キャリア支援団体を立ち上げました。「自分軸」「対話力(関わり力)」「自己表現力」などの総合力を向上し、小中学生から、退職後の第2の人生を歩んでいる方まで「自己表現としてのキャリア」ということを探究する場をつくっていきたいと思います。
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2016-06-13 11:54:43

イベントの企画。

テーマ:ワークショップ
NPOでイベントの企画を立てている。
何をするにせよ、イベントは、いろいろ決めなければいけないことがあると面倒と思わなくもないが、しかし、
それよりも、形になっていく楽しさがある。

伝える内容について文言を考えていると、とある人の影響で、「本当に伝えたい事は何か?」ということを
考えると、なんというか、「できそうなこと」という制限はなくなってしまう。

制限を外すという気持ちよさを現場でどうやって展開できるかが自分なりのテーマになった。


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2016-06-07 11:37:46

成長が早い人とそうじゃないひとの違いについて(再考?)

テーマ:ワークショップ
先日とある飲み会でとても深い話になった。

最近飲み会は敬遠しているのであるが、なぜかというと、愚痴とか誰かの悪口とかになりがちで、
あるいは無意味な「楽しければいい」的なノリになってしまうのに辟易していたのであるが、しかしながら、
先日の飲み会は、かなり深い、その人それぞれの存在理由に触れるような、そういうただの楽しい会ではなかったのが何か意外な場になった。

本当に人が「強くなる」のは、苦しいこととかつらいことを乗り越えて、そのあとそれが普通になってくると、
単に昔見た映画を見るようにつらいことを語れるようになる。
そういう触発が生まれる場であった。(他の人はどう感じていたかはともかく。。。)

ところで、その飲み会に来ていた人も同じ話を聴いていたのであるが、自分は感動的ではあるが、
「あの話は・・・」と限定してみたり、自分の苦しみを「保持する」のに全力をつくしているように見えた。

思えば、自分が成長したとかしないという基準は人によって違うが、「当たり前になっている」とある意味
その次元をクリアしたという意味ではないのか?とも思えるのであります。

最初はがんばってある仕事をしている。しかしある時から当たり前になってむしろ飽きてくる。そのぐらいがマスターしたと言えるのではないか?と思う。

マスターしたことを成長というのならば、マスターしない人の特徴は、とりあえずまずはアドバイスに従って行動するということをしないで「自分のできそうなこと」だけをやろうとする。
できそうなことだけをやっていて、今まで出来なかったことをなぜできるのか自分にはとても疑問ではあるが、しかし、自分にとって負荷が大きいことをやれ!といわれると、そのアドバイスをしてくれた人の真意をさぐらないまでも、とりあえずは、「まずはやってみる」という姿勢はまったくなく。「だって」「でも」「めんどくさい」「できないと思う」などのネガティブなワードを連発して結局やらない。まだ、文句をいいながらでもやる人であれば、出発点はどうであれ成長する可能性がある。

しかしできない人は概して頑固であり、自分が助言をもとめておきながら、「自分の考えられる範囲内」でしか行動しない。
時期的にこう書くと不謹慎かもしれないが、舛添さんの問題で、一番の問題は「公私混同」が問題なのにもかかわらず「法的に問題ない」と議論をずらし、別荘を売却するというあんまり関係ない「おわび」をしているようなもので、本質的なことはスルーして、あんまり関係ないところで「努力」をする。
あえて簡単なことをしないで、難しいことをしている。
いいたとえが思いつかないが、たとえば、野球で「ホームランをうちたい」とおもって、ホームランが打てるように筋トレを始めたとする。それがいつの間にか、「筋肉」についての理論がくわしくなって、いつの間にか「ホームランが打てているかどうか」という当初の目標がぶれはじめてたりしたら、本末転倒である。(もちろん、その「脱線」により、野球選手という道ではなくて、プロの研究者になって大成する人もいるので、どのぐらいの視野でみていくのか?というのは常に問題になりますが)

