2006年02月11日

英語:Western Unionの話

テーマ:MP3 English

以前、MP3プレーヤー英語を聞きましょう、という趣旨のBlogを持っていました。

最近はまったくぜんぜん更新していませんが。。まイロイロ思うところがあって。

そんで、自分の中の英語学習意欲がまたチロチロと燃え上がってきましたので

ここで、その続きを掲載していきたいと思いました次第です。


ちなみに、これは英語漬けに関係なくはないこともないこともない・・と。


The Western Union Telegram Is No More

MP3ファイルの取得・・こちら から


--

An Obsolete Technology

It made good business sense for Western Union to drop its telegram service on January 27 and concentrate on its financial services operations, which earned the company $4 billion last year. In 1929, during Western Union's busiest year, the company sent 200 million telegrams. In 2005, Western Union's worldwide service centers transmitted just 20,000 thousand.

"The telegram really has become an obsolete technology," says Amy Fischer, archivist for the First Data Corporation, which now owns Western Union. "Telegram use has diminished and has been replaced by lots of lots of other means of communications, from telephone and radio, to email and faxes."

Telegraph Transforms Communications

At the Historic Speedwell Museum in Morristown, New Jersey,where Samuel Morse and Alfred Vail first developed the telegraph in the late 1830s, collections specialist Diana Angione says people today often take instant global communications for granted, so it may be hard to imagine how wondrous telegraph technology once seemed. "So much so that people thought it was magic and they sort of laughed about it," she says.

"They didn't believe it was even possible. It was a surprise to people that they could actually see a message go from one person to another person far away without any other sound going on."

Archivist Amy Fischer says the telegraph was more than just a technical marvel. It changed the way people perceived their society, and their connectedness to the world around them.

"For the first time, rather than being able to communicate only at the speed someone could walk a message or ride a horse, people could communicate in real time," Fischer says, "meaning that their message could go across in minutes or even seconds sometimes. That was such a big change for people." By 1861, when the Western Union's transcontinental telegraph link between the American West and the Eastern seaboard was completed, the technology altered the course of history. Fischer notes, "For the first time, everyone who had gone to California during the Gold Rush and stayed could now communicate with their family and their business partners back on the East coast [and say] Oh my goodness! All of a sudden we really are one country!"

More Than Just a Way to Send Messages

The telegraph was more than just a way to send messages over a wire. It was what some call "The Victorian Internet."

Telegrams had a deep personal significance, sharing news -- good and bad -- between loved ones and family members. For Anna, a Western Union employee whose job it was to take telegram orders, it was the intimate nature of many telegrams that has her feeling regret over their demise.

"I feel very sad, like I've lost a friend," she says. "It was a connection to other people that I enjoyed. I got a little peek into what was going on in their lives. I loved it."

Sometimes a telegram was a way to connect people when there was no other way.

"Some people couldn't find a relative and the only thing they knew was an address," she says. "So we would help them locate a person by sending a telegram that would be delivered to the door. That way it would be left in the door."

There were glamorous traditions associated with telegrams. Often when a new play opened on Broadway, Anna took telegram orders from Bob Hope's office, offering the legendary entertainer's congratulations. Equally important to Anna were the telegrams sent by ordinary people at milestone moments in the lives of loved ones: when children would graduate or get married, when women had babies.

"That was a tradition to send them a telegram of congratulations and people would send them telegrams to the baby welcoming them to the world," the Western Union employee recalls.

"I had people call me and say 'when I got married my dad sent me a very special telegram and my husband is going to send that to my daughter.'"

And it was a tradition in a lot of churches when someone died, Anna says, "to send a telegram to the family. And they would quote from scripture. And they would give the family comfort. And they would keep this and look at it later. Well, there you go. Tradition. It means something!"

Nevertheless the First Data Corporation ended that tradition on January 27th when it sent its last Western Union telegram.

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2006年02月09日

手塚治虫(後編)

テーマ:mum・ble

フツーの人っぽい。

手塚治虫の素顔をのぞかせる、この文章。

とても気に入りました。

当たり前のことなんでしょうけどね。

→ この文章には、前編があります。まずはそちらからどうぞ。・・・こちらから

--

(続き)

