第二幕

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 数日後の夜の事だった。街の北の森に近づく、一つの影があった。その影は周囲を気にしながら、明かり一つ持たずに森の中へと入っていった。
 森の中は、樵や猟師が使う道があったのと、月の光が煌々と降り注いでいたため、思ったよりも暗くは無かった。だが、その影、マックスの心中は不安で満ち溢れていた。だが、それでも、マックスは森の奥へと進んでいった。そうせざるを得なかったからだ。
 クーノー将軍と会った次の日から、いつにも増してマックスは鍛錬に勤しんだ。が、調子が上がらない。むしろ、以前より、悪くなったように感じられた。
 どうすべきかわからず、マックスは悩み続けた。夜も、あまり眠れない。
 その日の夜も、マックスは長い間寝付く事ができなかった。アガーテの事、クーノー将軍の事、戦の事、そして、カスパールから聞いた魔法の矢の事。色々な事が、マックスの頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんでいった。
『マックスなら、いつか必ず、お父様も認めて下さるわ』
 アガーテの言葉が浮かぶ。その言葉は、マックスにとって嬉しい物であったが、それ以上に重苦しい物であった。
『功は急いで得る物ではない。君を見ている者は、ちゃんと見ている』
 将軍の言葉。マックスはわかっていた。功を急いでいる事、そして、焦るあまり空回りしている事を。
『その矢は、ただ射さえすれば、必ず標的に当たるらしい』
 カスパールの言葉。それが最もマックスの頭の中に、大きく響いた。
(そんな矢が、本当にあるのか?)
「本当にあるのなら……」マックスは右手を伸ばし、見えない矢を握り締めた。
 その後、マックスは静かに兵舎を出た。目指すは、北の森。カスパールから聞いた噂話を完全に信じたわけではなかったが、今のマックスにはそれに縋るしかなかったのである。

 森の中を歩いていたマックスは、ふと、道を外れて暗い多くの木々や草が茂る中へと分け入っていった。まるで、何者かに操られていくように思えたが、それでもマックスは躊躇わず足の赴くままに森の奥へと進んでいった。
(もし、悪魔に呼び寄せられているのだとしたら、逃げるわけにはいかない)
 先ほどまで歩いていた道とは違い、月の光も届かない。だが、なぜか、マックスは木の根や石などに足を取られる事が無かった。
 突然、マックスは開けた場所へと辿りついた。その場所が先ほどの道よりも明るく感じられたため、マックスは頭上を見上げてみた。そこには、月があった。
「私の矢が欲しいのかね、マックス?」突然、背後で何者かの声がした。
 思わずマックスは背後を振り返り、後ずさった。が、そこには、何者もいなかった。
「だ……」マックスは何者か問い質そうとしたが、声が出ない。いつの間にか、喉がからからに渇いていた。
(悪魔なのか? だが、なぜ、僕の名を知っている?)
「名前を知る事など、造作もない事。人ではない、私にとってはな」再び、声が響く。
 その声に、マックスは背筋が凍る思いがした。全て見透かされている、そんな恐怖に囚われる。
 と、マックスは足元に何者かの影が伸びている事に気づいた。月が真上にあったはずなのに、その影は長々と伸びていた。そして、その影には角のような物が生えていた。
「どうした? 矢が欲しいのではないのか?」嘲笑うような声。
「そう……、だ」マックスはやっとの事、それだけを告げた。恐怖のあまり、振り返る事もできない。
「そうか。くっくっくっ。私は君のような人間が、嫌いではないよ」
 マックスは黙っていた。喉が乾いて声を出すのも苦しい事や恐れもあったが、それ以上に、悪魔の声の下卑た調子に、虫唾が走っていたのである。
「私の相手をするのも、嫌だと言いたそうだな。悪魔の力を借りねば、女一人、物にできぬくせに」
「くっ!」その悪魔の声に、マックスは思わず両手を握り締めていた。が、殴りかかろうにも、振り返る事ができない。
 と、視界にいつの間にか、矢の詰まった矢筒が入っていた。それは、さっきまで無かったはずの物であった。
「持って行け。使うかどうかは、君次第だがね」悪魔の挑発的な声が響く。
 マックスは恐る恐る、矢筒へと近づいていった。遠めに見た時、矢筒は極普通の物に見えた。すぐ側まで来ると、やはり、矢筒は普通の物に見えた。ただ、矢筒に入っていた矢だけが異様だった。
(なんだ、この色は?)
 矢は、まるで、闇のように黒かった。マックスが試しに一本抜いてみると、その鏃すらも、黒く輝いていた。
(この矢なら、誰が仕留めたのか、一目瞭然だな)
 矢をしまうマックスに、笑みが浮かぶ。それは、新しい玩具を貰った、子供のようであった。
「マックス、一つ予言をしよう。君が最後に放つ矢は、最も憎む者に当たるだろう」最後に、そう悪魔の声がしたが、マックスにはその意味が解からなかった。