結果ださない人は往々にして自分のつくり出した妄想というか、信念にはまっていて、その中で勝負しようとしているから、時には、むちゃくちゃなことをいう人の助言にしたがってみる、というのも、はまった状態を脱するにはいい方法論かもしれない、と思ったりしているのであります。



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2016-05-29 15:23:20

自分が人生を創造しているとはよくいったもので・・・

テーマ:ワークショップ
仕事上、「めんどくさい」案件がスムーズに進むにつれて、「人生を自分が創造している」という言葉を思い出す。

なんか、気合い入れて「やってやる」とかそういうのとはまた違う次元で、「結果」をみて「ああ、そういえば、こういうことをつくろうとおもった」ということを思い出す感じ。

なんというか、ちょっとした「おそれ」というフィルターを通して「言葉通り」に受け取ってしまっていたことを「背景」をきくようにすると楽になってくる。

そう、世界は自分にとってもっとやさしいのである。
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2016-05-22 12:02:25

邪悪な意見というか。。。

テーマ:misc.
先日、橋下さんと羽鳥さんの番組をちらっと見ていたときのこと。
とある評論家が発言をしていたがその人の発言が情けなさ過ぎて何にも批判になってないなーと思った。
ただの「意見」というか、憶測を「押しつけ」ても、全く動じない。

「権力が・・・」と判を押したようなつっこみ。つっこみすらでしかないのだが、相手を批判するのにはまずは相手の土俵というか、相手のしていることを「受け入れる」ぐらいの気持ちがないと批判ってことはできないなーと思った次第であります。

気分が悪くなってチャンネルをすぐにかえたが、勉強になったといえば、唯一、その人の表情がいつものとちがって、なんか、いかにも「悪いこというぞ」っていう表情をしていたこと。顔に出ていた。もちろん、顔にでていた時点では批判するかどうかはわからなかったが、なんか、よどんだ雰囲気だな-と思っていたらそんなくだらないことを言っていた。

ただ、橋下さんもそんなに攻撃的な発言していなかったので、軽くあしらっていたか(一般論や正論のみ言っている)、番組からの依頼で、評論家は「仕事」として、批判する振りをしていただけで、実は本意ではないのかもしれない。



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2016-05-15 12:27:45

許すこと

テーマ:ワークショップ
時々自分の「テーマ」って何だろうか?ということを考えることがある。

最近というか、ここ長い間思っているのは「許すこと」ということだなーとおもう。
個人的にというか、反射的には、「怒り」があったり、「失礼だな」っておもうこともあったりはする。
「意味がわからない」ということも結構ある。
「意味がわからない」ことをする人に限って、結構「理解出来てません」とかいうと、なんかこっちのせいになったりして、「何をしてほしいのか?」がよりわからなくなったりする。笑 そういうときにいらいらしたりすることもある。w

自分が「ひどく」扱われたこともある。でも、その相手に対して「ひどく扱うなよ」っていっても、あんまり建設的なことが起きるとは思わない。

よかれとおもってやったことで、どうも、「非礼」をしている人に、「君は無礼だよ」といったところで、その人が非礼を改めるか?というとそうでもないと思う。

以前は「あなたの態度は失礼だよ」とかいちいち言っていたのだが最近はあんまりいわなくなってきた。でも、不思議なことにそういう「失礼(非礼)」な人は自分の周りに減ってきた。突発的に、何かのイベントで、「やだなーこの人」というのはあるけれども、失礼な人はよってこなくなったのか?ビジネスパートナーやら友達が減ったからなのかはよくわからない。
まあ、でも、あれこれ考えても、別のその人はその人の理由があるので、当日「どたきゃん」されても、まあ、それはそれでいいやって思うようになって来た。その人にとってそれほど重要と見なしてないからそういう非道なことをするだけであって、重要だと思えれば、「何が何でもくる」と思えたりするわけです。
また、「重要」だと思っていても、腰が重い人もいる。なかなか初動が遅かったり、直前になってあわてて何かをしたりすることによって、「やらない」(できない)」という選択をする人もいる。

