「人生は一行のボオドレエルにも若かない」 『或阿呆の一生』の「時代」と題された第一章に芥川龍之介は書きました。 私には時代とともに青春を駆け抜けた芥川の悲痛な叫びというように受け取れます。青春が過ぎ去った作家には最早人生に意味を見いだすことは不可能でした。
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2015-12-03 01:32:55

身元不明の女

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                                                                            1

 江波可南子から私のスマートホンに電話がかかってきたのは十二月に入ったばかりで、
冬にしては暖かい日だった。広告に事務所の電話番号を載せているが、外にいる時には転送されてくるようにしてあった。
「相馬探偵事務所でしょうか」
「私が相馬です。今外にいますが、うちには私一人です」
 ちょっと間が空き、その間に私は腕時計に視線をやった。午後八時だった。事務所に電話をするには少し遅すぎる時刻だった。
「すみません。こんな時間に。急いでるもので」
「ご用件を仰って下さい」
 江波可南子はまず自分の名前を名乗った。
「仕事の依頼ですか」
「ええ」
「では明日また新宿の事務所までいらして下さい。時間を決めてくだされば対応します」
「いえ、それでは…相馬さん、今どこにいらっしゃるの」
「特に仕事というのではないですが、高円寺近辺にいます」
「よかった。私すぐに行きますから会ってくださいませんか」
 可南子は自分の外見を簡単に説明した。
「身長は百六十二センチで髪は短くしてあります。眼鏡はかけていません。服装は膝まである黒のコートに黒のブーツです。顔の特徴は特にないですが目は大きくはありません。手に小さなバッグを持っています」
「なるほど、緊急の用件ですか。いいでしょう。高円寺駅には北口と南口がありますが南口へ来て下さい。駅前で何時がいいですか」
「九時までに行きます」
 江波可南子は電話を切った。
 可南子は高円寺へ来なかった。可南子と対面したのは翌日の夕刊で三面記事の片隅に殺人事件の被害者として報じられた時だった。

 その日私は一向仕事が来ないのにどこへも行くことが出来ず、一日中事務所の椅子に座り、六時に事務所を出て阿佐ヶ谷にあるアパートへ帰る途中、車を高円寺のガード下に停め、煙草を吸っていた。五本目の煙草に火をつけた時、可南子から電話があった。私はそのまま車の中で待つことにした。万が一見つけられないことがあっても電話で居場所を知らせればすむことだった。可南子が自分で説明した通りの女であればまず見逃すことはないだろうし、電話をしても出ないならそもそも急ぎの用ではない。九時十分過ぎに私は着信履歴に残った可南子の番号にかけた。可南子は五回呼び出しても出なかった。三十分後にまた五回かけた。やはり可南子は出なかった。十時を回ってから私は漸く高円寺を離れた。
 その晩はよく眠れなかった。探偵という仕事でよく眠れたなどという男を私は知らない。翌日、やはり誰も訪れない事務所で私は事務所の中を歩いたり、窓から明治通りを見下ろして虚しい時間を過ごした。
 事務所の郵便受けはビルの一階にあった。私は郵便受けから夕刊を抜き取り、狭苦しいエレベーターの中で新聞の三面記事を読んだ。

 
 七日午前九時頃、東京都立川市の多摩川に架かる橋の下で二十代末と見られる女性の遺体が発見された。首に絞殺したと見られる痕があり、深夜何者かとのトラブルで殺害された可能性がある。目撃者は出ていない。死体近くの叢で見つかったハンドバッグの中から捜査員が見つけた差出人の名前が江波可南子と書かれた葉書から検出された指紋が遺体のものと一致したことから立川署は遺体を江波可南子という名前の女性であるという確信を強め、殺人事件の被害者として公開捜査に踏み切った。葉書には江波可南子という名前以外には何も書かれていなかった。


 私はエレベーターから下り、事務所のドアを開けると夕刊をデスクの上へ置き、コーヒーを一杯飲んだ。昨夜かかって来た江波可南子と名乗る女からの電話の内容を思い返した。周囲に人の気配はなかった。可南子の声の他には何の物音も聞こえなかった。緊張が事務所の狭い空間を満たした。私はもう一杯コーヒーを入れて飲んだ。煙草に火をつけてゆっくりと吸い、私は事務所を出た。宵闇が垂れ込めた甲州街道に車を走らせ、中央自動車道に出た。道は空いていた。国立府中インターチェンジから中央自動車道を下りて立川へ向かった。

