先日の定演のプログラム

 

春の歌とウエストサイドは私が曲目紹介を書きました。

 

実は「春の歌」はもう一通りの曲目紹介原稿を書いていました。

 

どちらも私のこの曲への想いを記したものですが,プログラムに採用されたのが比較的一般的なもの,採用されなかったのは私の妄想爆発のものです。

 

自分の書いた分が500人のお客様に読んでいただけただけでも光栄ではあるのですが,

せっかく書いたので,もう一通りの妄想爆発曲目紹介も,ここにあげておきます。

 

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柔らかい光と温かな風,足元には小さな芽吹き

そう,北国フィンランドにも遅い春がやってきたのだ

だが,この春の訪れを一緒に喜んでくれるはずだった,大切なあの人はもういない。

 

普段は思い起こさなくなっているのに,こんなときふとあの人を思い出す

共に過ごしたあの頃,もっと一緒にいる時間を大切にすることはできなかったのだろうか・・・

後悔に似た哀しみが心の奥底から湧き出てしまう

 

しかし,そんな私の心と関わりなく,麗らかな光あふれる周りでは多くの命が生を謳歌している。

そんな春から目を背けていた時期もあったけれど,今はそれを美しいとも感じる。

哀しみと美しさを同時に感じる私の心は矛盾しているのだろうか・・・

 

いや,どちらも私なのだ

哀しみに悩む私も美しさを感じている私も,どちらも大いなる春の一部なのだ。

この春の生命の壮大さに想いが至ったとき,心の中に高らかな鐘の音が響き渡るのだった。

 

もう一度足元を見ると,そこに芽吹いた命はすでに力強く葉を広げている。

そして私も,もう一度歩み始める。

 

~これはシベリウス自身がこの曲に「春の哀しみ」という副題をつけていることからインスピレーションを得て私が書いた「春の歌」物語です。(今回のテーマが音楽と文学なので・・・)春の歌は哀しみからの再生の歌であり,生命の歌なのだと私は思っています。~