まあ、そんなわけで、大事なのは「重要だ」と思ってもらえればいいのだとは思いますが、人によってその良さを感じるかどうかはその人次第なので、こちらは、「さらに先の世界」に関してどうやってその人が変化できるか?ということに集中すればいいだけかもしれないとも思います。

まあ、そういう「約束」だけではなくて、いろいろ「許せない」と感じる事は多々ありますが、でも、まあ、裁判してどうとかそういうレベルのことなら、そうすればいいけれども、少なくとも、気持ち的には、あまりずっとひっかけられるのもどうかなーともおもうのですよね。

許せないことほど、自分の中をみてみる必要性があることが起きているのではないかと思うのです。



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2016-05-08 09:35:55

プロの見ている世界と、「結果」からみる世界

テーマ:ワークショップ
一概に「プロ」が正しいとは限らない、というふうに思うことがある。

自分自身が職人気質なのか、時々、講師業していると、「プロ」の人から注意される。

まあ、その度に落ち込んだり、発注者が「プロ」だと、しょぼーんとしたりするのだが、まあ、立場的に、
「いいからおれの歌を聴け-」(byマクロス7)とも言えずに、「はい、すいません」などと言ったりするのだが、
先日、「プロ」の人からはきつい「忠告」というなの警告を頂いて落ち込んで、次の週同じ場所で、同じ受講生に対して、講義を行ったのでありますが、うれしいことに、その「クラス」をもっている別の講師仲間から、「近藤先生わかりやすいって言ってましたよ」と言われた。これはとてもうれしい。
反応があんまりない。これでいいのか?とりあえず、質問すれば答えるしいいか?とかいろいろ試行錯誤していたのではありますが、そういうフィードバックいただいて、とてもうれしい。

自分として、「講師」っていう立場ではあるけれども、「テープレコーダー」になりたくないな、と思って以来、
「レジメ読んでれば済むだろう」っていうのはできるだけやりたくないし、その場で「自分から出てくる言葉」を大事にしたいと思っていたのですが、多くの場合、講師業は「わかりやすい話」「おもしろいジョーク」などを考えている。
単純に思うのだが「引きつけるため」には、型にはまった「安心感」っていうのも大事かもしれないが、
しかし、人の心はそれでは動かない、と思う。「わかりやすさ」はそれはそれでいいのだが、本当に大事なのは、「一歩踏み出してみよう」という何か、決意だったりコミットを呼び覚ます、何かなのだと思う。
もし「結果」が何か?と問われれば、コーチングとかでは「成果を出すこと」だという定義を出す人もいるでしょうが、しかし、自分が思うに、売り上げ二倍にしたとかってあんまりそれ自体は「つまんね」って思うのですよね。
なせかというと、いままでの非効率な所をカットして、効率を高めたり、目標に関係ある行動だけをすれば何とかなるんですよね。ただし、それ自体は「効率」の話なので、根本的な「何か」は解決はされてないので、元にもどるか、限界はすぐに出る。
本当に大事なのは、がんばって売り上げを上げること、じゃなくて、「体質改善」というか、性格とか、人間関係の作り方とか、もろもろ「自分が当たり前だとしていたこと」から、脱皮を図り、幼虫がさなぎを経て、蝶になるように、「変態」(カタカナ用語でいうと、トランスフォーム)を遂げないと多分、「いつかもどにもどる」わけです。
一部(というか、全部?)自己啓発が「効果がうすい」のは、終わったあとは、いろんな刺激でいっぱいで「すっごいがんばる」のだが、しかし、2,3週間すると「元にもどる」のは、極端なことをやらせて、それを刺激にして(大声で叫ぶ、泣く、歌うとかを「人工的に」つくりだしているので)、その自己啓発セミナーに参加している数日間(時には1週間)は一見かわっても、また元にもどる。しかし、それは「普段の自分」じゃないから、元に戻る。
じゃあ、何が「戻らない」ところかってのは実は簡単なようで、簡単じゃないのですが、ある意味、「自分がつくりあげたシステム」があると、最初は試行錯誤がいっぱいあるけれども、自分が一つの流れをつくっているので、再構成することもわりと簡単ではあります。
そういうようにして「自分の内側から」でてきた、リアルな目標が見えてはじめて、自分は、質の高い行動ができるとおもう。逆に言えば「やらされている」行動では、条件がかわれば元に戻る。よく、「お金」を理由に転職した人は、また、別の会社で、お金もしくは条件面が良かったら転職してしまうのと同じであり(お金を手段として考えられなくなっている)、条件や理由で選択したら、条件や理由でやめる事になる。

