中国雲南省大理古城滞在記パートⅡ

2010年5月15日大理古城にやって来てまる6年が経ち7年目に入った。6月から年金が全額支給となる、長い事待ちに待った。そして再び旅人になれる可能性が現実味を帯びてきた。新しいステージに入るのだ。さあこれからの展望を楽しみながら描こう。


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いよいよ帰国まで残り数えるほどとなった。荷物の処分と最後のお別れに忙しい。まず前回書ききれなかった若い日本語の先生に案内された桃渓谷の話しからしよう。まあ私の大理最後の日誌のようなものだ。

 

鶏肉とポテトの炒め物、野菜スープ、更に一品野菜料理があった。

 

322日古城で先生にお昼をご馳走になり、人民路入口でタクシーに乗った。中国で一般的なWe Chat (Face Bookのようなもの)でタクシーを呼び桃渓谷と言う処に向かった。場所は三塔の寺院の上の方だ。20分ほどかかり更に徒歩で山道を少々登った。

 

入口の標識。

 

そこには茶畑がありその上にちょっとおしゃれなカフェがあった。緑や花も多く蒼山や湖の遠望も良かった。また静かで私が最後に訪れる所としてはとても気持ちの良い場所だった。

 

茶畑の向こうに雪の蒼山が見えて手前にはカフェがある。また茶畑の向こうに湖も。

 

そこのカフェでお茶を飲む事となった。彼女の目的はここでお茶をのんびり飲んだりケーキを食べる事だったようだ。確かに良い佇まいだ。映りの悪いカメラでも良い写真が撮れそうだ。

 

ライムに蜂蜜の湯

 

自然の中のカフェ、どうして良い雰囲気だ。

 

 

しばらくしてもう少し登ってみた。花棚のようなところを登ると宿があったり、また眺めの良い休憩処ようなところもあった。静けさは変わらない。

 

花もあり休憩処もある。

 

その辺りでしばらくのんびり写真を撮ったりし、先ほどのカフェに戻り残しておいたお茶を再び飲み、二人の最後の記念写真を後ろ姿で他の客に撮ってもらった。

 

湖に向かって後ろ姿の記念写真

 

さて帰路に就きWe chatでタクシーを呼んだが、待てど来ない。道に迷ったとか。仕方なく三塔の入口まで降り呼ぶ事となった。道々「運転手が道に迷ってどうするのか」っと彼女は呟いていた。

 

この先に三塔がある。まだ遠い。

 

やはり外国人の私一人では来れるところではなかった。だからこそ最後に良い一時を彼女にプレゼントしてもらったかのようだ。感謝しよう。

 

さて3月最後の日曜日、烏蘭先生達が訪ねて来た。先週来れなかった二人も含め計7名の予定だった。そこでご飯を炊く都合と先日ご馳走になったタイ料理よりもっとタイの味に近いタイ風チャーハンを作る事にした。

 

タイのチャーハン、私の所にはナンプラーがある。

 

だが当日急遽人数が減り3名の来客となった。人数が減ったので作る方は余裕だ。チャーハン2種とタイ風サラダも初めて作ってみた。味が心配だったが、それがどうして美味しかった。

 

パイナップルチャーハン。

 

この日の来客は烏蘭先生とその教え子の高校生(前回女子中学生と書いたが訂正)確かに背が高くなりスラリとした美人さんだ。この子は2年生で大学は日本に留学すると言う。こんな美人さんが日本に来れば男子学生は喜ぶだろう。

 

高校二年生。可愛い。

 

烏蘭(ウーラン)先生親子も人数が少ないせいかリラックスしている。そしてそれぞれに最後の記念写真を撮った。が私の写真は省略させてもらう。そして私はWe chatの仕方を教えてもらったりした。

 

 

この先生とは湖畔の宿に居た頃から知り合いだ。だから長い付き合いでもう本当のお友達だ。またこの先生に他の先生方は紹介された。

 

さてこれで終わりだと思ったが。翌日女子高校生が夕方雨の降る中、父親の車で高そうなタバコを1カートン買って届けてくれた。

 

 

私の作った「全ての料理が美味しかった、ありがとう」とお礼を述べに。なんって可愛らしい、こちらこそだ。またお父様の心使いもありがたい。

 

 

さて更に残った日本食材の引き受け先の日本人が海外から帰って来ない。仕方なく3人の先生に既に配っていたが更にお裾分けする事とした。

 

 

烏蘭先生にはその日持って行ってもらったが、若い先生にはまた来てもらいお裾分けし、ついでに忘れたWe chatの使い方の復讐をさせてもらった。

 

 

 

次に大理大学の董先生が一昨日来られ古城の広東料理のお店でご馳走になってしまった。メンバーは英語の先生と個人で教えている日本語の若い先生、この方とは初めてあった。更に絵描きさんがお世話になった。お店のオーナー。

 

広東料理はやはり美味しい。英語の先生の驕りだ。

 

右が董先生、左が初めて会った若い先生で東海大の大学院にいたらしい。

 

董先生には並々ならぬお世話になった。冷蔵庫や布団を買って頂いたり、私も絵描きさんもビザの件ではお世話になっている。ここで改めて感謝の意を表したい。

 

 

いやぁ私の出会った中国人、そして大理で出会った方々、皆さん素晴らしい人ばかりだった。「水好、人、大理很好」。最後に改めて大理と中国に感謝しこのブログを終わりにしたいと思う。

 

 

次の新しいブログ「Next Life はジョージアか?」のURLも決まり開設しました。

http://blog.goo.ne.jp/dancyou2/

 

 

長い間ご覧頂き、また応援頂き大変ありがとうございました。記事の掲載は4月中旬以降になると思いますが、引き続き宜しくお願い致します。

 

 

 

 

