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2008-05-30 14:23:24

宇都宮でDJ

テーマ:電撃ツアー2008
08-05-29_001.jpg
し……しまった。

ヘッドホン忘れた〓

DJにとってヘッドホンは、武士の刀、イチローのバットのようなもの。


今晩は心眼で選曲いたします。


宇都宮プラネットに世界初の心眼DJを応援にかてください〓
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2008-05-29 13:27:33

アメブロってコメント欄を勝手に削除してないか?

テーマ:俺はこう思う

昨日の日記で、かなり低レベルな書き込みを何度も書いては消しまた書くという人がいて、ずいぶん暇な人がいるんだなぁと思っていたんだが、まあ批判は批判でそれも意見だし(何度も書いてくれてた人のは酷いものだったが)まあ、そのままにしておこうと思っていたら・・・・・・・。



ある人から


「何度書いても消えちゃうんですよね」


というメッセージをいただいた。



そのメッセに削除されたのはどんな内容だったのかも一緒に書かれていたので読んでみたら、ワタシの感覚では何の問題もないものだった。普通の応援コメントだった。


どうやら、アメブロの判断でコメントは削除されているようだ。



なぜだ?



批判の中にも光るものもある。


批判者とのやり取りから生まれるものもある。


そして、ワタシは万民が賛同すような日記は書いていないんだ。


なんかね、応援というか、気分が良いコメントしかつかないと思ってたんだよ。

ワタシの日記なんて突っ込みどころ満載なんだ。


だいたい靖国問題とか書いてて反対の意見が無いほうがおかしいんだ。


ほとんど読まれてないんだな・・・と思っていたのだが、批判は全部消されていたということだ。


ミクシイなどでカンカンガクガクのやり取りは珍しいことではない。

でもそこからお互いが成長していくんじゃないか。



全員のコメントが書き手マンセーだなんて、気持ちが悪い、おかしな話だ。



アメブロは批判が全くない温室ということか。

ぬくぬくと書いてる人には居心地がいいんだろう。



ということなので、アメブロでは反論者との討論は出来ないということだ。


真剣な討論の中で人は育つ。

それは書き手側も同様だ。


これが出来ないのはほんとに残念だ。




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追記:コメントを24時間体制で監視管理していることはタレントブロガーに通達されていたようだが、ワタシは聞いてなかった。ワタシの事務所側の不行き届けであった。


炎上騒ぎというのは、非常にデリケートなもので、アメブロ側、事務所側(電撃以外のお茶の間に近いタレントさんを預かっている事務所ならなおさらですね)も神経質になるのも理解できる。


ワタシはね、ネットでのやり取りはバーバルコミュニケーションだからこそ、丁寧な文章で相手に意思を伝える作業・努力をし、その中で喧嘩したり、意見の違う人と自分の考えをぶつけ合うことは、実社会での人とのふれあいにもすごく有益だと考えているんですよ。


バーバルコミュニケーションで誤解のなくなる作業とは、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」(山本五十六)みたいなものです。何しろ誤解を生みやすいのがネットでのやりとりなんだ。


じっさいさ、身近なところで起きたので実感するんだが、炎上は怖いよ。

誹謗中傷の中に、本質を突くようなキツイのもあるものだし。


大人になると謝ってもすまない事もある。


でもさ、間違っていたと自分が思えば謝れば良いじゃない。



残念ながら人は完璧じゃないんだ。不勉強なんだ。未熟なんだ。


でも、成長する力はある。


タレントのブログが炎上する時には、その人に大きな影響力があるという燃料が必要だ。

だからワタシのブログは炎上しないのだ、がはははは(涙)。


炎上がおきるくらい影響力がある書き手なら、問題になった文章に関して勉強しなおして、自分の信念にもとずいた意見を次に出せば良いんじゃないのか。一度や二度の間違いなんて次は軽率にならない為の良い戒めだ。昨日も書いたが、人生は長いんだ、良き社会人になろうとする意思と鍛錬をしていればそうなれると信じている。「男子三日会わざるやかつもくして見よ」だ。


ブログには書くことによって自分の考えが固まるという良い面もある。

でもブログというものは気軽であるから、まだプリンシプル(主義・信条)を持っていない人でも世界公開で自己主張ができる。この気軽さがブログの魅力だが、怖いところでもある。


テレビの解説者みたいにプリンシプルが固まっている人なんてそうそういない。

ワタシもそうだもん。

ミクシイ日記のコメント欄でガツンと言われて、調べたり、意見をみつめたりして、ああ俺は間違ってたなと思うことなんて良くある。



炎上騒ぎの書き込みの中には、愉快犯というか、煽ってストレス解消している人もたしかにいるよ。

でもね、その批判の中にも光る批判はあるんだ。

2ちゃんとかのスレで批判するのではなく、書き手に意見をぶつける場が削除によって消えているのなら、その声は書き手へ永遠に伝わらない。2ちゃんねるとかの巨大掲示板はにぎやかだが、問題にされた書き手がみんなそこを読んでいるわけではない。




じっくり考えてから判断しなきゃいけないだろうが、このブログにコメント欄っていらないんじゃないかな?


読んでくれてる人も反論できなんじゃつまらんだろう。


全員のコメントが書き手に諸手賛同だなんて某国みたいだ。




どうなんだろねえ?