 そんな過酷な状況下で、虫プロはアニメ作りを続けた。何かの衝動に突き動かされるかのように。
 彼らの思いは、放送が始まると電波に乗って少年たちの心に届く。初回の視聴率は27.4%。そして、回を重ねるごとに視聴者の支持は高まっていく。第4話で30%を突破し、最高で40%を超える人気番組に成長した。
 見たことのないアニメ。物語の根底には深くて重いテーマが流れていた。「ヒューマニズム、科学、恋愛、文明批判・・・。アトムの中には、すべてがあった」。演出を手がけた杉井ギサブローは、魅力の本質をそう見ていた。
 だから、大人たちも引き込まれた。高い視聴率はその証左である。
 絵を動かさなくても、魅力的なアニメが作れる。手塚はそれを証明してみせた。
 「産業革命だった」(杉井)。
 アトムが成功すると、新しい国産アニメが次々と放映されていった。それは、アニメ大国への序章でもあった。
 アトムが始まった63年、「鉄人28号」(フジテレビ)、「エイトマン」(TBS)がスタートする。続いて、66年に「おそ松くん」(テレビ朝日)、68年には「巨人の星」(日本テレビ〉と各局はアニメ番組に力を注いだ。
 テレビ局の編成にも変革が起きる。子供が視聴しやすい午後6時台に、広告が集められるドル箱番組を置けるようになった。そして、菓子や玩具業界の企業が、テレビを宣伝戦略の中心に位置づけ始めた。
 明治製菓は、アトムの強力な宣伝効果でライバルの森永を抜き去った。劣勢だったマーブルチョコレートは、アトムシールをおまけにつけると、社会現象になるほどの人気商品となった。
 テレビ黄金時代の幕開け-。
 60年代前半、テレビは最強メディアとしての地位を確立する。
 アニメばかりではない。実はアトムが放映されていた63年から66年までの4年間に、テレビ歴代視聴率上位10番組のうち6番組が集中している。64年には東京オリンピックが開催された。「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボールの全日本女子が優勝すると、視聴率は歴代2位の66.8%に達した。
 アトムが最終回を迎えた66年には、バトンを受け継ぐように、新たなヒーローが登場する。特撮番組「ウルトラマン」(TBS)だ。
 制作を手がけたのは54年に特撮映画「ゴジラ」を発表し、米国でも話題を呼んだ円谷英二率いる円谷プロダクション。円谷は、ウルトラマンの特撮シーンに高い完成度を求めた。
 「テレビ局がOKを出した場面でも、円谷さんが許さない」。円谷プロ・チーフプロデューサーの鈴木清は、徹夜で撮影手法を議論したという。
 だが、ウルトラマ
 ンは異例の幕切れを迎える。42.8%という常異約な視聴率を記録しながら、わずか1年足らずで突然、終了した。
 「円谷さんの職人気質がたたって、制作が遅れ、納品できなくなった。仕方なく、「さらばウルトラマン」という題にして強引に打ち切った」(満田かずほ・円谷プロ顧問)


アトムは自分の作品じやない


 アトムの制作現場も同じだった。手塚自身が制作にのめり込んでしまう。
 「手塚さんがかかわったのは第3話まで。芸術家だから、描き出すと、とことん凝って、納期が守れない」
 アトムの演出を担当していた坂本雄作は、天才がもたらす副作用を恐れていた。放送の継続には、手塚を制作現場から遠ざけるしかなかった。
 「あれは自分の作品じゃない」
 いつしか手塚はそう漏らすようになった。そして、スタッフを中傷する。
 ある夜、坂本の所に手塚がやってきた。そしで、涙を流した。
 「私は人が信用できないんです」
 アニメに携われない状況に、手塚は耐え難い思いを抱いていた。
 最終回、アトムは地球を救うため太陽に飛び込んだ。壮維な最期だった。「あのシーンには、独り歩きするアトムヘの、手塚さんの複雑な思いが込められていたのではないか」(坂本)
 その後、虫プロは73年に倒産。手塚は豪邸を出て、借家に移った。この時、「もうアニメはやらない」と誓ったが、5年ともたなかった。
 「アニメは絵を自由に動かせるから、神になった気分になる。その魅力が忘れられなかったのではないか」(手塚プロダクション社長の松谷孝征)
 89年、亡くなる10日前のこと。病室で新作アニメをチェックする手塚の姿があった。画期的なアニメを創造し、テレビに革命を起こした天才。その彼も、アニメの魔力に取り憑かれ映像の狭間に落ちていくかのように息絶えた。


