2008-04-23 11:16:07

カンボジア一人旅

テーマ:過去の連載より

2001年の連載エッセイより






 休みをとって、タイはバンコクからカンボジアはシェムリアップ・アンコールワットまでバックパッカーで行ってきた。


 実はワタシ、初めての一人旅だったんです。


自慢にもならないが、今回まで成田空港にターミナルが2つあることも知らなかったから我ながら情けない。


 電撃のツアーで何十回も海外に行っているとはいえ、家まで車で迎えに来てもらい、第1か第2かも分らずに車から降りて、ビザ申請済みのパスポートをチョイと出しビジネスクラスで快適なフライト・・・・・・なんと自立していない過保護野郎なんだろ、情けないッ!  

          
 この旅慣れていないワタシが、なぜよりによって陸路でカンボジアまで行こうとしたかと言うと、

映画『ビーチ』のデカプリオに憧れ『地雷を踏んだらサヨウナラ』の浅野忠信にシビレタからである。


なんともミーハーなことだ。


 背中にでっかいバックを背負いギュウギュウ詰めのワゴン車に揺られる片道13時間陸路は、ミーハー気分が吹き飛ぶ過酷な旅だったぁ……。


 旅費はなんと80バーツ(約240円)。やぁ安い!


 カンボジアでの宿泊は一泊2$。大丈夫か?










    
 タフで良い旅でした。


 道中に立ち寄った高床式住居に住む村落には公衆トイレというものが無いので、立ちションをしようと草むらに向かったらこう言われた。


「地雷があるから気をつけろ!」


 これ冗談じゃないんだ。ずいぶんタフでしょ。


「地雷に気をつけろ」はクメール(カンボジア)語+身振り手振りで注意されたので、意味がわかるまでかなり間があった・・・あ~恐い。






 こんな旅をすると、今までの公演ツアーはずいぶん守られていたんだなぁとつくづく思う。


 でも、これがきっかけで村人と仲良くなれたから旅は楽しい。








お互いに言葉を教えあったんだが、面白かったのは数の数え方。

0~5までは同じなのだが、その次は6とはならず5・1となる。

現地語で言うとプラム(5)・ムォイ(1)。


それが9まで続く。


これってローマ数字と同じだ。

Ⅵだ、Ⅶだ、Ⅷだ。


 同じアジアの住民で数の数え方がこんなにも違うのだねぇ。 

             
 ワタシは村人と仲良くなったところで掛け算勝負を敢行。


・・・・・・結果。 

                    
 カンボジア人遅~い。


掛け算は何度も足して計算するから遅いのだ。


ワタシはその後に見事な割り算を披露し、少し尊敬されてお茶を振舞われて村を後にした。  

             
 プチ国際交流である、楽しい。


あともう少しでアンコールワットに到着だ。





(CAT連載より)






2008-02-27 11:45:53

「ひどく寒い日、2・26事件」 1936年(昭和11年)2月26日

テーマ:過去の連載より

「ひどく寒い日、2・26事件」
1936年(昭和11年)2月26日。
当日の帝都東京は、桜田門外の変、忠臣蔵をなぞるかのように、夜半から季節外れの大雪であった。


・美輪明宏が三島由紀夫に「事件の将校がとりついている」と言うと三島の顔色が変わった。
・落語界の大物、故柳家小さん師匠が二等兵として事件に参加していた。


などなどの有名人にまつわる余談にも事欠かない、日本を震撼させた4日間である。





 日本近代上で唯一の軍事クーデター事件である2・26事件。

その首謀者たち22人の墓参りは『偉人墓地の旅』に相応しくないかもしれない。


 しかし、ワタシは「昭和維新・尊皇討奸」と立ち上がった皇道派青年将校たちの行為を、ただの無謀で大それた犯罪だったとは思えないのです。憂国の純情がそこには存在した。


 事件当時、東北の農村では農業恐慌と凶作で米はもとより麦さえも口に出来ず、ヒエ・アワを毎日食べる慢性的な貧困の中にあったそうだ。当時の日本には都会と農村部で圧倒的な所得・生活の格差があった。


 そんな中で、農村出身の部下を抱える青年将校たちは兵士たちと触れ合う中で故郷の農村の貧困を知り「これは財閥と政界の癒着による政治腐敗が生活格差を生んでいるからである」と義憤に燃えて立ち上がる。


