キャリア支援団体を立ち上げました。「自分軸」「対話力(関わり力)」「自己表現力」などの総合力を向上し、小中学生から、退職後の第2の人生を歩んでいる方まで「自己表現としてのキャリア」ということを探究する場をつくっていきたいと思います。
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2016-08-23 13:05:06

基準を外におかないこと。

テーマ:ワークショップ
あんまりほめられたことではないとおもうのですが、先日、コーチングセッションの前にちょっと時間があったので、東京駅のとある本屋で立ち読みしていた時のこと。
その時に持つが多くて、本の上に荷物を置いていた時に、とあるおじさんが、何か雑誌を探している。
とりあえず荷物をどける。そのおじさん(年齢はわからないけど、自分よりちょっと年上ぐらい)の探している雑誌がなかったようなので、またそこに荷物を置くと、そのおじさん曰く「本の上に荷物を置くな」とのこと。
まあ、普段は自分もおかないようにしているのであるが、でも、その人にとって私は何を迷惑をかけているのか
わからないので、ずっとおいていたら、「どけろ」的なことをいう。
自分はこういう場合、こう考える。その本屋の人が「本を置くな」といったら、どけるとおもう。たとえば商品価値が下がるからやめてくれ、とかあるとおもう。そういう本屋の店員の依頼ならまだわかる。
しかし、そうではなくて、その本屋の責任者でもなくて、「本の上に荷物を置くべきではない」というその人の価値観に自分は別にあわせる必要もないなーと思う。

そういう「○○すべき」というのは、何も解決しないと思う。「おかない方がいい理由」が特になければ、あとは本の上に置こうが、自分でもっていようが、その人の自由だと思う。(個人的には、平積みにしているところにわずか数分。長くても、10分ぐらい荷物をおいても、本に悪影響があるとは思えない。誰かに迷惑をかけるとしたらその人が探している本が見つからないということだけだとおもう)
だいぶ前に、何かの時にそういう「○○べき」で怒られたことがあった。ちょっと体調が悪いときにとある電車をまって、ドアの左側と右側に立っていて、席に座ったときのこと。(申し訳ないけど、体調がほんとにわるかったので、優先席に座った)その時に、とある人から「横は入りするな」と言われた。ほんとに横は入りしたらなんかその人の言うことはわかるが「横は入りなんかしてない」と反論しました。ドアの反対側に立っていて素早く椅子に座っただけです、などと反論したのだが、「いや、横は入りした」と譲らない。その時の動画をとっていたわけではないので証明しようもないが、なぜ、その人が横は入りだといい、さらに私に責めているのかよくわからないが、とにかくそういうやりとりが続いて「いや私は見ていた」などとかたくなに話をする彼。(多分当時50才代の方だったと思うがよくおぼえてない)
一番皮肉なのは、そこで、口論をしていると、私の横の席に座る勇気がある人はいなくて(汗)、仮の彼の言うとおり私が横は入りしたとしても、その彼と私が話をすることで、「椅子に座れる」人が一人減ったという事実である。
自分の家が近づいて来たのでもう降りなくてはとおもい、それだけいうのなら今度お話しましょう、と名刺を出そうとすると、「いや、そういうのは」ということで、名刺を受け取りもしなかった。

責任というか、「誰のための正しいことか?」がないのに、安易に正義を語るというのは私はどうかなーと思うことがある。一般的に「本の上に荷物を置くべきではない」というのはあるかもしれないが、少なくともそれを他人に押しつけるのはどうだとおもう。横はいりも、ほんとにしたのならともかく(さらに別必要な人が座れていないとか)しているかどうかもあいまいで(はっきりと私は彼の勘違いだと断言できます:なぜなら、私の前には人がいない入り口から私は入っただけですから)、しかも、別の座りたい人に迷惑をかけている状態になっているのが「正しいこと」かどうかを検討するべきだと思うのだが、自分の意見に固執してしまう。

