「シンプル・ライフ」って言葉ありますよね。僕、あの言葉好きなんですけど、嫌いなんです。


日本語になっていないですが、もうちょっとわかりやすく言うと、“「シンプル・ライフ」は好きだけど、そういう類の名前の付いたグッズは嫌い”という意味です。経済的で賢い生活、らしく見えますよ~というカンジが嫌いです。


人によってそれぞれ定義はあると思いますが、僕にとっての「シンプル・ライフ」とは、物の面から言うと究極的には「何も持たない」ことだと思っています。


とは言っても、社会生活を営んでいる以上、「何も持たない」訳には行けません。仕事をすればそれに必要な物、子供がいればそれに必要な物がどんどん増えていきます。我が家もだんだんそれ関係のものが増えてきました。(“たまごクラブ”やら、マタニティ服やら。雑誌はほとんど広告と言っても過言ではないくらい厚い。そして、また物が増える・・・)


“物”に関する我が家の戦略は、こうです。


「借りられる物は借り、貰える物は極力貰う。もしくは使い捨ての物を買う。人生の変わり目には何も所有していないのが理想。」


子供に関する物や家族の規模に関する物(家や車、生命保険など)は、ある一定の期間だけ必要という物が多いです。それなのに、その期間が一生続くかのごとく、物を買うことは僕らにとっては無駄だと思っています。例えば、


・5人家族の人がその規模に合う家や車を買うのはいいですが、あと何年5人家族ですか?

・5千万円の死亡保険をかけている人、その金額が必要なのはあと何年ですか?


そう考えるとおのずと選択肢は限られてくると思われます。(もちろん家や車を買うのにはそれだけの理由では無いことは分かっています。ここではあくまで経済的な側面からみただけの話です。)


そして、人生の変わり目(俗に言う第2の人生だとか、結婚したときだとか、子供が産まれたときだとか独立したときだとか、そういう時)には、何も持っていないのが理想です。自分の人生の次の段階にどんな生き方をしたいのか、だれと過ごしていきたいのかを考え、それに合った物をそろえていくのが、僕にとっての「シンプル・ライフ」です。






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我が家には中古の軽自動車が1台あります。

名前は「ジョボビッチ」。車種がダイハツ「ミラ」だからです。


北海道は超車社会なので、一家に一台どころか一人一台が当たり前です。

我が家も、僕が単身赴任する前まではもう一台持っていました。


平日は僕が車に乗らないで済む職場にいるので、奥さんが独占的にジョボビッチ号を使っているのですが、週末となると奥さんが会社に行きたい時間と僕が趣味などで車を使いたい時間が重なるとちょっと困ることもあります。そんなときは、「もう一台買おうかなあ・・・」とちょっと思ったりします。


しかし、車は金食い虫です。どんなに安い中古車を買ったとしても、ガソリン代(高い!)や税金その他、車検や冬タイヤなどあたかもわがままな恋人のように金を食います。うちのジョボビッチ号はその点なかなかできた女なのですが、それでも年間10万以上はかかっていることでしょう。好きな人なら、そのほかにも様々なカーアクセサリーや洗車など、お金をかけだしたらきりがありませんね。


それにしても車って不思議な存在ですよね。第一義的には、「人や物を遠くまで運ぶ物」に過ぎないのに、今日ではその乗っている人のステータスや財力、センスを表現するための道具としての意味の方が大きなものとなっています。


値段の大小で乗り心地や広さに違いがあるのは分かりますが、同じようなクラスの物でも、例えば素人目にも国産のシビックの方が性能良さそうなのに、外車のルノーやフォルクスワーゲンのコンパクトカーの方が倍くらいの値段がすることを見てもそれは明白です。医者の奥さんは、見た目がほとんど同じなのにミツビシコルトでなくベンツのAクラスに乗りたがりますしね。偏見ですか。(笑)


また、休日ニヤニヤしながら愛おしそうにワックスを掛けている人をみるとまるで恋人を愛撫しているかのようで、愛情の対象としての存在でもあるようです。確かに子供や恋人と同じくらいお金をかけている人も多そうです。


夫婦そろって、車それ自体に興味がないことも理由ですが、僕たちの車に関しての戦略はこうです。


「普段使いには中古の軽自動車をつぶれるまで乗り、遠出をするときはレンタカーを借りる。」


先日、知床の方まで行って来たときも、乗用車を借りていきました。普段よりもちょっと大きめの車で1週間で5万くらいかかりましたが、とても快適なドライブをすることができました。いろんな車種があって選び放題。あきても1週間たてば返すだけです。


