本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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いつだったか、或るお家の法事が終わって、お別れの挨拶を交わし玄関から外に出ると、家の数人の人たちも一緒に見送りにと出て来られて、そこの婆さんがまた丁寧に頭を下げてお礼を言われるものですから、私も恐縮しながらそれ相応に応えておりました。この家の前は広々した露地になっていて、そこには手入れをしたばかりのような小奇麗な庭園があり、その脇には畑がありました。

丁度その時、その畑や庭で遊んでいた4、5人の同じ年頃の子供たちが私たちの所に駆け寄って来ました。多分、孫たちなのでしょう。その中の一人の男の子が「帰るんか」と婆さんに抱きつきながら尋ねました。
「おいね。あんた達も、ご院さんに“有難うございました”とお礼を言いまっしね」。私はそのような会話を聞きながら自分の車に乗り込むと、別の男の子が大きな声で「でっけぇー!」と、車の中の私を指差し叫びました。

すると、その子より年下の子が「ほんとやー、豚さんだー!」って言うのです。私は一瞬ムッとしたものの、その場は何も聞こえていない振りをしておりましたら、婆さんは余程ばつが悪かったのでしょう。「あら、何てことを、面目ねぇ。さぁ、さぁ、あんたらあっちへ行こう(行きなさい)!」と、追い立てるように両腕を横に振りながら言っています。

さぁ、何故に私が豚に見えたのか、それは頭が大きく、顔が色白だからだと思います。私の車はレヴューといって、軽四のような小型車で、大柄な私がその車に乗ると、どうもそれがアンバランスでもあり、外から見ると車内が大きな顔で一杯のように見えるらしいのです。そう云えばあの時、婆さんは下を向いて、自分の口に手を当てていましたなぁ…。全く、子供の目は正直なものです。

さて、これもいつ頃だったか、私は北陸大谷学園の代表者として、地元銀行の主催の会合に出席するために、私の車で会場に着いたところ、会場の入口近くでは赤い棒を持った人が二人、来場車両の誘導をしている様子です。私の車を見つけたその内の一人が、ウィンカーを出しているにも拘わらず、目の前で両手でバッテンのサインをして無理矢理止められてしまいました。

そして、私に怪訝な顔で「こちらにご用でしょうか?」と窓越しに覗くように訊くのです。でも、その後、漸く中に入れてもらえて分かったのですが、周りの止めてある総ての車が、所謂、黒塗りの車や、高級車ばかりだったのです。それは、サラブレッドの中にポニーがいたようなものでした。

住職の口癖  辛抱する木に、花が咲く。



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私たち坊主は、時々人から仏壇店や葬儀社、そして石材店などの仲介を頼まれることがあります。私が初めてそのような体験をしたのは、旭川別院に就職した26歳位の頃、別院から毎月お参りに行っていたある門徒の人から仏壇店の紹介を頼まれ、そこで私は別院の門徒の上田仏壇店を紹介したところ、後日この仏壇店の主人から「先日は有難う。これ、僅かだけど先日のお礼だから」だと言って、封筒を差し出されました。

私はこんなことは初めての体験でしたから、受け取ってよいものか一瞬ためらったものの、このことは別院の人たちには内緒にして家に持ち帰り、うきうきしながらその包みを開けてみると、当時の私の給料は10万円位でしたが、その額の半分ほどのお金が入っているではないですか。その時私は何か悪いことをしたような、また悪いことを覚えてしまったような、人に堂々と言えない後ろめたい気持になりました。

そこで、女房にそのことを打ち明けると、女房は「そんなに嫌なことなら、上田さんに『私はこのお金は要らないから、この分をそのお客さんに負けて上げて下さい』と言ったら」と言われ、私は<それは、いいことだ>と思い、早速、上田さんにその旨を話し、お金を返そうとしたら、「いや、今回のところは、これは受け取って下さい。じゃ、次回からそのようにさせてもらいましょう」と、軽くあしらわれて仕舞いました。

それ以来、旭川在住4年間でこのようなことが度々あったのですが、上田さんはずっと私との約束を守ってくれました。でも、このことが逆に上田さんには随分と私に‘借り’意識というか、負い目を与え続けてしまったような気がします。