このような「○○が正しい」という考え方をする時は人は、基準を外部にもっていて「自分にとってどうか」がなくなってしまうときに、このての「べき論」になるのだと思う。自分が何をしたいとかがないから、自分と違う意見の人と対話もできなくなってしまう。そしてその基準も自分がそうだと思ったというよりも誰かからか教えられてそうだ、と信じただけだったりする。それはそれで消耗する思考パターンだなと思うのであります。

もちろん、「社会」とか「世間」というものを無視しない方がいいとおもうが、まずは「自分なりにどう想い、どう感じるか」があって、それをもとにして、世間としてはこう言われている、からあわせるとか反発するとか決めればいいと思うのだが、いつのまにか「自分」の意見がなくなると、無効なおせっかいおじさんになってしまうのではないか、と思うのです。

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2016-08-20 17:25:56

ロンドンの某中華店の店員は、注文違いに全く対応しない。。。という店がある

テーマ:ワークショップ
先日、仕事の合間に時間つぶしというか、作業というかマックで珈琲を飲みながらだらだらしていたときのこと。(どうでもいいけど、f/bとかで、なんで、「いま仕事中です」っていう写真をアップするのかは個人的には理解できない。。。なんでそんなことアピールしなくちゃいけないのかって思ってしまうw)

それで、音楽を聴きながら周りの音を遮断していたのだが、2つ隣の家族連れのお父さんらしき人が店員に怒っているのが目に入った。どうも、なんらかの注文だかの追加オーダーをしたらしいのですがそれがなかなか履行されないとかそういうことで怒っているらしい。

個人的には自分も同じような目にあったら怒るのかな・・・とかおもいながら、でも、とはいえ多分、こういう手軽にカロリーを満たすとか時間をつぶすというのにふさわしいお店では、お客さん本意のオーダーってのは期待しない方がいいなーって思ったりもします。
接客というか質の高いサービスをファーストフード店ではあまり期待してはいけないなーと思う。その代わり「すぐに出てくる」という時間に関してはある程度の「待たせない」というのはありだと思うが、そもそもカウンターでのオーダー対応以外のことはお店のマニュアル的に対応していないわけなのでできないとおもう。それ以外の「特別」扱いを期待するのは、店員と仲良くなって、「個人的なお願い」を聴いてくれるような人間関係をつくってしまえばいいような気もするのですが、店員のことを「便利なロボット」と思っている客からすれば、多分、安いお店なのでイレギュラーなオーダーに対応してくれってのが無理がある気がします。
コンビニとかファーストフードにマニュアル以上のサービスを期待するのはなんか、無茶な気もします。
・・・とか下記ながらとある渋谷のスタバでとある時に「クレーム」までいかないけど、ちょっとした要望をいったら、それ以後その要望に添った接客をずっとそのお店は続けているので、若干珈琲代は高いものの(マックは100円とかは安すぎとはいえ)スタバを選びますね。近場の某ライバル店が、外装かっこよくしただけで値段が高くなったのと比べると(多分そのお店は二度と入らない、とおもいますw)とてもいい接客だと思います。スタバは、そういう遺伝子なのか、こちらの期待している接客以上のことをやってくれる可能性高いですね。
そういうふうに考えると単純に値段が安いからだめな接客ってことはないとおもうのですが、でも、まあ、そんなにお店に期待しなければ、とりあえず、不快なことされなければ、立地とか自分のニーズにあってればいい気もします。

題名のロンドンのってのは、店名は覚えてないけどロンドンの某中華屋さんは、オーダー間違いが、結構あります。(100だか200席ぐらいで、30分に2件みたことあります)それで、自分がいったときに、同席者が、オーダーを番号でいったのにもかかわらず、違う料理がでてきました。(しかも「絶対これはたのまないだろう」ってのと間違えてきたw)他の3名は正しい注文通りできてましたが、その1名分だけ、間違っていて「ちがうよ」っていっても、取り合わない。毎年このお店にはいっている先輩にきくと「あいつ(=ウェイター)はいつもあんな感じだ」とのこと。たまたま運が悪いと間違いオーダーがくる。それで文句をいってもとりあわない。そうこうしているうちに、食事中にまた遠くの方でも切れてる白人系の人がいて、多分、間違えたから謝るってことをしていないお店でした。にわか雨にあったと同じで運が悪いってことなんでしょう。そんなことをマックでお父さんが文句を言っている時に思い出しました。まあ、それにくらべてましだとかおもっちゃいけないんでしょうが、世界にはも接客とかのレベルじゃないお店もある気はします。

