悩みに悩んだ末の行動でもあるし、自分がこの世界で育てられた恩返しでもある。
「二つ目の弟子」というのは、中途半端な出来合いの盆栽のような感じだ。
拒否するのはルール違反だし、かと言って前座修業を終えた落語家としての一人格を有する者をゼロの状態から躾けるわけにもいかない。
彼のプライベートなんか俺は知ったことではない。
そこまで行動のチェックを施すのは僭越でもあるから。
本人がしくじりながら感じてゆくべきものなのだ。
逆に言えば師匠の恩恵をこんな形で噛み締めることになるとはなという感想かな。
弟子の会のトリで「らくだ」。
因縁深いお江戸日本橋亭。
ここでは二つ目昇進トライアルで撃沈した場所だ。
何が足りないか。
何が強いか弱いか。
自分のキャラと個性は何なのか。
自分でもがきながら前に進むしかない。
一生かかって作り上げてゆくものなのだろう。
徒弟制度の延長線上で落語という技芸が花開いたのだから、それを踏襲してゆくしかない。師匠もあの世で「勝手に生きろ」と言っているはず。
そんな声が聞こえてきた。
天下の大師匠 談志 の
無茶振りに耐えつづけた9年半で手に入れた、
”笑う”コミュニケーション術