書くことについて

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5月末締め切りの作品に、なかなか取り掛かれない。

 

これというネタが出て来ない。ネタというのは変だけど。アンテナに引っかかってくる人、モノ、いろいろ。今回は書けないか、としばし悩んでいます。でも昨夜このブログを読み返してここ数年は、いつもそうだったと気付く。一か月前。なんとかなるか?

 

今日は、明日の教室のために、生徒さんたちの作品を読んでいる。二度目。

 

最近になって、気づいたこと。小説の文も作者を表すということ。

内容がどうということでなく、雰囲気、感じ方、作品世界が、その人であると。

抽象的に見える「画」にしても「歌」にしても「演技」にしても。

 

かつては、書くことがあまりに直接に自分を出しているのが、辛かった。

小説として創っても、読む人は、どこかに作者の影を捜すし、すべて事実と思う人もいるし。

そういうことが嫌で、画か、歌かーーーと思っていた時期があった。

でも、すべて一緒だと、今頃になって、わかる。

恥ずかしい、などどいうなら、表現などしないほうが良い。

 

歌にしてもそうで、自分が歌いたい歌、曲を、自分の思うような表現で、声で、歌う以上、

そこには必ず、その人が現れているのだ。

そして、この人は何故、こう書いているのだろうと思う時、技術的なことは置いて、作者が表したい世界に向けて、書いているからと思える。

 

あれこれ、気が散るけど、もう少しで仕事を終わらせて、珈琲タイムにしよう。

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夜がらす忌 

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4/15日。今年も、川崎彰彦を偲ぶ、夜がらす忌が、開かれました。

 

今年は、お墓参りのあと、郡山城でお花見になりました。

 

お濠沿いの桜がとてもきれいでした。

これ、私ではありません。

 

例年のように川崎さんの作に触れて、トークというのがなくて、寂しいような。でも気楽なような。私は、数年ぶりにお花見だけを楽しみました。

でもやはり、飲み過ぎた人の言葉が心に刺さっていたり。酔えないのは損ですね。

川崎さんが亡くなって7年過ぎた。いろんな変化がありました。

川崎さんに守ってもらっていたことを実感しています。感謝です。

 

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黄色い潜水艦65号発行!

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今頃か? と言われそうですが、無事に発行されました。

2月には合評も終え、また次号に向けての日々になります。

 

小説

空池                 天見 三郎

縁切り寺               島田勢津子

雨があがるまで            本 千加子

酔芙蓉が酔うまでに          天野 律子 

雑記・エッセイ 

猫の領分               大江 耀子

丹波・但馬の故地行          三輪正道 

いぬまち(二)            宮川芙美子

連載

不用意な少年伝(三十)         広岡 一

〈川崎彰彦メモリー〉

函館幻燈記 (十五)           川崎彰彦

 

で、今号で川崎さんの作の再録は終えました。

実人生では、誰でも理不尽な目にあったり、踏んだり蹴ったりという時もありますよね。

地味な物書きの仕事だけど、それをネタにして、更に昇華できるときもある。

そこだけは、美味しい部分です。ここ数年、書いてもあまり達成感がないけど、相変わらず、一から始めないといけなくて、苦しいけれど、たまにはいいこともあります。

 

昨日、大阪文学学校のクラス、後期を終えました。

うちのクラスは音楽家、愛好家が多く、打ち上げはピアノ喫茶です。私の趣味を押し付けています。

ピアノを伴奏して下さるので、私は「うるわしのソレント」を歌いました。

ギター、ピアノとハーモニカ、などで演奏や歌を楽しみ、その後は飲み放題、食べ放題の中華へ、ここの若夫婦のことは、是非書きたいのでまた後日に。

楽しい、ひととき。でした。

文学学校にやってくる人、通り過ぎていく人、作品と合評を通して繋がり、笑ったり、怒ったりしながら共に過ぎていく時間を共有した。その熱い時間はきっとその後の創作や人生に繋がっていくと、私の経験ではそう思います。

貴重なお仕事をさせて頂いていると思っています。

 

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ご無沙汰しました。

例によってID忘れのため、マイページに入れずこちらの更新は怠っておりました。

24日、クリスマスイブなのに、文学学校で「戦争詩」について考える集まりに参加してきました。文学学校は私にとって、やはりサンクチュアリです。

 

今のきな臭い政治の動きに対して、何が出来るのだろう、あるいは原発にしても。

本当に、何も危機感を持たない人たちがいます。アベでいいんだ、あれくらいでないと日本がダメになる、と思っている方たちが、いることに絶望しています。

 

しかし絶望していても仕方ないですね。

この集会では、戦時中に政府の呼びかけで、「辻詩集」という、戦意高揚のための詩集に、翼賛の詩を書いた詩人たちの詩を読みなおした。

高村光太郎ばかりでなく、小野十三郎さえ、協力した、その背景にあったものこそ、問い直すべきではないかというものです。

後で批判するのはたやすいが、庶民が鍋釜さえ提供しているときに、詩人もなにか提供しろと言われる。詩人だってカスミを食っていきているわけじゃない。隣近所から村八分にされたくない。配給の紙だってもらえなくなったら、詩も書けない。そんななかで、苦悩しながらのことであった。

私はここで退席して我が家でささやかに、イブの夜を過ごしました。

しかし、今まさにそういう時代の空気がやってこようとしていて、では我々に何ができるのかというと。ここで言葉に詰まります。

今の平和な暮らし、音楽を楽しみ、画を描き、小説を書き自由に発言して行動できる、そんなあたりまえな自由さが、奪われること。

とてつもなく大きなものに、支配されること。生きるのさえやっとという生活を余儀なくされるかもしれない。ISに脅かされている国国もそうですが。

そうならないために、正しい選択をしていかなければならないと、思います。

 

同人誌は無事出稿して、65号も発行されます。皆さまも良いお年を!

 

やっと次作に

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お久しぶりです。ふだんは歌ブログにたむろしていて、小説から遠ざかっていると、

このブログもなんか敷居が高い気がして、見るのも怖いような?

変ですが、書いている人のブログも読みたくないって感じになります。

今回も11月末の締め切りに向けて、なかなか始動できなかった。

先々週くらいにA4一枚分くらいは書いていたが、主人公のアウトラインが定まらず。

あれこれ本を読んだり、FBを覗いたりーああこれ大変な世界です。よく知らない人が「いいね」と思った写真をぜーんぶ見ることになり、目が回りました。滝汗

「お友達」だけにしても。

それにオペラ関係に絞っているため、大々的なオペラのプリマドンナのような方(外人)から「友達申請」が来たり。ポーン

あちらは繋がりと私の写真だけしか知らず、-たぶんすぐに忘れるー友達が200人くらいいたりすると、友達になる気がしないけど、断れない。宣伝ツールとして使われていますね。

あまり使い方がわかってないせいですが、受動的一方的なところが合わないかも。私はオペラ情報のみ、FBやっているリアルな友人との交流のみで使いたいです。

 

話がずれましたが、もんもんとしたあげくようやく書き始めました。ニコニコ

主人公の背景も決まったし、あとは書き続けるのみ。

まだ先は長いけど、かなりほっとしました。この何日か、アレルギー薬のせいもあったが寝逃げ、うつうつした状態でしたが、かなりプレッシャーを感じていたらしい。つくづく書き溜めた作があればなー、と自転車操業の我が身を反省しています。照れ