 多摩川縁から近いコインパーキングに車を駐め、私は立日橋まで歩いた。七時半を過ぎていた。川縁までくると橋の上の真ん中をモノレールが走っていた。交番は百メートル近く離れた所にあった。橋のたもとの両側には川に向かって左に五十メートル、右に三百メートル程胸の高さまである高いフェンスが張ってあり、余程の腕力がない限り死体をフェンス越しに一人の人間の力で向こう側へ放るにはフェンスは高過ぎる。
 左側に張られたフェンスが尽きた所から私は河川敷へ下りて行った。薄が生い茂り、上を走る橋の街灯の光も殆ど届いていなかった。多摩川と残堀川がちょうど合流する地点で、実際には残堀川の岸辺だった。フェンスの端辺りからモノレールの耐震補強工事の為に腰より少し低い位の高さにネットが張られ、立ち入り禁止区域になっていた。私はそれを跨いで橋の真下へ歩いた。
 少し先に残堀川に架かる小さな橋があった。私はコンクリートで固められた堤防の所まで来て足を止めた。チョークで人型に線が引かれたものがまだ残っていた。立川市内で多摩川に架かる橋は大きなものだとこの橋以外にない。日野橋は日野市の境界線の内側にある。
 二十代末というと西暦でいえば1986年から1988年生まれだろう。1989年に昭和から平成に年号が変わる。その時代の女だということになる。
 スマートホンの着信が鳴った。
「立川警察署ですが相馬さんですね」
「そうだが」
「今日中に立川署へ任意出頭願います」
「任意とはどういう意味なのかね」
「新聞記事は読まれましたね」
「読んだ」
「あとは署で伺います」
 私はすぐ行くといって電話を切った。

