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必読! 真の友好! エルトゥールル号の沈没から119年。軍艦から引き上げられた調理鍋。

テーマ:気になるニュース 2009-01-26 18:00:12

 日本人に是非とも知って欲しい、エルトゥールル号に関する話題が読売新聞で取りあげられた。


 まずは記事を掲載して、119年前のエルトゥールル号の沈没から,なぜ日本とトルコの友好が生まれたのか詳しく取りあげる。


 沈没から119年、トルコ軍艦「エルトゥールル号」から引き揚げられた調理鍋


 和歌山県串本町沖で1890年9月に遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」が沈没したとみられる海底(水深約15メートル)から、調理鍋(直径約70センチ、深さ45センチ)が26日朝、引き揚げられた。


 トルコの海底考古学研究所などでつくる調査団が、昨年から遺品の引き揚げ調査を実施。鍋は銅製で、ふたが内側に押し込まれた状態。腐食や劣化は少ないという。


 ダイバー4人が平らな場所に少しずつ移動させ、ロープをくくりつけて慎重に引き揚げた。保存処理をした後、ふたを開ける。

 トゥファン・トゥランル調査団長(56)は「当時、軍艦で出された食事のメニューがわかるかも」と期待していた。

 
(2009年1月26日12時37分 読売新聞)


 (http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090126-OYT1T00501.htm


 読売の相撲での麻生総理の発言の揚げ足取りの記事があったのは許せないが,この事件を取りあげているので今回は大目に見る。


 さて、私がエルトゥールル号の遭難事件のことを知ったのは、今から、だいたい7年ほど前のワールドカップで色々調べていたときにこのブログからである。以下、そのブログを引用する。


 日本・トルコ友好秘話


 日本人はトルコを愛し、トルコは日本でプレーできることを愛している。大会序盤にファンの心をつかんだのはセネガルだったが、今日のプレーではトルコに及ばなかった。大阪、2002年6月22日


 明治23年、付近で遭難したトルコ軍艦エルトグロール号の遭難碑が建ち殉職した581名の乗組員の霊を祀っている。


 1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きた。

 
 この事故で、特使を含む518名は死亡したが、死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めた。


 この時村人たちは、台風により漁ができなく、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護したのだった。また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。

 
 この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられた。その後遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。

 
 この話に同情した「山田寅次郎」なる人物が、一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡った。


 1892年4月4日、イスタンブールに上陸した山田は、外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、日本とトルコの友好親善に尽くした。


 この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。

 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。


 イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかった。空港にいた日本人は、パニックに陥った。

 
 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。


 なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。


 この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。


 「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」


 明治23年9月14日(日曜日)午後一時横浜を出港し、一路母国イスタンブールに急ぐトルコ軍艦があった。


 サルタン・ムハメッド5世の勅命を受けて明治天皇に対し、トルコ最高の名誉勲章奉呈のため同年6月7日横浜港に到着し、3カ月間日本での歓待を受け、日土親交の大役を果たした後、栄えある帰途につく特派大使海軍少将オスマン・パジャ 一行のエルトグロル号であった。


 9月16日(火曜日)熊野の海は、朝から風雨が激しく荒れ模様であった。夜になりさらに風雨は激しくなり、怒涛にもまれてエルトグロル号は進退の自由を失い、大波に翻弄されながら樫野崎灯台下の船甲羅の岩礁へと闇の中を押し流されていった。


 この船甲羅こそ、昔から航海者にとって海魔として恐れられていた岩礁であった。乗組員の必死の努力も空しく、同夜9時頃艦は真っ二つに裂け、10時半頃に沈没した。

 
 オスマン・パジャ以下650名が海に投げ出された。

 
 そのうち士官ハイダール以下69名は、波濤の中、艦の破片にすがって約3時間ほど漂流し、樫野崎灯台下の俗称鷹浦にはい上がった。
そして灯台に助けを求めたのである。


 裸で赤ら顔の、波にもまれ傷つき血走った目の闖入者に、看守はしばし呆然としたが、前夜来の暴風雨から付近で難破した外人であることを察し、遭難者に手当を施し始めた。言葉が通じない上に混乱状態の中で、灯台技師瀧沢正浄は、万国信号ブックを見せてやっとトルコ軍艦であることがわかった。


 これより先、樫野区民高野友吉が海上方面からの爆発音を聞き、これを灯台看守に知らせるために駆けつける途中、異形の外人がよろけながら歩いているのに出会い、その人々を助けるとともに、区民に通報し協力しあって介抱を行った。


