みなさん書評つながりってご存知ですか?

昨年の12月(だったかな?)に、書評つながりというところに、ささやかなプロモーション活動として(笑)、山川健一さんの本、「イージーゴーイング」についての感想をTBしたんですよ。

すっかり自分でTBしたことすら忘れていたのですが、先日メールがきまして、
「つながり賞・銀賞」に選ばれていたことを知りました。
それだけでも、驚きなのですが、なんと賞品(本10冊)と賞金まで、貰えるそうなのです。

ええぇーーー!?って感じです。

しかも、その賞金が

















5千円も!ワッショイッ


いいんでしょうか?
あんなので、5千円も頂いて。
「あんなので」なんて言うと、選んでいただいたスタッフの方に失礼なのですが(汗)。いや、正直5千円の価値はないかと(笑)。

でもね、















もちろん遠慮なくいただきますからっ!


何買おうかしら(笑)。
そういえば、ランキングの賞金貰った方、寄付された方も多かったようですね。
では、私も寄付しようかしら、思い切って

ご、ご、ご、















ご、ごひゃくえん・・・・。


え?せこいですか?(汗)
一冊は買いたい本があるので、それに使わせてください。
残りは、、、どうしよう。
寄付するにしても、どこに寄付するか考えないとな。


みなさん書評つながりで紹介されている本を読んだら、感想を書いてどんどんTBすると良いですよ。「書評」なんていうと堅苦しいですが、私の記事を読んでいただければわかりますが、「読書感想文」って感じでもOKみたいですから~(笑)。

でもね、私の感想よりも、ずっとずっと素敵な文章があります。
それは、rosemaryさんのイージーゴーイングの感想です。こちらは、メルマのブログにアップされています。もし、rosemaryさんがアメブロでこれを書いてTBしたら絶対金賞だったと思うな。姉さん、一万円逃しましだぜ(笑)。

また、私のHPでも、rosemaryさんや、アメブロで出会った方のご協力をいただき「イージーゴーイング」を紹介しています。興味のある方は是非ご覧ください。



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もう一度イージーゴーイング





著者: 山川 健一
タイトル: イージー・ゴーイング―頑張りたくないあなたへ
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はじめにきょーこさんのブログ「Diary?」12月2日付けの記事をお読みください。

きょーこさんのブログを読んで、何か書きたいと思ったのですが、上手くまとまらないんです。
なので、ルール違反?かどうかはわかりませんが、きょーこさんのブログへメールのように「返信」するような形で書こうと思いました。
わかりやすくするため、ここにきょーこさんのブログに書かれている内容を一部掲載しています。
本来ならばきょーこさんに確認を取り承諾を得なくてはいけないことだと思うのですが、お返事を待っているとその間に書く気力が無くなりそうなので、見切り発車ということで(汗)。


[頑張る]っていうことについての思いが、この本を読む前からわたしのココロの中に、いつもゆるくまとわりついていた気がします。それはきっと自分が気になる言葉だから。自分が[頑張ってる]、その貧乏性な(笑)現実があるから。うん、そう思う。たぶんそうなんだよね。

こんにちは!
私からみると、きょーこさんはいつもハツラツとしていて、なにより行動力のある方です!
そう、私の100倍くらい「頑張ってる」という言葉が似合います(笑)。
たまに、考えるんですよ。どうして、そういうきょーこさんのような方が私のような、
計画性ゼロでお家大好き!のだらだら~ず一号を相手にしてくれるのだろう?と。
そこで、非常に楽天家の私は考えました。
それは、だらだら~ずな私でも、私には私の「スタイル」があるからかな?って。
以前、きょーこさんとネット上でのコミュニケーションについてお話したときにこんなことをお互い言ったのを覚えていますか?

「相手に期待をしすぎる人が多いかも?」

というような内容だったと思います。
二人して「うん、うん」と激しく同意していたように思います(笑)。
そのように?かどうかはわかりませんが、「イージーゴーイング」で「生き方のスタイルを決めて美しく生きる」という章がありますよね。
美しいかは置いておくにしても(?笑)、例えば人との接し方にしても「これはかっこいいのか、どうなのか?」という基準(スタイル)が、私にもあります。そのスタイルが良いか悪いかどうかは別にしても、とりあえず「ある」んです。そのあたりを評価してくれているのかなぁ、なんて勝手に思っているんです(笑)。

この本では[頑張らなくてもいいんだよ。]、そんな風に山川さん(以下、健さんって書きます)は説く。根本的に言いたいことは分っているつもり。でも、ひっかかるんだよね。この本って、語り口とか、そういうのがあまりにも優しく読む人に寄り添いすぎてて、物分かりが良すぎるんじゃないのかしら? 人生を出来るだけ[らくちん]に生きるための指南書として、とてもすらすら読めてしまうし、誰にでも良く分る内容だと思う。
でもこんなに優しくていいのかしら?