                                                                              2

 立川警察署は陸上自衛隊立川駐屯地の斜向かいにあった。時刻は九時に近かった。駐車場へ車を乗り付けて私は入り口の自動ドアを抜け、受付係の警官に言った。
「先ほど電話を頂いた。相馬という者だが」
 若い警官は内線を使い、
「相馬という男が来ています。呼び出しの件です」
 と伝えた。警察署という場所はどこも既視感を覚えるほど似た作りになっている。立川署もその例に漏れなかった。参考人として調べられた部屋も同様だった。担当した刑事は名前すら言わなかった。四十代半ばに見えるそろそろ女にもうんざりしたといった顔つきの男だった。
「手間を取らせないでくれ。こんな時代にこんな事件だ」
 男は汚れたデスクを挟んで私と向き合い、デスクの上に両肘を突いていた。髪もろくに撫でつけていず、わざわざ目立たない格好をしていた。顔の表情までわざと印象が残らないように努めているようだった。
「どうして私の事務所の電話番号を知ったんだ」
「君に対して捜査の経過を説明する義務はない。江波可南子について君が知っている事を全て話して貰う。洗いざらい全てをだ」
「参考人の身分でか」
「だてに探偵をやっているんじゃないだろう。必要とあらば署に留置することも出来るんだぞ」
「脅しかね」
 刑事は上半身を動かして椅子の上で筋肉をほぐした。
「人が殺されたんだ」
 男の目の奥に翳りが差した。暗い目の表情の裏に何が隠されているのか読み取ることは難しかった。立川でなら殺人は珍しくない。いや、どこであろうとそれは同じだ。
「いいだろう」
 私は口を開いた。
「本人が電話で自分の服装と背丈と髪型と容姿とを簡単に説明した。高円寺駅の南口で会う約束だった」
 刑事は私から目をそらさず黙って聴いていた。私は少し言葉を切ってから続けた。
「身長は百六十二センチ、膝まである黒のコートに同じ黒のブーツを履き、自分で特徴はないと言う顔で目は大きくはない。眼鏡はかけていない。目印は手に持っている小さなハンドバッグだ」
 そこでまた言葉を切った。刑事は椅子から立ち上がるとドアを開け、ドアの外に立っていた制服警官を取調室の中へ入れた。
「時代が変わったんだよ。相馬。俺達の知らない場所でな」
 椅子にかけ直すと男は制服警官に手で合図した。警官は無言で薄いビニール袋をデスクの上に静かに置いた。中には泥が付き、水分を吸ってぐにゃぐにゃになった葉書が入っていた。
「現場の河川敷で見付かった。ガイ者の所持品と思われる。ハンドバッグの中には入っていなかった。殺害時に犯人が身元が割れそうな品物を抜き取った際、動転して放り出したままになっていたんだろう」
 葉書の左の隅にボールペンで江波可南子という文字が書かれてあった。急いで書かれたものらしかったが、しっかりした楷書体で書かれ、緊張で手が震えていたような形跡はなかった。黒いインクの文字が僅かに滲んでいた。死に際のことを嫌でも思わざるを得ない年齢に達すると同時に人間は若さを理解する事が難しくなるものだ。生きたいという本能そのものが衰えて来る。生きる事自体が馬鹿馬鹿しくなる。若い人間にとってそんな大人の存在が邪魔なのだ。私は言った。
「時代が変わり始めたのはもう四十年前からだ。1976年にアメリカが建国二百周年で沸いていた。私達がまだ子供だった頃だ。その二年後には国際化の波が日本にも訪れる。日本の警察は自分達が思っているほどタフじゃない。アメリカは長いこと世界の警察だと自称して来た。それだけの事はあった。1970年代半ばからアメリカの映画やポルノがどっと日本へ押し寄せて来た。それだけじゃない。ドラッグ、ホモセクシュアル、それをアメリカの警察官だけではなく一般の市民も相手にしなければならなかった。日本の警察と違ってアメリカの警察はしたたかだ。悪徳警官などざらにいる。勿論そうではない警官もいる。その四十年間に揉まれたお陰でそろそろ日本の探偵にもタフな男が出て来ておかしくはないだろう」
 男は椅子から立ち上がるかに見えたが、かろうじて思いとどまった。
「警察に喧嘩を売るのか。なるほどもっともだな。警視総監が喜ぶ」
  私は制服警官にちらりと視線をやってから男の顔へ視線を戻した。
「もしそれが」
 私は言った。
「二十代末で命を絶たれた女への言い訳になるならいいが」
 刑事は制服警官の方を向き、取調室の外へ出て待つように言った。二人で向き合うと刑事は質問を続けた。
「この事件ではこれからも何度か来て貰うことになる。君の探偵としてのキャリアは長い。今更説明の必要はないな。ガイ者の電話の声はどんな風に聴こえたんだ?」
「携帯電話かスマートホンは現場に残されていなかったのか」
「それにも答える必要はない」
 私は煙草が吸いたくなった。
「煙草を一本吸っても構わないかね?」
「ここでは駄目だが喫煙所がある。狭いがね。行っても構わん」
 喫煙所の場所を訊くと私は取調室から出た。

                             3

 喫煙所の椅子に腰掛けると私はマルボロの箱を取り出して煙草を吸った。喫煙所の壁はニコチンで汚れ、外から中が見えるように上半分がガラス張りだった。何分か経つと取調べをしていた男が喫煙所のドアを開けて入って来た。
「名前を言わないで失敬したな。私は大崎という。階級は警部だ」
 大崎はシガレットケースをポケットから出して一本吸った。
「アメリカの警察について言っていたな。俺もそう思う。英語は出来るのか?」
「日常会話程度なら出来るし読み書きもある程度なら」
「流石だな。俺も英語は勉強してるんだ。外国人犯罪に対処する目的でだが、江波加奈子というのはエバカナコという発音でいいんだな?」
 私は頷いた。
「電話ではそう言っていた」
 大崎は壁に背中をもたせ掛けながら天井へ視線をやった。
「なに、ちょっと気になるものでね。自分の一人娘のことを思い出した。妻はもう二年ほど前、病気で死んだ。知的な障害を持っているんだ。知的な障害という言葉自体、表現の仕方を変えなければならないことぐらい分かるだろうな」
 私は大崎の顔を見つめたまま何も答えなかった。
「学校の教師や政治家に娘を守ることは出来ない。学校は卒業すれば後は面倒を見ないし、政治家の数は極めて少ない。第一、政治家の票田は誰だ? 現代日本で総人口の四分の一以上を六十五歳以上の高齢者が占めている。政治家は頼りに出来ない。その高齢者たちは高度経済成長期とバブル期に散々遊んだ連中と来ている。フィリピンや台湾で安い売春婦を買って遊び回った愚か者どもだ。俺は自分の命を捨てても娘を守ってみせる」