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今年はこの時期にしては雨が多いのか蒼山は雪が多い。大理は昼間は天気が良いと陽射しが強く春を通り越して初夏のようだ。でも雪山のためか空気はこのところ冷たい。

 

 

私が4月に大理を去る事は友人の先生方は既にご存知だ。2月の半ば頃から別れを惜しんでか私の日本料理を惜しんでか皆さん訪ねて来る機会が多くなった。またご招待もある。

 

この日はメンチカツにカレーソース。更に鶏唐揚げ一品。

 

カレーソースも気に入ったようだが子供たちは豚カツソースも大好きだ。カレーはカレーで食べたいと要望があった。

 

 

さてこれ、私たちが子供の頃ミルクにイチゴと砂糖入れ潰しながらよく食べたものだが、この食べ方は中国には無いらしい。大人も子供のお気に入りのデザートになった。

 

この日の客は看護師学校の日本語先生の烏蘭先生とその息子さんと日本語個人授業している教え子の女子中学生。これが2月16日の事だ。

 

その翌日、私の虫歯の治療でお世話になっている大理大学の先生から治療に行く前に下関のレストランで昼食のご馳走になった。

 

 

北京ダックと餃子と珍しい魚の干物焼き(海の魚では無いようだ)、更にこってり味の野菜、そして黄色いのはデザートで中華風パンケーキとでも呼べばよいのだろうか。それぞれかなりお高い。

 

そして2月の26日には9名様の予約が入った。この人数だとご飯が一度には炊けない。冷めても良い散らし寿司にした。ご飯は2度炊いた。この日の客も烏蘭先生とそのお友達。

 

 

かなり準備が大変だったが冷凍エビをボイルして真ん中に乗せたら綺麗に仕上がった。

 

 

先生はクリスチャンでそのお仲間もクリスチャン。だから食事の前のお祈りはかかせない。その後日本語で「頂きます」と言うのも忘れない。

 

 

先生もお祈りだ。だがせっかくの綺麗な顔が隠れてしまった。失礼。それから一人女の子がいるのだが左端で写真に入らなかった。ごめんなさい。

 

さて3月に入り12日先生と息子さんだけで来られた。息子さんが「旨い」と言ってくれそうなメニューを考えた。そこでケチャップソースで煮込んだミートボールを作った。

 

そして大理に豊富にあるキノコ類をバター炒めにし隠し味で醤油を加えてみた。更に一品、私の好きなジャーマン風ポテトサラダを作ってみた。

 

お二人ともどれも気に入ってくれたようだ。特にミートボールは我ながら上手くいった。キノコの炒め物などこちらにもあり珍しくも無いと思っていたが、こちらでは鍋物にはキノコを使うが炒める事は無いらしい。しかもバター炒め、喜んでもらえた。

 

しかし残念ながら写真が無い。今の安物のデジカメカは映りが良くなく最近はあまり撮らなくなっていたのだ。帰国時にはもう少し良いカメラを買う予定だ。

 

その翌々日、私が不眠症の薬を取りに下関の病院へ行くと話したら帰りに下関でご馳走すると言われた。夕方近く待ち合わせ場所に行くとデパートのタイレストランで馳走すると案内された。デパートの4階は日本のようにレストラン街だった。

 

この日も撮影意欲の無い私はカメラを忘れて行った。そして出された料理は籐で編んだ大きな平たいザルに沢山タイ料理が盛られていた。だが私の知っているタイ料理とはいささか味が違うナンプラーが使われていなさそうだ。

 

おそらくシーサンパンナ辺りのタイ族の料理ではないだろうか。辛いのだが私の知っているタイ料理は辛さの中にも旨味がある。

 

さてその翌日には若い日本語の先生が訪ねて来た。遠慮がちだったがランチタイムに呼び日本のソース焼きそばを振る舞った。

 

 

次の週には蒼山の麓の景勝地へ案内しランチをご馳走してくれると言う。楽しみだ。

 

さてこの週末の18日土曜日、以前から最後のお別れパーティーと想定していた巻き寿司パーティーを開いた。参加者は烏蘭先生とそのお友達と教え子親子。皆さん私の料理のファンだ。具材も色々考えた。

 

だが具材にはここでは限りがある。海の幸が無い。そこでおかずに天ぷらも考えその用意もしておいた。そこへ先生がその日の午後2時から個人授業があるので1時には帰らなければならないと連絡が入った。

 

何人かに巻き方を教え巻いている間に傍らで天ぷらを揚げる予定だったので短い時間では揚げるのは無理だ。そこでまた色々おかずを考え準備を進めた。前日は結局夜12時過ぎまで準備にかかってしまった。先生も気にして当日の集合は午前10時となった。

 

 

3人来た子供たちが巻きたいと言って巻かせたからかなり不揃いだ。具はキュウリ、ホウレン草、干しシイタケと人参の甘煮、缶詰のまぐろフレーク、更に握りに厚焼き玉子。

 

 

おかずにはまだ残っていたヒジキの煮物、ワカメとキュウリの酢の物、そしてお寿司の友新ショウガのガリも作った。更に厚焼き玉子。いやぁ疲れたがこれでかっこはついた。

 

 

まだまだ考えてたものはあったのだがこれ以上は無理だった。さてこれで7人揃えばパーティー開始だったのだが、先生の教え子の親子が授業が遅くなりこれないと言う。でも開始だ。

 

 

そでも先生はご機嫌。やっと綺麗な先生の写真が撮れた。と言う事で人数は欠けたが楽しく美味しく終える事ができた。

 

しかし来れなかった二人が今度の日曜日食事に来たいと言う。もう明後日の26日だ。お米も切れたので今日から買い出しだ。土曜日も招待を受けたがさすがに断った。

 