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2016-08-18 23:02:10

成長エンジンがある人、ない人のちがい

テーマ:ワークショップ
最近よくおもうのですが、成長の速度が速い人(これを「成長エンジン」を積んでいる、と考える)と層ではない人の違いには特徴がある、と思う。

まず、成長エンジン積んでる人の絶対条件は、

1.まずやってみる

というのが特徴な気がする。
自分にとって必要かどうかという判断も必要だとはおもいますが、しかし、自分が「成長」するには、
自分が意識しないところをみる必要がある、のだとおもうのですが、しかし、時にはしのごのいわないで
やってみる、という姿勢が必要です。しかし、闇雲にやってみればいいというものではありません。

2.ある程度の勘が働く

これは未来がみえないのに「これはいけそう」という勘が働くかどうかってことです。これが働かないってことは、「過去の情報」以上のことはできないので成長速度は遅くなります。

次に

3.やるってきめたら一定量やる&言い訳はしない

これは「決め」たら、やってみるってことです。やる前に、あるいはできなかった時に、言い訳をしない、ってことです。「できるにはどうしたらいいか」を考えるのが大事です。時には計画が自分の能力を超えている時もまずはその計画に合わせて行動してみると自分のキャパが大きくなります。それをやる前に「無理」って決めつけたり、やってみないうちに「やっても意味がない」などという場合は成長しません。
これはシンプルにいうと「自分がやる」といった言葉をとても大事にするって意味でもあります。

ほとんどの人は「自分にとって何の意味があるんだろう?」とか「できそうだからやる」とか、「過去の自分が見聞きした情報」を参考にしています。

そこまでみえてきたら、

4いいことも悪いことも「自分のこと」だとして引き受ける

ことができているかどうかが大事になると思います。これはちょっと難しいのですが、なんでもかんでも自分のせいにしろって意味ではないのですが、いいことがあったらうれしいってのはだれでもあるとおもうのですが、失敗しても「自分が失敗した」あるいは「できなかった」と、認めて(その瞬間ブルーになったり落ち込んだりしても)、とにかく、自分以外の要因で失敗したとしても「自分がその要因の原因だ」ぐらいにおもってみあます。これは「自分のせい」っていうよりも、なんというか、体調が悪くてもまければ「自分が負けた原因だ」って思えば、体調が悪くならないようにどうするか?という発想になれます。ただ、これもバランスが大事で、「自分のことだ」と考えるのと、「大きな流れに身を任せる」というのは、矛盾しているようですが同時にやらないと意味がない、とおもいます。

以上1-4のうち4はちょっと特殊かもしれませんが、1-3が満たせない人はだいたい「ずるずる」やっています。
単純にいけてない人は他人の悪口をいったり自分がやりたいことだけやったりとかいろいろあると思うのですが、先生から「これ宿題」といわれて、その宿題が「自分の力になる」と自分で信じられない人はだめだ、ということでもあります。やらなくてもいいやっていう判断をするのは生徒の自由ですがその「やらない」ことによってその能力が鍛えられないっていうリスクを負うわけです。誰でも「九九」でそういうおかしなことをする人は稀ですが、中学生とか高校生になるとだんだん「これやらなくていいじゃね?」とか、「これ別にやらなくても成績に影響ないからいいんじゃね?」などと判断している人はだいたい他の科目に時間をかけるとかないで単にさぼっているだけです。これが「学校」の話だとわかりやすいのですが、年齢を重ねるほど「ずるく」なる気がします。w 判断が速くなるのです。時間を無駄に使いたくないと思っているからか、「意味がわからないとやらない」という傾向がつよくなると思います。

