Always on the side of the egg.

主に書評、というより感想。
たまに日記、日々の出来事。
全体的にたわごと。

主に本を紹介し、感想を述べております。比較的軽めの書物が多いです。


※本の紹介では、かなり具体的な内容まで踏み込んで紹介する場合があります(つまりネタばれ注意ってやつです)。なぜなら、表面をさらっとなでただけの書評では、買う気も読む気も起きないかなって思うからです。ただ、別に個人的に本当に紹介したいものだけを載せているわけでもありません(自分の頭の整理という側面が強いので)。また、本文の内容は主観的なものが多く、時には読み違えて全くの嘘を書いていることもあるやもしれません。ご了承の上、軽い気持ちでお読み下さい(間違い、勘違いは指摘下さると嬉しいです)。





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随分間が空いてしまいましたが、
前回分の続きです。




2.日本の財政問題と社会保障制度
 日本の財政問題と社会保障制度の関係について説明する。
「国の借金」といった場合、①今年、「支出」が「収入」をどれくらい上回って、新たにいくら借金(国債の発行)をしなけれればならなくなったのかという「財政赤字」を指す場合と、②「財政赤字」による国債発行額が積もり積もっていくらになったのかという「債務」を指す場合がある。よく雑誌等で見る「国の借金800兆円超」などは②の「債務」合計を指している。なお、2012年度の「財政赤字」は約44兆円(総一般会計予算約90兆円)、「債務(国債発行高)」は約891兆円である。
 また、国の予算には、「一般会計」と「特別会計」の2種類がある。一般会計とは、公共事業や教育、医療保険・介護保険の国庫負担分など、その年度内に行うさまざまな国の事業のために作られた予算で、主に税収によって財源が賄われ、その年度に使い切ることを原則とする。これに対して、年金や雇用保険、労災保険など、保険料や目的が限定された税収を持つ事業は、「特別会計」と呼ばれる。なお、2012年度の一般会計予算は上記の通り約90兆円、特別会計予算は約251兆円である。
一般会計の財政状況について見てみると、2012年度の歳入総額見込みは約90兆円、そのうち約44兆円が国債発行による調達である。すなわち必要な歳出の49%は借金により調達をしている。また、歳出のうち、社会保障関係費は約26兆円(約29%)を占める。この社会保障関係費とは、端的に言えば社会保障のために支払う必要のある金額の内、特別会計で徴収した保険料で賄いきれなかった部分である。すなわち特別会計の赤字部分である。
つまり、現状の社会保険制度によって徴収した保険料よりも、保険金・年金の支払いの方が圧倒的に大きく、そのため毎年のように政府は借金を重ね、保険金・年金を支払っているのである。これは、支払うべき保険料に対して徴収する保険料が少ない、あるいは徴収できる保険料に対して過大な支払をしていると考えられる。当然ながら、今後も日本政府が無尽蔵に借金を続けていくのは不可能であり、どこかで財政破たんが生じる。よって、社会保険料率の値上げ、あるいは社会保険支出の抑制が喫緊となっており、これが昨今「社会保障と税の一体改革」が大きく議論されている背景である。かように、日本の財政危機は社会保障制度抜きには語れない問題となっている。

3.日本の経済問題と社会保障
 三章では、日本の経済問題と社会保障制度の関係について述べる。
日本の経済問題の本質については語るのが難しい。もっとも明確な問題は「経済が成長していないこと」である。この問題の原因は一概に言えず、各々の原因が複雑に絡み合っているため、解決策が一義的に決まらない。原因として多く取り上げられているのは、デフレ、内需縮小、少子高齢化、イノベーションのなさ、日本企業の国際競争力の低下、労働市場の硬直性、サービス部門の低生産性等などであろうか。これらの問題は、相互に連関しているものもあるし、一方の原因が他の原因の結果である場合もあるし、日本一国の問題でなく世界全体で見たときの相対性に起因するものもある。
 しかしながら、社会保障財政の問題と同時に考える上で、最も問題となるのは「人口構成の変化」すなわち「少子高齢化」であると筆者は考える。本邦の社会保障制度は「社会保険方式」すなわち高齢者が使う費用を、若年層が負担する「賦課方式」で運営されている。当然ながら、少子高齢化社会においては高齢者(および彼らに対する支出)が増加し、若年層(および彼らが拠出する保険料)が減少する。日本の社会保障制度の財政が均衡せず、支出ばかりが増大するのはこのためである。
 また、このような若年層の負担増は、「将来に対する期待」を縮減させる。将来の収入に対し不安を覚えた人間は、一般的に消費を抑制し貯蓄率を高める。これが「内需縮小」をもたらす。また、内需が縮小すれば企業は経営努力によって費用を削減しなければならないが、これは当然人件費の抑制を意味し、これも内需縮小に拍車をかける。また、こうした内需縮小、それに伴う物価の下落は「デフレ」と認識され、「デフレ期待」を育む。デフレ期待は、今消費せずとも将来になればさらに安くなる、という心理を現出させるため、買い控えを生じさせ、更なる消費抑制・物価下落を齎す(いわゆるデフレスパイラル)。更に、こうしたデフレスパイラルはさらに若年層の将来を悲観させ、消費抑制にとどまらず子育てや子作りに対しても不安をあおる。よって、少子高齢化はさらに進む。問題の根は深く、複雑であるとはかようにこうした状況をいう。
上記の状況を踏まえ、当時の管直人首相は「強い経済、強い財政、強い社会保障」を訴え、社会保障分野を今後の成長産業とし財政再建・経済成長を同時に達成しようと試みた。しかしながら筆者は、こうした政策はうまくいかないと断定する。成長戦略とは潜在成長率をあげることであるが、社会保障分野のように労働集約的産業かつ競争制限的な規制が多い産業が、単純な公費投入によって生産性が向上することはないからである。
 もし、社会保障関連産業(医療、介護、保育)を真に成長産業にしたいのであれば、現在のように規制でがんじがらめになっている状況を改め、公費漬け・補助金漬けの護送船団方式から決別させるような「抜本的な構造転換」を図るよりほかない、と筆者は断定する。

4.社会保障関連産業各論(年金保険、医療保険、介護保険、保育産業)
 本書第一、第二、第三章において、日本の財政や経済と、社会保障の関係について述べられた。以降第四、第五、第六、第七章ではそれぞれ年金保険制度、医療保険制度、介護保険制度、および児童保育産業について現状の問題、改革策を述べている。
 各論において問題とされるのは基本的には賦課方式による運営と少子高齢化による制度継続の不可能性、および規制による競争・イノベーションの疎外である。各論については割愛する。

5.社会保障制度のあるべき姿
 第八章では、これまで説明した社会保障制度の「問題」に対する筆者の「解答」を述べる。長期的かつ困難な改革としては、①年金、医療保険、介護保険の積立方式への移行、②基礎年金財源の目的消費税化、③給付付き勤労控除等の抜本的税制改革、④機関補助から直接補助への補助金改革、を挙げる。短期的かつ比較的容易な改革としては「公費投入の合理化による支出減を図る」ことを挙げる。具体的には①所得再分配という観点を明確にして低所得者への公費投入をむしろ厚めに集中させ、中所得・高所得者に対する公費投入を、時間をかけて徐々に減少させていく、②参入規制を緩和して、効率的なサービスの提供ができる事業者の参入を促し、給付費全体が効率化するようにする、③負担が増す中所得・高所得者にも納得感がえられるように、保険サービスや公費が投入されたサービスと併用して、自由なサービスを追加的に高い価格で購入できるようにする、④参入自由化に伴って、社会福祉法人など、特定の法人に対する施設整備補助金や税優遇を、十分に時間をかけてすべて廃止する、などを挙げている。
 以上のような改革を経て、少子高齢化社会に見合った、「高福祉から身の丈に合った福祉」への転換を図る必要があると筆者は主張する。






昨今は税と社会保障の一体改革が声高に叫ばれておりますが、その理由は本書を読めば概ね分かるようになりそうです。

以上。

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財政危機と社会保障 (講談社現代新書)/鈴木 亘

¥798
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ご無沙汰です。
そうか、明けましておめでとう御座います。


本書は

「『強い社会保障』とは一体何か?」
「医療や介護、保育産業は、本当に成長産業なのか?」
「年金や医療保険、介護保険は将来破綻するのか?」
「社会保障を維持するためには、やはり消費税引き上げが不可避なのか?」
「増税する場合、何%くらいの消費税引き上げが必要なのか?」
「社会保障のために、莫大な財政赤字が生じていると言うのは本当か?」
「社会保障改革を行わないと、日本はギリシャのように財政危機に陥ってしまうのか?」
「日本は、北欧諸国のように降伏し・高負担の国になるのか?」
「それとも、中福祉・中負担くらいでよいのか?」
「毎年のように社会保障改革がお紺割れているのに、一向に問題が解決しないのは何故か?」
「民主党の政策で、安心できる社会保障制度は、本当に実現するのか?」
「そもそも民主党は、マニフェストに示した社会保障改革を実現できるのか?」

等などの多くの国民が抱き、筆者が実際に最近よく聞かれる質問に対して答えるために、
「最近の社会保障制度の超入門書」を目指したもの、とのこと。

本書の内容を読むことで、日本の社会保障制度やその問題の概略を知ることができ、「日本の社会保障のあるべき姿」を考えるきっかけにもなるだろう。



本書の内容に入る前に、まず「社会保障制度とは何か?」をざっくり調べて見たい。
→参考:社会保険庁「社会保険のテキスト」http://www.sia.go.jp/infom/text/index.htm

社会保障制度は、病気、老齢、死亡、出産、怪我、失業、介護、貧困などの場合に、国や地方公共団体などが一定水準の保障を行うものであり、大別して
①社会保険制度
②社会福祉制度
③公的扶助制度
④公衆衛生

の四つの制度からなる。ただし、④公衆衛生は「社会保障の基盤をかたち作る国民全体を対象とする施策」であり、個人・世帯を対象とする①、②、③よりもより適用範囲が広いようだ(具体的には食品衛生、結核、感染症、麻薬対策、上水道等)。