<Nikkei Business 2006.1.23>

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2006年02月08日

どうした!?証券取引所システム

テーマ:mum・ble

大阪証券取引所で今日(8日)またシステム障害がおこってしまったそうですね。

午後の取引開始直後に注文が集中したためだそうで、”売買を成立させる約定処理が一時遅れるシステム障害”だったようです。

---nikkei.-bp--

トラブル続きの東京証券取引所に2月1日、CIO(最高情報責任者)としてNTTデータ・フォース出身の鈴木義伯氏が就任する。


昨年12月に東証の西室泰三社長兼会長が突然発表した「CIOを公募」という異例の人事は、約1カ月であっさり決着したように見える。


だがその舞台裏は、応募者が誰もおらず、西室会長自らNTTに依頼してようやく決まった難航人事だった。しかもNTT内でも「誰もやりたがらない」(NTTグループ幹部)という状況下で、関係者が奔走して決めたドタバタ劇だった。


「これだけ騒がれている取引システムですよ。うまく改善して当たり前だし、トラブルが起きればまた叩かれる。本音は引き受けたくないでしょう」。あるNTTグループ幹部は、鈴木氏の心境をおもんぱかる。


CIOを選任するうえで、西室会長が当初から目をつけていたのが、NTTの人材だった。旧電電公社の伝統を引き継ぐNTTグループは、大規模な公共系システムに強みを持つ。問題が頻発する東証のシステム解決の指南役に、NTTの「信頼・安心」というブランドが輝いて見えたようだ。


NTTには別の候補者がいた


西室会長がNTT持ち株会社の和田紀夫社長を通じてNTTグループにCIOの派遣を要請したのは昨年12月下旬のこと。


実は当初、CIOとして派遣を予定していたのは、鈴木氏とは別のNTTグループ子会社の社長だった。NTTグループの中でシステム構築の中核はNTTデータだが、東証とは直接の取引関係先となるため、ここから人材を派遣すると、「公平性を欠く」という指摘を受けかねないからだ。ところが「この子会社社長が就任要請を固辞してしまった」(関係者)のである。


そこでNTTグループ内で急遽、システムに精通する人材を再リストアップ。限られた時間の中で経験、能力、就任可能な時期など様々な条件にかけた結果浮上したのがNTTデータ・フォース社長の鈴木氏だったというわけだ。唯一懸案だった「NTTデータの子会社」という点は、「NTTデータさんにお願いしているのは、極めて小さいシステムの一部分だけで問題ない」(西室会長)と説明することで押し切った。要請を受けた鈴木氏も当初、あまりの重責に就任に難色を示したが、「NTTの代表として職務に当たってほしい」と説得される形で引き受けた。


東証が鈴木氏に特に期待しているのは、大規模プロジェクトの管理能力と、それを推進するリーダーシップだ。鈴木氏は一貫して金融分野のシステム開発に従事。これまで横浜銀行や地方銀行各行の共同利用型勘定系システムの開発で、辣腕ぶりを発揮してきた。NTTデータには、プロジェクト監査の国際資格「PMP」取得者のみが受けられるプロジェクト管理の社内資格制度があるが、鈴木氏は社内に18人しかいない最上位資格「プリンシパルPM」を持つ。


「一つひとつ改善」と鈴木氏


一方、CIOを派遣したNTTグループも、東証の窮地を救ったことで、今後のビジネスを有利に進められそうだ。特にNTTデータにとって、日立製作所や富士通が得意としてきた証券取引所の売買システム受注競争に食い込む絶好のチャンスとなる。


ネット投資家の急増、取引所の一極集中体制の改善など、鈴木氏を待ち受ける課題は山積している。就任前の1月26日、鈴木氏は「東証が抱える課題については認識している。だが、一度に全部変えるのは困難。一つひとつ改善していくしかないでしょう」と本誌に心境を明かした。


「東証のスタッフに自信を取り戻させてあげたい」と語る鈴木社長。CIO決定で安心せず、東証やNTT、証券業界が全力で支援と協力をすることが不可欠だろう。

--- http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/421246 ---


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2006年02月08日

花粉症に朗報!?

