第三章 変貌・5

テーマ:
「ここが、リジン……」リックスはその洞窟を見ると、そう呟いた。
「そうです。あなた達が、血脈の短剣を見つけ出した洞窟です」
(ここが、全ての始まり……)
 リックスはその洞窟に、感慨深い物を覚えた。そして、これまでの出来事を思い出しつつ、リックスはエルミの後を追って、洞窟の中へと入っていった。
 その洞窟はそれほど広い物ではなく、二人は数分で洞窟の終わりへと辿り着く事ができた。洞窟の中は、不思議な事に壁が青白く光っており、それは心地好い物であった。それが不思議に思え、リックスはその事をエルミに聞いてみた。
「あなたが私の血を飲んだ。ただ、それだけの事です」そうエルミは、あっさりと答えた。
 その答えを聞くと、リックスは納得した。そして、洞窟の終わりに広がっていた、広間のような空間の中心を無言で見つめた。そこに、骸骨と心臓、そして、血脈の短剣があった事をリックスは聞き知っていた。
 一方、エルミはそんなリックスと同じように無言のまま、骸骨があった場所を見詰めていた。心なしか、その顔は青ざめて見えた。
 それに気がついたリックスは、とてつもない歯がゆさを覚えた。だが、リックスは自分が、エルミを慰める事ができない事を知っていた。それは、リックスではなく、レインの仕事なのである。
(魔性の森に入って、今日で二日目か……。レインさんは大丈夫なのだろうか?)
 リックスはその場に座り込むと、眉を顰めた。自分自身に対する怒りが込み上げてくるのだが、それをぶつける場所がリックスには見つからなかった。
 と、リックスはいても立ってもいられず、突然、すっと立ち上がった。だが、やはり、リックスにはどうする事もできず、リックスは再び座り込んだ。そして、さらに自らの力の無さに、リックスは自分自身に対して憤慨するのであった。
「リックスさん……」と、エルミが口を開いた。
「え?」その瞬間、りックスは思わずぎょっとし、身構えてしまった。
「あ、はい。何でしょう?」リックスは慌てふためきながら、エルミにそう聞き返した。
「あの人は……、レインさんは本当に生きていたのですか?」エルミは恐る恐るそう聞いた。
「ええ。何度も言ったように、彼は生きていました。もし、あなたの言ったように、彼が心臓を矢で射抜かれたのならば、彼は一度死んで生き返った事になりますね」
「そうですか……」それを聞くと、エルミは溜息をついた。
「一体、どうしたんですか? レインさんが生きていた事が、嬉しくはないんですか?」その様子を見て、リックスが首を傾げる。
「もしかすると……、私達はあの人に襲われるかも知れないのです。そして、それが現実の物となったならば、あの人は強大な敵となるでしょう」
「陛下がレインさんを連蓮の薬で、洗脳をすると言う事ですか? では、レインさんはやはり」
「確信は持てませんが、恐らく、そうだと思います。そして、その時、私はあの人を抑える事ができないかも知れません。それに、たとえ彼が私達の味方のままだったとしても」エルミはそう悲しそうに呟くと、目を伏せた。
(あそこには、あの人がいるはず)
 リックスは何とも言えない表情をし、頭を軽く掻いた。そして、再び無言のまま、リックスは頭上を見詰めた。
 エルミは両手で両足を抱え込んだまま、全く動かなかった。が、その体はまるで何かを怖れているかのように、小刻みに震えていた。そして、どこを見るでもない二つの目は、宙を彷徨っていた。
 リックスにはエルミが何を怖れているのか、全くわからなかった。が、何かとんでもない事がこれから起きると言う空気が、リックスにははっきりと感じ取れた。そして、リックスの体も言い知れぬ恐怖に、震えているのであった。
(一体、何が起ころうとしているのだろう? この……、心の奥底から湧き出てくるような恐怖……)
「……?」と、突然、二人の耳に空気を切り裂く音が聞こえてきた。その音は、確実にこちらに近づいてきていた。
(何かが……、近づいてきている!)
 リックスはまるで、弓から放たれた矢のように立ち上がった。そして、腰の剣に手を添えると、リックスは洞窟の外へと駆け出していった。
「あ……。待って下さい、リックスさん!」それを見ると、エルミはリックスを呼び止めようとした。が、その声はリックスの耳には届かなかった。
(大変! リックスさんが彼に)
 エルミも立ち上がり、リックスの後を追って、洞窟の外へと駆け出していった。
 風を切り裂く音は、すでに間近に近づいていた。そして、突然、その音は消え去った。

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第三章 変貌・4

テーマ:
「己……。抜かったわ!」
 魔獣は怒り狂っていた。そして、魔獣は大きく蛇行しながら、ゆっくりと南へと向かっていた。その広い視界に入った全ての人間を滅ぼしながら、魔獣は南へと駆け続けていた。
 白鴉もいつの間にか消え去っており、人々の恐怖の対象はこの魔獣だけとなっていた。が、魔獣は人々にとって強大すぎた。そのため、皆、逃げる間も無く魔獣の牙や爪の犠牲となり、その短い一生を終える事となったのである。
 その中で、唯一人魔獣に立ち向かい、未だ戦い続ける者がいた。その者は力の限り叫び続け、この魔獣の暴走を止めようと努力した。が、その声も魔獣には聞こえないのか、魔獣は眉一つ動かさなかった。それでも、彼は叫び続けたのである。
(止めろ! 止めてくれ!)
 レインは力の限り叫び続けていた。今、レインは無力であった。それをレインは知りつつも、叫ばざるを得なかったのである。
 レインは魔獣がクサナギの一撃を受け、南へと暴走を始めてから今まで、ずっと叫び続けていた。レインは体の自由が効かなかった。が、にも関わらず、目、耳、鼻と言った五感だけは、レインにはいつにも増してはっきりと感じ取れたのである。
 それは、正に生き地獄であった。なぜならば、人々の恐怖に染まった顔、空気を切り裂くような断末魔の声、凶悪な爪で凪払った時の感触、巨大な口で人々の体を食い契った時の歯ごたえ、そして、味……、それらが全てはっきりと、レインには感じられたのである。
 そして、さらに、魔獣は女子供であろうとも、決して情けはかけなかった。要するに、魔獣の視界に入った人々には、老若男女関係無く全てに平等の恐怖と死が与えられたのである。
 クサナギの傷痕も最早無く、レイン自身も腹の傷の痛みは消え去っていた。だが、そんな事に、レインは気づく余裕すらなかった。ただ、目の前に起こる光景を止めるために叫び続ける事だけしか、レインの頭には無かったのである。
 と、遙か前方に子供を抱いた女性がいる事に、レインは気づいた。それは当然、魔獣もその事に気づいていると言う事に、他ならなかった。そして、次の瞬間、魔獣はその女性と子供に向かって、全速力で襲いかかっていた。
(な……? や、止めろ!)
 レインは全身全霊を以て叫んだ。と、二人を薙ぎ払おうとした魔獣の右手が、寸前でふと止まった。そのため、レインは胸を撫で降ろした。
 が、その瞬間、魔獣は二人を右手で押し潰した。それは、まるでレインを嘲笑うかのような、残忍な行為であった。
(……? 野郎! てめえなんか人間じゃねえ!)
 レインは一瞬、声を失い唖然とした。が、次の瞬間、レインはそう怒鳴りつけていた。
「当たり前だ。我々をこの愚か者共と、一緒にするな」
 と、魔獣が初めて、レインの声に答えた。その声は、怒りに満ち満ちていた。
(我々……? 一体、おまえは誰なんだ?)
「私はきさま、きさまは私。我々は愚かな愚民共とは、非なる存在なのだ」
(おまえが俺で、俺がおまえだ? 訳のわからねえ事、ほざいてんじゃあねえ!)
「古の記憶を知らず、人間の社会に馴れ親しみ過ぎた、きさまにはわかるまい」
(俺は人間だ! その他の何物でもない!)
 レインは叫んだ。その声には、焦りと不安が入り混じっていた。
「思い出せ。人間共が、我々にした事を……。三種の神器を奪い、愚民共を従え、我々に戦いを挑んできたあの男の事を……。きさまは許すのか? あの憎むべき、タケルの事を……」
(知るか! 俺にはそんな事は、どうでも良いんだよ! 俺は惚れた女と一緒になって、死ぬまで暮らせるだけの金がありゃあ、それで良いんだよ!)
「きさまも実の家族が殺された時、怒りが込み上げてきたであろう? 私の気持ちも、それと同じなのだ」
(煩い! 煩い! 煩い! 煩い! 煩い! 俺は絶対、思い出さねえぞ!)
「ならば、思い出せてみせようぞ」
 そう言うと、魔獣は一路南へと駆け出していった。今までとは打って変わり、人々を無視して、魔獣は南へと駆け続けた。
(どこに、行く気だ?)
「神の降臨し地、リジン……」
 そう言うと、魔獣は無言で南へと駆け続けていった。そして、魔獣はラルグーンの南、魔性の森へと飛び込んでいったのであった。

