本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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私は門徒の家にお参りに行くと、意外なお参りの仕方をしている人がいて、その都度驚かされることがあります。私はどの家でもお話していることに、「毎朝、お参りすることが大事なことなんですよ。先ず、仏壇の扉を開けて、お仏供(一般にお仏飯と云いますが)を備えて、合掌をしながら、ナムアミダブツと唱えます。それだけでいいんです」それに、「お仏供を備えるということは、一日に一度は必ず私たちに仏壇を開かせるため、その中の汚れを気付かせるため、手を合わさせるためでもあるんですよ」と。

御仏

お仏供と云えば、いつか或る門徒宅での読経中、お内仏を眺めているとお仏供の白いご飯の上に何か赤い物が載っているように見えるのです。読経が終わりその家の婆さんに「お仏供の上に載っている赤い物は何ですか?」と訊ねてみると、「あれ、梅干です」「えっ、何故梅干を載せるんです?」聞き返すと、「おかずです」と。それを聞いて、思わず私は吹き出して仕舞いました。

蓮の花


そこで、よい機会だと思ったので次のような話をしました。「仏供はご飯で盛ってあるので、仏さまの食物だと思われるのも無理はありませんが、実はあれはご飯で蓮の実を形取った物なのです。ほら、この仏器(真鍮製の器)の形がそれと似ているでしょう。ですから、白い蓮の花を仏さまの足元の蓮台のもとに蓮の花を添える心持で備えるのです。決してご飯を差し上げるという意味ではないんです。だから、これからは梅干は要りませんよ」と説明しました。すると、婆さんは「あらぁ、そんなんやったんかいね。初めて聞いたワイね。それぞれ謂れがあるがやね」と素直に納得してもらいました。

勤行テープ

また、ある家の若い奥さんは「本光寺から頂いた、お経のテープを毎朝仏壇の前でかけて流しています。台所の流しに居る時も、掃除をしている時も、洗濯をしている時も唄を聴くようにかけています。このテープはご院さんの声で有難いし、第一お布施が要らないじゃないですか。こんなでも、いいんでしょ」だって。そこで私は「構いません。そりゃ、仏壇の引き出しの奥に仕舞われているより、ずっと私にとっては有難いですよ。お勤めは独りでできなくてもいいから、聴いて耳慣れることが大事なんです。でも、奥さん、たまにはお内仏の前にも座ってみて下さいね」と言ったら、笑って「はい!」と誠に素直でした。


住職の口癖  早よう、だらメルの日がくるな。


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 近く衆議院の総選挙がありますが、選挙がある度に選挙運動の解禁日の朝、必ず本光寺には沢山の鉢巻をした人たちがやって来ます。その時、決まって広い境内が車で一杯になる程人が押し掛けて来るのです。私は初めてこの様子を見た時は、この人たちは何だろう、寺に参りに来たのかな、と思ったら、とんでもない、この人たちは誰一人本堂には見向きもせず、川の流れのように寺の斜め向かいの神社に歩いて行くのです。そう、その神社には揃って当選祈願に行くためで、寺に来たのはただ車を停めるだけの目的でした。

 何故にこの神社なのか、と云うと立候補者がこの神社の氏子だからだそうです。でも、もし、対立候補が同じ神社の氏子だったら、どちらの肩をも持てず神様もさぞかしお困りになるだろうと、つい余計なことを心配してしまいました。兎角私たちは神様に、ついつい自分たちの都合のよい要求を押し付けてしまい勝ちですが、人それぞれが身勝手な私たちを神様は内心どのようにお感じになっておいでなのでしょうかね。

神様
 
 もう一つの話は、昭和63年に本光寺に会館を新築しましたが、その一年前の起工式でのこと。古い木造の庫裡が取り壊され、きれいに整地されたその場所にテントが張られ、正装した多くの門徒の人たちや、業者の人たちが集まり開式の時間を待っていました。私は初めてのことで緊張しながらも出席者一人一人にお礼の挨拶を交わしたり、式次第の確認をしたり、と落ち着かない時間を過ごしておりました。
 起工式
 やがて開式の時間も間近になった頃、一人の人が突然「宮司、遅いな」と言い出したのです。その声を聞いて周りがざわめき出しました。「おいや、どうしたんやろ」「わし、向かいの神社に行ってくるわ」などと言い出す人が出てくる始末です。私もそのような会話を聞いて慌てて「あの、僕がするんです。今日は仏式なんです」と言うと、皆は揃って意外な様子です。すると、また一人の人が「なんや、ご院さんか。そりゃ、価(値打ち)ないわ」と大層不満気な様子です。そこで、また別の人が「あんた、ここは寺じゃろうが。宮司がいたら、かえっておかしがねんか」と切り返すと、やっと皆が笑顔になって、漸くその場が収まりました。

 
 起工式というと、通常地鎮祭と云うのでしょうか、神官が天地にお祓いをして工事中の無事を祈る神事を連想する訳ですが、たとえこのように神事が仏事に変わったとしても、どうも人の神様に対する畏敬の念はそのまま変わらないようです。

