永遠の未完成を奏でる 天籟の風

"Tenrai Wind" to play "Everlasting Incompletion"

5000年後に暮らす世界中の子どもたちの笑顔のために
For all children's smiles that exist after 5000 years.


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長いあいだ疑問に思っていることがある。素朴な疑問だ。

「護憲派」をなぜリベラルと呼ぶのだろう。

「社会主義派」をなぜリベラルと呼ぶのだろう。

 

政治家を含め「保守派」を自認する人たちは「リベラル派」を敵扱いしている。

その逆もそうで、「リベラル派」を自認する人たちは「保守派」を敵扱いしている。

どちらにとっても、「対立させる敵」が必要なのだろうと私は考えている。

 

 

憲法を守るということで言えば、護憲派は保守だろう。

憲法を改善していこうとするほうが、どちらかと言えばリベラルだろう。

逆ではないのか。

 

社会主義は権力が全体主義によって秩序を構成しなくては実現しない。その意味で言えば、社会主義や全体主義はリベラリズム(自由主義)の真逆のイデオロギーと言えるのに、なぜ「リベラル派」と自分たちに堂々とレッテルを貼って、それがなぜ世間でまかり通っているのかが私には理解し難い。

 

日本では資本主義派を保守と位置付ける。対置する共産主義派・社会主義派をその抵抗勢力としてリベラルと呼ぶのだが、資本主義、グローバル経済こそリベラリズムの為せる拡がりだろう。

 

 

昔は保守派と革新派と分かれていたが、これも意味的に何かおかしいと子どもながらにずっと思っていた。

旧日本社会党や旧民社党、共産党のほうが、「社会体制」に国民を縛り付け、国民に不自由を強いることで自分たちが独善的に掲げる理想的社会を実現しようとする、社会のカタチ優先の価値観であり、このどこが「革新」なのだろうかと疑問だった。単に現体制を破壊したいだけなのならばアンチ体制派のルサンチマンだろう。

 

思うに、こうして「派」を形成したり、「左翼」「右翼」だとラベリングし、敵対勢力に対して集団行動に出ようとするスタイルの人たちは、おそらく敵対勢力がなければ雲散霧消してしまうに違いない。

 

左翼というレッテルがなければ右翼というレッテルも存在自体も無意味だ。世界に日本国しかなければ日本国家主義など成り立たない。逆に地球に異星人が襲来し攻撃してきたときには、キリスト教徒もイスラム教徒も米国もロシアも中国もみな一丸となって、地球人として団結して戦うことになろう。結局は左も右も、全ての派閥や国家も宗教も、人間がもつコミュニタリアニズム(共同体主義)の内向求心的性質を満たそうとする顔の見えない集団に堕落する。

 

 

自民党と対立する勢力が自分たちのことを「リベラル」だと独りよがりに主張した。そのリベラルが護憲を主張する、社会主義を主張する、自由経済市場での自由な経済活動を批判する、これらはすべて、リベラリズムの本来の意味とは真逆のことをやっている。

 

要するに、言語的意味などはどうでもよく、単に敵対勢力・抵抗勢力として権力に歯向かう庶民の味方を気取り、耳触りの良いイメージの適当な呼び名をくっつけて(苦笑)、敵対する圧力を強めることで内的求心力(仲間意識)を高めようとする。これは保守を自認する勢力も同根だ。何を保守しているか今や不明であるし、保守派という枠組みへの所属欲求、自分に保守というレッテルを貼ることによってのレッテル効果の主張であり、保守派という傘が無ければ人間ひとりとしての固有の主張を言えない。何かと言えばリベラルを批判する。

安倍総理は旧民主党批判を国会でよくやっているが、あれをやれば自民党の内的求心力が高まる。旧民主党でも菅元総理が自分の政権が危うくなればすぐに、同党の小沢批判を公然と行い支持率を持ち直していたことが何度もあった。

 

俯瞰すれば、なんだかとても馬鹿馬鹿しく、滑稽な人たちだと思いませんか。

 

 

今回の東京都知事選で明らかになりそうなのは、こうした「敵対勢力」VS「仲間勢力」という旧態依然とした古い価値観に対し、或いは集団行動・組織的行動という組織のなかに個を埋没させる価値観に対して、新しい価値観を無意識のうちに獲得している多くの都民によって、NOを突きつけている事実が表面化するということではないでしょうか。無党派層が増えているという状況は、個人が組織に惑わされずに自分固有の価値観で考え始めた現象であり、知性的活動、先進的活動だと言えるのではないでしょうか。

 

もしかすると今回の都知事選が、日本の政治のカタチを変える分水嶺になるかもしれません。もっと言えば、価値観の大転換の地点に私たちはいるのかもしれない。全世界を見渡しても、アメリカでもヨーロッパでも政治的無党派層が増えているように私は感じています。また、ヨーロッパで無宗教者が増えているのは統計的事実でもあります。

 

 

肝心なリベラリズムについての論考から逸れてしまいましたが、現代日本でのリベラリズム研究の第一人者と目される哲学者、井上達夫東大教授の 『世界正義論』 を読んでいる最中です。私にとっては少々難解な社会的リベラリズム論なのですが、アイザリア・バーリンの『二つの自由』(積極的自由と消極的自由)、その「積極的自由」とニーチェの「力への意志」、独我論での「“私”の二重性」における「《私》を支配する“私”」と「“私”に支配される《私》」、C.G.ユングの「内向性」における“自律”、そうした複数の哲学テーマを頭の中で関連付けることが出来て有意義です。ただその構図を文章化、言語化して表現するのは私にとって難しいのですが。

 

 

井上教授のリベラリズム論は、法哲学を中心とした論理展開なのでジャンルとしては社会学に近いと思います。個人固有の内的心理や内的価値観にはほとんど踏み込みません。私としては内的表象における自己心理内のリベラリズム論を先に考えてみようと。その上で社会的リベラリズムを他律として捉えたときに自己と社会の関係性はどうなるのか。また、個人それぞれを他律として捉える観点での自律した社会のリベラリズムにはどのようなダイナミズムが生まれ動き続けるのか。「自由」についての興味は尽きませんので、今後も気づいたこと考察したことをアウトプットしていこうと思います。

 

 

 

 

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