マダイのぐだぐだ独り言。

役にも立たない、ぐだぐだ独り言を書いてます。
暇つぶしに、どうぞ・・・。


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よもやここまで酷いとは思わなかった。と、いっても、民主全体ではなく、民主の中にいる左翼の連中のことで、本当に政治家か?と、思う。まるで、官僚の使いっ走り。どうにもならない。酷過ぎる。


戦後、アメリカが占領政策で日本をぐだぐだにするために、一枚板になるのを恐れ操作するために左翼等を優遇した成果が現代のこの時期に一挙に開花した。


本当に自民よりも酷い。所謂、政治家はもう誰も信用できないと確信するに足ることを次々やらかしてくれている。勿論、政治家一人、一人を見ると良い、誠実な人もいるだろうが、政治は、特に日本の政治は数を恃まないとどうにもならない仕組みなっている。とはいえ、そもそも民主主義というものは少数派の意見を汲み取るためのものなんだが、日本は数を恃むものと解釈して、それを実行している。


現政府の左翼上がりのどうにもならない政治家とも呼べない政治家。奴等には見識も良心も良識もない。見ているのは、実質日本を動かしていると思って寧ろ尊敬しているというか自分達が何のアイデアも無い為に自然に官僚達を尊敬する状況になっているだけなんだが・・・、彼等、官僚と利権団体と、選挙の票。


そもそも政治家は信じられないといって選挙にまったく行かない人のことなどまるで関心がない。利権に絡む方向しか彼等は見ていない。


問題点は、政治に参加しないことがカッコいいニヒリズムだと捉えていたむかしの流れがそのまま存在していて、現にこうして民主がとことん卑劣な政治をしてくれると、更に選挙離れが進む。


民主だろうが何だろうが、もう、とことん政治に左翼上がりは参加させてはいけない。


然もありなんと聞こえのいい言葉を遣ってその場を誤魔化すだけのことしかしないからだ。そもそも聞こえのいい言葉だけを選別して使うのは、自分達が率先して何かをやろうとするアイデアがないからだ。自分達が何かをやろうとすると、当然、批判に晒される。卒のない当たり障りのない、誰もが反対できない意見ばかり並べているのは、何も出来ないからだ。


何かしようとすると、当然、誰かと絶対にぶつかる。


だとしても、この辺りのことを本当は、選挙に行かない、政治に無関心な人々に分かってもらわないとならない。政治そのものに関心がないから政治の動きに疎い。今までの自民はこれを利用して自分達の都合のいい政治を好きなように行ってきた。


そしてそれを裏からバックアップしてきたのは、誰あろう、テレビ・新聞などのマスコミだ。


しかし、現状を見ると寧ろこういったマスコミがどの方向へ人々を導こうか、まったくこれも現代の政治家と同じで見識がない。どっちを見ていいのか皆目分かっていない。分かっているのはスポンサーには逆らえないという最悪・最低の守らなければいけない条件しか理解していない。


原発事故で日本は実際にズタズタになっている。しかし大スポンサーにして官僚達の天下り先で逆らえないという思いが浸透しているテレビ・新聞は、絶対に東電を解体しろといった批判を書かない。


テレビ・新聞は直接、経済界と繋がっている。


今の経済界は、日本人が一体どうなろうと経済優先の姿勢を崩さない。寧ろ、日本人を食い物にして、この場合、正しく命を人質にして経済を現状のまま維持しようと必死になっている。


これが国か?命の保障をしない日本の政府と、金のために日本を捨ててまで繁栄しようとしている企業。国家という形は何処に存在しているのだ。


だがしかし、ここで踏ん張らなければいけないのは、選挙に行かない人々だ。政治を詳しく知って何処をどうすればいいのか自分で考えて行動を興さなければならない。


ここで考えなければいけないのは、政治に無関心の人々が深く政治を考え研究して、自分なりのビジョンが見えたなら選挙に行かねばならない。数を恃む政治家を選ぶのではなく、人物本位で、誠実さのある政治家を選ばなければいけない。


本当に、


選挙に行かない人々が立ち上がれば、政治は直ぐにひっくり返せる。


今、選挙に行っていいる人々は、利害関係の人たちで、日本の国のことなどこれっぽちいも考えていない人々だ。それこそ数を恃みに政治を行っている現在の政治を根底からひっくり返すのは数しかない。選挙に行っていない人たちの数の方が断然多いのだ。


本当に立ち上がらなければならないのは政治家ではなく、寧ろ選挙に行っていない人々だ。


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この技術をやっていると、物事の本質を常に考えたくなります。それはもう習性と呼べるほど徹底してきます。


原発問題を考える時、多くの人たちは政府のいうことを信じて既に、もう相当安全だと信じています。しかし、事実は未だに東電は福島原発から空や海に向かって放射能を垂れ流しています。


まさに政府の言うように「直ちに放射能による健康障害は起こりません」なので、一般庶民は安心しています。


この問題を一般の人たちに知らしめる運動をようか・・・。と、も、思いました・・・。


が、しかし、


もっと深い部分をよく見ると、


日本人はむかしから、流されに流されて、ずっと逆らわずに来た民族だということに気が付きました。


放射能の影響は早い子供でニ、三年後から現れるでしょうし、大人で十年から二十年掛かります。その間、実際に多くの人たちが亡くならない限り一般の人たちは騒がないでしょう。いや、ひょっとすると、亡くなっても騒がないかもしれません・・・。それほど日本人は従順な一面を備えています。


それなら寧ろ、わたしはわたしのやるべき本来のことをしよう。と、やっと決心に至りました。


とはいえ、微弱ながら社会に対して、分かっていることは還元しようとも思っています。


さて、


現在の日本の社会は、


まさに、


拝金主義に陥っています。この状態が拝金主義そのものです。拝金主義という言葉は分かっていても、その内容は言葉ほどはっきりと把握されていません。


福島県民を政府主導で避難させていない事実、寧ろ安全だと行って戻している事実。福島県の農産物が風評被害にって打撃を受けている。政府、政権政党、経団連、経済界。そろって何を護っているか?


