本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 戦後、日本はひたすら豊かさを求めて、今日では世界でも有数の経済大国と云われる程の自由で豊かな国家を作り上げました。便利で、物に溢れ、まさに人間の手で此の世に極楽を作り上げたようなものです。しかし、この豊かさを手に入れたが故にあらゆるところの分野で不条理な面が出てきて、今や政治家はそれを解決せんがために改革という言葉が口癖になっています。例えば、税制改革、社会保障、エネルギー・環境、雇用・就労、都市整備、社会福祉、教育改革等々、挙げれば切りがないくらいの改革ラッシュです。これは全く皮肉なことで、日本は今まで豊かさを得ることを唯一の目標にして、それが漸く実現できたのに、今度は豊か故に苦悩しています。

 ここで一つ例を挙げてみると、春の時期になると、よく新卒者の就職状況が厳しいと報じられています。就職難である主な原因は、景気低迷による企業からの求人数が減少していることですが、また一方では若者の就業意識の低下もその原因に挙げられ、このことが問題視されています。今は豊かな時代ですから、若者には是が非でも働かなければならないという、切羽詰った意識が薄いように思えます。何故なら、今の殆んどの若者はすでに衣食住が足りている訳ですから、差し迫った求職意欲が持てないのも致し方ないことかも知れません。

 この点を高校の就職指導の担当者に聞くと、「求人情報があっても本人の性格や適正に合わない職種で選択をためらうというのなら未だしも、それ以前の問題で、自分自身の就職のことなのに、高3になっても、まだまだ幼稚な意識しか持ち合わせていないことの方が深刻なんですよ」と言います。豊か故に、何をしたらよいのか分からず、何かに挑戦しようという意欲もなく、自分のやるべき事が見つからない。主に、このような意識の若者が学卒未就職者やフリーターになるようです。

 また、高校教師をしている私の友人が以前に「かつて数学者のラッセルが人間の不幸に‘貧困’と‘退屈’がある、と言ったが、今リストラで困っている者がいても、食べられないことはない。今の人の不幸は、やるべき事が見つからない、そしてそれに伴う‘退屈’だと思います。学校の抱えている問題児や不登校児の病巣はここにあるのではないかと思っています。そして、このことは一般人も同じではないかと思っています」と言っていましたが、確かに、「豊か故に幸せ」とはいかないようですね。
 では、この不幸を一体誰が救うのでしょうか。

住職の口癖  (呑み会幹事に)おい!新年会は、まだか。

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 昨年、1月22日の午前3時の話です。雪が昨夜から不気味に降り出したものですから、私は気になって外の様子を見てみようと窓の戸を開けると、「ヒューヒュー」という風の音と一緒に「サラサラ」と小音を立てながら粉雪が舞い込んできました。外は夜にもかかわらず雪で随分と明るくなっていて、それが大変な吹雪です。この時、私は「こりゃ、除雪をせなあかんな」と思いながら、起きた序に時間までこの‘だらメル’を書くことにしました。

除雪作業は朝5時頃から始めるのですが、広い境内と寺の門前周辺の歩道を自家用の中型除雪機で2時間程かけて除雪をします。まず、出勤して来る者たちが車で寺の中に入れるよう通路から開け始めます。なるべく要領よく、予め決めた数箇所の投雪場所に雪を集めて、積み上げていきます。この除雪機は総重量が750㎏もあって、投雪距離は20m以上も雪を飛ばしますから性能も良いのですが、ただ機械の操作が傍目で見ているよりは難しくて、而も危険なのです。安全装置は付いているのですが、今までにも私は咄嗟の判断が間違い、後になってから「危ないところだった」と、胸をなでおろしたこともありました。
ゆきかき
運転操作には何本ものレバーを使いこなさなければならないので、一瞬の勘違いなどの操作ミスで事故を招きかねません。現にこの時期除雪機を使って、よく機械に挟まれる圧死事故があるくらいです。ですから、私はそれが怖くてこの機械を人に触らせないようにしています。

この雪も詩や歌や絵の題材に使われている内は情緒や風情があってよいのですが、雪国の人たちの日常生活には大変支障を来たす物であり、誠に邪魔な物です。そして、何れ消えてしまうこの雪のために、止むを得ないことだと諦めつつ、毎年今の時節に無駄とも云える労力と経費を使わされています。

ところが、子供は違うのです。境内に高く積み上げられた雪の山は、小学生位の子供たちがスキーをしたり、かまくらを作ったりして遊ぶ格好の遊び場になるのです。特に本堂の軒下は屋根から落ちる雪と、境内から寄せ集められた雪とで可成りの量になります。そこで楽しそうに遊んでいる子供たちを眺めていると、私は「まぁ、いいか」と、愚痴を言いたい自分の心も自然と治まり、微笑んでいます。あっ、もう5時だ。さぁ、始めよう。