まあ皆さんが私の所へ来るのを楽しみにしている。ありがたい事だ。皆さんに何時戻るのかと聞かれる。だんだん里心がついてしまうではないか。それだけではない烏蘭先生は私の部屋の家財道具を全部引き取り、何時戻っても使えるようにしてくれると言う。

 

さて今度の日曜日にはまた皆さんがいらっしゃるが、さすがにそれで終わりにしないと帰国の準備ができない。また一昨日には桃渓谷と言う処に若い先生と二人で行ってきた。

 

その話も含め次ぎのブログでこのブログは終わりとしよう。

そして次のブログだが,

「Next Life はジョージアか」と言う仮題で4月中旬以降に始めたいと考えています。

そしてブログアドレスも決め報告したいと思います。

 

 

 

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帰国まで2か月を切った。46日深夜羽田着で2週間東京に滞在し20日にはトルコのイスタンブールに飛ぶ。目指すはコーカサスの国ジョージアだ。

 

全く未知の国なので当初不安もありブログに書くのもためらった。元より知り合いもいない。

 

言葉も文字も分からない、英語もツーリスト英語が辛うじて何とかなるがそれ以外はほとんど話せない。なので旅以上の事が可能か今でも分からない。

 

だから出発が近づけば不安は増大するだろうと思っていた。ところが何故か心は穏やかで、爽やかになっている。

 

だからブログに書いても良いだろうと言う気のなった。あわよくばジョージアで暮らしたいが上手く行かなくても中欧ヨーロッパやバルカンの国々を旅したい。その後仮に放浪生活になってもいいじゅあないか。

 

ジョージア行きの決め手は以前に書いた通りNOビザで一年滞在できまた直ぐ再入国でNOビザで一年滞在できる事だ。物価も大理並み或いはそれ以下と思われる事だ。

 

そして中国とは全く異なる古いキリスト教文化圏で私の好きな宗教画イコンが沢山ある。自然もかなり違い新鮮そうだ。町は旧ソ連の佇まいでヨーロッパ的でもある。

 

そして旅行者のブログによると料理は世界で一番日本人の口に合うと言う。楽しみだ。私は飲まぬがワインの発祥の地でもあるらしい。キリスト教国家としては二番目の古さを誇る歴史ある国だ。更に親日国でもあるらしい。

 

まあそのような国であるがジョージア行きの二番目の決め手はは何と言っても年金が昨年から倍額以上になっ事だ。

 

今だから話すが大理に来て1年後に受とった年金額は月35千円だ。その後企業年金がある事が分かり3年目から年間15万受け取れたが。

 

まあ日本で暮らす事は全く不可能な金額だ。それにしても本当に良く暮らせてきたものだ。当時は更に半年に一度は中国を出国しラオスに抜けなければならなかった。

 

2年前から90日に一度になっが。更に2年毎に帰国しビザ取りがあった。その旅費も年金には含まれる。

 

そんな中でも小旅行もできた。またブログをご覧になった旅行者からありがたい物資の援助も頂いた。そして自炊をしていたから決して貧しい食生活ではなかった。むしろ良い生活だった。客人に料理を振る舞う事もできた。

 

まあ今にして思えば年金35千円で貧しさを感じず誇りを持って楽しく暮らしたのだからその年金額は私に取って勲章のようなものだ。

 

その年金が倍額以上になった。とは言っても月87千円ほどだ。それでも日本で暮らすのは無理だ。まあ多少働けば何とか暮らせるかも知れないが。

 

だがそれで思ったのはこれまで禁制をしいていた長期旅行だ。そこで初めは今年は大理を拠点にウイグル方面に行き中央アジアを旅し16年振りにバルカン半島へまで陸路旅しようと計画していた。

 

そこへジョージア情報がもたらされた。やはり費用の少ない安定した生活拠点は欲しい。そして新しい風景が見たい。新しい生活がしたい。それが例え旅に終わっても。

 

もう私も今年の4月で66歳だ。こんな決断ができる最後の年齢かも知れない。だがもう一度最後の決断しなければならない時がきっとくるだろう。遅くか早くか、いつの日になるかは分からないが。

 

最後の後始末の決断の時が。まあそれまでは何時も新鮮な風景と空気の中に居たいものだ。

 

と言う事で中国大理滞在も残す事2か月を切った。また出戻る事もあるかも知れない。それは今の私にはわからない。

 

そこで余す期間、7年近く私を何事もなく暖かく暮らさせてくれた大理に感謝を捧げるブログを描けたらと思わずにはいられない。

 

 

 

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最近ラオスビザランから戻りある日本人とカフェで会い話をした。大理の数少ない日本人の間では私が4月には大理を離れ別の国に向かう事は既に知られているようだ。

 

たまたま電話する用事があり話をすると会いしましょうと言う事となった。その方が大理来られた頃は良くお会いしお世話にもなった方だ。だがこのところ疎遠になっていた。

 

もっとも私が現在の山際の中和村に引っ越し段々古城に出るのが億劫になってから数少ない日本人とも疎遠になり、寧ろ訪ねて来る中国人の友人との付き合いの方が多くなっていたのだが。

 

そこで私が大理を離れ別の国に向かう話やその国についての話し、また当然大理や中国についての話などした。

 

それからどう云う話の流れだったか覚えてないが南京虐殺(私は最近この件については否定的な見方に変わった)の話しや朝鮮人差別、更に国内の部落差別の話しにまで至った。

 

私も朝鮮人差別を見聞きした事や部落差別があった事は知っている。また部落差別については若い頃多少勉強もした。まあどちらも深くは知らないが。

 

だが私は東京で生まれ育ち被差別部落民と出会った事はない。朝鮮や韓国の方との知り合いはいない。ただ唯一中学時代の親友が朝鮮人だった事を卒業後知った。彼は中学時代野球部のキャプテンで人望があり人気があった。

 

私もどちらかと言うと人気者だった、また物事をはっきり言うタイプだった。ある時そんな事を妬んだのか他愛もない不良グループ3人に柔道部室に一人呼び出された。

 

