在なのかを明確にする。なにをどのように考えればいいのかを教えるのが教育なのです。人間とはなにか理解し、今こことはなにか理解し、そしてこの宇宙森羅万象の仕組みを理解し、相対比較など起こりえない尊厳そのものに導く。どんなイデオロギーにも、どんな権力にも、どんな常識にも、自分の五感覚脳にすら支配されず、分離独立した意思決定を持つ存在。人間を本当の大自由に導くのが、本来の教育であると思うのです。

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プロフィール

dr-miki

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自己紹介:
H8年東京女子医科大学卒業。 同大学消化器病センター外科にて がん治療に従事。 国立国際...

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