文字ワールド and 絵本・イラスト and いまさら写植。なおさら写真植字。

文字コミュニケーション。文字、絵本、タイポグラフィ、デザイン、イラストレーション、写植(写真植字)他あれこれ、、。
マニアックすぎるブログも多いです、、、。


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思い出のポスターです。



「林」と「森」の2文字だけで、
すごい!!! 強烈な印象でした。
わっ! こんな表現ができるんだ。
絵やイラスト、写真を使わなくてもポスターが出来る。



発表されたのは、1955年(昭和30年)か1956年だそうですが、
当時私めは学生でして、タイポグラフィなんて言葉も知らない時代です。
ラーメンやコーヒーが50円か60円だったとか。

文字コミュニケーション-yama


山城隆一(1955年)
植林運動のための試作ポスター



写真植字(以下:写植)で作られたと知ったのは、随分に後のことです。
ちなみに、私の初任給は、13,800円だったかな。
ハイボールが80円。電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョンが「三種の神器」と呼ばれ、
主婦の憧れだった時代のことです。

当時は、まだ活版印刷の全盛時でやっとオフセット印刷が普及しだした頃。


ダヴィッド社の小針さんからのうろ覚えですが、
「大塚にあった写真植字機研究所(現:写研)の印字部へ、


山城さんのラフをもとに印字してもらたんだよ」と。



よし、こんなのなら出来るわいと生意気にも、
「写植教室」(写研の機械を買ったお客さんに確か1ヶ月の実習コースで操作基本を教える)で、
SK-3RY(エスケー・サンアールワイ)という手動写植機の実習に参加。
「林」や「森」のほかに「木」も加えて、
似て非なるものを印字して遊んでいたこともはるかな昔、、、。



杉浦康平氏は、この頃のことを次のように振り返る。



「日本におけるタイポグラフィが芽生えたのは、昭和30年(1955年)から31年にかけてである。
それまでは、文字が表現主体になることはあまりなくて、絵の一部分としての文字であり、それも今でいうレタリングで、一字一字デザイナーが書いたものである。
日宣美の公募作品を見ても、まさにポスターショウといってもいいくらいだった。
集合体としての文字への関心ではなくて、カットの延長として文字をとらえていたのだ。
それが、アイキャッチャーとしての文字を創り出し、同時に従来の活字に代わって、
写植文字を使うようになったのが30年の山城隆一の”植林運動のための試作ポスター”である。林と森という明朝体を使って、文字の形象性を表現したことが、当時の若いデザイナーに大きなヒントを与えたのである。
また、商業美術印刷物の需要の増大にともない、
それまでは素人の領域であったパンフレット類にもデザイナーの眼が向くと、段々と文字が注目されるようになった。
しかも、写植だと変形レンズを使えて、何となく風通しがいいということで、


たいがい正体ではなく、平体や長体とか斜体といった表現上の新しさを注目したものである。
こうして段々と活字にない使いやすさを写植に認めるようになってくると、
ドイツやスイス系のタイポグラフィの影響を受けて、ワードとして、しまった漢字をどう日本の文字にも出すかかということで、つめ貼りが始まるのである。
たしか、32年ごろだったと思うが、粟津潔や細谷巌らと日宣美展への作品公募の準備をしていた時に、
字間を詰めることを始めたと記憶している。
35年ごろに制作したものを見ると、完全に文字を詰めてあり、それが一般的になった。
活字を使わなくなったのもこのからで、書き文字にしてもその手本は写植文字になったのである」



(株式会社写研『文字に生きる』・昭和51年発行から引用)



さてさて、そのSK-3RY


明朝体とゴシック体の基本2書体がついて、36年当時で83万円。自動車が買える値段でした。
・文字のサイズは、7Qから62Qまでの20種類。
昭和55年まで製造され、写研のベストセラー機だったようです。
多くの写植専業者が台頭しました。


文字コミュニケーション-3ry


上:SK-3RY



いまさら写植。なおさら写真植字。-injika




なんといっても写植の素晴らしさは、
大正14年(1925年)の試作第1号機から採用したメートル法。
ちなみに、


(活版:号数・尺貫法)


(英語圏:ポイント法)でした。


1級(Q)=1歯=0.25mm



図のように、歯車の1歯分が、0.25mm。200歯で1回転しました。


カリカリ、ガチャン、ガシャ、と水道橋、飯田橋、神田あたりで耳にしたものです。





いまさら写植。なおさら写真植字。-3r

机上文字盤といっていたもので、その一部。拡げると机いっぱいの大きさ。


これで採字の練習をする。



文字コミュニケーション-kyousitu


『改定版・写植教室』B5上製本。
176ページ。日本印刷新聞社発行。初版:昭和40年(1965年)。
本書は、昭和51年(1976年、改定版4刷)。著者、布施茂、森啓、宮下康、新井芳雄、青山巌雄、平出壽。
写植のバイブルともいうべき書籍で、写植の歴史から、割付計算、全自動写植機他、
当時の最先端技術が網羅されています。




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