一歩も引かない私と乱闘になりそうになった。そこへ女子生徒から知らされたその親友がクラスの男たちを引き連れ駆けつけてきて不良グループは手を引いた。

 

それは彼との友情やクラスメイトとの友情の心温まる中学時代の思い出となった。私はそんな環境で育った。また両親からは差別はいけないと育てられていた。

 

そこで私の自分史として差別に縁が無いので「私は朝鮮人差別も部落差別もした事がない」と言った。するとその方に言われてしまった。「それは尊敬します、軽蔑の意味も含まれますが」っと。

 

つまりは私の言っている事は「偽善であり軽蔑に値する」と言われたのに等しい。私は人から軽蔑するなどと言われたのはこの歳になって初めての事だ。

 

まあその方に大意はないのだろうが人に軽蔑と言う言葉を発する事など簡単にはあってはならない事だ。

 

その方の言いたかった事は深層心理の更に深層に差別意識がないはずがないと言う事だろう。だが深層の深層にまで差別意識を探し「軽蔑」と言う言葉で人を断罪しようとはいったい何故で何のためなのか。

 

その方の思考の中に私も多少経験した事のある、暗く重苦しい集団の思考性を思い出した。またその方の論理の息使いに逃れられないその暗く重苦しい痕跡と苦渋を感じた。

 

それはもう40年以上昔のあるイデオロギー集団内部の論理や思考性だ。その集団が内向的になり閉鎖的になった時その論理や思考性は悲惨な結果を生んだ。

 

その集団内部では彼らが教条する思想や論理で仲間に対しても弱点を突き更に無意識の弱点まで追及し批判を迫った。

 

その集団は社会に異議を唱える事に始まったが劣勢となり内向化するとそれは激しさを増した。また集団間でも同様だった。そして多くの知られない惨たらしい惨劇を作った。肉体と心に。

 

私は当時心に大きな虚無抱えていたが、私は社会に異議を唱える事に賛同し高校生で多少関わった。だが気が付くと大きな惨劇があり、また私の周りでも小さな惨劇があった。

 

それは戦後最後の若者たちの政治の季節でもあった。そして私は政治と言うものの恐ろしさを知った。そして普遍性を装うものに大きな疑いを持つようになった。それは今も変わらない。

 

高校生で始めたから当然そのイデオロギーも論理も思考性も未熟だった。でもそれで良かった。あるレベルまで行くとそこから自由になるのは困難を極め生涯形を変えてもその呪縛から逃れる事はできない。

 

しかし未熟だった私にもあの惨劇の傷跡は等価に心に訪れた。そこから自由になる新たな思考法はその時に既に独自に持っていた優れた人々もいた。

 

私もそれを知っていた。だが私がそれを身に付けるには6年の歳月を要した。つまり6年も私の時間は停止していた。いやあ説明しがたい重く暗い時だった。

 

あらたな思考法は言葉にすると簡単だ。「話し言葉の世界に戻る事」「普通」「生活の思考」「生活者になる事」、生活から生まれる思想以外信じぬ事。

 

あの頃イデオロギー力や論理力の強固さが弱いものに向かい知識の位階制と言う差別があり弱者を襲った。だから相手を果てしなく追及し批判する論理や思考性など無効だ。

 

だから生活に根差した話し言葉の思想以外私は信じない。それを私も創ろうとしたが未だにできていない。でもそれを生み出そうとしている優れた人々もいた。でも未だ途上のようだ。

 

私にはそんな思想を創る力は無いようだ、あの呪縛から未だ自由ではなさそうだし。どう考えても普通の生活者だったら今、雲南にはいないだろう。

 

それに私はあの時代以前中学生の頃、私の生き方を決定ずけた事があった。その後それは何だったのか中学高校を通じて調べた。宗教家が神に出会う時に似てもいる、リルケは美との出会いのように書いている。

 

サルトルは自我の目覚めと言い、絵画ではムンクの「叫び」、ルオーの「赤鼻のピエロ」の世界に似ている。ゴッホの「烏の群れ飛ぶ麦畑」の世界にも似ている。

 

そう中学生のある日、あたかも空が割れ光が後光のように差し込む場面を見てしまった経験があるのだ。他愛もない事を毎日深く考え続けた結果。

 

それは美そのものだった。その瞬間は永遠のように思えた。そして宇宙を見てしまったように思えた。悟りのようでもあった。そして一瞬陶酔した。

 

だがリルケは書いている「美とは恐ろしきものの初めに他ならない」と。そして逃げる事しかあの歳ではできなかった。

 

手に入れたものは近代絵画を言葉で詳細に説明できる能力だけだ。なぜ描かれどの様な意味が描かれているのか。細かいタッチや色使いの意味まで。でも現代美術は解らない。

 

中学の時のあの体験そして高校の時の経験が今このような私の生き方にしているのだろう。言葉も解らないが次の土地への衝動も。まあ自分でも良く分からないが。

 

今回のブログは書くべき内容ではなかったかもしれない。たまたま差別の話しがカフェで出て「侮辱」と言う言葉を使われたが大意はなかっただろし。だがそこから思わぬところに記憶が飛んだ。それはちょっと忘れないうちに記録したい衝動でアップする事にした。

 

まあなんで大理でこんな話をし自分の話までしなければならないのか自分でも良く分からない。読まれる方も良く分からない話だろう。

 

古城では春節の準備が始まっている。学校も今日辺りから休みに入ったようだ。

 

 

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年の瀬に入り先週、大理大学付属病院で虫歯を4本の抜いた。大理大学の先生の親戚の方が歯科医師を務めておられその先生のお世話で。

 

お陰で患者でごったがえす病院で並ぶこともなく治療を受ける事ができた。スペシャル待遇だ。まあ並んでおられる方には申し訳ないと思ったが。

 