日本の社会保障制度の特徴としては、
(1)すべての国民の年金、医療、介護をカバー(国民皆保険、皆年金体制)
特に説明不要ですよね。

(2)社会保障給付の大宗を占める年金・医療・介護は、社会保険方式により運営
日本の社会保険制度は、大別すると、サラリーマン(被用者)を対象とする職域保険(健康保険、厚生年金)と自営業者、農業者、高齢者等を対象とする自営業者等グループ(国民健康保険、国民年金)の2つの制度で構成されている。

(3)社会保険方式に公費も投入し、「保険料」と「税」の組み合わせによる財政運営
社会保険の財源は、約60%が保険料。約30%が公費(税)、約10%が資産収入等で、保険料中心の構成となっている。

とのこと。この(3)の辺りが、本書での「財政危機」と関わってくる重要なところだったりします。




①社会保険制度は、大別すると
(1)医療保険制度(健康保険、国民健康保険、後期高齢者医療制度など)
(2)年金保険制度(国民年金、厚生年金、共済年金、国民年金基金など)
(3)介護保険制度
(4)労働保険制度(雇用保険と労災保険)の四つに分けられる。

②社会福祉制度は、
(1)老齢者福祉制度(老人福祉)
(2)障害者福祉制度(身体障害者福祉、知的障害者福祉)
(3)児童福祉制度
(4)母子福祉制度
から成るようである。

③公的扶助制度は「生活保護制度」とも呼ばれ、生活保護法に基づき生活に困窮する人々を対象にその程度に応じて保護を行い、最低限度の生活を保障すると共に、その自立を手助けする制度とのこと。
具体的には
(1)生活扶助
(2)教育扶助
(3)住宅扶助
(4)医療扶助
(5)介護扶助
(6)出産扶助
(7)生業扶助
(8)葬祭扶助
の八つの扶助制度がある。


本書は、上記の中でも①社会保険制度の(1)医療保険制度、(2)年金保険制度、(3)介護保険制度と、児童保育産業について言及されます。
っていうか社会保障制度複雑すぎてテラワロス。
というわけで、詳細については以下次回。




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希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く/山田 昌弘

¥1,995
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ちと古い、2004年の出版ですが。
よく売れた本だそうで、色んな方が要約等しております。


内田樹先生の要約

「極東ブログ」finalvent氏の書評



社会の不安定化が進んでいる。と言う。
(この本のが書かれた当時では)親と同居する成人した未婚者は、2000年の国税調査によると1200万人いる(20~39歳)。離婚数は、2002年に約29万組弱(結婚数約75万組)と史上最高を更新中である。所謂「できちゃった婚」は、約15万組(2000年、結婚届を出してから約10ヶ月未満の出産数)となっており、第一子の四分の一を占めるまでになった。所謂「フリーター」(未婚若年のアルバイト雇用者)は200万人を突破しており、失業中の若者、未婚の派遣社員も入れれば400万人を超す。大学卒の未就職率、高卒の未就職率ともに最悪の記録を更新中である。引きこもって社会とかかわりを持たないでいる青少年は50万人いるとされ、不登校に関しては、小中学校で年間30日以上の欠席者だけでも13万人以上いる。児童相談所における児童虐待の処理数は、年間2万件を超えている。そうだ。

筆者に拠れば、統計数字や意識調査から見ても、生活の不安定さが増しているのは明らかだそうだ。(私自身が「社会の不安定さが増している」と思うかどうかは留保で。何故か?「社会の不安定さ」を測る指標がうまく思いつかないから。「社会」の定義も「不安定さ」の定義も曖昧だから)

こうした不安定化のプロセスを、筆者は二つの概念、すなわち「リスク化」と「二極化」で読み解く(この後に続く説明は中々腑に落ちた。筆者自身が発見した概念ではないからかもしれない)。


リスク化」とは、今まで安全、安心と思われていた日常が、リスクを伴ったものになる傾向を意味する。
そもそも「リスク」とは何か。「リスク」とは元々は「勇気を持って試みる」という意味だったと言う。「リスク」を「危険」と訳すと、誤解が生じてしまう。「危険」は英語の「デンジャー」の意味に近く、近づくと確実に生命、健康、財産などを失うものを言う。しかし「リスク」は原義からして必ずしも悪い意味ではない。何かを得るためについてまわる危険性であり、必ず出会うわけではない、というニュアンスがある。本書では「リスク」を「何かを選択するときに、生起する可能性がある危険」という意味で使っている。
リスクと言う言葉は、近代社会になってから生まれた言葉(概念)であると言う。前近代社会(概ね欧米ではルネサンス以前、日本では明治維新以前の社会を想定している)は、「あえてする」という意味でのリスクとは無縁の社会だったという。職業は親のあとを継ぐしかなかったし、結婚相手も自由に決めることはできなかった。離婚も自由にできなかった。統治者や宗教を選ぶこともできなかった。住む場所も家も決まっており、伝統に従って生活してさえいれば、自分が大体どういう人生を送るか、予測できたそうだ。
しかし、近代社会は「リスク」と切っても切れない関係があると言う。近代社会は、外から来る「不確実な危険(これを「外部リスク」とも呼んでいる)」を科学的、社会的に人間がコントロールして対処することを目指した。そのコントロールする主体として発達したのが「国民国家」であったと言う。天気予報から土木工事、防衛力、警察、衛生、医療などの管理は、政府・自治体などの国家機構の仕事となる。国民国家が外部リスクの管理主体となり、外部リスクを減少、もしくは予測可能なものにしていった。
その反面、外部リスクをコントロールしようとする試み自体が、リスクを発生させるというパラドクスを発生させた。外部から来る危険性が減少する一方、選択に伴う本来の意味での「リスク」が登場する。例を挙げる。近代社会になると、職業選択の自由度があがった。職業の選択幅が広がり、自分で選んだ職に就けるようになった。そうすると、逆に「望んだ職につけないリスク」が生じる。近代社会では、配偶者選択の自由度、離婚の自由度が上がった。親の決めた相手と結婚しなくとも良い自由が与えられた。しかしそれと同時に、「好きな人と結婚できないリスク」あるいは「そもそも結婚できないリスク」、「結婚しても相手に自由に離婚を迫られるリスク」が生じた。
こうしたリスクの発生が、より頻繁になり、不可避的になっていくことを筆者は「リスクの普遍化」と呼ぶ。リスクが普遍化した社会では、「大きいリスクをとらない」という選択肢が無くなっていき、リスクをとることを強要されるようになる。日本では、戦後バブル崩壊までは、「大きなリスクをとらない」という自由がまだあったと言う。高望みしなければ、経済が成長していく中で、「それなりの」安心・生活を選択することはできたのだと言う。しかし現代、リスクが普遍化した社会では、リスクをとらなければ「それなりの」安心・生活さえ得ることが難しくなっていると言う。
また、「リスクの普遍化」と平行して、「リスクの個人化」も進んでいったと言う。近代社会の安定期(日本では、戦後から1990年頃までを想定されている)では、個人と国民社会の間に様々な「中間集団(例えば「家族」、「親族」、「コミュニティ」、「ムラ」、「企業」が挙げられている。)」があり、個人に生じた生活リスクを引き受けていた。個人の側から見れば、リスクに見舞われそうになったときにそれが現実化するのを防いでくれ、また、リスクが起こった後のケアを期待できる中間集団が存在した。ところが、現代社会(つまり1990年以降)では、中間集団が様々な生活リスクから個人を守れなくなる事態が生じていると言う。企業は終身雇用(正確には長期雇用だが)を維持する体力がなくなり、経済の鈍化に伴い親族、家族にも経済的余裕がなくなりいざという時の助けを求めにくくなってきた。まさにリスクが「個人化」していったのである。
そして、この「個人化」したリスクは、「自己責任」の概念のもと、更に深刻なものとなった。「自己責任」の原則は、「自分自身のことに対しては、自分が決定し、自分が選択したことの結果に対しては、自分自身が責任をとる」という考えから成り立つ。そして、上記のように「リスクが普遍化」した社会では、リスクを選択することが強要される。しかし、選択した結果が誤っていようとも、「自己責任」の名の下に、当該個人に救いの手は差し伸べられない。



二極化」とは、戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことを言う。バブル崩壊以降、「勝ち組」「負け組」と言う言葉が流行した。経済の構造転換が進む中、経済の新しい波に乗ることができ、企業業績を伸ばしている企業が勝ち組であり、不良債権にあえぎ、業績悪化、倒産の危機に見舞われた企業が負け組と呼ばれた。もちろん、これまでも企業の浮き沈みはあった。しかしそれは、石炭産業が衰退したり、家電やスーパーマーケット業界が伸びるなど、業種ごとの浮き沈みだった。バブル崩壊後に起こったことは、同じ業界の中で、利益を伸ばしている勝ち組と、業績悪化や倒産に見舞われる負け組が区別され始めたと言うことであったと言う(これは史実に反しているような気もする。経営学の世界では、A・D・チャンドラーの研究等で、同じ業界に属しながらも明暗を分けた企業達が存在していたはずである。うろ覚えで具体的な企業とか出てこないが…)。同じように、人々の生活実態にも、「勝ち組」「負け組」が現れ始めている、と筆者は言う。しかし、本書が強調するのは、単純な所得格差のような「量的な」格差ではないと言う。「量的な」格差には、「質的な」格差が含まれているのだそうだ。例えばフリーターと正社員の年収格差は150万円あると言われるが、そこには数字以上のものが含まれているという。それは、ステイタス(立場)の格差と言うべきものである。正社員には、社会保険や仕事上の研修など有形無形の恩恵がある。さらに、正社員なら終身とはいえなくても5年10年継続して雇用され、定期的な収入が得られると言う希望が持てる。一方、フリーターは、収入が不安定である以上に将来の見通しが不安定であり、しかも一度フリーターになってしまうと正社員に採用される確率は低くなる。こうして、正社員とフリーターでは、単なる収入格差以外に、将来の生活の見通しにおける「確実さ」に格差が出てくる。さらに、そうした差のある両者の間には、仕事や人生に対する意欲の有無など「社会意識」の差、つまり、心理的格差が生まれる。これが希望格差である。現代の人間にとっては、この希望格差が、実は最も重要なのだと筆者は言う。そして、量的格差として表現されるものが、ステイタスの差や心理的な差と言う質的格差につながっていくということが、現代日本社会における格差の特徴だ、と。
前近代では、生活水準の格差は、原則として生まれた親の職業によって決まった。職業選択の自由が無く、親の職業を継ぐのが原則であった。発展ということがない身分制社会では、自分の親から相続できる家産によって生活水準が決定した。この生活水準格差の正当性は、伝統や宗教と言う「納得」の装置によって支えられていた。逆に、格差が固定化され永続しているからこそ人々が納得しやすかったという側面もある。
近代では、親の職業を継がなくてもよく、結婚も自由にできる。また、自由主義、資本主義社会は実力社会に近づいていく。努力プラス才能(=実力)によって、生活水準を上昇させ、格差をつけたり、今まで存在した格差を解消することが可能になる(少なくとも前近代に比べれば確実にそうなっている)。こうして建前上(ここ重要)は、生活水準の格差は、実力の反映であると言う解釈が出来上がる。近代社会の格差の正当性は、この解釈に依存している。
しかし、この「実力=生活水準の格差」を建前とする近代社会システムには、いくつかの大きな問題点がある。

