本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 昨日は小松市長選挙の告示日で、各立候補者はそれぞれの場所で熱心な支持者を伴い祈願祭や出陣式を行なったようです。

 昨日の午前中には、寺の向いの神社にも大勢の人が集まり、当選祈願祭が行なわれました。ところが、これまでどのような選挙であれ、必ずその度に本光寺の境内がそのために集まった人たちの専用駐車場になってしまうのです。
その様子を眺めていると、ほぼ同時刻に何台もの車が寺に押し寄せて来て、車から降りるとすぐに丸で水が低い処に流れていくが如く、向いの神社に一斉に小走りに向かって行きます。その時、誰もが本光寺の阿弥陀さんは対象外と言わんばかりの冷たい表情で、目の前の本堂には見向きもせず、立ち去って行くのです。それは人が阿弥陀さんの力を見抜いているのか、それとも阿弥陀さんにその人の心を見抜かれているのか・・・。

 そう云えば、今年も受験生で寺に合格祈願に来た子供は一人もいなかったな。皆知っているんですよね、阿弥陀さんはそんな自分勝手なご利益をもたらしてくれないことを。今や選挙戦の度に行なわれる祈願祭は当り前の仕来りになっていますが、でも、私などはテレビに映るその光景を見ると、自信がないんだな、のっけから神頼みとは情けないことだと、思ってしまいます。さらに、もっと肝心なことは、祈ろうが、頼もうが、あなたに何も神様は約束をしてはいないことを、はっきりしておかなければいけません。

 いや、これは神様のことばかりではないのです。つい一ヶ月位前のことでしたが、20歳前後の若いカップルが、突然寺に訪ねて来まして「すみません、あの、水子供養をしてもらいたいんですが・・・」と言うものですから、私は「この寺では水子供養はしません。真宗の何処の寺に行ってもしてはくれませんよ」と応えると、「じゃ、何処へ行けばしてもらえますか」「そうね、小松ではハニベ巌窟院かな、あそこはそれ専門だから」と、そう応えると、彼の方が「いや~、あこは・・・」と言いながら首を少し傾げて困った様子です。
 
 私は冗談で言ったのですが、実は最近、地元のニュースでこの寺の住職が水子供養を求めて来た複数の女性の弱味に付けこみ、破廉恥なことを繰り返して、倒頭セクハラ容疑で逮捕されたのですが、私は彼の反応からこのニュースを知っていたことが分かりました。「そうか、それじゃ折角来てくれたんだから、これから二人で本堂にお参りして、互いに手を握り合って『ごめんね』って、心の中で詫びておいで。これは二人の大切な秘密だよ。どんなお経を上げても、罪は打ち消せないからね」と言うと、晴ればれとした表情になって「はい、僕たちそれでいいです」と。

住職の口癖 お経は、心地よいリズムと、響きだ。


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 この‘だらメル’も、今回で108回になりました。月に3回ずつ皆さんに配信して、丁度、丸3年が経ったことになります。私は予てより自分で密かに108回を目標にしていましたので、達成できたことで一先ずホッとしているところです。

毎回、ダラなことを、ダラダラと書き続け、さぞかし人は迷惑だろうなどとは一向に顧みようともせず、ただ、生理現象のように促がされるままに書いてきました。これまでの間、反響メールも数々頂戴しましたが、一番嬉しかったものは私の‘だらメル’を読んで「ご住職の人柄を味わい、云々」と、今まで一度もお会いしたことのない方からの言葉でした。まさか私の書いた文章から、私の人柄を感じ取って下さるとは夢にも思っていなかったことでしたから、私にとっては全く予想外の感想でした。でも、それが一番励みにもなりましたし、書いておってよかったと思えたことでもありました。

大した思想を持っている訳でもない私が、こうばくな(賢こそうな)ことを述べても、それは説得力が無く、ただ丸裸な私を表現することしかできません。私は世の中を変えようなどという滅相も無い大それたことを考えている訳ではなく、唯、この本光寺が何とかならんものか、何とかしたいと、いつも思っているだけです。寺を私物とせず、皆の共有物でありたい、寺を今の時代にもっと活かすことができないものか、などとずっと思い抱いていたことが、これまでのこの‘だらメル’の一貫した流れであり、書き綴ってこられた原動力でもありました。

