本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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これも遺族の希望?



昨今、葬儀も様変わりをしていて、その変化にしばしば戸惑うことがあります。以前、ある葬儀社のセレモニー会館で、葬儀式場の入り口の脇にお棺の白木の蓋を裏返しにして、その前を通る人が見えるように、まるで立て看板のように立て掛けてありました。その蓋の裏には寄せ書きのように幾つかの言葉や、絵が落書きのように描かれてありました。そこで、葬儀が終わって式場から退出して廊下に出た際に、すぐ近くにいたそこの葬儀社の人に私は立ててあるそのお棺の蓋を指差し「これは非常識じゃないか。お棺の蓋をこんな人目にふれる所に、まして蓋を裏返しにして立てて置くなんて。これじゃまるでスーツを裏返しに着て立っているようなものですよ」と意見を言いましたら、その人は「これは遺族の方のご希望でして」と言い返すものですから、私は「そんなバカな。あんた方が『最近このようになさる方が多いですよ』とでも言って勧めない限り、こんなことは誰も思いつかないでしょう」などと言い合いをしていましたら、たぶんその人の上司のような人が直ぐ駆けつけて来て、「いや、なるほどごもっともなことです。これは私共でまた検討させて頂くことにしますので」だって。



次に、またあるセレモニー会館でのこと。通常、葬儀の祭壇には真正面の位置に座敷の床の間の壁に掛け軸を下げるようにして阿弥陀如来の姿が描かれている御絵像を下げてあるものなのですが、何とこの時ここでは天井から「ハエ取りリボン」のように御絵像が釣り下がっているではないですか。驚きました。私は天井に向いて手を合わし拝んだのはこの時が初めてでした。


本光寺住職のダラブログ ←ハエ取りリボン

更に、この頃よく見かける葬儀時の光景で、まだ目に余ることがあります。それは葬儀の読経中に遺族の方々の焼香が始まると、葬儀社の人がカメラを持って、花畑のように飾られた祭壇の中まで入り込み、まるで花々に埋もれて隠し撮りをするような格好で、遺族の一人一人が焼香している姿を撮っているのです。いらぬことに私が導師で焼香しているところまで無断で撮ろうとするものですから、つい腹が立って「撮るな!」とその場で怒鳴ったこともありました。楽しい思い出ならまだしも、この後この時のことを懐かしみそのような写真を見ることがあるのでしょうか。



住職の口癖 若い人は一途な方がよい





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蓮華賞

北陸大谷高校は公立の高校と違い、シャバそのものです。勉学に部活に最優秀な生徒がおれば、学力が低い、運動能力が劣った生徒もいます。一つの集団で足の速い子がおれば遅い子がいるのと同じで、皆それぞれバラバラで、画一的でないところが大谷高校の持ち味です。そこで、私は4年前に、特に目覚ましい優秀な成績や記録を残した生徒にではなく、辛い逆境にある時や、何かに失敗した時など、それを人のせいにするのでなく、くさらず、投げ出さず、そして、ヤケクソにもならず耐え抜いて、その苦境を懸命に乗り越えた3年生の生徒を私が独断で選び、卒業式に顕彰することにしました。その賞を理事長賞とはせず「蓮華賞」と名付け、「泥の中を成長して咲かせるきれいな蓮の花」に譬え、その3年間の辛苦に打ち勝った労を称えることにしました。

一人目は、バレー部のキャプテンでありながらレギュラーを突然外され、以後心機一転裏方で部員を支えた女子生徒。二人目は、柔道部で一年生の新人大会の試合後、硬膜下出血で倒れながらも部に復帰した後、マネージャーとして裏方に回り部員を下支えした男子生徒。三人目は野球部のエースで春の県大会で金沢西高校に惨敗を喫しましたが、その後、並々ならぬ努力を重ねて、夏の大会では優勝候補の金沢高校に4-5で敗れたものの、あの大舞台で延長12回を一人で立派に投げ抜き、どん底から這い上がった生徒。

では、今年は?吹奏楽部に未経験ながら入部し、その技量のハンディを人一倍の努力で克服して、副部長・フルートのパートリーダーを務めるまでに成長した女子生徒を卒業式で表彰しました。

