本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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私の夢をひとつ打ち明けましょう。

 上の娘が、まだ看護学校に在学中、私と二人で金沢市内のレストランで食事をした際に、娘が「まだ、お父さんの夢は捨てていないやろうね」と、突然尋ねるものですから、私は一瞬(何やったろうな)と考えても、思い当たることがありません。娘はさらに「デイケアセンターはいつ頃できるの。私が高校の時、看護婦になろうと決めたのは、お父さんにデイケアセンターを作りたいという夢があることを聞かされたから」だと言うのです。私は、この時初めて娘が看護婦を志した真の動機を聞かされました。

娘は自分も寺の一員として、将来何ができるのか、真面目にあれこれと思案をしたようです。その結論が看護婦だったというのです。学校卒業後の進路についても、金沢の病院に勤めるか、小松にするかを真剣に悩んだそうですが、結局「小松の方が門徒さんが多いから」という理由で、小松の病院を選択しました。女子でありながら、この先、寺での自分の役割をこのように考えていたことに、私は嬉しく、頼もしく思いました。

ところで、私は常々死んでからだけの寺ではなく、生きている間からも重要な社会的役割を担った寺でありたいと願っています。そこで、2006年に本光寺が現在の地に移築されて丁度200年に当り、この年を目処に、新しいというか、本来の有るべき寺に還るために、境内の一角に小規模なデイケアセンターを作りたいと思っています。それまで、娘も今の職場で多くの体験や勉強をして、センターの中心的役割を担って活躍をしてくれることを期待しています。

でも、これはただの夢見なのかも知れませんが。

住職の口癖
50歳を過ぎたら、自分のからだはいたわらんとな。

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 私は時折、門徒のお年寄りを、私の車に乗せることがあります。
以前、法事の帰り道、あるバス停で顔に見覚えのある門徒の婆さんを見つけたので、車を停めて「婆ちゃん!」と、声を掛けたら「あら、ご院さん!」と、私に気が付いてくれたので、「小松に行くんか?」と、尋ねたら「そうや」「そんなら、乗っていかんか?」と、誘ったら「うれっしゃ~、でも、気い張る。ご院さん、連れあれんけど、一緒にいいけ?」「ええよ、さあ、乗んまっしね」という訳で、私の小さな車に3人が乗り込んできました。

 すると、連れのひとりが「この人、どこのごぼさんや?」と、門徒の婆さんに聞いています。「うららのご院さんや」と、誇らしげに答えています。「ほんなら、ほんこっさん(本光寺さん)の方け。あら~、今日は結構な日や~」だとさ。

 次は、今年の法話会でのこと。法話会が始まる直前に1階のエレベーターの前で、ボタンも押さず、ぽつんとただ立って待っている一人の婆さんがいます。
「もう始まるよ。このエレベーターに乗るまっしね」と、言うと「乗ろうと思うがやけど一人で乗るのが勿体のうて、さっきから、誰か来んかと、連れの人を待っとるがや」と言うものですから、「さあ、さあ、わしと乗ろう」と一緒に乗ったら「お寺にエレベーターがあるなんて、結構やね~」だとさ。

 三つ目の話は、寺では仏具磨きを年に5回行っています。その都度40人前後の人たちが2時間程かけて、真鍮製の大小の仏具を決められた手順で、丁寧にお磨き奉仕をして下さいます。
 その作業中には色々な会話が飛び交います。そこで、最近、ふと私の耳に入った言葉に、ある人が「わしら、お磨きさせてもらって、結構なこっちゃ」と言うと、もう一人の人が「そうや、そうや」と、相槌を打っているのです。     

 どうも、お寺という所は不可思義な所で、人の我儘を謙虚にさせ、人を変身させてしまうはたらきがあるようですね。ふと、我に立ち帰れる所、ほっと安心のできる所、それが真宗のお寺です。

住職の口癖 
弔辞は愚痴、弔電は欠席届
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 早いもので、私が寺に戻って19年が経ちました。それ程経つと、親しくなった門徒宅の家族構成も分かってきて、その参りの場にいつもいる人がいないと、つい気になるものです。