テーマ:幸せになろう

この記事見ました?ぜひ試してみたい・・。

会社で記事をみて、思わず家にメールしました「スーパーのつくしを買い占めて!」

(゜-゜)\バキ

でも、スーパーにつくしは置いてないんだよね。

たしかに、見たことないわ。

--

スギ花粉症には「つくしエキス」が効果的として、エキスを混ぜたアメを日大が開発。

この商品は、名前を「つくし飴(あめ)」と言うそうで、20粒入りで2000円・・。ちょと高い。

漢方薬などの製薬会社「池田薬草」(徳島県池田町)が発売するのだそう。


重度の花粉症だったという日大のセンセが、趣味の山菜採りで採ってきたつくしを調理して食べたところ、症状がピタリと止まったというのがきっかけだとか。


つくしエキスを注入したアメの試作品を製造し、大学関係者らに試食してもらった結果、全体の約6割の人に症状の改善がみられたそうだ。

多くの人が、なめた直後に効果が表れ、15分から数時間持続した。

なかには花粉症が治った人もいたのだとか・・。うらやましい。

--

子供の頃、家族でワラビ採りに良く出かけた。

当時、つくしはそのアタリに勝手に生えていたように思う。

わざわざ採りに出かけるまでもない。。と


しかし、この記事を読んでつくしはないか?と記憶をさぐってみても

千葉歴の短い僕は、どこに生えているのかわからんん。。

がくっ・・。orz


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2006年02月01日

手塚治虫(前編)

テーマ:mum・ble

手塚治虫といえば巨匠、天才・・と。

誰もが認める日本を代表する漫画家でしょう。

また鉄腕アトムといえば、これまた彼の代表作であると共に、日本漫画の代表作でもあるでしょう。

その初期の作品はどのように創られていったのか。


すでに”神話”的な領域に入ってしまった感のある手塚治虫。

それでも、やはり人間くささっていうか、フツーじゃんってトコがあるんだよね。

当たり前だけど、ね。そういう部分、見つけるのって楽しい。

自分のレベルにひきずり落とす、という悪い方向ではなく

あの人でさえ、そのときそうだったのだから、自分だってこの先十分いける可能性があるゾ!

そんな前向きな気持ちになってくるから。

---

それは、漫画の巨匠、手塚治虫にとって屈辱的な評価だったに違いない。1963年1月1日、国産初のテレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」がスタートした。既にアトムは雑誌連載で人気だった。「アニメを作るために、漫画を描いてきた」。手塚自身がそう語っていただけに、アニメ関係者の期待は高かった。
 ところが、多くの人はブラウン管に登場したアトムを見て愕然とする。
 絵が動いていない-
 少なくとも、プロの目にはそう見えた。当時、ディズニーなどのアニメは、1秒間に12枚の絵を使って、滑らかな動きを表現していた。アトムは明らかに絵が少なく、動作がぎこちない。
 アトムがパンチを繰り出す時は、腕から先だけが動く。そこしか描き足していないからだ。クルマは1枚の絵をずらすことで、走っているように見せる。アトムが驚いた表情は、アップの絵のまま数秒間も引っ張った。
 「最悪のアニメ」「電子紙芝居」
 非難と嘲笑にまみれたアトムー。
 放送回数を重ねると、さらに「手抜き」が見えてくる。前に見たアトムが、再び画面に登場する。描いた絵を使い回しているからだ。
 「新しい絵をほとんど描かず、使い回しで1回分を乗り切ったこともある」。制作した虫プロダクションの関係者は、舞台裏をこう明かす。
 「技量が足りないわけじゃない」
 演出を担当した山本は、同業者に「虫プロはその程度か」と笑われて、悔しさに震えた。
 当時の虫プロは、理想の作品を作れる環境ではなかった。低予算に喘ぎ、スタッフが著しく不足していた。「他社の作り方なら3000人以上のスタッフが必要だった」(山本)。ところが、アトムの制作陣はわずか50人。普通に考えれば、作れるはずがない。
 それでも、手塚はアトムをテレビに登場させた。
 「今、自分がアニメに乗り出さなければ、日本のアニメは10年遅れてしまう」。そんな思いに駆られて、温めていたある秘策を実行に移したのだ。
 「テレビアニメ構想」とでも言おうか。映画館と違って、テレビは画面が小さいため、絵があまり動かなくても気にならない。それよりも、手塚作品のストーリーや、そこに込められた世界観を伝える…。たとえ動きがぎこちなくても、漫画とは比べものにならないインパクトがあるはずだ、と。
 62年、虫プロを設立。そして、アトムの試作フィルムの制作に取りかかった。作業が最終段階に入ったのは、その年の夏。フィルムが完成した時、手塚の後ろで画面を見つめている男がいた。噂を聞きつけて飛んできたフジテレビジョン編成部員の白川文造(現ビーエスフジ取締役相談役)だ。
 「見ているうちに、興奮していって、終わった瞬間に、手塚さんと交渉を始めた。とりあえずフイルムを1日だけ貸してほしいと」(白川)
 フジテレビに戻って試写会を開くと、編成部の上司は感激のあまりに唸った。アトムには米国のアニメとは全く異なる魅力があった。科学が進歩した未来を描きながら、人間社会や文明へのシニカルな視点が貫かれている。
 国産初のアニメシリーズができる。しかも、従来の米国アニメをしのぐ人気番組になるかもしれない-。
 それはテレビ局の悲願でもあった。当時、テレビ各局は米国のテレビ映画に頼りきっていたからだ。事実、61年の視聴率ベスト10のうち、3つは米テレビ映画が占めていた。アニメも「ポパイ」など米国作品ばかりだった。
 アトムを突破口に、米国依存の編成から抜け出し、先発の日本テレビ放送網やTBSを追い上げる。開局4年目のフジテレビは勝負に出た。
 スポンサーとなった明治製菓も、同じ夢を見ていた。他の企業は、見たことのない国産アニメシリーズにカネを出そうとしない。その中で唯-、興味を示したのが明治製菓だった。
 同社は前年、マーブルチョコレートでヒットを飛ばしたが、森永製菓の類似商品に追い抜かれた。そこで、アトムに賭けた。アトムの人気に乗って、子供市場を奪い返すことが狙いだ。
 明治製菓にとって、ネックは制作費だった。アニメの30分番組を作るには150万円のカネがかかる。同じ30分のテレビ映画なら50万円でできる。
 そこで手塚が動いた。明治製菓に破格の条件を提示した。大赤字を覚悟で「55万円」という制作費を示したのだ。これを開いて、明治製菓の宣伝担当者は安堵の表情を浮かべた。その傍らで、手塚は「心で泣いた」という。1本作れば100万円の赤字…。身を削って作品を生み出すようなものだった。そして、制作現場は凄惨を極める。アニメーターは1班10人ほど。業界では、1人が1日に描ける絵は、5枚程度と言われていた。休みなく仕事をしても週400枚にも満たない計算になる。ディズニー映画のような動きを出すには2万枚近い絵が必要だった。
 絶望的な数字の開き。だから、絵を省くしかなかった。一度描いた絵は、キャラクターや場面ごとに整理して再利用した。「バンクシステム」と呼ばれたこの手法は以後、多くのテレビアニメで踏襲されることになる。