数年前2本虫歯を抜いた時には虫歯の後に詰め物をする技術はないと言われたが今ではできるようになったらしい。だったら抜かずに済む段階で治療を受ければ良かった。

 

でも日本的な部分入れ歯は難しいらしい。それにかなりの月日が掛かるとの事だ。私は来年4月に大理を去る予定にしている。

 

それに間に合わすには中国の伝統的な入れ歯なら可能だと言う。そこでそれをお願いした。さてどんなものか楽しみだ。またその処置は日本での再治療には問題ないとの事だ。

 

さて4本も歯を抜くとやはり食事は不自由だ。抜いた場所に食べ物が当たるとまだ少々痛い。更に30日にもう1本抜かなければならない。

 

今年も新年会をしおせち料理を作ろうと思っていたが食べるのも不自由だし大晦日前日に更に歯を抜くのでは準備も難しい。

 

すると新年会をリクエストしていた中国の友人たちが今回は自分たちで中国料理を作って下さると言う。ありがたい。元日に皆さんと顔を合わせられる事だけで嬉しい。

 

ところで師走と言っても大理は何時もと変わりはない。冬場でも観光客はそれなりにいる。朝晩は寒いが昼間陽射しがあると春のように暖かい。

 

春のような陽射しを受けた西門。

 

古城のメインストリートの人出。この時団体はいなかった。

 

増えたカフェーの通り。

 

私もカフェで一服。アイスコヒーを頼んだがアイスは上手くない。

 

イチョウの葉がすっかり落ちていた。落ち葉で遊ぶ人もいた。

 

今年は三月街の週一度の定期市が充実している。野菜などが豊富だまた以前は見られなかった豆腐や肉類まで売られている。まあここの豆腐は美味しくないので私は買わないが。

日常野菜が色々売られている

 

中には日本には無いものもある。

 

雲南ハムと腸詰、ここの市では初めて見た。

 

長芋はこの季節のメインだ沢山売っている。私はトロロにして食べるが。更に里芋、さつま芋も更に浅草の祭りの市で売られている「頭の芋」もある普通の呼び名は知らないが。

 

果物も豊富だ。

 

近所の三月街の広場で売られている野菜類には大変助かっている。買いだめしても近所だから荷物は苦にならない。

 

古城の市場やスーパーでまとめて買うと三月街の登りがやはり辛い。でも古城でないと手に入らないものやお米を買った時は年金が倍額になってからは三月街入口の三輪タクシーで宿まで帰るようになった。

 

まあこれが最近の唯一の贅沢だ。とは言え代金は6元で100円もしない。日本だったら一駅の地下鉄にも乗れない。

 

さて正月が明けると15日頃には最後のビザランで今回はラオスに行こうと思っているできれば45日はいたい。

 

現在全くVPNが使えないのだ。だからFacebookも見れないFBで連絡を取っている人とは連絡が取れないのだ。

 

更に常時チェックしていた為替のリアルタイムチャートも見れなくなった。昨年のロイターに続きだ。どうにも中国政府のする事は理解できない。だからラオスでネットを楽しもう。

 

 

ところで大理大学付属病院で歯の治療を受けた時、私の歯には日本で治療した詰め物の跡が残っていた。歯科医の先生はそれを見て大変綺麗だと感心し助手達が私の口の中を覗き込んだ。私は日本で近所の小さな歯科クリニックで治療を受けただけなんだが。どうやら日本の町医者に比べても技術は大きく劣るようだ。

 

 

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「悪夢」について書いて以降またブログを休止していたが、今回は嬉しい報告があるのでブログにしようと思った。その事は私の悪夢を半ば解消するものでもある。

 

私は大理生活に限界を感じ物価も安く長期のビザを発行してくれる国をこのところずっと探していた。カンボジアは一年の観光ビザを現地ビザ代理店で取得でき毎年更新可能と言う事は以前から知っていた。

 

そこで昨年の冬に下見に行った。だが暑さにメゲ十分現地の情報を得る事はできなかった。そんな事ではカンボジアでは暮らせない。

 

東南アジアの国々で長期のビザを私の条件で取得できる国は他に見当たらない。まあ長期滞在ビザを取得できるだけのお金があれば別だが。私にはそんなお金は無い。

 

もしそんなお金があれば別の暮らしをしている。あるいは日本を拠点に違った旅でもし続けるだろう。もう一度行きたい国や場所がある。世界は広い。

 

そこへ友人の旅行者から新しい情報が入った。旅行先の国がノービザで一年滞在できると言うのだ。私の知る限りノービザでの最長滞在は90日だ。しかも再入国には色々条件がある。なかなか厳しいものがある。

 

だからノービザで一年滞在できる国があるとは驚いた。そんな国があるとは初めて知った。貴重な情報だ。しかも物価はここ大理とさほど変わらないようだ。あるいは安いかも知れない。

 

気候は夏はそれなりに暑いが頂いた情報では比較的過ごし易いと言う。冬は恐らくそれなりに寒いだろう。だが調べたところ寒さが厳しいと言うほどでも無さそうだ。要は日本の東京と大きくは変わらないと思われる。だが確かな情報は現在持っていない。

 

その国はまだあまり知られていない。情報も少ない、私に取っては全く未知の国でもある。その国名を私は知らなかった。でもその近くまではかつて行った事はある。

 

そこでこの情報をもとに来年計画していた長期旅行計画をこの国をメインに建て直した。元々お隣の国へは行く計画だった。更に移住も視野に入れて。

 

それで気になる事は一年ノービザ後の再入国の条件だ。お隣の国が180日以内90日までの滞在は許可されている。だがこの国の情報はネット上にも無い。一年ノービザで滞在可と言う事も昨年から実施されネットではその情報も一二見つかるだけだ。