①親の格差による間接効果
確かに現代は、職業選択が自由となり、自分で職業が選べる時代となった。しかし、だからといって生まれによる影響が全く無くなったわけではない。どのような親の下に生まれるかにより、結果的に園子が見つける「実力」が違ってくる。この点は教育社会学者の苅谷剛彦やフランスの社会学者プルデューらが指摘している。

②性役割分業社会―男性の稼ぐ能力に女性は従属
近代社会は夫が主に外で働いて収入を得、妻は家で家事や育児を行う「性役割分業社会」である。男性は、自らの実力で生活水準が決定される。しかし女性は、自分の仕事能力ではなく、夫の仕事能力によって生活水準が決定される。
(この辺の書き方が、本書が一部から非難される原因なんだろうなー、と思う。確かに統計上、2人以上の勤労者世帯では有配偶女性の約4割しか働いていないし、夫婦共働き世帯では妻の収入が夫の収入の4割にも満たないのだけど、その辺の「社会学的見地から見ると、今の世の中は性役割分業社会って呼ばれちゃうんですよ」っていう説明を省略していきなり上のように書いたら、「女性なめんな」ってお叱りがきますわな)

③弱者の出現
前近代社会では、統制経済であったため、格差はあったとしても、その水準は社会的に固定化されていた。「分相応」という常識が共有されており、格差が過度に拡大することを防いでいた。しかし、近代社会では、実力によってその収入にどの程度格差がつくかは、市場によって決まる。実力がある人にとっては、高収入への道が拓けているが、実力が無い人にとっては、収入はとどまることを知らずに落ちていく。つまり、格差の拡大に歯止めが利かなくなる可能性がある社会となる。自分で自分の生活を維持することさえできない「弱者」が出現してしまうことが、近代社会の格差の大きな問題点である(この辺は、「最低賃金法」とか「生活保護法」等の各種セーフティネットの必要性と関係してもいるのだろう。実際のところ、格差が開きすぎて下辺に押し込められた人は、経済学で言うように賃金は低いけど雇ってもらえるところに行くよりは、犯罪に手を染め、不法な行為で這い上がろうとする可能性の方が高い気がする。っていうか食うに困って万引きとか恐喝とか強盗とか、そっちの方がどう考えても普通でしょ。誰もやらない仕事をやってなんとか食いつなぐっていうよりは。結局のところ、「市場」に頼りすぎれば、その「市場」原理に真っ向から反対したりぶっ壊そうとしたりする力がシステムの外で生まれてしまうわけですよ。システムの中のルールを守ってたら一生負け組だ、って気付いたら普通そのルール自体守ろうとしないでしょ。失礼、話が逸れました)。


実際的には格差は実力のみによって決まっていない、というのは大問題だと私は思うのですが、本書の流れからすれば③の問題が厄介なのです。

この二極化という事態は、人々の意識に影響を及ぼす。過度な平等は、能力のある人のやる気をなくす。「生まれ」といった能力が関係のない要因による格差拡大は、同じく能力のある人のやる気をなくす。また、あまりに能力による格差が強調されると、能力の無い人のやる気をなくす。つまり、乗り越えられない階層の壁を感じると、その壁を乗り越える努力をしてもムダだと感じ、人々のやる気は奪われるのである。
ここに、現代の二極化が、「質的な格差」を伴い、それが「希望の格差」(苅谷氏の言う「インセンティブ・ディバイド」=「勉強する気の格差」もこれに近い)を生み出していることが示される。




こうして現代では、「リスク化」と「二極化」の二つの流れによって、「希望格差」が生じ、社会の不安定性が増大したのだ、と筆者は言う。この「リスク化」と「二極化」は、前近代から現代に向かうための不可避的な現象・潮流である。すなわち、現代の諸問題は各個人のせいではなく、社会の発展に伴う不可避的な問題なのである。フリーター各個人に「ちゃんと働け!」といったり就職できない学生に「もっと勉強しろ!」と言っても何も解決しない。ましてや、将来に対する希望を持っていない人々に「希望を持て!」と言う事はことさら無意味である。


本書の骨子はこんなところだと思う。


この後、「職業」、「家族」、「教育」について、そこで広がる格差について各論具体的に説明しており、興味深い内容でもあるんですが、
「じゃあ結局どうすりゃええの?」
という問いには答えてないので、っていうかそもそもそんな簡単な解決策なんてある問題じゃねえ。
ってことで、割愛です。気になる方はご自信でお読みになるのが良いかと。そこから導かれる「答え」は、各人各様となるはずです。



問題に対する「答え」が書いてないから、こんな本は無意味。と批判している方もいるかもしれませんが、明らかにその批判は間違いです(いなかったらごめんなさい)。優れた「問い」を世に発する。それ自体、中々できる人もいないわけですから。
確かに丹念に論理を追っていくと、大事なところで統計データがないとか、無駄な断定が多いとか、そういう問題はあるかもしれませんが、論理的に飛躍してるから全部ナンセンス。ってな批評もまたナンセンスでしょう。科学は知っていること証明されていることだけでは発展しません。





一部批判もある本ですが、興味深いデータも多く、また主張の骨子は正しいと思います(骨子の部分全部パクリじゃん、っていう批評もあえて取り下げます)。
是非とも、科学的な目で読んで欲しい一冊。
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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年.../著者不明

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今回も論文。手元のHBRから。
Kevin P. Coyne, John T. Horn (2009) 「Predicting Your Competitor's Reaction」

新製品を投入したり、価格を変えたりすると競合他社はどう対抗してくるか。
この問いを考える際に初めに思いつくのはやはりゲーム理論だろう。学生時代「ゲーム理論」という言葉を聴いてワクワクしたのは私だけではあるまい。そしてちょっとググって「ナッシュ均衡」だとか「チキン・ゲーム」だとか「囚人のジレンマ」だとかを見てすぐに落胆したのも。
本論文ではゲーム理論の説明なんてほとんど出てこないので詳細は割愛するが、著者らによれば競合他社の行動予測にゲーム理論はまるで役に立たないという(直感的には「そりゃそうでしょ」と思わないでもないけど)。マッキンゼー・アンド・カンパニーが開発した戦略行動の予測モデルでは、3つの質問に照らしながら競合他社の出方を簡単かつ現実的に分析・検討できるそうだ。


3つの質問とは以下のようなものである。
①ライバルは対抗してくるか。
②ライバルはどのような選択肢を検討するか。
③ライバルが選択する可能性が最も高い選択肢はどれか。

このシンプルな質問が有効なのは、以下の二点が事実であるからだという。
第一に、ライバルが初歩的な分析手法用いている場合、これと同じ手法によって反応を予測できること。第二に、ライバルの行動にどう対抗するかを決める際、著者らの調査によれば大企業の殆どが決まったパターンを踏むこと。


①ライバルは対抗してくるか。
競合他社の出方を分析するにはまず、対抗してこない可能性について検討する必要があるという。以下の四つの質問を自問自答し、1つでもノーならライバルは対抗してこない可能性が高く、著者らに拠れば三回に一回は競合他社が反撃してこなくてもおかしくないという。
その四つの質問とは、
(1)ライバルが自社の行動を見ているか。
(2)ライバルは脅威と感じているか。
(3)対抗することを優先させるか。
(4)ライバルは大企業病を克服できるか。

(1)について、第一に、殆どの企業が市場動向を測定するに当たり、不完全なデータに頼っている。第二に、自社の新製品がライバルの複数の事業部門に影響を及ぼす場合、ここの事業部門で見ればそれほど大きな脅威でないため、見過ごされるかもしれない。

(2)について、ライバルはこちらの動きに気づいても、これを脅威と感じないかもしれない。たいていの組織が年間予算に対する業績を厳密に評価する。こちらが戦略行動に出ても財務目標を予算どおり達成させれば、経営陣は「想定の範囲内」として、こちらの動きを問題なしと判断する。つまり相手の業績が好調ならば、反撃をしてこない可能性が高い。

(3)について、こちらが行動を起こさずとも、競合他社は様々な課題を抱えている。こちらの行動に対応するには、それらの課題のいくつか、あるいは全てを縮小させたり変更したりしなければならない。よって、競合他社が既に様々な計画に取り組んでいる場合、機会費用や埋没費用を考慮して優先順位の変更をためらう可能性がある。

(4)について、たとえ経営陣が対抗しようとしても、組織全体がこれに対抗するかもしれない(いわゆる大企業病)。第一にライバルに対抗するのに大規模な組織改革が必要な場合、すぐさま対応しなければ致命的な脅威で無い限り、そうすることはまずない。第二に、マネジャーたちはたいてい、これまでの成功方程式をなかなか捨てられない。第三に、対抗するのに第三者の協力を必要とする場合、相当難しい。第三者が自分達と同じくらい切迫しているとは限らないからである。


