「私塾のすすめ」を読んで | ただの大学5年生のブログ

「私塾のすすめ」を読んで

久しぶりのエントリーです。
斉藤孝と梅田望夫の共著である「私塾のすすめ」を衝動買いしてしまった。
まず二人の著者の意外性が見えた部分を
・斉藤孝が文部科学大臣やりたいと言及されることである
・根底には、大体の物事はうまくいかないという諦念がある

ここでタイトルの「私塾のすすめ」について考えてみた。
実際、直接、私塾について具体的に提案される部分が少ないように感じた。
斉藤孝が自身の授業、講演のエピソードについての言及、
梅田望夫がブログが空間を志向性を共有し、学びの場となることについて述べてある
が、これらは、二人の著書に詳しい方であれば、特別目新しいことではないだろう。

しかし、本書を読みすすめていくにつれ、私には見えなかった二人の共通認識が浮かび上がる。
それは、二人の「フロンティアであり、アウトローである自覚。」
お二人は、私はあえて繰り返す必要もなく、フロンティアであり、新しい本を出せば、
ベストセラーであり、社会的にも認められている。
だか、二人は自分の影響力の限界や(もちろん一般人とは比べられないが)、
日本において支配的な旧価値観や権力を持つ層からのアウトローであり、
若者の中にも潜在的に支配的な旧価値を見出しているのではないか?
以上は巻末の梅田氏によるおわりに「私塾のたたかい」に詳しいエピソードがある。

ここにきて初めて二人が現在を幕末明治期に喩えるのが、本気だと確信できた。
そして、彼らの立ち位置が直接言及しないにせよ。吉田 松陰や福澤諭吉のような
思想家、教育者であったのではなかろうか?

ここで若者という立場から、どう受け止めていいかということを考えたい。
僕は今、日本における現在の制度や価値観(終身雇用や年功序列など)の過去の価値、
アメリカ、中国、日本の過去50年とテーマがひとつ興味がある。
現在日本ではかつて機能していて制度や価値観の疲労や機能不全が問題となっていると思う。
例えば、暫定税率や年金問題等。私達は今この制度がや価値観が機能していた事実や成功体験
があったことを歴史にしなければ、いけないのではないどろうか?

過渡期や革命が起きる際には、破壊者と創造者が必要であると言われる。
しかし、ここに私はもうひとつの登場人物を付け加えたい。
価値観や制度が崩壊し、産まれる際に優れた啓蒙家や教育者が必要であるだろう。
もう現在には、破壊者はすでに登場し、啓蒙家はいるのではないだろう。
われわれ若者は彼らが作った道で新たな価値を創造していかなければならないのではないどろうか?