2012年を振り返って

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2012年を簡単に振り返って。(キーワード:メイド・イン・ジャパン)

今年は自分にとって人生の転機とも言える年でした。
この流れは来年も続くと思います。

その最たるものは、人との関係による成長でした。
おそらく去年までの自分ならば、極力自力でできることだけに目を向けていたはずです。

最も大きな出来事は結婚でした。

いつものように調子に乗って実業団レースに出ては結果を残せず、今年はヒルクライムではなく平地もいいのでは?と思って参戦した大井埠頭クリテリウム。結果はイマイチ。天気は良かったけれども。

その週が明けたタイミングで入籍しました。

人生の最良のパートナーと言える人と一緒になり、自分の未熟なところが良く見えてきました。

そのおかげで、オンの時間でも、人との関係を大事にすることを心がけられるようになってきたような。少なくともそういう意識に気づきました。

人と出会い、耳を傾け、自らを相手の位置に据えて考えてみる。

そのスタンスをきっかけに、反対に直感や勘が働くようにもなってきました。オンのシチュエーションでも、自分の持っているモノとできることの上限を決めきらないで、協業の中でさらにそれを拡大できるような議論の余地を残しておくこと。

そのことで完璧なプレゼンや完成されたプラニングのあざとさや違和感を覚えるようになりましたし、自分でもインプロヴィゼーションのための空白を残すように心がけるようになりました。(Jazzの聴きすぎ?w)

自然の流れとして、むしろ想いが先走っている人との関係に人間味を感じるようになりました。
人が良すぎるとも言えるかもしれません。そしてビジネスチャンスを大きく逸している可能性もあるでしょう。でも腹で直感しながらこなしてゆく毎日は実のあるものです。

おかげでさらなる発展の兆しも見えてきたような・・・。

2012年。
アパレル同業者との出会い、職人との出会い、作家との出会い、某サッカー選手との出会い・・・
まだまだきっかけができた段階ではありますが、自分自身の鍛錬次第で、この先良いモノ作りができる気がします。

特に、自分でかけがえのないものと再認識することができて感謝したいことは、友人と創業したアパレルブランドと直営店の存在です。今年は今まで以上に深く関わっています。

大学時代の親友とその弟と立ち上げた The Hill-Side/ Hickorees
(二人とも1年以上は別々にルームメイトとして同居しましたw)

友人とも意見の相違や企画等で結構ぶつかってばかりですが、しかしほとんど兄弟なので絶対に関係は崩れません(笑)

今年はHickorees上にMade in Japanのセクションを設けました。

丁寧にPRも行ってきた結果、日本の希少なブランドを北米で手に入れられるセレクトショップとしても着実にマーケットに根付きつつあります。

来年は、(今年もありましたが)自分がディレクションを担当する日本企画の商品の点数も増えてきます。そして兄弟ブランドの立ち上げも計画されています。日本の生地、デザインセンス、企画力それから製造技術こそが北米での熾烈な競争に打ち克つための希望だと信じています。

メイド・イン・ジャパン(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもマーティが言ってますねw)
の復権。

日本の素材と伝統芸能そして職人芸は独特であるだけでなく、世界でも類を見ないレベルの高さを誇ります。日本人誰もが当たり前のこととして認識し、各産業でもそう言いながら、職人さんは仕事がないし跡継ぎも居ないと嘆いています。

企画プロデュース力、マーケティング、販路、ニーズとのマッチングなど、ビジネス的に言えばいくらでも不足していると結論づけられるとは思います。

しかし、(アパレルに限って言えば)国内メーカーは、全然バルク発注しないくせに工場の情報は開示しないで独占したがったりと常に足の引っ張り合いですね。

ラッキーなことに自分は海外との接点があるので、どんどん「メイド・イン・ジャパン」の商品を海外に紹介・展開していきたいし、できます。もちろん今の自分の実力では海外に展開できるボリュームも小さいので豪語できないわけですが、いずれ、こうした国内の事情はボトルネックになってくるに違いありません。