②ライバルはどのような選択肢を検討するか。
競合他社が反撃してくるものとしても、ゲーム理論の定石に従えば、我々はライバルが検討しうる選択肢を全て網羅したリストを作成しなければならない。しかし、彼らのコンサルティングの経験や調査によれば、競合他社が真剣に検討する選択肢はせいぜい二つか三つであるという。
ライバルの新製品や価格変更に対応するに当たり、その選択肢をいくつ検討するのかを調査したところ、圧倒的大多数が四つ以下で、その中央値はほぼ二から三の間であったという。ライバルがどのような選択肢を検討するのかを知る術は無いので、我々はライバル以上に多くの対抗策について分析しなければならない。ただし、ライバルがどのような選択肢を検討するのかを予測できれば、その数はずいぶんと抑えることができる。そして調査によれば、ライバルが必ず分析・検討していたのは「最もありきたりな対抗策」であったという。すなわち、新製品には似たような新製品で対抗し、価格変更には同じく似たような価格(おそらく同じかライバル以下の価格)にする、というものであった。
すなわち、競合他社は一番ありがちな対抗策を真剣に検討している可能性がかなり高いのだ。


③ライバルが選択する可能性が最も高い選択肢はどれか。
以上までで、競合他社が検討しうる選択肢の短いリストが出来上がっているはずである。ここで、相手が選びそうな対抗策を一つに絞り込む。ここに不安を覚える戦略立案者は少なくないそうだが、著者らの経験から言えば、次の法則を当てはめればよいという。
その法則とは、「ライバルは、長期的な損失と短期的な損失のトレード・オフの中で、その分析力に従い、検討している選択肢の中で最も効果的な対抗策を選択する」というものだそうで、これまたなんともありきたりである(がゆえに、実際に使われる可能性も高いのだろう)。この法則を適用するには以下二つの質問に答える必要があるそうだ。

(1)ライバルはどこまで先を読んでいるか。
(2)ライバルはどのような評価基準を使うか。

(1)について、チェスの一流プレイヤーは相手の五手或いはそれ以上先を読むと言われる。だが、幸いなことに、大半の企業がわが社と同じように、「複雑なのは嫌だ」と思っているため、簡単で、何度も繰り返せる分析しかやらないと彼らは言う。「ライバルの行動と対抗策について、いくつ分析したか」という質問に、回答者の約25%が「自分達の対抗策以外考えなかった」と答えている。次に多かったのが、「最初に行動を起こした企業、あるいはその他のライバルによる第一波の反撃について予測した」といった回答であった。すなわち、約35%の企業が第二波については考えていなかったそうだ。そして、ライバルの戦略行動に対抗するために、「複数の選択肢を検討する」と答えた回答者は25%だったそうだ。

(2)について、ライバルの評価基準を知るには、「最近の判断は、どのような判断基準に基づくものか」と素直に自問して見れば良いと筆者らは言う。彼らの調査によれば、選択肢を評価するのにNPV(正味現在価値)を用いていた企業は全体の約15%に過ぎなかったという(ゲーム理論では、このNPVを最大化させる行動をとる、と仮定されるらしい)。短期的な市場シェアが17%、短期的な利益が同じく17%であり、長期的な市場シェアを考慮したのが20%、長期的な利益を考慮したのが21%であったが、「長期」といっても「対抗策に要するコストともたらされるリターンについて、どれくらい先まで予測しているか」という質問に対する答えは、85%が「四年未満」と答えており、62%が「二年未満」と答えたという。すなわち、「長期的な市場シェア、あるいは利益」を判断基準にすると答えた企業も、実際のところ大半は1年~3年先のシェアや利益しか考えていなかったのである。


最後の仕上げに、競合他社の評価基準と分析手法を使って、競合他社が検討するであろう選択肢の中から最善策を一つ選び、競合他社の意思決定プロセスをそっくそのまま真似、かつ最も不確実性の高い要因群について感度分析をすれば、競合他社が選択する、あるいは選択しない対抗策は何かをはっきりさせる手がかりが得られるという。







戦略を立案しそれを実行に移そうという時には、他社の行動を予測し、その行動を織り込む必要がある。だが、ゲーム理論で言われるような複雑な理論や数々の計算、複雑なプロセスはそこまで重要ではない。実際の企業行動を観察して見れば、自社の行動に17%は何の反応も示さず、反応を示した企業も、至極当然の作を選択したか、意志決定者の直感に頼っているそうだ。つまり、競合他社の経営陣が以前に下した意思決定について、彼ら彼女らと働いた経験のある人たちに話を聞き、どのように事業部門を指揮していたのかについて学ぶことによって、彼ら彼女らの思考パターンを理解することが、案外重要だということだ。


もちろん、自社が起こす行動それ自体が効果的なものでなければ、成果は伴いませんが(ってか根本的に「効果的な戦略を実行する」方が難しいわけですけれど)。この調査結果はライバルに行動を起こされてしまった企業にとっても、自社が対抗策を考える上で役立つかもしれませんね。
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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年.../著者不明

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部屋の隅に眠っててちょっと古いハーバード・ビジネス・レビューですが、論文は古いとか新しいとかそんなに関係ないので無問題かと。

なんか最近読んでる本がなかなか要約できる感じのものでもないので、HBRを引っ張り出してきた次第でございます。

Thomas H. Davenport「How to Design Smart Business Experiments」です。


科学的な実験を行う(行える)ことは、万能ではないが条件がそろえば確実な効果をもたらすという。

消費財の一般的な成功率は50分の1~60分の1といわれるが、ファスト・フード・チェーンのCKEレストランツでは、その成功率がおよそ4分の1だという。同社は新商品の導入プロセスのある段階で、厳密な実験が要求される。
その実験はまずブレインストーミングから始まり、ここでは複数のクロス・ファンクショナル・グループが新商品について、様々なアイデアを出し合う。次にこれらのアイデアをスクリーニングする。その際、マーケティング、商品企画、各業務部門の担当者で構成されるグループが、自身の経験と直感に基づいてこれらを評価する。このスクリーニングを通過したアイデアが商品化され、具体的な評価基準と対照群を設定した上で、店舗でテスト販売される。この結果を受けて、新商品をチェーン全体で展開するか、改良を施した上で再度実験するか、アイデアそのものをボツにするかが決定される。

また、イーベイでは、ウェブサイトを変更するための包括的なプロセスがある。ここでは無作為法による実験が重要な役割を果たしているという。イーベイのオンライン実験は、以下のステップからなる具体的なプロセスに従って進められる。

・仮説の立案
・実験の計画:サンプルや実験手法などの要素を決定する。
・実験の準備:コストの見積もり、プロトタイプを作成する方法の決定、実験サイトのパフォーマンス       などに応じて調整を図る。
・実験の開始:実施期間を決めて、ユーザーに実験を試みる。
・追跡調査とモニタリング
・分析とその結果

イーベイは、2007年と2008年に出品アイテムの閲覧ページを変更した際も、オンラインとオフラインの両方で大規模な実験を行った。この閲覧ページのデザインは2003年から変更されておらず、アイテム写真が出鱈目だったり配置がばらばらだったりと、顧客もイーベイのデザイナーも上手く構成されていないと感じていた。
実験の全段階を終了し、イーベイは新しいウェブサイトを採用した。従来に比べて、掲載する写真のサイズを2倍に拡大し、入札締め切りが24時間をきったオークションにはカウントダウン・タイマーを追加した。アイテムの状態や返品の注意事項を目立つように表示し、またタブを追加したこと発送や支払いに関する領域が使いやすくなった。これらの新しい特徴や機能については、対照群のページによって個別に実験・検証されている。ページ閲覧数や入札数を基準に判断すれば、このデザイン変更は大成功だったと彼らは言う。






実験と学習の組織能力を高めるには、標準的な実験プロセスを構築することがその第一歩であるが、それだけでは十分でない。意思決定する上で、信頼性が高く効果的な判断材料として実験を利用したいのであれば、そのためのインフラを整えなくてはならない。すなわち、コンピテンシーに磨きをかける研修プログラム、実験の実施・分析用のソフトウエア、学習内容の記録手段、再実験のタイミングを判断するプロセス、そしてこれら全てに関する専門的なサポートを提供する担当組織が必要になるという。

さらに、プロセスや技術、インフラに必要な変更を加えるだけでなく、実験思考の文化を生み出す必要がある。実験にはコストがかかり、また無意味な新戦術を広範囲に展開するほどではないが、それなりに時間を要する。





ただし、実験はいつでも万能なわけではない。そもそも「科学的な」手法が判らず、誤った手法を用いれば原因と結果の因果関係はつかめず、無駄な時間とコストをかけることになる。またもちろん、小規模な実験ができないアイデアや業務も存在する。さらに、ビジネスモデルの再構築や大規模なM&A、ビジネスのルールを変えるような意思決定などの成否を見極めるのにも、実験は不向きである。
科学的な実験というのは、戦略の立案の為というよりもむしろ、戦略の実行の為に用いるほうが良い。

実験を試み、それから何かを組織が学習することが、組織の意思決定において最も重要な部分でなければならない。科学的手法の原則は、ビジネスでもビジネス以外でも役に立つ。いまこそ、「私はこう思う」ではなく、「私は知っている」と言えるようになる必要がある。

とのことです。





まぁ、自分のようなペーペーでは、組織全体を使った実験なんぞできるわけもなく、日々のルーティン、繰り返しの中で、仮説→実行→分析→新たな仮説の流れをなんとか作ってみるのが精一杯ですが。
まぁそれだとサンプルが少なかったり偏りがあったりで、そもそも「科学的」とは言えないんですけどね。
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Always on the side of the egg.

Always on the side of the egg.

Always on the side of the egg.