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第三章 変貌・3

テーマ:
「どこへ、行った?」
 魔獣は広い廊下を駆け抜けた。だが、キサラギの姿は見当たらず、魔獣はかなり憤怒していた。そのため、運悪く廊下で魔獣と出会った者達は、皆、無残な姿へと化す事となった。
 と、キサラギが魔獣の前方に姿を現した。その瞬間、魔獣はキサラギに向かって、飛び掛かっていった。が、キサラギはそれを黙って見守っていた。
「ぬっ?」
 と、突然、魔獣は眉を顰め、立ち止まろうとした。その瞬間、魔獣は何かに引っ掛かったかのように宙に浮き、体中から血が吹き出てきた。そして、その血によって、魔獣の体に目に見えない糸が絡まっているのがわかった。
「ぐおおっ! 己……!」
 魔獣は怒りの形相を示し、狂ったようにもがいた。が、それは目に見えない糸を余計、絡ませる結果となった。
「その蜘蛛の巣からは、逃げられぬ。骨をも切る、鋼断糸なのだからな」キサラギはそう言うと、懐から中心に穴の開いた、星型の鉄板を数枚取り出した。
「我が力を見くびるな!」
 と、魔獣が口を大きく開いた。その途端、魔獣の体が徐々に膨らんでいった。しかし、それは余計に、見えない糸を体に食い込ませる事になった。
「無駄だ。逃げられはせぬ」そう言うと、キサラギは魔獣に向かって、星型の鉄板を投げつけた。
 が、魔獣の筋肉はそれを跳ね返し、それは廊下の壁や床に突き刺さった。そして、次の瞬間、魔獣は廊下の壁を突き破って、外へと飛び出していった。
「ぬ……。鋼断糸を壁から引き抜きおったのか」それを見ると、キサラギは少し眉を顰めた。
 そして、キサラギも魔獣の後を追って、外へと飛び出した。すると、それを待っていたかのように、魔獣の右腕がキサラギに襲いかかってきた。
「くっ……?」その瞬間、キサラギは右腕を振り上げた。すると、次の瞬間、キサラギは消え去り、魔獣の右腕は空を切った。
 一方、キサラギは魔獣の右腕の頭上に浮いていた。その右手の袖から細い鎖が出ており、その先は、城の壁へと突き刺さっていた。
(危なかったわ。鋼断糸もすでに、取り払っておったか。ならば……)
 と、キサラギは魔獣に向けて、左手を振り降ろした。すると、次の瞬間、キサラギの左手の袖から、魔獣に向かって網が飛び出していった。
 それを、魔獣は右手で引き裂こうとした。が、その網は裂けず、魔獣の体にまとわりついていった。
「小賢しい真似を! シラスよ、人間共を滅ぼせ!」
 魔獣は網を解くのを諦め、地面へと降り立った。そして、魔獣は目を見開くと、キサラギを睨つけた。
(諦めたのか?)
 それを見ると、キサラギは眉を顰めた。そして、しばらくの間、キサラギは鎖につかまったまま、魔獣の様子を見る事にした。が、そうしているのも、長くは無かった。
 と、突然、キサラギは殺気を感じ、東の空に視線を移した。すると、キサラギには巨大な白い雲が、こちらに近づいてくるのが見えた。が、その速度は尋常な物ではなく、あっと言う間に、その白い雲はキサラギの頭上は疎か、ラルグーン全体を覆い被さってしまったのであった。
「何事?」その異常な出来事に、キサラギは目を見開いた。
 と、その白い雲から小さな雲が分裂し、キサラギに襲いかかってきた。その瞬間、キサラギは鎖から手を離し、それを避けようとした。が、それを避け切る事はキサラギにはできず、白雲の塊はキサラギの胸を切り裂いてしまった。
 そして、その白雲はそのまま魔獣に向かって急降下していき、魔獣の体を覆う網を切り裂いた。その時、初めてキサラギは頭上を覆う白雲が雲ではなく、白い鳥である事に気づいた。
(白鴉……? これは……、ジルヴァスト殿に報告をせねば……)
「殺せ! 滅ぼせ! 消し去れ! 我々に牙を向けた、愚かな人間共を!」
 魔獣は頭上の白い鴉の群れを見上げると、その凶悪な口を大きく開いた。すると、その途端に、全ての白鴉が地上に向かって急降下していった。
 と、そこに、城から二人の機面兵が現れた。それは、クグツとグシャナであり、二人が外へ出ると同時に、白鴉の大集団が二人に襲いかかっていった。が、二人はその異常な状況に怯みもせず、両手に握り締めた鉾槍を振り回して白鴉を蹴散らしだした。
「止めい!」と、その二人の目の前に、キサラギが駆け寄る。
「邪魔をするのか?」それを見ると、クグツはキサラギにそう言った。
「そうではない! とにかく、白鴉を殺してはならん」そう怒鳴りつけた、キサラギの背中に白鴉が襲いかかったが、キサラギはびくともしなかった。見ると、キサラギの服の切り裂かれた胸元からは、鎖帷子が覗いていた。
「邪魔だ!」グシャナがそう叫び、キサラギを鉾槍で威嚇する。
 と、その瞬間、キサラギは一歩前進し、鉾槍の柄を右の脇で締めると、グシャナの左手首を右手でしっかりとつかんだ。そして、それと同時に、キサラギは左手でグシャナの仮面を押しつけた。
「私の頼みを聞けぬのならば、主達とて命は無いぞ?」キサラギがそう、脅すように言う。
「クグツ! グシャナ! 何をしている!」と、城から一人の機面兵が出てきた。その右手には、一本の細長い剣が握り締められていた。
「ガイトス様……」それを見て、クグツがキサラギを左手で指差す。その瞬間、三人の頭上を何かが飛び越していった。
「クサナギ!」
 それは、魔獣であった。魔獣は三人を飛び越えるとガイトスの前に降り立ち、ガイトスとその右手に持つクサナギを凝視した。
「返せ! 我々の神器を! クサナギを!」
 魔獣の目は血走っていた。が、ガイトスは仮面の奥の顔は見えないが、落ち着いているように見えた。その後、ガイトスはゆっくりとクサナギを鞘から引き抜き、その細い刃を魔獣へと向けた。
 すると、魔獣は幾等か怯んだかに見えた。が、次の瞬間には、魔獣も牙を剥き出し、ガイトスへと今にも襲いかからんとしていた。
「我々に従うか、死か。選ぶが良い」そうガイトスが言う。
「死ね!」
 と、魔獣は右手を振り上げ、ガイトスの頭目掛けて振り降ろそうとした。が、ガイトスはそれを待っていたかのように魔獣の懐に入り、クサナギを魔獣の腹に突き刺そうとした。
 すると、クサナギはガイトスの思っていたよりも、すんなりと魔獣の腹へと入っていった。そして、やがて、クサナギは魔獣の背中へと突き抜けたのであった。
「ぐはあっ?」
 魔獣は表情を歪め、後方へと飛び退いた。すると、クサナギはあっさりと抜け、魔獣の傷も信じられないほど奇麗な物であった。が、その傷口から吹き出る血が、魔獣への打撃を教えていた。
 一方、クサナギには魔獣の血は、一切ついてはいなかった。その細い刃は不気味に光輝いており、その場にいる全ての者に不気味な何かを感じさせていた。
「己! 己! 己! 己!」
 魔獣は憎しみを込めた目でガイトスを睨つけると、南へと逃げていった。それをガイトスは追おうとしたが白鴉の大群に阻まれ、魔獣を逃がす事になった。
「ガイトス、奴を逃がしたのか?」と、そこに、ジルヴァストが城から出てきた。
「はっ。私の力が及びませんで……。申し訳御座いません」ガイトスは跪くと、そう言った。
「陛下、ガイトス様は悪くありません。全ては、そこのキサラギ殿が原因です。キサラギ殿さえ、我々の邪魔をしなければ……」と、グシャナが一歩前に進み出て言う。
「どう言う事だ、キサラギ?」ジルヴァストがキサラギの顔を見て、飽く迄も冷静に聞く。
「はっ……。白鴉は我が母国、ナパ・ジェイ並びに東方諸国では神の使い。もし、この事が東方諸国に知られたならば、我がアツキノミ殿下も同盟を取り消さなければなりません」
「なるほど。ならば、伝説の魔獣は東方諸国の神となるのだな。キサラギよ、案ずるな。要は、奴を必ず我が配下に置けば良いと言う事だ」ジルヴァストはそう言うと、笑みを浮かべた。
「ですが、再び、レイン殿は戻ってきますかな?」キサラギが南を向いて、そう言う。
「案ずるなと言ったはずだ。魔性の末裔は……、奴一匹ではない」そう言うと、ジルヴァストは城の中へと戻っていった。

