2007-06-15 00:11:42 posted by digikumacha

ノーフォールト

テーマ:書評

 普段と若干毛色が違った本ですが、放牧しながら一気読みしたので紹介。
 ノーフォールト

 物語の骨格は以下の通りです。

 新進気鋭の産婦人科医であり、医師やコメディカルそして何よりも患者さんからの信頼の厚い柊奈智(主人公の女医さん)は、大学病院に籍を置き産科医として激務に就いている。
 ある晩の当直中に緊急を要し極めてリスクの高い帝王切開を無事終えたと思うのもつかの間、原因不明の術後合併症のため、母体死亡という転帰を迎えてしまう。
 患者さんを失ったこと自体に傷つく柊であったが、その上、自分達が全力を尽くしたことを理解してくれていたはずの家族から医療ミスだと訴えられ、裁判の場に引きずり出されたという衝撃から、医師としての自信・医療への情熱を失ってしまう
 その柊を支えんと周囲の医師やコメディカルは奮闘するが、ついに退職を決意する柊。同僚の医師たちも徐々に疲弊して退職していくというドミノ倒しに陥る危険性が生じる。
 しかし、やはり患者さんの笑顔・信頼に触れて自信と情熱を取り戻した柊は、再び産婦人科医の道に戻ることを誓うのだった。


 筆者の岡井崇先生は鉄門出身で昭和大学産婦人科主任教授(現職)にある方ですが、2003年から構想を練り2005年の正月に筆を執り始めたよう。専門用語が飛び交うため一般の方には内容の理解がやや困難な作品と思いますが、さすがに現場の人間が書いただけあって、「生の空気」はひしひしと伝わってきますし、執筆段階で想定していた医療問題が実際に起こっており正にタイムリーな一作。
 具体的には福島県立大野病院の癒着胎盤・帝王切開の結果大量出血で母体死亡となり産婦人科医が逮捕された事例(2006年2月)、及び奈良県大淀町立大淀病院で重症の妊婦の搬送先が見つからず母体死亡となった事例(2006年8月)が医療界を震撼とさせているのですが、これらが予見されていたのは何も筆者が選れて慧眼の持ち主であるのではなく、むしろ実地に臨床に携わっている人間なら誰もが危惧していた問題が実際に起こってしまったこと、そして何よりも予想されながらそれを防ぐ実効的な手段を講じられていなかったこと、の証でもあります。


 以上を要素として本作品は「産婦人科医療の現場」の描写と、『ノーフォールト』という表題にもなっている「医療事故補償制度」の紹介の二つの骨子から組み立てられています。

 産婦人科医療の現場の厳しさとしては、確かに命の誕生に触れることの出来る輝かしい現場であり多くの人がその感動を分かち合える場面でありますが、同時に「お産は命懸けであるという当たり前」(実際にはこれが常識でなくなっているのですが…)の再確認、そして命懸けであるがゆえに常に訴訟のリスクを抱えた現場であることが、精密さと緊迫感をもって描写されています。

 同時に、医療事故とそれに伴う補償制度については、そもそも医療事故・医療訴訟自体が持つ特殊性ゆえに刑事・民事事件としての現行の司法の場になじまないことや、にもかかわらず医療事故に対する補償手段として訴訟が用いられている現実を描いています。その歪みをただす為に提唱されるのが、事故調査を行う第三者機関の設置と、司法とは無関係に家族に対して一定の補償を提供する制度の導入。


 今年に入り、小児科・産婦人科などの激務の現場やへき地から医師が逃散していることへの対策として、医学部の定員増などの「長期的視点に立った」(泥縄とも言う)施策が執られるようですが、同時に医師の配置の偏りを是正する結果を短期で出せる方策が必要。これらは7月の参議院議員選挙に向けて一つの争点にもなるようですが、医師の再配置問題の解決については医療訴訟への対策も不可分。ようやく脳性麻痺を対象とした無過失補償制度の審議が始まりつつありますが、「脳性麻痺=産科医療ミス」と考える方々は「訴訟によらず患者さん・家族への金銭的補償を可能にする」という制度の趣旨を理解しようとせずに、「医療ミスを金で解決するのか」と盲目的な反対を行っています。

 この方向にアンテナを張っていると、もはや合併症を覚悟してでも手術しか解決方法が無いというハイリスクな症例に対して「一か八かでやってもらっては困る」、不可避の事故で亡くなった方に対して「過失がなければ何で亡くなる」、「病気を治すために入院したのに死んだら医療ミス」などという素敵発言のオンパレードや、「死んだら取り敢えず病院に難癖つけるとお金が引き出せるかも」と考えているとしか思えない「死体換金業者」とでも呼ぶべき訴訟屋が跳梁跋扈している現実が見えてきます。

 もちろん大多数の国民はアメリカ型の契約医療よりも従来日本型の互いの「」を前提とした医療を未だ是としていると思われるので、国民全体に対して啓蒙活動を行い医療に関するliteracyを育んで行くと同時に、その「信」を根絶やさないための実効的な対策を国家レベルで推進していくことが肝要と言えるでしょう。

 何にせよ、昨今のtopicである産科医療崩壊をvividに描いた良作でしたので、興味のある方は一読してみては如何でしょうか。

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