キャリア支援団体を立ち上げました。「自分軸」「対話力(関わり力)」「自己表現力」などの総合力を向上し、小中学生から、退職後の第2の人生を歩んでいる方まで「自己表現としてのキャリア」ということを探究する場をつくっていきたいと思います。
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2016-11-20 21:57:21

情報のタイミング

テーマ:ワークショップ

最近自分の中で、マーケティングとか広告的な人(特にwebというかblogとかを使った広告)の

発言を見ると違和感があるなーと思っていて、どうしてそう思うのか?と思いながら放っておいた。

どうも、自分の中の「違和感」というのは、相手を「説得」というのが、自分の流儀ではなかった、と思えることがあったのではないか?とずっと思っていたのではあるが、実際は説得がいやだ、

というよりも別の所にあった。

つまり、「タイミング」というのが大事だというのが最近の自分の発見であり、説得はタイミングを

台無しにするのではないか、というように考え始めている。

 

どのような「正しい」理屈も、タイミングとか、プロセスが違うと、正しく伝わらない。

自分にとっては「必要なことがいままさに起きている」という感覚でいるので、とりあえず、

「はずれ」をつかむ危険を承知でいくと、「まさに自分がほしかったこと」が得られることが多い。

先日、とある「おすすめ」の専門家に紹介されて行ったが、それまで、その「専門家」の話は

きいていた。多分もう2,3年も前から知ってはいた。しかし、実際に「自分にとって必要な情報」

として立ち現れるまで、2,3年もかかった。

気功ももう7,8年やっているが、最初の「出会い」から、10ヶ月は放置していた。「必要」だとは思ってはいたが、本当の意味で「大事だ」と感じるまでは時間がかかった。

 

自分が主催しているセミナーに参加する人も、参加するときは、今まで一度ぐらい会ったけれども、そんなに親しい感じでもない人から(むしろ避けていたぐらいの感じ)連絡があって会ってみると、その結果、その人にとって十数年以上もの間ひっかかっていたことが解消されるなんてこともある。

 

本当に必要な情報は「呼ばれる」ように向こうから来るものだ、と私は思う。

最初に何となく「前触れ」として情報が何気ない方向からくる。そして、その直後もしくは、

数年後(それは時と場合による)に、必要な情報が何かのきっかけで、自分にとって必要な

ものとして立ち現れる。その時に、メッセンジャーとなるものは、必ずしも親しい人じゃない

場合もあるし、メッセンジャーとしての現れて二度と会わなくなる人もいる。いずれにしても

最初から「必要」とわからなくても、本当に必要な情報は何度も何度もどっかから働きかけが

ある。

全てはタイミングだ、というと言い過ぎかもしれないけど、そういう大きな流れはあると思う。

広告(屋)さんに違和感を感じるのは、相手を説得して、「自分の思い通りにしてやろう」というのが見える人が多く(そうじゃない人もいっぱいいるでしょうが)そういう偶然に見えるけどでも

とても大事な情報、ということに関してセンサーがないように見えるのが違和感の正体だと

今では思う。

 

 

 

 

 

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2016-11-12 18:50:29

シンクロとか引きよせとか。。。

テーマ:直感力

最近、いろいろな「シンクロ」がある意味、「ふつう」になってきた感じがするので、

あまり気にしていなかったが、先ほど、とあるお店で買い物をしていた時に、

レジで自分が「思った」ことが、店内アナウンスで出たときに、なんとなく笑いがでそうに

なった。

だからどうだ、と見る見方もあると思うのですが、まあ、なんか、楽しい「シンクロ」だと

思ったりしています。

そして、そうなるまえに、今日は、とある「打ち合わせ」をセッティングしてくれた人の

指定する(15分前集合)というのをまじめに守っていったら(なぜかセッティングして

いた人が指定した時間に来ないという・・・w)その打ち合わせは当初よりも早く始まり

早く終わる。表面的には「なんだよ遅刻して・・・」とか「文脈が見えない人だな・・・」とかいろいろ思ってはいたものの、あらかじめ「準備されていたように」起きるべきことは起きるなーというのは感想で、その後のスケジュールもすいすい進む。ほんとになんか予定していたなかったはずなのに自分にはしらない予定が「現れた」ような感じがする。

 

昨日は昨日で、ちょうど相手が「必要」なことを自分が提供できるようなことが起きた。

以前は平等とか考えていたのですが、与えていたら巡り巡って返ってくるような気もします。

 