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第三章 変貌・2

テーマ:
 謁見の間を出ると、レインはキサラギにある部屋へと連れて行かれた。その部屋に、レインは見覚えがあった。そこは、以前、エルミが捕らえられていた部屋と、同じ造りの部屋だったのである。
 そのため、レインは首を傾げてしまった。さらに、そこには医者が一人おり、寝床にレインを寝かせると、その医者はレインの怪我の治療を始め出した。
(……?)
 レインは余りの驚きのために、抵抗する事もせずにそれに従った。そして、レインの怪我の治療が終わると、今度はレインの元に食事が運ばれてきた。
「おい! 一体、何の茶番だ?」レインはその食事に惹かれつつも、それを運んできた召使いの腕をつかみ取った。
「え? へ……、陛下からの御達しで……」召使いは恐怖に震えながらも、そうレインに答えた。
(読めねえ……。あの野郎、何を考えていやがるんだ?)
 レインは召使いを突き飛ばすと、取り合えず食事を胃に詰め込む事にした。そして、運ばれてきた食事を全て平らげると、レインは寝床に横になった。
(体力を回復しなくちゃ、話にならねえからな)
 しばらくして、レインは眠りに入った。そして、レインが目覚めたのは、次の日の朝であった。
 まだ、体の節々が痛かったが、レインは目覚めるとすぐに、側に置いてあった朝飯を平らげた。そして、しばらくして現れた医者に黙って怪我の状態を診て貰うと、レインは再び寝床に横になった。
 が、レインは眠れず、その間、ただ思案に暮れるだけとなった。今まで、全く繋がりもしなかった事柄が、繋がりかけていた。が、その事柄を繋ぐ線が、レインにはまだ見えなかった。
(何かが、足りねえ。なぜ、エルミは血脈の短剣にあそこまで恐怖し、帝国は欲したんだ? そして、なぜ、俺達一家を帝国は皆殺しにしようとしたんだ?)
(魔性の末裔……。キサラギは確かに、エルミの事をそう言った。そして、ジルヴァストの二匹目が見つかったってのは……?)
(エルミも俺も何も感じない、あの森をなぜリックスは……? そして、あの時の声は……?)
 と、レインは寒気を覚え、身震いした。すると、その瞬間、レインのいる部屋の扉が開かれ、レインは驚きの余り飛び起きてしまった。
 部屋に入ってきたのは、四人の機面兵であった。そして、レインが反射的に身構えるよりも速く、その内の三人はレインを囲み込んだ。
「くっ……? 何をする気だ!」次の瞬間、レインは両腕と頭をつかまれ、寝床に押し倒されてしまった。
「静かにしろ。すぐに、楽になる」そう言うと、残った一人がレインに近づいていった。その機面兵は、右手に小さな小瓶を持っていた。
 そして、その機面兵はその小瓶の蓋を引き抜くと、レインの鼻に近づけて匂いを嗅がせた。すると、途端に、レインに目眩が襲ってきた。そして、レインはゆっくりと意識を失っていった。
「汝に問う。汝の名は……?」と、機面兵がレインに聞く。
「レ……、レイン……」レインの口から、微かな声が零れた。
「ならば、レインよ。汝の主君の名は……?」
「いな……、い」
「それは、違う。汝の主君は、ジルヴァスト陛下也……」
「俺の主君は……、ジルヴァスト陛下……」レインが鸚鵡返しのように、そう呟く。
「ならば、レインよ。今、ここにて誓うが良い。陛下の命令に絶対服従し、自らの死をも厭わないと」
「俺は陛下の命令に絶対服従し……、自らの死をも厭わない……」
「ならば、目覚めるが良い」機面兵はそう言うと、レインに再び小瓶の中の匂いを嗅がせた。
 すると、次の瞬間、レインは目覚めた。が、その目は虚ろであった。そして、その表情からは、レインらしさと言う物が全くと言って良いほど感じられなかった。
 それを見ると、三人はレインから手を離した。が、レインは全く起き上がろうとはしなかった。
「陛下が御待ちだ。ついてくるが良い」機面兵がそう言い、部屋を出ていく。
 すると、レインはゆっくりと起き上がり、黙って小さく頷いた。そして、機面兵達の後を黙ってついていき、レインは謁見の間へと辿り着いた。
 そこには、ジルヴァストとキサラギがおり、レインの到着を待っていた。そして、ジルヴァストの右手には、血脈の短剣が赤々と怪しく光輝いていた。
「キサラギ」ジルヴァストはそう言うと、キサラギに血脈の短剣を投げ渡した。
 すると、キサラギは黙って頷き、ゆっくりとレインに近づいていった。そして、レインの真正面に立つと、キサラギはレインの左胸に向かって、ゆっくりと血脈の短剣を突き刺した。
「ぐっ……」その瞬間、レインは目を見開き、キサラギに力無く寄り掛かった。
 そして、しばらくして、レインの左胸から血脈の短剣が抜け、音を立ててレインの足下へと落ちた。一方、レインはふらふらと後ろに後退り、立っているのがやっとの様子であった。
 そのレインをジルヴァストは微笑を浮かべ、そして、キサラギは興味深そうに見詰めていた。
「ぐ、ぐあっ……!」レインは左胸を両手で抑えた。
 と、レインは四つん這いになった。そして、見る見る内に、レインの体が大きくなっていった。さらに、レインの体を青色の体毛が包み込んでいく。
「こ……、これが……」それを見て、キサラギが目を見開く。
 やがて、レインの着ていた衣服も破れ、レインの体全体が体毛に包まれた。それから、しばらくして、レインの体の変化が終わり、レインは巨大な青い狼の姿と化したのであった。
「ふははははは! これで、世界は我の物となるのだ!」その瞬間、ジルヴァストは高らかと笑った。
 と、その笑みが突然、ジルヴァストの顔から消え去った。魔獣となったレインの口が半開きになり、笑ったかのように見えたからである。
「礼を言うぞ。愚かなる物共よ」魔獣がそう唸る。だが、その言葉を解せる者は、その場にはいなかった。
(また、あの声だ……?)
「喜べ。最初の犠牲者……、いや、最初に淘汰されるのは、貴様等だ!」
(体の自由が効かねえ! なっ?)
 と、魔獣が四人の機面兵の内の一人に、襲いかかっていった。その素早さは尋常では無く、次の瞬間、その機面兵は魔獣の凶悪な前足によって、横に薙ぎ払われていた。その一撃で、機面兵の顔は砕け散り、見るも無残な死体へと化した。
「な……?」一瞬遅れて、キサラギが驚きの声を上げる。
(こ、この私が……、目で追う事もできなかったとは……?)
「急がせただけ、純度が低かったか!」ジルヴァストが眉を顰め、そう叫ぶ。
「次は貴様だ!」
 と、魔獣がジルヴァストの方を向いた。
(くっ……! これは……、これは……、夢なのか?)
 レインは目の前の光景に、目を逸らしたかった。が、今のレインにはそれすらも、できなかったのであった。
「私が相手だ!」と、キサラギが叫び、懐から黒い玉を取り出した。
 そして、キサラギは魔獣の目の前に立ちはだかると、その黒い玉を魔獣の足下に向かって投げつけた。すると、次の瞬間、黒い玉は床にぶつかって砕け散り、濛々と煙を噴き出した。そのため、あっと言う間に、謁見の間は煙に包まれたのであった。
「己! 愚か者共が!」
 と、今まで、黒色であった魔獣の瞳が、血のように赤く変わった。すると、途端に謁見の間の様子が、レインにはっきりと見えるようになった。そして、まだキサラギが目の前にいる事に、魔獣も気づいたのであった。
「消え失せろ!」
 魔獣はそのキサラギに向かって飛び掛かり、その巨大な口で噛みつこうとした。が、キサラギはそれを避けようともしなかった。
「ぬっ?」
 魔獣は歯ごたえに疑問を感じ、キサラギを吐き出した。すると、キサラギだと思っていた者が、最初に薙ぎ倒した機面兵だと言う事に、魔獣は気づいた。と、背中に何かが当たったのを感じ、魔獣は背後を振り返った。
 すると、謁見の間の出口にキサラギがいる事が、魔獣にはわかった。そして、魔獣の足下には、星形の鉄板が転がっていた。
「私はここだ。ついてくるが良い!」その魔獣を見るとキサラギはそう叫び、謁見の間を駆け出ていった。
「この鼠が!」
 魔獣はその謁見の間の出口を睨つけると、口を大きく開いた。そして、次の瞬間、魔獣はキサラギを追いかけて、謁見の間を駆け出ていった。
「危険だ! あれを生かすな! クグツ! グシャナ! あれを殺せ! ガイトス! クサナギを持て!」ジルヴァストはそう叫んだ。
 すると、三人の機面兵も謁見の間を駆け出ていった。そして、ジルヴァストも謁見の間を出ていき、謁見の間は静けさに包まれたのであった。

