キャリア支援団体を立ち上げました。「自分軸」「対話力(関わり力)」「自己表現力」などの総合力を向上し、小中学生から、退職後の第2の人生を歩んでいる方まで「自己表現としてのキャリア」ということを探究する場をつくっていきたいと思います。
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2017-01-15 10:00:00

成長する人、成績の良い人。

テーマ:ワークショップ

コーチングをしていておもうことがある。

技術的なことや特性はあるものの成長するのに短期間でできる人、

平たくいうと時間がかからない人とそうでない特徴は

シンプルにいうと、「自己認識」と「聴く(聞く)力」の差ではある。

「聴く(聞く)」ことはコーチングのトレーニングでよくやったりしているが、実は結構
難しい。だいたい「自分の聞きたい」ように聴いている。
これだと自分の既存の知識に照らし合わせて聴くことしかできない。
そういうモードで聴いている時には「成長」はない。

自己認識は「自分が出来ている」ことと、「出来ていない事」の違いわかっていないという
ことですが、出来ていない人ほど「まあまあいけてる」などとおもっている。
よくよく考えると出来ていないのに出来ていると思う人は自分よりも「上」がどのぐらい
あるかがわからないから「まあまあ」とか「ちょっと努力すればできる」と思い込んでいる
のではないかと思う。
 しかし、出来ている人ほど「何がどのぐらい難しくて、何が簡単か」というのが
ある程度経験上わかっているので、自分の位置を把握するすることが可能になる。

以前とある経営者と話をしていて、何が一番難しいか大変かということを質問したら
「自己認識すること」というようなことを言われた。ある程度成功している人はそういう認識が
あるのだが、できていない人ほど自己認識能力が低いのである。そして、自分の物差しで
物事を測るからますます成長するための道筋が甘くなる。

これをどうしたらうまくいくか、ということは一概に言えないが、一つには、いい失敗を
出来るかが大事だと思う。失敗も「出来事」としての失敗よりも、「失敗した」と素直に
認められる人だけが成長できるのだと思うのです。失敗から目を背けて「努力していない
わりにはよくできた」(ノーベンでもこれぐらいだからまあまあ、も同じ)とかいう人は
そもそも、努力しないことが一番だめだめだということに気づけていないのが問題であります。
やってないからまあまあできた、ではなくて、才能+努力(努力という言い方が嫌いな人には
「行動」でもOK)によって結果が生まれるということを再認識したい。

・・・・まあ、そもそも、「できない」人ほど「これがどういう意味を持っているのか?」という
ことを考える力が他人より少ないというのも問題だとは思うのだが、多分それは好奇心とか
興味の範囲の広さにも関係してくるのだと思う。未知のものに出会ったときに、「これって
なんだろう?」って好奇心が働かないということは、成長しにくい体質を持っている、とも
言えるのかもしれない。
某有名作家を以前店頭で見たことがあるが、好奇心の塊みたいな人だった。(ある意味、
多動症っていうべき人かもしれませんが)だいたい作家とか大学教授は、とんでもない常識が
欠落している人も多いが、どちらかというと、好奇心旺盛のいい意味での「子供」のような人が
多い気がする。だからこそ他人が興味をもてないことにでも、興味を持つのではないかと思う。

正確に「聴く」ことや、自己認識能力の土台となっているのは、究極的には、
外界(もしくは内面)への好奇心なのではないかとも思う。それがないことの方が、
「この程度でいいや」という変にできあがった(でも洞察力とか探究心がない)小さくまとまった
つまらない人になるのではないか、とも思うのです。

 

 

 