私は常々、私学は私学にしかできないことを、さらに、大谷高校だからこそできることを見つけて実行していこうと心掛けているのですが、この蓮華賞もそのような考えに基づいたものです。この賞を続けることで、後輩の生徒たちの励みになってくれればよいのですが。

住職の口癖

神社は人間の弱さを知る所


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犬のやきもち




寺には犬(メス)を1匹、警備犬?として飼っています。


以前、知り合いのブリーダーの人から「店で売れ残った子がいるんだけど、もらってくれませんか。ご院さんと奥さんは犬が好きだからきっと可愛がってくれるだろうと思ってね。」と電話があって、その後早速、柴犬の子犬を持って見せに来たのです。実はその頃、それまで飼っていた2匹の柴犬が相次いで死んで、私たち家族がとても悲しい思いをした後だったものですから、また飼うことには消極的でした。でも、その人に、「この子、ワシが引き取らんだら、どうなるの」と訊ねると、この後、処分することになる、というのです。


そこで、私が考えたことは<この犬の寿命を14.5年とみて、私の年齢はその時になると70歳か。ここでこの犬に逢ったのも他生の縁かな>と、引き取ることにしたのです。名前は8月に来たので「ハチ」が「ハッチ」に決まり、以来何の芸も出来ない、臆病なただ吠えることだけの犬ですが、今は大切な家族の一員になっています。


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ところで、複数の犬を一緒に飼ってみると、性格の違いやオスとメスの仕草の違いなどが比べて見えるものだから自然とわかってくるものです。以前も2匹を同時に飼っていた頃、成犬に成長するに従いボスと子分の関係が2匹間でいつの間にかできて、ボスは子分を力でねじ伏せ、時に威嚇して噛みつき自分の存在を誇示します。


しかし、私に対しては、ともに私の顔色をいつも見ていて、私のその日の喜怒哀楽を瞬時に見抜くのです。私が機嫌の悪い時はその空気を察するのか決して私に近づきませんし、逆に良い時は自分から近づき私にじゃれてきます。叱ろうとすると遠ざかり、優しくしようと思うと近づいてきます。人と犬にも以心伝心があるのです。


犬が私に求めているものは、優しさです。ところが、私がどれか1匹だけを優しくすると、その犬をもう1匹が噛みつきます。実は犬にもやきもちがあるのです。私はそれぞれの犬を平等に可愛がっているつもりでも、犬は自分だけを可愛がって欲しいのです。これは人間の親子関係でも共通して言えることのように思います。

親の心はほとけの心、子の心は凡夫の心


住職の口癖


虚飾の皮が一枚むければ、ダラになる










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初七日も前倒し

 世間には、俗習や迷信などの世間の常識というものがあって、私たちはそれを疑いもなく取り入れ、それにこだわりながら事を決めていることがあります。
 一つ例を挙げると、来年が年忌に当たる人の法事を年末にするケースがあります。この場合、亡くなった日が1月とか2月であったりすると、「命日より後にするのはよくない」という世間の常識を鵜呑みにして、前年に法事を行ってしまうのです。これでは三回忌の法事は二回忌になってしまいます。何故にそんなに急ぐのか、というと命日の後にして悪いことが起きると困るからとか、皆がそう言うものだからといって、その世間の常識に背くことに怯えて嫌がり、そういう人はいくら諭してもそれが中々強情で聞き入れてくれません。余程止むを得ない事情があるのであればとも角、年忌の年が一年中だと考えて、まず、我が家の仕事や家族の都合とか親戚方の都合を勘案して日取りをするのが望ましいと思います。
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 更にもう一つ、大半のご門徒は葬式の後、斎場の帰りにその足で本光寺に寄られてその日に納骨されるのですが、その時、中陰表といって亡くなった日から計算して初七日から百ヶ日までの日取りを表にした一枚の紙を遺族の方に渡して、今後の中陰勤めの日の予定を立てる目安にして頂いています。昨年ある遺族の方が寺でその中陰表をご覧になって「初七日も今納骨のついでにしたい」と言われた直ぐ後、「満中陰(四十九日)が○日か、それならそれも今日一緒にやってもらおうか」と言いました。私はそれを聞いてびっくりして、咄嗟に「初七日はその日が来ないと初七日とは言わないんです。そんなに初七日を特に重きをおかなくてもいいのではないですか。その日がどうしても勤められない事情があるのなら初七日はお休みにすればよいのです。まして満中陰を今日勤めるなんてあんまりじゃないですか。
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 どこに朝飯に晩飯を兼ねて食べる人がいますか。晩にならないと晩飯といわないように初七日のことも同じです。」と言いましたら、結局しぶしぶ毎週の七日七日を勤めることになったのですが、このようなことも何れは世間の常識になっていくのでしょうか。
どうもこの頃の人には、ただ単に葬儀や法事のことで合理化、簡略化することが優先して、本来の仏事の本義が薄れてしまっているように思います。
住職の口癖
お墓は、大地の小さな入口


