午後は今月お誕生日の仲間がお二人いて
とも花さんはじめ、アシスタントの皆さんがケーキや
かぶりものを用意してくれた。

とも花さんのブログより。
マジかーーーーー!

こういうサプライズめっちゃ好きだよーー^^
って思った瞬間に、

 

は!私はしてもらえない!

って気づいた。
 

だってmamaマスは最長でも9月までだからね!
12月生まれの私は「できない」のだ。
 

また、そこでさみしい私が登場する。
 

私はどーせしてもらえないっすよ。って。
 

特に自分はクリスマスだから世間は

冬休みに入ってしまうので
リアルにその日に「おめでとう」も言ってもらえなかった。
お友だちや先生などに「おめでとう」って
言ってもらえるお友だちたちが、
うらやましいな――って思ってたもの。

今でこそSNS上でメッセージはもらえるけれどね。
ホント小さい時どんだけそれを

さみしいな、って思ってたんやと気づく。
言わないでいたんだな、さみしいなって。
もしかしたら言っていたかもしれないけど
「仕方ないでしょ」って言われていたのかーーー。

ーーー都度、

そうやったね、さみしかったな…って寄り添う。

mamaマスに通い始めて(心屋に出会って、カモ)、
日常で「湧き上がる感情」に意識して生活していると
小さいときに素直に感情を表に出していなかったのか
出しても自分の思った通りに受け止めてもらえなかったのか
こんな些細なことが気になってたのか、とか
それが今になっても何かの拍子で思い出すのか、
とか思う。

それでも

そんなのたいしたことないでしょ。
じゃなくて、
そっかぁ、そうだったねえ。
って都度寄り添う。

母だって、そんなここまでは見てられんし聴いてられんだろ

とか「頭」はいうんだけどね。
「頭」はいいんっすよ。
へー、そうなんだ。
って言ってれば。

「私」は些細なことでも訴えてるのよ。
もっと、こうだったらってさ。

今までは「私」に、

へー、そうなんだ。

してたけど。

最近、あ、寂しい、悲しい、頭来た!なると

私のとなりに小さな私が現れる気がしてるのだ。不思議な感覚だが、

小さな私の視点から観てる。
そんなら私が寄り添うのよ、それしかないのよ。
もしかしたら母に訴えてもいい時が来るかもしれないけれど。
まずは私が寄り添うのよ、「私」に。

午後はまだあるが、長いんで次回に続く~~^^

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