第三章 変貌・1

テーマ:
 レインは目を覚ますと、自分が謁見の間にいる事がわかった。そして、無理やり覚醒されたような不自然な目覚めが、傍らにいて自分を支えているキサラギによって何等かの方法でもたらされた物だと、レインは直感的に理解した。
 キサラギはレインが目覚めたのに気づくとレインを立たせ、玉座に座るジルヴァストの方へと歩かせていった。レインは体中の痛みに表情を歪めたが、大人しくそれに従いゆっくりと歩いていった。
(ちっ……。目紛しく場面が変わって、訳がわからんぜ)
 レインは忌ま忌ましそうに、ジルヴァストを睨つけた。が、ジルヴァストはそのレインの行為に、眉一つ動かさなかった。
 キサラギはレインをジルヴァストのすぐ目の前まで連れていくと、左手でレインの左腕をしっかりとつかんだ。そして、右手でレインの頭を鷲掴みにすると、ジルヴァストに真正面に顔を向かせた。
「へっ!」レインはそう鼻で笑うと、ジルヴァストに向かって唾を吐きかけた。
 それをジルヴァストは避けもせずに、レインに向かって身を乗り出した。そして、ジルヴァストはレインの目を見ると、満足そうに笑みを浮かべた。
「そうか……。おぬし、レインと言う名だな?」
「ああ、そうだよ。それが、どうした?」
「ふはははは! そうか! やはり、神は我に味方しているのだな!」と、突然、ジルヴァストは高らかと笑い出した。
(機面兵が殺し損ねた雄と雌が、二匹とも我が前に現れようとはな!)
「クグツ!」ジルヴァストがそう叫ぶ。すると、しばらくして、一人の機面兵が謁見の間へと現れた。
「連蓮の薬の進行状況は?」
「はっ。レイランドより赤毛草の葉が参り次第、完成致します」
「急がせろ。それと、わかっているだろうが、二匹分作るよう命じろ」
「はっ。失礼します」そう一礼すると、クグツは謁見の間を出ていった。
「キサラギよ、おぬしには悪いが、その男……、わしが貰うぞ?」
「はっ。致し方ありません。諦めましょう」と、キサラギが残念そうに言う。
「こら! 俺は品物じゃあねえぞ!」そう、レインが叫ぶ。
「いや、違うな。おぬしはわしの物となるのだ。連れていけ」そうジルヴァストが言うと、キサラギはレインを謁見の間から連れ出していった。
「おい、ジルヴァスト! きさまは必ず、この俺が……、滅ぼしてやるからな!」レインは謁見の間を出る瞬間、後ろを向いてそう叫んだ。
(畜生如きが……)
 ジルヴァストはその言葉を聞くと、眉を顰めた。そして、懐から一本の赤い短剣を取り出すと、頭上に翳した。
(魔性の末裔の封印を解く鍵、血脈の短剣……。そして、我が手には三種の神器……、クサナギがある)
「全ての愚民は、三匹もの魔性の末裔を従えた我が前に平伏すのだ」ジルヴァストはそう、宣言するかのように言った。