人間だもの。
皆少なからず性癖ってのがあると思うんだ。
上のような画像にハァハァしちゃうのもその1つだね。
機械萌えってやつさ。


数学の世界じゃさ、四次元どころか五次元、六次元…何十次元もの次元が想定されて計算が行えるって噂を聞いたこともあるでさ。だから別に二次元でハァハァしちゃうのも別に普通だよね。うん。


僕の場合は苔とか木の根っことかがグワーーって群生してる画像がツボでしてね。いつもデジカメで撮りためた苔萌え画像をさ、アップロードしようとしてるわけさ。
毎回サイズが大きすぎてはじかれるけどね。







とまぁデジカメの画像うpしようとしてファイルサイズが大き過ぎてはじかれてそれ忘れてまたあげようとしてね。あほかおれは。

そして画像サイズ大きくするには月額払えとかそれなんてアイテム課金?



色々無料でやらせて後々レアアイテムで課金!的なサンシャイン牧場ビジネスモデルにしっかりお金落とすユーザーってそんないるのかな。
俺の大学時代の研究室だとマイミク(my mixiの略。mixiというSNSサイトで競われるリア充度のこと。これが少ないと可哀相な人だと思われこれが多過ぎると可哀相な人だと思われる)に金払ったらしき人がいようものなら哀愁の目線が注がれてましたが。



いやまぁ、もう何もいうまい。



そうそう、奥さん。例の「DIG. THE WORKSHOP」さんが、まぁた新しいビジネス・ワークショップを始めるそうよ。
まったくもう、いじらしいわね!

DIG. ENGLISHの概要

「18年もの海外生活を経験している日本人ネイティブだからこそ教えれる
 実践的英語コミュニケーションのノウハウを提供致します。」


■開催日
毎週 火曜日・木曜日 (1日につき2回開催 各回90分コース)
火曜日:第1回目 19:00 ~ 20:30  第2回目 21:00 ~ 22:30
木曜日:第1回目 19:00 ~ 20:30  第2回目 21:00 ~ 22:30

10月開催日:10月19日・21日・26日・28日
11月開催日:11月2日・4日・9日・11日・16日・18日・23日・25日・30日


■参加費
1回あたり 1,500円 (90分コース+軽食)
「英語を喋るのにはオープンマインドが大事」ということで、
当日はワインやラタトューユ等を振る舞いながら、ワークショップ
を進めていくそうです!!


■場所
SMG TOKYO 四谷会議室 
〒160-0007 東京都新宿区荒木町13-9サンワールド四谷ビル5階

東京メトロ丸の内線 四谷3丁目駅 徒歩5分
都営新宿線     曙橋駅    徒歩5分


■講師

小林亮元

経歴
・シカゴ、台湾、ミネソタ、タイ、ニュージャージー、ニューヨークの各地域に3年ずつ住み渡り、
 多様な異文化バックグラウンドを持つ人々と時間を共に過ごす。
・2007年 慶應義塾大学 法学部政治学科 卒業
・2007年 外資系化学メーカー 住友スリーエム㈱ 入社
 日本最年少で米国本社で行われた世界選抜アナリストトレーニング生として招集される。
・2010年 住友スリーエム㈱ 退社
・現在  「世界一人一人の創造的活動を促す事で人類の発展に貢献したい」
 という理念を軸に日々起業に向けて準備中。


■カリキュラム
実践的英語コミュニケーション ワークショップ
「コミュニケーション力」を身につけるためには「コミュニケーション」の量×質を重ねる事です。

これらを全員参加型の会話形式を中心に実践していきます。

下記カリキュラムは一例であり、毎回参加メンバーのレベルを考慮しながら柔軟に対応していきます

(順不同)
①様々なビジネスシーンを想定した英語コミュニケーション
・会議、商談、プレゼン、電話アポイント等のシーンに応じた英語コミュニケーション
②英字記事を題材にした会話力・読解力・リスニング力の総合習得
・Wall Street Journal, New York Times, Times Magazine等の英字記事を題材にしたコミュニケーション。
(もちろん、語彙や文法が分からなくてもサポートしながら進めますので大丈夫です)
③「実際」のコミュニケーションで多頻出する単語と活用場面の理解
④教科書では教えない口語(スラングや日常会話の返し等)
・異文化コミュニケーションを行う上で相手と打ち解け、仲良くなるための英語

詳細な情報やお申し込みはこちらになります!!
http://dig-workshop.com/biz/digenglish_detail.html





英語はとにかく実際にしゃべらないと喋れるようにならない、と帰国子女はみんなそう言いますし、実際そうだと感じます。毎日英語の勉強はしてますが、とにかく日常で英語を使わないので、全然しゃべれる様になる気がしません。

でも、英会話スクールって高いし、月額払いで休んだらムダになるしで、いざ申し込みの段になると面倒くさくなるんですよ。


是非、顔出させていただきます。
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前回の続きです。


ずいぶんと間が空いてしまいました。。。
「緊急/重要のマトリクス」というのがあると思うのですが、9月は「緊急かつ重要」という仕事(というか覚えなければならないもの)が山積したと同時に、平均的な帰社時間がかなり伸びてしまい、まぁ、ブログかまう暇と余裕がなかったのです。アルファ・ブロガーと呼ばれる方々は、俺なんかよりもずっとお忙しいはずなのに。すごいです。





第四章 信じる者はだまされる?

簡単に人を信じたためにひどい目にあう、なんていう話は枚挙に暇がありません。新聞・雑誌・ネットには詐欺や詐欺まがいの商法が山ほど掲載されている。
だが、人を信頼しやすい人=だまされやすい人、という構図は本当に正しいのか。筆者はいくつかの実験によって、この構図は正しくないことを示していく。
いくつかの実験によれば、他者に対して一般的信頼の水準が高い人の方が、他人が信頼できる人間かどうかに敏感であった。また他人が信頼できる人間であるかどうかを正確に判断できたのも、他者に対する一般的信頼水準が高い人間であった。他人の行動(他者が裏切り行為にでるか否か)をうまく予想できなかったのは一般的信頼の低い低信頼者であると同時に、他人と協力することをあまり重要だと思っていない人たちであり、逆に他人の行動をうまく予測できたのは高信頼者であると同時に他人と協力することが重要だと考える人たちであった。そして、高信頼者/低信頼者と、他人との協力を重要だと考える/重要でないと考える人たちは殆ど同じ人たちであった。
つまるところ、他人と協力することが重要だと考える人は他人を一般的に信頼するようになる(因果関係的には逆かもしれないが)。逆もまた然り。高信頼者にとっては、他人と協力することが重要である以上、その他人が協力できる相手かどうかを見極めなければならない。そのため高信頼者は他人の裏切り行為に敏感であり、相手をよく観察するために相手の行動もうまく予想できるようになる、と筆者は述べる。


第五章 社会的知性と社会的適応

この章ではまず、「社会的知性」という考え方についての理論的および歴史的な背景が概説される。この社会的知性、というタームを用いて、先の高信頼者と低信頼者の能力について見当を加えていくからである。ただここでは「社会的知性」の詳細は省かせて頂く。本章の大まかな定義によればそれは「社会的環境における基本的適応課題を解決するための能力」といえる。そして、高信頼者と低信頼者に関係する基本的適応課題として、以下の二つを考える。すなわち①集団内での個々人間の関係を見抜き、誰と誰が仲がいいか、誰と接するのが自分にとって安心をもたらすかを見出すという課題、②集団外の人間と付き合う際に、自分をだまさないのは誰か、誰を信頼できるか、を見出すという課題、の二つである。そしてそれぞれを解決する能力を「関係性感知能力」、「人間性感知能力」とここでは呼んでいる。
高信頼者は、上記「人間性感知能力」が高いことは第四章で述べたとおりである。そして更なる実験でわかったのが、低信頼者=他人と協力することが重要でないと考える人たちは、「関係性感知能力」が高信頼者に比べて高いということである。すなわち、他人を一般的にあまり信頼していない人の方が、集団内の人間関係(誰と誰が仲がいいか、誰と誰は仲が悪いか)を正確に把握できたというのである。

このように、「関係性を感知する能力」のことを筆者は「地図作成型知性」と呼び、「人間性を感知する能力」のことを「ヘッドライト型知性」と呼ぶ。そしてこれらはどちらも、社会的知性の一つである。これらの能力は、単にどちらが優れている、という種類のものでないことは一目瞭然である。「地図作成型知性」が重要な場面もあれば、「ヘッドライト型知性」が重要な場面もある。



第六章 開かれた社会と社会的知性


地図作成型知性と、ヘッドライト型知性とでは、それらが適応的な役割を果たす社会的環境の性質が異なっている。地図作成型知性は、集団主義的な社会で適応的な役割を果たし、ヘッドライト型知性は開かれた社会で適応的な役割を果たす。この結論は、「はじめに」で問われた問題に対する答えにつながっていく。すなわち、地図作成型知性が適応的となる社会環境(つまり集団主義社会)は、地図作成型知性それ自体によって生み出され強化されていくこと、或いはヘッドライト型知性が適応的となるような社会環境(つまり開かれた社会)は、ヘッドライト型知性それ自体によって生み出され強化されていく。このことを詳細に解説していくのが本章であり、こうしたフィードバックによるシステムの強化が、社会の至るところで生じていることが明かされる(「差別」の強化の話なんかは密林のレビューにもあるので割愛)。

「安心の崩壊」が生じている日本社会とは、これまでの「地図作成型能力を適応的にし、かつその能力によって強化されてきた集団主義社会」が崩壊してきている、あるいはその維持に非常にコストがかかるようになった社会であると考えられる。このような日本社会を変える契機として「ヘッドライト型知性」を用いた「信頼社会」の台頭を筆者は望んでおり、今はまさに「安心社会」から「信頼者会」へ日本が舵を切れるかどうかの分水嶺なのだ。文化とは固定した伝統ではない。それは社会的環境を生み出し、社会的知性を生み出す。そうした社会的知性が、また新たな文化を生み出していく。このように文化とはプロセスであり、我々一人ひとりが「ヘッドライト型知性」を発揮すれば、新たな文化の創造は不可能ではない。日本を「信頼社会」にするためには、結局は我々一人ひとりの意識的な行動が重要なのだろう。














最後のほうの主張が良くわからんというかつまりは我々に対する「提言」を行っているわけで、その「提言」はムダではない!実験によって効果が示されているぞ!ということを言うための理論構築が本編だったというわけですか。いや、ちょっと急ぎで要約した上にちゃんと読んだのも一ヶ月以上前だしなんかそんな主張でよかったのかどうか、俺もようわからんくなってきた。

けれど、第六章あたりの、環境が環境に適応するための能力を育み、その能力が環境を強化する、というお話しは説得力があって面白い。腑に落ちる。
本文は実験の説明が多くて読むのが大変になってくるところもあるけれど、最後のところだけでも十分読む価値ありです。いやもちろんちゃんと全部読んでください。


では。
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安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)/山岸 俊男

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大変更新が滞っております。

大学時代に恩師に薦められた本。東京丸の内のマルゼンにて衝動買い。山岸俊男先生の著作です。松丸本舗は素敵でござった。


(問)人を信じるお人好しは愚かだろうか?それとも人を見ると泥棒と思う人間の方が愚かだろうか?