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追記(200805291533)


南部さんのブログに「都合の悪いコメントを削除してんじゃねえ!」というのがあったようだが、このようにアメブロが削除しているのだ。


おい、それを書いたお前、わかりもしねえでかいてんじゃねえ!

顔洗って勉強しなおして出直せ。

吐いた唾は飲めないぞ!

(と、まあこういう風に言われることもあるわけです。失敗は努力で回復できるものなのだが、失言で失脚してしまい沈みっぱなしになり気に病んでしまう事もあるので、毒づく前によく考えてから毒づきしなさいってことです(^^))



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追記2(200805291818)


これだけ多くのブログサービスがあるのだから、アメブロにはトラブル発生を未然に防ぐ良さ、また他の会社の良さ、いろいろある中で住み分けすることが最良の選択なんだろうね。


ここの24時間監視体制というのは弱小ブログや自作ブログでは出来ない仕事であるし。


今からしばらく地方出張なんで、頭を冷やしてもっと考えてみようと思う。


さっきコメント欄に書いてくださったコメントなんかは良い批判だったんだが・・・・・・・たぶん削除だ。


今まで批判コメント書いてくれてた人、すまんな、俺が削除してたんじゃないが、ここはそういうシステムなんだ。それはそれだと知った上でまた読んで文句を言ってくれ。皮肉じゃなくてそれが読めた時の偶然の出会いを喜ぶことにする。


アメブロに守られているという事を今回知ったことは大きい。


それと、炎上騒ぎで鬱病に関していろいろな苦しみを知れた。

川田さんの死は鬱病への理解度を世に広めた。

少なくとも俺一人分は鬱病の苦しみを考えた人が増えた。

新聞やニュースで目にして病気のことを知るよりも、自分でネットや本で調べると体に入っていくもんだな。

ネットでのやりとりは馬鹿にしたものではない。


2008-05-28 12:33:28

南部さんのブログが炎上騒ぎらしい・・・・・・・

テーマ:俺はこう思う

「南部さんのアメーバブログが炎上してる」

朝起きたら携帯電話にたくさんメールがきてた。
心配かけましてすいませんです、お気遣いありがとうございます。


どんなことを書いて騒ぎになったのか確かめようと南部さんのページへ見に行ったら、ブログはすでに削除されているようで読めなかった……。


ふむふむ。

報道は前後を切って目に付く一遍を切り取り煽るような書き方をするのが常だからなあ……でも読んでないから何とも言えない。


なんで削除したんだろ。

削除しなきゃいいのに。

南部を助けに行きたいが読めないからな……。


削除したという事は筆の滑りの自覚もあったのかもしれない。

でも、それはそれで批判を受ければ良いじゃないか。
言いたいことを、思ったことを素直に言えない状況になるのが一番の不幸だ。


南部さんは命を軽んじるタイプじゃないから、ネットでの文章表現方法で筆足らず、筆滑り、または皮肉屋だから何か読み手が読みきれずに癇に障る文章でもあったのかな、心配ではある。

まあ、予測で話してもしょうがないね。




「生きているって事は嬉しい事だぜーっ!」


南部さんがよく使う台詞なんだが、常々こう思っている人だ、川田亜子さんの命を軽んじた日記など書かないと思ってる。



・・・・・・・・・・・・・・


話変わって……。


ワタシは自殺をしようと悩んだことが無い。

人生や生き方に不安を抱いた時もあったが、力ずくでも、屁理屈でもいいから無理やりにでも死のうという方向に行かないようにした。

本当は、自殺をしようと悩んだことが無いと思い込んでいるのかもしれない、ものすごい力ずくで。


命は重いものだ。

命は与えられた人が楽しい事も辛いことも全部ひっくるめてその灯火が消えるまで背負うものだと信じている。


「半分楽しいこと、半分辛いこと、これが人生だ」


若者よ、逃げて良い、迷惑かけて良い、だから死ぬな。


こうなろうと願っていれば、そうなるように鍛錬すれば、近い未来には逃げない自分が出来上がる。

恩返し出来る時がくる。だから急ぐな。


あせるな、人生は長い。

体力は落ちるが心は死ぬまで成長できるのだから。

死んでしまうと恩返しが出来ないよ。



美貌と知性を兼ね備え憧れの対象であった川田亜子さんにも悩みがあった。人が羨む様な人にも悩みがあって当たり前、それが人生だ、半分は辛いことがあるんだ。当然楽しいこと良いこと嬉しいことも共にある。


大それたことが出来なくとも街を歩けば小さな幸せを手に入れることは出来る、その積み重ねはいつのまにか大きな幸せにふくらんでいる。人生はそういうものだと甘受して悲観せず鍛錬を怠らず生きていきたい、そう生きたい。その命にはまだまだ使いみちはある。


あせるな、人生は長い。




「半分楽しいこと、半分辛いこと、これが人生だ」


ワタシはこの言葉に助けられた。

この日記を読んでいる人の中に悩んでいる人がいて、もしこの言葉が少しでもワタシと同じ様にあなたの力になったとしたらブログを書いている甲斐がある。


川田亜子さんの死が、こうして改めて命について考える機会となり、自から命を絶とうとしている人が思いとどまるきっかけになりますように。


合掌。



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