第二章 虜囚・7

テーマ:
 レインは目を覚ました。そして、レインはゆっくりと立ち上がった。そのレインが目覚めた場所は、レインの見た事も無い場所であった。
 レインの足下は石畳であり、周囲の壁も石でできていた。頭上を見上げると、石の天井が見えた。そして、向かって右側の壁の上半分に、窓がついているのが見えた。その窓の向こう側には、豪華な椅子が一つあり、レインのいる場所を見下ろせるようになっていた。
 その反対側の壁には、頑丈そうな檻があった。そして、そのさらに奥には、巨大な扉が一つだけあった。
(嫌な予感がするな……。レイン、どうする?)
 レインはその檻を見ると、眉を顰めた。そして、その檻に近づいていくと、レインは耳を澄ませた。
「ぐるるるっ……」すると、レインの耳に不気味な唸り声が聞こえてきた。
「ちっ……。やっぱりな……」レインは舌打ちした。
「やっと、起きたようだな……」と、レインの背後で声がした。
 その声に、レインは聞き覚えがあった。そして、レインはゆっくりと振り返ると、予想通り窓の向う側の椅子に座る、ジルヴァストの姿が見えた。
「熟睡させてもらったよ」レインはそう言うと、唾を吐き捨てた。
「ここが、どこであるか……、わかるな?」そのレインの行為に眉一つ動かさず、ジルヴァストがそう聞く。
「ああ……。大層な化物を飼っているようだな」レインが多少、苦笑いを浮かべて答える。
「あの娘程ではないがな……」そのレインを見て、ジルヴァストが微笑する。
「……?」そのジルヴァストの言葉に、レインは眉を顰めた。が、レインにその言葉の意味を考える暇は、全く存在しなかった。
 ジルヴァストは、右手を軽く上げた。すると、しばらくして、レインの背後から何かが動く音がした。そして、それと同時に、何か巨大な物がゆっくりと近づいてくる足音も、はっきりと聞こえてきた。
 レインはゆっくりと背後を振り返った。すると、檻の奥の扉が開け放たれ、巨大な猿のような化物がこちらに近づいてくるのが、レインには見えた。
「三目猿……。南レイジアの小国、インジスの神獣だ。元来、大人しい動物だが、狂心剤を打ってある。ゆっくりと、戯れるが良い……」そう言うと、ジルヴァストは軽く指を鳴らした。
 すると、ジルヴァストの側に仮面をつけた男が、杯を一つ持って現れた。それと同時に、レインの目の前の檻が、ゆっくりと音を立てて迫上がっていった。
「三目猿ね……」レインは檻が上がり切る迄の間、三目猿をできるだけ観察した。
 その三目猿の大きさは、象ほどであろうかと見え、額にある第三の目は閉じられていた。そして、見開かれた二つの目は真赤に血走り、太い両手足は筋肉だけでできているのではないのかとさえ、レインには思えた。
「戯れるねえ。戯れるって、殺されるって意味だったのかよ……」レインはそう呟くと、ゆっくりと後退りしていき、壁を背にして三目猿を睨つけた。
「ぐるるるっ……」三目猿が唸り声を上げ、ゆっくりとレインに近づいてくる。
(ちっ……。狂ってるから、呼吸が乱れ切っていやがるぜ。これじゃあ、攻撃が読み取り難いぞ?)
「レイン、全身を耳にしろ」レインはそう呟いた。
 と、次の瞬間、三目猿が跳ねた。そして、レインに向かって、三目猿は頭から突っ込んできた。
「よっ!」その瞬間、レインは横に跳んだ。そのため、三目猿は壁に勢い良く、頭を打ちつけてしまった。
(これで、あいつが気絶するなり、壁が壊れて目潰し用の武器でも、できれば良いんだがな……)
 が、レインの期待とは裏腹に、壁は思ったより頑丈であり、三目猿は痛みを感じないようであった。なぜならば、三目猿が何事もなかったかのようにゆっくりと頭を上げ、そして、壁にも傷一つついていなかったからである。
 それを見ると、レインは溜息をついた。そして、再び壁を背にして、レインは三目猿を睨つけた。
(考えろ、レイン! 今まで、使わなかった分の知恵を使え!)
 レインは三目猿に顔を向けたまま、目で周囲を見回した。そして、どうにか現状を打開しようと、考えを巡らせた。が、考えは纏まりそうに無かった。
 三目猿が執拗に、レインに飛びかかってくるからである。そして、それをレインは何とか避け切る事だけはできた。が、それは飽く迄も、応急処置にしか過ぎなかった。
(ちっ……。今まで、知恵を使わなかった分の付けが、まさか、ここで来るとはな……。しかし、あいつの額の目の意味がわからんな)
 レインは息を整えながら、三目猿の額の目を見詰めた。その目は、まだ一度も開かれてはいなかった。それが、レインには不思議でならなく、さらに不気味でならなかったのである。
「ぐるぅっ……!」三目猿は唸った。それには、確かに怒りの感情が含まれていた。
(やばい?)
 その瞬間、レインはそう感じ取った。そして、咄嗟に両腕で頭を防御し、壁にできるだけ体をつけて縮こまった。すると、次の瞬間、レインに強烈な衝撃波が襲いかかってきた。
「ぐっ……!」その一瞬の衝撃波で、レインは意識朦朧となってしまった。
「ぐああっ!」と、その瞬間、三目猿はレインに飛びかかり、右手の一撃でレインを横に凪払った。
(終わりか。思ったより、呆気なかったな)
 その様子を見ていたジルヴァストは、眉を顰めて杯を口に運んだ。と、その杯をジルヴァストは取り落とした。レインがゆっくりとだが、立ち上がったからである。
(滅ぼせ)
「……? 何……?」
(滅ぼせ)
 レインはまだ、意識が完全に戻ってはいなかった。そのため、どこからともなく聞こえてくる声が、レインには夢現のように感じられた。
(滅ぼせ! 滅ぼせ! 滅ぼせ! 滅ぼせ!)
「くっ……」レインは三目猿の方に目をやった。その三目猿は今にも、レインに襲いかかろうとしていた。
(滅ぼせ! 我らに逆らう、全てを!)
「うるせえ! 頭の中で、怒鳴るな!」レインはそう怒鳴りつけた。
 その瞬間、三目猿に異変が起こった。突然、恐怖に怯えたように驚き、三目猿はレインに背を向けて縮こまったのである。
(どうしたんだ……?)
 自らの声で、レインは意識を完全に取り戻した。そして、三目猿の怯え切った姿に、レインは首を傾げた。謎の言葉はいつの間にか、聞こえなくなっていた。
 と、左頬の痛みに、レインは表情を歪めた。レインが恐る恐る左手で左頬に触れてみると、深い傷があるのがわかった。それは、三目猿の手の三本の爪でつけられた物であった。
 その他に、体の節々に痛みはあったが、レインはそんな事を気にはしなかった。狂っているはずの三目猿の怯え切った姿に、レインの目は釘付けになっていたからある。
 一方、ジルヴァストの目はレインに釘付けになっていた。その口元は、微かにだが綻んでいるかに見えた。
(思わぬ……、収穫を得たのかも知れんな)
 しばらくして、ジルヴァストははっきりと笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がった。そして、ジルヴァストは指を軽く鳴らすと、仮面の男を呼び寄せた。
「あれを運んでこい。それと、奴に伝えろ。三匹……。いや、二匹目が見つかった、とな」そう仮面の男に命ずると、ジルヴァストは部屋を出ていった。
 それに続いて、仮面の男も部屋を出ていった。そして、しばらくすると、突然、レインの足下が音を立てて振動しだした。
(何だ?)
 レインは足下を見ると、眉を顰めた。そして、ふと天井を見ると、レインはじわじわと天井が近づいてくるのがわかった。床がゆっくりと迫上がっているのである。
 それから、しばらくして、床の音と振動が止まり、途端に静かになった。そして、音も無くレインの右手の壁が開き、二人の仮面の男が姿を現した。
「お……、おまえらは?」その姿を見ると、レインは怒りの表情を示した。が、次の瞬間、二人の内の片方がレインの鳩尾に一撃を入れたため、レインは気を失ってしまった。
 二人はそのレインを抱え上げると、三目猿を残してその場を後にした。すると、壁が音も無く閉まり、再び、床が音を立て振動を起こしだした。そして、またゆっくりと床が迫上がっていったのであった。
「ぐるぅっ……」三目猿は天井を手で支え、床の上昇を抑えようとした。が、床が迫上がる力は、三目猿のそれを遙かに上回る物であった。
 やがて、天井と床は完全に合わさり、三目猿の唸り声も最早聞こえなくなった。そして、しばらくして、床は下がっていき、三目猿の無残な姿が現れたのであった。