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2015-08-28 15:46:50

時代の終焉

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『ダーティーハリー4/サドン・インパクト』をDVDで観た。1983年の作品で、このとき私は十七歳だった。今観直してみるとストーリーは第一作に比べて単調で、主演のクリント・イーストウッドも既に今の私かそれより少し若かったかでアクション映画に主演するには無理がある。それよりも重要だと思われるのは本作品のストーリーがかなりの部分第一作の焼き直しであることだ。それもただ同じことをやっているというのではなく、それを意図的にやることで時代の流れと現代アメリカの現実とをその差異の中に浮かび上がらせようというような幾分醒めた態度が監督と製作、主演をかねたイースト・ウッドに窺えることである。それはそのままアクション映画とは何か、犯罪映画とは何か、現実の犯罪とは何かといった問いにつながっていくものと思われる。ソンドラ・ロック演じる犯人は十年前に妹と自分を輪姦された復讐のために輪姦した男たちとそれを教唆した女とを一人ずつ殺害していく。中途の場面でロックがイーストウッドに

「今は正義が行われにくい世の中よ」

 と言う。ラストでは

「レイプされた時の妹の人権は? 私の人権は? 悪党どもに人権はあって私と妹にはないの?」

という台詞をロックに吐かせている。現在日本には百五十万人のひきこもりと十七万人の不登校の若者たちがいる。『家族という病』という本も出版され、ベストセラーを記録している。また、現代日本は完全に監視社会と化している。ジョージ・オーウェルの『1984年』はその監視社会を描いているが、私はまだ読んでいない。上のロックが置かれた状況は日本のいじめにもそのまま当てはまる。小中学校時代にいじめにあい、中学を卒業すると同時にいじめという暴力の責任はその所在が分からなくなる。責任が不問のまま済まされてしまう。警察は国家権力と法律を後ろ盾にして暴力を正当化している。それが正当であっても暴力に違いはない。しかしいじめにあった人間には通常その暴力が正当化されない。十五歳を過ぎると少年法の適用から外れるため、暴力を行使すればそれは犯罪になる。1980年代の家庭内暴力は一方的に子供が悪いことにされた。その矛盾に気づいた日本人はいなかった。ロックは集団でレイプをした人間たちを一人ずつ殺していく。まさか一遍には殺せない。いくら拳銃を持っていたところでそれは無理である。十人以上の人間からいじめを受けている人間が十人を相手に勝てるわけがない。復讐を企てたとしてもそれが有無を言わさず犯罪行為となってしまい、しかも敵はばらばらになっている。日本は今、社会全体がいじめ社会と化している。卑劣な暴力が横行する。ここで黙っていてはいけないのだ。いじめにあっている子供たちを見捨てることはもう絶対に許されない。地球上からセックスと暴力を無くすことが出来るか。答ははっきりとノーである。人類に残された手段は戦うことしかない。

 地味な仕上がりだが、第一作の犯人が知能犯と言えるほどに巧妙で大胆不敵だったのと比べ、ロックの演ずる犯人は現実の犯罪においても恐らく珍しくはない。それだけ現実に近いとは言えるだろう。虚構の面白さで作られるべき映画が、これといったアクションもなく、第一作のたたみかけるようなテンポのよさとは無縁で、イーストウッドの言いたかったことは結局最後のロックの台詞だけであったとしか言えない。それは現代日本が抱える現実と酷似している。
 もう一つ言えることはこの辺りでイーストウッドの全盛期は終わりを告げざるを得なかったことである。私の青春時代も最早終わったとしか言えないが、団塊の世代が全てリタイアした今、一時代は綺麗に消えてなくなり、これからまったく違う現実が始まることは確実に言える。
 私の同学年は昭和四十年か昭和四十一年に生まれているが、この世代が国際化社会の先陣を切った。60年安保世代や70年安保世代はまだ反米感情が強く、しかも英語も碌にできなかった。いわゆる団塊の世代より上の世代は国際化社会で完全に無視された。役に立たなかったからだ。合理主義のアメリカ人は当然のことながら私の世代以降の日本人にしか期待できなかった。今私たちの前にはグローバル社会がある。私の世代はその現実を前に1980年代以降、苦戦を強いられてきたことになるのである。常識を塗り替えるくらいのことをしなかったらこれから先の日本は存在し得ない。