住職の口癖  坊主は畳の上の乞食。


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 今から三年ほど前、母の葬式を終えた後、お骨を墓表に「累代塚」と彫られてある我が家の墓に納骨しました。この墓には重い石板の蓋を二人掛りで持ち開けて、骨壷から手でお骨をすべて取り出し、墓の中に散骨するのです。私はこの時、これで母も漸く亡き一族の許に帰すことができた、と何しか安堵感を覚えておりました。誰もが死ねば、お骨しか残らない訳ですが、人によっては一時の遣る瀬無い思いが、殊更にこのお骨に執着を持つ人がいるようです。

もう15年前ものことですが、17歳の少年がバイクで事故に遭い、亡くなりました。そのお通夜が終わった後、数人の同級生が私を呼び止めて「ちょっと、聞きたいんですけど。あす皆で一緒に火葬場に行こうと思っているんですが、僕らもお骨をもらってはいけませんか」と、神妙な態度で聞くのです。

そこで、私は「君ら、仲良しだったんだね」「はい」「お骨をもらってどうするの」「ペンダントに入れて、いつも身に付けておきたいんです」「成程。でも、君たちの気持はよくわかるけど、お骨はアクセサリーではないよ。やっぱり全部お墓の土に帰してあげようよ。そうすれば、君たちはいつでもお墓でお参りができるじゃないか」と、その時そう応えておきました。

また、私の学生時代に聞いた話に、外国のある学者が世界中に分散している釈迦の遺骨(仏舎利)をすべて集めたとして、その重さを計算したのです。その結果何と1t以上にもなったそうです。これも遺骨の一かけらでも欲しい、という故人に対するこの追慕の情は先の少年たちの思いと同様なものがあるように思います。

ところで、戦前まではそれぞれの町々には三昧場(さいまいば)という火葬場があって、家から出棺すると無理矢理二つ折りにされた遺体の入った棺桶を担いで三昧場まで運び、そこで一俵の炭で一晩かけて荼毘に付されたといいます。これでは当然不完全な状態で焼け残ったお骨も多かったことでしょうから、臭くて家に持ち帰れず、止むを得ずその大半は三昧場でそのまま埋葬したものと思われます。実はそれでよかったのです。

ところが、今日では火葬されたお骨は誠にきれいに残るので、家に持ち還ることができるようになりました。しかし、このことが死ねば人の身は大地の懐に帰るという自然の道理に逆らい、お骨に余計な執着心までも持たせてしまったようです。

住職の口癖  忙しい人ほど、時間を上手くつくるもの。


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  本光寺の大晦日の除夜の鐘撞きには、生憎の雨降りにもかかわらず、多くの老若男女が訪れて大変な賑わいでした。特に、毎年恒例になった蕎麦振舞いには、無料ということもあってか、用意をした300杯分の蕎麦が一時間も経たない内に品切れになるほどの人気で大盛況でした。
除夜会 年越しそば
  この日、集まった20人ばかりのスタッフの人たちは、午後の準備から深夜になる後片付けに至るまで、何の事前打合せもせず、誰が指図をする訳でもなく、各々が勝手に考えて、身を動かしています。
テント キャンドル
 先ず、テントの設営から始まり、暗い境内の参道の両隅を50個余りの無色の一升瓶を半分切断したものをキャンドルのようにきれいに並べ置いて、参道をローソクの光で飾る者、鐘楼を効果的にとライトアップする者、テーブルを作るために沢山のビールケースやコンパネを持って来る者、そのテーブル掛けにと自前の白い布を裁断して持って来る者、テーブルの飾りにと花差し用にわざわざ山から青竹を切って来る者、そして、蕎麦振舞いが始まると、テントの中では蕎麦を湯に通す者とお椀に出し汁をお玉で入れる者、使った箸や棄て汁を入れる場所を教える者、外では大声で客の呼び込みをする者、参道に並べたローソクの火が雨で消える度に火を付けて歩く者等々、まぁ、何とマメな人たちばかりなのでしょうか。
スギさん  さて、ここで、これらの人たちの中でも、特に触れておきたい重要人物がいます。12 月の始め頃に、この人物から私の携帯にメールが届きまして、「今年も年越し蕎麦をやらせて頂けないでしょうか。準備の都合もありますので。どうか、ご許可をお願いします」と。これじゃ私の言う台詞じゃないですか。この人物、通称スギさんと云って、毎年、大晦日には晩の9時頃から寺の台所で、多量の出し汁を作り、葱を切るなどの準備をしてくれているのです。ところが、このスギさん、本業は寿司屋の板前の筈なのですが、実に器用な人で、蕎麦の他にも、今までに竹製でコの字形をした流しソーメン台を考案し、自ら竹薮から竹 を切り出し、施工したり、また、縁日用の 屋台も作ったりしました。

 面倒なことを厭わず、一文にもならぬことばかりに精を出して、いつも「ワシは、本光寺で楽しましてもらっています」と、さり気なくこう言うこのスギさん、さて、皆さんはこの人物をどうような評価をされるでしょうか。


住職の口癖  工事の音って、いいもんだな。

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