私には幸い、寺に働く13人のよきスタッフにも恵まれ、また、円満の会 が結成されたことで、多くの素晴らしい人たちとの出会いをもたらして頂きました。私はこの本光寺が寺族の寺から門徒の寺へ、門徒の寺から地域の大事な寺へ…と、変貌し、進化し続けて、いや、本来の寺へと帰って行くことを夢見ています。

私の大好きなチャーリー・チャップリン が「この世を生きていくことに必要なものは、夢と勇気とちょっとのお金があればよい」という良い言葉を残していますが、これを私流に言い換えるならば、夢は大きく、行動は大胆に、贅沢は慎むこと、ということになりましょうか。

それでは、勝手乍ら、今後、この‘だらメル’は、定期便ではなく、たまに送らせて頂くことにします。

住職の口癖  葬式代は、楽をすれば、その分高くなる。



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 本光寺の本堂裏、後堂の渡り廊下の白壁に縦1m、横1.5mのが掛けられてあります。その額に描かれているのは、水盤に松をシンに菊の花を添えた画に、「高さ三間、幅六間余。本光寺再建遷仏供養のため酢屋定清が立てた」と書かれてあります。

杉板の額

 本光寺が現在の地に移ったのは文化3年(1806)で、約200m離れた栄町から7年掛かりの工事を経て移築されたのでした。その遷仏落慶法要がこの年 の10月20日に営まれ、その大典を盛り上げようと高さ6m弱、幅10m強のこの巨大な生け花を境内の何処かに立てたというのです。それは実際どのような 光景だったのか。また、6mもあろう松をどうやって水盤に立てたのか。今となれば、それらは計り知れない謎です。



 以上のような訳で、去年、移築200年の年に当たるということで、私の独断ながら7月頃にそのお祝いの法要を盛大に執り行ないたいと思いました。
 
 そこで、私はその法要期間中、200年振りに額の画に描かれている生け花を再現ができないものかと、ついついまた、ダラなことを考えてしまいました。
人があの額の画を見て、どのように感じ取るか、それをどう再現するか、その発想は全く自由です。実際の木や花を使うのもよし、光線や煙霧を使って演出するのもよし、他に現代的な技法で立体的に表現することができれば、それもまた素晴らしいことではないかと思いました。

 多分、当時の本堂移築工事を成し遂げた棟梁を始め多くの人たちが、その喜びの想いを巨大な生け花に表現して、境内に聳え立つ大伽藍の脇に花を添えて飾り たかったのではなかろうか、と私にもその想いが伝わって来るような気がします。きっと、それらの人たちはその光景を見た時、大きな感動を抱き、大仕事を終 えたという安堵感と、晴れ晴れとした満足感に浸ったことでしょう。


巨大生花  
巨大生花2

 私はこの生け花の画を眺めながら、もしかしたら200年後の私たちに送ってくれた何かのメッセージがこの画の中に含まれているのではないかとさえ思えてくるのです。


住職の口癖  平凡こそが、実は非凡。

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寺では毎朝、梵鐘を撞きます。この鐘は、朝のお参りの前に「そろそろお参りが始まりますよ。さぁ、本堂にお集まり下さい」と、寺周辺の人たちにお参りの時刻を知らせるために撞くもので、この時の鐘を「集会(しゅえ)の鐘」といいます。だからといって、いつも近所の人がこの鐘の音を聞いてお参りに来る訳ではありません。でも、近所の人の中にはしっかり聞いている人がいるもので、「今日の鐘はダラダラしとった」とか、「せわしなかった」「数がいつもより少なかった」「撞き出す時間が何分遅かった」「昨日の人と今日の音色が違う」などと、様々な感想や批評を寄せてくれます。

梵鐘
さて、もう、四半世紀も前の話なのですが、私が北海道に居た時分に、地元の新聞にこんな笑い話のコラム記事が載りました。とある町の駅長一人の小さな駅で、ここの駅長が毎朝、近くの寺の鐘を聞いてから起きるのが習慣になっていました。というのは、丁度鐘の音を聞いて起きると、朝一番の業務でこの駅を通過する電車を見送ることができたからです。この寺の住職は殊に几帳面な人だったらしく、いつも寸分違わず時計のように鐘を撞き出すので、この駅長は普段から住職をすっかり信用し切っていました。

