トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録/ジョー オダネル

米国従軍カメラマンが戦後の日本を非公式に撮影した300枚の写真を


集めた本で、核を落とされた広島、長崎の街が徹底的に破壊された様子


や、市民の暮らしぶりなどを写真を通じて窺い知ることが出来る。


著者はあまりにひどい体験だったため、45年間トランクの中にしまって


一生開けないと思っていたトランクの中にあった写真を公開し、平和を


伝えることを使命として米国や日本、ヨーロッパなどで精力的に


展示会をされている方。


たった60数年で、これほど街並みも人々の服装も暮らしぶりも景色も


変わってしまうのかと感じてしまう。


多くの写真の中で特に印象的な写真が2枚。


1つ目は、知的で穏かな人柄の老人が著者に写真を撮らせる際に、


「息子のような君に言っておきたいのだが、今の日本のありさまを

しっかり見ておくのです。国に戻ったら爆弾がどんな惨状を引き起こした

か、アメリカの人々に語りつながなくてはいけません。写真も見せなさい。


あの爆弾で私の家族も友人も死んでしまったのです。あなたや私の

ように罪のない人々だったのに。死ななければならない理由なんて

何もなかったのに。私はアメリカを許しますが、忘れてくれと言われて

もそれは無理です」


と語ったこと。


一般の一老人がこのような見解を述べる日本の知的レベルには


著者も相当驚いたことだろう。


もう1枚がNHKスペシャルや民放などでも特集された写真。



人生バランスだ!


写真には添えられた著者のコメント。



《焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、

ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない

幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで

見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。


 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる

熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる

火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。


炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。

気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。

私は彼から目をそらすことができなかった。

少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。

一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。

軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。


 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに

打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。

しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。

急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て

歩み去った。

一度もうしろを振り向かないまま。


係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。

その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登る

ように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと

胸が痛んだ。

あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?》

《この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は

初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。

アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢

で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめて

やりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、

彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。

私はなす術もなく、立ちつくしていた。》

無表情と思われた少年だったが、カメラマンのジョー・オダネルは、

炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がつく。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、

ただ少年の下唇に赤くにじんでいたのだった。


テレビで初めてこの写真を知った際、この少年に自然と


感情移入してしまい、とても苦しい思いをしたことを思い出す。


たった60数年前にこんな『現実』があったということを我々は


忘れてはいけないのだ。


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