そういう内発的な動機は、実は外発的な刺激が元になっていたりするので、一概に「刺激」がいけないとはおもえないが、しかし、いつのまにか内発的な動機を引き出すための装置というかしくみが、主になってしまったりする。

上手な「演者」は、「上手だな」というのが伝わる。
しかし、うまいかどうかではないところに、ポイントがあり、たとえば「伝えたい事」に重点がある人は、「伝えたい事」が伝わる可能性がある。あくまでも、修飾は副次的であり、中身としての伝えたい事が何か?によるのだと思う。技巧に走ると、やってる時は伝え手の自己満足であるというと言い過ぎだろうか?

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2016-05-01 22:46:01

表現モデル。頭に思い浮かぶから言うのではなくて言うと思い浮かぶ。

テーマ:ワークショップ
なんかタイトルが決まらないですが。。。。言語哲学者の丸山圭三郎さんを引用するまでもなく、
人が何かを「伝える」ときに、深いモードに入るとか、「自己表現がある」状態、または、相手に届くような言葉と
いうのは「思い浮かんだ原稿」をコピーして言葉として発するというよりも、言いながらわかっていく、というのが結構あるのではないかと思うのですよね。

本を書いてるときも、多少の目次というかプランをつくってはいるものの実際に書き始めると、全く、最初のプラントは違って、バランスが全く変わってしまうことがある、ということはよくありました。

わかるから書くのではなくて、書くからわかるのですよね。

とはいえ、その「書きながらわかる」モードではじめると、冗長さとか「わかりにくさ」は残るので、その次の
引き算していく作業がとても大事で「あー、これも残したい」とか「これもまだいいたい」というように思うのですが、そこはぐっとこらえて、100つくって2,30だけ残すと、いい感じにシンプルになるのですよね。

逆に「わかりやすさ」をもとに、積み上げてつくると「つまらなく」なってしまうと自分は感じます。
その場のライブ、生の感じが出せない。力がでていかない。言葉に魂が乗らない、そんな感じがします。
つまり作り込みすぎて、「飽きてしまった」という状態になる。その「飽きた」状態で、その後に、以前つくった原稿を「その場で捨ててしまう」とかやって、全く「何もない状態」がつくれると意外に、パワフルな講座とか出来たりするんですよね。もちろん、その場で繰り出すのはジャズでいう「アドリブ」なので、もともと「できること」しか、即興で出せないのですが、しかし、ぎりぎりを攻めていると、ふっと思い浮かんだことをその場に投げ込むと、「まさに必要な事」が出現するってことはよくあるような気もします。

プロセスをつくる側としては、目的地につくまでの経路をいろいろな形でつくるし、「最善」というのを目指してつくるのですが、実際にいざ本番となると、つくりながら壊す、壊しながらつくる、というのを常にやり続けられると、言葉に力が出てくるような気もします。「わかりやすさ」でとどまっていると、言葉の力を引き出せないような気がします。



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2016-04-30 10:55:36

その人の持つ「雰囲気」

テーマ:コミュニケーション手段
最近、いろいろなことが敏感になってるからかよくわからないけども、人によって雰囲気は違うなと改めて思う。

大きくわけて、「とげがあるタイプ」と「包み込む」タイプであります。

どれだけとげとげした内容のことを言っても相手に「抵抗」を産まないという人がいます。
最初はその人の人柄かと思っていたのですが、一定数いるなーとおもうのです。

「黙っていても」なんか、ぴりぴりさせてしまう、というような人がいるというのは前々から思っていたのですが、
それは何か「仕事上忙しい」とか何かあって「ぴりぴり」していたのかと思ったら、どうも、性質なのだと最近は思います。空気感とか雰囲気といっていいと思います。

