最近,いくつかの新聞や雑誌でユニクロがいわゆる「ブラック企業」ではないか、という記事が見られました。それにたいしてユニクロの社長の柳井氏が反論し,その内容がさらに波紋を呼ぶ,という事態になっています。

私はユニクロで働いた事が無いので、ユニクロがブラック企業であるかは判断できません。ただ、3年で50%という離職率は高いな,と感じました。ただ、こちらの資料によると、飲食サービス業の3年離職率も50%近いので、この数字だけを取り上げてユニクロをブラックというのは,フェアではないかもしれません。

図1 新規大学卒業就職者の産業別離職状況(平成21年3月卒)
キーワードで知るイマドキの教育-離職率

むしろ私が気になったのは、柳井社長がおっしゃっていた「将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく」という話です。企業がグローバル化すると、一部のエリートを除けば給料は安い国の水準に合わせなければ価格競争が出来ないので、100万円程度にも成りうる、という事です。たしかに、日本人の半分以下の給料で日本人以上に働く労働者が途上国には多くおり、単に日本に生まれたというだけで高い給料をもらう理由は無い,という議論は一理あります。

しかし、日本の若者が不当に高い労働条件や給料を要求し,それが満たされないから会社を辞める,なんとゼイタクなんだ!という議論には賛成できません。私がイギリスにいたとき、東欧からイギリスに移住をして,農業に従事する若者たちの話をよく聞きました。かれらは祖国にいたときよりは高い給料をもらっているのだから,本来喜ぶべきですが、なぜかイギリスの生活には不満で、多くが祖国に帰ってしまいました。なぜでしょうか?

それは、イギリス社会の中で「低賃金労働者」として生きていく事が耐えられないからです。それよりは、たとえ額面上の収入が減っても、祖国で「平均的な労働者」である方が幸せだったからです。もちろん、一部の人はイギリスにのこって「低賃金労働者」として働き続けますが、それはあくまでも,がんばっていればそのうち給料がもっと高い仕事に就き,最終的にイギリスで「平均的な労働者」になれる,という希望を持っているからです。

このように、若者が働くにあたっては、単に額面の給料だけでなく、仕事をする事によって得られる生活レベルが、その国の水準以上を確保できる物かどうかが重要です。どんなに「君と同じ仕事を,インドネシアの若者は半分以下の給料でやってるよ」といっても意味がありません。それは、おなかをすかしている子に「アフリカでは、3日に1度しか食事できない子がいっぱいいるんだ!1日ぐらい食わなくても大した事無い!」というようなものです。

私は、いわゆるグローバル化というのが,極端な所得格差を生む事を非常に心配しています。教育現場でも、いったん学力格差が生じてしまうと、学力下層の学生は意欲をなくしてしまい,上を目指して勉強させるのがとても大変です。それと同じく、いったん所得格差がついてしまうと、低所得者層が勤労意欲をなくし、物乞いや生活保護でしか生きていけなくなる事を危惧しています。東京の路上という路上に浮浪者があふれかえり、そこをフェラーリに乗ったお金持ちが猛スピードで通り過ぎていく、そんな社会に何の価値があるのでしょうか。