本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 平成7年に新納骨堂が寺の境内の一角に完成しました。建坪約42坪で、2階建。2階は本堂から渡り廊下でつないで納骨堂、1階は2室のギャラリーホールになっています 。この建物の外観はバロック建築様式風で、外壁全体に御影石の石板を張り付けて、屋上にはグリーン色のドームがついています。ギャラリー入口正面には阿弥陀経の中の「倶会一処(ともに一ところで会う)」の一節を、サンスクリット語の原文15文字をそのまま石に刻んであります。

 実は、このような外観は、基本デザインをコンペで募集した段階では、応募された3点の作品の中にはなかったものなのです。コンペ後、3ヶ月間、私はどうにも選考しきれず決定を繰り延べしておりました。ところがそんな折に、門徒の山口富雄さんから、金沢工業大学教授で建築歴史が専門だと云う竺(ちく)覚暁という先生を紹介して頂いたことが契機になって、漸く進展し始めたのです。早速、先生とお会いできることになり、私は大学に出向きました。研究室で先生は「前もって用件は伺っておりましたので、ここに資料を用意しておきました。私はこれから講義ですので失礼しますが、自由にご覧なって下さい」と言われ、出て行かれました。

さら

 研究室の机には沢山の本が2列にして、5・60㎝程の高さに積み上げて置かれてありました。殆どの本は写真集で、開くと古今東西、世界中の建物や遺跡までが載っていました。それらの本を一冊一冊見ながら、納骨堂と美術館に相応しい建物がないか真剣に探しました。「あっ、これだ」と思ったものが、バロック建築の建物でした。

 暫くして先生が戻って来られたので、「先生、これです。これだったら私のイメージに合います」と言うと、「うん、これね、私の専門ですよ」「あぁ、そうなんですか。よかった。先生、できたらここで、簡単でいいですから、絵を描いて頂けませんか?」とお願いしましたら、「後ほど描いてお送りします」と約束をして下さいました。こうして後日、送って頂いた絵が基本デザインになって、この先生との出会いが幸にも、窮すれば通ずる貴重な切っ掛けになった訳です。

納骨堂だけでは能がないと欲張って、ギャラリー までを組み合わせるなんて、矢張り、だらの発想なのでしょうね。

住職の口癖
(境内で遊んでいる子供たちを見て)子供は、外で遊んでいる方が、よく似合うね。
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 ある門徒の家に参りに行った折、そこには数人の幼い子供たちが家中を駆け回り、はしゃいでおりました。それは、会話の声がかき消されるほどの騒がしさでした。家の人が注意しても、聞く耳はなく馬耳東風の体で、はしゃいでいます。勤めが終わって、帰りは玄関まで家族皆で見送りに出てくれました。すると、母親が子供たちに向って「あんたらのような、きかん子はご院さんに頼んでお寺に連れて行ってもらうわよ。お寺じゃ、一人ぽっちで一杯辛い修行をせなあかんのよ。いいの?」と言うと、子供たちは、はっきりと「いやだ!」と答えて、側に居たお爺ちゃんとお婆ちゃんの陰にすっと隠れてしまいました。どうも、この家の人たちは子供のしつけの為に、私を出しに使われたようです。
苦行
 所で、一般に坊さんと云うと、寺では朝が早く、座禅や断食や瞑想や不眠、そして、冷水を頭からかぶったりなどと、日頃厳しい修行をしているといった印象を持たれているようです。しかし、私はこれまでに、例えば、自分の欲望を抑制する為に、難行苦行と云ったものをした経験がありませんが、強いてそれと近いことをしたと云えば、大学時代の空手部での体験でしょうか。

 この空手部では、学年をそれぞれ、餓鬼・畜生・人間・天上などと階級のように決められていました。入部時、先輩からいきなり訓示があり「今日からお前たちは餓鬼だ。お前たちの使う言葉は2つしか要らない。それは、オスとゴッツァンデスだ」と言われ、それからというもの肉体をいじめ、痛めつけるだけの長い日々が始まりました。
空手
 巻わらを突いて、拳から白い骨が見えるほど拳を鍛える千本突き。真夏の炎天下、校舎の屋上で、人を肩車して素足で騎馬立ちをしたまま、焼けたコンクリートで足の裏が水ぶくれになるまで耐えさせられました。そのような厳しいしごきに気を失う者さえいました。そのために、洗面の時など両腕が痛くて顔まで上がらず、便所ではしゃがめず、過度な腹筋の練習で尾てい骨が擦り切れて、風呂の湯につかれませんでした。また、毎日のように何回も殴られ、蹴られて、目の周りが黒くパンダのようになり、体中が青黒いアザだらけになりました。しかも、毎日、先輩の道着やフンドシを夜遅くまで洗濯させられ、いやはや、今から思っても一日一日の経つのがあんなに遅く感じたことはありませんでした。