[無理しないでね。]とか、[頑張らなくてもいいんだよ。]っていう言葉。わたしだったら、[自分が][頑張らなくてもいい]その瞬間は、自分で判断して決めたい。(可愛くないって思われそうでこれも書くのがためらわれるが(笑、わたしは人に相談しようと思ったこともない。だって人に相談して解決できることなんか本当に稀だから。)


確かに、いつも健さんは優しいですけれど、この本は特別ですね。
こういってはなんですが、やはりある程度の経験値があり、自力、ときには友人の力を上手く借りて、いろんなことを乗り越えて来られた方々には、正直この本の内容というのはそんなに必要ないのだど思うんです。(う、こんなこと書いたら健さんに嫌われそうだ・・・・・)

「頑張らなくていい瞬間」は自分で判断して決めたい。

たしかにそうですね。
誰かからの言葉は「一助」であり、最終的にどうするか決めるのは本人であるということですから。

だからやはりどちらかというとこの本は10代や20代前半くらいの読者が一番のターゲットなのかな?
と私は感じています。
「若い読者からのメールが増えた」それに返信しているうちに、本にまとめようかな?と思ったのがきっかけだと、あとがきにも書いてありましたし。

あとは、「この本で一番言いたかったこと」として、『自分を責めちゃいけないんだ』という言葉がありますよね。
10代ならば、どこにいても居場所が無い。親から愛されない。周囲の期待に答えられない。というような悩み。(錯覚の場合もあるかもしれませんが)
サラリーマンならば、突然のリストラ。会社での役職が上がるにつれての、現実と自己との葛藤。頑張って頑張って、給料も上がって会社からの評価も上がっているのに、自分のメンタルな部分はどんどん暗くなるとか、そういうこともある。
誰もが自分の好きな仕事に就けるわけではない。
「そんなことない。やろうと思えば好きなことができる」と言う人がいるかもしれませんが、それこそ「そんなことはない」と私は思っています。
また、好きなこと、やりたいことはあるかもしれないけど、「仕事」としてやりたいと思うものがないとか。そういう場合もある。
もちろん、好きな仕事をしているけれど生活はかなり苦しいという人もいるでしょう。

そして、誰もが一度は思う。

「でも、頑張りたい。」

そして、こうも思う。

「なのに、頑張れない。」

ううん。
本当はそうじゃなくて、頑張っているけど、結果として現れない。
だから、毎日悩み、自分のことを周囲のことを考えてみる。
そうやって、焦燥にかられ頑張っているにも関わらず、答えが見えないと自分は頑張れない、頑張っていないと思ってしまう。
最悪なのは「頑張れない」「頑張らない」人間はダメな奴だ、という一般的な考え方がある。
危険なのは、自らをそういう一般的な考えの中に埋めてしまうこと。

KADOさんの言葉の
「がんばれ」って言われて素直に喜べない奴は そこが限界かあるいは友達いないんだろうな。

というのを引用されてましたけど、
今回の健さんとしては、そういう人達までをも掬い取りたかったんだと思う。

言葉の受け取り方は当然のように千差万別で、きょーこさんが仰るように、
[悪魔のささやき]として誤解される場合もあるかもしれないけど、
今回はあくまで自分の弱さを認めるところからスタートだからね。
私流の言葉で言うと「ヘタレ」な自分を認めて、許してあげるところからスタートなんですよね。
そうじゃないと、友達もできないし。
ハードルが低いような高いような・・・・。でも、気がつくのは案外と難しい。そういうところからスタートなのだと思います。
KADOさんの言葉も読む人によっては、突き放しているような感じを受けるかもしれないし、「ハッ」と自分自身を見つめ直させ鼓舞させてくれる暖かい言葉、という印象を受けるかもしれない。
今回の健さんは極力優しい言葉を選んでいるような気がします。

で、きょーこさんが一番気になってる(?)