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サンドイッチマン

 もうすっかり地元では有名になった円満朝市も今年で早4年目になり、これまでに計21回開催しました。第1回目には僅か16店舗だったお店が、今や40店舗を超え、その他に、通りの歩道には商店街のお店が10店舗ほど並び、早朝6時前から一体何処から人がやって来るのでしょうか、毎回、1,000人以上もの大勢の人たちで賑わっています。

この円満朝市では、初回から白山麓の中宮温泉の湯で作ったお粥が無料で振舞われているのですが、これが大変人気があって、6時きっちりにお椀に入ったお粥が窓口から出されると、僅か10分足らずで用意した108杯のお粥がすべて無くなってしまうほどなのです。
円満1粥
このお粥作りの担当は私の女房でして、たかがお粥のことながら、当初は色々苦労があったようです。まず、お粥の湯の加減や味を考えて、試食用に作ったお粥を円満の会員に食べてもらい、率直な意見を聞き参考にしました。それから一番食べ頃の時にお粥を一時に大量に出さなければならない状況なので、出来上がりの時間帯を考慮しました。
円満粥2



 そのような試行の末、漸く本人も<これだ>と思えるものに仕上げることができたのでした。今では最初に作った「小豆粥」から「そば粥」「赤米粥」「白山なめこそば粥」と次々と新メニューを作り出し、女房のレパートリーも4種類に増えました。でも、本人はこれだけではまだ物足らないのか、さらにお粥の新メニューを作りたいと意気込んでいます。
 
 ところで、この朝市の間、私の仕事というと、昔懐かしいサンドイッチマンをしています。横70cm、縦90cmの二枚の板を体に挟んで首と手足を出し、境内の中を買い物客にチラシなどを配りながら歩き回っています。
サンドイッチマン1
先月の朝市の時でしたか、私がそのような姿で境内を歩いていると、3人連れの婆さん達がそんな私を見付けて何かコソコソ話しています。そこで私は聞こえない振りをして聞き耳を立てると、その内の一人が連れの人に小声で、「ねぇ、あの人、ここのご院さんやろ、ダラみたいことしとんまっしゃる~」と言って互いに顔を見合わせ笑っています。そう云えば、私が首から掛けているその板には「人間陀羅とよばれて一人前」と書かれてありましたなぁ。これは、私も遂に一人前になった、ということなのでしょうか。

サンドイッチマン

そうそう鶴田浩二の歌に「♪~サンドイッチマン サンドイッチマン 俺らは街(朝市)のお道化者 とぼけた笑顔で 今日もゆく」なんていうのがありましたな。円満朝市には買い手も売り手も、笑顔いっぱい誰もが実に楽しそうです。

住職の口癖 寺は、今も立派な公共施設だ。



円満粥3

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 今年の3月27日、ドイツのカウフボイレン・マルティンスフィンケン合唱団のコンサートが本光寺の本堂で開かれました。男女30人のこの混声合唱団のハーモニーは聴いている者をうっとりとさせるほどすばらしいものでした。

賛美歌1

 これが何故に寺で、というと、彼らがあえて場所を日本の寺の本堂という木造建築の下でしたかったのだそうです。私は実際その場に居て、賛美歌やドイツの牧歌曲などを聴いていても、寺だからだという違和感は全くなく、いや、それどころか返って古い建物と歌声が心地よい調和をもたらして呉れました。恐らく、本堂を満堂に埋め尽くした多くの人たちも、同様の心境だったのではないでしょうか。