「アトムは産業革命」

 「30分のテレビアニメを2,000枚で作る」。虫プロの出した結論だ。それでもアニメーターには、通常の5倍を超える絵を描くことが求められた。
 「生きるか死ぬか、という雰囲気」
 アトムの脚本家だった辻真先は、当時の虫プロをそう表現する。そこで起きた悲劇が今も脳裏に焼きついている。アニメーターが仕事を終えて、倒れるように寝ていると、隣にいた赤ちやんが亡くなってしまう。ベッドの隙間に首が挟まるような格好で。
 誰のためにアニメを作っているのか-。葬儀場で、手塚は人目をはばからず号泣した。

<Nikkei Business 2006.1.23>

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この文章には続きがあります。

次回のblogに掲載しています。

・・・こちらへどうぞ!
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2006年02月01日

神は自動販売機?!

テーマ:幸せになろう

「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!


いいこと

 私達は神のことを天にある巨大な自動販売機のように考え、祈りを対価にして願いをかなえてくれる存在だと思っている節がある。つまり、祈りというコインを入れてレバーをひねれば、神が何かを与えてくれるだろうと期待するのだ。だから、私達は神という名の自販機を崇拝するのである。私達は神を讃え、自分達がいかに崇敬しているかを示すことで、見返りを求めるのだ。

 こうした発想の前提になっているのは、神が私達の外にあり、私達が求めているものや必要としているものも、また外にあるという考えである。このような祈りは、むしろ神の存在感を薄めてしまう慣習だと言える。神を自販機扱いして祈りを捧げるのは、神が自分と別個の存在だという意識をますます強固にしてしまうのだ。

 私はむしろ、祈りの本質が神との交わりにあると考えたい。こうした見地に立つと、祈りを捧げることは、神が私達の呼吸のように身近な存在だということを認識するための行為となる。つまり、祈りは神との一体感を体験するためにあるのだ。それは、内的な力の存在を実感する行為に他ならないのだ。

 したがって、本当の祈りとは、神に何かを期待するのではなく、自分自身が変わることなのである。私達は、祈りによって神から切り離されているという感覚を和らげることができる。

 幸福が外からやってくると考えるのは、自分が不完全であることを認めていることになる。これは他力本願につながり、自分には見えざる神性が宿っていると信じることをあきらめてしまうことにもなる。



上智大学・渡部昇一教授訳:
「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!

「いいこと」が次々起こる心の魔法―この“奇跡の力”が自分のものになる!