本書では、この問いを出発点として日本の社会システムを分析する。そして、「安心社会崩壊」後の日本の社会システムの行く末について提言を行っている。

上記の問いに対しては、「その答えは我々自身が作り出している」という結論にたどり着く。これはある社会的な環境の中では他人を信頼する人は愚かなお人好しであり、別の環境では他人を信頼しない人が愚かな人だということを意味する。ただし、これは単なる文化相対主義を意味しない。この本意は、他人を信頼することが本人にとって有利な結果を生み出す社会的環境と、他人を信頼しないことが有利な結果を生み出す環境が存在すること、そしてその環境は我々自身が作り出している、ということである。


第一章 安心社会と信頼社会

信頼に対する社会科学者の関心は、1990年代に入って急速に高まった。その一因にまず、アメリカに代表される西欧社会における信頼崩壊に対する危機意識が挙げられると筆者は言う。ロバート・パトナムに拠れば、近代的な市民社会の伝統が民主政治の効率的な運営に不可欠であることを、経済発展の程度も民主的な政治制度の効率もともに、市民社会の伝統の強い北イタリアの方が、家族主義の伝統の強い南イタリアよりも優れていることを示すことで証明しているという。パトナムは効率的な経済と政治の運営に及ぼす一般的信頼の重要性を指摘した上で、意識調査に現れたアメリカ人の一般的信頼の水準が、過去20年にわたって次第に低下していることに注意を促していた。こうした信頼の重要性や、信頼の水準が低下していることを受け、信頼に対する研究が1990年代以降活発になっていったと筆者は考える。

また、信頼の低下、不信感の増大は日本においても同様であった。バブル崩壊後の日本では、金融機関の信用が地に落ち、雇用の不安が高まり、それを解決できない政府に対しても不信感が広がった。また、信頼の崩壊は政治・経済システムにとどまらない。いじめ、不登校、校内暴力がメディアを騒がせ、教育制度に対する不信感も高まり、また1950年代から一貫して殺人や凶悪犯罪が減少しているにも関わらず、多くの人々は凶悪犯罪が増加し、「キレやすい若者」が増加していると考えている。

筆者はこのような、当時の国民が感じる「日本型システム」への不信の拡大を、これまでの安定した社会関係のあり方が崩れつつあることの一つの表れであると考えている。ただし、日本社会が直面した問題は、安定した社会関係の脆弱化が生み出す「安心」の崩壊の問題であって、欧米社会が直面している「信頼」の崩壊の問題とは本質的に異なったものだと筆者は考えており、従って、集団主義主義社会の終焉が生み出す問題は、安心の崩壊の問題であると同時に、集団の絆から飛び出した「個人」の間でいかにして信頼を生産するかという問題だと考えている。


筆者はまず、「信頼」と「安心」の違いについて述べ、それぞれの定義を行っていく。
まず「信頼」には、①「能力」に対する信頼、②「意図」に対する信頼の二つがある。
①は、「彼ならホームランを打てる」「この飛行機のパイロットはちきんと我々を目的地に送り届けてくれる」といった、「~ができる(筈)」という「能力」に対するものである。
②は、「彼は浮気をしない」「上官は私を裏切らない」といった、「~しようとする(筈)」或いは「~しない(筈)」という「意図」に対するものである。
本書では②の「意図」だけに信頼を限定する。しかし、「意図に対する信頼」にも、二つの側面がある。
それこそが、①「(狭義の)信頼」と②「安心」である。
①「(狭義の)信頼」とは、相手が悪人に見えないとか、まじめな性格であるから、といった相手の「人間性」や「行動特性」に起因するものである。上記のアメリカで低下が叫ばれる「一般的な信頼」というものもこれに近いと考えられる。
一方②「安心」とは、相手がもしこちらを裏切ると、それが相手の不利益にも繋がる場合に持つ信頼のことである。もし「契約に違反した場合は罰金をとる」という契約が結ばれていれば、相手はよほどのことが無い限りこちらを裏切ることはないと信頼できる。つまり「安心」とは相手の人格や行動特性を無視した「行動」に対する期待を指す。


これまでの日本社会を特徴付けていた集団主義的な社会関係の下では、安定した集団や関係の内部で社会的不確実性を小さくすることによってお互いに安心していられる場所が提供されていた。そこで人々が安心していられたのは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず相手の人間性を信頼できたからではなく、集団や関係の安定性がその内部での勝手な行動をコントロールする作用を持っていたからである。すなわち日本で築かれていた「信頼」とは、「(狭義の)信頼」ではなく、「安心」であった。
こうした安定した社会関係のあり方が失われていくにつれ、人々は社会のあり方に漠然とした不安を感じ、これまでの日本を特徴付けていた信頼社会が崩壊し始めていると考えるようになった。しかし、「安心社会」の崩壊は、必ずしも「信頼社会」の崩壊を意味するわけではない。むしろ逆に、「安心社会」の崩壊は、日本社会を「信頼社会」へと作りかえるためのいい機会を提供しているのだと、筆者は考える。そして、この機会を活かすことができるかどうかは、我々日本人の選択次第なのだと言う。


第二章 安心の日本と信頼のアメリカ

統計数理研究所が行った調査によると、アメリカ人は日本人よりもずっと、他者一般に対する信頼感が強いことを示している。これは日本社会は信頼社会であり、アメリカ社会は契約社会であるという、常識的な理解から真っ向に挑戦するものである。この結果は、筆者が行った社会的ジレンマ実験においても支持されている(それぞれの実験の詳細については割愛。冗長になるから。その辺は本書をお読み下さい)。

こうした実験結果から、日本の集団主義文化というものはどのように考えられるのだろうか。そもそも日本は集団主義文化などではなかったのか。
筆者の更なる実験によれば、日本人は実験のゲームの中で、「裏切った」ことが他人に判らない場合に裏切る程度がアメリカ人よりも高くなり、逆に「裏切った」ことが他人に周知されるようなゲームだと、アメリカ人よりもかなり裏切る程度が低くなるという。
すなわち、日本人の集団主義文化はここの日本人の「心の内部」に存在するというよりは、むしろ日本社会の「構造」のなかに存在していると考えられ、筆者もそう考えている。つまり、日本社会で人々が集団のために自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質を持っているというよりは、人々が集団の利益に反するように行動するのを妨げるような社会の仕組み、とくに相互監視と相互規制の仕組みが存在しているからだという。

そして、このような相互監視と相互規制に特徴付けられる日本の集団主義文化は、その集団内の人と人の間の関係性を強固なものにするが、それは同時に、その関係性の外の関係に対しての信頼を閉鎖的にしてしまうと筆者は言う。それは「ムラ社会」などという社会学の術後を使わなくとも、我々の日常生活の中で容易に観察できるだろう(例えば学校のクラスにおける「仲良しグループ」が醸し出す排他的なあの空気を想像して欲しい)。
こうした集団主義文化の呪縛は、「安心社会」が崩壊した後に、「信頼社会」へと移行するのを妨げてしまう。この考えを実験によって証明したのが次章である。


第三章 信頼の解き放ち理論

第三章では、レモン市場(アメリカの中古車市場)の議論や、筆者らのコミットメント関係形成の実験によって、「コミットメント関係の構築」=「安心の構築」が、その関係以外の相手に対する一般的信頼の水準を低下させることを示している(議論や実験の内容は割愛)。
コミットメント関係の構築とそれに伴うコミットメント関係以外への関係に対しての信頼水準の低下は、経済学の取引費用と機会費用を用いて説明される。取引費用とは取引相手を探すためのコストや相手が機会主義的な行動をとるためにかかる費用を指す。また機会費用とは、ある選択肢を選択しなかったために生じる費用である。例えば大学に行った四年間には、大学の授業料などの直接的な費用の他に、大学に行かずに働いていたら得られたはずの所得分の機会費用が発生している(取引費用と機会費用についてのきちんとした説明は簡略的ですので、経済学の教科書をお読み下さい)。
ある人間(取引先)とコミットメント関係を結んだ場合、その相手との間に発生する取引費用を節約できる。しかし、その相手先よりも安い費用で取引を行ってくれる相手がいた場合、現在の費用と安い取引を行ってくれる相手との間で発生する費用の差だけ、機会費用が発生する。コミットメント関係を結んでいる相手との間で節約される取引費用よりも、この機会費用が大きくなったら取引相手を変えるのが合理的な判断である。だが、筆者らの実験でも示されたとおり、一度構築されたコミットメント関係を「裏切る」ことに対しては、心理的な障壁が生じる。また、現在のコミットメント関係以外の関係に対して信頼する程度が低くなってしまう。この当然の帰結として、一度構築されたコミットメント関係は、より合理的な取引や関係を選択することを難しくする。
こうした「非合理的な」行動が選択されやすいのが日本の商習慣や対人関係であり、戦後の安定した時期には一定の効率性を発揮したが、グローバル化や「安心の崩壊」によってその有効性が限定的になってしまったと筆者は言う。そのため新しい関係に目を向ける力が必要となってくるのだが、これを援護するのが「信頼の解き放ち理論」なのである。