 天皇陛下が貧しい農民や農村出身の兵士たちの事を知れば救いの手を差し伸べてくれるはず。陛下は汚職政治家たちに騙されて日本国の本当の現状を知らされていない。


民心から離れた為政者から政を天皇に返そうと立ち上がった。

明治維新と同様の回天である。

昭和維新のために立ち上がった。


ワタシはこんな見方をしているが判官びいきも過ぎるか……。



 タイ国でしばしばある軍部クーデターなどは、義勇的なものだから収束が早い。国王も民心と合致しているならそのクーデターを認める。国民も喝采を送る。


 しかしながら……226蜂起の思いは天皇陛下まで届かず「勅命下る 軍旗に刃向かうな」のアドバルーン写真で有名な「奉勅命令」が下され、青年将校たちの昭和維新は失敗に終わった。


 だが、鎮圧後に全国から郵便515368通、電報805110通もの無罪嘆願書が寄せられた事からも、決して民心からかけ離れた私心ゆえのクーデターではなかった事がわかる。今のメールによる意見・抗議とは違うんだ。切手代もかかるし書面を書くのにも手間がかかる時代だ。国民は青年将校の誠を評価した。ワタシはそう認識している。



 


 事件は、死刑者19人と鎮圧時の自決者2人の命と引き換えに収束する。それに陸軍少将惨殺事件で死刑となった相沢三郎を加えた22人を「二十二士の墓」として麻布賢崇寺に墓碑が建てられている。また、死刑が執行された渋谷公会堂裏手には「二・二六事件慰霊碑」が若者で溢れる渋谷の街にひっそりと建っている。






 決起の密議は東京麻布のフランス料理店「竜土軒」で行われた。ここは、国木田独歩や田山花袋らの自然主義作家たちが討論に花を咲かせた店である。将校たちはそこで「お茶と菓子しか並んでいない質素なテーブルで会合をしていた」と竜土軒主人は生前語っている。


 皇道派青年将校の純情は、勅命により天皇から否定され、事件以降の日本は戦争拡大の道を歩んでいった。





 事件から70年、いつ通りかかっても献花の絶える事がない渋谷の慰霊塔前で、ワタシが手を合わせる。若者たちはそれに気に留める事もなく通り過ぎていく――平和なのだ。
 それで良い。平和で飢えている人がいない世の中が一番なのである。



月刊サーカス誌 『偉人墓地の旅』より




2008-02-23 19:03:03

愛すべき陽気なオージーたち

テーマ:過去の連載より

 日本人はタバコを吸い、アメリカ人はガムを噛み、オーストラリア人はサングラスのつるをかじる。ワタシの観察眼による『国民別手持ち無沙汰になった時にする行動』である。


 日本、アメリカには異論はあるまい。


 しかしオーストラリアのサングラスつるかじりには・・・? 

と思う人はオージーに会う機会があったらサングラスをチェックしてみて。きっとそこに歯型がついているから!


 今回は、広大な大地と青空から得る自然の恵み。そして、大らかでフレンドリーでちょっぴりナマケモノ
の国民性。ワタシの大好きなオーストラリアの話し。


 どのくらい好きかと言うと、7回延べ12ヶ月訪れていて、我らが電撃ネットワークは、海外公演の主戦場
として4度にわたる全豪ツアーを敢行している程だ。


これだけ行くと観光なんぞ全然しなくなるものだが、ワタシはシドニー湾周遊観光船が大好きで、天気が良い日を選び必ず1、2度乗船することにしている。


 何が良いのかと言うと、大自然と大都会を同時に感じられるからだ。

手つかずに近い絶壁やイルカがピョンピョン跳ねる青い海を回りながら、船はシドニータワーを正面に高層ビルを背にする港へ向かう。日差しは燦々、ここで隠し持ってきたビールをグビリ、プハァ~。最高でしょ!


 近未来アニメ映画の1シーンみたいで、ありそうで無い景観なのです。


 ギュウゾウ流オーストラリア旅は、続いて酒場編。


「It’s My Shout!」


 オーストラリアのバーでは、これを叫んで仲間全員分の酒を買ってきて振舞うのがルール。

これを仲間全員回るまで何度もやる。おごられっぱなしはないから、仲間が多いほどたくさん飲むことになる。


 オージーはラグビーが大好きなので、開催日にバーに行くとたいがいこれで盛り上がっている。


 盛り上がっているところに出くわしたら、見ながら飲むより一緒に盛り上がった方が楽しいじゃないか。

そこで仲良くなる方法。仲良くなりたいと目星をつけた人が応援しているチームに点が入った時(これを間違うなよ)先ほどのアレを叫びビールをおごれば良い。ワタシの経験から言うとこの方式は百発百中だ。


 しかし、一番人気のあるオージールールラグビーは乾杯の回数を増やしたかったのかと勘ぐるほど点が良く入る。だからビア樽みたいな体型になるわけだ。


 そしてガバガバと点数が入り乾杯が繰り返される中、劣勢のチーム側の人たちは……サングラスのつるをかじっていた。


(アルク '02,3~'03,2 CATより)