先に、1964年の東京オリンピックのときに創刊された『平凡パンチ』に関連した内容をお知らせしました。今回は、その後に創刊された雑誌の『週刊プレイボーイ』に関連して。
どの業界でも拮抗するライバルメーカーとの新製品の開発競争で新たな進展が見られますね。雑誌の世界でも、1964年の『平凡パンチ』平凡出版(現・マガジンハウス)についで、
集英社が1966年に発行した男性向け週刊誌が『週刊プレイボーイ』。ちょうど、ビートルズが登場した時代。その後、両者のほか、講談社、小学館他出版社でも雑誌の創刊があいつぎました。そして、1969年には、「タイポス」という名称の新しいデザインの「かな書体」が発表され、雑誌や広告、印刷などの世界で大きな影響をおよぼしました。





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雑誌は時代の鑑といわれ、時代の息吹きと世相を敏感に感じ取り発行されてきました。東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)発行の『平凡パンチ』。大学卒の初任給が21,200円。1ドルが 360円の時代。東京五輪が開かれる年という高度成長期の真っ最中。団塊世代後のファッション・情報・風俗・グラビアなどを取り扱う週刊誌として、それまでに発行された雑誌とは異なった新しい切り口での創刊。1966年には発行部数100万部を突破。表紙のイラストは大橋 歩。銀座にある「みゆき通り」を「アイビールック」で埋め尽くす「みゆき族」を表現。当時は、活版印刷が主流。紙質も悪く、写真を掲載するカラーページの印刷もまだまだ現在ほどに技術が進んでいないころです。
この『平凡パンチ』の発刊を期に、1970年代に女性誌の草分けとなった『an・an』をはじめ、『ポパイ』『ブルータス』『クロワッサン』『ノンノ』他の雑誌の創刊ラッシュ時代を迎えています。オフセット印刷技術・画像処理技術の進歩、写真植字システムの普及と新書体などもあって、印刷・出版業界が大きく変貌していく時代になりましたね。


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本を観る、読む、触れる楽しさの一つが、気に入った装丁に出会ったとき。ブックデザイナーの平野 甲賀さん(1938年 - )は、これまで約7,000点近い作品(ポスターや装丁を中心に)を手がけてこられ、そこで使う文字はほぼ全て、手描きによるもの。「僕の描き文字の原点には思い出のような、物語を浮かべる記憶があるのだよ」という描き文字の本に出会うと、音を伴って語りかけてくるような気になります。数多い椎名誠著の装丁から、えい、と、描き文字だけで構成されたものを。イラストや写真につい頼りすぎなデザインとは違って、これだけで最高、、。そして、別掲でポスターや著書の一部を。






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