と、長くなってきたしこのままではまるで更新できないので、今回はここまで。
次回、

第四章 信じるものはだまされる?
第五章 社会的知性と社会的適応
第六章 開かれた社会と社会的知性

をお送りします。
すみません。






お薦めのワークショップ!是非。↓

$読書Blog:Always on the side of the egg.-DIG. THE WORKSHOP LOGO.JPG
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というわけで、先輩達のワークショップ企画の告知→
$Always on the side of the egg.-DIG. THE WORKSHOP LOGO.JPG
9月は盛りだくさんですね。三つの企画が御座います。

①「持込型ビジネスアイディアセッション
講師:中央大学商学部准教授 竹田信夫

②「開明的経営者のための組織マネジメント
講師:住友スリーエム執行役員
   スリーエムヘルスケア代表取締役専務 石川憲一

③「知的創造性を加速するロジカルシンキング・ワークショップ
講師:荻原英吾(A.T. カーニー株式会社 マネージャー) 



以下詳細。

第一弾=====================================================

ワークショップの詳細なリンクはこちらです。
http://dig-workshop.com/biz/biz002.html


2010年9月3日より全4回 開催ワークショップ (単発参 加も可能です)
「持込型ビジネスアイディアセッション 見落としがちな普遍性の観点を中心に」

■ 開催日時等
第1回  9月3日 (金)19:00~22:00(18:45より受付開始致します)
ウェブ・ビジネスの基本的な考え方・構え -ウェブ2.0的思想に関して-
■家は土台のない場所には建ちません。ウェブが高速に発展するからこそ、おさえるべき基礎を学びます

第2回 9月10日 (金)19:00~22:00(18:45より受付開始致します)
ウェブ・ビジネスにおけるセキュリティ対策 –なぜ、炎上してしまうのか。つまらない理由による破綻を防ぐ-
■現実的に避けられない見落としがちなサイト炎上や顧客情報の流出等を防ぐための対策を学びます 

第3回  9月17日(金)19:00~22:00(18:45より受付開始致します)
ウェブ・ユーザビリティ -ウェブ・ビジネスにも御もてなしの心を-
■利用していて心地よいサイトには理由があります。その背景にある知識と心得を身につけましょう

第4回  9月24日(金)19:00~22:00(18:45より受付開始致します)
ウェブ・ビジネスの基本的収益構造 –5つのマネタイズ法について-
■商品と引き換えの代金徴収や広告収入だけではないマネタイズ方法をご紹介します

会場:SMG四 谷会議室  東京都新宿区荒木町13-9サ ンワールド四谷ビル5階
四谷3丁 目駅B4出口 徒歩5分  曙橋駅A4 出口 徒歩5分
定員:16名  定員になり次第締め切らせて頂きますので、お早めにお申し込み下さい
参加費用:各回 の参加費 6000円(各回とも軽食をご用意します、消費税込)
     全4回パッケージ参加費20,000円

■ ワークショップ概要
本ワークショップでは、お 蔵入りしてしまったビジネスアイディアや、実現を考えているビジネスアイディアを持込んで頂き、講師とのセッションを通じて洗練化させて いきます。本ワークショップの具体的内容は、上記に記載されている各回のトピックに応じた講師とのセッションがメインとなります。

■ こんな方にお勧めです
□ウェブで副業をしてみたいと思っている方・ 思っていた方
□ウェブ・ビジネスアイディアを既に保有し、実 現を目指したいと考えている方
□ウェブ・ビジネスアイディアを形にするのに今 一歩踏み込めない方
□ウェブ・ビジネスに関して、本質的な理解をし たい方
□ウェブ・ビジネスにおける、様々なリスクを事 前に知っておきたい方

■ 講師情報
竹田信夫
1997年 東京工業大学大学院総合理工学研究科システム科学専攻博士後期課程単位取得退学
1998年 中央大学商学部専任講師
現在  中央大学商学部准教授
専門:システム科学 経営情報論 ネットワーク社会論

■ 各回共通のタイムテーブル
19:00~19:30  参加者の方々の簡単な自己紹介と本日学びたいこと
を簡単に述べて頂きます

19:30~20:30  講師よりトピックに関するワーク中心の講義を行います
(講義15分、 ワーク15分を2セット)

20:30~20:40  休憩
                                     
20:40~21:40  講師とのトピックに応じたセッションを行います    

21:40~22:00  次回のトピック紹介と質疑応答

■ 持ち物
・筆記用具
・名刺(受付時に頂戴致します。)

■ お申し込み方法
1. DIG.THE WORKSHOPの ホームページ(http://dig-workshop.com/biz.html)の予約画面よ りお申し込み頂きます。

2. 予約申込後、DIG.THE WORKSHOPよりお申込者様のメールアドレスへ申込確認メールを送信致します。

3. その後、指定口座へお振込下さい。(指定口座は 申込確認メールに記載してあります)

4. お振込を確認後、本予約完了のお知らせとお申込 者様ごとに「本予約コード」を発行致します。この「本予約コード」が参加チケットの代わりとなります。参加当日は受付にて「本予約コード」を申し受けま す。


■お問い合わせ先
DIG.THE WORKSHOP 
担当:小林 栗原 050-3621-2098
info@dig-workshop.com
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第二弾===========================================================


ワークショップの詳細なリンクはこちらになります。
http://dig-workshop.com/biz/biz003_detail.html

2010年9月12日(日) 開催ワークショップ
「開明的経営者のための組織マネジメント その原理原則」

■開催日時等
9月12日(日)13:00~18:00(12:45より受付開始致します)
「開明的経営者のための組織マネジメ ント その原理原則」
■内容のトピック
1.参加者各々による自己プレゼンテーションTIME
-当日の議論、そして実利的交流をより強力に推進します-

2.ケースディスカッション1 「組織を復活させる施策とは?」
-トップの決断と積極的人材登用に関するシミュレーションを行います-

3.ケースディスカッション2 「5つの事業を マネジメントする方法とは?」
-ポートフォリオマネジメントの投資判断に関するシミュレーションを行います-

■会場:ベルサール飯田橋ROOM2 東京都千代田区飯田橋3-8-5
JR飯田橋駅東口 徒歩3分  東西線飯田橋駅A2出口 徒歩2分
■定員:30名 定員になり次第締め切らせて頂きますので、お 早めにお申し込み下さい
■参加費用:参加費15,000円(税込)

■ワークショップ概要
本ワークショップでは、本来役員 室の中でしか語られることがなかった組織変革における意思決定の背景を、実企業で独自の経営改革を実行した経営者を講師と してお迎えし、講師が実際に実践してきた「組織マネジメント」の2つの事例を基にした ケースディスカッションを通して、参加者自らがその意思決定のシミュ レーションを行っていただきます。2つの事例は下記になります。
1 ) 組織を復活させる施策とは? 2 ) 5つの事業マネジメントする方法 とは?

「シミュレーションの結果導かれた意思決 定」と「実際の現場で行われた意思決定」を対比させることで、実際的な組織リテラシーを浮き彫りにし、体感していただきます。

■こんな方にお勧めです
□組織マネジメントにおける判断基準 を育成したい方
□多角経営に関する実践的教訓を得た い方
□グローバル企業におけるキャリアモ デルに関してお悩みの方
□経営者的思考に関して興味のある方

■講師情報
住友スリーエム執行役員
スリーエムヘルスケア代表取締役専務 石川憲一

-コダック社に入社し、セールスプロセス改善プロジェクトリーダー、
歯科用フィルム販売部マネージャー、新 規事業企画室長などの職種を経験。

-スリーエムヘルスケア株式会社に転じ、 歯科用製品事業部の組織及び
ビジネスプロセス改革を実行し、V字回復を実現し、代表取締役常務に史上
最年少で就任。現在代表取締役専 務として日本のヘルスケアビジネスを担当。

講師メッセージ
会社の業績が良い時は必ずしも理由はありま せんが、悪い時には必ず理由があります。その理由を見つけ改善することで確実に回復させていくことが可能です。
机上の空論ではなく、自らの経験からそのポイントを皆さんにお話できればと思います。

■当日のタイムテーブル
本ワークショップで各6名5つのグループを作り、ケースディスカッション等を行っていきます

13:00~13:45 参 加者による自己プレゼンテーション

13:45~14:45 講 師による講演

15:00~16:15 ケースディスカッション1  「組織復活させる施策とは?」

16:30~17:45 ケースディスカッション2 「5つの事業をマネジメントする方法とは?」

17:45~18:00 フェードバックシートの記入、質疑応答等

■持ち物
・筆記用具
・名刺(受付時に頂戴致します。)

■お申し込み方法
1. DIG.THE WORKSHOPのホームページ(http://dig-workshop.com/biz.html)の 予約画面よりお申し込み頂きます。

2. 予約申込後、DIG.THE WORKSHOPよりお申込者様のメールアドレスへ申込確認メールを送信致しま す。

3. その後、指定口座へお振込下さい。(指 定口座は申込確認メールに記載してあります)

4. お振込を確認後、本予約完了のお知らせとお 申込者様ごとに「本予約コード」を発行致します。この「本予約コード」が参加チケットの代わりとなります。参加当日は受付にて「本 予約コード」を申し受けます。


■お問い合わせ先
DIG.THE WORKSHOP 
担当:小林 栗原 050-3621-2098
info@dig-workshop.com

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第三弾================================================
ワークショップの詳細なリンクはこちらです。
http://dig-workshop.com/biz/biz004_detail.html


2010年9月26日 (日) 開催ワークショップ
「知的創造性を加速するロジカルシン キング・ワークショップ」

■開催日時等
9月26日(日)13:15~16:45(13:10より受付開始致します)
「知的創造性を加速するロジカルシン キング・ワークショップ」
■内容のトピック
l 目標設定
l ロジカルシンキングの重要性を理解す る
Ø なぜロジカルシンキングは重要か?
Ø ロジカルシンキングを阻む壁
Ø ワーク:ロジカルシンキングを阻む壁 を見つける
l ロジカルシンキングの道具を身につけ る
Ø ロジカルシンキングの本質
Ø ロジカルシンキングの武器を手に入れる
Ø ワーク:ロジカルシンキングの武器を 活用する
Ø 視座を広げる「ゼロベース思考」
Ø ワーク:ゼロベースで物事を捉える
l ロジカルシンキングで知的創造性を磨 く
Ø 発想と報告への活用
Ø 問題解決への活用
Ø ワーク: ビジネスの知的創造性を高める