というのは、後に私が別院を辞めて岩見沢のある寺に勤め先が替わることになり、その引越しの当日、上田さんはこれまでのお礼だと言って、人夫にと店員2人を、そして店の2tトラックまで宛がって下さったのです。更に、岩見沢に着いて荷降ろしが済んで、女房が気を利かして「これ、帰り道に弁当でも買っていって」とお金を渡そうとしても、「それは貰っちゃいけないと堅く言われているんで」と、中々受け取って呉れず、女房は無理矢理ポケットにお金を押し込んだくらいでした。私はその時、結果的にそれが良かったことなのか、悪かったのか、返って面倒な要らん気遣いをさせてしまったのではないのかと、私の我儘を強要したことが申し訳なく、何とも複雑な思いになりました。でも、これも私の若い時分のよい体験でした。 

住職の口癖  門徒に自分の都合を押し付けないこと。


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 今から三年ほど前、母の葬式を終えた後、お骨を墓表に「累代塚」と彫られてある我が家の墓に納骨しました。この墓には重い石板の蓋を二人掛りで持ち開けて、骨壷から手でお骨をすべて取り出し、墓の中に散骨するのです。私はこの時、これで母も漸く亡き一族の許に帰すことができた、と何しか安堵感を覚えておりました。誰もが死ねば、お骨しか残らない訳ですが、人によっては一時の遣る瀬無い思いが、殊更にこのお骨に執着を持つ人がいるようです。

もう15年前ものことですが、17歳の少年がバイクで事故に遭い、亡くなりました。そのお通夜が終わった後、数人の同級生が私を呼び止めて「ちょっと、聞きたいんですけど。あす皆で一緒に火葬場に行こうと思っているんですが、僕らもお骨をもらってはいけませんか」と、神妙な態度で聞くのです。

そこで、私は「君ら、仲良しだったんだね」「はい」「お骨をもらってどうするの」「ペンダントに入れて、いつも身に付けておきたいんです」「成程。でも、君たちの気持はよくわかるけど、お骨はアクセサリーではないよ。やっぱり全部お墓の土に帰してあげようよ。そうすれば、君たちはいつでもお墓でお参りができるじゃないか」と、その時そう応えておきました。

また、私の学生時代に聞いた話に、外国のある学者が世界中に分散している釈迦の遺骨(仏舎利)をすべて集めたとして、その重さを計算したのです。その結果何と1t以上にもなったそうです。これも遺骨の一かけらでも欲しい、という故人に対するこの追慕の情は先の少年たちの思いと同様なものがあるように思います。

ところで、戦前まではそれぞれの町々には三昧場(さいまいば)という火葬場があって、家から出棺すると無理矢理二つ折りにされた遺体の入った棺桶を担いで三昧場まで運び、そこで一俵の炭で一晩かけて荼毘に付されたといいます。これでは当然不完全な状態で焼け残ったお骨も多かったことでしょうから、臭くて家に持ち帰れず、止むを得ずその大半は三昧場でそのまま埋葬したものと思われます。実はそれでよかったのです。

ところが、今日では火葬されたお骨は誠にきれいに残るので、家に持ち還ることができるようになりました。しかし、このことが死ねば人の身は大地の懐に帰るという自然の道理に逆らい、お骨に余計な執着心までも持たせてしまったようです。

住職の口癖  忙しい人ほど、時間を上手くつくるもの。


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 住職という字は、寺に住む職業とも読めるので、門徒にとっていざと云う時に住職が寺に居ないのでは様になりません。それで、住職は寺の管理人のようなものだと、私は思っております。これは性分なのですかね、この春にも、北陸大谷高校の空手部の生徒が東京武道館で全日本選手権大会に出場するというので、居ても立ってもおれず深夜に車で応援に出掛け、その日の晩遅くに帰って来るといった始末です。どうしても、私は何日も寺を空けることができないのです。寺での24時間は、仕事とも云えるし、また生活そのものとも云えます。