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2006年02月01日

携帯でATMのロックを解除するサービス

テーマ:mum・ble

NTT-DATAが、便利なサービスを金融機関に対し提供する。

これはNTT-DATAから提供を受けた金融機関が自らの顧客(預金者)向けに提供するというもので、ATM利用時のセキュリティ強化対策の一助となるものだ。


この通知メールサービスとは、預金を引き出した際などにメール通知してくれるというものだ。

もともとはキャッシュカードの盗難などにあった際、気付かずに預金を引き出されてしまう時にメールで通知を受けることで、不審な口座操作に対して注意を与えてくれるというもの。


これで、あなたの口座から奥さん・旦那さんが勝手に引き出すのを知ることが出来る?!
---

  1. 通知メールサービス
     主に偽造キャッシュカードやスパイウェア等による不正取引の被害を極小化することを目的としたサービスで、ATMでの預金引き出しや暗証番号誤り、資金移動などの情報を預金者に通知することで早期に不正取引を検知し、対処を講じることを可能とします。
     金融機関は預金者へ通知したい情報をNTTデータのセンターへ送信し、センターでは預金者が事前に登録したメールアドレスへ金融機関から受信した情報を送信します。
     本サービスは、定期満期の案内など取引の通知以外の用途にも利用可能です。
  2. ATMロック解除サービス
     主に偽造キャッシュカードやスパイウェア等による不正取引を未然に防止することを目的としたサービスで、平素はATMにおける取引やあらゆるチャネルからの資金移動などが利用できないようにロックしておき、それらを利用する際に預金者が携帯電話より金融機関へ指定口座におけるロックを解除することで、必要な時だけ預金引き出しや資金移動を利用できるようにし、預金者が知らぬ間に不正な取引がされないようにすることを可能とします。
     預金者が事前に本サービスで利用する携帯電話をNTTデータのセンターに登録(操作できる端末を固定)することで、登録した携帯電話からのみセンターへのログインを可能としているため、セキュリティ面でも登録した携帯電話と預金者が決めたパスワードといったより強固な2要素認証となっています。

NTT-DATA

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2006年01月30日

"大人の日本語ドリル"だそうです。

テーマ:雑学系

"大人の日本語ドリル"だそうです。

漢字で書くと・・わかんないですねf(^_^;

でも、ひらがなだとスグわかりますよ。

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(1)順う


(2)惚気る


(3)忽ち


(4)阿る

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全部わかったら、すごい!尊敬!・・あ、ひょっとして年寄り?

(゜-゜)\バキ


解答&他の問題 は こちらのサイトへ・・・・-> 「 解答 & 他の問題 」

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2006年01月29日

マクルーハン(01)

テーマ:マクルーハン

第一部 マクルーハンとはどんな男か


一 マーシャル・マクルーハンについて


   生い立ち、カソリシズム、ヨーロッパ文学の深い知識


 彼の名はハーバート・マーシャル・マクルーハン Herbert Marshall McLuhan というが、彼自身はハーバートというファースト・ネームをほとんど使わない。彼の著書すら MarshallMcLuhan とだけ出ている。米英人は普通ミドル・ネームを頭文字だけに省略したり、使わなかったりするのだが、彼は Marshallをつねに使うので、それをファーストネ-ムと誤解している人が多い。
「H・M・マクルーハンは一般人で、マーシャル・マクルーハンはフロイド、アインシュタインと並ぶ大思想家だ、と彼は分けて使っているらしい」というようにニューヨーク・タイムズは評したことがある。
 「わしにはマーシャルのいうことはわからんよ」とH・Mは普通人の一人としていう。「マーシャルはハップニングのこの世界をますますわからぬものにする。なにも起こらなきゃもっと気楽なのに。」
 マーシャル・マクルーハンは突飛な空想家で、斬新なコミュニケーション理論を開陳する。H・M・マクルーハンはまじめな大学教師として学校で教え、平凡な家庭生活を送り、電話帳に名前をのせている。こんなふうに英国の批評家リチャード・コステラネッツが書いているほどだ。名前の使い方からして常人と変わっているのである。
 彼は一九一一年、西部カナダのアルバータ州エドモントン市に生まれた。私もこの町を訪れたことがあるが、ちょうどアメリカでいうなら中西部で、はてしなく平原が続く。こんなところに育つ人間は、まず、こせこせした性格にはならないと思う。彼の発言が大胆で、微妙な相違などは無視するのは、育った風土が影響しているのかもしれない。その風貌もたしかに大陸的である。どこといって特徴はないが、なにか大きなものを感じさせる顔なのだ。
 両親ともプロテスタントで、いろいろな宗派の教会へ行くのが好きだったという。父の職業は不動産と保険のセールスマンだったが、「仕事はそっちのけで、人々と話し込むのが好きだった」とマクルーハンは父を語っている。母親も話を独占するタイプだったらしい。彼の雄弁は親譲りといえよう。兄弟の一人は現在カリフォルニアで技師をしているし十歳のとき、すでに鉱石ラジオを自作して近所の人々を驚かせ、「自分も生涯忘れ得ぬスリルを味わった」そうである。