 さて、これも難行苦行と云うのでしょうか。でも、あれからもう30年も経った今日、なぜか私はあの頃のことを思い出しても、やり切れない、空しさだけが心に残っています。

住職の口癖    作法の大切なことは、二つの所作を同時にしないこと。
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 私どもの寺にはソフトボールチーム があります。5年前にチームが結成されたのですが、これが中々強いのです。これまでに、毎年、公式大会には一度ずつ優勝し、特に一昨々年は石川県大会で3位入賞を果たしました。
ヘルメット

 現在、県連盟には約200チームが登録していて、それらがそれぞれ市町村ブロックに分かれ、その内、小松市には40チームがあり、更にそれを地区別に5リーグに分かれています。わが本光寺チームはこの中の[東部リーグ]に所属していて、ここには11チームがエントリーしています。県大会の出場権を得るには、この前期東部リーグ戦で上位3チームに残り、更に、小松市大会で優勝乃至準優勝しなくては資格がありません。このように、県大会に出場できるまでには、厳しい何戦もの試合に勝たなければならないのです。

その県大会に、昨年わが本光寺チームが出場した時のこと。一つ前の試合が終わって、審判がバックネット裏に帰ってきました。審判の一人が「さぁーて、次の試合はと。本光寺?坊さんのチームか?」と、横にいるもう一人の審判に聞いていますが「知らんな」って、首をかしげています。

 そこで、私がすぐ近くにいましたので、「そうです」と答えると、丁度そこへ、うちのチームの選手がグランドに入って来たのを見て「嘘じゃろう。ほら、肩まで髪の毛のある者やら、茶髪の者がおるやないか。まさか、あれは坊さんじゃなかろう」と、信じられないと云った様子です。それで、私は「今、坊さんでも、あんなの流行っているんです」と言うと、皆笑って、首を横に振っています。どうも、冗談だと分かったようでした。
ナイン

 私にとって、ソフトボールであろうが、境内で子供がビー玉やカン蹴りや鬼ごっこで遊ぼうが、寺で楽しむということには変わりがありません。私は寺がいつも無差別な自由な空間であって、所謂、声なくして人を呼ぶ、そのような所であればよいと思っています。

住職の口癖
せめて、優れた人を評価できるように、なりたい。
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 一般的な傾向として、寺の者には虫のいいおねだり癖と云う習性があるようです。困れば門徒が助けてくれる、そのような安易な意識が知らず知らずの内に、 寺の者を甘えさせているような気がします。そのことが、寺といえば寄付、というイメージを門徒に根深く、さらに広く持たせてしまい、その挙句、門徒を寺に 背を向かせているように思えます。

 先達て聞いた話に、寺の跡取り息子の結婚に伴い、新居を建てることになった、という理由で寺から寄付の依頼があったという。それで、その寺の門徒の人は 反発して「なぜ、門徒がそんなことまで、せなならんのか。できれば寺を替わりたい」と憤慨しながら私に話をしてくれました。このような、甘えの習性がいつ の間にか寺離れの種にまでなっているようです。
著者: 吉田 戦車
タイトル: 甘えんじゃねぇよ!

 しかし、当の寺の者にはその批判の声が聞こえているのか、いないのか、進学と云えばお祝い、結婚と云えばお祝い、というように相変わらず人を使い集めて 廻り、その度に嫌われて、また無心を繰り返しています。それは、いつまでも逆効果なことを繰り返しているようなものです。寺といえば寄付、という印象は残 念ながら一般の人たちの心に定着してしまったようです。

 いつか、私はある町の会合に呼ばれて行ったところ、その会には10人程の人たちが集まっていました。途中遅れて来た人がいて、部屋に入った途端、私の顔 を見ると即座に「なんや、今日は寺の寄付の話か」と、いきなり冗談を言われ、皆で大笑いしたことがありました。とはいえ、私は正直決してよい気分ではあり ませんでしたが。

 私は多くの人たちが寺に対して、不満や反感や諦めや妬みなどの思いを持っていることを知っています。しかし、私はそれらの思いを逆に転じてみせたいと 思っています。その方策としては、例えば、もしも私が1,000万円の車を持つことができても門徒は誰も喜ぶ者はおらず、返って、私は100万円の車に乗 り、門徒にあとの900万円を何かの方法で還元できれば、その方が喜んでくれるに違いありません。
 ですから、寺は得ることに左程力を入れるのではなく、出る方のことに心血を注ぐべき所だと思っています。