そこで、とある家での最近の話。

「婆ちゃんがいないね?」と、勤行が終わって、その家の奥さんに尋ねると、「隣の部屋にいるがや」「じゃ、顔を見て来よう」と立ち上がると、「あら、ご院さん汚い部屋やから…」と恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに言われます。私が「構わん、構わん」と言って進んで部屋に入ると、そこにはベットに横たわっている小さな体の、別人のような婆ちゃんがいます。

私は相手の顔を直に覗くようにして「判るか、わしや。今、報恩講さんを勤めたよ」と言うと、奥さんが「婆ちゃん、ご院さんが来てくれたよ。よかったぜ」と、耳元で言ってくれてます。私は久しぶりに会った婆ちゃんでしたが、その痩せこけた姿を見て、いとおしくて、頭を撫でたり、よだれでぬれた手をそのまま握ってあげました。
すると、目をわずかに開けて、弱い力で私の手を握り返してくれました。「婆ちゃん判るんやね。一生懸命頑張っているんやね」

その様子を見ていた家の人たちが、泣いています。「ご院さん、この頃婆ちゃんが恩徳讃を歌いまっしゃれんぞ」「そう、♪如来大悲の恩徳は‥・」と私が歌い出すと、そこにいた皆が揃って歌い始めました。

なんと婆ちゃんはしっかり目を開いて、口を薄く開けているじゃないですか。私は目頭が熱くなってしまいました。

ほんの短い時間でしたが、私に深い感動を与えてくれました。

住職の口癖  
読経の声で、その人の機嫌と体調が分かるね。
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 私が学生の時分、京都の三条河原町を東に数本入った北側の細い路地を上がった所に、店先に赤堤灯の下がった小料理屋がありました。

 そこの店には、地元大学生や浪人生などが何処となく集まって来ていました。10人も入ればいっぱいになる程の小さい店でしたが、安いということもあって立ち酒の人もいたくらいでしたから、随分と流行っていました。

 さらに、もう一つ流行る理由がありました。それは、当時神戸大学の教授で、工学部の創設者だった門田憲章先生がいつもこの店におられたからです。この先生の一面を一言で表現するならば、博学多才一文も銭はなし、を地で生きておられるような方で、大学の給料は全部本妻に渡し、自らは東山安井にあるこの店の女店主の長屋で居候しておられました。

 外国語が堪能で5ケ国語を話し、専門外の学問の知識も豊富で、機知に富んだ話は皆によく受けて、よい酒の肴になっていました。

 ある日の晩、いつもながら先生を囲み、談笑しておりました時、私がその場におったこともあって、先生が「昔から、名僧と云われる人の話は、平易な表現で話は短く、釈迦がそうであったように適切な譬え話をよく引用した」と、皆は納得しました。
さらに「そして、尚且つすべての聴衆を眠らせる術も心得ていた」これには皆で大笑いしました。私も試しましたが、短い話で眠らすことは至難なことです。

逆に私は人の説法を聞いている時は、酒を鱈腹呑んだ時のように、すぐに眠たくなります。矢張り私は酩僧なのでしょうか。

住職の口癖
だらとは、愚直(愚かと思えるほど素直)ということ。
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 ある日、私が深い瞑想状態にあった時、思い掛けなく久々に友人の地獄の主宰、閻魔氏と交信を交わすことができた。

彼曰く「ご無沙汰でした、多田(私の名)さん。地獄もこの先、従来と違い随分と様変わりしそうです。ちょっと、口説き話になりますがね、この頃の人間婆婆世界の様子をこちらから伺ってると、ひどいことになってるね。老若男女を問わず、悪い事をする人が矢鱈増えて、刑務所は入所者が過剰気味で部屋が足らない位だとか。そちらが深刻ならこちらも同じで、このままでは地獄に堕ちる人が多くなり過ぎて困った問題が生じてしまいます。

まず、第一の問題は世には余り知られていませんが、地獄は実のところ定員制なので、受け入れに支障をきたします。次に、今までは地獄に堕ちて来る人は、見るからに悪人といえるようなつら構えの人ばかりでした。ところが、これからはこの傾向が変わり、多様化しつつあるようです。

省庁官僚や医師、宗教家、教育者、政治家等立派な学歴もあり、職業は一般に憧られるような職業に就き、社会的に高い地位と名誉を持った人ばかりが増えてきて、私たちはこれからその対応に頭を痛めているのです。