賛美歌

 ところが、この日の演奏会の広告チラシを事前に見た一部の人たちの間で「寺で賛美歌とは、如何なものか」と、眉をしかめている人がいたようなのです。事実、寺にも匿名の人からそのような趣旨の電話があったくらいです。

 ところで、キリスト教といえば賛美歌ですが、真宗にも仏教讃歌というものがあります。これは西本願寺第22代門主鏡如上人が大正時代に賛美歌を真似た宗教曲をいち早く儀式に取り入れたのが始まりで、以来、今日では真宗大谷派でも数多くの仏教讃歌が作られ愛唱されています。また、従来のお経の節にしても、大谷派では基になったものが天台声明ともいわれ、これまた、6、7世紀のローマ・カトリック教会のグレゴリオ聖歌と通ずるものを感じさせてくれます。このグレゴリオ聖歌は一般的な賛美歌のイメージとは違い、単声で無伴奏の、素朴な原始的な趣の歌なのです。だから、単調なお経と似ている点もあって、もしかしたら真宗声明のルーツを辿ればグレゴリオ聖歌に行き着くのかも知れません。

 話は変わりますが、近頃人からよく「葬式などで真宗の坊主らのお経は不協和音のようで、聞きづらい」と言われます。確かに、私も時折余所の坊さんと一緒に勤める時など、相手が音痴なのか音が合わなくて、とてもやり辛いことがあります。それに、今日の葬式では読経の声と司会者の焼香の呼び出しの大きな声が入り混じり、もうじっくりとお経の響きに浸る雰囲気ではなくなりました。その上、多くの会葬者は呼び出される我が名の確認に余念がなく、自分の焼香が終われば、隣の者とコソコソと私語を交わすといった始末です。葬式は立派な音楽法要の筈なのにね。

 今、ふと思ったのですが、例えば、キリスト教会での葬式の最中、不揃いな声で賛美歌を歌ったり、また、仏式のように司会者が会葬者の名前の呼び出しをすることなど許されるのでしょうか。

住職の口癖 一旦身に付けた声明と作法は、もう人は奪えない。

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 昨日は小松市長選挙の告示日で、各立候補者はそれぞれの場所で熱心な支持者を伴い祈願祭や出陣式を行なったようです。

 昨日の午前中には、寺の向いの神社にも大勢の人が集まり、当選祈願祭が行なわれました。ところが、これまでどのような選挙であれ、必ずその度に本光寺の境内がそのために集まった人たちの専用駐車場になってしまうのです。
その様子を眺めていると、ほぼ同時刻に何台もの車が寺に押し寄せて来て、車から降りるとすぐに丸で水が低い処に流れていくが如く、向いの神社に一斉に小走りに向かって行きます。その時、誰もが本光寺の阿弥陀さんは対象外と言わんばかりの冷たい表情で、目の前の本堂には見向きもせず、立ち去って行くのです。それは人が阿弥陀さんの力を見抜いているのか、それとも阿弥陀さんにその人の心を見抜かれているのか・・・。

 そう云えば、今年も受験生で寺に合格祈願に来た子供は一人もいなかったな。皆知っているんですよね、阿弥陀さんはそんな自分勝手なご利益をもたらしてくれないことを。今や選挙戦の度に行なわれる祈願祭は当り前の仕来りになっていますが、でも、私などはテレビに映るその光景を見ると、自信がないんだな、のっけから神頼みとは情けないことだと、思ってしまいます。さらに、もっと肝心なことは、祈ろうが、頼もうが、あなたに何も神様は約束をしてはいないことを、はっきりしておかなければいけません。

 いや、これは神様のことばかりではないのです。つい一ヶ月位前のことでしたが、20歳前後の若いカップルが、突然寺に訪ねて来まして「すみません、あの、水子供養をしてもらいたいんですが・・・」と言うものですから、私は「この寺では水子供養はしません。真宗の何処の寺に行ってもしてはくれませんよ」と応えると、「じゃ、何処へ行けばしてもらえますか」「そうね、小松ではハニベ巌窟院かな、あそこはそれ専門だから」と、そう応えると、彼の方が「いや~、あこは・・・」と言いながら首を少し傾げて困った様子です。
 
