本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 いつ頃から女房が晩酌をするようになったのか覚えがありませんが、女房は素面の時はすこぶるおしとやか人なのですが(いや、これは冗談です)、酒が入ると途端に威勢がよくなるのです。態度も横柄になり、声も殊更大きくなって、テレビの音など聴こえなくなる位です。

 つい最近のある日の晩、いつものように二人で一杯やりながらテレビを見ていたら、日本国中到る所で熊が出没していて、これまでに70頭以上が捕獲され、その多くが射殺されていると報じていました。

 このニュースを聞いた女房はすかさず「可哀想に。お父さん、きっとこれで今年は山菜採りに人が山に行かんようになるわ」「うむ、恐いもんな」「そう、町の人間が猫も杓子も山に入ってダラみたいに木の実などの熊の食べ物を洗いざらい取って来るから、きっと熊は食べ物が無くて里に下りて来るんやで」「うむ、そうやな」「それに、山に人の食べ残しを沢山置いて来るもんやから、熊がそれを食べて味を覚えてしまうんや。丸で、人間が餌付けをして山から熊をおびき出しているようなもんやで。私の子供の頃は親から柿の木の実は全部取らず、上の方は鳥の分に残しておけ、とよく言われたもんやけど…」と、ビールの入ったグラスを片手にここまで一気に話し、今日も勢いがいい。
熊
 そこで、私も「うむ、そう云えば、いつか大杉の人に聞いた話やけど、大杉の川沿いの狭い土地に小さな田圃が幾つもあって、その田圃に川の水を引く水口の辺りの稲は刈り取らず少し残したそうや。鳥の餌のためにね」

 ところで、この大杉の谷深い鈴が岳の山中に手作りの小さな小屋を建て、独り住んでいる西出恵一さんという人が、最近3頭の射殺された熊の解体を頼まれて腹を開いてみたら、3頭とも胃袋の中が空っぽだった、と話をしてくれました。この話は先の女房の話を裏付けるものでした。熊のみならずイノシシにもサルにも、今の山には我々が想像する以上に餌が無いようです。そして、人間のエゴが山に棲む生きものの生態までも荒らし、その挙句お返しに人間の生活が脅かされて、互いに傷ついています。
熊1
 熊にしてみれば、ただ腹がペコペコだっただけなのにね、見つけられる度に殺されて、熊が哀れです。殺された熊が血を流して、大の字に仰向けにされてテレビの画面に写っている姿を見ていると、私は何かやり切れない想いがするのです。どう見ても、人間の方が愚かに思えてなりません。

住職の口癖  ウケねらいの話より、うなずかせてくれる話の方がいいな。


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 私が大学一回生の夏休みに、空手部の合宿に備え、一ヶ月程アルバイトをしてその資金を稼ぐことにしました。そこで、京都の河原町八条付近の小さな鉄工所でアルバイトをすることになりました。その鉄工所には4,5人の人が働いていて、後で分かったことなのですが、そこは社長を始めとして勤めている人皆が在日朝鮮人の人たちでした。私の仕事は、細い鉄筋を火鉢で餅を焼く時に使う網がねのような形に溶接した長方形の物を、一枚ずつ型を作る機械に挟み込み、その機械から突き出ている二本の棒を握って両手で向こうに押しやるようにして曲げて、全体をL字型の形に仕上げることでした。
この単純な作業を一日中やる訳です。でも、三日位に一度はこの仕事を中断し、これまでに仕上がった製品を長浜の生コンの会社まで2tトラックで運ぶのですが、いつもこの配送にはトラックの運転手の人が私を助手にと連れて行ってくれました。因みに、私が曲げたL字型のその物は、型枠の中に入れてコンクリートを流し込むと、舗装道路の脇の歩道との境の側溝の部分だったのです。

 ところで、私はこの運転手の人と、京都⇔長浜の道中、車の中で在日朝鮮人であるが故に、これまで受けてきた様々な苦労話や日本に対する不満話を度々聞かされました。兎にも角にも、この工場の在る界隈は朝鮮人街でしたので、銭湯に行けば中にいる人がすべて朝鮮人でしたし、その上、皆の体には刺青をしている人ばかりで、薄暗い光の湯気の中、その異様な光景が今でも思い出されます。

