アイヌ・沖縄、そして韓国7-6 | だるま親雲上日日記

アイヌ・沖縄、そして韓国7-6


だるま親雲上日日記-アイヌ・沖縄、そして韓国7-6

 朝鮮においても、国内での政争、これに日・露・清の三国干渉(写真:ビゴー画『三国干渉』)などが絡み、混乱を極めます。いうならば、これから一抜けしたのが日本であり、1910年の日本でいう日韓併合へと結び付きます。

 独島が1905年、国際法に鑑みて合法的に日本へ編入されたというのは、まさに朝鮮が混乱している最中のことであり、虎視眈々とその本体が狙われている状況の下だったのです。

 そして、1945年8月15日、光復を迎えるまでの間、韓国は、日本の植民地として支配を受けることになりました。

 その間に韓国の人々が被った虐待は、いうまでもありません。1つだけ沖縄で事例を挙げておきます。

 第2次世界大戦末期の沖縄戦により、この地で落命された韓国人の総数は、未だに不明です。軍人として亡くなった方は、386人。しかし、炭鉱労働者、軍属、慰安婦として亡くなられた万余の方々は、ほとんどわかっておりません。

 糸満市摩文仁には、そのような方々もお祀りするために韓国人慰霊塔があります。しかし、平和の礎に刻銘されているお名前を数えて見て下さい。大韓民国、そして朝鮮民主主義人民共和国のところを。

 1952年1月18日、ときの韓国大統領李承晩氏は、海洋主権宣言に基づいて軍事境界線を引きます。独島は、当然そのラインの韓国側に位置しています。

 そして翌年4月には、鬱陵島の青年達が独島守備隊を結成し、さらに1954年6月には沿岸警備隊が駐留しています。

 独島が日本の領土というのであれば、この年の7月に設立された自衛隊を派遣して、韓国の沿岸警備隊を排除すべきではなかったのでしょうか。なぜならば、自衛隊は、

 「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」

として設立されたのですから。

 直接日本の版図である竹島が侵略を受けたにも関わらず、それを排除しないということは、取りも直さずそこが日本ではない、韓国の独島だと認めていたことを意味しています。

 だからこそ、韓国との間には、領土問題は、存在しないといえるのです。

 あくまで大雑把ですが、独島が日本領と素直に首肯できない経緯の一端です。