ところで、引きよせのときに、

人の思考というか、意識をそちらに向けると、その意識に関係ある情報が

集まってくることはよくある気がします。

以前は、気をつけなくてはいけないのは、ネガティブなことを思えば、

そういう方向性の情報が集まってくるので、ポジティブなことを思おうと思っていたのですが、

しかし、それはそれで、どの時点でネガティブか、ポジティブか、というのはわからないとも

思うのです。必要な学びってのもあります。とりあえずいいことでも悪いことでも「それは必要なことだ」とか「起きて良かった」

とか捉えていると必要なことが起きる気がします。

我々の通常意識の「良い・悪い」以外の次元で動いている何か法則みたいなのは絶対

あるとおもうのです。

まあ、時には「運命の流れにゆだねる」気持ちみたいなのも大事だなとおもう。

とかなんとか書いておきながら、必要な努力はしとかないと、シンクロっておきないとおもう。

やたら、引きよせとかシンクロとかいっているけど不幸な人がいて(私にはそう見える)、

別にシンクロが起きても起きなくても、どうでもいいような気もするのですが「シンクロ教団」

みたいになっていても起きない気もする。単なる思い込み(いわゆる予言の自己成就)

みたいなのにはまっている人もいるのですが、まあ、とりあえず、「運が良いこと」は

人事を尽くして起きてくるものだし、でも、だからといって、「自分がやらなきゃ」って思いすぎ

てもよいことは起きない気もします。

仕事仲間で、結構「てきとー」な人がいて、「ちゃんとしろよ」とか時には言うことは必要だとは

思いますけど、ちゃんとしているから、引きよせが起きる訳でもないですし、だからといって、

アバウトだったらいいかというとそれも違う。いろいろ試してみて自分の感覚を信じるしか

ないんだとおもう。(自分が何か誰かに「すごい」と言いたい病になっていないかはチェックした

方がいいと思いますが)

 

 

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2016-11-07 10:00:00

わかりやすいから伝わる訳ではない、とおもう今日この頃。

テーマ:コミュニケーション手段

先日というか、ここ最近思っているのですが、本を書いてみたり、講座やらワークショップで「伝える」ということをしていて、思うのは、必ずしも「わかりやすさ」を追求しちゃいけないな、と思うことです。

どこで相手に「伝わる」かは、予測を超えているところもあります。

そもそも「わかる」とは、積み上げ型でわかる場合もあるけど、ふっと、その全体性が

見えることなので、伝える側が、「伝えよう」と努力することはとても大事だけど、「簡単にしよう」として、本質を見失ってしまうことの方がNGなわけで、いろいろな次元で発想することが大事だと思うのですよね。

 

もっというと「わかる」の先に、「腑に落ちる」ってのもある。腑に落ちるかどうかは、予測不可能。感動する、はさらに先にあるきもするのですが、「感動させよう」なんて思っている人のは、なんか「変だぞ」っていうふうに伝わることもあります。

 

先日「わかりやすいですね」と言われて、別にわかりやすく伝えていたつもりも何でもなくて、その人が「できる」にはどうしたらいいかということを一生懸命に考えて伝えていたら、その人のツボにはまって「わかりやすい」という評価をしているだけかもって思うのです。

 

その概念が「探究しがいがある」こと、楽しいからこそ、「わかってほしい」でも、その「わかる」は、相手次第であり、ある程度、対比や比喩(たとえというか「似たような事例」)や分析やあれこれの手段で伝えようとしても、そもそも「わかろうとしていない」人には伝わらないわけで、わかろうとしている人と、わかってほしい(っていうか「こんなに楽しい世界がある」という気持ち)という人がうまくつながればいいだけだと思うのです。そして「知識として理解出来た」の先にもっと楽しいことがあることは確かなので、「わかった」からといって、その先の楽しさにふれてほしいなーというのもあるとより伝わりやすくなるかなと思うのです。

こういった話は概念をこねくり回している次元と、それと「俯瞰してみる」というのと、よくわからなくなりがちであるが、現実としてその人の世界に何か、さざ波が立たなければ、結局のところ「あーわかった」の先に何かが起きなければ本当のところはあんまり意味がない、という所に立って「伝える」ってことをしなくちゃいけないと思うのです。本当に「わかる」は、出来てみて「ああこういうことか」ってことだと思うのですよね。

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2016-10-28 00:00:00

忙しいなら忙しいなりに。

テーマ:ワークショップ

忙しいなら忙しいなりに時間の使い方がシャープになってくる気がする。

ただ、まあ、気持ちが忙しくなると生産性が下がると思う。

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2016-10-23 21:24:42

師匠という存在。

テーマ:ワークショップ

なんとなく最近思っているのは、「師匠」っぽくない師匠というのは貴重だなって思うのですよね。

 

