毎年、生誕○年や没後○年というメモリアルでフェアが様々な形で行われる。今年のメモリアルはとにかく古い。モーツアルト生誕250年、モンゴル建国800年、そして坂口安吾生誕100年。3桁のメモリアルは人生の中でそうは出会わない。関係者はこぞってイベントを行う。この機会に読んだり、興味を持ったりすることは、後世に歴史や作品を語り継いでいくためにも非常に意味がある。

 今年特に注目したいのが、100というメモリアルの中でも最も盛大に祝うべき年を迎える坂口安吾。生誕100年。10月は坂口安吾賞を発表して、一番の盛り上がりをみせることだろう。安吾ゆかりの新潟、群馬、東京の各書店はおそらく必須のブックフェアになるにちがいない。そこで、膨大な坂口安吾の作品や安吾論を読んで、文豪坂口安吾の再評価してみたい。

坂口 綱男
安吾のいる風景

 生誕100年に長男の綱男氏がこれまで新潟日報と桐生タイムズでの過去の連載をまとめたフォトエッセイを出版。加筆修正があるそうだが、綱男氏は2歳のときに安吾と死別、父親と同じ作家の道を歩まず、写真家となる。安吾が生まれた新潟を訪れるが、本人にとっては生まれたところでも育ったところでもない。さらに年齢も安吾の年を越えているといった、非常に複雑な心境で書きづらさを文章から感じる。その綴られた父・安吾との記憶もほとんどは母親の三千代から聞いた話。それでも父親がたどったであろう海岸やバーで、父親の存在を感じ、郷愁の念からたびたび安吾路を訪れる。綱男氏の文章から安吾の血筋を引いているとは感じられないが、本職の写真1枚1枚から無頼派の安吾の面影を感じとれるのは私だけだろうか。
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