 こうして17日の朝までに救いを求めてきた遭難者は69名であった。嵐の夜半、通信手段も救助のための機材も満足にない離島であり、方策もたたなかったが、あり合わせの着物を着せ、傷の治療をしながら夜明けを待ったのである。


 明け方、大島村長沖周、古座分署長小林従二に急を告げた。

 そのうち須江、大島両区民も急を聞き応援に駆けつけた。

 折良く居合わせた熱田共立汽船防長丸渋谷梅吉船長のたどたどしい通訳で、沈没した船が、エルトグロル号2344頓、600馬力、大砲を20門積む木造軍艦であるということが、断片的であるが初めてわかった。乗組員は650名であった。

 

 沖大島村長が直ちに県庁に打電するとともに、樫野、須江両区長と協力し、生存者を急造の担架で大島区の蓮生寺に送った。蓮生寺では、村医小林建斉、伊達一郎、松下秀等が治療に当たった。

 
 避難の将卒69名中健全なもの6名、軽傷63名であった。大島村民は各戸に蓄えている甘藷と、飼っている鶏を提供した。

 
 幸いなことに村民のうち堅田文右衛門が、洋食調理の心得があり、コック役を務めた。乏しい大島の食料は遭難者のために一夜にして底をついてしまった。それにもかかわらず村民はこれら遭難者のため、蓄えている食料すべてを喜んで提供したのである。


 食料の次に困ったのは衣類で、村民はありたけの浴衣を出し合い急場をしのいだ。6尺(185センチ)豊かな大男がちんちくりんの浴衣を着ている様は、悲壮感いっぱい漂う中でただ一つの笑いであった。


 その後一週間にわたり人夫百数十名により、他の遭難者の捜索につとめ、アリーベ艦長ほか219名の遺体を収容した。オスマン・パジャ以下残り362名はついに遺体すら発見されず、遠く故国を離れた異国の大島樫野の海底深く眠り続けている。


 発見された遺体は、ハイダール士官立ち会いのもとに、遭難した船甲羅が真下に見える樫野崎の丘に埋葬した。


 翌明治24年(1891年)、県知事ほか有志により義援金が集められ、墓碑と遭難追悼碑が建てられた。同年3月7日に追悼祭を行い、遭難した人々の霊を弔った。


 (http://sisikaikan.at.infoseek.co.jp/607hamo/turky.html


 私はこの記事を読んで感動したことを今でもずっと覚えている。


 そして、たまに取りあげて、是非とも、日本の教科書にも載せて欲しいといった。


 日本人というのは、本当に昔から変わっていない。遭難者に対して、住民は自分たちが食べるのに苦しいのにそれを分け与えた。


 しかも、トルコなんて、その当時、見知らぬ外国人である。そのトルコの人たちに食べ物を与え、さらに明治天皇は軍艦まで派遣して,本国に送り届けた。


 そして、多くの日本人はその話題すら忘れてしまった100年後のイラン・イラク戦争で、私たちはトルコという国に自分たちの祖先が行った感動の事実を知るのである。


 そして、私たちは、イラン・イラク戦争で216名の日本人を救出してもらったことを決して忘れてはいけないのである。それこそ、友好の証なのである。


 こんなことができる日本が本当に悪い国家だったのか。私には絶対そうは思えない。日本人というのは,本当に昔から変わっていない。災害の援助でもそうだ。誰かが困っていたら手を差し伸べる。普通に当たり前のこととして、日本人の遺伝子に組み込まれている。


 だからこそ、私たちは誇りを取り戻さなければならない。自分たちの祖先をやった行いを知り、外国人にどう思われているかを日本人はもっと知るべきなのである。


 自虐的な価値観の教育では絶対に語られない友好話。


 だが、他にもたくさんあるのだ。イランでの出光の友好話、ポーランドのシベリアでの友好話、日露戦争の評価。今でも彼らは親日である。こういう国こそ,日本人はずっと友好な関係を築いていくべきなのである。


 日本人が知らないだけであり、当事国では普通に教科書に載せられている。この辺りがなんともいえないもどかしさなのだが・・・。


 最後になるが、調理鍋を調べ終わった後は、元の海に返すか,代用品を用意してあげて欲しい。海でなくなった方々たちがお腹を空かせたら、可哀想だ。


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コメント

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1 ■いい話

この話を初めて本で読んだとき涙がでましたが、このブログで読んでまた涙しました。教科書には受験に必要な知識だけでなくこんな話も載せてほしいです。

2 ■知りませんでした。眼が潤みました。

イラン・イラク戦争で恩返しに助けてもらったのですね。
何故こういう話が伝わらないんだ!日教組め!