何かを習う時に、その分野の先生はいるものですが、権威を振りかざす人もいれば、単にその分野に関しては「とても好き」なのか、とても「おたく」なのか、とにかく、会って話せば話すほど、

ますます進化している人っているなーと思うのですよね。

 

自分もあんまりすきでもないけど、立場上「先生」という役回り生きてみておもうのは、

「先生」というのは、あくまでも、こちらが何をしているか、どう向上しているかで、本当の先生になれるかどうかが決まるような気がします。

 

自分もかつて「師」としてみていた人は大勢いるけど、これほど自然体な「師匠」という存在に出会うと自分をもっと高めたいと思う次第です。

 

理想や原理的なことも大事だけどどう生きているか、ということ、そして、オープンさが大事だと思う次第であります。

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2016-10-02 08:00:00

最近時間に追いかけられている

テーマ:misc.

中途半端に時間があるとかえって無駄に使ったりしてますが、

ある意味、これからの忙しい時間に抗ってみたりしているのかもしれません。

 

だらだらすごそうが、「充実」して過ごそうがどうでもよくなってきたりします。

 

呼ばれているともいえるかもしれません。

 

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2016-09-26 12:52:41

人に与えることによって自分が得られる

テーマ:ワークショップ

最近おもうのは、自分が得することしか考えてない人と、

他人に「与える」ことが巡り巡って自分が何かを得られると考えている人がいるような気がします。

 

もちろん単純に2分割できるわけではなくて一人の人でも2つのモードがあると

いう気がします。

 

短期的には前者の方がいいように見えるが、しかし、継続する関係では、後者の方がいい気がする。

 

損得勘定も大事だと思いますが、どのぐらいの時間スパンで物事を考えるかも大事な気がします。

よく他人のことを考えている人の事を「自分がない」とか「偽善」とか言われますが、「他人を含めた自分」を考えることができたら、自分と自分の周りの幸せを考えることができると思うのです。自分のビジョンとか想いも大事だけど、時にはそれを殺して他人の役に立てるかどうかってのを考えなくてはいけない場合もある。もちろんその背後には「自分」をもっていないととは思うけど、「応える」ということをしているとうまく運が開ける気がします。

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2016-09-22 09:00:00

誰かのために役に立つこと。

テーマ:ワークショップ

もともとの自分の傾向もあるのだと思うのですが、

自分が「仕事」に関して考えるときに「これは得か損か?」という

発想で動くとあまりうまくまわらないなーと思うことがよくあります。

損得とか、効率とかがよくないとは全くおもいませんが、発想の出発点が

損得とか効率だと、何かパワーがでないな、とおもうのです。

 

とはいうもののコーチングの「コミュニティ」に所属していた時は、なんだら

ビジョンがどうだとか、未来がどーのとか頭でっかちなことを言っていましたが、

単純に目の前の人が困っていたら、それに応えようと思っていたら自分も、

もっと実力つけたいなって思うのはごく自然だと思うのですよね。

そして自分の場合は経験から学べることが大きい気がします。

やっている最中はひっしこいてついて行くだけに見えることであっても

あとからしばらくして振り返ると本当に役に立った、とかそういうことってあると

思うのですよね。

ある程度年取ってきて「当たり前」が増えると、高いレベルのサービスをしていた

「当たり前」を、「いちいち説明しないとわからない」人がいると面倒だな-と思うことも

ありますが、まあ、それは若さ故の傲慢さってあると思うのですよね。

傲慢ってのは「生意気」っていう態度的なものじゃなくて「これはこんなもんだろ」っていう

なんかどっかで悟ってしまう浅はかさのことをいっています。w

 

そんなわけで、今回源気功で「初段」という段位をいただいたのも、いざとってみると、

別に「突然」初段になったわけでもなく、やり続けていればいずれは取るものであり、

それが三年後になっていたかもしれないし、二年早まっていたかもしれないし・・・でも、

なんか別にそれはどうでもいい気がします。「同期」というか自分とほぼ同じぐらいに

気功をやっていた人で、昇級を早くやっていた人が、ある時に教室にこなくなっったという

人もいますし、まあ、続けたければ続ければいいし、続けたくなくなればやめればいいかなーとも思えたりします。

最初に七,八年前に始めた時は初段とか意味わからんとか思ってましたが、でも、やり続けていれば到達できると思います。たまたま、「自由さ」ということに関してとても自由な場で有り続けていること、そして、天才的な創設者の師匠と、冷静な師匠と、いろいろなタイプの人の「教え方」を見ると、いろいろな発見があります。驚くほど「自由」な故に、自分としてはいつも選択できる機会でとてもうれしいです。