 次の日、マックスはその魔法の矢を試射してみた。まず、普通に的目掛けて矢を放つ。すると、矢は狙い通り、的の中心を射抜いた。
 そして、数本試した後、マックスはふと意識の上では的を狙いつつも、わざと矢を向ける方向を外して構えた。そして、一つ深呼吸をすると、マックスは矢を放った。
 当然、矢は的を外れて飛んでいく。が、突然、矢の向かう方向が変わり、まるで、吸い込まれるかのように、矢は的の中心へと突き刺さったのである。
「よし」それを見た、マックスがほくそ笑む。
 そして、マックスは一息入れると、今度は普通の矢を取り出し、いつものように鍛錬に勤しんだ。気が楽になったためか、以前の調子の悪さが嘘のように、的を射抜いていった。
「調子が良さそうだな」と、マックスに声をかけて来る者がいた。カスパールである。
「ああ。大分、調子を取り戻したようだよ」マックスがそう、笑顔で答える。
「そうか。それは、良かったな。私はてっきり……」と、そこまで、カスパールは言うと、マックスの耳に口を近づけた。
「噂の悪魔から、魔法の矢でも貰ったんじゃないかと思ったよ」
 そのカスパールの言葉に、マックスの笑顔が凍りついた。が、カスパールはその事には特に気にもとめず、にやりと笑った。
「はは。冗談さ。本来の君の腕の良さは、私も良く知っている」カスパールはそう言うと、マックスの背中を軽く叩いた。
「次の戦での後方支援。期待してるよ。じゃあ、私も素振りでもしてくるかな」カスパールはそう言うと、マックスに手を振って去っていった。
 その間、マックスはカスパールと眼を合わせる事ができなかった。悪魔に力を借りたと言う後ろめたさが、マックスの心に重く伸しかかっていた。
 その後、マックスはカスパールにもアガーテにも会う事もできぬまま、戦の日を迎えたのであった。

 戦が始まった。魔法の矢を持っている事で、マックスにはこの戦で活躍できる自信があった。が、一抹の不安もあった。
「当たれ!」その不安を捻じ伏せるように、マックスが矢を放つ。矢は狙い違わず、遥か遠くの弓兵の顔を貫いた。
「……っ!」それを見たマックスは、思わず声を失った。
(当たっ……、た)
 安堵の息を漏らす。が、すぐに今が戦の真っ最中である事を思い出し、マックスは慌てて次の矢に手をかけた。
 勿論、その矢もマックスが狙った敵兵を射抜く。思うように敵を倒せる快感は、マックスを急かしていった。
 矢継ぎ早に矢を放つ、マックス。そして、その全ての矢が敵兵に致命傷を与える。敵兵の中には、マックスの矢に気づき、避けるなり打ち払うなりする者もいた。が、矢は避けた方に向かって方向を変え、打ち払おうとする武器を擦り抜ける。
 時に、マックスは敵味方が錯綜する方向へも矢を放った。が、その矢が味方に当たる事は無かった。
 しばらくして、マックスの活躍もあってか、戦況は圧倒的に優勢になってきた。しかし、それでも、マックスは休む事も無く矢を放つ。やがて、黒い魔法の矢も残りわずかとなっていった。
(そうだ。敵将だ。敵将を倒せば、確実に将軍も認めてくれるはず)
 マックスはそう考え、戦場を見渡した。そして、戦場で必死に士気を鼓舞している、敵将と思わしき者を見つけた。
「よし!」すかさず、矢を引き抜くマックス。が、それが最後の矢である事に、マックスは気づきもしなかった。
 矢を構えるやいなや、マックスは矢を放っていた。その矢は最初のうち、真っ直ぐに飛んでいた。が、突然、矢がありえない角度に曲がった。
(え……?)
 何が起きたのか理解できず、マックスはその矢を眼で追った。最後の魔法の矢が、そのマックスの背後の方へと飛んでいく。
「そんな馬鹿な!」思わず叫び、マックスが振り返る。その直後、マックスは信じられない光景を見たのであった。
 しばらくの間、マックスはその光景を凝視したまま、身動きできなかった。いや、それはマックスだけでは無かった。その場にいた、誰もが同じ状態だったのである。
 その時、何者かの声が辺りに響いた。
「マックス、何と言う事を! いくら、恋人との中を反対されていたとは言え、クーノー将軍を殺すとは!」その声を、その場にいた全ての者が、はっきりと聞いていた。が、それが誰の声だったのかは、誰にもわからなかった。
「嘘……、だ」マックスが呆然とそう、呟く。
『君が最後に放つ矢は、最も憎む者に当たるだろう』
 悪魔の言葉が蘇る。瞬間、マックスは我に返り、大きく首を振った。
「違う! 僕は尊敬こそすれ、将軍を憎んでなどいなかった!」マックスは叫んだ。だが、その叫びは周囲の喧騒に掻き消えてしまった。