 私は冗談で言ったのですが、実は最近、地元のニュースでこの寺の住職が水子供養を求めて来た複数の女性の弱味に付けこみ、破廉恥なことを繰り返して、倒頭セクハラ容疑で逮捕されたのですが、私は彼の反応からこのニュースを知っていたことが分かりました。「そうか、それじゃ折角来てくれたんだから、これから二人で本堂にお参りして、互いに手を握り合って『ごめんね』って、心の中で詫びておいで。これは二人の大切な秘密だよ。どんなお経を上げても、罪は打ち消せないからね」と言うと、晴ればれとした表情になって「はい、僕たちそれでいいです」と。

住職の口癖 お経は、心地よいリズムと、響きだ。


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 昨日は、父の14回目の祥月命日でした。今日(28日)は、親鸞聖人の今年初めてのご命日ということで、寺では午前中お参りがありました。また、くしくも今日は、我が家の愛犬、アコの初月忌でもあります。何と、畏れ多くもアコは親鸞聖人と全く同じ命日なのです。

 思い返せば、先月の27日の朝、アコの様子を見に行くと、亀のように腹ばいになっていて、もう立って歩けません。しかし、腹を地面につけていながらも「ウゥゥ…」といううめき声を出して、何とか動こうとしていますが、その意思が手足には伝わっていないようです。そして、あれほど食いちぶ(大食い)だったのに、もはや餌も食べなくなりました。この時、私にもアコの死期が近いことを感じました。
 女房もアコの姿を見るや否や「こりゃ、駄目や」と咄嗟につぶやいたと思ったら、「アコちゃん!」と叫んで泣き出しました。すると、女房は直ぐに新しい毛布を出して来て小屋の中に敷き、アコをその毛布で包むようにしてやっています。「この毛布におりや。暖かいやろ。ここでウンコもおしっこもして、汚していいよ。アコちゃん、ありがとう、ありがとうね」と、泣きながらアコの体中をさすってやっておりました。

 その日の晩、私はある会の忘年会で温泉旅館に居りましたが、内心アコのことがずっと気掛かりでいました。夜9時過ぎだったでしょうか、「まだですか。アコが心配、早くハヤク帰って」と、女房から携帯にメールが入り、急いで帰りました。そして、あくる日の明け方、到頭死んでしまいました。
 
 それから、私たち家族は、たかが一匹の犬が死んだことで、皆で一日中泣き明かしました。女房に「何故に、アコのことでこんなに涙が出てくるんだろうね」と言うと、女房は平然と、然も冷たく「そりゃ~、私らに何一つ文句言わんからやわいね」と言い放ちました。成る程、その通りです。文句を言ったり、逆らったりされれば、わが子でも憎らしくなりますもんね。思うようになれば可愛いし、思うようにならねば可愛くないものですよね。
ケンとアコ
 28日の午前、本堂の隅っこに阿弥陀さまに向けてアコの亡骸を安置して、親鸞聖人
のご命日のお参りをしました。参詣された人たちも、お参りが終わるとアコの側まで来られて、顔を覗き込み、何本もの手を伸ばしてアコの体をさすりながら「そうか、そうか、生きとし生きるもの、皆お仲間じゃ。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と、手を合わして下さいました。
そして、その後、昼頃に近くの山に行き、その山の麓に穴を掘り埋葬し、家族ともう一匹の愛犬ケンとで最後のお別れをしました。

住職の口癖  親の夢 次々消して 子は育ち (誰かの川柳)


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 近頃、よく知合いから「住職のアノ写真を見たよ。あれは、いい写真だ」と、実物より余程いいと言わんばかりに褒めてくれます。この写真は寺の近くの写真店のショー・ウィンドーに、立派な額に入れられ通りから見えるように掛けてあるのです。自分で言うのも可笑しいが、僧衣姿の私がちょっと微笑んでいてその表情が自分で無いような、流石、これはプロの仕業だなと感じさせてくれます