第二章 虜囚・6

テーマ:
 その時、エルミは魔性の森の目の前で、ただ呆然と立ち尽していた。そのエルミにリックスのような、魔性の森に対する恐怖は微塵も無かった。それ所か、エルミはその魔性の森を無意識に悲しそうに見つめていた。
 だが、エルミは魔性の森へと入ろうとはしなかった。エルミは戸惑っていたのである。
(なぜ……、私はここにいるの……? 私は確か、帝国に捕われていたはず……)
 エルミは記憶を取り戻していた。この魔性の森の目の前に来た瞬間、突如としてエルミは記憶を取り戻したのである。が、記憶を失っていた間の記憶は、エルミには残ってはいなかった。そのため、エルミは自分がなぜここにいるのかが、わからなかったのである。
 そのエルミの側に、傷だらけになったリックスが近づいてきた。そのため、エルミは驚きの余り、後退ってしまった。
「嫌……。助けて……」エルミはそう懇願するように言った。
「……?」そのエルミの言葉に、リックスは首を傾げた。
 それを見て、エルミもリックスに敵意が無い事に気づいた。が、決して気を許そうとはしなかった。そして、ゆっくりと後退り、魔性の森へと逃げ込もうとした。
「わかりました。レインさんを見捨ててきた、この卑怯者の私を怒っているのですね。言い訳はしません。私は思ったよりも、臆病な人間だったのですから……」リックスは悲しそうに溜息をつくと、そうエルミに言った。
「え……? あ、あの人が生きているんですか?」と、そのリックスの言葉に、エルミは目を見開いた。そして、逃げる事も完全に忘れ、エルミはリックスへと駆け寄った。
「え?」次に驚いたのは、当然、リックスであった。そして、エルミの勢いに押され、リックスは思わず後退ってしまった。
「教えて! あの人は本当に生きているんですか?」
「ちょ、ちょっと、待って下さい。エルミさん、何を言ってるんですか?」さらに後退り、リックスがエルミに聞く。
「え……?」そのリックスの言葉に、エルミは首を傾げた。
「ん……? 一つ、質問をします。あなたは私の名前を知っていますか?」と、何かに気づき、リックスがエルミの両肩をつかんで聞く。
「……」エルミは不思議そうに、左右に首を振った。
「そうか! わかった! あなたは記憶が戻ったのですね、エルミさん? わかりました。話は後です。とにかく、逃げましょう!」そうリックスが笑みを浮かべ、エルミの手を引いて歩き出そうとする。
「う……」が、その最初の一歩をリックスは踏み出せなかった。それ所か、リックスは今にも後退りしたいと言う、強い衝動に駆られそうになっていたのであった。
 それを見ると、突然、エルミはリックスの腰の剣を引き抜いた。そして、その剣でエルミは自らの左掌を傷つけたのであった。
「エルミさん、何をするんです?」その行為を見て、リックスが仰天する。そして、次の瞬間、リックスはエルミから剣を奪い取った。
「私の血を飲んで下さい。そうすれば、少なからず、私の……、私の力があなたに宿ります。それに、彼らの怒りや憎しみがあなたに向かう事もなくなるはずです」そう言うと、エルミはゆっくりとリックスに左掌を差し出した。
 リックスは躊躇った。が、エルミの真剣な眼差しを見て、リックスはゆっくりと頷いた。そして、エルミの左掌から流れ出る血を両手で掬うと、その血を口に持っていったのであった。
 そのエルミの血を飲む時、リックスは目を瞑った。本能的に、その行為をリックスは拒んだのである。が、リックスはその血を飲み込み、ゆっくりと息を吐き出した。
 そして、リックスは自分の服の袖を引き千切ると、包帯代わりにエルミの左掌に巻きつけた。その間、リックスには自分に何が起きているのかが、全くと言って良いほど感じなかった。
 が、不思議な事に、さっきまで恐怖していたはずの魔性の森を見ても、リックスは恐怖を感じなくなっていた。それ所か、リックスには心持ち、身が軽くなったような気さえしたのであった。
「さあ、行きましょう。追手が来る前に……」そうリックスが言い、背後を振り返る。
 エルミはそれに頷くと、真先に魔性の森へと入っていった。そして、それにリックスは続き、二人は魔性の森の奥へ奥へと歩いていった。
「あなたは……、私が何かを……、当然、知っていますね?」しばらくして、エルミはそうリックスに聞いた。
「え、ええ……」と、リックスが戸惑いつつも頷く。
「そうですか。では、なぜ、私を助けるのですか?」
「歩いて話すには、長い話です。それにしても、一体、どこに行こうとしているのですか?」
「洞窟です。私達は……、いえ、私達の祖先はこの森を聖地セクラと呼び、その洞窟をリジンと呼んでいました」
(セクラ……? 何か、聞いた事がある……、ような……)
 リックスはエルミについていきながら、首を傾げた。そして、リックスはエルミの言葉に、より一層耳を傾けた。
「そして、その洞窟を覆うように神殿が建てられ、そこには三種の神器、ヤタ、クサナギ、ヤサカニが納められていました」
「な……、何だって?」その瞬間、リックスは驚きのあまり、立ち止まってしまった。
「そ、それは……、伝説の神国スサノオの三種の神器の事ですか……?」
「そう……。そして、その国の人間を束ねていたのが、私達……、今は伝説の魔獣と呼ばれるスサノオの民なのです」エルミは辛そうに少し俯くと、そう言った。
「信じられない事です。すると、帝国に残される魔獣の伝説……、スサノオの国を滅ぼしたと言う伝説は、偽りだと言う事になる」
「それは……」と、エルミは口を開きかけて、すぐに閉じた。そして、再び口を開いたが、エルミは言いかけた事とは違う事を口にした。
「わかりません。私も全ての事を知っている訳では、ありませんから……。それに……」そこまで言い、エルミは立ち止まった。
「どうしたんですか?」と、心配そうに、リックスがエルミを見る。
 そのエルミは俯いて、大粒の涙を流していた。それを見たリックスは少し戸惑ったが、すぐに手拭きを取り出すと、エルミに手渡した。
(私は何と無力なのだろう……。あの時……、あの時、私が身代わりになって、レインさんを逃がしてさえすれば……)
 リックスは表情を険しく歪めると、ゆっくりとエルミから視線を逸らした。そして、激しい怒りをぶつけるかの如くに、リックスは近くの木を殴りつけた。
「ごめんなさい。お父さんとお母さんが殺された時の事を……、思い出したから……」エルミはそう答えたが、それは半分は嘘であった。だが、それにリックスが気づくはずも無かった。
「そ……、それは、陛下の仕業ですね……?」そうリックスが両拳を握り締めて、エルミに聞く。
「さあ……、それは……。ただ、二人を殺したのが、四人の仮面の男達だと言う事だけは、覚えています」
「それは陛下の直属の部下、機面兵です。彼等には感情はありません。あるのは、陛下に対する忠誠心だけです」
「そう……、ですか。でも、それももう、過ぎ去った過去……。さあ、行きましょう。終わりの場所。そして、全ての始まりの場所、リジンへ」そう言うと、エルミは再び歩き出した。
(強い女性だ……。魔性の末裔は全て、このような精神的な強さを持っているのだろうか? ならば、連蓮の洗脳も彼女には効かなかったかも知れない)
 リックスはふと、北を振り返ると、深い溜息をついた。そして、再び南を向くと、エルミの後をゆっくりと追いかけていった。
 そして、二人は魔性の森の奥へ奥へと、さらに進んでいったのであった。全ての始まりの場所へと……。