なんでも「利益」を考えると、人をいっぱい集めるとか、教室の数を増やすとか「拡大」ということを考えます。それはそれ自体はわるくないのですが、しかし、どこかで「無理」が起きてくるというのはいろいろなところで見ています。

(源気功ではないですが)時間が経つと、傲慢になる「師匠」とかも何人も見てきましたし(そもそも最初から師匠としてどうか・・・という人も多いですが)、源気功に限らないけど、時間がたっていろいろな変化が起きて、でも、それでいて、ある意味一本筋が通っている居心地のある場というのはなかなか体現できないものです。自分の場合「自由さ」というものは、とても考える所です。

 

そういうことをやっていると結果的に「場に来る人」のことを考えるようになり、そして「自分が居心地がいい」と感じる人が集まってくる人がいるんだと思います。ある意味、そういうことで来ている人はいい人多い気がしますね。

 

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2016-08-23 13:05:06

基準を外におかないこと。

テーマ:ワークショップ
あんまりほめられたことではないとおもうのですが、先日、コーチングセッションの前にちょっと時間があったので、東京駅のとある本屋で立ち読みしていた時のこと。
その時に持つが多くて、本の上に荷物を置いていた時に、とあるおじさんが、何か雑誌を探している。
とりあえず荷物をどける。そのおじさん(年齢はわからないけど、自分よりちょっと年上ぐらい)の探している雑誌がなかったようなので、またそこに荷物を置くと、そのおじさん曰く「本の上に荷物を置くな」とのこと。
まあ、普段は自分もおかないようにしているのであるが、でも、その人にとって私は何を迷惑をかけているのか
わからないので、ずっとおいていたら、「どけろ」的なことをいう。
自分はこういう場合、こう考える。その本屋の人が「本を置くな」といったら、どけるとおもう。たとえば商品価値が下がるからやめてくれ、とかあるとおもう。そういう本屋の店員の依頼ならまだわかる。
しかし、そうではなくて、その本屋の責任者でもなくて、「本の上に荷物を置くべきではない」というその人の価値観に自分は別にあわせる必要もないなーと思う。

そういう「○○すべき」というのは、何も解決しないと思う。「おかない方がいい理由」が特になければ、あとは本の上に置こうが、自分でもっていようが、その人の自由だと思う。(個人的には、平積みにしているところにわずか数分。長くても、10分ぐらい荷物をおいても、本に悪影響があるとは思えない。誰かに迷惑をかけるとしたらその人が探している本が見つからないということだけだとおもう)
だいぶ前に、何かの時にそういう「○○べき」で怒られたことがあった。ちょっと体調が悪いときにとある電車をまって、ドアの左側と右側に立っていて、席に座ったときのこと。(申し訳ないけど、体調がほんとにわるかったので、優先席に座った)その時に、とある人から「横は入りするな」と言われた。ほんとに横は入りしたらなんかその人の言うことはわかるが「横は入りなんかしてない」と反論しました。ドアの反対側に立っていて素早く椅子に座っただけです、などと反論したのだが、「いや、横は入りした」と譲らない。その時の動画をとっていたわけではないので証明しようもないが、なぜ、その人が横は入りだといい、さらに私に責めているのかよくわからないが、とにかくそういうやりとりが続いて「いや私は見ていた」などとかたくなに話をする彼。(多分当時50才代の方だったと思うがよくおぼえてない)
一番皮肉なのは、そこで、口論をしていると、私の横の席に座る勇気がある人はいなくて(汗)、仮の彼の言うとおり私が横は入りしたとしても、その彼と私が話をすることで、「椅子に座れる」人が一人減ったという事実である。
自分の家が近づいて来たのでもう降りなくてはとおもい、それだけいうのなら今度お話しましょう、と名刺を出そうとすると、「いや、そういうのは」ということで、名刺を受け取りもしなかった。

責任というか、「誰のための正しいことか?」がないのに、安易に正義を語るというのは私はどうかなーと思うことがある。一般的に「本の上に荷物を置くべきではない」というのはあるかもしれないが、少なくともそれを他人に押しつけるのはどうだとおもう。横はいりも、ほんとにしたのならともかく(さらに別必要な人が座れていないとか)しているかどうかもあいまいで(はっきりと私は彼の勘違いだと断言できます:なぜなら、私の前には人がいない入り口から私は入っただけですから)、しかも、別の座りたい人に迷惑をかけている状態になっているのが「正しいこと」かどうかを検討するべきだと思うのだが、自分の意見に固執してしまう。