私たちは毎日のようにその事態を想定した対策会議を開き、そしてその対応マニュアルを作成し、トレーニングを繰り返しています。しかし、相手の方がずっと上手のようで、口でも頭ででも負けてしまいそうです。これでは彼らに地獄が支配されて仕舞いそうです。彼らは狡猾であり、然も悪の意識がないようです。とてもやりにくいです。これでは私の地位も危ないです」と、泣き言をいう始末です。

地獄も大変なんだね」と言うと、「いや、ごめん、君には情けないところを見せてしまったね。元々地獄という所は、罪を償わせる場でもなく、また更正させる場でもないいんだ。そうそう私の仕事は、その人の生前の姿をそのままここで厭というほど、本人に思い知らせることだったんだね」

住職の口癖  
受け売りに、響きなし。
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 私の下の娘が中学生の頃のこと。ある日、私は女房が言い返した言葉に腹を立て、つい、女房を突き飛ばしたことがありました。
その時、その場に居合わせた下の娘が倒れた女房の前で、私に向って両手を横に広げながら立ち塞がり、私に大声で「やめろ!!」と、叫んでいます。

その声を聞いて、私は瞬時に我に帰りました。それから暫くして、私も興奮が治まり、子供のことがふと気になって部屋を覗いてみると、机にうつ伏せになって肩を動かしながら泣いています。

 私は「ごめんな。お母さんが悪くないんや、お父さんが悪かったんや」とだけ言って、子供の部屋を出ました。その日の晩のこと、上の娘が私に「今日みたいなことがまたあったら、私ら家に居ないからね」と、今日の私の行為を非難するのです。私はこれには余程こたえました。

それで、私ははっきりと判りました。子供たちは、両親が喧嘩することが怖いのです。いつも仲良くいてほしいのです。

 以前、東井義雄先生が寺で法話をして下さった時に、「兵庫県のある少年院の先生が、ここに送られる子供の百%は家庭の崩壊が原因だ。また、両親がいても百%“かかあ天下”の家庭だ。“かかあ天下”の家庭には父親の存在はありません」と話をされていたことを思い出します。

どうも根本的に父親と母親の役目は異なっているようです。夫婦の不用意な言動で、不良は容易に作れたんですね。

住職の口癖
遺影は拝むものでなく、偲ぶもの。
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昨年お参りに行った時の、ある自動車屋を経営する門徒宅でのお話。     
私が予定の時刻よりも早く伺ったものですから、まだ時間があるというので、そこの奥さんが「ちょっと外に出まっしゃらんか」と誘われて案内された所が整備工場でした。すぐそこには無惨な姿の車が2台置かれてありました。
「この2台、よんべ(昨晩)北陸自動車道で事故に遭った車ねんと」。見ると、1台は車体がくの字曲がり、もう1台は前部がぺっしゃんこで、ハンドルが外に飛び出しています。

「ご院さん見てまっし。ほら、2台ともお守りが掛かっておるがいね」と、奥さんは車内を指差しました。言う通りまだ血のりの付いたお守りが共にルームミラーに掛かっています。

「効き目がなかったがかね。食品にあるような賞味期限が切れておったがかね」と。私は思わずその冗談に感心しながらも笑ってしまいました。

さらに奥さんは「こちらの車には1人、そちらの車には2人乗っておったそうやけど、2人が死に、1人は重体やといね。折角お守りがついていたがにね」と、気の毒そうに言われるものですから、「助かるも死ぬもお守りのお陰かね」と私が皮肉を言ったら、「そうや、人間は何でも都合のいいようにしか、受け取らんもんやね」

お守りは万能の効果があるようにと、人間が自らその「お陰」と言わせるものを作り出しているようですね。

住職の口癖   横着はすぐに身に付いて仕舞う、自分に甘いからね。
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 もう5年捏前のこと。
深夜、友人と外で酒を呑んだ帰りに、通りに面した寺の塀を背にしてベンチに腰をかけ一服しておりました。その時に私は酔い心地ながら、ふと「寺になぜ塀があるのだろう」と思ったことが、それから3年間、頭から離れないようになってしまいました。