ところで、私が寺にいて一番心配なことは火事です。この20年間に近所で火事騒ぎが再三あって、その度に火事の恐ろしさを経験しました。その中で、私が最も肝をつぶしたものに、平成2年4月8日午前1時過ぎに、寺に隣接する民家4軒が焼失する火事がありました。出火時、寺の隣の病院から聞こえる火災報知機のけたたましい音に目が覚め、障子の外が異状に明るいことに気が付き、障子を開けて外を見ると、その病院の隣の家から火の手が上がっているではないですか。強い南風(後の報道では風速20mだったそうですが)に煽られて、赤い火の粉が暗い空に、それも本堂の屋根の上まで届く程に高く舞って、寺全体に降り注いでいるのです。
梶
私は直ぐに外に飛び出し、女房は私の両親の居る寝室に走りました。しかし、その時には、まだ消防車のサイレンの音が聞こえていませんでしたので、境内に車が入れるようにと、先ず、寺の裏門の扉を開けようと南京錠に鍵を挿そうとするのですが、慌てていて中々入らないのです。でも、何とか開けて、その後出火した家の一番近くの寺の消火栓ボックスから口径20ミリのホースを引っ張り出し、筒先が跳ね回らないよう、ツツジの木に挟み、起動ボタンを押し放水を始めました。私はその時の異様な明るさを今でも忘れられません。
家事
まるで火の粉がぼた雪のように降り注いで、丸でライトを浴びているような明るさでした。放水しながら「もう駄目だ。寺が焼ける。これじゃ、きっと焼けて仕舞う。わしの代でこの寺が無くなる。ああ、早く、助けてくれ!」と、私は心中叫んでいました。その時でした。幾筋もの放水が見えたのは。それを見て「あっ、助かった!」と、思ったと同時に、一瞬にして回り一面が霧のように真っ白になりました。今、思い出しても、何台も来たであろう消防車のサイレンの音さえ記憶に全くない位ですから、余程動転していたのでしょう。
でも、もしこの日の晩に私が寺に居なかったなら、と思うとゾッとしてしまいます。

住職の口癖  説教ができても、自分の言葉で話す人は、案外と少ない。

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  毎回私は原稿を書き上げる度に「もうこれで止めよう、最終回にしよう」と心に決めるのですが、何故か深夜になるとノコノコと布団から起き出して何やら書いてしまうのです。いつもそこへ女房がトイレに起きてきて、こうこうと明かりのついた私の居る部屋に入るや否や、眩しそうに眉をひそめて「また、無駄な電気を使って勿体無い!」とパジャマの上から腹を手でかきながら小言を一言。

私はこの冷たい言葉にじっと耐えながら72回、よく書いたものです。何が楽しいのか、実は自分でもよく分からず、止める勇気が持てないままダラダラと続けてきました。兎にも角にも、今までお付き合い下さった読者の皆さまに一先ずお礼を申し上げておきます。

 さて、一般に、いや門徒の人たちにも、寺が早朝一番せわしいことを知る人は少ないようです。寺は年中無休で、特に朝の掃除と朝の参りは、食事と同様欠かすことがありません。

以前、私が旭川別院にいた頃、本谷義雄という輪番は皆に朝5時半出勤を強制していました。当時この別院に勤めていた12人の僧侶には、たとい公休日であっても朝の参りと掃除に出なければならず、そのことに中堅僧侶4人が反発して輪番に直訴したところ、この本谷輪番曰く「君たちも自坊に帰って住職になれば、一日とて休みはない筈だ。朝の参りと掃除は労働ではなく、この行為は真宗僧侶・門徒の当然な信仰の顕れだ。甘えるな!」と一喝され、ついに完全休日の要望は認められず、遂には4人揃ってクビになってしまいました。

また、いつか講師に来て下った和田稠 師が「私も全国の寺々に寄せてもらうが、晨朝(朝の参り)を勤めている寺が極めて少ない。それは寺に本堂が必要でなくなったようなものだ」と嘆いておられましたが、これには私も全く同感です。例えば、公務員や学校教師などの所謂兼職住職は、朝は時間の余裕もなく、ともすると何日も本堂に入らずじまいの住職もいることでしょう。

 昭和56年、本山の報恩講に私は大阪難波別院から内番加勢に派遣された折、早朝、御影堂の須弥壇上を一人で掃除をしていると、上司に「止めろ、そこはお前がする所じゃない」と、ひどく叱られことがありました。でも、そこは誰もがこの親鸞聖人の御影に向って手を合わせる一番大切な所なのに、そこが広い御堂の中で長年の埃がかさぶたになる程に一番汚かったのです。〝ホトケほっとけさん〟とは、門徒に対して言う言葉ではありませんでした。