それまでにメイド・イン・ジャパンを支える同志を集めないと、ですね。

自分の「物作り」の意識についてちょっと掘り下げてみると・・・

ハイデガーの技術論の基盤にある「ゴッホの靴」の論考で、物を通じてその向こうに見えてくる「開かれ」にもう一度立ち戻ろうと思います。

使い古された「物」が伝える歴史、使い手の人柄、作り手の思い、素材の選定、物質の結晶化、そして森羅万象へ。技術は人間を暗闇から明るみへと解放してくれるものです。その結果である「物」は人間と自然との接点を作り、そして常にリマインダーとして機能する人間の証明です。

細かいことは兄弟ブランド立ち上げの時に取っておくとして・・・

今年は総括すると、自分のライフワークとして「メイド・イン・ジャパン」を(もう一度)世界に発信していく使命を認識したということになりそうです。

また来年もアドバイスやご意見などいただきたいです。
是非よろしくお願い致します。

それでは良いお年を!!

小口尚思 aka DJ DANJOH
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漢字は色々な意味の含みを持つ、「和」に決定。

次にデザイン。

通常、ヒルサイドのハンカチにはThe Hill-Sideとスタンプされたタグが一角に付きます。

その横に小さく入れるか、それとも大きく入れるか。

ここでは、自分は初めから「和」を〈デザイン〉として考えると決めていたので、思い切って大きく、ハンカチの全面に及ぶようにしました。

次にフォント選び。
ハンカチのスクエアにフィットするように、なるべく直線的なものを選びました。
色はもちろん、白地に赤で。ナチュラル系の日本製コットンを用いて、温かい感じに。

色はすぐに決まりました。
日本に捧げるカラースキーム。そしてハンカチでありながら人が集まっていくイメージで、旗としても考えたいです。

$DANJOH's Journey to the One

そして彩色の作業は、木版で刷り込みます。
一点ものとして、そして手作りなので人の手の温かみが伝わるように。

版ももちろん手作り。作り手は、エミールの母であり、僕もアメリカにいた頃は毎年感謝祭でお世話になったスーザンさんです。

$DANJOH's Journey to the One

できた版をマンハッタンの町工場に持って行って、いつものようにハンカチを作る工程の途中で彩色の工程を追加しました。

$DANJOH's Journey to the One

風合いも最高!

次回は僕がML用に書いた文章についてです。




http://www.hickorees.com/mailing_list/2011/04/13/web.php


3.11の大震災を受けて、わがヒルサイドはチャリティグッズを販売することに決めました。

収益の100%をIRC:国際救援委員会に寄付します。


震災後すぐにNYにいるパートナーと話すると、向こうはすぐにやろう!と乗ってきてくれて感動したのを覚えています。


しかし、パートナーのエミールが「漢字を使おうよ」と言うので、正直、でた!アメリカだ!と面食らったのも覚えています。

いわゆる日本のステレオタイプですね。

僕が初めに感じたのは、それはあまりにも僕らのブランドのクリエイティヴ・ディレクションとは違うのではないか、ということ。


確かに、僕はいまだに柿渋や黒染めなど、日本の伝統技術を使った生地を時間をかけて仕込んでいますが、それは素材であって、ヴィジュアルではないのです。

なので難しいのでは、と思いました。

それから1週間も考えてしまいました。


とにかくボトルネックになっていたのが、漢字。

漢字が付くとスカジャンとか漢字入りデニムのように、和風アメカジ路線が強くなってしまう。。。
(全然悪くはないですが、僕らのコンセプトにあわないのです)


そこで、漢字だけれども、デザインとして考えられるものをどうにか考えなければならず、苦心しました。

もちろん、被災した日本にとってもゆかりがあって、それでいて日本だけに向けられるメッセージではなく、押し付けがましくなくて・・・・・・つまり魔術が働く必要がありました。


そして、やっと出会ったのが「和」という漢字。


大きく、明朝ではなくゴチックで、下地と同じくらいの分量で漢字を入れれば、幾何学的な文様にも見えるはず、そう考えました。

そして1週間後、エミールとの電話に臨んだのです。