韓国人は独立門を、日本からの独立と思い込んでいる | ギラのぎらぎらな日々

韓国人は独立門を、日本からの独立と思い込んでいる

ども ギラです


ソウル独立門の由来について
韓国の若者に聞いたら・・・・

「日本からだ!」→ 正解は中国

しかも朝鮮独立は日本が清に勝利したおかげ


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現在の独立門
 注:この門の手前に2本の柱が見えますね。
   これが、撤去された迎恩門の柱です。


* * *
朝鮮半島の国家は歴史的に「つらい」国であった。
日本のように海に囲まれておらず、
中国と陸続きであるから、
何かと中国が戦争を仕掛けて来る。

七世紀高句麗や百済は唐に抵抗したが、
新羅の金春秋(武烈王)は結局
唐の臣下(新羅国王)となって
ライバルを滅し半島を統一する道を選んだ。

これ以後、半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、
すべて「国王」すなわち中国皇帝の臣下であった。
それが歴史上のまぎれもない事実だ。

だからこそ、日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で
中国に初めて「朝鮮国の独立」を認めさせた時、
これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、
欣喜雀躍して独立門を建てた。


これが今も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。
つまりこれは「中国からの独立」を記念して建てられたものであり
朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。
現在ある場所に建てられたのも理由がある。


独立門が立てられる前にあった
撤去された、 迎恩門
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ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって
土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。
骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮は
漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、
「野蛮人には従えない」と明に義理立てした。

怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め
「土下座(正確には三跪九叩頭礼)」をさせて服属させた。
これは「神話」ではない、事実である。

しかも、清国皇帝は
「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」
と強制し、歴代国王に三跪九叩頭礼を強制した。
その場所が「迎恩門」なのである。

日本が清に勝ち、朝鮮の独立を認めさせた時、
まず朝鮮人たちが行なったことが迎恩門の破壊であった。

そして、募金によって独立門が建てられたのだ。
ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。
「有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった」
などというデタラメが学校で教えられているからだ。

独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、

多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ

「日本からに決まっているだろう」と答える。

しかし、そこで

「でも、説明板を見てごらん。
この独立門が建てられたのは1897年だ。
日韓併合は1910年だし、
光復(日韓併合解除)は1945年だろう。
それ以前の話なんだよ」


と言うと、彼等は絶句し思考停止してしまう。


石碑には このような彫刻があり

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碑文には以下のように刻まれている


①愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。
②清国皇帝は、愚かな朝鮮王をたしなめ、この大罪を諭してやった。
③良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、
 偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
④我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に
 逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。



この碑文は、国民に恥ずかしい本当の歴史を
知られたくない韓国政府は、今は撤去して
闇に葬りさっている。



完全に見たくない物は
見ない主義ですなww
いい迷惑です






ソース
※週刊ポスト2011年12月16日
http://www.news-postseven.com/archives/20111208_74172.html

http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-3179.html


日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実

amazon 崔 基鎬



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