■会場:新宿区立歴史博物館 講堂 東京都新宿区三栄町22番地

JR・東京メトロ丸ノ内線・南北線「四ツ谷駅」下車 徒歩10分
東京メトロ丸ノ内線「四谷 三丁目 駅」下車 徒歩8分
都営地下鉄新宿線「曙橋駅」下車 徒歩8分

■定員:50名 定員になり次第締め切らせて頂きますので、お 早めにお申し込み下さい
■参加費用:参加費5,000円(税込)

■ワークショップ概要
知的なアウトプットがビジネスでの価値とな りつつある現代において、知的創造性を高めることなしに、ビジネスパーソンが成功することはさらに難しくなりつつあります。
本ワークショップは、ロジカルシ ンキングを正しく身に付けてビジネスに活用する経験をしてもらうことで、参加者の今後のビジネスシーンにおける知的創造性を高めるエ ンジンの役割を果たします。今回の参加を機会として、将来的にグローバルにも戦えるビジネスパーソンへ皆さんを加速するこ とをワークショップの目的としています。

■講師情報
荻原英吾(A.T. カーニー株式会社 マネージャー) 

一橋大学経済学部卒業、英マンチェスター大 学経営大学院修士。
みずほコーポレート銀行(当時富士銀行)で 法人渉外に携わり、官公庁へ出向した経験から、今後の日本経済を強くしていく上で、産業界の中から企業を支援していく機能の重要性を 痛感。その実現のため、経営戦略コンサルティング・ファームの草分けであるA.T. カー ニーに入社。日本およびロンドンオフィスにて消費財、メディア等の業界を中心に全社戦略、マーケティング戦略、新規事業拡大戦略の策 定及び実行支援を手掛ける。『Think!』(東洋経済新報社)等への寄稿や、セミナー での講演多数。

講師メッセージ

本ワークショップでは、戦略コンサルティン グ・ファームでの経験を通じてエッセンス化したビジネスで活用できるロジカルシンキングを、皆さんに集中的に体得してもら うことに重点をおきます。
グローバル化が進む現代において、ロ ジカルシンキングは世界的に通用する知的創造性を高めるビジネスツールです。このツールを正しく身につけていただき、皆さんの明日か らの仕事力を引き上げることを目的とします。

■持ち物
筆記用具
名刺(受付時頂戴致します)

■お申し込み方法
1. DIG.THE WORKSHOPのホームページ(http://dig-workshop.com/biz.html)の 予約画面よりお申し込み頂きます。

2. 予約申込後、DIG.THE WORKSHOPよりお申込者様のメールアドレスへ申込確認メールを送信致しま す。

3. その後、指定口座へお振込下さい。(指 定口座は申込確認メールに記載してあります)

4. お振込を確認後、本予約完了のお知らせとお 申込者様ごとに「本予約コード」を発行致します。この「本予約コード」が参加チケットの代わりとなります。参加当日は受付にて「本 予約コード」を申し受けます。


■お問い合わせ先
DIG.THE WORKSHOP 
担当:小林 栗原 050-3621-2098
info@dig-workshop.com

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ブック・オフに行って100円で漁ってきた本たち。
これから読みませう。

・野矢茂樹『無限論の教室』講談社現代新書
・竹村牧男『入門 哲学としての仏教』講談社現代新書
・永井均『<子ども>のための哲学』講談社現代新書
・吉永良正『「複雑系」とは何か』講談社現代新書
・山田昌弘『希望格差社会』筑摩書房
・トーマス・フリードマン『フラット化する世界』日本経済新聞社
・小林康夫、船曳建夫『知の技法』東京大学出版会
・小林康夫、船曳建夫『知の論理』東京大学出版会


普通に買った&借りた本
はよ読まな。

・内田樹『子どもは判ってくれない』文春文庫
・内田樹『私の身体は頭がいい』文春文庫
・ティナ・シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと』阪急コミュニケーションズ





以上。
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テーマ:
やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005/村上 陽一郎

¥1,680
Amazon.co.jp


科学哲学者ポール・ファイヤアーベントの翻訳などで有名な、村上陽一郎氏の著作。


何かと揶揄されがちな「教養」について語られる一冊。

「結局、そういうごくごく当たり前で、別段特別の教養がある人でもない、特別の教育を受けたわけでもない人たちでも、自分の中にきちんとした規矩を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか――というのが私の年来の主張なのです。その上に、一般的な意味での教養、つまり何がしかの知識、何がしかの経験、そして専門家としてではなく、人間一般としての「広さ」、そうしたものが相俟って教養が論じられるようになる。しかし、先ほどの慎みを形造る規矩が欠けると、それこそ教養というのはものすごく安っぽくなって、口にするのも恥ずかしいようなものになりかねないんじゃないかというのが私の基本的な考え方です。この本の目的は、そのことを読者の皆さんにお伝えすることに終始することになると思います。」
序章より


著者は、「教養」をモラルのようなものだと考えている。それは社会一般で言われる「虚学」としての教養ではなく、「人前で恥ずかしいことをしない」とか「誠実に生きる」とかいった生活に根ざしたレベルでの、「成熟した人間」であるために必要なものとなる。
「成熟した人間」であるためには、確固とした自分を「形造る」必要があり、そのために学ばれる一切が「教養」であるとも言える。すなわち、哲学も文学も、自分を形造るために学ばれるならそれは「教養」であるし、もちろん、テレビを視たりラジオや音楽を聴くことだって、「教養」になりうるのだ。



そもそも教養とは何だと思われてきたのか。著者はそれを「教養教育」の誕生から掘り起こしていく。第一章「教養教育の誕生」で、教養教育が生まれたヨーロッパにおいて「教養」とは「どんなもの」と考えられてきたのかを述べ、第二章「知の世界への扉」でその教養教育がどのような道筋を辿ってアメリカに渡ったのか、第三章「日本の教養のゆくえ」でそれがどのように日本で受け入れられたのかについて説明される。

ちなみに教養科目に相当する英語の「リベラル・アーツ」は、普通大きく二つのカテゴリーに分類されるという。
まず、三つの必須科目①文法、②論理、③修辞学の部分。何故必須なのか?ヨーロッパで初めて大学が生まれたとき、そこでは多様な人々が集まるから、誰でも議論できるように「共通語(リンガ・フランカ)」が必要となった。そしてそれはラテン語だったのだが、まずこのラテン語を学ぶことが、知識人へと続く道の入り口だったのだ。
リベラル・アーツのもう1つの部分は「四科」と訳される、①天文学、②算術、③幾何学、④音楽の四つの科目を指す。これは人間が、知識人としての立場で「自然」にアプローチするために必要な基本的な「アーツ(=技)」のことである。
新しく誕生した「知識の殿堂」としての大学における「教養科目(リベラル・アーツ)」は、きわめて限られた数の知識人にとっての、共通の知識基盤だったのである。
ただし、ここで注意されたいのは、「知識人」とは「知識がある人」のことではなくて、「常識があって、文化人として成熟した人」を指している点であろう(たぶん)。学問を探求してある一定の分野で業績を出す、というよりも「民衆の模範」とでもいえるような生き方をする人々を「知識人」と呼んでいるのである(たぶん!)。

だから、大学を出た人はそこで初めて「一人前の社会人」として認められ、そこからさらなる「専門課程」にいくのが普通だったのである。そして現在も、こうした考えを受け継いだアメリカのアイヴィ・リーグの大学などでは専門を決めず、いろいろな学問を幅広く学んでいくことが求められるという。

転じて日本では、戦後アメリカの大学制度を取り入れたにも関わらず、この教養教育がなおざりにされたそうだ(どの大学にも学部学科がしっかり残っており、専門課程が入学時から決められてしまっている)。そのため、日本の大学には「知的成熟を身に付けるシステム」が存在しないのだと著者は言う。そして彼は、大学というところでは、やはり基本は教養教育であって、人間の成熟、知的成熟を目指すのが大学本来の姿なのではないか、と言い、①家庭における規矩の習得、そして②大学における知的成熟の二つが、教養という点での柱になる、と結論付けている。



続いて第四章「大正教養人の時代」では、少し時間を戻して、日本へ教養なるものが到来した大正時代の「教養主義」について回顧される。著者の親の世代はもろにこの「大正教養主義」の洗礼を浴びており、その息子娘達の代(すなわち著者の世代)は、終戦を契機にこの教養主義の断絶を味わっている。この章は、「断絶」を味わった世代から見た教養主義についての、生き証人としての証言となる。

そして第五章「価値の大転換」で、戦後こうした教養主義がどのような変化を辿ったのかについて語られる。私の年代からすれば団塊世代の小言に聞こえないでもないが(「日本人特有の恥じらいを失った」とかね)、著者はその点について自省的であり、わざとやっているようなのでまぁ「著者の意見」として真剣に受け取らず、話半分で聞いても問題ない。


かと思ったら第六章「いま、ふたたび教養論」で、全章で言った「恥じらい」を取り戻すために、自らに対して規矩を持たねばならず、やはり教養が重要だという主張を(結構真剣に)述べる。ちょっとだけ言わせてもらうと、酔っ払って書いてるんじゃないのかこの人?


終章は、著者を造り上げた書物たちの紹介ということで、彼が読んできた本が紹介される。別にこれを読め!というわけではなさそうで、説教臭い感じはしない。





ふむ。
評価しがたい一冊。著者の教養・知識全開で、様々な話(多くは寄り道であり脇道)が散りばめられ、へー、と思うこともたくさんあるのだが、全体の構成や一つ一つの文章が論理的に成り立っていない気がする。
ただ面白い部分はたくさんあります。

まぁ学術的な本じゃないし、これでいいんでしょう。
気分転換にはなります。

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