聞きました?

長野県の善光寺がオリンピックの聖火リレーの出発地点を辞退したってニュース。(中日新聞のニュース記事

わたくし、感動しました。


「ふ~ん。そうなんだ。」なんて思いながら夕方のニュースを見ていましたが、

善光寺側が会見で、

『宗教者として、チベット問題を憂慮している』ことを辞退の理由のひとつであるとして はっきりと述べた瞬間

我が家では(相方は本日休みだった)、「えらいね、善光寺。かっこいいね。」と賞賛したのであります。

だって、文化的遺産の保護とかそういう視点での辞退理由しか述べないと思っていたからね。


チベット仏教と日本の仏教とではずいぶん違うものなのだろうけど、仏教徒として、宗教者として、そしてもちろん人権を尊重する日本国民としての発言であったろうと思います。

相変わらず、なんも言えない日本の政治家とはエライ違いです。

実際、この発言は多少なり勇気のいることだと思う。

でも、日本は政教分離の国だし、こういうことがきちんと発言できる国であるということは、とても良いことだよね。

今回の善光寺の発言は、世界中の仏教徒(国)にとても勇気を与えることになるのではないかな。

関係ない私だけど、一応仏教徒だし、なんだか勝手に誇らしいです(笑)。

日本人は無宗教者が多いと言われるけど、やっぱり意識するしないに関わらず、多くの人は仏教の教えに守られ、従い、信じて、道徳やマナーが出来上がっている中で生活していることは間違いないのだと思う。

「お天道様が見てるよ」

とか

「早起きは三文の徳」

とか

迷惑かけて、かけられて「お互い様」

とか

お盆にお墓参りに行って、おはぎ食ったりとか(笑)、

とにかく、諸々ベースは仏教なんだよね。


それにしても、聖火リレーもここまで来たら、無意味だよね。

私は中国政府に抗議したい気持ちは十分わかるけど、聖火リレーの妨害なんて意味ないし、やめてほしいと思うけどね。

こうなったら、ランナーは「フリー・チベット」って襷をかけて聖火持っちゃえば?(笑)。

無事にオリンピックは開催されるんでしょうか?

なんかね、やっぱり選手が気の毒です。

選手は懸命にオリンピックへ向けて頑張っているのに、大会自体がなんとなく歓迎されないものになってしまっている雰囲気が、、、、、。

政治や宗教とスポーツは切り離されて考えなければいけないものだけど、現実そうはいかないわけで。

このままでは、個人で出場を辞退する人もでてくるだろうし、競技中やインタビューなどで政治的メッセージを発する選手などもでてくるかもしれない(日本人にはいないだろうけどね^^;)。

でもさー、冷戦時代だったら、多くの国が不参加なんだろうね。もちろん日本も。

少なくとも30年前よりは、表面上なんとなく平和に近づいているように見える世界だけど、本当はなにも良くなってない。

より複雑でデコボコが多く細かくなって遠くから見ると表面上はツルツルに見えるけど、わかりにくくなっているだけ。


私がチベットのことを知ったのは、もうずいぶんと前にビースティボーイズが開催していた「チベタンフリーダム・コンサート」とかが最初だけど、仏教徒の多い日本人としてもっと多くの関心が寄せられてもいいんじゃないかな、とも思うし、今の機会を逃したら、また多くの国が「アジアの山奥の出来事」として放置することにもなりかねない。

それはやっぱり心痛む事態だと思う。そうはなってほしくない。


ただ、一見宗教問題に見えてしまうけど、実は宗教問題なんかじゃなくて、チベットに眠る地下資源の問題だってことを忘れちゃならんです。

中国政府はチベットの資源を横取りしようとしている上、ダライ・ラマを悪者にしようとしている、

ほんと信じられない国だなーって思う。

ショボイ政治家しかいないけど、日本のほうがまだマシだね^^;。


AD

ドラマ「拝啓、父上様」 を観ています。

タイトルから察せられるように倉本聡脚本のドラマで、「前略、おふくろ様」や「北の国から」のように、主役の男の子(嵐の二宮和也)の頼りなげなナレーションをはさみながら物語が進んでいく。