 カナダのマニトバ大学工学部に入学したが、夏休みに文学書に凝るようになって、英文学専攻に転じた。そこで文学士と修士号をとったのち、多くの野心あるカナダ人と同じように英国に渡り、ケンブリッジ大学に二年間学んだ。
 マニトバ大学時代はマリタン Maritain とかギルソン Gilson といったカトリック作家に凝ったが、ケンブリッジではⅠ・A・リチャーズRichards や F・K・リーヴィス Leavis の講義にもっとも感銘をうけ、大衆文化を研究しはじめたという。
 一九三六年にカナダに帰り、アメリカのウィスコンシン大学で教鞭をとったが、翌年カトリック教に改宗、以後カトリック系の学校でばかり教えている。一九二七年から一九四四年までセントルイス大学、一九四四年から一九四六年までカナダのアサンプション大学、一九四六年からトロント大学のセント・マイケル・カレッジと、すべてカトリック系の大学である。一九六七年秋からはニューヨーク州のフォーダム大学へ移るが、これもたしかカトリック系のはずだ。
 彼のような斬新な発想をする男が、キリスト教でも古いほうのカソリシズムに改宗しているのはおかしいと思われようが、壮大荘敢な教会の中でのミサを体験した方なら、それがマクルーハンのいう「深いところでのコミュニケーション体験」であることがおわかりだろう。
 プロテスタント教会には見られぬ祭壇の深い美しさ、香のにおい、着飾った僧の動き、響きわたる声-人間の全感覚をゆり動かす荘餃なミサである。説教にしてもプロテスタントのものと大いに異なる。いわゆるインテリとして、頭で客観視する態度ではまったく理解できない祈祷文が朗読される。そのなかに投入する気持ちになってはじめて全体験が可能となるのである。マクルーハンは絶えず五感全部の深層体験を強調しているが、カソリシズムと関係がないとは考えられないのである。
 ケンブリッジ時代に影響を与えた作家たちが、後年のマクルーハンを形成したといわれる。彼は多くの批評家や学者を徹底的にけなすことで有名だが、当時影響をうけた人々については、つぎのように賛辞を呈している。
 エドガー・アラン・ポー-彼は探偵小説の創始者だった。読者の想像力を刺激し、自分自身で考えさせた。
 ジェイムズ・ジョイス-彼は窮極のメディアとしての言語からスタートする。「フィネガンズ・ウェイク」こそは人間の全社会におよぼすテクノロジーの影響の研究である。
 ダスターヴ・フローペル-スタイルが知覚の方法であることを指摘した。 T・S・エリオットとユズラ・パウンド-彼らの詩はジャズ用語と大衆文化形式に満ちている。
 ランボー、ボードレール、マラルメ-これらのシンポリストたちから、私は自分のスタイルを学んだのだ。彼らは暗示するが説明しない……。
 教職についてからも、一時(一九三九年)ケンブリッジ大学へ大学院学生として復帰し、トーマス・ナッシュ (エリザベス朝時代の詩人)についての論文を書くことになった。英国再訪には、いま一つ美しいテキサス生まれの女優コリーン・ルイスとのハネムーンの意味もあった。彼女に会ったのはその前年、カリフォルニア州パサデナ劇場である。
 当時の彼女の美しさは「目も覚めんはかりだった」という。ライフ誌が一九六六年にうつした家族写真にもその美しさは十分残っているが、彼女は美貌だけでなく、知的で、いまは夫の原稿を整理することもあるという。
 マクルーハン自身の告白によると、彼がはじめて大衆文化 pop culture と出金ったのは、一九三六年、ウィスコンシン大学でアメリカの大学一年生を教えたときである。いまは「大衆文化を擁護する哲学者」といわれる彼だが、そのとき彼はその若い学生たちが理解できず、「急いで彼らの大衆文化を研究しなくては」と思ったのである。
 一九四二年に彼の博士論文「トーマス・ナッシュの修辞法」は完成し、以後、彼は若手の英文学老として専門学術誌に論文を寄稿しはじめる。今日まで英文学者たちの問では、マクルーハンの名はテニソンの詩を集めた教科書の編集者として知られているのである。その他、彼のジョン・ドス・パソスやサムエル・テイラー・コールリッジなどについての評論は名論文集にしばしば収められた。
 コミュニケーションの理論家として知られる以前に、マクルーハンはヨーロッパ文学について広い知識をもっていたのである。彼の著書には驚くほど多方面からの引用があるが、彼の経歴を知ると、それも当然であることがわかるのだ。