住職の口癖  葬式に行って聞き耳立てるは、我が名の確認。

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先月の連休に、突然大学時代の友人が訪ねて来ました。それはもう27年振りの再会でした。この日、彼はドライブに行こうと、ただ何となく大垣市の家を出て、北に向いて車を走らせていたら、ふと、私を訪ねてみようかと思い立ったそうです。私も、今までに時折彼のことは思い出すことがあっても、これから先会うことは無いだろうと、半ば諦めていましたので、彼の突然の来訪には大変驚きました。
京都タワー
彼と私との最初の出会いは、京都市内の或る牛乳販売店でした。彼は京都大学を目指す浪人生で、私は大学一回生でした。彼は家の事情から、浪人中も大学に入ってからも家からの援助は一切無く、そのことは親からそれが条件ということで京都に出たそうです。朝は牛乳配達で、晩は京都の中心街でアルバイトをしていました。下宿は一部屋が3畳の広さで、隣とはベニヤ仕切りの鳩小屋のような狭い部屋が幾つもあり、そこには浪人生が沢山住んでいました。このように彼は、所謂、立派な苦学生だったのです。
牛乳配達
私はそんな彼と付き合う内に、まさしくダラな行動に出てしまったのです。まず、数ヶ月居た結構な下宿を出て、老女一人暮らしの家に直談判して間借りをして、その上、折角の仕送りを断ち切ってしまったのです。当時の仕送り額の平均は3万円位でしたが、私の牛乳配達のアルバイト料は当初、月1万円ありませんでした。一日に110軒程を自転車で2回積み直して配達をします。牛乳といっても幾種類もありますし、家によって、また日によって本数も様々なのです。寝坊は絶対できませんでした。このアルバイトを私は3年8ヶ月しました。このような私に彼から「お前の家だったら、10万円送れと言っても、送ってくれるだろうに…」と呆れ顔で言われた記憶があります。

そんな私のことは兎も角、彼は今年から定時制高校の教頭をしているのだそうです。「ここへ来て初めて教師の原点に立ち返ったような気持でいる」と、話をしてくれました。また「今までの高校は進学校だったので、ここはそれとは違い、大変生徒には手が掛かるが、反面やりがいがある」とも。定時制に来る生徒は以前、不登校だった者や退学になった者や学力が極端に低い者が多くて骨が折れるが、初歩から手取り足取り教えられることに、改めて教師の初心の喜びを感じているようでした。私は彼を見て、昔と変わらずいつまでも苦労は厭わない男だな、と、感心しながらも清々しい気持になりました。

後日、彼から礼状が送られてきました。そこには「ダラに会い 我またダラに 成り行かん 浜風すがし 秋の本光寺」と一句が書かれてありました。

住職の口癖  マメになれ、そして、ずるくなるな!

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 今年の円満朝市 が始まりました。出店した人も、買い物に来た人も、主催をした円満の会 の人たちも、長い期間有難うございました。毎回、広い境内が埋めつくした多くの老若男女の笑顔でいっぱいでした。〝お寺は、楽しむ所〟と呼びかけて早5年、売り手も、買い手も、主催する側の者も、誰もが損得にかかわらずいつでも「楽しましてもろとるんや」と、さりげなく言ってくれます。

昔の朝市
円満の会のメンバーの宮誠而 さんが、そんな朝市の様子を見ながら、「客が買って得をしている」と、つぶやいていましたが、私は宮さんのこのような鋭いとらえ方には感心しながらも、これは商売の本質を巧く表現されているように思いました。だから、その証拠にこの朝市の買い物客は好い物が安く手に入ったと、皆が笑顔でうれしそうです。

 さて、この手作りの円満朝市も4年が経って多くの人たちから受け入れられて、可成り定着してきたように思います。元々、この企画は小松中心街の賑わいを取り戻すために寺もお手伝いをと、始めたものです。これは門前市と云う名が示す通り、全国的に見ても寺の山門前で朝市などが行なわれていることはあっても、寺の境内を寺が無償で開放している例が無いというデーターの下、これは意味があることだと思い実施に踏み切りました。

 ところが、3年前までは肝心の商店街 の人たちが中々動いてくれなかったのです。彼らは朝市の様子を遠目に眺めているだけなのです。一度、若い商店街の人達6人と呑みながら話し合ったのですが、私が「いっしょにやろうよ」と誘っても、「寺がやっていることだから、門徒でない僕らは関係ない」とか、「本光寺だから、あんなに人が集まるので、商店街では無理だ」と他人事のようでした。

昔の朝市

 そこで、私は「新聞チラシなどの広告費用を寺が出している訳だし、その分、君らは人を集める手間も金も省けたようなものじゃないか。朝市であの沢山の人たちを自分の店に引き込むために、せめて各店の広告チラシを配るとか、パフォーマンスをするとか、それ位の工夫をしてみたらどうだね」と、言ってもその時は誰もなびいてくれませんでした。

 しかし、今年になると漸く商店街の人たちも加わり、店が境内から前の歩道まで溢れ出し、40店舗以上の店が立ち並び、丸で通りが歩行者天国ような賑わいにまでになりました。さて、来年は彼らがこの朝市をどう活かすか、楽しみです。

住職の口癖  改革はオセロのように、二人おれば出来る。
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