https://www.youtube.com/watch?v=ncQ4-NFGIEw

Suddenly,with terrific speed and the whole weight of her shoulder behind the blow,she whipped her right fist, loaded with a heavy brass knuckle-duster,round and exactly into the solar plexus of the man.
 Whuck!
 Grant let out a snort of surprise and pain.

 上は『ロシアから愛をこめて』の第十章で、ローザ・クレッブが裸になったグラントのみぞおちにブラスナックルをはめた拳を叩き込む場面である。グラントは映画でもそうだが倒れない。

`At least he is fit enough,' she said.

「少なくとも十分に健康だわ」

 グラントはかくてボンドを抹殺すべく差し向けられるのである。
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2015-08-14 10:14:33

男子の本懐

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 私は大体想像がつくであろうが鏡を見ながら髪型を整えたり、角度を変えて自分の顔を見たりしたことが一度もない。それは見事なまでに皆無だ。本ブログに上げた三枚の写真は書く人間として責任を持つためで、決して見せびらかそうというのではない。ただ、パナマ帽を被って煙草をくわえた写真は少し違うことはお分かりいただけるだろう。この写真は冬に撮ったもので、パナマ帽は普通夏に被る。単純に冬用の中折れ帽を買う金がなかったので間に合せたに過ぎない。男なら大抵そうであろうが、外見に自信のあるなしは関係ない。でなかったら何故、女ばかりが化粧をし、ヌード写真を撮ったりするのであるか。いちいち鏡を見ないのは同じだが、中折れ帽やパナマ帽を被ってその位置を微妙に調節する場合に限ってはそうではない。この写真の場合、眼が映っていない。目深に被っている。夜に撮ったもので電気スタンドをつけ、部屋の明かりを消して正面から映した。目が映っていないからにはどう映っているのか自分でも写真を見てみないと分らない。目が映っていない。しかしパナマ帽のつばの下で目がぎらりと光っているのが分るだろうか。それは挑戦だ。
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2015-08-13 17:14:16

展開の見事さ

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 Subject was in place,but  no longer alone. A guy was across the table from her smiling and talking,
 and one look was enough to show that she knew him and regretted it. He was california from the tips of his port wine loafers to the buttoned and tieless brown and yellow checked shirt inside his rough cream sports jacket. He was about six feet one,slender,with a thin conceited face and too many teeth. He was twisting a piece of paper in his hand.
 The yellow handkerchief in his outside breast pocket sprayed out like a small bunch of daffodils. And one thing was as clear as distlilled water. The girl didn't want him there.
 He went on talking and twitching the paper. Finally he shrugged and got up from his chair. He reached over and ran a fingertip down her cheek. She jerked back. Then he opened the twisted paper and laid it carefully down in front of her. He waited,smiling.
 Her eyes went down to it very, very slowly.Her eyes held on it. Her hand moved to take it,but he was quicker. He put it away in his pocket,still smiling.


 PLAYBACK  Chapter two



 女はまだそこにいた。しかし一人ではなかった。 テーブルを挟んだ向こうに男がいて彼女に微笑みながら話していた。一目で彼女がその男を知っており、しかも気に入らない男だということがわかった。男はポートワインの色をしたローファーのつま先からネクタイを締めていない黄色い格子縞の茶色のシャツ、羽織っているクリーム色のラフなスポーツジャケットまでカリフォルニアの住民の服装だった。



 漫画喫茶から投稿しているので時間が多くは取れない。上は『プレイバック』の第二章で主人公マーロウがクライド・アムニーから尾行して行き先を突き止めるよう依頼された女を見張っている場面である。辞書を鞄ごと盗まれたので意味がわからない単語もあるが、相当に意味が理解できるようになってきた。勿論清水俊二訳は今手元にない。中途まで訳してみたが無理やりにでも一冊全部翻訳してみるつもりである。
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2015-08-10 16:56:01

