小学生の頃、よく日曜の朝に母が奇妙な歌声の入ったゴルトベルク変奏曲をかけていた。
それがグレン・グールドだった。

当時私はバッハがあまり好きではなかった。エチュードとして弾いていたインベンションとシンフォニアは、浪漫派以降の音楽と違って単純で装飾がなく、演奏者の不正確さが露顕する。神経のいる曲であり、退屈に思えていた。

しかしグレン・グールドの弾くバッハは好きだった。目が覚めるほど音がクリアで美しい。音のつぶがはじける、というのだろうか。ノン・レガート(音と音のあいだをつなげない奏法)だけではない何かがある。

ドキュメンタリー映画、『グレン・グールド 天才の愛と孤独』を観て、その感覚が蘇った。

映画の中で、グールドと指揮者のレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルの演奏会でブラームスのピアノ協奏曲1番で共演したときの映像が出てくる。演奏前にバーンスタインが聴衆に向けて(ユーモアを交えて)、“この曲のテンポや強弱の設定においてグールドと相違があったが、今回はグールドに従う”、という趣旨のステートメントを出したことで有名な演奏である。

バーンスタインはこう続ける。

"In a concerto, who is the boss; the soloist or the conductor? The answer is, of course, sometimes one, sometimes the other, depending on the people involved.
(中略)
Then why, to repeat the question, am I conducting it? Why do I not make a minor scandal -- get a substitute soloist, or let an assistant conduct? Because I am fascinated, glad to have the chance for new look at this much-played work; Because, what's more, there are moments in Mr. Gould's performance that emerge with astonishing freshness and conviction. Thirdly, because we can all learn something from this extraordinary artist, who is thinking performer... "

(意訳をしてみます↓)
コンチェルトにおけるボスは誰なのか?ソリストなのか、指揮者なのか。
その答えはもちろん、ある時は指揮者であり、ある時はソリストであり、かかわる人によって変わる。(中略)
ではなぜ私は今回この(グールド流の)ブラームスを指揮するのか?なぜソリストに代役をたてる、或いはアシスタントの指揮者※に任せるという選択をしなかったのか?それはこれまでに何度となく演奏されてきたこの曲を、新たなスタイルで演奏することに興味を掻き立てられたからである。グールド氏の演奏には驚くべき新鮮さと信念がある。そしてここにいる全ての人たちが、この類まれな才能を持つ思慮深き芸術家から、何かしらを学ぶことができるはずだ...

***
こうして異様にテンポの遅いピアノ協奏曲が始まる。
グールドはテンポを自在に操る。先入観を持たずに聴くと、美しい旋律が際立つ場面に気付く。

さらに身近な例で言えば、1970年に録音されたモーツァルトのトルコ行進曲もそうだ。苛立つほどゆっくりしたテンポで始まる。当然、評価は賛否両論。しかしトルコの軍楽隊が舞いながら行進した情景を思い浮かべるとどうか?本当に遅いのだろうか。

こうしてグールドの演奏(・言動)はいつも聴く人に問いを提起する。彼は何を伝えようとしたのか?
この哲学的な演奏家のメッセージを探す旅は未だ未だ続きそうである。


※あとで分かったことだが、このときのアシスタント指揮者とは小澤征爾さんだった。


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*photograph by Takato Kaburagi
フェズの狭い路地には車が入れず、至る所でロバが活躍している。


アフリカ大陸の多くの地域に通じることだと思うが、モロッコではお金を払う多くの場面で交渉が必要になる。

深い青(フェズブルー)が特徴の陶器、革製品など伝統工芸が盛んなフェズでは、スーク(市場)で少し買い物をした。
最初に入ったのはバブーシュ(スリッパ、スリッポンのようなもの)屋さん。店員さんは非常に丁寧に対応してくれる。

店主 「店頭にあるもの以外にもたくさんあるから何でも言って。」
私 「じゃあデザインはこれと似たような感じで、つま先に大きな刺繍があって、色は白か淡いオレンジ、革のみで紙を使っていないもの・・・。」

イメージだけはしっかりあったので比較的早く買うものが決まった。

さて、値決めの時間である。店主 「幾らで買う?」
ガイドブックにはざっと600円~800円と書いてあったが、事前に現地ガイドさん(フェズのメディナは迷路のようなので現地ガイドさんをお願いした)に聞いてみると、その値段では買えないかもよ、と言う。そして実物を見て、確かにこれが600円~800円は安すぎる、と思った。

