天孫降臨伝承を訪ねる (3)  岡山県蒜山・高天原伝説   1)茅部神社

 日本には高天原と伝承されている場所が各地にあり、有名なものは宮崎県高千穂町良県御所市が有名ですが、ここ岡山県の山奥にある蒜山高原にも高天原伝承が伝わっているのです。以前おいらのブログ「
鳥信仰と鴨族 (2)もう一つの天孫降臨 高天彦神社 で葛城を発祥とする初期のヤマト王権も吉備国と密接に関与があり、ここ蒜山こそが吉備王国の高天原ではないか?と書いて宿題にしたので、今回はその蒜山に行ってきたのでそのご報告をします。

 蒜山高原は岡山県と鳥取県の県境、大山の南側に広がる高原で古くからこの地では神代聖跡や記紀に関係のある地名が多く残り、「高天原」の所在地こそ蒜山だと信じられてきました。神代史研究によれば、因幡と美作との国境にある那岐山(なきせん)は伊邪那岐命が天降られた地で、那岐の地名の由来であるとも言われています。そこから南におりた蒜山高原一帯には「豊栄」「祝詞」「野土路」「神退」「神集」「神代」など古代にちなんだ地名が目立ちます。特に今回おいらが行った岩倉山の山中にある巨岩は昔から天の岩戸とよばれており、その近くには手力男命の遺跡やアマテラスを祀る茅部神社もあります。

茅部神社
所在地:岡山県真庭市蒜山西茅部1501
御祭神:天照大神、大年神

由来: 本社は茅部里の本居磐座にます神社は関茂威支天照大神にまし座か故に天上の儀に象て天磐座と奉称也往古中臣子老斎忌の幣帛及雑々の神宝を造り備へ奉る又阿波国の忌部氏来りて木綿並に麻を作りて捧之 故に阿波の人の住む地を田部と云ふ又御船代を奉造処を船谷と言ふ又忌楯を造りし処楯と言ふ(今は楯ヶ平と云ふ)又神田を奉定て神田と云ふと見え明治40年神饌幣帛料供進指定の神社に列せらる。(社伝)

 実はこの神社、度重なる合祀によりものすごい数の神様がお祀りされているのです。主祭神は天照大神と御年神ですが、摂社として天児屋根命、少彦名命、素盞男命、市杵島姫命、息長帯姫命、大綿津美命、軻遇突命、菅原神、大山祇命、稚日命、稲田姫命、多々美比古命、経津主命、狭田彦命、神直日神、誉田別命、倉稲魂命、建甕槌命
、武内大臣、句々廼馳命、稲背波岐命、道祖命、、、、はー疲れた(笑)をお祀りしています。明治以降に合祀された神様も多いのですが、かなり昔からこの地で合祀された神様も多いです。しかも天津神と国津神がごっちゃなところもカオスでよいです。

 もともとは蒜山三山を神とあがめ、それをお祀りする磐座信仰がこの神社の基本の姿だと思っています。この蒜山三山はおいらが前に行った九州の香春町にある一の岳、二の岳、三の岳と香春神社のような関係であったと思われます。そういう意味ではここを聖地とした人々は九州の香春に定住した人々と同じ文化、宗教観を持っていたのではないかと想像されます。そして香春神社はおいらは卑弥呼のふるさとではないかと比定しました。そしてこの蒜山も字を分解すると日留山とも書くことができ、ここに出てくる「ヒル」という言葉は、まさに古きアマテラスの総称なのです。アマテラスはオオヒルメともいい、記紀ではスサノヲに投げ入れられた馬によって女陰をついて死んでしまう役となっていますが、これはおいらはアマテラスを皇祖神にするため記紀編集の段階で作られた話であり、ここに出てくるワカヒルメ(稚日女命)こそ、折口信夫の水のそばにいた機織女であると考えています。そう考えるとここの祭神も古くはそういったものではなかったかと考えるのです。


社伝には天照大神、大年神、その他二十二神と書いてあります。これだけ多くの神をまつる神社はおいらはほかに見たことがありません。

こちらは境内社の足王神社です。天の岩戸までのぼる前の足の安全を祈る場所だったのでしょう。

アシナズチ、テナズチといえば、櫛名田姫の親であり、スサノヲのヤマタノオロチ退治の神話に登場する夫婦神です。埼玉の氷川神社では両神をアラハバキ神と称しています。以前おいらも両神が零落し妖怪となっていた話をしました。(手長足長)この蒜山神様と諏訪、あと埼玉の氷川神社と何がつながっていくのかは今後考えていきたいと思います。

そしてこの参道を歩いていき山登りとなるのですが、その様子は次回のお楽しみです。

おきつねさんのような狛犬がいました。


キツネではなく三峯神社のようにオオカミだったら興味深いのですが今ではわかりません。


社内には「天磐座大神宮」と書いてあります。
まさに磐座のための神社だったのでしょう。

次回は山登りの天の岩戸をご紹介します。