 

そこで在日大使館にメールで問い合わせしてみた。返信があるかどうかはあまり当てにしていなかったが返信があった。回答は再入国の期間的条件は特になく一年後出国し直ぐに再入国してもまたノービザで一年滞在可能と言う事だ。

 

画期的なビザ条件だ、素晴らしく開かれた国ではないか。要は好きなだけ何年でも滞在しても良いと言う事だ。私はほとんど誰も知らない情報を手に入れたのかも知れない。。

 

そこで私は来年の4月中国ビザ切れを待ってこの国に移住する計画を現在検討中だ。ビザに関しては大使館情報だから間違いないとしてもまだ基本的な情報が少なすぎる。

 

私の情報は観光の旅行情報ではない。一年以上の長期滞在希望者向け情報だ。その為には情報不足だ。だから今回は申し訳ないがこの国の国名は伏せさせて頂く。責任ある情報は自分で行って発信するしかないかも知れない。

 

さてこれで来年行き詰まった大理生活に終止符を打ち新たな環境を手に入れる事ができるかも知れない。旅行者からはとても良い国だと便りが入っている。

 

今回ノービザで何年でも滞在可能な国の国名は伏せさせてもらいましたが、この情報に強い関心がある方でご一緒に情報を集めて頂ける方はメッセージ頂ければお教えいたします。

 

 

 

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今日、悪夢を見た。あがらう事のできない遥かな宿命に夢の中で壮絶に戦っていた。夢の中で突きつけられている根本的な課題に目覚めたのだ。重い疲労感が身体を覆っている。

 

一つ視界が広がった時、新たな限界が視え始める。それは壁のように私を拘束し規定する宿命の境遇とも言える。私が選んだ道の果てに呪文のように存在していると思われる。

 

日常では気にもせずやり過ごす事はできるが不覚にも夢の葛藤となってその呪文は現れた。当然、夢だからそれは理解でき無い比喩の形の葛藤だ。

 

でも悶絶して目覚め、しばらくしてその悪夢の意味は理解できてしまった。

 

悪夢を形成した新たに視え始めた限界と思われる根本的条件とは私がこのところぶつかっていた先々の壁のようだ。夢の中では先鋭化しあがらう事の出来ない宿命となっていた。

 

今、その条件を漠としてあげる事はできる。でも漠としているからこそ宿命的な呪文のようなのだろう。

 

「視えない関係が視え始めた時・・」と言う文で始まる詩を若い頃読んだ事がある。正にそんな時が始まったのかもしれない。

 

視え始めた、だが漠として骨格しか視えない。だからそれはまだやはり越えられそうもない呪文だ。その同道巡りが悪夢となったのだろう。

 

呪文の言葉や条件の実際を一つ一つ静かに時間をかけ解きほぐせば、今は視えない新たな視界があるやも知れない。そして何かが始まるかもしれない。

 

この重い疲労感からすれば相当な体力と長い歳月がいるだろうが。

 

しかし人によってはそもそもこんな呪文は存在しない。でも私の選んだ道ではこれを解く事は簡単な事では無い。

 

これからも悪夢から目覚める日が多くあるに違いない。呪文が解ける事はないだろうと言う事を前提としながらそれでも解きたいと言う思いを持って暮らしの中で思索しよう。

 

かつて「生き様」と言う答えを持っていた。重要だが今では生き様なら楽な気がしてきた。なぜかそれでは済まないような気がするのだ。

 

しかし不思議な事で人にはどのような状況であれ安息の日や時はある。安息と交互に現れてくれれば良いのだが。

 

 

今日、悪夢から覚め夢を記録しようと思った。こんなとりとめもない重い独り言をブログに掲載するのは相応しくないと思ったのだが。

 

まあこんなブログもあっても良いのではと思った。ご不快に思われた方にはご容赦を。こんな辺境の地でこんな夢を見るなんてそうはないだろう。

 

 

 

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6月から7月まで4週間ほど日本に臨時帰国し年金の銀行口座問題は解決した。そして大理に戻ってからこれからどう生活し、どう生きるか4~5年のスパンでずっと考えてきた。

 

8月にはほぼ倍額で満額の年金が振り込まれATMで下ろす事もできた。しかし逆に言うともう増える事は無い。でもここでの暮らしには十分だ。日本で暮らすのは無理だが。

 

だがその満額の範囲内で生活の幅や生きる事の幅は広がった。例えばもう少し広い部屋に移り、もう少し良い生活をすることも可能だ。

 

だがもう少し広い部屋に移ったとして良い生活って何だろう。カフェに行く回数を増やしたり高めの外食をしたりなのだろうけどコーヒーは自室で飲めるし高めのお金を払い外食してもはっきり言ってこちらの料理は美味しくない。

 

自炊で日本と変わらぬ肉の厚さで豚カツを作れば45元であがる。私は知らなかったのだが私の作る豚カツは外食だと50元から70元ぐらいするらしい。驚いた。

 

またスッパゲティなど数元で作れるがカフェだと30元はする。大理に来てから自炊を続けているので料理のバラエティーも増えた。男の料理だ。自炊の方が全然贅沢ではないか。外食は返って生活の質が落ちる事となる。

 

と言う事で良い生活なんて高いお金を払って広い部屋に移る事ぐらいしか考えられない、で広い部屋に移ってどうすると言うのか。あまり意味無さそうだ。

 

さて一番肝心なのは大理に来てもう7年にもなりいささか暮らしの鮮度が失なわれた事だ。続けてきたブログも書けなくなってしまった。移住も考えたがカンボジア以外長期のビザをくれる国は今のところ見つからない。日本では暮らせないし。

 

そこで気晴らしも含め近在の旅に出ようと思ったが、何処も観光化され場所によっては高層ビルばかりだ。旅の食指が伸びない。冬場の東南アジアも来年には帰国もあるしタイやラオスでは満足できない私がいる。