ところが、ある日の朝、駅長は電車が通過していく大きな音で突然目が覚めました。「あっ、しまった!」と、慌てて飛び起きたものの間に合わず、駅長はプラットホームに出て、遠くに去って行く電車の後姿を寝巻き姿で眺めていましたが、その時「あの、くそ坊主」と思わず口走り、一言文句を言おうと腹立ちまぎれに勢い寺に押し掛けました。すると、寺に来た駅長の話を聞いた住職は申し訳なさそうに「そりゃ、すまんかったのう」と詫びて、今朝は二日酔いでどうしても起きれなかった、とその訳を話したのでした。

小松では朝の鐘つきをする寺が少ないようですが、奥深い山中でなら兎も角、街の中では寺の鐘も不規則に、鳴ったり鳴らなかったりすると、周辺の人たちにはきっと耳障りな騒音に感じることでしょう。梵鐘は寺には付き物ですし、日常的にその鐘の音が寺の周辺の人たちに耳慣れておれば、殆んどの人には抵抗感はない筈です。また、それが独特ののどかな寺町情緒をかもし出し、そして不思議と人の心にゆとりも与えてくれるのです。
梵鐘二
蛇足ながら、本光寺では梵鐘も変わっていて、一般的には撞木を担ぐように撞きますが、ここでは教会の鐘を鳴らすように滑車から垂れ下がった紐を下に引っ張って撞くという、珍しい撞き方をします。

住職の口癖  君は、二人要らない。


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円満の会も発足して今年で6年目を迎えました。もう登録会員も500人を超え、これまでの会の活動は小松の町の人たちに可成り知れ渡っているように思います。度肝を抜いた奇抜なイベントもありましたし、また逆に誠に地味な活動でも毎年続いているものもあります。

あれは平成9年の年明け早々でしたか、日本海島根県沖でロシアのタンカー「ナホトカ号」が沈没して、多量の重油が真冬の荒れた日本海に流失して漁場や漁村に大変な被害をもたらし、大騒ぎになりましたが、あの後、私たち円満の会の人たちも、200人以上の人たちが安宅の海岸に集まり清掃奉仕をしました。流木やゴミなどを皆が手分けして拾い集めて、会員が好意で用意してくれた何台もの自家用のトラックで、処理施設まで運びました。

このことが切っ掛けとなり、ボランティア委員会では毎年一箇所ずつ小松の老人福祉施設を回り、押し掛けの清掃奉仕をすることになったのです。ところが、この活動がまたどの施設でもとても喜んで下さり、「次はいつ来てもらえるのか」と、尋ねられるくらいなのです。去年などは「グリーンポート小松」老健施設で、100人近い人たちが施設内外に分かれて作業をしたのですが、きめ細かい行き届いた仕事振りに施設職員の方が感心され、特に何人かの本職の庭師の方が庭木の剪定までされたのには、思ってもみなかった事だと大変喜ばれました。

何れにせよ、円満の会は「寺は楽しむ所」だということを様々な活動を通して皆が実感しているのです。この円満の会には、会則が無く、従って会長を置かず総務・委員長会の合議制で何事もすべて決まります。いつだったか、総務の岩倉成利さんが市役所から取り寄せたNPOの資料を私に見せてくれたことがありました。そこには「日本では、NPOの原型は寺院にある」と書かれてあり、驚きました。これまでの円満の会の活動を振り返ってみれば、「なんだ、円満の会そのものがNPOじゃないか」と、その時私は思えたくらいです。この会には既に「政治活動と宗教活動をしない」という暗黙の取り決めがありますが、これもNPOには大事な条件です。

そこで、私は今年度からNPOの設立するための準備に、円満の会の事務局を設置することにしました。NPOの活動内容には、福祉、社会教育、まちづくり、スポーツ振興、環境保全、国際協力、災害救援、子供育成など17分野の活動が認められています。さて、今年から本来の寺に立ち帰るための新たな取り組みが始まります。

住職の口癖  無い物ねだりは、せんとおこう。


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 近く衆議院の総選挙がありますが、選挙がある度に選挙運動の解禁日の朝、必ず本光寺には沢山の鉢巻をした人たちがやって来ます。その時、決まって広い境内が車で一杯になる程人が押し掛けて来るのです。私は初めてこの様子を見た時は、この人たちは何だろう、寺に参りに来たのかな、と思ったら、とんでもない、この人たちは誰一人本堂には見向きもせず、川の流れのように寺の斜め向かいの神社に歩いて行くのです。そう、その神社には揃って当選祈願に行くためで、寺に来たのはただ車を停めるだけの目的でした。

