男性の育児休暇はまだまだ珍しいようで、新聞やテレビなどから取材を受けることがあります。

そんな時、記者やインタビューアーは無意識なんでしょうけど、僕を「特別な人間」と考えているような雰囲気を感じるときがあります。


例えば、仕事を休んで育児休暇をとるような人だから・・・


・子供が大好きな人なんだろう。

・食事作りとかもプロ並みにできる人なんだろう。

・"アットホームダッド”のイメージそのままにすごく家庭的な人なんだろう。

・父親学級などにも積極的に参加しているような用意周到な人なんだろう。


などなどです。


このブログを昔から読んでいる方はご存知だと思いますが、上のことはすべて僕には当てはまりません。特別扱いしてもらえるのは気分がいいといえばそうですが(でなければ取材なんてこないだろうし)、残念ながら僕は、家事能力も育児への情熱にしても良くも悪くも普通の男の人と変わりありません。(もしくはそれ以下です)僕は、いたって「普通の男」なのです。


育児休暇創成期の頃に育児休暇をとった男性たちは、ある意味「スーパーマン」で、取得の際の会社への根回しも完璧だし、家事も育児も仕事もかなり高いレベルでこなせる人ばかりでした。そういった「特別な」人たちが先達となっていったのです。


しかし、僕の職場では初めてですが、いまや日本全国を見渡せば男性で育児休暇をとっている人はたくさんいます。ちょっとgoogleやyahooで検索して見れば、もはや珍しいことではないことが分かります。


だったらなぜいまだに「特別な人間」扱いされるのか。


それは主に同性の方に言える事ですが、自分の育児休暇取得の可能性に目を向けたくない、というのが理由にあると思います。育児休暇をとる男性が「スーパーマン」ばかりであれば、自分がとらない、・とれない十分な言い訳にすることができるからです。


また、僕の妻が結婚後も出産後も自立して働いているというのも理由でしょう。まだまだ僕の住んでいるところのような田舎では、結婚した後も経済的に自立している女性は少ないのです。これも一人の人間が自分の食べるパンを買うお金を稼ぐ、という「普通の人間」になっていくことが必要かもしれません。


僕たち夫婦は、子供ができた際、育児についてよく話し合い、たまたま妻が会社を軌道に乗せようとしている大事なところであったのと、僕の会社にそのような制度が整っていたこともあり、ごく自然に形で僕が育児休暇を取得することになりました。立場が逆ならば、きっと妻が取得していたことでしょう。これは経済的にも合理的であり状況において理にかなった選択です。家事ができないのなら、やればいいのです。


世の男性は、新しい仕事ならなんとか覚えようとするのに、家事や育児はなぜできないと決め付けるのでしょう。仕事ならやりたくなくてもやりますよね?そして、やり慣れないことでもしばらくやっていると慣れてしまうものです。


僕は「普通の人間」です。それは、僕ができたのだからあなたもできるということを意味します。男性の育児休暇の取得率の問題は、制度そのものの不備というよりも、その人自身の考え方の頑なさにあるのだと思います。