いつも、直感に従って動くってのはリスクが高くなるかもしれませんが、成長が早い人は「合理的」に判断する前にまず動いて、やってみて「違う」とおもえばやめる、ぐらいの軽やかさをもっている気がします。
ほんとに成長しない人は10年ぐらいたっても同じ事言ってます。(個人的には「呪われている」と思っています。ほんとに呪われている人って思考が変わりません汗)自分がゆらがないのか、それとも今が幸せなのかわかりませんが、成長という観点から見るともったいないとおもいます。
しかし、それを指摘してくれる人も大学を卒業するとなかなかいなくなります。30をすぎるとほぼ皆無です。

いい人であることをやめて、自分の心の声に傾けようとしていない人は私は端から見ていると生き生きしていないし不幸だと思います。もちろん本人がそれを楽しんでいるのであれば他人の私がとやかくいうべき問題ではないと思うのですが、そういう「自分を揺るがす情報を拒否」するのは若くても、年をとっていても一定量いると思います。(成長、変化というのは怖いと感じるのはわかる)

まあ、今のままそのまま続くって信じたいのは人の性ともいえなくもないですが、何が自分にとって心地よいかということをよく感じてみるようにしてみたいとは思います。


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2016-08-15 11:18:34

課題とかテーマとか

テーマ:ワークショップ
自分にとって学ぶ必要性があったり、あるいは、成長の時期に、はじめて課題として見えてくる。
でも、そういう課題として現れてきているときはすでに解決のプロセスに向かっていると考えた方が
いいのかもと思い始めている。
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2016-08-11 09:08:15

上達するのが早い人そうでない人。

テーマ:ワークショップ
最近おもうことがある。
「教えられたこと」では人は成長しない。
自分は基本的に好奇心とか興味とかある方だとおもうのだが、とはいえ、「興味がない」ことに関して、
「教えられて」も、「おぼえたい」とか「できるようになりたい」と思わない。
少なくともそれを覚えないと会社をクビになるとか追い込まれれば別かもしれないが「おぼえ」ないというのはある。

で、おもうのは「できるようになる」には、「自分事にになる」ということが必要ではないかとおもう。
自分事だから、興味をもつ。もっと知りたくなる。なぜそうなんだろう?とおもう。教えられたというよりも、
師がいった「ひとこと」がそれはなんだろう?と思う。

私たちが習うのは情報でもデータでも知識でもなくて、「学ぼうとする姿勢」ではないかとおもう。

いろいろな「お勉強」に関して、子供の頃あまり「できなかった」のは、そういう学ぶことに関して手本となる師という人が少ないからではないかと思う。

自分は子供の頃(といっても中学生だったかな)「速読したい」といったら、友達の父親に(言論で)コテンパンにされたことがある。今思うとその父親の「意見」は、本当に正しいかどうかは別にしても一つの衝撃が自分にあって、「創作する」ということの大事さを学んだという体験でありました。

子供の頃できなくても、社会人になればできる。英語なんか、子供の頃なんかほんとにこてんぱんな人でも、自分でお金を出して(学校の時は「無料だった」がw)でも学ぶ。できるようにする。

頭のいいとか悪いとかもあるけど、本当のところ「自分に関係がある」とか「好奇心をもつ」ことの方がなんにせよ上達には大事な気がします。
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2016-08-08 11:03:03

寝苦しい夜が続くものの。。。。

テーマ:misc.
 ここ最近暑い夏をどう乗り越えるかがポイントになっている。
「夏」といっても、昼はなんだかんだいって、冷房のある場所にいるので、移動しているとき以外はあまり
「暑さ」は感じないのでどちらかというと、熱帯夜をどう寝不足にならずに済ませるか?ということが課題になってきている。

うちは冷房がとある部屋にしかないので、実質寝室では冷房は効かない(がんがんに利かせればなんとかなるかもしれませんが試したことないです汗)、去年は、毎日のように、扇風機をかけて寝ていた。