 何故にこの神社なのか、と云うと立候補者がこの神社の氏子だからだそうです。でも、もし、対立候補が同じ神社の氏子だったら、どちらの肩をも持てず神様もさぞかしお困りになるだろうと、つい余計なことを心配してしまいました。兎角私たちは神様に、ついつい自分たちの都合のよい要求を押し付けてしまい勝ちですが、人それぞれが身勝手な私たちを神様は内心どのようにお感じになっておいでなのでしょうかね。

神様
 
 もう一つの話は、昭和63年に本光寺に会館を新築しましたが、その一年前の起工式でのこと。古い木造の庫裡が取り壊され、きれいに整地されたその場所にテントが張られ、正装した多くの門徒の人たちや、業者の人たちが集まり開式の時間を待っていました。私は初めてのことで緊張しながらも出席者一人一人にお礼の挨拶を交わしたり、式次第の確認をしたり、と落ち着かない時間を過ごしておりました。
 起工式
 やがて開式の時間も間近になった頃、一人の人が突然「宮司、遅いな」と言い出したのです。その声を聞いて周りがざわめき出しました。「おいや、どうしたんやろ」「わし、向かいの神社に行ってくるわ」などと言い出す人が出てくる始末です。私もそのような会話を聞いて慌てて「あの、僕がするんです。今日は仏式なんです」と言うと、皆は揃って意外な様子です。すると、また一人の人が「なんや、ご院さんか。そりゃ、価(値打ち)ないわ」と大層不満気な様子です。そこで、また別の人が「あんた、ここは寺じゃろうが。宮司がいたら、かえっておかしがねんか」と切り返すと、やっと皆が笑顔になって、漸くその場が収まりました。

 
 起工式というと、通常地鎮祭と云うのでしょうか、神官が天地にお祓いをして工事中の無事を祈る神事を連想する訳ですが、たとえこのように神事が仏事に変わったとしても、どうも人の神様に対する畏敬の念はそのまま変わらないようです。

住職の口癖  葬式に行って聞き耳立てるは、我が名の確認。

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♪丸い頭のごぼさんが 夢を語り合う 円満音頭 円満満月 月夜の晩に 
 踊れ 踊れ踊れや 小松本光寺

これは本光寺のオリジナル曲「円満音頭 」の1題目の歌詞です。昨年暮れに、漸く目標にしていた108題の歌詞が完成しました。この108題には元唄10番をはじめに、門徒から募集した作詩版、小松弁版、数え唄版、小松名所の紹介版、阿弥陀経版、正信偈版等々盛り沢山な内容になっています。
えんまん12

 そもそもこの音頭ができた切っ掛けは、平成12年に寺で行われた夏まつりに、お馴染みの炭鉱節や花笠音頭や越中小原節などを境内に流して輪踊りをしたのですが、私はこれでは何処にでもある夏まつりと変わらないことなので不満でした。

 そこで、写真家の宮誠而さん にこのことを酒の席で洩らしたところ、数日経って宮さんからテープが送られてきて、「聴いてみろ」と言うのです。早速聴いてみると、どうも風呂場のような所で録音されたような音響になっていて、宮さん本人の肉声ですが、ほろ酔い気分で歌っているように聞こえるのです。それはお世辞にも上手いなと、うならせるような声ではないのですが、中々曲も親しみ易く、詩も良いのです。それが好評だと知ると、それからというもの宮さんは馬車馬の如く、次から次と準備に取り掛かり出しました。
えんまん2

 まず、詩を創り、曲はプロの方に伴奏用の譜面を作ってもらい、序にその人を伴奏者にさせてしまい、歌い手が必要だといって〝ひよこ会〟なるものを結成させて、何度か練習会を開いてメンバーを揃え、遂にCDの録音までしてしまったのです。このCDを門徒に広く紹介しようと、全門徒に無料で頒布をしました。