健さんの語り口は、最初から最後までほんとうに万人に優しくて、もしかしたら[本当はこれから頑張るべき]ところにいる人に[悪魔のささやき]として誤解され、、、、

もう、それは音楽と一緒なのではないですかね?
一度、リリースしたら読み手側の物ですから。
もちろん誤解されないように願っています。
きょーこさんも百も承知の通り、結局、「無理しないでね」「頑張らなくてもいい」という言葉は、それぞれのポジションで頑張っている人を、そして心機一転これから自分らしく頑張ろうとしている人を応援しているのですからね。

あと「万人に優しくて」ですけど、私は感想の記事で「ロックンロールの背景がなくてどうのこうの。。。」とか書いてしまいましたけど、一度こういうのを書いてみたかったんじゃないのかなぁ、健さん。
差異にスポットを当ててというのではなくて、共通項にスポットを当てるというのはあまりなかったと思うし。
あとは、始まりが「若い女性からのメール」が増えて、それを返信してたのがきっかけですからね。
健さんは、きっと女性に優しいですよ。あはは、なんて(笑)。


<追記>

[頑張ること]に疲れてしまってどうにもならなくなってる人たちが世にそんなに多いっていうことなのだろうか?



やはり多いのだと思います。
「死ぬな、生きろ」にも書いてあったと思うのですが、日本の自殺者の増加は尋常じゃない。
私の場合は幸いごく近しい人の中には、自殺した人いないのですが、友達の友達、元彼のお父さんなどはいますね、やはり。
自殺未遂となると、私の近しい人にもいました。
あとは、そういうんじゃなくても、私のような「ヘタレ」な人。
きょーこさんのように行動力のある方から見ると、信じられない事かもしれないけど、私にはずっと夢がなかったし、具体的にやりたい仕事もなかったんです。考えても考えてもなんだかよくわかりませんでした。
そのことがかなり長い時間、私自身に影を落としていました。
だけど、もしかしたらきょーこさんも似たようなことで悩んだ経験があったかもしれませんよ~。
もしくは5年後、10年後、にっちもさっちも行かなくなるような状況になるとも限らない(笑)。
もちろん、そんな状況にならないことを祈ってますよ!はい。お互いに(笑)。

それから、こんなふうにきょーこさんと健さんのことをお話ができて、すごく嬉しいです。
ありがとうです。


ーーーーーーーーーーーーーーーキリトリーーーーーーーーーーーー

とまぁ、なにが書きたいのか今ひとつ自分でもわからないのですが、
きょーこさんのブログを読んでの返信として「イージー・ゴーイング」の感想というか、私なりに健さんがこの本を書かれた動機を、勝手に推測してみました。
この前も健さんにTBしたばかりで、うっとおしく思われるかもしれませんが、
一応またTBしてみます。きょーこさんのほうも読んでいただきたいし。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この長い文章を最後まで読んでくださった人は、光栄にも私のブログを楽しみにしてくださっている少数の方だと思います。
どうもありがとう。
書きやすい形で、きょーこさん宛のメールのようになりましたが、
これも一つの記事ですので、もしよかったらコメントもいつも通りお気軽によろしくです。

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さて、「イージー・ゴーイング」の感想を書きます。
いつのまにやら今日が(ポストカード貰える)締め切りです。
夏休みの宿題は最後の一日になるまでやらない私でした・・・。
この感想記事自体はもちろん明日以降でもいいのですが、
「ポストカード欲しいんだもん!」(笑)
大阪の本屋さんで飾ってあったカード、すごくかわいかったです。
なので、なんとか今日に間に合わせます(汗)。

いいですよね~、山口マオさんの「にゃんちゃん」。
本の最後(241ページ)で、左手を腰に当てながら右手を挙げるにゃんちゃん。
「じゃあ、またね。」
って言ってます(たぶん)。サイコー。
思わずこちらも
「おう。またよろしく。」と
右手を挙げて答えてしまいそうです。

前置きはこれくらいにして、

なかなか私が「イージー・ゴーイング」の感想を書けなかったのには、少し訳がありました。
こんなことを書くと、山川氏に大変失礼なのなのですが、「ヒーリングハイ」~「オーラの見える毎日」~「死ぬな、生きろ」などのエッセイ、そしてもちろんその間に出版された小説も順に読んでいる私にとっては、(おまけに、メルマガや携帯メール配信にも登録していたしつこさ(笑))特に新しい発見がなかったからです。
正直「健さん、またなの?」という感じがあったのは否めません。