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2017-01-08 18:12:12

質問力。

テーマ:成功力向上

先日、新年明けましておめでとうございます、というメールをやりとりしていたら、とある人から

相談を受けた。

相談を受けるとちょっと困るのは、結構質問の内容的に「コーチング」が入ってくるので

どこまでつきあった方がいいのか?と思える事ではある。

 個人的にとても親しい人なら、別に相談するのはかまわないのだが、微妙な人間関係で

全部請け負っていたら、お金を頂いてコーチングしている人に悪いな-と思う。

また、個人的には相談してくる人。。かつ、質問内容が曖昧な人って、こちらがかなり真摯に

相談にのっても(時にはわざわざ時間をとって、忙しい中、仕事を途中で切り上げて優先的に

話をしに出向くこともある)、そういう人に限って、あまりありがとうとって言わないなーという

気がします。こういうのも難しくて、「いやーわからないっすね」とか、てきとーなことを言ってれば

まあいいんだろうけど、時には調べたりふつうにコーチングするぐらい準備して相談しても、

あんまり感謝しない人が多いと感じる事もあるのです。

まあ、失礼な言い方をすれば「うまくいっていない」人のメンタリティーとして他人に感謝しないとかありそうな気はします。やってもらって当然。。。みたいな感じあるかも。

 

「うまくいっていない」人の質問の場合めんどくさいのは、「何を相談しているか」が不明確

だということである。たとえば「転職したいんだけどどうすればいいんですか?」的なごく

おおざっぱな質問であります。まだ「今している○○という職種が自分の能力的にあって

ない気がしますが、全く異業種には転職したくないので、○○というスキルを活かせる仕事ってどういう仕事があるかご存じですか?」ぐらいならまだ、「こういうところはどうでですか?」

などと言えたりしなくもないのですが、「転職したい」と一言にいっても、今いる会社がつぶれ

そうで、早く別の会社を見つけたい、のか、単に仕事がつまんないから、もしあればよりいい

会社に移りたい、なのか(長期的に考えることが可能)とかでも助言する内容は変わるし、

「どうしたい」と「どういう状況」かをいわないで、おおざっぱな質問をしてくる人が結構多くて、

それが「コーチング」としてお受けしているのならあれこれきいて明確にしつつ、さらに、

もう一段階深いことを探ることは可能ですが、軽い相談の場合どこまでこちらも関わって

いいかとかはおもうのですが、おおざっぱにいえば、「質問力」というか、問いを立てる能力が

低いという人が多いです。ついでにいうと、コーチングとか○○○を活かして仕事をしたいとかの「願望」はある人は多いのですが、「じゃあ、やったことありますか?」ときくと、スクールで

習ってちょこちょこ身内にコーチングもどきをやったことがあるとかそういうレベルで「やりたい」と思ってしまうのがなんか、あまりにも、無謀やろって思うのです。意志は大事ですが、少なくとも「お試し」でやってみて、どれだけのものかを自分なりに感触を得ればいいと思うのですが、全くやったことのない人ほど、何もしない、考えない、「あわよくば」という人が多い気もします。(コーチングならまだよい方で、サラリーマンが「漫画を出版したい」とかの無謀なことを言っている人がいました。。。しかも、絵を誰かに頼むという・・・ある意味なんで漫画家かよくわからないといいますか。。。とりあえず自分なりに作品をつくってみて他の人が読んで「これはおもしろい」とかいう人が多くて、プロとして漫画家を志すのならともかく・・・でも、そういう現象もコーチングとか自己啓発で「気が大きくなって」何でもできるという思い込み--それ自体は別に悪いことじゃないけど、「現実」を感じるというプロセスをあまりにも無視しすぎている--まあ、そういう妄想レベルで「現実にする」というプロセスを無視している人が多いようなきもします)

論理思考とかロジカルシンキングとか計画の立て方とか、コーチングに限らずビジネススキルについて書かれた本は良く目にしますが、実際にそれを試してみてもがいた人しか「現実化」というプロセスはよくわからないと思うのです。やりながら変化していくことを自分の世界に起きていることだと認識しつつ、「現実」と「目標」の行き来をする中で自分なりに想いが形になったり、目標がより明確になったり、また、周りから援助が得られたり、運が良くなったりということがあると思うのですが、とりあえず「こういうことを質問したらどういう答えが来るだろう?」などと想像してみたらいいのかなーなどと思ったりする新年なのであります。

未知の世界に一歩踏み出すにはわからないながらも進む勇気が大事だと思うのですが、ただ、それは「こうしたい」というのが明確になる前はある程度試行錯誤は大事ですが、全く何も考えないのはどうかなーとちょっと思ったりします。

やりながら壁にぶつかってみて、それで考える、そして、自分は「誰か」ということを問うそういうプロセスの中に、自分にとって大切な質問が出てくると思うのです。やる前から考えすぎても、あまり意味があるとは思えないような段階もあるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

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2017-01-02 23:36:46

新年あけましておめでとうございます

テーマ:misc.

