永遠の未完成を奏でる 天籟の風

"Tenrai Wind" to play "Everlasting Incompletion"

5000年後に暮らす世界中の子どもたちの笑顔のために
For all children's smiles that exist after 5000 years.

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……今日もまた地球のあらゆるところで、陰謀、裏切り、暴動がうずまく

    その渦中にとびこむ彼ら  恋も夢も望みも捨てて 非情の掟に命をかける

 

なつかしいナレーションですが、ここでは知らない人のほうが多いでしょうね。

アウトローのハードボイルドは21世紀の日本にはどこにも見当たらない。ゆくゆくはあんな感じの男になりたいなというモデルだったが、どこかのBarで独り飲んでサマになる世相ではなくなってしまった(苦笑)

 

社会の姿かたちは変わってゆきます。

そんななかで変わらぬものはあるのでしょうか。

さまざまコミュニティがあるけれど、そこでの暗黙のルールやマナーのうち、時代が変わっても変わらぬものとは何か。自分の意志にかかわらず共同体に適応し易い人とし難い人の違いはどこにあるのか。空気を読む読まないの違いなのか。いやそれだけの単純な話ではないように思います。

 

アルフレッド・アードラーは『人間知の心理学』のなかで次のように言っている。

 

他人が自分のことをどう思っているかは重要ではなく、人間社会の内部での態度全般が重要なのである。

 

たいへん大切な良いことを述べていますが、その後の内容があまりに浅薄なので上記部分だけについて考察を深めてみたいと思います。

 

コミュニティ内の振る舞い。

ここにはいろいろな要素が絡み合ってとても複雑なのですが、冒頭のナレーションにあるように、コミュニティ内に陰謀や裏切り、暴動が渦巻いてしまえばどんどん人間不信になっていきますね。

 

 

今回は 「裏切り」 についてスポットを当ててみましょう。

 

一対一の関係でも複数の関係でも、腹を割って話すようになればお互いの秘密・プライバシーの濃い部分をも知ることになる。プライベートな人間同士では契約書を交わさないけれども、守秘義務条項を含んだ契約を交わしていることと同義です。

 

それでも密告する人、関係がちょっと悪くなると暴露する人というのはいます。

リベンジポルノまではいかないにしても、二人で交わした手紙、メールなどの私文書やその内容を第三者に見せたり話したり、酷い場合には全文をインターネットに晒し挙げたりする。外野席の他人は無責任にそうした他者の秘密に興味をもってたかって来る。

 

近頃は、結果が「正し」ければ、過程においてそうした裏切り・守秘義務違反、マナー違反を犯して「悪い」ことをしても、結果さえよければプロセスに目をつぶる世の中になってきました。総理大臣自ら「福島の原発事故は完全なコントロール下にある」と世界に向かって嘘をつき、東京オリンピックを引き寄せた。日本国民は結果オーライでプロセスにおける嘘を追及せず、まるで嘘などなかったようなことになっています。

 

サッカーでは、外国人選手の真似をして審判が見ていないところでアンフェアなプレーをし、審判判断を欺くことが「できないようでは駄目だ」とまで教えこまれてます。サッカーをする子どもたちにアンフェアな欺きを教えて、その子は将来どういう価値観をもつのだろう。安倍晋三さんのような堂々とした嘘つきが日本のトップとして、子どもたちの手本として存在している状況というのはどうなのでしょう。

 

政治外交もそうですが、結果のためには、勝利のためには手段を選ばないという文化は中国や韓国、あるいは中東、中南米、欧州の一部の文化ではありませんか。日本の伝統文化では正々堂々とフェアに戦い、結果が出るまでのプロセスに比重を置きます。柔道も剣道も、野球では甲子園の決勝戦が終わった後の表彰式で準優勝チームのほうに一層の拍手が送られる。メダルの色が違う分の補填を観衆がするかのように。

 

 

裏切ることなく常にフェアな行動をとる。

 

親密になることで知り得た守秘義務を守り、たとえ仲たがいし別れることがあっても、それは守りきる。相手が死んだあとでも守りきる。

これがまずは基本のキだと思います。

 

 

幼い頃を振り返ってみると、小学校低学年時にすでに、子ども社会の中のことを先生や両親などの大人に告げ口してはならない、という掟に接するわけですが、あんな小さな頃に守秘義務にかんするマナーを身に着けることは凄いことだと思う。誰が言い出すのだろう。いつから子ども社会の中にそれが定着したのだろうと考えると不思議でなりません。密告や暴露をすれば相応の仕返しに遭うわけですが、それでも子どもたちは一定の期間を置けば裏切り者を完全に許します。

 

けれど現代では現代の大人世界の縮図と言いますか、守秘義務を守らねばならない掟を、ませた子どもは逆に悪用して虐めや支配することに使ったりします。集団化して数のプレッシャーを一人の子どもにかけようとしたり。そうなると、子ども世界の守秘義務を守らなくてもいいから先生や両親にすぐに相談しなさいとなる。自然にそうなりますよね。そうすると今度はそんなに虐めに遭ってもいないのに嫌いな子をハメようと利己主義的に告げ口する子が出てくる。

 

密告、暴露、裏切りにあう可能性を考えれば、親友となった子に腹を割ってすべてを話せる子どもは少なくなります。先生にも不信の目を向けざるを得ない。悪循環は大人の世界が子どもの世界に反映したものです。大人が結果主義となって勝つためには手段を選ばない、勝たなければ意味がない、プロセスは評価されない、評価しない、という文化の方向に面舵いっぱい切って進んでいるのです。

 

 

現代的価値観ではなんのためらいもなく、「内部告発」が奨励されます。

 

それはもちろん、組織が腐っていて「公」の損失が大きいとき、刑法違反が組織内で行われているときは告発したほうが良いと思います。けれど一方で、守秘義務違反が消えることではない。罪には問われないけれども。アウトローの世界ではこの優先順位は逆転します。あくまで法治国家に暮らす私たちの順法精神の上で、守秘義務違反よりも内部告発が優先されているだけで、普遍的な善悪基準ではない。

 

アメリカのCIAから飛び出して現在はロシアにいると思われるエドワード・スノーデン氏の場合はどうでしょうか。「世界のために」と正しいこととして内部告発を行った彼は、今後世界的な英雄になる可能性もあります。けれども守秘義務違反をして裏切ったことによって、彼を心から信頼しようとする人は、内部告発以前と以降を比較すれば雲泥の差があることでしょう。

ここで、彼は正しいのか間違っているのかという評価を考えるのは無意味です。

 

 

コミュニティに参加し、コミュニティの一員であり続けることと、そのコミュニティ自体の評価と内部における人間関係、とてもデリケートなタッチで善悪判断と信頼関係を両立させねばならない場面に出くわすことが多いのですが、公のためにならまだしも、私利のため自分の欲求や感情を満たすために守秘義務違反をすれば、それは必ず我が身に報復のカタチで返ってきます。

 

それでも古き良き子どもたちの世界がそうだったように、愚かな行為や過ちを許すことも必要ですよね。誰も失敗しない人はいませんし、私も例外ではなく過ちだらけの人生を歩んでいます。正しいと思ったことが後で間違いだったと気づくのに時間が掛かることもありますし、お互い不完全で愚かな人間同士なのだから、お互いさまという気持ちを忘れないようにしないといけませんね。ときどき忘れがちになってしまいますから。

 

 

ということで、徒然なるままにまた長文となりまして、まとめ文もありませんが、とりあえずアードラーは今回で終わります。

 

 

 

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