ところでグーグルで民主党の候補が出ない件ですが
逆に党首でアピールした文章を書いてみました。
競馬好きの人に少しでも広がってほしいです。(笑)

3 ■ありがとうございます

齢、知命に至っても、知ることはなかった話です。ジンボルトさんには、このような逸話をどんどん紹介してほしいものです。左翼残骸分子に不法占拠された日本のマスコミ、知識人、歴史学者には期待できないことですから。

4 ■誤字

「明示天皇」修正してください・・・

5 ■申し訳ない

修正しておきました。

ご指摘ありがとうございます。

6 ■感動いたしました

私も恥ずかしながら知りませんでした。

教科書をはじめこうしたことを題材にしたドラマや映画など作成して欲しいものです。現状ではなかなか期待できないかもですが・・・

平沼赳夫議員のHPにリンクしている”敵兵を救助せよ”日本海軍が戦闘中に示した武士道精神にも敵兵であったイギリス海軍を救助した話も本当に感動します。

以前ジンボルトさんの記事にもとりあげられていたかもですが。記事数が多くて見つけられませんでした^^;
http://www.bushido-seishin.com/

7 ■僭越ながら、この記事の補足をします①

このエルトゥールル号事件の4年前。
実は、同じ和歌山県沖の海で、有名なノルマントン号事件が起こっています(以下ウィキペディアより1部抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沈没したノルマントン号にはイギリス人、ドイツ人、中国人、インド人、日本人らが乗船していたが、事故の際、船員であったイギリス人、ドイツ人ら白人はほぼ全員が生存した一方で、乗客であった日本人25名全員が死亡した(また、インド人の乗組員も全員死亡した)。さらに、助かった船員らは救命ボートで避難していたため、船長が適切な避難誘導をせずに、乗客である日本人を取り残したのではないかとの疑念から当時の世論が沸騰した。これは当時の欧米(白人社会)に広まっていた人種差別の考えがあったと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この件で日本人、インド人を含む有色人種は、人種差別のもとに、白人に見殺しにされているのです。

 当時の一般の日本人にとって、当時のトルコ人は、傍目から見れば他のどこの白人とも見分けなんか付く訳がない。

 それでも有事の際には人種なんか全く関係なく〝とにかく助ける〟という、尊い精神が当時の日本人を動かしていた証左だと思います。

8 ■僭越ながら、この記事の補足をします②


以下にあげるサイト、是非、全文を読んでほしいと、切に願います。

エルトゥールル号遭難者救助一世紀にわたり語り継がれたトルコの思い (一部抜粋)
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/512540/

 この遭難に50戸、400人の大島村の村民が総出で救援にあたった。しかし、どんどん死体があがり、息がある人たちも身体が冷え切り虫の息だった。そこで村民たちは「死ぬな」と叫びながら、自分たちが裸になってその体温を乗組員に伝えたのだ。しかしながら生き残ったのはわずか69人であった。

この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は、樫野の寺、学校、灯台に収容し、浴衣などの衣類、卵やサツマイモなどを供出し、献身的に生存者たちの回復に努めた。避難の将卒69名中健全なもの6名、軽傷63名であった。
 400人しかいない村で、69人の食料を提供することは大変な事だった。村では漁をしてとれた魚を隣の町で米に換える貧しい生活で、台風で漁ができないため、食料はすぐに底をついた。食べさせたくとも自分たちの食料すらなかったのだ。そこで村人たちは、自分たちの非常食として飼っていた鶏を料理し始め、彼らはこれで命を長らえることができた。

9 ■僭越ながら、この記事の補足をします③

朝日の愚行(②のサイトから一部抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・日本が対トルコ経済援助を強化していることが影響したものとみられる」。