そういう流れの中で、次に「円満音頭」の踊りの創作でした。幸い宮さんと同じように円満の会員の中山誠(インテリア業)さんが踊りの先生だということで、中山さんが踊りの振り付けを担当して下さり、誰でも踊れる易しい振り付けが見事完成したのでした。
住職も

1年後の夏まつりには、この「円満音頭」が初にお披露目されて、多くの愛好者を生み出しました。この広まりが、何と今年1月の長谷町という町全体の報恩講に、勤めと法話が終わった後、懇親会の席上数人の人がこの「円満音頭」を歌い出したことで、それにつられて別の人たちが歌に合わせて踊り出したのです。「えっ、私ですか?勿論、踊りましたよ!」 

住職の口癖  朝の梵鐘の音も、たまに打てば周辺の家に住む人には騒音だ。
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もう2年程前の春頃でしたか、夕刻、私は出かけようと表に出ると、丁度そこへ三人の青年がやって来て、「失礼ですが、ここのお寺の方ですか」と、声を掛けられました。彼らは共に金沢市内の大学生で、指導教授から本光寺の納骨堂 の話を聞き、わざわざ見学に来たと云うのです。「これからお出かけですか。じゃ、せめて納骨堂の外観だけで結構ですから、見せて頂けませんか」と、丁寧な言葉遣いで言うものですから、私もこの時は別に急いだ用事でもなかったので、彼らを案内することにしました。

すると、その内の一人が「住職さん、小松駅からここへ来る途中、人にこの寺を尋ねたらですね、『あぁ、あの変なお寺ね。この通りを……』と、教えてもらったんです。小松では〝変なお寺〟で通用するんですね」と、笑いながら話をしてくれました。私も一緒に笑って仕舞いましたが、この話を聞いて小馬鹿にされているな、というより、何故か小気味がよかったことを思い出します。ということは、矢張り私も少し変なのですかね。

この寺がいつ頃から〝変なお寺〟という印象を世間に与えてしまったのだろうか。私には、そもそも境内の塀 を取り払った時から始まったように思えます。もう、あれから4年も経ってみて、寺には塀が無くてもよかったんだ、と思うと同時に、真宗の寺には塀は似合わない、返って余分な物だったと確信を持つことができました。塀が無くなってみて、随分と見通しのよい寺になったので、人からよく「入り易い寺になりましたね」と言われます。私は塀が無いことが、これ程気持が晴れ晴れと、すっきりするものだとは思っていませんでした。
祭り

また、本光寺を人が〝変なお寺〟と称するのには、従来の寺のイメージとは違い、変わったことをしている寺という見方もあるのではないでしょうか。例えば、毎年夏まつりがあり、そして、これまで寺の前の県道をホコ天にしたり、本堂を布で被う大掛かりなイベント や本光寺オリジナル曲『円満音頭』の創作、そして、ユニークなHP「スカッと念仏 」の開設など、数え上げれば切りの無いほどの行事・活動を行いました。

そうそう、変わったことと云えば、昨年7月から始めた〝円満朝市 〟も予想を上回る多くの人出でした。この朝市には30数店舗の様々な店が境内各所に陣取り、約1時間の間に殆んどの店の品が完売になるという盛況ぶりで、本光寺が塀の無い開かれた寺として小松の人たちに身近な存在になりつつあるようです。

住職の口癖  
良い仕事の結果は部下の手柄、悪い結果は上司の責任。(これが中々できない)
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 真宗では帰敬式 と云って、真宗門徒となる門出に受ける儀式があります。この帰敬式は我々真宗門徒にとって報恩講と同様大切な重い仏事です。今日では全国の何処でも何時でも受式できるようになりましたが、つい7年程前までは、本山の占有特許のようなイメージを持たれていましたので、本山の門首、或はそれに準ずる立場の人しか執行できないという偏狭なものでした。

私はこのことに反発して、定期的に毎月28日(親鸞聖人の御命日)にこの帰敬式を行っておりましたが、全国でも同様のケースが見られるという事で本山でも問題視され、やむを得ず条例を改正して、一般寺院の住職でもその寺の門徒に限り帰敬式の執行が公認されるようになりました。