 

念願だった旅先はかなり遠い。半年以上貯蓄をしないと行けそうにない。それでも行けそうになった事は何より嬉しい。今、計画を練っている。と言うかほぼ計画は出来上がっている。来年だ。

 

今回、途切れ途切れとなったブログ「大理滞在記」の最終章の入口としてその計画まで書こうと思っていたが、そこまでは書けそうにはなさそうだ。まだ触れなければならない事がある。

 

そこで話は変わるが2020年の3月でパスポートが切れる。これが次の大きな課題だ。まだ先の話だが来年2年マルチビザを取ると次の2019年には2年マルチを取る為に必要な条件パスポートの残存期間26カ月が不足し半年マルチしか取れない。

 

1か月に1度の出国となる。半年ビザが切れる1か月前が丁度パスポート切れ半年前なので重慶の日本大使館でパスポートを更新し、翌月帰国し2年マルチを取得すると言う想定になる。まだ先の事なので良く詰めてはいないが、視野には入れておかなければならない。

 

2020年と言えば日本を出て10年目、大理に来て10年になる事になる、いささか長すぎるが果たしてどうなるのか。日中関係はあやしいし、中国自体もあやしい。そして何より私は70歳が目の前だ。

 

今の内に旅しなくちゃ。

 

 

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614日から710日まで日本の東京へ臨時帰国した。その目的はこれまでしばしばブログでもお騒がせご心配をかけた年金の振込指定銀行口座の変更の為だ。その必要性はこれまで書いているのでここでは省略させて頂く。


思いがけない事態に帰国するまで年金が振り込みとネットバンキングが問題無くでき、こちらのATMで下ろす事のできる銀行とその口座開設方法をネットやそのほかの方法で調べまくった。


そしてどうにか可能な銀行を二行見つけ、これまでの年金指定銀行が従来の方法でのネットバンキングが停止となる7月1日以前の帰国となった訳だ。


どうにかなりそうだ。と言う結論だったが不安と緊張の拭えぬ帰国だった。新しい銀行口座の開設の手続きが上手く行ったとしても本人限定郵便で送られてくる銀行カードを受け取る際の本人証明の書類に関しては帰国してからも確認作業が必要だった。


日本居住の友人の暖かい協力により本人証明の書類も最終的に判明し、また友人宅に住民登録も済ませ口座開設終了の通知を待った。


通知からカード受け取りまで1週間から10日以上掛かる。そこでかつてキャンプやダイビングで良く行った伊豆七島の式根島に休息の為に行ったりもした。山しか無い雲南に住んでいるのでどうしても海が見たくなったのだ。


式根島は2泊だったがかつて良く泊まった民宿にも20年振りに挨拶に行った。今は閉鎖されていたが行くと覚えていてくださり昼食をご馳走になり車で島の案内までしていただいた。この島は私には故郷のような処だ。


式根島にいる時ネット銀行より口座開設終了のメールが届いた。まずは安堵。後は無事カードを受け取れるかだ。


そしてまた東京のGHへ戻った。その頃16年前に雲南は麗江の宿で知り合った旅の友人二人とも再会した。その内一人は全くその時以来だ。旅先で知り合った友人は特別なものがある。


また歳は加えたと言え変わってはいなかった。まあ二人とも私より遥かに若いが。


さてその後、住民登録させて頂いた友人宅から銀行より本人限定郵便が届いたと言う連絡があった。翌日早速会いに行くと奥さんが車で郵便局まで案内して下さった。


住民登録の際に発行してもらった保険証とパスポートを窓口で見せると何の問題も無く銀行のVisaデビットカードを受け取る事ができた。


その帰り道に企業年金の事務所に寄り年金口座の変更の手続きを済ませた。その翌日には国民年金の事務所に行きそこでも手続きを済ませた。


海外居住で年金を受け取る形になっているので一時的にも日本に住民登録するのでどう言う事になるかと思っていたが、年金事務所ではまた海外転出するのであればそんなことはどうでも良いらしい。これまで通りの扱いとなった。


と言う事で今回の帰国の目的は意外に簡単に達成できた。もし上手く行かなければ大理生活は不可能になるので肩の力も抜け大きく安堵した事は言うまでもない。しかし何人もの方のお力添えの結果だ。改めてお礼申し上げる。


また嬉しい事もあった。愛知県の豊田から15年前タイ・カンボジア・ベトナムそして私に取っては2度目の麗江まで共に旅した友が訪ねて来てくれた。


そしてその夜、南千住のイタリアンレストランで昨年と今年大理に訪ねて来られ今回銀行の件で色々手伝って下すった方と豊田の旅の友と食事をしていた時に何と偶然にもベトナムから一緒だった女性とも再会した。


私達はミラクル・ミラクルといささか興奮した。丁度豊田の彼と彼女は今どうしているのだろうと噂していたばかりだった。ほんとミラクルだ。彼女は今は二人のママだった。


さてまた帰国の時には必ず会いメールでやりとりしている仕事関係の友人とも会い食事をご馳走になったり買い物の手伝いをしてもらったりした。


更にまたブログを読まれている旅好きの初めての方ともお会いする事ができた。まあ一番お世話になったのは旅の画家俵毅氏だが。


考えてみると仕事関係を除くと皆さん旅の関係者で更に共通項は麗江の宿だ。旅での出会いは歳月を超え大きな絆となると改めて思わずにはいられない。


と言う事でこのブログでしばしばお騒がせした銀行問題も無事解決し、大理生活の保障が得られ、また新たな旅の保障も得られた。


色々ご心配をお掛けした方も多かったので今回はかなり久しぶりのブログになりましたが、ご報告させて頂きます。




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6月の臨時帰国を控え生活も控えめ、だから単調な日々が続いている。近在に出かけたり僅かな贅沢もこれまで同様できない。6月の帰国は4週間弱の予定だこれまでになく長くその滞在費はこちらの生活費とは比較にならない。