 やがて、私もここを辞める時期が来て、私とのお別れ会だと言って、初めてこの運転手の人は自分の家に誘ってくれました。行ってみると、そこは在日朝鮮人の集合住宅で、小型の体育館のような建物というか、倉庫のような建物というか、そのような建物が平行して二棟並んでいました。その二棟の間は通路になっていましたが、通路の頭上には物干し竿の替わりに何本ものロープがその建物の間に張られてあって、そこを通るには乾してある洗濯物を暖簾ように両手でかき上げて歩いて行きました。そのようにして建物の端まで進むと、漸く共同の玄関先に着きました。建物の中に入ると、そこには何世帯もの家族が住んでいるようでしたが、驚いたことに住戸の境にちゃんとした間仕切りの壁が無く、ただ部厚い毛布のような、シートのような物で隣と仕切られてあるだけなのです。私はそれを見て、<こりゃ、長屋より悪い生活環境だ>と思った程でした。

 この日、この運転手が私に言いました。「日本人で、ここへ来たのは、お前が始めてだ。大学は辞められないのか」と、意外にもそれがここに留まるよう熱心に口説かれて仕舞ったのでした。


住職の口癖  子供を思いのままにしようとするは、親の気まま、かな。



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尺八
 私は学生時代、留年した3年間に尺八というものに大層りまして、筝曲や山本邦山が創作した尺八曲に代表されるような、所謂、現代邦楽に傾倒しておりました。卒業してからは、暫く小松にいた間、芦城民謡会というサークルの仲間入りをさせてもらって尺八を習っていました。練習がいつも晩だったものですから、練習が終わると一人で2本の尺八を持って、近くの〝おかだ〟というクラブに行き、習いたての民謡を披露したり、お客さんの唄う歌謡曲の伴奏をしたりして遅くまで呑んでいました。当時はまだカラオケは走りの頃で、このクラブにはピアノしかありませんでしたので、お客さんには大変喜ばれたように記憶しています。


 いつだったか、その頃にこのクラブにしょっちゅう出入りをしていた、やっちゃんというオカマさんに会った時、「わたし、あの時のご院さんの尺八を吹いている姿が今でもはっきりと覚えているわ。また聞きたいわ。もうやらないの」と、せがまれたことがありましたが、残念ながら今では尺八の竹も割れ、火吹き竹にも使えません。

 ところで、誰でも酒を呑んでいると、ふと、とんでもない事が頭に閃くことがあります。つい2ヶ月ほど前に、円満の会の呑み助3人と寺の近くにある〝蔵くら〟という馴染みの居酒屋に呑みに行った時のこと。その店には40歳前後の店主と愛くるしい表情の女性がいて、私はかねがねこの女性の存在が気になっていたものですから、「君ら、夫婦なの?」と聞いてみたら、「違う」と言うのです。それで「恋人?」と聞くと「そんなもんです」「じゃ、一緒に暮らしているんだ?」「はい」「結婚は?」「いやー」「じゃ、籍は?」「いいえ…」と、どうも二人の仲は訳ありのようです。これ以上二人に立ち入った話を聞くのも気の毒だと思いつつも、段々皆にも酒が廻ってきたのか、調子付いてきまして、この先の話に皆は興味津々です。ところが、連れの一人の園井というお方が突然烈火の如く怒り出したのです。「どーぉー!籍も入れんと一緒に暮らすなんて話にならん。それでも男か。人の娘を何やと思うとるんや」と、男性の方を激しく責め出したのです。

結婚式1  結婚式2
 まさしく、その姿はその女性の父親に成り代わったようでした。その時、女性はウルッときているようです。私はその表情から涙らしきものを見て、ついつられ「よし、ワシがしたる、君らの結婚式を。金は要らん。その代わり朝市にしたらどうだ」と言うと、皆は「それはいい」と一同賛成をするじゃないですか。
 まぁ、このような訳で、明日の朝市で結婚式をすることになったのです。幸い天気も良さそうです。この時の模様は本光寺のHP「スカッと念仏 」をご覧下さい。乞うご期待。

住職の口癖  団体組織のトップの立場にある者は、金を欲しがらないこと。


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 よく人から「住職は門徒の名前をよく覚えている」と言われます。居酒屋や馴染みの寿司屋などで一杯やっていると、時々こんな会話が耳に入ってきます。