観ていない方のために、ちょっと内容をかいつまむと、舞台は神楽坂の料亭「坂下」。

「坂下」は、”一見さんお断り”という古いしきたりの、かつては政治家も多く利用したような料亭で女将(八千草薫)は、言葉は悪いが元政治家の「二号さん」であったわけだけど、そんな現状に不満を抱くどころかたとえ相手の葬儀にさえ出席できなくとも最後まで感謝と礼をつくすという、良くも悪くも「そういう時代の人」。

現在料亭「坂下」は若女将(岸本加世子)が切り盛りしているのだけど、その「坂下」は時代の波に飲まれ経営難。若女将はマンション建設の場所として現在の「坂下」を諦めて女将の反対を押し切り、新しく建設されるマンション内に今の時代にあった新しい「坂下」を作ることを決意。

二宮くんは、料亭の若き板前役。その他の出演者は板前役に辰兄こと梅宮辰夫、若女将の旦那で板前役に高橋克己。二宮くんの母親役に高島礼子。二宮くんの父親かもしれない匂いを持つ人物に作家役として一、二度奥田瑛二も登場した。


このドラマを観ている人で猫好きな人は、毎回さりげなく神楽坂の町にちらっと映る猫達が気になっていたことだろう。

車があまり通らないような狭い路地、階段や坂、代々同じ土地で商売を続けている人々が住むちょっと古い町並み。そんな場所には必ず猫がいるし、猫が似合う。

きっと倉本聡は神楽坂の猫たちのことが好きなのだろう。


けれど、昨日にはこんなやりとりがあった。

女将(八千草薫)が野良猫達にご飯をあげているところに、若い女性が二人やってきて女将に大きな声で注意するのだ。

それは注意なんてものでなく、偉そうな上から目線の態度で。

八千草薫はうつむいて、ただ謝るばかり、、、、、。

それを、観ていた二宮くんのナレショーンは

「(女性達に)怒鳴ってやろうかと思ったけど、やめておいた。。。たしかに、この辺りでは野良猫に餌をやることは禁止されており、、。でも、おかみさんは昔から猫たちに餌をあげており、それはかつては許されていたわけで、そのことは新しく住み始めた人たちには知らないことで、、、、。」

うろ覚えだけど、内容としてはだいたいこんな感じのセリフだった。

野良猫にご飯をあげることは、たしかに今の時代褒められることではないだろう。でも、うつむく女将の姿と、二宮くんのナレショーンに胸が締め付けられる思いだ。


また、若干悪意すら感じられるような過剰な演出にも見えたが(苦笑)、番組の後半には若女将が予約をとってきたベンチャー企業の客が下品などんちゃん騒ぎを繰り広げ、そのうちの一人の泥酔した客が、同じ時間に来ていたお馴染みの「パイプの会」のご老人とすれ違いにぶつかって、転倒したご老人は怪我をし救急車に運ばれることになった。

けれど、その客はまったく反省の色を見せずにデカイ態度のまま。

帰り際にお客に注意を促す女将と、それを止める若女将。

「オレは客だぞ!」と私がこの世で嫌いな言葉ベスト3に入るセリフを撒き散らす客。

まったく反省の色なく、帰ろうとする客達に板前修業中で少年院あがりという設定の横山くんが怒りを抑えきれずにお客を殴ってしまうという大騒動に。



時代の流れはいつだって早い。

人の常識や、街並みや、流行や、お金の流れ方は、どんどん変化していく。

けれど、その変化についていきたくない人や、「ついていけない人」もいる。

新しいものや変化はいつも正しくて、古いものや変わらないことはイケナイことなのだろうか。

「そんな考え方は古い」

と、一方的にバッサリ切り捨てる人は、一方的にバッサリと切り捨てられる人(や猫)に心をくだかない。

「新しい今」を大上段に構え、それがすべての人にとって当然の「正しいこと」であるかのように信じて疑わない。



大騒動となったドラマの最後に、また二宮くんのナレーションがはいる。

「そのあとは、大変だった。『坂下』始まって以来の大失態だと逆上する若女将(岸本加世子)。それにたいし、女将さん(八千草薫)は、『どうせ、もうすぐこの『坂下』はなくなるんだから、別にいいじゃない』、、、、と おっとり開き直り、、、、。」


おっとり開き直り・・・・・・・。

あ、新しい(笑)。

八千草薫はいつもかわいらしい女優さんだが、このドラマの役はいつにもましてかわいらしいのだ。

これから私も「おっとり開き直り」ながら、新しい時代をのらりくらりと生きていこうと思った次第。



AD