経済を護っている。


戦後から奇跡の復興を経験し、豊かになった日本。バブルを通り越し、貧しいということに耐えられなくなった日本。


今、社会の中枢にいる連中すべてが、


拝金主義で、もう再び貧乏に耐えられない精神力の弱さを露呈している。


人が死ぬより、貧しいに耐えられない精神力の弱さ・・・。


だから必死になって住民の避難よりも、人の命よりも、経済、経済といって、原発を止めよとしない。復興支援は食べていただくことですといって放射能汚染された農産物を平気で流通させる。


これはただ貧乏が怖いからだ。


更に、最悪なのは、経済界が、


経済だけに目を取られて、平気で人を人とも思わない経営をして、政府も経済界も誰も当然と思っている。


経済は効率と平気で言い放っている。


国家は国民を護らなければ国家ではない。


今の日本は平気で国民を食い物にしている。経済界も、政府も、政治家も、官僚も社会の中枢にいる者たち全員が日本人を食い物にして恥ずかし気もなく、経済、経済と言い放っている。


国民は、怒らなければいけないと思っていた。


しかし、


それでも、日本人はむかしから


逆らわずに言い成りになり続けてきた歴史がある。


今、やるべきことだけを考えて一生懸命生きるだけを考えて人々は暮らして来た歴史がある。


社会の中枢にいる連中はクズばかりだ。


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今年は技術的にも相当の変化のあった年です。そして何より、


震災。その後の福島原子力発電所の事故・・・。と、いっても明らかな人災といえるわけですが・・・。


やっと色々と頭が整理できた模様です。


まったく今までと様変わりした感があります。当然ともいえますが、震災後の原発人災事故の後、相当、強烈なゆさぶりが、頭に掛かりました。とはいえ、この精神的な揺さぶりと技術の変化に相関関係は一切出なかったのは幸いでした。揺さぶりを掛けられている時に、感情に流されなかったのは、寧ろ、技術に関係する身体にこの影響がなかったことによるところが大きいと思います。このおかげで寧ろ純粋に頭の中だけの揺さぶりで終わった感があります。


今まで生きてきた総括が出来た。といってもいい時間がありました。すべて頭の中の整理が整った。


再び、このブログを再開する心理状態に至ったのは、頭の整理が出来たからに他なりません。と、いっても、頻繁に更新できる時間的余裕がないのは確かなんですが・・・。


しかし、


再び、復帰です。


と、いうことで、今回はその予告だけで終わってしまいますが・・・お許しのほどを・・・。


次回から一体どんなぐだぐだを見せはじめるのか、お楽しみに・・・。


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最近は、このブログでは技術の話しではないことを時々書くようになっています。それは、この技術というのは、真実とは如何に?ということを基盤にしているからです。当然、社会の真実は如何に?という発想に自然になってきます。


いずれにしても、設立当初、この技術を体術ではないとずっと言い続けたにも拘らず、勝手に体術であると決め付けた人たちといろいろあったのは、このズレによります。


頭と身体のズレは常識という縛りを解放すると見えてきます。この常識という縛りを無くさない限りまったく見えて来ません。常識の世界に安穏としている人たちを何とか目覚めさせようと躍起になって書いた時期もありました。しかし、最近はそういった人たちに向けてのメッセージは諦めました。ゆっくりとですが、当会がやっていることを理解してくださる方が増えているのに勇気付けられます。


さて、最近は、自由報道協会(仮称)の報道にやっとこういった人たちが現れてくれた・・・。と、胸を撫で下ろす心境です。


日本の大手マスコミの報道に、事実はありません。


何処かの意図に従った報道しか存在しません。


この技術をやっていて、真実というものを見詰めていると自然にこういった大手マスコミが真実を報道しないということは分かるようになります。しかし、それらをまったく信用しないというものまったく筋が違います。


今、書いている文章はそういった意図で書かれていません。


最悪、そういった何処かの意図に従った記事しか書かないマスコミであっても真実を読み込むことが出来ていると、その報道規制の掛かった記事からでも事実が見えてきます。


詰まり、事実というものは、正しいというのでも、間違っているというものでもなくどちらにも偏らないそのものです。


そもそもこの技術はどちらにも偏らない技術であるから、それ自体が非常に理解し難いものであるがためになかなか普及といった点においては困難を伴う技術なのです。


ですから、感覚として、身体の技術ではあるけれども、、発想、思考の技術でもあるといえます。


常にわれわれは、中立、どちらにも偏らない思考しなければこの技術自体理解できないのです。そしてそれはやっているうちに自然に身に付きます。


仮に、身に付かなければ、はっきりとしたどちらかに偏った技術に傾倒してゆくのは目に見えています。はっきりとどちらかに傾倒していると、分かりやすいという傾向がありますから・・・。


そういった意味で、現在の世の中を見ていると、この自由報道協会(仮称)の、意義は大きいと思います。


とはいえ、現代の人に、どちらにも偏らないというのは、非常に難しいことだということも分かっているので、どうかこの自由報道協会(仮称)に存続してもらわなければいけないと願うばかりです。

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