「なぜに塀があるのだろう」が、「真宗の寺に塀は必要なのだろうか」と思うようになり、何かに取り付かれたように、いつまでもそのこだわりから解放されないのです。漸く私が辿り着いた結論は「新たに必要なものを創り出すことで、結果塀が不要なのであれば、塀をなくすことも已む無いじゃないか」という屁理屈で私の腹が決まりました。

そこで、本光寺が一千年歳を迎える平成11年春、その場所に小公園を造り、地域の人たちに境内の一部を開放することにしました。当然塀は取り壊すことになり、一時は大変辛らつな非難も浴びましたが、公園が徐々に出来上がるにつけ、公にもよい評価を受けるようになりました。

ところで、塀は2メートル強の高さがありましたが、不思義なことになくなってみて、その塀の側にあった10メートル以上もある2本の立派な松や、シイの木の存在を初めて気付いた人が少なくありません。
自分より低い塀がなくなったことで、松の木が見直されたのです。いつも塀の陰にいたその松が、今は公園の真中にあって、実にうれしそうです。

私は今でも「よかったね」と言って太い幹をさすってやっています。
人間もいっしょだな。

住職の口癖
お経をあげるだけしか出来ない者(坊主)は要らん。
ミニ公園の様子はこちらで見る事が出来ます。
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 長い人類の歴史を顧みると、一口に戦争と殺戮の歴史と云っていい位、今日まで地球上の到る所で、その惨劇は繰り返されてきました。

相互の対立する国々やその首謀者は、共に自ら正義の行為だと主張し、それを正当化して多くの人々を扇動し、戦意を鼓舞させました。
そして、その結果相互に計り知れないほどの多くの人々の命を犠牲にし、また、多くの家族に耐え難い恐怖と悲しみを与えました。

 いつの時代でも、世界の覇権を握ろうという野望を持った者はいるもので、金や力を武器に世界を支配したいと思うのでしょう。世に言う「気違いに刃物」という愚行が戦争です。

広島原爆慰霊碑に「静にお眠り下さい。過ちは再び繰り返しませんから」と書かれているそうですが、情けないことに、まだ懲りずにこの愚行を繰り返そうとしています。

 今日の世界情勢は正に地球規模の、危急存亡の秋という様相を呈しています。科学文明は最終的に私たちに何をもたらしたのでしょうか。

人間は万物の霊長だというおごりが、人間に取り返しのつかない不始末をさせているのじゃないでしょうか。さらに云えば、殺人を容認するような宗教があってよいのでしょうか。

ただ、はっきり云える真実は、人間は愚かだということです。今こそすべての人類は、その悪しき人間の本性に目覚めねばなりません。


住職の口癖 (だらメルの原稿を渡す度に)ほい、これで最終回だぞ。



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 家には小型の車が1台あります。家族4人みんなで乗っています。名前をしんちゃんと云います。娘が子供の時分、アニメ「クレヨンしんちゃん」のお尻に、この車のそれと似ていると云って名付けました。以来、寺に勤めている者(今10人います)までが、しんちゃんとこの車を日頃呼んでいるんです。

さて、もう4年も前になりますが、私がご門徒宅でお経をあげている最中に、道路に停めて置いたしんちゃんがダンプにぶつけられたことがありました。その時、近所の人が家に駆け込んで来て「大変や、あんたの所のごぼさんの車やないいんけ。ダンプに…」と知らせてくれました。運転手は、バックをしていて、車が小さいものだから、荷台に隠れて見えなかった、と釈明していました。

家に帰った私に女房が「しんちゃん大丈夫やったか。心配やぁ。お見舞いに行こうさ」と言うものですから、早速運ばれた修理屋に行きました。すると女房はしんちゃんを見つけるや否や、駆け寄り「痛かったやろ」と言って車体をさすっているんです。その様子を見ていた修理工が「幸せな車やね」と一言。後日、この修理工から電話があって「しんちゃん、治り(?)ましたよ」だって。

私は女房のこの妙な優しさにはあきれましたが、同時にこのとぼけた修理工にも感心しました。女房はいつも畑に出ては作物に話し掛け、植木に水をやりながら花にボソボソ言ってます。私がダラなら、女房もこの通りダラでした。

そうそう、しんちゃんは今でも元気です。

住職の口癖  
お布施の中身を見た者は、クビ。(本光寺の大事なルールです)
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