 大概、どこの店の人も私を「ご院さん」とか「住職さん」とか言って呼ぶものですから、これは何時のことだったか、ある店で、私を知らない50歳前後の二人連れの客が「あれ、どこの坊主や」と声を潜めて店の者に聞いています。「そこのほんこっ(本光寺)さんや」と、応えている声が私の耳にかすかに聞こえてきます。すると、その客が「えっ、うらんとこも(俺の家も)本光寺の門徒かも知れんな」と何とも自信なさそうに言うものですから、その客の連れの人が「お前も、じょんなこと言うとんなま(変なことを言うな)。わがんとこ(自分の家)の寺も知らんがかいや」となじると、すかさず「うらんとこ、所帯出やしんな(分家だから)、まだ誰も死んどらんわいや、知らんで当り前やろ」と、段々と声が大きくなって、私の所まではっきりと二人の会話が聞こえてくるようになりました。

 そこで、私もその会話の中に割り込むことにして、「お名前は、何と云われるんですか」と訊ねると、その人はニヤニヤしながら「内緒」と言って、中々身元を明かして呉れません。私が「じゃ、せめて町名だけでも教えてよ」としつこく聞くと、連れの人が、遂に友人を裏切り、「こいつ、○町や」「家はその○町のどの辺、北、南…」「北の端や」「分かった、お父さんの名前、○秀雄さんと違う。よう顔が似てるもんね」「すごい、大当たり」と喝采を浴びました。

 私は今まで門徒というと、不思議と大半の名前は覚えられるのですが、門徒外の人の名前ですと、たとえ簡単な名前でも一向に覚えられないという変なタチなのです。

 ところで、今日の寺は、門徒は減っても、増えにくい時代ではないかと私には思えます。その辺のところを、近10年前からの傾向を調べてみると、本光寺では一年に15乃至20軒位の門徒が絶えず減少しています。それは改宗離脱というのではなく、所謂、家に嫡子がいないための絶家が増えているのです。その主因になっているものは、核家族化のためでしょうか、それとも少子化のためなのでしょうか、今後この傾向はどんどん進み続け、その数は増加の一途をたどるように思います。これには私も全く打つ手がありません。

 でも、今、このようなことを悲観するよりも、もっともっと個々の門徒と寺との絆を深めることを考えていかなければなりません。

住職の口癖 人はワシに頭を下げていたんじゃなかった、袈裟にだったんだよな。

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 私は朝、外が白みかけると起き出して、天気のよい日は花に水をやることが日課になっています。境内には向拝(ごはい:本堂正面の軒下の辺り)や会館正面の階段に、色とりどりの花々をつけた約100鉢もの鉢植えが並べてあります。そもそもこれらの花はすべて門徒の今井栄作(86)さんが丹精して育てたものを、好意で自ら寺に持って来られたもので、眺めていても殺風景だった境内が綺麗な花々で飾られて、お陰で随分と明るく和やかな感じになったように思います。

 何故に私が花に水をやる係りなのかといいますと、女房が「朝は私も忙しいから、あんたが水をやってね。今の時期は水は少しでいいんよ。水をやり過ぎると根腐りを起こすから気をつけてね。でも、テッセンは水を欲しがるから、充分にやること。分かった?」「はい!」と、私は素直にその指示通りにやっているのです。

 春は花咲く季節です。その花を見て、誰もが浮かれて酒を呑み、歌い、踊る。この花見を去る10日、北陸大谷高校が或る大手企業から取得した凡そ4,800坪の土地に樹齢5、60年と云われる2本の大きな桜の樹があり、その下で、学校創立以来初の花見を開きました。この花見の目的は、学校が所在する町内の人たちと、花見を口実に学校開放の一環として地域交流をして親睦を図るためでした。その日、70人もの町内の人たちが参加して下さり、総勢130人ほどにもなり、先ずは予想以上の成果があったと思います。

 これから学校を存在感のあるものにしていくには、学校を自ら進んで開放することによって、地域の人たちから親しまれ、好感を持たれることが肝心だと、私は考えています。今まで、学校は全くこのことを考えてもいませんでした。学校の一番近くにいる人たちが、学校のことを知らない。それでは一番身近な人を他人扱いしているようなものです。そうならないように、有りのままの学校を見て知ってもらい、地元の人たちから正しい認識を持ってもらうことがこれからは大事なのです。
それで、今回の花見が盛会だったこともあり、4年前の9月26日には円満の会が後押しして、北陸大谷学校のグランドを使い、また学校周辺の住民たちと、仮称「レクリェーション大会」を開きました。これは決して体力を競うようなものではなく、老若男女が共に楽しめるような、ダンスとかゲーム感覚のようなものがよいと思っています。