町中では持て余す大きめの車も、長距離ではその性能を十分に発揮します。燃費も良かったし、なによりぶつけてもぶつけられても自分の車ではないというのがいい。自分で買った新車をぶつけた日には、きっと1ヶ月くらい立ち直れません。所有にはただそれだけでお金もかかるし、僕にとっては心理的負担も相当な物です。それが、逆に心理的高揚につながる人が多いのはよく分かっていますが。それはまあ人それぞれ。


こう書いていくと、僕がどうしようもない「ケチ」だと皆さん思うかも知れません。しかし、自分では「ケチ」ではなく、お金を使うことで奪われる自分にとって最も価値のある物を守っている、と考えています。

その価値とは、「自由」です。

それについては、過去の記事でもいくつか書いてありますので、参考までにどうぞ。


※育児オトコの「人生戦略」についての過去記事

家は買わない。

家は買わない。~その2

終身保険には入らない。

共働きをやめない。

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「君といるところが、HOME」







新潟で地震が発生してから、10日あまり経ちました。
いまだに避難生活を余儀なくされている方も多数いらっしゃるようです。
亡くなられた方、負傷された方にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

さて、テレビの映像や新聞で今回の災害のすさまじさを目の当たりにし、
改めて思ったことがあります。
それは、以前、家は買わない。の記事でも書いた、
「家を所有することのリスク」についてです。

その記事を書いた際、すみくさんから、

賃貸の場合、老後の年金暮らしから、家賃を生涯負担しなければ
ならないし、高齢になると家が借りにくくなるというデメリットがある


という意見を頂きました。

確かに、大家さんによっては年をとった人に住宅を貸さない、
という人もいるようです。
一人暮らしの老人ならなおのことで、部屋の中でいつの間にか
死んじゃって腐乱死体にでもなられたら、不動産の価値が
下がってしまうし、何より目覚めが悪いですものね。

多くの老人は収入が年金のみであるので、家賃滞納のリスクも
あるでしょう。払えなかったからといって追い出せませんし。
僕が大家さんでもそう考えるかもしれません。

しかし、これらのリスクはそれに対して準備したお金か
収入源さえ持っていれば、全て避けられるリスクです。
家賃滞納を恐れる大家さんなら、1年分くらい前払いすることを
持ちかけることもできますし、一人暮らしや病気の問題は
賃貸であろうとなかろうとありうることですので、
前もって老人ホームに入るなど準備することが可能です。

もちろん、その時にそんなにお金を持っているとは限りません。
ひょっとしたら、家を買わない僕は、将来老人になって住むところが
なくて呆然としているかも知れません。
精神衛生上、持ち家があるということは、将来への不安の解消になる
というのは良く分かります。
住宅ローンさえ、なければ、ね。

しかし、賃貸はそうならないために今からいろいろ準備が出来ます。
より稼いだり、貯金をしたり、物価の安い外国に移り住んだり、
家族の人数の変化に応じて最も効率のいい広さの住宅に住んで、
生涯の住宅にかかるコストを調整したりするようなことです。

よく、住宅雑誌などに借りると買うとどっちがお得?なんて企画があり、
結論としてどちらも生涯における資金的には同じ、なんて記事が載ります。
それはそれで正しいのですが、ひとつ抜けている視点があります。
たとえば、購入派は、4LDKのマンションを一度買ったら、家族が増えようと
減ろうと一生その広さに対するコストを支払わなければなりませんが、
賃貸派は、その時々の家族の規模にあわせて広さに対するコストの支払いを
変えることができるという点です。
また、収入の増減にあわせて家のグレード(豪華さや便利さ)を変更できるか
どうか、という違いもあります。その差は実はかなり大きい。

大切なのは将来の避けられないリスクに対して準備が出来るかどうかと
いうことではないでしょうか。
そんなことを、地震で崩れ落ちた家が散乱する映像を見ながら考えました。

地震。雷。火事。リストラ親父。離婚。台風。介護。治安の悪化。

どちらがより準備の選択肢があるでしょうか?