だからそれがどういう影響がどうなのか?というのはまだよくわかっていませんが、ただ、自分自身もそういう状態変化がしていると相手にいい影響だったり、悪い影響を与えたりすることがあるのだと思います。
女性はこういうの敏感だと思います。以前自分が、「意識的」に空っぽにしていたら、「いま、スイッチ変えたでしょ?」と怒りモードの彼女にばれたことがあります。w たまたま同じ場所で「修行」をしていたので、そういうのが敏感だったかもしれませんが、しかし、一般的には男性よりも女性の方が「感覚」に関しては把握する能力は高い気がします。ただし例外があってビジネス系が強すぎると♂化しているのか「言語情報」以外の感覚には開いていない、ふつうの男性よりも「感じる能力が低い」人もいます。(むしろそういう女性のほうがなんか、ぴりぴりしている気がするw)

いいたいことは、そういう「いい雰囲気」や「ぴりぴりの雰囲気」がいいとか悪いとかを言いたいのではなくて、ある程度コントロールできるんだなーと改めて思った次第です。普段からぴりぴりしていてもいざそういうモードに入ると「やさしく」なれたりするものだとおもうのです。どのぐらい持続力があるかは人次第だとは思いますが。




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2016-04-27 09:36:39

物事は一気に起きるわけでもなく。。。。

テーマ:ブログ
とある歴史系の番組を見ていたら、日本が、国際連盟を脱退したのも、なんというか、結論からして「そうなってしまった」ことであり、もともと、そんなに強気だったわけでもなく、明確さを欠いた状態でうだうだしていたら、行きがかり状・・・脱退してしまった、ということをいっていた。

よくよくおもうに、誰も、「起きる前」に、それが起きるなんておもってないんだとおもう。
3.11の前日、まさか次の日に地震が起きるなんて思っていなかっただろうし(可能性としては検討していた人はいたでしょうが)、でも、地震は起きた。そして、その地震が起きてからいろいろなことがかわった。いままで信じていたことは崩壊して、「真実」って何だろう?ということをみなが考え始めた、と私は考えている。

地震以外では、国際連盟を脱退したみたいな話も、毎日の「ちょっとずつ」の変化だとよくわからなかったりするが、数年をひjとつの単位として見ると、いろいろなことが変化していることがわかる。
9.11からの15年を長いとみるか、まだまだとみるかは人によって評価が分かれるが、しかし、15年前のことは全く想像もできないぐらい変わってしまった。

いま情報統制として、旧体制が崩壊するのを必死に維持しようとする人と、それではだめだと考える人でいろいろな立場の人がいると思う野であるが、もはや、時代の大きな流れとして捉えると今までの枠組みで安定するようには見えない。

戦争の足音というと文学的な言い方だが、何か、「こんなはずじゃなかった」という方向に向かってすすんでいるような気がする。
原発の話も、何かあったときの避難を新幹線ですればいいとか意味のわからない計画があったそうだったりするが、今回の地震でそのプランはもうすでに役に立たないことはわかっている。(というか3.11の時点で新幹線が止まることを想定できていたと思う)
原発を「完全に無力化」しない限り、ただ停止してもいいというものでははないと思うのではあるものの、少なくとも、「自分たちが危ない」というようなこの施設を止める意志をもたない限り第二の被害がでないとは誰も言えない。
チェルノブイリの頃にヨーロッパにいなかった我々でさえ「ヨーロッパはこれからは地域的にだめになる」と言われていた時代を思い出す。全ての食料品が輸入ストップにはなったものの汚染されているかどうかも判断も難しいので「パスタは食べるな」とかいろいろなことが言われていた。人の記憶は薄らぐが、まだチェルノブイリは実際の所収束していない。30年もたっているのに、だ。

一日一日の変化は微妙かもしれないが、しかしある時振り返った時に「あのときああすればよかった」と言わないでも済むような生き方をしたいものである。


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2016-04-24 11:40:14

営業が下手な人に対して思うこと(仁義なき戦いw)