なんか年末感もなく、年明け感も少ないのですが、年始の恒例となった行事もおわり、新年があけたという感じがします。

 

ずっと思っていることがあります。別に正月が特別な日でもないのに、儀式のように、

年が明けることに特別な行事をしたり、正月だから・・・といってどこかにいったり、とそういう

特別感があんまりすきじゃなかったのですが、でも、今年に関していえば、そういう「特別感」が

かえってないが故に、その特別感もいいかなーとか思ったりします。

 

また、年々、いろいろなことが「軽く」なって来ているような気もしますが、それは、

自分の本質に根ざしたことを主にやっているからかもしれません。忙しさは多分ある時期と

比べると増していたりするのですが、忙しいことでパニックしたりすることもありますが、でも、

そういうのもかえって愛しくなったりします。

 

いつも心がけていることではありますが、今年は特に、

本当に大切な人に、本当に大切なことを伝えていこうと思います。

 

 

 

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2016-12-23 10:00:00

Planned happen stance

テーマ:ワークショップ

Planned happen stanceという言葉をきいたのは、正確にはおぼえてないが、

10年、いや、15年以上も前のことだと思う。。。

計画された偶然性とか、行き当たりばっちりとかいろんな言われ方をされて、

結構自分の中では「当たり前」になっていた「用語」も、数年前とか、今年とかにも、

「実は新しい考え方がありまして・・・」的に誰かの口からきくと「え?別に目新しいものでは

ないじゃん」と思うとともに、しかし、改めて、日常的な「スケジューリング」的なことであっても、

「計画された偶然性」的なことはよくおきるものだなーと思うものであります。

 

予定として、今日は○○と▲▲と会って、次に□□をして、というように決めていていても、

予定よりも○○が早くおわって、□□を先にまわして、人の予定は思いつきだけでは

変えられないので、後回しにして、というようにスケジュールの組み替えをすると、

実際には当初の予定よりも2時間も3時間も早く終わることがある。

そうこう思っていたら、仕事の依頼が入る(これは計画していないこと)みたいな

ことが起きることがある。

 

哲学者の.カントではないが(フランス革命の時に散歩の通常のルートを変更して遠回り

した以外はずっと同じ道を同じ時間散歩していて、カントを見て、人々は時計の時間を

合わせたと言われている)、決まった時間に決まったことをやる人はタイプ的にもいると

思うのですが、そして、普段のルーチンワークはその方がリズムがでていいとは

思うのですが、しかし、それだけだと、「創発」が起きにくい。

 

何かに感覚を研ぎ澄ませるときとか、新しいアイデアを生み出したい時は、

そういったいつもの決められたことを時には組み替えたり前倒ししたり先延ばししたり

するといま必要なことが起きてくる気がする。

シンクロとか引きよせとか、何か本で言われているような「特別なこと」ではなくて、

ある種のスイッチがはいるようなモードはあると思うのです。大事なことは誰かの説を

鵜呑みにしていくのではなくて、自分なりの出現パターンを見直すことだと思います。

 

不思議と自分が楽しんでいると、いろいろなことが「happen」つまり起きてくるのだと

思います。

 

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2016-12-14 11:17:49

練習する人、練習しない人。

テーマ:ワークショップ

最近思うのは、簡単なことであっても練習することしないで、

結果を出そうとしている人がいるなーと思うのですよね。

 

勉強でいえば、ちょっとした予習と、ちょっとした復習をすれば、飛躍的に

その単元が「理解」できるようになり、そしてテストで結果を残せるのは明白なのですが、

「できない」人に限って、やらない、という、現象が起きている。そういう人は大抵、

自分を慰めるために「ノーベンでここまで結果出したからすごいじゃん」とかいう(笑)

なぜか人が変わっても同じ事を言うのが不思議な感じである。

 