このような「○○が正しい」という考え方をする時は人は、基準を外部にもっていて「自分にとってどうか」がなくなってしまうときに、このての「べき論」になるのだと思う。自分が何をしたいとかがないから、自分と違う意見の人と対話もできなくなってしまう。そしてその基準も自分がそうだと思ったというよりも誰かからか教えられてそうだ、と信じただけだったりする。それはそれで消耗する思考パターンだなと思うのであります。

もちろん、「社会」とか「世間」というものを無視しない方がいいとおもうが、まずは「自分なりにどう想い、どう感じるか」があって、それをもとにして、世間としてはこう言われている、からあわせるとか反発するとか決めればいいと思うのだが、いつのまにか「自分」の意見がなくなると、無効なおせっかいおじさんになってしまうのではないか、と思うのです。

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2016-08-20 17:25:56

ロンドンの某中華店の店員は、注文違いに全く対応しない。。。という店がある

テーマ:ワークショップ
先日、仕事の合間に時間つぶしというか、作業というかマックで珈琲を飲みながらだらだらしていたときのこと。(どうでもいいけど、f/bとかで、なんで、「いま仕事中です」っていう写真をアップするのかは個人的には理解できない。。。なんでそんなことアピールしなくちゃいけないのかって思ってしまうw)

それで、音楽を聴きながら周りの音を遮断していたのだが、2つ隣の家族連れのお父さんらしき人が店員に怒っているのが目に入った。どうも、なんらかの注文だかの追加オーダーをしたらしいのですがそれがなかなか履行されないとかそういうことで怒っているらしい。

個人的には自分も同じような目にあったら怒るのかな・・・とかおもいながら、でも、とはいえ多分、こういう手軽にカロリーを満たすとか時間をつぶすというのにふさわしいお店では、お客さん本意のオーダーってのは期待しない方がいいなーって思ったりもします。
接客というか質の高いサービスをファーストフード店ではあまり期待してはいけないなーと思う。その代わり「すぐに出てくる」という時間に関してはある程度の「待たせない」というのはありだと思うが、そもそもカウンターでのオーダー対応以外のことはお店のマニュアル的に対応していないわけなのでできないとおもう。それ以外の「特別」扱いを期待するのは、店員と仲良くなって、「個人的なお願い」を聴いてくれるような人間関係をつくってしまえばいいような気もするのですが、店員のことを「便利なロボット」と思っている客からすれば、多分、安いお店なのでイレギュラーなオーダーに対応してくれってのが無理がある気がします。
コンビニとかファーストフードにマニュアル以上のサービスを期待するのはなんか、無茶な気もします。
・・・とか下記ながらとある渋谷のスタバでとある時に「クレーム」までいかないけど、ちょっとした要望をいったら、それ以後その要望に添った接客をずっとそのお店は続けているので、若干珈琲代は高いものの(マックは100円とかは安すぎとはいえ)スタバを選びますね。近場の某ライバル店が、外装かっこよくしただけで値段が高くなったのと比べると(多分そのお店は二度と入らない、とおもいますw)とてもいい接客だと思います。スタバは、そういう遺伝子なのか、こちらの期待している接客以上のことをやってくれる可能性高いですね。
そういうふうに考えると単純に値段が安いからだめな接客ってことはないとおもうのですが、でも、まあ、そんなにお店に期待しなければ、とりあえず、不快なことされなければ、立地とか自分のニーズにあってればいい気もします。

題名のロンドンのってのは、店名は覚えてないけどロンドンの某中華屋さんは、オーダー間違いが、結構あります。(100だか200席ぐらいで、30分に2件みたことあります)それで、自分がいったときに、同席者が、オーダーを番号でいったのにもかかわらず、違う料理がでてきました。(しかも「絶対これはたのまないだろう」ってのと間違えてきたw)他の3名は正しい注文通りできてましたが、その1名分だけ、間違っていて「ちがうよ」っていっても、取り合わない。毎年このお店にはいっている先輩にきくと「あいつ(=ウェイター)はいつもあんな感じだ」とのこと。たまたま運が悪いと間違いオーダーがくる。それで文句をいってもとりあわない。そうこうしているうちに、食事中にまた遠くの方でも切れてる白人系の人がいて、多分、間違えたから謝るってことをしていないお店でした。にわか雨にあったと同じで運が悪いってことなんでしょう。そんなことをマックでお父さんが文句を言っている時に思い出しました。まあ、それにくらべてましだとかおもっちゃいけないんでしょうが、世界にはも接客とかのレベルじゃないお店もある気はします。

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