テーマ:ワークショップ
最近おもうのですが、「営業」下手な人って結構いるなーとおもいます。
正確に言うと自分はその人から買いたくない、もしくは、営業として依頼したくないなーとおもえる人が一定数いるなーと思うのです。w

まあ、ざっくりいうと、約束を守らない人。
これ結構います。「当たり前だろ」って思うかもしれませんが、かなりの数がいます。
たとえば、直前になって「予定を変更して下さい」っていうのを平気で言う人。
まだ「可能なら予定を変更してほしいのですが、ご都合いかがですか?」なら、こちらも気持ちよく、「いいですよ」と言えるのだが(ほんとにびっちり入ってて忙しい時は無理かもしれないが)、「私が変えたいから変えろ」というのが背後にある「予定変更して下さい」ってのだと、まあ、メッセージとして「あなたを軽く扱ってますよ」っていう上下関係が透けて見える。
逆のケースで「○日○時に予定して下さい。場所は後から知らせます」というふうにいっておいて、こちらは「確定」だと思っていたら、いつの間にか「場所が決まってなかったから確定じゃないとおもった」ということを言う人。(をいをい)会う場所の情報が明確じゃないのはこっちが悪かったかもしれないけど、それでドタキャンはないだろう。。。と思ってしまった例。

そういう人の心理に何があるか?というと、多分「今すぐ」に「利益をもたらしてくれる」または「もっと利益をもたらしてくれる」という判断基準で、約束を反故にするのはOKという人だ。
こういう人は、約束を反故にした人が「逆営業キャンペーンをする」ことを考慮にいれてない。たとえば私が「取るに足らない人」でも、その私が「あの、○○さんはドタキャンするから、あまり仕事しないほうがいいよ」ということをことある度にいう危険性があるということを考慮していない。

ほかに、やたらと、「皮肉」を言う人。最初はまともに対処してたが(返事したりして)、こういう人って結構いつまでたっても、めんどくさいので、最近は、とりあえず遠ざけることにしました。w めんどくさい。

人に感謝がない人。たとえば誰かを「紹介」しても、「ありがとう」の一言が言えない人。
もちろん、言葉として「ありがとう」といわなくても、何らかの「態度」ででてくれば、そういうのは伝わると思うのですが、別に「ありがとう」といってほしくて紹介しているわけではないが、「当然だ」みたいな顔をされると、「何様なんだろうか・・・」と思えてしまうことがある。

まあ、その他、人間関係というか、「年賀状」程度の挨拶もないのに、突然無茶な依頼を振ってくるってのもありました。(汗)いや友達だったら「まー、しゃーないなー」と思える事であっても、「知ってる人」程度であれば、それは無理だろって思うのですよね。

しかし、ここに書いたことは、以前は注意していたけどそういうのをやらかしてしまう人は自覚がないので、めんどくさいなと思うのですよね。

逆に自分がそうしてないかという反面教師になる。

とりあえず、「相手に興味がある」とか「相手を大事な人だと扱う」っていう態度を「ふり」でもいいので、出来ない人は営業に向いていない気がする。
信頼ができない(そこまで大げさでなくても、少なくとも「嘘をつく日とじゃない」と思える)人じゃなければ、その人の持っている情報自体が「信頼できる」とはおもえない訳ですよね。(これ、ドラッカーもいってますが、私は支持します)

まあ、別に相手のことをだれかれかまわず「親友」のように扱えとはおもわないけど、少なくとも、「興味ある」とか「尊重する」とかない人は「商品力」でしか勝負できなくなるので、「安くて、いいもの」があればすぐにふられてしまう。しかし、信頼がある人なら「ちょっとぐらい高くても」その人から買おうと思えるのではないでしょうか?
逆に自分がビジネスパートナーとして「仕事」としてのつきあいがある人で長く続いている人って、そういう「尊重」できる関係があるなーと思うのですよね。

いい人である必要はないと思いますが、少なくとも自分のような「人」に関わる仕事だと、人を見る目を曇らせるといけないなーと思う次第であります。





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