第二章 虜囚・5

テーマ:
 それから、しばらくして、魔性の森がその姿を現した。すると、俄かにリックスの足が遅くなっていった。が、レインはそれをそれほど気にせずに、リックスを追い越していった。
 そして、そこで初めて、リックスの顔に赤味が無い事に気づいた。そのため、レインは立ち止まって、そのリックスの顔を凝視したのであった。
「おい、どうしたんだ、リックス?」と、レインが心配そうに聞く。
「なぜ、あなたたちは平気なのですか? ここからあの魔性の森は、目と鼻の先だと言うのに……。私は恐ろしくて……、仕方が無いと言うのに……」そうリックスが冷汗を拭きながら、聞き返す。
「それは……、エルミ殿が魔性の末裔であるからに、他ありませぬな」と、突然、何者かの声がした。
「誰だ!」レインとリックスがその声の方に振り返る。すると、そこには黒服に身を包んだ、キサラギの姿があった。
「て……、てめえは?」レインが驚きの声を上げる。
「キサラギ殿?」と、リックスが叫ぶ。
「リックス、俺の台詞を取るな!」
「相変わらず面白い御仁ですな、レイン殿」
「うるさいんだよ、田舎者が!」そうレインがエルミの左手を離し、短剣を腰の帯革から引き抜く。
「また、私とやると言うのですな?」そのレインを見て、キサラギの目がきらりと光る。
「あなたでは、キサラギ殿には勝てませんよ。私でも勝てないでしょうが……。さあ、行ってください! ここは……、私に任せて!」と、リックスがキサラギとレインの間に割って入る。
「待ちな。二人だったら、いくらかはましだろう?」そう言うと、レインはリックスの隣に並んだ。
「レインさん……」そのレインを見て、リックスが多少呆れながら言う。
「エルミ、あの森で待ってろ! 必ず、迎えに行ってやる!」レインがそう南を指差す。
 すると、エルミは小さく頷き、南へと駆け出していった。それを、キサラギは黙って見詰めていた。
「なるほど、記憶を失っても、人の好みは変わらぬようですな」
「訳のわからん事を言ってんじゃねえよ!」
「とにかく、私達はあなたを倒して、先に行かなければならない。許して下さい」と、リックスが剣を引き抜いて言う。
「うむ。すると、御主達がこの私を倒すと言う事ですな? 笑止!」そのリックスを見て、キサラギが笑みを浮かべる。
「私は元近衛隊長、リックス。私の剣に迷いは無い」そうリックスが剣先をキサラギに向ける。
「俺は盗賊、レイン。俺の短剣は……、長くはない」と、レインがリックスの真似をして、短剣をキサラギに向ける。
「レイン殿、御主は殺しはしない。安心するが良い。だが、リックス殿、御主は違う。残念だが、死して無限地獄へと堕ちてもらう」
「私を甘く見るな!」そう言うと、リックスはキサラギに襲いかかっていった。
 リックスはキサラギに向かって、剣を縦に一閃させた。が、キサラギはその攻撃を紙一重で交してしまった。そして、次の瞬間、キサラギの拳が、リックスの腹に炸裂したのであった。
「ぐっ?」リックスは二、三歩苦しそうに後退り、大量の血を吐き出した。
「ちょっと、待て! そんなのありかよ?」それを見て、レインが驚きの声を上げる。
「シルヴァの真の力は、様々な体術、武器に非ず、万物如何なる物をも破壊する五体の力に有り」キサラギがそう呟く。
「素手で人の首を放つと言う噂は、本当だったようですね……」と、リックスが眉を顰める。
「おいおい。人間業じゃあねえぞ?」
「そう。人は彼らシルヴァを殺人機械と呼ぶ!」そう叫ぶと、リックスはキサラギに向かって飛び蹴りを食らわせた。が、キサラギはびくともしなかった。
(確か、俺の蹴りも平気だったな。あの体は、鉄でできてるんじゃあないのか?)
 それを見て、レインが眉を顰める。そして、キサラギの隙を窺おうとする。が、キサラギに隙があるとは、レインには到底思えはしなかった。
 リックスもレインのように攻め倦んでいた。自分の攻撃が二度も効かず、どう攻撃すれば良いのか、見当もつかなかったからである。そして、自分の行動が全てキサラギに読まれそうな、そんな予感までリックスにはしてくるのであった。
 一方、キサラギは二人に攻撃をしようとはせず、ただ二人の前に立ちはだかっていた。その姿は悠然としており、二人にはキサラギがまるで死神のようにすら見えたのであった。
「各々方、まだつまらぬ抵抗を試みるのかな?」
「うるさい、この田舎者が!」そう叫び、レインがキサラギに襲いかかっていく。
 それを見て、リックスも剣を振り翳し、キサラギに襲いかかる。そして、二人は同時に自分達の武器をキサラギに繰り出した。が、その瞬間、キサラギは宙に舞い、左足の踵でレインの、右足の踵でリックスの後頭部に、強烈な一撃を食らわしたのであった。
 そのため、レインは前に蹴り飛ばされ、リックスは前のめりに崩れ落ちていった。その次の瞬間、そのリックスの後頭部に、キサラギの飛び蹴りが炸裂したのであった。
「リックス?」それを見て、レインが叫ぶ。
「ぐっ?」次の瞬間、リックスは遙か前方に吹き飛び、死んだように動かなくなった。
「てめえ!」レインがそうキサラギを睨つけ、踊りかかっていく。
 レインは短剣を握り締めたままの右拳で、キサラギを殴りつけようとした。が、キサラギはその右拳を左手で、しっかりと受け止めてしまった。そして、次の瞬間、キサラギの手刀がレインの左肩に炸裂したのである。
「ぐっ?」レインはその激痛に眉を顰めた。が、次の瞬間、レインはキサラギの股間目掛けて膝蹴りを食らわせようとしていた。
 すると、キサラギはその膝蹴りに右手を置き、その勢いを利用して宙へと舞った。そして、レインに覆い被さるように背中を丸めると、キサラギはレインの胴体を両腕でしっかりと抱き締めた。
「何?」と、レインが驚きの声を上げた。
 その次の瞬間、レインの肩にキサラギの両足が乗り、レインの首を締めつけた。そして、キサラギが両足を上へと伸ばそうとしたため、レインは足を滑らして後ろに倒れてしまった。
「ぐはっ?」次の瞬間、キサラギは半円を描き、レインの頭を地面へと叩き込んだ。そのため、レインは意識が朦朧としていき、立つ事ができなくなってしまった。
「くっ……」と、リックスがゆっくりと立ち上がる。
「目覚めたか……。ならば、見せよう。御主が聞いた、首切りの技をな」と、言うと、キサラギはリックスにゆっくりと近づいていこうとした。
 その時、キサラギの右足を何者かがつかんだ。キサラギが不思議に思い右足を見ると、そこにはレインがいた。
 レインは倒れたまま、両腕でしっかりとキサラギの右足を抱え込んでいた。そして、決してその両腕を離すまいと、レインは歯を食い縛っていた。
「レインさん!」それを見て、リックスが驚きの声を上げる。
「逃……、逃げろ……、リッ……、クス……」レインはそう呻いた。
「し、しかし……」と、リックスがレインを心配そうに見る。
「エルミを……、頼んだ。こうエルミに言っといてくれ……。『必ず、迎えに行ってやる』ってな」そう笑みを浮かべると、レインはキサラギの右足に、右手の短剣を突き刺した。
「くっ?」その瞬間、キサラギは右足の痛みに眉を顰めると、右足を軸に回転して、レインの右の脇腹に蹴りを食らわせた。が、それでも、レインはキサラギの右足を離そうとはしなかった。
「わかりました。レインさん、必ず、私があなたを助けに行きます!」そう言うと、リックスは一路、南の魔性の森に向かって駆け出していった。
「ぬ……」それを見ると、キサラギは呻いた。
 そして、リックスの姿が見えなくなると、キサラギは右足に視線を移した。すると、そこには、気を失いながらも未だに右足にしがみついている、レインの姿があった。

第二章 虜囚・4

テーマ:
 レインが再び狂いの間へと放り込まれ、さらに一週間の月日が経った。その間、レインはずっと壁に向かって胡座をかき、固く目を瞑っていた。
 レインに時間の概念は、完全に無くなっていた。時には一瞬が一時間にも感じられ、時には一時間が一分に感じられ、レインは今にも気が狂わんとしていた。
 それでも、レインは正気をどうにか保っていた。が、それは飽く迄も狂ってはいないだけであり、レインの目はすでに人間のそれではなかった。レインの本能が唯一、この狂いの間の恐怖から、レインを守っていたのである。
 その異様な気配は、食事を運ぶ者や松明を取り替えにくる者にもひしひしと感じられ、恐怖すらした。そのため、その役目を変えてもらおうと、多くの者が帝王ジルヴァストに嘆願したのであった。
 そして、毎日のようにレインの世話役は変わり、普段はこのような雑務をするはずのない近衛兵までもが、駆り出される事になったのであった。そんなある日の事、突然、レインのいる狂いの間の扉が、大きく開け放たれた。
 それに気づき、レインはゆっくりと振り向いた。すると、眩しい松明の光がレインの目を焼き、レインは思わず目を瞬せた。そして、目の前に立つリックスの姿が、その目に映ったのであった。
「レインさん、私は決心しました。陛下に逆らう事を止め、敵対する事に……。さあ! 行きましょう!」そう言うと、リックスはレインに右手を差し出した。
 すると、見る見る内にレインの目に理性が戻っていった。そして、レインはそのリックスの右手を手に取ると、ゆっくりと立ち上がった。その両足はしっかりとした物であった。
「ああ! 行くぞ!」そう叫ぶと、レインは笑みを浮かべた。
 そして、二人は狂いの間を駆け出ていくと、すぐ近くの階段を駆け上がっていった。が、さすがに疲れが残っているためか、レインは多少足下がふらついていた。
「エルミさんの居場所は変えられました。私についてきて下さい」リックスは階段を登り終わると、そうレインに言った。
「わかった」と、レインがそれに頷く。
「武器です。無いよりは増しでしょう」そう言うと、リックスは短剣を一本投げ渡した。
「だな」レインはそれを受け取ると、すぐに腰の帯革に差し入れた。
 しばらくして、二人は曲がり角から出てきた、同じく二人の近衛兵と出くわした。すると、次の瞬間、レインは片方に飛び蹴りを食らわせ、リックスはもう片方の鳩尾に膝蹴りを食らわせていた。そのため、その二人の近衛兵は訳がわからないまま、気を失ったのであった。
 その二人を後にして、レインとリックスは一瞬の休息も取らずに、できるだけの速さでエルミのいる部屋へと走り続けていった。そして、しばらくして、リックスは一つの扉の前で、急に立ち止まった。目指す部屋に辿り着いたからである。
「エルミ!」レインは扉を勢い良く開け放つと同時に、そう叫んだ。
「あなたは……」椅子に座って窓の外を眺めていたエルミが、ゆっくりと振り返る。
「あ……? ええと……」そのエルミの顔を見た瞬間、レインは気まずそうに頭を掻いた。
「感動の対面をしている暇は、僕達にはありませんよ。さあ、早く!」と、リックスがレインを急かす。
「ちっ……。わかってるって! エルミ、来い!」そう舌打ちすると、レインはエルミの左腕をつかんだ。
 そして、半ば強引にレインはエルミを部屋から連れ出した。が、エルミは何の抵抗もしはしなかった。
「こっちです!」それを見て、リックスが廊下を駆け出す。
 そして、三人はリックスを先頭に廊下を駆け抜けていった。途中、何人かの兵士に出会ったが、三人はなるべくそれらに構わないようにし、城の外へ外へと進んでいった。そして、リックスの部屋へと入ると、三人は窓を飛び出ていったのであった。
 すると、目の前の城壁に梯子が掛かっており、リックスはその梯子を駆け上がっていった。それを見ると、レインは周囲を見回した。すると、こちらに気づいて近寄ってくる、近衛兵達の姿が見えた。
「間に合わないか」レインはそう呟くと、突然、エルミを抱え上げた。
「え……?」と、エルミが驚きの声を上げた時には、レインは梯子を登り終えていた。そして、レインは次の瞬間、梯子を蹴り倒した。
「エルミ、目瞑ってろ!」そう怒鳴ると、レインは城壁を飛び降りた。そのため、城壁を綱を使って降りていたリックスよりも、レインは速く下へと降りる事ができたのであった。
「何て、無茶な事を……」リックスはそれを見ると、信じられないかのような顔をした。そして、リックスも途中で綱を手放し、下へと着地した。
「急ぐんだろ。行くぞ!」と、レインがエルミを降ろし、駆け出そうとする。
「どこへ?」そのレインにリックスが聞く。
「森だ」そう笑みを浮かべると、レインは南を指差した。
「魔……、魔性の森の事ですか……?」と、リックスが顔を青くして、レインに聞き返す。
「そう言う名前なのか? まあ、とにかく南の森だ」そのリックスの表情の変化に首を傾げながら、レインが頷く。
「無理です! あの森は入れませんよ!」思わず、リックスはそう叫んだ。
「何言ってるんだ、リックス? まさか、あの森に近衛兵がわんさといるって、言う訳じゃあないだろうな?」
「……。わかりました。行けば……、わかるでしょう」そうリックスが諦め気味に言い、真先に駆け出す。
(何を言ってるんだ、あいつは?)
 レインは眉を顰めると、エルミの左手をしっかりと握り締め、リックスの後を追い駆け出した。そして、三人は南の魔性の森へ向かって、日の暮れかかった町を走り抜けていったのであった。