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第一幕

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 人気の無い木陰で、二人の男女が寄り添っていた。男の名は、マックス。そして、女の名は、アガーテと言った。
 二人は愛し合っていたが、アガーテの父親がそれに反対をしていた。そのため、二人は人目を避けて会うより他は無かったのだ。
「お父様さえ、許してくれれば、こんな風に隠れて会う必要も無いのに」アガーテが若干、周囲を気にしながら、そう呟く。
「ごめん、アガーテ。僕が将軍に認められていないばかりに」その呟きに気づき、マックスの顔が曇る。
「マックスの所為じゃないわ」アガーテが、慌ててそう否定する。
「全部、お父様の所為よ。分からず屋なんだから」そして、口を尖らせて、そう言った。
「そんな事を言ってはいけないよ。君の父、クーノー将軍は素晴らしい方だ。将軍がいるから、この街は今も平和でいられる。それに、将軍は君の事が心配だからこそ、厳しい事を言うんだ」そう諭すように言うマックスの表情は、まだ、曇ったままだった。
「ごめんなさい、マックス。わかってはいるの。でも……」
「ああ、謝らなくて良いんだ。それに、謝るのは僕の方だ。功を立てて認めて貰おうにも、この頃の不調の所為で次の戦からも外されてしまった、不甲斐ない僕の方のね」マックスはそう言うと、深い溜息をついた。
「マックス……。ううん。大丈夫よ。マックスなら、いつか必ず、お父様も認めて下さるわ。だって、あなたは私の愛した人だから」アガーテがそう、慰めるようにマックスの手を両手で握る。
「ありがとう、アガーテ」マックスは少し照れたように言うと、優しくアガーテを抱き締めた。

「マックス!」アガーテと分かれて帰路へとつくマックスに、一人の男が笑顔で声をかけた。
「カスパールか。どうかしたのか?」その人懐っこそうな笑顔に、多少暗く沈んでいたマックスも思わず笑顔になる。
「クーノー将軍がお呼びだ」カスパールはそう言うと、親指で背後を指差した。少し遠いが、その指の方向に、敬愛するクーノー将軍、そして、最愛のアガーテの住む屋敷がある。
「将軍が?」それを聞くと、マックスの顔から笑顔が消えた。
「きっと、朗報だと思うよ。だから、そんな似合わない暗い顔は止めて、胸を張って行くんだ」カスパールがそう、笑顔でマックスの背中を叩く。
 すると、マックスは苦笑し、少し笑顔を取り戻した。そして、お返しとばかり、カスパールの背中を同じように叩く。
「ありがとう。じゃあ、行くよ」
 そして、マックスはカスパールに軽く手を振ると、背を向けて歩き出した。その背中を、カスパールは静かに見送った。