ところで、小学生時代にすごい練習をしていたイチロー選手についておもしろい発見を

した。小学校の時の作文で一日何時間練習したとかそういうのが公開されているので、

一度は読んだ人は多いと思うのだが、よくよく考えてみれば、甲子園を目指すような

高校にいる高校生は、小学校時代に、イチローと同じぐらい練習していた人は結構いる。

(少なくとも「なんだおれもそのぐらいしていた」と主張するのを複数人から聴いたことはある)

うまれつきの恵まれた身体能力とか、動体視力がいいとかの才能とかもあるのだとは思うのではあるが、練習に対する「取り組み」姿勢もあるのだと思うのですよね。

平たくいえば、効率を高めるとか、「工夫する」とか、目標(目的)を持つ、ということもあると

思うのですよね。

もともと才能があるとかセンスがあるとかも大事だけど、やっているうちに身について、自分自身「できるようになった」というほうが自身がつくし、さらに、それから、「何をやるべきで、何をやらなくてもいいか」というようなこともわかってくると思う。

野球はよくわからないけど、勉強でいえば自分自身は、高校2年の時に、確か積分を数学でやっていた時に、普段使っている教科書の一段階難しい教科書を独自に教科書会社から購入して(わざわざ出版社まで出向いて)、それで、その教科書が詳しくてあまりにもおもしろくて、通学途中に説明をむさぼり読むように読んでたら、それが10分ー15分の「予習」になって、授業内容がすごく入ってきて、復習がいらないぐらい積分が出来るようになっていた。「勉強」というとなんか苦しい気がする。しかし、数学なんてある種のルールがあるパズルみたいなものだと思えば、「わからない」のは、そのルールの使い方がよくわかってないからであって、よく「点数取れない」という人を見ると、頭が悪いとかもあるかもしれないけど、なんか「しんどい思い」をして勉強している人が多い気がする。もう少し楽しめればいいのにって思うことがある。

 

出発点はともかく、いろいろな意見はあるでしょうが、イチローも、本当になりたくて、なるためには、何をしたらいいかってことをしょっちゅう考えていて、その結果、さらにもっとできるようになりたいって思っているから、40才を過ぎても、現役外野手としていまだにレーザービームのような送球(しかも、ただ単に球が速いだけではないというのはなんか意外)を放ったり、若手と同じぐらいな感じで盗塁を決められるのは、好きじゃなければ続けられないと思うのですよね。

 好きだからもっと練習するし、工夫するし、もっといいプレーができるようになりたいと思うのはある意味当然だと思うのですよね。

 

自分の中にでてくる「めんどくさい」とか「自分には無理」という自分を止める内的会話を止められない限り素直に「好き」を体現できないのだとは思います。

 

 

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2016-12-13 14:55:55

人を大切にしない会社

テーマ:misc.

多くの人が言っているものの、実感として自分の数少ない経験で言わせてもらうと、

人を「使い捨て」と見る会社は長続きしないか、苦労している、ように見受けられる。

そういうところの社長は目つきが悪くなる・・・・というと、偏見かもしれないけれども、

なんかそういう気がする。

 

どれだけ理不尽なことをいう上司(社長)であっても、何か「無茶な」ことを頼むタイミングとか、

背後にある信頼関係(とか愛情とか)によって相手が「受け入れやすい」ということがあると

思う。

 

つい忙しくなると(心を亡くす・・・)、人というか「機械」として扱ってしまう自分もいるが、

働いている社員が楽しんでいない会社は、お客を「喜ばす」ことができるかは不明であるが

「お客」の顔が見えないとつい、「目先の業務」に負われて考えない、何も感じない、という

悪いスパイラルに陥る気がする。(具体的に誰かを批判していると言うよりも自分を振り返ると

そう思う、ということであります)

 

 

 

 

 

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2016-11-20 21:57:21

情報のタイミング

テーマ:ワークショップ

最近自分の中で、マーケティングとか広告的な人(特にwebというかblogとかを使った広告)の

発言を見ると違和感があるなーと思っていて、どうしてそう思うのか?と思いながら放っておいた。

どうも、自分の中の「違和感」というのは、相手を「説得」というのが、自分の流儀ではなかった、と思えることがあったのではないか?とずっと思っていたのではあるが、実際は説得がいやだ、