住職の口癖  寺に生まれて、すんなり住職になった人は、線が細いな。
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 一般的な傾向として、寺の者には虫のいいおねだり癖と云う習性があるようです。困れば門徒が助けてくれる、そのような安易な意識が知らず知らずの内に、 寺の者を甘えさせているような気がします。そのことが、寺といえば寄付、というイメージを門徒に根深く、さらに広く持たせてしまい、その挙句、門徒を寺に 背を向かせているように思えます。

 先達て聞いた話に、寺の跡取り息子の結婚に伴い、新居を建てることになった、という理由で寺から寄付の依頼があったという。それで、その寺の門徒の人は 反発して「なぜ、門徒がそんなことまで、せなならんのか。できれば寺を替わりたい」と憤慨しながら私に話をしてくれました。このような、甘えの習性がいつ の間にか寺離れの種にまでなっているようです。
著者: 吉田 戦車
タイトル: 甘えんじゃねぇよ!

 しかし、当の寺の者にはその批判の声が聞こえているのか、いないのか、進学と云えばお祝い、結婚と云えばお祝い、というように相変わらず人を使い集めて 廻り、その度に嫌われて、また無心を繰り返しています。それは、いつまでも逆効果なことを繰り返しているようなものです。寺といえば寄付、という印象は残 念ながら一般の人たちの心に定着してしまったようです。

 いつか、私はある町の会合に呼ばれて行ったところ、その会には10人程の人たちが集まっていました。途中遅れて来た人がいて、部屋に入った途端、私の顔 を見ると即座に「なんや、今日は寺の寄付の話か」と、いきなり冗談を言われ、皆で大笑いしたことがありました。とはいえ、私は正直決してよい気分ではあり ませんでしたが。

 私は多くの人たちが寺に対して、不満や反感や諦めや妬みなどの思いを持っていることを知っています。しかし、私はそれらの思いを逆に転じてみせたいと 思っています。その方策としては、例えば、もしも私が1,000万円の車を持つことができても門徒は誰も喜ぶ者はおらず、返って、私は100万円の車に乗 り、門徒にあとの900万円を何かの方法で還元できれば、その方が喜んでくれるに違いありません。
 ですから、寺は得ることに左程力を入れるのではなく、出る方のことに心血を注ぐべき所だと思っています。

人は寺の名に付くのでなく、寺の人に付くのではないでしょうか。

住職の口癖   物を貰い慣れすると、より贅沢になり、卑しくなる。
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 よく人から「ご院さん、いつも忙しそうやね。商売繁昌で結構やね」とか、「何れ、ご院さんには厄介にならんなんけど、まだ、お付き合いするには早いようで」などと、嫌な皮肉を言われることがあります。

 かつても、娘が市民病院に入院をしていた折、私は僧衣のまま病院に行くと、病棟内のロビーで私の姿を見た数人の人たちが小声で「何処やろ、誰やろ」と囁く声が後ろの方から聞こえてきたことがあって、娘がいる病室に入るのにも、同室の人たちの私に対する目線がとても気になったものでした。

 昨今の坊さんの風采は、布施につながる行為の時は僧衣で、そうでない普段は私服なので、それは銭湯で裸でいるが如く、一見して坊さんが誰かと見分けることは難しいことでしょう。
このような一般僧侶の傾向は、恐らく親鸞聖人が当時、僧侶として公然と肉食妻帯の先駆を切ったことや、一貫した非僧非俗の境遇の生涯であったことなどの歴史上の事実が、今日の坊さんの風采にも影響しているのかも知れません。死神

このことは、多分「外見だけで真宗の坊さん、否、私を判断してもらいたくない」という意地の現われでもありますし、また、「坊さんが恰も死に神のように人から一方的に見られて、毛嫌いされたくない」という本音の一面も伺えます。

 しかし、そのように一般的に世間では坊さんが死に結びついた存在として印象付けられていることは事実でありますが、却ってこのことがこれからの坊さんの心掛け次第で、世間に見直させる当に絶好の機会を与えられていることでもあるのです。

住職の口癖
今、言いつけられたことを先送りする者は、怠け者。
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