 寺でも学校でも、楽しみは皆で創り出すものです。

坊守(女房)の口癖  何処のカラスも黒い。(子供たちにいつも言う言葉で、どの職場に行っても、苦労はつきもの、という意)

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 昨年、1月22日の午前3時の話です。雪が昨夜から不気味に降り出したものですから、私は気になって外の様子を見てみようと窓の戸を開けると、「ヒューヒュー」という風の音と一緒に「サラサラ」と小音を立てながら粉雪が舞い込んできました。外は夜にもかかわらず雪で随分と明るくなっていて、それが大変な吹雪です。この時、私は「こりゃ、除雪をせなあかんな」と思いながら、起きた序に時間までこの‘だらメル’を書くことにしました。

除雪作業は朝5時頃から始めるのですが、広い境内と寺の門前周辺の歩道を自家用の中型除雪機で2時間程かけて除雪をします。まず、出勤して来る者たちが車で寺の中に入れるよう通路から開け始めます。なるべく要領よく、予め決めた数箇所の投雪場所に雪を集めて、積み上げていきます。この除雪機は総重量が750㎏もあって、投雪距離は20m以上も雪を飛ばしますから性能も良いのですが、ただ機械の操作が傍目で見ているよりは難しくて、而も危険なのです。安全装置は付いているのですが、今までにも私は咄嗟の判断が間違い、後になってから「危ないところだった」と、胸をなでおろしたこともありました。
ゆきかき
運転操作には何本ものレバーを使いこなさなければならないので、一瞬の勘違いなどの操作ミスで事故を招きかねません。現にこの時期除雪機を使って、よく機械に挟まれる圧死事故があるくらいです。ですから、私はそれが怖くてこの機械を人に触らせないようにしています。

この雪も詩や歌や絵の題材に使われている内は情緒や風情があってよいのですが、雪国の人たちの日常生活には大変支障を来たす物であり、誠に邪魔な物です。そして、何れ消えてしまうこの雪のために、止むを得ないことだと諦めつつ、毎年今の時節に無駄とも云える労力と経費を使わされています。

ところが、子供は違うのです。境内に高く積み上げられた雪の山は、小学生位の子供たちがスキーをしたり、かまくらを作ったりして遊ぶ格好の遊び場になるのです。特に本堂の軒下は屋根から落ちる雪と、境内から寄せ集められた雪とで可成りの量になります。そこで楽しそうに遊んでいる子供たちを眺めていると、私は「まぁ、いいか」と、愚痴を言いたい自分の心も自然と治まり、微笑んでいます。あっ、もう5時だ。さぁ、始めよう。

住職の口癖  坊主は畳の上の乞食。


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先月の連休に、突然大学時代の友人が訪ねて来ました。それはもう27年振りの再会でした。この日、彼はドライブに行こうと、ただ何となく大垣市の家を出て、北に向いて車を走らせていたら、ふと、私を訪ねてみようかと思い立ったそうです。私も、今までに時折彼のことは思い出すことがあっても、これから先会うことは無いだろうと、半ば諦めていましたので、彼の突然の来訪には大変驚きました。
京都タワー
彼と私との最初の出会いは、京都市内の或る牛乳販売店でした。彼は京都大学を目指す浪人生で、私は大学一回生でした。彼は家の事情から、浪人中も大学に入ってからも家からの援助は一切無く、そのことは親からそれが条件ということで京都に出たそうです。朝は牛乳配達で、晩は京都の中心街でアルバイトをしていました。下宿は一部屋が3畳の広さで、隣とはベニヤ仕切りの鳩小屋のような狭い部屋が幾つもあり、そこには浪人生が沢山住んでいました。このように彼は、所謂、立派な苦学生だったのです。
牛乳配達
私はそんな彼と付き合う内に、まさしくダラな行動に出てしまったのです。まず、数ヶ月居た結構な下宿を出て、老女一人暮らしの家に直談判して間借りをして、その上、折角の仕送りを断ち切ってしまったのです。当時の仕送り額の平均は3万円位でしたが、私の牛乳配達のアルバイト料は当初、月1万円ありませんでした。一日に110軒程を自転車で2回積み直して配達をします。牛乳といっても幾種類もありますし、家によって、また日によって本数も様々なのです。寝坊は絶対できませんでした。このアルバイトを私は3年8ヶ月しました。このような私に彼から「お前の家だったら、10万円送れと言っても、送ってくれるだろうに…」と呆れ顔で言われた記憶があります。