はて、私はどうやって値段が高いとか安いとか感じているのだろうか。
モロッコの一人当たりGDP(PPP)は日本の1/6で、ここは大都市だから・・・とはやらない。それよりも日本で売られている革のスリッパ、無印良品などで見る普通のスリッパ、イメージするバブーシュの値段と比べて、バリューを見極める。

旅先での値段交渉では単純に値段を叩くのではなく、これならば自分がバリューを感じるという値段で買えばいい、というのが私なりのやり方である。実際に幾らで買ったかはご想像にお任せするとして、買ったあとに店主さんがこっそり耳打ちしてくれたのは「あなたの前に来た日本人は4倍の値段で買ったよ。」ということだった。(スミマセン)

こうしたお土産品に対する“プレミアム”はどこから来ているのだろうか。
それは商品を買うまでに見た景色にバリューを感じていることもあるだろう。(例えばフェズであればスークに着くまでに見る職人の方たちの働く姿など。製品ができあがるまでのストーリーの一部を見ているようなもの。値段交渉も一種のエンターテイメント。)それから、旅費ですでに大きな金額を支払っているためにお土産の金額はたいしたことない、と感じる心理もあるかもしれない。(結婚式の費用を支払った後の、式で使うお花代もこれと同じではないだろうか。或いは車を買った後の車のオプション。)

では、商売をする側にとっては交渉で値決めするのと定価を設定するのとではどういう違いがあるか。交渉であれば前述のように思いもよらない高値で買い取ってくれる人もいるだろう。しかしインターネットの発展により消費者が持つ価格についての情報量はずっと増えており、消費者の警戒心は高まっている。投資計画も立てにくい。であれば長期に渡って“それなりの”利幅をのせた料金で売り続けられる方がより良い。“それなりの”と書いたのは高い値段の商品を売り続けるビジネスに対しては私も!私も!とたくさんの人たちがそのビジネスに入ってくるからである。(もちろん、市場が小さい、政府による独占が許されている、などの例外もある。)

更に言えば、買うならこのブランド、というのが確立しているといいだろう。
アメリカの某大手ヘルスケア企業の方に、「製品の値段てどうやって決まるんですか?」と聞いたときのことを思い出す。その人は最もらしい幾つかの理由を挙げたあと、最後に「コレです、コレ。」と言って“名刺のロゴ”を指さしたのだった。


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モロッコ旅行記7. The Sahara-2.

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本当の意味での「暗闇」というものを、私はサハラで知った。

音だけが聴こえて、何も見えない世界。

***
夜が深まったころ、2畳ほどの小さなテントに移動した。
あいにくの天気で星も見えない。諦めて朝日を楽しみに眠りにつくことにした。

テントのライトを点けて一番初めに目に入ってきたのは、カエルだった。

ガマガエルくらいの大きさで、色は白っぽく模様がない。まさか沙漠でカエルを見るとはね、と思いながらバッグの中からごそごそと軍手を出し、そっと近づいて人間でいう肩甲骨の横あたりを3本の指で掴んだ。カエルはおとなしくしている。そのままそっと外へと出した。

これで安心して眠れる・・・そう思ってマットレスの上に横になってウトウトとし始めたとき、今度は顔に水滴がぽたり、ぽたりと落ちてきた。再び雨が降り出していた。雨はどんどん強くなる。

冷たさにすっかり目が覚めて絨毯のようなテントの扉をめくり外を覗くと、そこに広がっていたのは本当の意味での暗闇だった。隣のテントすら見えない。人間の眼で見えるのはただただ暗闇で、雨の音だけが聴こえる。足を一歩踏み出すことすらためらうほどの暗さである。




翌朝、ニワトリの鳴き声が聴こえ、かすかにアザーンの声も聞こえた気がして目が覚めた。テントから出てみると薄暗い中に白いらくだの姿がぽっかりと浮かんでいる。

5:50、みんなでテント前に集合して朝日を見るためにテント裏の大きな砂丘に登る。一歩足を出すごとに柔らかな砂の中に深く足が沈んでいくのを感じながら、上へ、上へと登っていく。


砂丘の上からは、拝みたくなるような朝日を望んだ。それは心のやすらぐ崇高さであり、純粋な感動を覚えた。
朝日に照らされて、次第に風紋が明らかになっていく。風に合わせて自由自在に変化するその風紋をじっと見つめ、私は二度とないこの“最初の感動”を全身で感じた。




パンにジャム、ミントティーのあまい朝食を済ませたあと、ふたたびラクダに乗ってメルズーガへと戻る。昨夜の嵐が嘘のように、沙漠はだんまりを決め込んでいた。朝日に照らされて金色に輝く砂の波は、とろりとなめらかである。

空は限りなく広く青い。
ここで味わったこの景色と空気、そして沙漠の雨の夜を過ごしたポルトガルの人々のことは、この先もずっと忘れ得ないものとなるに違いない。

ゲーテがスイスを旅して書いたように、一度見知った人や場所は一生涯私たちの関心から離れないのが旅の最高のうれしい徳なのであろう。





モロッコ旅行記6. The Sahara-1.

