妻は、私に「まなかは魚や肉を口にしても飲み込まないので、市販されている瓶詰の物を食べさせてもいい?」と尋ねてきた。
私は、妻には常々、市販されている瓶詰の食べ物は防腐剤や添加物などが入っているから、まなかに食べさせるものは手作りがいい、と言っている。
その言葉が妻には、大きなストレスの一つになっているようだ。
毎回食事を作るのは、メニューも考えなくてはならないし、裏ごしなど手間がかかる。
それでも妻は辛抱して作ってくれる。
私は古い考えを持った人間かもしれない。
料理は作ればその人の愛情が入るし、まなかには、おふくろの味を感じて欲しい。
まなかには、メーカーの味に慣れた舌を持ってほしくない。
まなかが魚や肉を受け付けないなら、市販されている物を試したくなるのは気持ちもわかる。
私が妻を洗脳させてしまったのか、妻は、市販の物を買い与えたいが、それを使うことに罪悪感を感じ始めているという。
罪悪感を感じて何かをするというのは、マイナスの意識が働くので、体に与えるダメージは目には見えないけれど大きな衝撃を与える。
それは、防腐剤、添加物の入った食品を食べるより体に与える影響は大きい。
わたしは、妻が何か懇願する時、妻には「好きなようにすればいい」とちょっと突っぱねた言い方をする。
それが、また妻は、不安に陥るらしい。
今回はとりあえず試しに瓶詰を買ってきた。
まなかに、白身魚とポテトのクリーム煮を与えてみた。
私も傍らで、見ていた。まなかはそれを飲みこむようして食べることは食べる。でも、まなかの表情が何か違う、と妻は言う。
やはり、まなかは妻の料理の味をなんとなく感じているのかもしれない。
妻は、市販の食物は、あまり食べさせず、いつもの手作りのものを多く食べさせた。
妻も、私も、まなかが口にした同じものを食べてみた。
つるんと、滑らかな舌触りで、それほど甘みは感じず、確かに魚とポテトとクリームの味が舌に残った。
妻には、「罪悪感を感じてまなかに何か与えるのはよくないので、市販されているものでも、その作った人へ感謝の気持ちを持って与えればいいよ。」とぽつりと伝えた。
いったん洗脳された妻の頭には、焼石に水のような言葉だろうけれど。
「まなちゃん、瓶詰の食べ物どうだった?まなちゃんは、もうお母さんの手料理とそうでないものの味の違いを感じ始めているみたいだね。すごいなぁ!」