そんな私のことは兎も角、彼は今年から定時制高校の教頭をしているのだそうです。「ここへ来て初めて教師の原点に立ち返ったような気持でいる」と、話をしてくれました。また「今までの高校は進学校だったので、ここはそれとは違い、大変生徒には手が掛かるが、反面やりがいがある」とも。定時制に来る生徒は以前、不登校だった者や退学になった者や学力が極端に低い者が多くて骨が折れるが、初歩から手取り足取り教えられることに、改めて教師の初心の喜びを感じているようでした。私は彼を見て、昔と変わらずいつまでも苦労は厭わない男だな、と、感心しながらも清々しい気持になりました。

後日、彼から礼状が送られてきました。そこには「ダラに会い 我またダラに 成り行かん 浜風すがし 秋の本光寺」と一句が書かれてありました。

住職の口癖  マメになれ、そして、ずるくなるな!

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 今ふと、私の幼い時分のことを思い出しています。それは私の何歳の時か、多分5歳位の頃だろうと思います。私の目に浮かぶその光景とは、朝、祖母(昭和34年没)が私に朝食の前に仏間に行ってお参りにするよう促がしています。当時、家族一人一人に箸箱が持たされていて、朝には必ずその箸箱がお内仏に置かれてありました。祖母はいつの頃からか朝食の前に孫たちにお内仏で手を合わせることを習慣付けようと、このような仕掛けを考えたのでした。このような子供の仕付けが我が家ではいつ頃まで続いたのか、私にその覚えがありませんが、ただ、今になってみれば祖母のこの仕掛けは妙案だったと、感じ入ってます。

ところで、私の家には結婚以来、手作りの小さなお内仏があります。木の切れ端に自分で「南無阿弥陀仏」と書いたものと、捨ててあった燭台と香炉と華瓶を拝借して部屋の一部に場を作り、そこに並べ置き、我が家のお内仏としています。それは仏壇のような箱物の体裁ではないので、それらしくはありませんが、それでも今まで一度も華瓶に挿した花を枯らしたままにしておくことはありませんでした。

女房は毎日このお内仏に仏飯を備え、いつも何かしら「ムニャ、ムニャ」と、唱えています。感心なことに人から物を頂戴すると直ぐにそこにお供えし、近頃は図々しいことに宝くじ券までがそこに置かれてあります。子供たちは仕事に出掛ける前に、手を合わせて「行ってきます!」と声を掛けて行きます。一銭もかけないで作ったこのお内仏、見掛けは悪いがこの25年間、4回の引越しにも私たちと共にしてきましたから、私たち家族にはとても愛着があるのです。
お内仏

人はよく仏壇を持たない理由に「我が家では、まだ死んだ者がいないから」と言います。何れ、そのような不幸な事態になってからと、それを理由に仏壇を備えない人が案外と多いので、日常の家庭生活の中に手を合わせる場があることが如何に大切なことだと気付いている人は、まだまだ少ないように思います。

日本の何処かの学校で、生徒たちに食前の合掌をさせないで、先生の「始め!」の号令で食べさせるという話を聞いたことがありますが、このようなことを聞くと、私は〝あぁ~、どうして〟と、ため息が出てしまいます。

住職の口癖  
読経の前に、その儀式の軽重・場所の大小・人数の多少を心得ておくこと。
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 3年前の春に私の住職在任20周年を記念して、『本光寺108の謎』 と題した本を出版していただきました。この本は288㌻からなり、厚い表紙がつけられた立派な装丁の本に仕上がりました。私が住職になってこれまで辿ってきた20年間の歩みを「謎解き」と形で著し、字体も大きく読者に読み易く配慮されていています。
108の謎
 そして、一つ一つの謎に関係した写真がふんだんに載せてあり、写真を見る楽しみもあり、読み出すと大概一気に読み切ってしまう人も多いようです。
先だって、ある門徒の方が「うちでは、あの本をトイレに置いてあって、毎日しゃがむ度に一つずつの謎を読むことにしています。このやり方だと家族の間で回し読みするのと違い、家族の者皆に読んでもらえると思ったんですよ」と、笑いながら私に話して下さいました。よく考えたものです。恐れ入りました。