※前回・今回の記事については、あくまで経済上の損得の話をしています。
家を持つことによる精神的な充足感や幸福感などは考慮に入れていません
ので、あしからず。そういう部分はまさに人それぞれですから。



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「人生の自由を買う」









これまで、いろいろ僕の人生戦略について
書いてきましたが、それには当然ながら目的が
あります。
それは、僕にとって一番価値のあるもの、
すなわち、「自由」を実現することです。

家を買わない。 のは、
住居移動の「自由」を得たいからで、

終身保険に入らない。 のは、
資産運用の「自由」を得たいからで、

共働きをやめない。 のは、
精神の自立と経済的な「自由」を得たいから、です。

僕は、働くことはやめないかも知れないけど、
「働かなければいけない」から働く、ことからは、
できるだけ早くリタイアしたいと思っています。

それは、いわば労働を売るという形で、
自分の時間を他人に売っているという状態から
できるだけ早く抜け出て、自分や家族のために
限りある時間を全て使える、「自由」を得たいと
いうことです。

そんなのお金持ちしかできない、夢みたいなこと、
とあなたは思うかも知れません。
あるいは、思わないかも知れません。

だけど、それは可能です。僕でもあなたでも。
そのやり方は、まず自分の時間の値段を知ることから
始まります。

まず、1年にかかる最低限の生活費を計算します。
仮に森永拓郎さんの説を取って300万円としましょう。
それが、1年の時間の値段です。簡単でしょう?
さらに、寿命は80年、年金はもらえない、とします。
(もらえたらラッキー!くらいに思っておいた方が
精神衛生上いいですから。)

あなたがもし今、300万円持っているとしたら、
80歳の1年間の分は確保できているということです。
600万円なら79歳まで。
そうして考えていくと、60歳で引退する普通の人は、
引退時持ち家の価値や現金預金等あわせて6000万円
あればいい、ということになります。
(実際には利子も付きますが、利子の分だけインフレもあると
いうことで相殺します。)

そんなに絶対に貯まらないと言う人は、冷たい言い方を
するようですが、それは、60歳という年齢では引退できない
ということを意味します。
そのためには、生活費を300万円以下にするか、
年金が貰えるように天に祈るか、もしくは、80歳よりも
早く死ぬ必要があります。
あ、死ぬまで働き続けるのもありですね。

僕たちは、生活費の調整と支出の選別、共働きによって、
50歳前にリタイアする計画を立てています。
そして、それが果たせた後は好きなところに行って、
(今のところタイが第一候補)新たな仕事を始める
ことも含め、好きなことをして、10年間くらい住んでみたい。
そうすれば、生涯の生活費もさらに浮きます。
(この先こんなに円がずっと強いままとは限りませんが)

ここまで読んでも、まだ絵空事だと思っている人が多いかも知れせん。
しかし、僕たちは単なる夢ではなく、ごく自然な行き着く先だと
本気で思っています。それはひょっとしたら大きな勘違いかも
知れませんが、夫婦一緒にしているならそれはある意味、
幸福な勘違いです。

「リアルにイメージできることは実現する」

これは僕たち夫婦の信条です。
今までもそうだったし!

僕は、勤め人です。
月曜日から金曜日まで毎日働いていて、
土日祝日は休みです。
比較的余裕のある職場で、よっぽどのことが
ない限り、18時くらいには家に帰れます。

一方、奥さんは会社の経営者。
一応月曜日から金曜日までが就業日となって
いるものの、社長には土日は関係ありません。

それゆえに土日でも、奥さんの仕事でつぶれたり
します。そして、人間のできていない僕は
頭では理解はしているものの、
よく喧嘩をふっかけてしまします。(笑)
そこには、サラリーマンと経営者の考え方の
ギャップがあるのかも知れません。

だけど、僕たちは共働きをやめようとは思いません。
それは、働いている人と働いていない人とでは、
サラリーマンと経営者どころではない、大きな
ギャップが存在するからです。

よく、雑誌やテレビなどで話題になりますが、
専業主婦(夫)の苦しみは、絶対に勤め人には
分からないし、同じく勤め人の苦しみは、
専業主婦(夫)には絶対に分かりません。

同じく、
「会社の掟」「社会の掟」みたいなものと、
「家庭の掟」「近所の掟」みたいなものとは、
絶対に交わりません。

どちらかが苦しいとき、違う世界に住む
(あえてこう言いましょう)相手には、
その苦しみが表層的にしか理解できないのです。

それでも、双方理解しようと歩み寄って、
努力している人もたくさんいらっしゃいます。
それはとてもすばらしいことです。

だけど、山崎まさよしの「セロリ」じゃないですが、
もともとどこ吹く他人同士、どうせ他のことで
喧嘩になるのなら、できうる共通点はなるべく
持っている方が、笑って暮らせる時間が長くなる
のではないでしょうか。

