このところ、「自分の死を覚えよ」と言う意味のメメントモリについて考えている。
今日の結論は、死を覚えることは、愛を深めるということだ。
まず、イエス・キリストを考えよう。
キリスト教徒の人々は、盲目的信仰なので、おそらくイエスはいつでも人々を最大限に深く愛していたと、信じているだろう。
しかし、聖書はそのような固定化されたイエスを描いてはいない。
1:ヨハネによる福音書 / 13章 1節
さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
イエスは自分の死が近い事を預言的に知ったのであろう。その時から、弟子たちをこの上なく愛したと記述されている。
イエス・キリストでさえ、自分の死を覚えた時、愛情を深めたのだ。
私たち人間は、自分の死と直面した時、とても真剣に自分の生き方を考える。
残りの時間をどうすれば自分にとって有意義なものにできるかを考える。
イエスは愛を選択したのだ。
さらに、聖書を読むと、とても興味深い事が分かる。
この時に、イエスは弟子たちに今まで語らなかった事を語った。
34:ヨハネによる福音書 / 13章 34節 35節
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
キリストが弟子たちに愛し合うことがもっとも重要な掟であると教えたのは、自分の死を覚えた後だった。
この話の少し後に、イエスは十字架で死刑になる。その時弟子たちは、自分も同罪で処刑されるかもしれないと思った。自分の死を覚えたのだ。
その時のために、イエスは最後の掟を与えた。互いに愛し合えと。
話を変えよう。
東京の靖国神社の敷地内に遊就館がある。鹿児島の知覧には特攻隊記念館がある。どちらにも、特攻隊員の遺影や遺書が展示されている。
特攻隊と言うと、戦争における悲劇の代名詞のように使われる事がある。確かに彼らの物語は、涙を流さずにはいられない。
しかし、私は彼らを悲劇の主人公だとは思えない。彼らの遺書を、彼らの最後の気持ちを読んでみよう。
親兄弟への言葉。妻や子供への遺言。そこにあふれているものは、死を見つめた彼らの、深い愛情だ。
特攻隊が決まった後に、結婚をした隊員さえいる。
多くの人々が彼らの遺書を読んで涙を流すのは、彼らが単に短命だったからではなく、その残り少ない人生の最後に、心から愛情豊かな言葉を残せたからだ。
遺書から読み取れるのは、彼らがどのように死んだかではなく、どのように生きたか、どのように愛を伝えたかなのだ。
メメントモリ。あなたの死を覚えよ。