 この本は本光寺全門徒と、他にこの寺に多少なりとも関わりのある人たちにもすべて無料で頒布したのですが、それでも中には「この本は幾らだ」と、懸念がって問い合わせてくる人がありました。そこで、「無料です」と言うと、決まって‘意外だ’という反応なのです。このような反応もこれまで寺というと、兎角‘取りがち(おねだり癖)’だと反感を持たれているように、矢張り寺と云えば寄付、というイメージが根強くあるからなのでしょう。

 イメージといえば、この本のお陰で寺の印象も少し変わったようです。「寺では日常何をしているのか」「住職をはじめ僧侶はどのような人物なのか、また、どのような考えをしているのか」などの謎にこの本が十分答えてくれたと思います。
さて、その年の7月26日に市内の某ホテルで“円満パーティー”と称して、この本の出版祝いをしました。このパーティーには、319名もの人たちが集まり、誠に賑やかな、そして、色々なアイディアを凝らした型破りの楽しいパーティーでした。その一つを紹介すると、この本の中から11のテーマを選び出し、パネルディスカッションがあって、多くの方々が次から次と証言台に立って楽しい話をして下さいました。

 丁度「ミニ公園 とは」というテーマの話の時、突然ある人から「謎掛けが出来ましたので披露させて下さい」と発言があり、「ミニ公園と掛けて、住職と解く」「その心は、間に合わないようで、間に合う」。私は何と上手く言い当てたものだと感心しながら、このような人間関係ができたことを嬉しく思いました。
ミニ公園2

住職の口癖  親の辛抱で、子が育つ。

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 私の高校2年生の新学期に、風変わりな男の先生が赴任してきました。普段の風采は短髪で白いワイシャツにノーネクタイ、下駄履きといういでたちでした。私はこの先生に、いつの日からか部活が終わってから晩に友だちと押し掛けて、英語と国語を習っていました。場所はいつも不特定で先生の都合に合わせ、学校の時もあれば、小松の先生の下宿ですることもありました。

私は学校まで8kmの距離を自転車で通っていましたが、その都度学校で、今日は何処でするのか訊ねるのですが、これが全く当てにならないのです。「今日は下宿でする」と先生が言っても、大概居ないことが多かった。そんな時、私は学校に電話をしてみると「今日は学校に変更だ」と言われ、また8kmの道のりを自転車で学校へ行くのです。すると、いつものように数人の先生と酒盛りの真っ最中です。そこに来た私を見て「おぉ、よく来たな。今日から暫く古語で日記を書いてみろ。書いたら見せろ」と言いつけて、また楽しそうに呑んでいます。時には「マコ!酒、買ってきてくれ。おい、このことはおとっちゃんに言うなよ」(当時私の父はこの学校の理事長でした)と口止めをされたこともありました。

こんな時私は先生と共通の秘密が持てたことがうれしかったのですから、私もやっぱり変です。破天荒で、だらしなく、自由奔放で、乱暴な人でしたが、なぜか私はこの呑んべぇの先生が好きでした。こんな具合だから、もし、先生が「今日は京都でする」とでも言ったとしたら、あの時の私はきっと自転車で京都まで行っただろうと思います。

こんな先生が私に卒業する頃に言ってくれた言葉に、「マコよ、だらであれ。このだらと云うのは、謙虚であれ、と云う意味だ」と。先生は小松に来て、短い間にこの“だら”という方言をこのように解釈したのです。恐らく、この言葉に込められた私に対する願いは、<お前は、何れ否応なく、座れば上座に、喋れば高座に立つ身分になることだろうが、決してその身分に甘んじるなよ>ということだろうと受け取って、今でもこの言葉を肝に銘じています。

5年前、この先生が25年ぶりに鈴鹿高校から北陸大谷高校の校長 として招聘されました。私にとって何と35年ぶりの再会でした。こんな長い年月を経ても忘れられない昔の自分を、一途と云うか、目出度いと云うか、だらと云うか、これが今とちっとも変わっていません。

住職の口癖  
呑みに誘われても、断る勇気を持ちなさい。(実はこれ女房の口癖)
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