官僚とNHK

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 テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど蔓延しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしても、きわめて少ない。だが、テレビが全世界的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉なことに、NHKが、官僚ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある。それ以外は、NHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭が全く空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。
 クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気”スター”は大量生産され、その”キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な戯画といえる。
 このような現象を国際的に評価する一般的な基準はない。しかし、欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢11.2歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢8.9歳に合わせている。



 以上は『日本権力構造の謎』上巻、第6章 従順な中産階級 サラリーマン文化の演出者 影のメディア・ボス 363ページから364ページ目からの引用である。1989年、今から26年前に出版されている。私が23歳の時であり、当時、日本はバブル景気のただ中にいた。影のメディア・ボスとは電通のことだ。戦後日本は一から十まで幻影を追い続け、その幻影の中で空洞化形骸化への道を突き進み、最早先には何もないところまで来てしまった。海外の識者から見てここまで明らかなことが何故日本人には自覚されないのか。国際化の波に乗ることが現代日本人にはいまだに出来ていない。戦後日本を否定せよ。全ては幻影にすぎない。
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2015-08-03 20:46:34

東京オリンピックの需用と供給

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 東京オリンピックが開催されることに決まったが、海外からの観客に対する対応が見るからに進んでいない。ふと思い付いたのであるが在日と非在日とを問わずフィリピン人を通訳として雇えば現代日本と現代フィリピンとの間にある大戦以降の感情的なもつれを解決するのに決定的な効力を持つに違いない。フィリピン人は英語を早ければ幼稚園時代から教わり、大学では全て英語で授業を行う。そんな国の国民が身近に沢山いるのだ。同様のことが在日中国人や韓国人についても言える。具体的には段階を踏まなければ勿論実現は出来ないが基本的には十分な可能性があると私は思う。
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2015-08-02 21:48:50

Please save children

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 今日、近所にある教会の礼拝へ行き、聖書の勉強をネイティブの牧師さんと向き合ってやった後、日本人のキリスト教信者が私と牧師さんの奥さんだけを除いて全員帰り、ネイティブの御夫婦二組と牧師さんとその日本人の奥さん、私の七名でミーティングをした。私は三週間ほど前からずっと最後までいるのだが、そこで目を閉じて一人一人神に祈りを捧げる。正直に言って、耳からだけのネイティブの英語は私には殆ど理解できない。面と向かってネイティブと英語で話す場合なら、向こうがかなりゆっくり話してくれるから半分くらいは理解できる。私は先週からネイティブに混じって英語で祈っている。私の拙い英語がどれくらい通じているのかは分からない。今日、私はいじめについて英語で議論したあと次のように祈った。


「子供達は幼い頃、先生から愛についてそれが純粋で温かく、美しいものだと教わります。しかし、十歳になると子供達は自分達の中にセックスの欲望を感じるようになり、愛を信じなくなり、地獄へ通ずる邪悪の扉を開け、全員がその中へ入ってしまいます。そこで何人かの犠牲になる子供達がいます。犠牲になる子供達も同じようにセックスの欲望を抱いているので彼らには自分の権利を主張することが難しくなります。どうか子供達を助けてください」


 祈った後、目を開けるとネイティブの六十代の女性が目を閉じたまま真剣な表情を見せていた。勿論祈るだけでは駄目だ。何とか実行に移さなければならない。
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2015-08-02 00:03:36

What was that? An Exhibition?

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Lee: [a student approaches Lee; both bow] Kick me.
[Student looks confused]
Lee: Kick me.
[Student attempts kick]
Lee: What was that? An Exhibition? We need emotional content. Now try again!
[Student tries again]
Lee: I said "emotional content." Not anger! Now try again!
[Student tries again and succeeds]
Lee: That's it! How did it feel?
[Student thinks; Lee smacks his head]
Lee: Don't think. FEEEEEEEEL! It's like a finger pointing away to the moon.
[Looks at student who is looking at the finger; smacks student again]
Lee: Do not concentrate on the finger or you will miss all of the heavenly glory!
[Student bows; Lee smacks him again]
Lee: Never take your eyes off your opponent... even when you're bowing!
[Student bows again this time keeping his eyes on Lee]
Lee: That's better.
[student walks away; opening credits begin]


「何だ今のは。見せ物か?必要なのは中身だ」

 ここでリーの台詞は

 ‘What was that? An Exhibition? We need emotional content.’