もちろん、経済的にも共働きは人生に対して大きな
プラスになります。また、今の世の中これから
いつリストラや企業の倒産に会わないとも限りません。
共働きは、最大のリスクヘッジでもあります。

そう考えた場合、育児休暇は取れる方が取るべきで、
経営者の奥さんにはありませんが、勤め人の僕には
そういう制度を利用できるので、来年取得しようと
画策しているわけです。

最後に、子供に対する影響についてですが、
僕たち夫婦は、ともに共働き家に育っているので、
まあ、少なくとも自分たちくらいになるなら、
いいかな、と。(笑)


現在、僕たち夫婦が入っているのは
掛け捨ての医療保険のみです。

そして、子供が産まれてきたら、その子が20歳に
なるくらいまで定期保険に入ろうと思っています。
それも毎年貯金の金額に反比例させて減らしていく
つもり。これは医療保険も同様です。

何かあったときにどうするんだ、という意見が
あるかも知れません。
しかし、現在共働きで、この先も引退する
まではそれを続けようと思っている僕たちには、
どちらかに何かあっても、それぞれ一人で生きていく
だけの意志と稼ぎがあります。
(そうなったら嫌だけど)
離婚のリスクもあるし。

あなたは、ドライな態度だと思うかも知れません。
だけど、人生で2番目に高価な買い物だと言われる
終身生命保険、
(30年間、月に2万円払ったとして生涯720万円!)
誰が義務だと決めたのでしょうか。

貯金の代わりになる、という意見もあります。
しかし、ちょっと考えれば生命保険会社には
多大なコストがかかっており、(保険のおばちゃん!)
その分、運用利率は差し引かれます。

運用におけるスケールメリットももはや
現在の世の中ではそれほど効果を発揮できません。
つまり、保険会社に払うお金は手元において
自分で電力株でも買った方がよっぽど割がいい。

しかも、保険は自分のお金なのに途中で使えません。
(使おうとすると少なくないペナルティが課せられます)
急にブラジルに移住したくなったら、かなり損します。

そして、子供が独立するまでは一時的にリスクが
発生するので、貯金の少ないうちは、その分掛け捨て
の定期保険でまかないましょう、
そして、保険と貯金は別に考えましょう、

というのが、保険における僕たちの戦略です。
「家を買ったら一人前」

いったい誰が決めたのでしょう。

「一国一城の主」

なんてことばもあります。

パラサイトと呼ばれる人たちはともかく、
賃貸で家を住んでいる人だって、
自分でお金を稼いで、家賃を払って住んでいます。

それだって「一国一城の主」であることには
違いないのでは。
3000万円のマンションを買うのと、
3000万円相当の価値のある賃貸に住むのは、
住んでいる間のコストは経済学的には同じです。

また、「同じお金を払うなら、何も残らない賃貸より
払い終わった後、自分の資産になる購入の方が得だ」
という意見もあります。

しかし、築30年の家は資産と言うよりも
廃屋に近いと言えます。
この改築や取り壊しのコストを考えると、
手間を省けばずっと新しい家に住み続けられる賃貸
と比べ、住環境の質をキープするコストがかかります。
(まあ、引っ越し代とかかかりますが)

それでも人は家を持ちたがります。
すすんで20年や30年、同じ場所に住むことを
選択します。
地域の治安が悪くなったり、子供を通わせる学校が荒れたり
する可能性もあるのに、一か八かで自分の住む場所を
決めてしまう。

もちろん、人生は不自由の方が楽であるという場合も多いので
僕はそれを否定しません。
まさに「好み」のレベルと言えるでしょう。

だけど、僕は少なくとも変なプライドを感じたり、
過度の価値付けをするようなことは、したくないです。
買うのも借りるのもまさに個人の選択の範疇だから
だと思うからです。

僕は、それよりも自由であることを望みます。
人生のステージにあわせて、生活にあった場所、広さ、
環境のところに住みたい。
そして、何より好きな人がいるところ、
そこが家(home)なのではないでしょうか。

ゆえに僕たち夫婦は家は持ちません。

「自由であること」

これが僕たちの人生戦略の基本の一つです。

・・・と僕自身はずっと思ってきているのですが、
こんなふうに→hunny-candy
責任を持って家を持つことを楽しんでいる人を見ると、
確かに家を持つということも悪くないかなあとも
思えてくる自分もいます・・・(←意志薄弱)

ま、要するに義務ではなく選択の一つだということで。