しかし、それも問題があって、結構扇風機って音がうるさかったり、だるくなったりするという問題点がある。
また、風のあてる場所が悪いと、下痢になったりする。汗

そこで今年は7月の一部を除いてあまり使わないようにしていた。最近8月にはいって時々使ってはいるもののなんとかなっている。
何とかなっている原因は、「睡眠」状態になるCDを聴いているというのが一番大きい。
正確には、デルタ波だか、シータ波だたかわからないけど、睡眠の時の脳波を模したCDがあり、
これは、かなりの「長い時間」、起きずに済む。
扇風機だと比較的涼しさは味わえるものの、しかし、睡眠時間が短くなったりする。
しかし、睡眠CDだと、そもそも脳波をリラックスして寝ている状態にしているので、意識があろうがなかろうが
半分強制的に寝ている状態にする。これは便利であります。
扇風機を使っているのに寝不足になるとかもあんまりない。汗のかく量は半端ないので、多少のつかれは
なくはないが、しかし、だいたいの朝は、疲れが取れている。

そもそも、集中するとか、リラックスするとか、脳波の調整が自動的にできればいいのだが、普通はそういうことは人の意志でどうこうなるものでもない気もするが、気功やってて呼吸法をやるとある程度意志でどうにかなるものだということは実感できるが、さらに、CDきいてるともっとリラックスできて、汗をかく以外は快適な夜を過ごせている。
ベッドかえたり、枕変えたりといったいろいろな方法論はあると思うので、どれもいいとは思うので1500円だったか2000円ぐらいで、熟睡できるというCDを見つけたのはお得だったと思う今日この頃であります。(ちなみに、昼休みにちょっとだけ寝るという芸当も可能である)




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2016-08-05 10:36:07

創作してみてはじめてわかることもある。

テーマ:ワークショップ
正解がわかったことのすごさよりも、正解に至る道筋の一つの「方法論」を創作することの方が
楽しいことがある。本当に楽しむと一つの体系(システム)そのものを創作することができる。
できるというかそうせざるをえないことがおおい気がする、というなんかそういう感じである。

誰かがいった「知識」は大事だけど、自分の中で何らかの「血となり肉となる」ことができないと
ただの評論の一部でしかない。それを自分が生きてみてはじめて価値がわかる。
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2016-08-01 10:24:50

権利とかいろいろあるでしょうが・・・・

テーマ:ワークショップ
個人的には「全部オープン」にすることは大事だと思う。
もちろん、伝えたからといって相手に伝わるとは限らない。
こちらがよかれとおもって伝えたからと言って相手の受信能力の限界を超えたら意味がわからないと思う。
ただ、それは9x9がわからない人に15x25を教えるとかそういう「技術的な限度」の話であって、原理的には
「隠すこと」は必要ないと思う。伝える順番とか理解の段階ということはあるもののどこか「そういう世界はあるんだろうな」というのも大事だとおもう。

とくに気功やってると、事例的にいろいろな事象が発生して、自分には「想像」すら出来なかったことが発見できる。「なぜできるのだろう」「なぜできないのだろう」ってのはわかりやすいけど、その人の身体のバランスによって、それはしない方がいいこともある。師匠たちに質問してみる。それなりに答えはでるけど、それを踏まえて修正かけても「違う」ことはたくさんある。(自分の技術的な限界もある)でも、そういうのを全て試行錯誤はとても大事だと感じる。できないからやらない、じゃなくて、いつかできるようにするためにはどうしたらいいか?という姿勢は大事である。そうこう悩んでいるうちに、いつの間にか出来るようになっている人もいる。
持論として思うのは「やり続ければ(ある程度なら)できるようになる」とほんとうにおもう。大事なのは、やめてしまったりやり続けられなくなるようなメンタリティーなんだと思います。やり続ければ結果はでる。頻度と期限はあるもののある程度の頻度と量、期限をやっていればできるようになると思います。
これは勉強でもそうであり、たとえば1日に英単語100個覚える、というのはだいたいの人はできないと思うけど、でも、10個なら可能。大事なのは時々100個覚えるのではなくて、毎日または2日に1回は10個覚えるというようなスケジューリングの問題である。(スケジュールを決めない方がいい人もいるのでこれも一般論ではいえない、とおもう。体質というか癖もあるとおもう)希望というか「達成」に向かって前進しているという実感がある場合もない場合も何にせよ、やり続けていればできるのです。
いろいろな理想としてゴールを思い描くことがいいというが自分の場合はそんなことないとも思う。ただ、言えることは「誰でも出来る」という分野はあるということだ、といことを「やった人」「結果出した人」は伝えるほうがいいとおもう。