となっている。Exhibition は展覧会という意味があると思うが私は疲れていて確かめる余裕がない。「見せ物か」と問うのだからそれに続くのは当然外見だけのものではなくその中身だ。emotional content がそれで直訳すれば「感情の中身」である。辻褄は合っている。日本語の吹き替えだと昔は今はどうか知らないが、

「必要なのは気持ちの集中、気合いだ」

 と訳されていた。そこまで間違いではないが、訳者はcontent をconsent と聞き間違えている。consent は集中するという意味の動詞でcontent は中身を意味する名詞である。ここで明らかに台本は見せ掛けの強さなどではなく、その中にある精神的な強さを強調しているのだ。気合いと解釈しても間違いではないにせよ、確実なニュアンスを伝えることが出来てない。
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2015-07-30 20:10:19

The Big Sleep

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レイモンド・チャンドラーが1939年に上梓した『大いなる眠り』‘The Big Sleep ’にアーサー・グウィン・ガイガーという猥本屋が登場する。主人公フィリップ・マーロウはガイガーの店で猥本を手に入れ車の中で内容を見てみる。1930年代アメリカのポルノは現代日本より凄まじかった。
 そうであるにも拘わらずマーロウはそれに対して全くと言っていいほど反応しない。どうしてなのか。Big sleep という言葉は英和辞典を引くとアメリカの推理作家レイモンド・チャンドラーの小説の題名から死を意味すると書かれてある。チャンドラーが初めてBig sleep という言葉を作品の中で使い、それが一般にまで広まったのである。故人となった小泉喜美子さんがエッセイで書かれていたが、Big sleep とは


「すっかりくたばりきって」


というニュアンスらしい。確かにその当時のアメリカの姿そのものだ。


「だがそのような卑しき街をひとりの男が歩いて行かねばならないのだ」

 とチャンドラーは言う。
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2015-07-30 17:32:41

現象という罠

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 現象という言葉がいつ頃からあるのか私は知らない。しかし比較的新しい言葉であることは確かだ。原因と結果というはっきりした因果関係にはなく、もっぱらそれを惹き起こす人間、特に群衆が軽率な判断によって表面的にしか過ぎない行動をとる場合、その人間なり群衆なりが起こす行動を指して現象と呼ぶのである。二十世紀は戦争の世紀であるとともに映像の世紀だった。ドイツのヒトラーが映像をプロパガンダとして使ったことはあまりに有名である。ナチスドイツのハーケンクロイツやその独特なデザインの軍服、号令のかけ方、全てが映画のドラマチックな演出を意識していた。ヒトラーのカリスマ性は映像なくしてあり得なかった。現代で第二次世界大戦中のドイツと同じことをしているのが北朝鮮であることは言うまでもない。現代に於いても選挙の投票率は政治にドラマ性がある時、高くなると言われるほどだ。
 現代映画には暴力とセックスが極めて露骨に表現される。主役は美男美女と決まっており、小説が原作の場合、映画よりも感情移入が遥かにしやすいのに比べて動物的本能に訴える部分が遥かに多いと言わねばならない。テレビ番組の殆どが娯楽番組であることを考えればそれは証明される。
 現代日本の指導者が指導者の器をなくして右往左往しているのは映像文化にどっぷり漬かって来た世代ばかりになっているからだ。それこそ軽薄を画に描いたような世相が二十世紀初頭から先進国を中心に蔓延るようになる。そこから脱出することをアメリカ人、イギリス人はとっくに諦めてしまった。それに続いた日本はアメリカ、イギリスと同じ破滅への道を歩もうとしている。アメリカ人、イギリス人ですら自覚出来ないまま陥った自らが仕掛けた罠に日本人は堕ちようとしているのだ。ここで日本人が何とかしなかったら世界中が最早立ち直ることが不可能な状況に追い込まれる。日本人の指導者が今、世界中に注目されているのである。
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