また、私のHPにrosemaryさんがわざわざ「イージー・ゴーイング」の感想を書いてくださったのですが、その中にこんな一節があります。

だが、実際はいくら歳をとってもゆれ続けるのが人の心だ。ふり幅は狭くなってもいつまでもゆれている人生の中でこの本はほっこりとやさしく灯がともるような言葉をみつけらる一冊である。

私は本当に感激しました。
この言葉以上に良い言葉を自分の中で探せないと思いました。

そんなこんなで、普段のだらだら生活にも追い討ちをかけられて、
夏休みの最後の一日状態になってしまったのです(汗)。



「死ぬな、生きろ」が出版されたときに、私は山川氏にこんな感想メールを送りました。

健さんは(言い方悪いかもしれませんが)、やっぱり『アク』の強い方だと思うんです(笑)。ロックンロールの洗礼を受けて、それが健さんの個性の一つで、私もそういう健さんが好きなわけですけれども、(中略)でも、健さんは健さんの『アク』はそのままにあるんですけど、今はもっと普遍的なものを探して、見つけているのかな?と思いました。

「イージー・ゴーイング」を読んで思ったのは、このときの感想はあながち間違ってなかったんじゃないかな、ってこと。
この本の間口はとても広い。
もちろんいつだって山川氏のエッセイの文体はとても易しく、私でさえスラスラと読み進められるのだけど、この本には「ロックンロールの背景」を持った内容があまり登場しない。
『右の天使と左の天使の話』という章ででミックやジョン・レノンが登場したり、
『生き方のスタイルをきめて美しく生きていくこと』などの章は、ロックファンであれば説明不要なほど感覚的に理解できる内容であるが、そうでなくても十二分に共感を得られる内容になっていると思う。

私たちが等しく持つ共通の背景とはなにか?
それは社会であり、現実であり、夢なんだと思う。
個人によってその内容は微妙に違うにせよ、結局のところそれらの背景を抱えて私たちは毎日生きてる。
というより、そこからは逃れられない。
そこにはロックンロールが好きだろうが、嫌いだろうが関係ない。
17歳の女子高生だろうが、40歳の働き盛りのサラリーマンだろうが関係ない。
そして逃れられない背景なのだとしたら、どうやってなるべく「らくちん」に生きていけばいいのか。
そういうことを丁寧にレクチャーしてくれている本だと思う。

「らくちん」に生きる、ということに対して『それこそ現実から逃げている』のではないか?と
考える真面目な方もいらっしゃるかもしれない。
でも、そうじゃないんだよね。
それは、この「イージー・ゴーイング」を読んだ方ならおわかりになると思いますが、
「らくちん」を知るには、「厳しさ」を知っていなくちゃいけない。
「厳しさ」があるから、「らくちん」がある。
「悲しみ」があるから、「喜び」があるように。
生きていればときには頑張りたくなるものだよ、と書いていらしたが
結局のところ、どちらか一方しか存在しないなんてことはあり得ないから。
逃げて逃げて逃げ続けるのも大変そうだしね。
逃げれば必ず追いかけられるものだしね。

「現実六割、 夢四割と考えよう」という章がある。
それを「厳しさ六割、らくちん四割」と置き換えてもいい。
または「悲しみ六割、喜び四割」と考えてもいいかな、と思う。
あれ?結局、大変じゃん!
イージー・ゴーイングなんだからもっともっと、らくちん六割、喜び六割がいい!
と、思ったところで仕方が無い。欲が深いとらくちんになれません。
上手に諦めましょう(笑)。

だって

成功しようが失敗しようが自分の人生ってものはちゃんとここにある

と書かれてあるように、

たとえ厳しい人生でも、悲しみが多い人生だったとしても、それが不幸せな人生だということにはならない。
休みの日にはお昼まで寝ているような、ぐーたら主婦がこんなこと言うのもなんですが、
本当にそう信じたい、というか信じます。



・・・・・・・・・

とは言うものの。

もちろん私もまだまだ修行中(?)。


rosemaryさんのブログ
http://blog.melma.com/00122903/

手前味噌ですが「イージー・ゴーイング」特集ページ
作りました。
http://www.d1.dion.ne.jp/~bonoko

長いよ>わたし。
最後まで根気よく読んでくださった方、どうもありがとう。
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