永遠の未完成を奏でる 天籟の風

"Tenrai Wind" to play "Everlasting Incompletion"

5000年後に暮らす世界中の子どもたちの笑顔のために
For all children's smiles that exist after 5000 years.


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表情をあらはさんとおもはば、実情をよむべし、いつはりをいはむとおもはば、いつはりをよむべし。詞(ことば)をかざり面白くよまんとおもはば、面白くかざりよむべし。只(ただ)意にまかすべし、これすなはち実情也。 (『排蘆小船(あしわけをぶね)』)

 

江戸時代中期、当時全盛であった儒学に対し 「漢意(からごころ)は自然に背いている」 と言い、「儒教仏教はカタチばかりでこざかしい」 「恋や別れの悲哀、大自然に対する悲哀の感情を素直に表現するのが大和人である」 と反骨精神旺盛に立ち上がったのが本居宣長(1730-1801)である。 『排蘆小船』 は彼が20代の頃に書かれたといわれる歌論の処女作だ。ここで宣長は「実情」という言葉を使っている。

 

相良亨(1921-2000 元東大名誉教授)の言葉を借りれば、宣長のいう「実情」とは 「飾り偽らない人間の心の本来のありかた」 である。

 

この「実情」が、宣長が確立した思想 「物のあはれを知る」 の原点であり、 『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』 に至って実情は姿を消し、このテーマに集約をみる。著作として 『排蘆小船』 と 『石上私淑言』 のあいだに位置する 『紫文要領(しぶんようりょう)』(※宣長は当時不評であった『源氏物語』と、著者とされる紫式部を絶賛した) では両方が使われている。

 

すべての人の心といふものは、実情は、いかなる人にても愚かに未練なるものなり。それを隠せばこそ賢こげには見ゆれ(※見えるのだが)、真(まこと)の心の内をさぐり見れば、誰も誰も児女子のごとくはかなりものなり。異朝の書(※『論語』などの中国儒教の書)は、それを隠して、表向き・うはべ(※表面)の賢こげなるところを書きあらはし、ここの(※わが国の)物語は、その心の内の真をありのままにいへるゆゑに、はかなくつたなく見ゆるなり。

 

〔中略〕

人情にしたがふとて、己が思ふままに行なふとにはあらず(※というのではない)。ただ、人情のありのままを書き記して、見る人に人の情(こころ)はかくのごときものぞといふことを知らするなり。これ、物の哀れを知らするなり。

さてその人の情のやうを(※ありさまを)見て、それにしたがふをよしとす。これ、「物の哀れを知る」といふものなり。

人の哀れなることを見ては哀れと思ひ、人の喜ぶを聞きてはともに喜ぶ、これすなはち人情にかなふなり、物の哀れを知るなり。

 

宣長がこのように敢然と儒教仏教を否定しなかったらと考えると、古代から現代に至るまで、日本の歴史上で彼の果たした役割は相当に偉大なものであったと私は思う。(儒教仏教が全面的に悪いというわけではなく、情の機微を大切に扱う国学が失われてしまったかもしれないという点で)

 

「物のあはれ」 については今後何度か当ブログで見ていくが、小林秀雄は晩年の著書 『本居宣長』 で次のように述べている。

 

こゝで、もう一度、宣長の 「物のあはれ」 論を主導してゐた思想の性質を、思ひ返してみようか。彼が、この論で取組んだ課題は、「あはれ」 とは何かではなく、「あはれを知る」 とは何かであり、それは、感情を論ずるといふより、むしろ認識を論じたものであつた。この傾向は、彼が情と欲とを原理的には峻別するところに、特によく現れていた。実生活で情と欲とが、どんなに分ち難く、混じり合つてゐようとも、求めるばかりで、感慨を知らぬ欲を、情と呼ぶわけにはいかぬ。欲は、物を得んとする行動のうちに、己れを失ふが、情は、物を觀じて、感慨を得、感慨のうちで、己れに出會ひ、己れの姿を確める。宣長は、さういふ考へ方をしてゐた。

 

ここにはとても重要なことが書かれている。

 

私たちの現代感覚は既に西洋近代的な認識のしかたになっており、特に物があふれている時代であるから尚更かもしれないが、「静止しているものを認識する」。心もそうで、「悲しむ心」「喜ぶ心」「怒る心」 というふうに “止めて”“分けようとする” が、実際には悲しむだけでなく慈しんでいたり、愛していたり、怒っていたり、そうした様々な感情が入り混じった状態が断続的に続いてゆくのである。古来より日本人は “述語” を主体として生きてきた。主語を省略することもあるが欧米では主語が最も大切で日本とは逆だ。大自然の木々の葉は風に揺れ、海の波は絶えず引いては寄せる、陽の傾きが刻々と変わることで風景の表情は静止することがない。自然から生まれる調べは同じ楽曲を二度と歌わない。人の心も同じだ。動き続けている。

 

何を言いたいのかというと、「物のあはれを知る」 の “知る” は、自分の内界に起こっている心の動きを感じとってゆくことであり、けっして外界においての哀れを単純に感じるということではない。それが 「情は、物を觀じて、感慨を得、感慨のうちで、己れに出會ひ、己れの姿を確める」 ということだと思います。

 

 

 

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