そういう意味でオープンさというのは、必ずしも理解出来ない人に全部言う必要もないが、でも、「隠さない」というのは大事だと思うのです。何が相手にひっかかるか(刺さるか)わからないからである。
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2016-07-27 10:20:03

ほめるというか、良さを見つけてあげること

テーマ:ワークショップ
最近ちょっと凹むことがあってその時に、「あのときのあれはよかった」と具体的にほめられたときにちょっと持ち直したりした。その時、別の時に「師匠」に自分のあまり見ていない「良さ」を見つけてもらったことを思い出したりした。

自分も弟子であり、師でもあるが、別に、ひとより人格的に優れているとかそういうのとは関係なくて、
自分が一番楽しんでいるとか、その人のためを思って行動しているとかが、徐々に影響としてあるな-と思う。

かつて「師」と仰いだ人でも、ある時から他人のマイナスのことしかいわなくなった人がいた。それはなぜかはわからないけど、「完璧主義」というのは一つの窮屈さでしかない。理想は大事だけど「今」を見失うとおかしな事になる、ともおもえる。それはそれで自分も20代だったりすると「若さ」ゆえの「原理主義」だったのかもしれないと反省したりする。

厳しくするのも大事だけど、本質的には、贈り物のように言葉をかけてあげられるかどうかは「師」としての仕事なんだろうなーと時々思う。
 
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2016-07-20 15:01:26

「考えること」と「創り出すこと」の違い

テーマ:ワークショップ
最近、いろいろな出来事を考えてみるにつれて、思うことがある。

たとえば、「説明」がしっかりしている、わかりやすい、理解しやすい、ことと
「できること」の違いです。

たとえば、「説明がわかりやすい」ことは「すっきりする」ということにつながる。

しかし、教えていて思うのは「わかる」ということは、必ずしも「会得した」とは
ならないということはあるなーとほんとに思う。

わかりやすさというのは納得感やすっきり感にはいいが、しかし、「わからなさ」
つまりもやもや感を保持しようという気にはならない。

また、すごくがんばっていろいろお膳立てをして、行動計画からチェックから
あれこれをしても、結果的に「うまくいく」時はその自分の準備とは関係ない
引きよせ的なことで起きることはある。

努力を怠っていいとは思わないがしかし、最終的には何かをやろうという意図を
超えた「何か」に触れない限り、本質には近づけない、と思う。

自分が「コーチング」という時には、ほとんど「人知を越えた」というところが
発動しないと本来的には違うなとおもうことがある。
たとえば、目標設定をする、行動計画を明確にする、あれこれの思考の
ごちゃごちゃを横に置いておいてとにかく行動する、というような「目に見える事」を
まずは最初に設定する。しかし、実はここはそんなに問題ではなくて、ある種、
自分(の行動と思考)をコントロールしていると、その先に、「自分の限界」を超える
ポイントがある。
その限界を超えるときは「超えよう」として超える場合と、とにかくがむしゃらに
やっていたら超えた場合といろいろある。しかし、100の無駄な作業をいとわない
という姿勢がいいらしく、失敗しないとその先に本質は見えない、気はします。

何かを超える、ということをするには経験的なことだけではだめで、何かのとらわれ
の中にずっと居続けることも時には必要である。マニュアルは最終的には捨てないと
だめな気がする。しかし、捨てるには、マニュアルを徹底的に模倣するのも効果的
な事も多く、マニュアル自体が全く「だめ」ってわけでもないとは思います。
(ただ確率的に失敗しにくい、という以上の物ではないというだけ)

そんなことを思うと「試すこと」はとても大事だと思う。経験が先か思考が先か?
という問いには簡単には答えられないがどちらかだけではバランスが悪くなると思う。

わかりやすさを超えた先の何かに到達しない限り「自分のモノ」にはなっていないのだと本当に思う。

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