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*photograph by Mr. Takato Kaburagi

らくだに乗り始めておよそ30分、休憩をとっていたポルトガル人4人のキャラバンに合流した。再びラクダに揺られて1時間が過ぎ、あたりがすっかり暗くなり始めた頃、嫌な感じの強い風が吹き始めた。

舞い上がる砂にネックウォーマーを鼻まで引き上げる。砂で目を開けていられないので慌てて帽子を取り出して深くかぶり、つばで目を覆う。

そして次の瞬間、閃光が走り、数秒置いて鈍い低音が響いた。
雷だ。

遮るものが何もない、沙漠のなかでの砂嵐と稲光をご想像いただきたい。
逃げ場はない。らくだサマ、がんばって!と祈るのみである。
雨も降り始め、まさに嵐。
怖い。

しかしらくだに慌てる様子はない。
その姿を見ているとどこか冷静になり、「さすが紀元前からサハラにいるだけあるわ」、とよくわからないことを考えた。いや、でも怖い。

空に閃光が走るたびに ― 感覚としては空だけでなく地も瞬間的に強い光を放つのだが ― それにドキリとしながら約30分、ようやく羊とラクダの毛で編んだテントが並ぶキャンプ地へと到着した。

大きなテントの中には既に5人が暖をとっていた。結局そのテントにいたのは7人のポルトガル人、アルゼンチン人(ポルトガル語可)とモロッコ人のパリ在住カップル、そして日本人である私だった。食事や案内をしてくれるベルベル人(先住民族)はポルトガル語で話す。それを一人がモロッコ人のためにフランス語に訳し、数人が私のために英語に訳してくれるという状態で会話した。

それでもみんな唯一のアジア人である私に配慮して英語で話しかけてくれる。

同年代と思われるポルトガル人の女の子:「わたし日本のアーティストの歌が好き。」
わたし:「へぇ!誰?」
彼女:「A・N・ZEN・CHI・TA・I」
わたし:「・・・(しぶい!)・・・なぜ?」

食事のときに隣に座っていたのは彼女のご主人だった。

彼:「何の仕事をしているの?」
わたし:「投資です。云々・・・。」
彼:「へぇ!僕も似たような業界にいて富裕層向けに金融商品を販売してるんだけど、今ヨーロッパがこんな状態で商売にならなくて。だから思い切って休みをとったんだ(苦笑)。」
私:「・・・なるほど。。それは一つの手かも。」

Landscape Architect
Jurist
Veterinarian
Therapist
Computer Scientist
Physics Researcher (Space)
Private Banker...

職業も国籍も違う、普段の生活では全く接点のない人たちと一緒にいる不思議。

固いパンとタジン鍋の簡単な夕食を終えると、雨のやんだ外から太鼓の音が聴こえてきた。
テントを出て外に出ると3人のベルベル人が砂に絨毯をひき、音楽を奏でていた。そして一人が音に合わせて踊りだし、それに続いてみんなで音を奏でている二人の周りを踊りながらぐるぐるまわる。しばらくすると誰かの手拍子がずれて音楽は混沌とし、みんなクスクス笑い出した。


ひとしきり踊ってテントに戻ると一人のベルベル人が入ってきてクイズを出してくれた。

Q: 藁を何本か使って牛を描き、2本動かして顔の向きを変えるには?
Q: あるところにいた20人の兄弟は、そこを出ていくたびに死んでしまう。なぜ?

あるクイズが妙に印象に残った。
「らくだを3段階で冷蔵庫に入れるには?」

その答えは①冷蔵庫の扉を開けて、②らくだを入れて、③扉を閉める、というある意味突拍子もない答えで、みんなキョトンとしてしまった。頓知はどこへ?ベルベル人の彼は顔色一つ変えない。

でも、ふだん知らず知らずのうちに複雑に考えてしまう癖がついているのかもしれない。

ランプに照らされたベルベル人のターバンとジュラバの姿、サハラの空気はそう思わせるのに十分なほど神秘的だった。