第二章 虜囚・3

テーマ:
 レインが目覚めると、そこは牢獄であった。冷たい石畳に石の壁、そして、鉄でできた頑丈そうな扉……。それ以外の物は、ここには存在しなかった。
 明かりは無かった。扉の覗き窓から入る外の光だけが、レインに与えられた唯一の光であった。そして、当然、レインの持ち物も粗方、取り上げられていた。
 レインはしばらくの間、ただ黙ってじっと天井を見据えていた。天井は高く、そして、歪んで見えた。それは、非常に不気味な物であった。
 が、それは、天井一つだけではなかった。壁、床、そして、鉄の扉までもが、微妙な色使いと薄暗さによって、歪んだ空間を醸し出していたのであった。
(俺は……、捕まったのか……)
 レインはゆっくりと起き上がった。そして、レインは辺りを見渡した。すると、壁がまるで生きているかのように、不気味に動いて見えた。
 レインは壁に触ってみた。その壁は、確かに平らであった。と、その壁がレインの手に食いつこうと動いた。そのため、レインは思わずを手を引っ込めてしまった。
(こ……、これが、帝国の狂気の牢獄……、狂いの間か……)
 レインは両手で両肩を抱くと、小さく縮こまった。そして、溢れ出る恐怖に打ち勝とうと、レインは懸命に戦った。が、恐怖に震える体を止める事は、レインにはどうしてもできなかった。
(くそったれ! 狂ってたまるか!)
 レインは大きく両目を見開くと、一点をじっと見詰めた。そして、レインは有らん限りの力で両手を握り締めると、ゆっくりと立ち上がった。
 すると、レインは自分に向かって天井、床、壁、全てが迫ってくるような気がした。が、レインは決して座ろうとはしなかった。レインは扉に近づいていくと、その覗き窓から外を見てみた。
 扉の外には、松明が扉の目の前に淋しく灯っているだけであった。そして、その他の物は何も無かった。番人すらいなかったのである。
(ちっ……。これじゃあ、何もできやしねえ)
「くそったれ!」そう怒りに満ちた声で怒鳴ると、レインは扉を殴りつけた。が、鉄の扉はびくともせず、レインの拳が砕けそうになるだけであった。
「くそ……。くそ……。俺は……、俺は負けねえからな……」レインはそう呟くと、扉に両手をついて寄り掛かった。
 それから、レインは永遠とも思われる程の長い長い時を、ここで過ごしたのであった。それが、何日間であったのかは、レインにはわからなかった。なぜならば、ここには、時間の概念と言う物が無かったからである。
 食事は不定期に出され、それが、朝食であるのか、昼食であるのか、それとも、夕食であるのかわからなかった。そして、松明も取替えの度にその長さが変わり、松明の寿命から時間を計る事もできなかった。
 肉体的な拷問は一切無かった。が、今のレインの状態は、精神的な拷問を受けているのと同じような物であった。
 そんなある日、レインは突然、牢獄を連れ出された。そして、連れ出された先は、玉座のある謁見の間であった。そこで、レインを待っていたのは、二人の男であった。
 一人はキサラギであった。そして、もう一人はレインの知らない男であった。
 その男は玉座に深々と座っており、口の上の髭を左手で弄んでいた。が、その二つの目は野獣のような、力強い輝きを湛えていた。そして、その男の身から湧きいでる威厳は、生まれながらの帝王のそれであった。
 その男こそが、この帝国の帝王ジルヴァスト、その人なのであった。
「ジル……、ヴァスト……?」その二人を見ると、レインは掠れ切った声で、そう呟いた。
「この男だな……?」そのレインを蔑んだ目で見ると、ジルヴァストはそうキサラギに聞いた。
「はっ……。洗脳を施し、母国に於いて訓練をするならば、必ず、良いシルヴァとなりましょう」
「確かに……、狂いの間で一週間。ここまで持ったのは、この者が初めてではあるな」ジルヴァストはそう鼻で笑うと、レインから目を逸らした。
「グシャナを呼べ」そして、ジルヴァストはレインを押えつけている二人の内の一人を見ると、そう命じた。
「グ……、シャ……、ナ……?」その瞬間、レインの目の色が変わった。が、決して、それを自分を押えつけている男に気づかれないように、レインは目を伏せた。
 しばらくして、謁見の間に二人の男が現れた。一人は先ほど命令を受けた男であり、もう一人は不気味な仮面をつけた男であった。その男の仮面に、レインは確かに見覚えがあった。
「何の御用で御座いますか、陛下?」その仮面の男はレインの隣まで来ると、立ち止まってそう一礼した。
「連蓮の薬の進行状況はどうなった、グシャナ?」
「はっ。連蓮は見つかりましたが、いかんせん、残りの黒薔薇の毒や赤毛草の葉など、入手困難な物が多々ありますので……」と、グシャナが畏まる。
「わかった。下がれ」そう眉を顰めながら、ジルヴァストが言う。
「はっ」一礼し、グシャナが下がろうとする。
 と、その時まで、静かだったレインが突然、押えつけていた男を振り払った。そして、その勢いで、レインはグシャナに襲いかかっていった。
「な……?」その突然の行動に、グシャナは呆気に取られ、レインに押し倒されてしまった。
「死ね!」レインはそう叫ぶと、グシャナの上に乗り、仮面を両手で何度も殴りつけた。
「キサラギ!」それを見て、ジルヴァストがそう叫ぶ。
 と、キサラギがレインに駆け寄った瞬間、レインの動きが止まった。そのため、レインはキサラギの攻撃を避けれず、まともに手刀を背中に食らったのであった。
 そして、レインはキサラギによって抱えられ、グシャナはゆっくりと起き上がった。そのグシャナの仮面は割れ、素顔が剥き出しになっていた。
 そのグシャナの顔を見た瞬間、キサラギも一瞬声を失ってしまった。なぜならば、グシャナの顔の上半分全てが、不気味に焼け爛れていたからである。
 が、グシャナの方は何事もなかったかのように、謁見の間を出ていった。そして、キサラギからレインを受け取った二人の男も、何も無かったかのような顔をしていた。
「さすがに、ナパ・ジェイにもあのような事はせんようだな?」そのキサラギの狼狽え振りを見ると、ジルヴァストは笑みを浮かべた。
「はっ……」
「その男を狂いの間へと戻せ」ジルヴァストはレインを抱え上げている二人を見ると、そう命じた。
 その後、レインは狂いの間へと戻された。そして、再びレインは狂気との戦いに、精神を削る事になったのであった。