お陰で、それ以来、門徒の様々な要望にも対応できるようになりました。例えば、今までに、門徒の自宅はもとより、病院でも行っています。
おかみそり1
ここで、丁度2年前に、越田さん という方の自宅でそこのご夫婦が帰敬式を受けられたのですが、この時のことを紹介しましょう。この家のご主人は、20年前に脳出血で倒れられて以来、ずっと寝たきりでした。このご夫婦はかねてから機会があれば、帰敬式を受けたいと思いつつも、容易に本光寺まで行けないものですから、歯がゆい思いをなさっておられたそうです。そこで、町内の人に相談したところ、家に来て貰えることを知り、早速寺に申し出られました。

そして、念願叶い夫婦揃って受けられることになりました。当日、ご主人はベッドの上で仰向けに、奥さんはそのベッドの横に座り、二人は20分程の式の間、終始真剣な面持ちで、時には、余程胸が一杯になったのか、涙を流しておられました。
おかみそり2

式が終わって、奥さんが「有難うございました。うちの人はこのような体ですが、私には大切な人なんです。本光寺さんで何度も帰敬式があることは知っていましたが、これまでその度に悔しい思いをしました。しかし、この人を家に置いて私一人だけが寺に行く訳にいかなかったんです」と、涙ながらにおっしゃって、私もその言葉を聞いていて胸がつまる思いでした。ご主人は不自由な体なりに、私に顔や手を上下左右に動かして体全体で表現され、言葉はただ「オー、オー」としか聞こえない言葉でしたが、私には十分に喜んでおられるように見て取れました。

しかし、帰敬式は大切なものなのに、まだまだ門徒の人たちには馴染みが薄いことが残念です。

住職の口癖  自分の足らんところは、人と引き算をすれば、すぐ分かる。
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 本光寺では毎年9月から年末にかけて、報恩講を門徒宅に出向き勤める慣わしがあります。この勤めは真宗独自の大切な仏事ですが、これは言わば、年に一度の家庭訪問のようなものだとも云えます。ここでは「正信偈 」や「和讃」で構成された勤行を、我々僧侶と門徒が共に唱和をして勤めます。それは誠に睦ましい光景です。勤めが終わると、暫く四方山話やお内仏のお飾りのことや真宗の教えの一端などをお話して互いの親交を深めます。

報恩講 所で、私が自坊に戻った頃は、当然のことながら門徒の人たちは私を知らないので、直に会って居てもよく不審がられたものです。ある家に行った時のこと、「ご免下さい、本光寺から参りました」「は~い」と元気よく玄関に出て来た婆さんが私の顔を見て不審そうに「あら、村上さんじゃないんけ」と言って、慌てた様子で奥に引っ込んでしまいました。この村上さんはこの家担当の役僧だったのです。

奥からかすかに会話の声が聞こえてきました。「爺ちゃん、知らんごぼさん(坊主)が来とるわ。あんた、出てま。まぁ、でっけ(大きい)ごぼさんやわ」と化け物扱いです。ちなみに私は身長が180㌢あり、村上さんは150㌢ありませんでした。出て来た爺さん「あっ、ほんに…。どうぞ、入って」と案内されて、仏間に通されました。すると、爺さんが「村上さんは、どうしたがや」「私、代わりに来ました」と言うと「あんた、息子さんか」「いえ、村上さんにはいつもお世話になっています、多田と云います」「あぁ、そう。あんた、小松の人け」「はい」また、爺さんが「多田さんの住まいは何処け」「本折町です」それを聞いた婆さん、爺さんに小声で「多田っていう家、本折にあったけ」と言って互いに首を傾げています。恐らく二人の頭の中は「▽◎◇?!★☆*」という具合だったのでしょう。

そして、勤めも終わって、お別れのご挨拶をしたら、また爺さんが「あんた、ほんとに本光寺のごぼさんやろね」と念を押されてしまいました。なぜに、私は正体を明かさなかったかというと、当時は住職と役僧とは長年勤める家がきちっと区分けされてありました。それで、この家の人は私を役僧と思い込んでいたに違いありませんから、正体を明かすと、たぶん布施の中身を入れ替えたり、いたずらに緊張がらせるだろうから、私はそれをさせたくなかったのです。
報恩講

今日では、私が行かない家がないくらいになり、私の顔も覚えられ、どの家でも私を温かく迎えて下さいます。私にとってこの報恩講勤めが大切な門徒との交流の場になっています。

住職の口癖 
真宗の寺でしかできないことを、本光寺だからこそできることを、積極的に試みてみよう。  
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