「失礼します」マックスはそう言うと、ゆっくりと扉を開いた。
 部屋の中には、一人の初老の男がいた。その男は威厳に満ち溢れ、静かにマックスの一挙手一投足を見つめていた。
「どのような御用件でしょうか、クーノー将軍?」緊張しているのか、マックスの表情は硬かった。
「そう、硬くなるな。別に、娘との事で呼んだわけではない」
 クーノー将軍にとって、その台詞は冗談のつもりだった。が、マックスにはあまり冗談にはならなかったようで、さらにその表情を硬くした。
「ふむ。今のは、あまり面白い冗談ではなかったか?」将軍はそう言うと、苦笑した。
「い、いえ、そうではありませんが。も、申し訳御座いません」マックスが慌ててそう、否定する。
「まぁ、良い。君を呼んだのは、他でもない。次の戦の話だ」将軍が本題を切り出す。
「はい。私は部隊から外されると、聞いております」
「君の調子が悪い事は、伝え聞いている。功を急ぐあまり、調子を崩したのではないか?」
「いえ、そのような事は」そう答えたが、図星を指されたのか、マックスは冷や汗を流していた。
「確かに、弓兵が目に見える大きな功績を残す事は、難しい。だが、功は急いで得る物ではない。君を見ている者は、ちゃんと見ている」
「はい。わかっております。わかってはいるのですが……」
「だが、功をあせるあまりに戦から外されては、意味が無かろう? 機会を得なければ、それを好機とする事すらも、叶わぬ」将軍が諭すように言う。
「確かに、その通りです。ですが……」マックスはそう言うと、力無く頭を垂れた。
 暫しの沈黙。何事か考えているのか、将軍は黙って項垂れたままのマックスを見つめていた。
「機会が欲しいか?」将軍が口を開く。
「はい!」マックスが勢い良く、顔を上げる。
「良かろう。次の戦まで、そう日はない。鍛錬に励むが良い。話は、それだけだ」
「ありがとう御座います」マックスがそう、深く頭を下げる。
「マックス。君は良い親友を持ったな」
「え? まさか」マックスが顔を上げると同時に、驚きの声を上げる。
「行け。残された時間は、多くはない」
「はい。失礼します」

 将軍の屋敷を出ると、マックスはカスパールがいる事に気づいた。そして、同時にカスパールもマックスに気づき、いつもの笑顔を見せた。
「やぁ。やっぱり、君が心配で、ちょっと様子を見に来たんだ。将軍は何と仰っていたんだい?」
「ありがとう、カスパール。君と言う親友がいて、本当に良かったと思うよ」
「何を言ってるんだい? それは、私の台詞だよ。流れ者の僕を傭兵ではなく、この街の正規兵にしてくれたのは、君のおかげじゃないか!」
 カスパールの言うとおり、彼は数週間ほど前にこの街に来た人間だった。そして、この街で正規兵になれるのは、この街に生まれた者、あるいはこの街で生まれた者との親類縁者である事が、明文化はされていなかったが、重要な条件であった。
 だが、カスパールは傭兵ではなく、正規兵となる事を望んだ。カスパールの腕は確かであったが、正規兵を従える将軍の何人かは、前例が無いとそれに反対した。
 その逆に、カスパールを正規兵に押す者もいた。街に着て間もないカスパールではあったが、持ち前の人懐っこい笑顔と誠実な人柄が、彼に多くの仲間や理解者を得させたのである。その中の一人には、クーノー将軍もいた。そして、もちろん、マックスもいたのである。
「僕だけの力じゃない。それに、君の実力は申し分なかった。君が正規兵になれたのは、当然の事だったんだよ」
「それでも、君が力を貸してくれた。その事実は、変わらない。そして、僕はその事を決して忘れない」カスパールがいつに無く真剣な表情で、そう言う。
「ありがとう。僕も君が力を貸してくれた事を決して忘れないよ」
「ふふ。さぁ、兵舎に帰ろう」カスパールはそう言うと、マックスと共に歩き始めた。

「そう言えば、こんな噂を知ってるかい?」と、兵舎に戻る途中、カスパールがそう聞いてきた。
「どんな噂だい?」
「北の森に、悪魔が住み着いたらしい」カスパールが若干声を潜めて、そう言う。
「悪魔だって? そんな馬鹿な」マックスが信じられないと言う表情をする。
「ああ、馬鹿馬鹿しい噂だ。それで……、その悪魔は不思議な矢を持っているらしいんだ」
「不思議な矢?」矢と言う言葉に、マックスはどきりとした。
「悪魔がその力を込めた、魔法の矢さ。その矢は、ただ射さえすれば、必ず標的に当たるらしい」
「必ず……、当たる……」と、マックスが立ち止まる。が、マックス自身それに気づいてはいなかった。
「マックス? ただの噂話だ。そんなに、真剣に聞くような話じゃない」それに気づき、カスパールが振り返って、そう左右に手を振って言う。
「あ、ああ。そうだね。そんな噂話に惑わされるなんて、僕は疲れてるのかな?」そこで初めて、マックスは自分が立ち止まっている事に気づき、苦笑する、
「今日は、早く寝ると良い。次の戦で活躍するためにも、疲れを残していてはいけない。」
「うん。そうするよ。ありがとう、カスパール」マックスはそう、笑って答えた。
 だが、そのマックスの笑顔は硬かった。そして、マックスは歩きながら、こう呟いていた。
「必ず標的に当たる、魔法の矢……」
 そのマックスの呟きは、カスパールの耳には届かなかった。

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