というよりも別の所にあった。

つまり、「タイミング」というのが大事だというのが最近の自分の発見であり、説得はタイミングを

台無しにするのではないか、というように考え始めている。

 

どのような「正しい」理屈も、タイミングとか、プロセスが違うと、正しく伝わらない。

自分にとっては「必要なことがいままさに起きている」という感覚でいるので、とりあえず、

「はずれ」をつかむ危険を承知でいくと、「まさに自分がほしかったこと」が得られることが多い。

先日、とある「おすすめ」の専門家に紹介されて行ったが、それまで、その「専門家」の話は

きいていた。多分もう2,3年も前から知ってはいた。しかし、実際に「自分にとって必要な情報」

として立ち現れるまで、2,3年もかかった。

気功ももう7,8年やっているが、最初の「出会い」から、10ヶ月は放置していた。「必要」だとは思ってはいたが、本当の意味で「大事だ」と感じるまでは時間がかかった。

 

自分が主催しているセミナーに参加する人も、参加するときは、今まで一度ぐらい会ったけれども、そんなに親しい感じでもない人から(むしろ避けていたぐらいの感じ)連絡があって会ってみると、その結果、その人にとって十数年以上もの間ひっかかっていたことが解消されるなんてこともある。

 

本当に必要な情報は「呼ばれる」ように向こうから来るものだ、と私は思う。

最初に何となく「前触れ」として情報が何気ない方向からくる。そして、その直後もしくは、

数年後(それは時と場合による)に、必要な情報が何かのきっかけで、自分にとって必要な

ものとして立ち現れる。その時に、メッセンジャーとなるものは、必ずしも親しい人じゃない

場合もあるし、メッセンジャーとしての現れて二度と会わなくなる人もいる。いずれにしても

最初から「必要」とわからなくても、本当に必要な情報は何度も何度もどっかから働きかけが

ある。

全てはタイミングだ、というと言い過ぎかもしれないけど、そういう大きな流れはあると思う。

広告(屋)さんに違和感を感じるのは、相手を説得して、「自分の思い通りにしてやろう」というのが見える人が多く(そうじゃない人もいっぱいいるでしょうが)そういう偶然に見えるけどでも

とても大事な情報、ということに関してセンサーがないように見えるのが違和感の正体だと

今では思う。

 

 

 

 

 

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2016-11-12 18:50:29

シンクロとか引きよせとか。。。

テーマ:直感力

最近、いろいろな「シンクロ」がある意味、「ふつう」になってきた感じがするので、

あまり気にしていなかったが、先ほど、とあるお店で買い物をしていた時に、

レジで自分が「思った」ことが、店内アナウンスで出たときに、なんとなく笑いがでそうに

なった。

だからどうだ、と見る見方もあると思うのですが、まあ、なんか、楽しい「シンクロ」だと

思ったりしています。

そして、そうなるまえに、今日は、とある「打ち合わせ」をセッティングしてくれた人の

指定する(15分前集合)というのをまじめに守っていったら(なぜかセッティングして

いた人が指定した時間に来ないという・・・w)その打ち合わせは当初よりも早く始まり

早く終わる。表面的には「なんだよ遅刻して・・・」とか「文脈が見えない人だな・・・」とかいろいろ思ってはいたものの、あらかじめ「準備されていたように」起きるべきことは起きるなーというのは感想で、その後のスケジュールもすいすい進む。ほんとになんか予定していたなかったはずなのに自分にはしらない予定が「現れた」ような感じがする。

 

昨日は昨日で、ちょうど相手が「必要」なことを自分が提供できるようなことが起きた。

以前は平等とか考えていたのですが、与えていたら巡り巡って返ってくるような気もします。

 