大理もこの6年物価は大変上がっている。もっとも庶民的な食事の米の麺が6年前は4元ほどだったが今では8元から10元、今日のレートでは約168円。カフェのコーヒーは安くとも220円。高い所へ行けば400円近くする。もう日本と変わらないか日本より高い。


レストランなどに行けば400円~500円は当たり前となってきた。幸いこちらの料理は私の口に合わない。同様の素材を使って日本風や西欧風に料理すれば100円以下で済む。


牛肉は高いし美味しくないので食べない。豚肉は中国の特殊事情でかなり値上がりしてきたようだ。それでもロースの塊が1キロ500円もしない。もっとも日本の値段を忘れたが。


野菜などはものによるが角の世界から高くても5元も出せば1週間分は買える。100円もしない事になる。肉と野菜があればたいていの料理は作れる。日本から来られる方が日本の調味料を持って来て下すっている。だからありがたい事に中国の友人にも日本料理をふるまえるほどだ。


そして何より家賃が安い。それでも当初月400元だったが今では900元で15000円強だ。高くはなったが光熱費もネット代も込みだ。


だから工夫も必要だが日本と生活費は比べ物にならない安さだ。当初探すのに苦労した持病の不眠症の薬、眠剤も私に合うものが見つかった。値段は何と48日分で11元とちょっと190円ほどだ、しかも診察費込みの値段だ。


そしてこのところ寝られる時に寝れば良いと決めてから不眠症は大幅に改善し薬を服用しなくとも睡眠が取れる日が多くなった。数十年の不眠症がここにきて治りつつある。


とは言えこれまで1日で治してきた風邪が今年は思いがけず長引きまた引き易くなってしまった。おかげで三月街の登り下りが益々億劫になり出不精になってしまった。


そんな中、先日515日大理に来てまる6年となった。そして7年目に突入した。思い返せば色々な事があった。でも大理の大自然と古都、さらに心暖かい人々に抱かれ、まる6年もの歳月を過ごす事ができた。


私は中国そして大理に来て日本人と言う事で歓迎はされても嫌な思いは一度として経験した事はない。これは嘘偽りでは無い。出会った中国人も恐らく意識の何処かに過去の日本との戦争を忘れてはいまい。私も忘れないように努めている。


お互いその話を避けている訳ではない。わたしもその話がもし出たらきちんと向き合う心構えは持っている。でもその話は出会った私達には必要が無いのだ。


以前、相互学習をしていた学生から唯一こんなことを聞かれた事があった。「日本人て残酷なのですか」とそこで私は答えた「私が残酷に見える」と。


そしてその話は終わった。昨年のその学生は社員旅行で大理に来た。彼女は案内役で忙しかったが。私と会う時間を作ってくれ楽しい再会ができた。


今年ビザランで昆明から河口に向かう車中には中高年の騒々しい面々で満員だった。当然私の前にも中高年の夫婦がでんと席を取った。まあ要注意年齢だ。私は前夜の夜行で睡眠不足だったのとあまり関わりたくないので寝ていた。


すると河口の前の駅が近づいた頃その駅で降りなくては良いのか起こされた。そこで私は河口に行くことを話した。その駅名の発音が悪かったので外人だと見抜かれ私は日本人である事を話した。


私が中国語が下手でその列車にも不慣れである事を知った夫婦はその後、私に色々便宜を図ってくれとても親切に振る舞ってくれた。ありがたい。そして私は彼らを要注意年齢などと思った事を恥じた。


私の父は戦前、思想犯として満州に流され母と結婚して二人の子を生し引き上げるまで満州で過ごした。戦後生まれの私は父母から幼い頃から多くの中国人に助けられ引き上げてこれた事を聞かせれていた。そこには中国人への敬意こもっていた。


そんな両親に育てられた為だろう私は子供の頃からある思いが作られていた。「人の好意には好意で応える事」「不遜にはそれより大きな好意で応じる事」「人を敬う事」


そして40代後半から旅に出るようになり私には信条のようなものが生まれた。「国家や民族を離れ人は11では対等でであり平等であり敬わねばならない」と。


貧しい国もあり治世の悪い国もある。習慣もマナーも違う。旅をしていると心無い旅人や態度の悪い旅人にも出会う。私はそんな時怒りを覚える。あなたは何しに来ているのっと。


あるベテランのバックパッカーが言った「私達はその国を旅させてもらっていると言う感謝を忘れてはならない」と。そうそれは私が旅を始めた頃からの思いでもある。


大理古城生活まる6年となり7年目に入り、私は改めてまる6年も暮らさせてもらった大理に感謝しよう。そして私の中に形成された「信条」を忘れず破らずこれからも生て行こう。


しかしさすがに生活はマンネリ化してきた。ブログを書こうと写真を撮ってきたりもするが写真を見るとこれは以前何回か紹介しているなっとブログをUPするに至らぬ事が増えた。


しかしそんな時良く旅での思いを思い出す。旅で出会う風景や名も無い草木そして人々を見つめて思う、きっと二度と出会う事はないのだろうと。そのような意味でそれらは私に取って神聖だ。


だからもし書くことを失っても今は神聖な時なのだと。


さて6月から年金が全額支給される。これは日本滞在費でかなり消える。次は8月で生活には余裕がでるが、また全額と言っても知れている。まだまだ本格的な旅の資金には遠い。来年はまたビザの更新で日本に帰国しなければならない。


だから本格的な旅はまだできないが、まだこの6年行けなかった近場がある。8月以降少しづつ近在の旅から始めよう。そして雲南は広いまだ行った事のない処も多い。やはり旅と新鮮な風景が私の原動力だ。






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