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2006年01月28日

企業の「利益」を再認識する

テーマ:企業経営について考える
P.F. ドラッカー:企業利益の再認識

企業の目的は、実は「利益」ではない、「利益」とは企業が存続するための「コスト」である



 企業による利益追求が、社会を発展させる原動力であることを、理論的に説明したのはヨーゼフ・アロイス・シュムペーターである。シュムベーターは一八八三年(明治十六年)、オーストリアに生まれているが、弱冠二九歳で 『経済発展の理論』を著し、不動の地位を築いた経済学者だ。


 それまでの古典派経済学者をはじめ、マルクスもケインズも、経済が発展する理由と利益を追求する意味を、理論的に説明することはできなかった。

 この点、シュムぺーターは、次のように考えた。


「経済が発展するのは、起業家が革新(イノベーション)を起こして 『生産関数』を変化させ、バランスを破壊するからだ」


 起業家が時代遅れになった製品や事業を「創造的に」破壊し、時代に合った製品や事業につくり変えて、新しく市場を生み出すことが、社会を発展させ、経済を成長させるという独創的な理論を打ち立てたのである。これは、最も革新的だと言われてきたケインズ経済学に欠けている視点だった。


 近代経済学は、「需要と供給が一致した時に取引量が決まる」という均衡理論が前提である。しかし、世の中はみんなが同じ情報を持っているわけではなく、なおかつ、さまざまな判断をさまざまな人間が下している。したがって、売り手と買い手がバランスする状態はありえない。経済は生き物と同じょうに絶えず動いているのであって、売れ残りや品不足の状態が当たり前の姿なのである。


 シュムベーターは従来の理論を否定し、起業家(イノベータ⊥による新製品と新規事業の開発(イノベーション)が経済成長を促すとした。リスクを背負っても新規事業に挑戦する起業家のパワーこそが、社会を発展させると考えたのである。


 シュムペーターは次のように説明した。

「個人が貯金を蓄えていなければ、病気や失業した時に困り、他人に迷惑をかけることに
なる。個人にとって、貯金は、いざという時に備えるために必要なものだ。


 一方、民間企業も一代限りで終わりではなく、長く存続しなければならない社会機関である。民間企業は存続する責任を果たすために、利益を上げて蓄積しなければならない。

企業が倒産したり、破産したりすれば、社会に与える損失は計り知れない。


 利益は企業が存続するために必要なものであって、儲けのことではない。企業は利益を追求することによって利益を手に入れ、従業員に給料を支払い、設備を買い、工場を建てる。再生産のために投資をせず、いつまでも古い設備を使っていれば、時代遅れになって、能率は下がり、コストが上がり、競争力を失って倒産してしまう。

 したがって、企業は存続する責任を果たすために利益を手に入れ、手に入れた利益によって絶えず設備を更新したり、人を雇ったり、新製品を開発していかなければならないのである。


 設備を買うカネも、従業員の給料や退職金として支払うカネも、企業が利益を上げて手に入れた資金に基づくものだ。そしてそれらは、『儲かったから払う、儲からなかったから払わない』と言って許されるものでなく、必ず支払わなければならない待ったなしのカネである。

 であるがゆえに、利益とは 『儲け』 のことではなく、企業が存続する責任を果たすための 『コスト』 のことなのだ。


 企業が利益を追求することは、単にカネを儲けるためではなく、企業の存続にとっても社会にとっても必要なのである」

 シュムペータ一によって、歴史上初めて「利益の追求は反社会的なことではなく、社会的に正しい行為である」と理論的に説明され、「資本主義は人の道に反しないシステムであること」が、ようやく解明されたのである。


 ドラッカーは、「利益と呼ぶものの存在を説明できる唯一の根拠」として、シュムベーターの理論を肯定している。

 いみじくも福沢諭吉は、「私利私欲はやがて公益に変わる」と説いているが、シュムペーターの理論と重ね合わせて聞くと、あらためてその含蓄の深さが実感できるのである。


P.F. ドラッカー:企業利益の再認識 - - - > P.F. ドラッカー著書一覧
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