写真1


 そもそもこの写真は、数年前に北陸大谷高校の卒業アルバムに使うためにこの店の人が撮ったもので、それを大きく伸ばしたものを、以来ずっとこの店先に飾ってあるのです。けっさくなことに、この店の前を通る通行人の中には、僧衣姿の私を見つけて思わず写真に向かって合掌をする人までがいるとか。私はその話をここの店主から聞いて「写真に黒いリボンをつけて、その前に賽銭箱を置いてみたら」と、からかったことがあります。

 写真といえば、最近自分の部屋で探し物をしていたら、一枚の写真が出てきたのです。これは私が9歳の時、東本願寺で得度をした時の物で、きれいに剃られたくりくり頭が愛くるしく、私もこんな頃があったんだな、と懐かしく暫くこの写真を眺めておりました。すると、立ち姿の私が僅かながら右に傾いていることに気付き、「あっ、そうだった」と一つの事実を思い出したのです。それは、実はこの時私は二日酔いだったのです。
前の日の晩、付き添ってくれた林という役僧が旅館で晩飯の時、私を相手にビールを勧めて飲まし過ぎたらしいのです。後で、帰郷してから、この林が父からひどく叱られていた様子を今でも私は覚えています。
写真二


 最後にもう一つの写真を紹介しましょう。これは最も新しい僧衣姿の写真で、今月、北陸大谷高校のサッカー専用グラウンド完成式での私が蹴り初めをした時の一コマです。二枚の写真を比べると、変われば変わるものと、自分ながらも苦笑して仕舞いました。さて、皆さんはこれでも写真を見て、手が合わさりますか。
写真3

住職の口癖 
 読経の上手い人は、ごまかすことも上手い。



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 いつ頃から女房が晩酌をするようになったのか覚えがありませんが、女房は素面の時はすこぶるおしとやか人なのですが(いや、これは冗談です)、酒が入ると途端に威勢がよくなるのです。態度も横柄になり、声も殊更大きくなって、テレビの音など聴こえなくなる位です。

 つい最近のある日の晩、いつものように二人で一杯やりながらテレビを見ていたら、日本国中到る所で熊が出没していて、これまでに70頭以上が捕獲され、その多くが射殺されていると報じていました。

 このニュースを聞いた女房はすかさず「可哀想に。お父さん、きっとこれで今年は山菜採りに人が山に行かんようになるわ」「うむ、恐いもんな」「そう、町の人間が猫も杓子も山に入ってダラみたいに木の実などの熊の食べ物を洗いざらい取って来るから、きっと熊は食べ物が無くて里に下りて来るんやで」「うむ、そうやな」「それに、山に人の食べ残しを沢山置いて来るもんやから、熊がそれを食べて味を覚えてしまうんや。丸で、人間が餌付けをして山から熊をおびき出しているようなもんやで。私の子供の頃は親から柿の木の実は全部取らず、上の方は鳥の分に残しておけ、とよく言われたもんやけど…」と、ビールの入ったグラスを片手にここまで一気に話し、今日も勢いがいい。
熊
 そこで、私も「うむ、そう云えば、いつか大杉の人に聞いた話やけど、大杉の川沿いの狭い土地に小さな田圃が幾つもあって、その田圃に川の水を引く水口の辺りの稲は刈り取らず少し残したそうや。鳥の餌のためにね」

 ところで、この大杉の谷深い鈴が岳の山中に手作りの小さな小屋を建て、独り住んでいる西出恵一さんという人が、最近3頭の射殺された熊の解体を頼まれて腹を開いてみたら、3頭とも胃袋の中が空っぽだった、と話をしてくれました。この話は先の女房の話を裏付けるものでした。熊のみならずイノシシにもサルにも、今の山には我々が想像する以上に餌が無いようです。そして、人間のエゴが山に棲む生きものの生態までも荒らし、その挙句お返しに人間の生活が脅かされて、互いに傷ついています。
熊1
 熊にしてみれば、ただ腹がペコペコだっただけなのにね、見つけられる度に殺されて、熊が哀れです。殺された熊が血を流して、大の字に仰向けにされてテレビの画面に写っている姿を見ていると、私は何かやり切れない想いがするのです。どう見ても、人間の方が愚かに思えてなりません。

住職の口癖  ウケねらいの話より、うなずかせてくれる話の方がいいな。


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