ところで、引きよせのときに、

人の思考というか、意識をそちらに向けると、その意識に関係ある情報が

集まってくることはよくある気がします。

以前は、気をつけなくてはいけないのは、ネガティブなことを思えば、

そういう方向性の情報が集まってくるので、ポジティブなことを思おうと思っていたのですが、

しかし、それはそれで、どの時点でネガティブか、ポジティブか、というのはわからないとも

思うのです。必要な学びってのもあります。とりあえずいいことでも悪いことでも「それは必要なことだ」とか「起きて良かった」

とか捉えていると必要なことが起きる気がします。

我々の通常意識の「良い・悪い」以外の次元で動いている何か法則みたいなのは絶対

あるとおもうのです。

まあ、時には「運命の流れにゆだねる」気持ちみたいなのも大事だなとおもう。

とかなんとか書いておきながら、必要な努力はしとかないと、シンクロっておきないとおもう。

やたら、引きよせとかシンクロとかいっているけど不幸な人がいて(私にはそう見える)、

別にシンクロが起きても起きなくても、どうでもいいような気もするのですが「シンクロ教団」

みたいになっていても起きない気もする。単なる思い込み(いわゆる予言の自己成就)

みたいなのにはまっている人もいるのですが、まあ、とりあえず、「運が良いこと」は

人事を尽くして起きてくるものだし、でも、だからといって、「自分がやらなきゃ」って思いすぎ

てもよいことは起きない気もします。

仕事仲間で、結構「てきとー」な人がいて、「ちゃんとしろよ」とか時には言うことは必要だとは

思いますけど、ちゃんとしているから、引きよせが起きる訳でもないですし、だからといって、

アバウトだったらいいかというとそれも違う。いろいろ試してみて自分の感覚を信じるしか

ないんだとおもう。(自分が何か誰かに「すごい」と言いたい病になっていないかはチェックした

方がいいと思いますが)

 

 

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2016-11-07 10:00:00

わかりやすいから伝わる訳ではない、とおもう今日この頃。

テーマ:コミュニケーション手段

先日というか、ここ最近思っているのですが、本を書いてみたり、講座やらワークショップで「伝える」ということをしていて、思うのは、必ずしも「わかりやすさ」を追求しちゃいけないな、と思うことです。

どこで相手に「伝わる」かは、予測を超えているところもあります。

そもそも「わかる」とは、積み上げ型でわかる場合もあるけど、ふっと、その全体性が

見えることなので、伝える側が、「伝えよう」と努力することはとても大事だけど、「簡単にしよう」として、本質を見失ってしまうことの方がNGなわけで、いろいろな次元で発想することが大事だと思うのですよね。

 

もっというと「わかる」の先に、「腑に落ちる」ってのもある。腑に落ちるかどうかは、予測不可能。感動する、はさらに先にあるきもするのですが、「感動させよう」なんて思っている人のは、なんか「変だぞ」っていうふうに伝わることもあります。

 

先日「わかりやすいですね」と言われて、別にわかりやすく伝えていたつもりも何でもなくて、その人が「できる」にはどうしたらいいかということを一生懸命に考えて伝えていたら、その人のツボにはまって「わかりやすい」という評価をしているだけかもって思うのです。

 

その概念が「探究しがいがある」こと、楽しいからこそ、「わかってほしい」でも、その「わかる」は、相手次第であり、ある程度、対比や比喩(たとえというか「似たような事例」)や分析やあれこれの手段で伝えようとしても、そもそも「わかろうとしていない」人には伝わらないわけで、わかろうとしている人と、わかってほしい(っていうか「こんなに楽しい世界がある」という気持ち)という人がうまくつながればいいだけだと思うのです。そして「知識として理解出来た」の先にもっと楽しいことがあることは確かなので、「わかった」からといって、その先の楽しさにふれてほしいなーというのもあるとより伝わりやすくなるかなと思うのです。

こういった話は概念をこねくり回している次元と、それと「俯瞰してみる」というのと、よくわからなくなりがちであるが、現実としてその人の世界に何か、さざ波が立たなければ、結局のところ「あーわかった」の先に何かが起きなければ本当のところはあんまり意味がない、という所に立って「伝える」ってことをしなくちゃいけないと思うのです。本当に「わかる」は、出来てみて「ああこういうことか」ってことだと思うのですよね。

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2016-10-28 00:00:00

忙しいなら忙しいなりに。

テーマ:ワークショップ

忙しいなら忙しいなりに時間の使い方がシャープになってくる気がする。

ただ、まあ、気持ちが忙しくなると生産性が下がると思う。

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