 日本国内では「エルトゥールル号遭難事件の恩返し」との趣旨の発言があるが、トルコ政府当局者や、トルコ航空の関係者からのこの件に関しての発言は「当然のことを、したまでですよ」の発言しかない。大島の島民も、海に生きる人として「当然のことを、したまでである」。トルコ国民と日本には「エルトゥールル号」により生まれた、阿吽の呼吸がある。だから、日本の救援要請に一発で快諾したのだ。「感謝」の一言で事足りる。金銭の貸し借りではない、まるで「恩を貸した」ような「恩返し」発言は不適切で、トルコに対して失礼だ。ましてや誰も発言していない、捏造は止め、至急是正すべきだ。

トルコの「当然のことを、したまでですよ」発言と、金目当ての行為であったかのように書いた朝日新聞記事との対比が、あまりにも際立つ。ひとりの日本人としてトルコの皆様に、朝日新聞の愚行を深謝いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本人の無知が祖国と友好国トルコに対し、どれだけ泥を塗ることになるか、知ってほしい。
そして、この話には、トルコへの感謝の証として、訪問した小泉元首相の行った、日本にとって不名誉極まりない失態がある。

10 ■僭越ながら、この記事の補足をします④

平成18(2006)年、1月12日、トルコを訪問した小泉首相は日本人を救出したトルコ航空の元機長、オズデミル氏に面会して謝意を表した。

【トルコ】「小泉首相の謝意」で同僚らが反発し友情に亀裂、日本人救出のトルコ人機長(ソース元、共同通信がリンク切れ)
http://ninjax.dreamhosters.com/newsplus/news19_newsplus/1139/1139823658.html

小泉首相訪問が日本人救出したパイロットの友情裂くことに! 本紙が仲裁し誤解解消へ(Milliyet紙)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News200623_1824.html

(Milliyet紙の翻訳が、まだ途中だったらしい。本文はトルコ語なのかな?以下にMilliyet紙ソースを載せて置きます)
http://www.milliyet.com.tr/2006/02/02/yasam/axyas01.html
つまり、小泉元首相は(誤解の経緯は知らないが)邦人救出に向かった二人の操縦士の内、第二パイロットのオズミデル氏だけに
謝意を表した結果、元々親友どうしだった二人の友情に亀裂が入った。ということだ。
その後、Milliyet紙によって、その誤解は解かれたものの、一歩間違えれば・・日本にとってお寒い結果を生みかねなかったのではいだろうか?

 私は、このエルトゥールル号事件に描かれる日本、トルコの友好の歴史が好きで、同時にそれを隠し、汚す者を許せず、つい、長文になりました。

 ジンボルトさん、この記事を載せて頂いたことに感謝します。そして、度重なる連投、申し訳ありませんでした。

11 ■これも朝日なのか・・・・

なんというか、本当に朝日は・・・・。

補足ありがとうございます。

ノルマントン号事件が4年前でしたか。

凄いですね。こんなにも背景が詳しく書かれてあり、トルコの深い思いが伝わってきます。

本当に朝日というのは・・・・やはり、このようなことをいう朝日だけは決して、許してはいけませんね。

多くの国民が知らないとはいえ、たった一つの事実が様々なことに繋がっているのがよくわかります。

歴史を学ぶとはそういうことを意味するんですね。点だけではなく「線」を知ること。

私もまだまだです。もっとしっかり勉強していく必要性を思い知らされました。

貴重な補足、ありがとうございました。

12 ■知りませんでした。

僕もこの歴史の話は全く知りませんでした!!

ジンボルトさんのブログの記事により知りました。

心がジーンと熱くなりました。

それと同時に、
朝日変態新聞に対しては、本当にいきどうりを感じました(悲)。

相変わらずやなっ!!

もぅ早く潰れろやっ!!

そして、

こんな素晴らしい記事をアップして頂き有難うございます。

m(_ _)m

13 ■noraさんの補足

会社で仕事するフリしながら(オイ)、ブラウザをち~~~っちゃくして読んでおりました。
今の日本人より義の精神持ってるんですねトルコの人。
涙もろいのに会社で読んでたのでやばかったです。
イイハナシダナ~。

朝日はまあ、うん、しょうがない。
もちろん許す事はできませんが。

14 ■Japan on the Globe(JOG)

こういった過去の日本人の”いい話”は下記のサイトにたくさん載っています。

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

記事が多すぎて探すのが大変ですが、今回のエルトゥールル号沈没の話もありますよ。
かなり前なのでいつごろか忘れましたが、”既刊号キーワード・サーチ”で探せば出てくるはずです。

こういった話を、学校の授業で取り入れてもらいたいなと思います。
うちも子どもがもう少し大きくなったら読み聞かせに使おうと考えています。

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