人は寺の名に付くのでなく、寺の人に付くのではないでしょうか。

住職の口癖   物を貰い慣れすると、より贅沢になり、卑しくなる。
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 5月8日は母の日。当時85歳だった母の事を思い出します。
いつ頃のことだったか、突然、母が体の不調を訴えて私を呼ぶものですから、部屋の方に様子を見に行きますと、布団に横になって居りました。

「どうした?」と聞きますと「ものい(体調が悪い)」と言うものですから、「病院に行こうか?」と尋ねると「お願いします」と言う。「歩ける?」とまた尋 ねると、首を横に振って、見るからに辛そうです。そこで、私が「さぁ、おんぶするか?」と言って母の体を起こして、母に背を向けるようにしゃがみました。 すると、母は「すみません」と恐縮した様子で私に寄りかかってくれましたので、おんぶをして立ち上がりました。
ははにおんぶ

 その時、私に異状な想いが込み上げてきたのです。それは生まれて初めて母を背負ってみて、あまりの軽さに驚きました。枯れ木を背負っているような、幼い子を背負っているような軽さなのです。

 寺の裏の病院まで歩きながら、昔、私が母におんぶをされていた自分を瞬時に思い出したのです。その時、私はおんぶされている時に見える、母の真っ黒な後 ろ髪や首筋や着物の襟元などが、はっきりと思い浮かべておりました。すると何故か、そのような思い出と同時に、やりきれない想いになってきて、歩きながら に涙が出てくるのです。このことが今でも私に強烈な思い出として残っております。

それから大分経ってから、ある本を読んでいましたら、石川啄木の歌に出会いました。
  たわむれに 母を背負いて そのあまり かろきに泣きて 三歩あゆまず
私はこの歌を読んで(なんだ、啄木も私と同じような体験をしていたんだな。この通り、この通りだ)と共感し、胸打つ熱い思いがしました。

住職の口癖
坊さん同士の付き合いは、ほどほどに。
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 私が岩見沢 にいた時分に、私は突如、声明儀式作法をしっかり学びたいと思い立ったことで、それからその師を求めての遍歴が始まりました。私には幾人もの人を訪ね歩いて、漸く生涯の師に辿りついた経緯があります。

 その道程はと云うと、先ず、当時の北海道教務所 長(日野賢憬氏)に相談するために札幌に赴き、そこで助言を得て、本山式務部長(信行院連枝)に会うために函館別院 を訪ね、本山御堂衆のトップ(野間氏)を紹介されて京都まで行き、幸運にも御堂衆の隠居で、その道の大家(川島眞量老師)に直接に手解きを受ける機会を得ましたが、何せ90歳のご高齢のために続けて学ぶこともままならず、その川島老師の真名弟子と云われていた平等明信師を頼り、大阪に出向きご指導を懇願したところ許され、漸く目指した人に出会うことができました。この間凡そ3ヶ月、真剣に手探りながら道を求めていた自分を思い起こします。

 以来、この師の下で、1年半学ばさせて頂くことになったのですが、師の指導は並外れた厳しいものでした。しかし、内容は日常生活から声明作法すべてに亘り大事な、真新しいことばかりで、実に楽しい日々を過ごしました。
打敷

 こんなことがありました。ある日の昼過ぎに、それまで掛けてあった打敷(仏具で布製の敷物)を片付けるよう私に指示があり、直ぐに6畳分以上もあろう大きなその打敷を一人で外して畳んでおりましたら、そこへ師が来られ、大きな声で「それ、ちゃう(違う)ぞ」と言われるので、暫く思案しておりました。同僚にも確かめてみると「それでいいんじゃないですか」と言うものですから、今度は自信を持ってやり直しておりますと、また来られて「そりゃ、ちゃう」と言うのです。到頭私は手を失ってしまい、しかし、そこから離れる訳にいかず、已む無くその場に居りました。ところが、同僚が「まだ、やってはりまんのか。もういい加減に片付けはって、そろそろ晩飯にしまひょうな」と、からかい半分、誘惑するのです。
 
 そこへ師が帰って来られて「あら、どうしなはった?」と言われるものですから「さっき、畳み方が違うと言われたんですが…」と言って畳んで見せると「あぁ、それでいい」ですと。何とその時私が畳んだのは、一番最初の畳み方でした。私は一体何を試されたのでしょうか。

これも“いじめ”でしょうか。だとすれば、この“いじめ”のお陰で、私は随分たくましくなったのかも知れません。

住職の口癖    坊主の頭に、毛はいらんもんや。
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